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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
四章:夜影と仕分けの亀
196/302

嵐の過ぎた後に


~知荻縄を発った後~


優太「いや……宿のご飯美味しかったね。量胡さんに、色んな調理法聞いちゃったよ。そう言えば、結はどうだった?やっぱりパンよりは白米でしょ?」


結「またその話?あたし満腹状態なんだから、今食物の会話を求められても吐き気するのよ」


優太「なっ!それは食物に失礼だぞ、僕は師匠に食べ物を粗末にするなと教えられてるからね」


結「あー、はいはい、そうね」


優太「反応が冷たいな」


結「嫌なら無視してるわよ、でも疲れるから、それ以上は早く合流して弥生にでも構ってあげたら?」


優太「あの子……パン派なんだよね……!そこだけは可愛い弟子といえど許容しない……」


結「うざ……」


優太「君はどっち派?」


結「パンは蜂蜜塗ったりすると旨いし、そのやり様によっては色々美味の形は変わるけど、白米だって生産地域によって味わいも異なるでしょ?あたしはどっちでも良いかな」


優太「一つも選択しないなんて……君ほどの道化は居ないよ」


結「えぇ、面倒臭いわね。じゃあ、あんた猫と犬、どっち派?」


優太「ん?どっちも食べた事ないけど?」


結「救いようがないわね……食欲の話じゃないわよ」


優太「ああ、好き嫌いって、そっちか。……そう考えると、犬かな。狩も効率的になるし。君は?」


結「あたしは断然、猫ね!何たって甘えてくる姿に狂おしいほど愛嬌を感じるから、あたしも全力で甘えちゃうの」


優太「普段、誰かに甘えられたり、逆に甘えたり出来ないからね、君の性格って……」


結「何で哀れむのよ!?」


優太「大丈夫、きっとそんな相手が……き、君にも……出来……!駄目だ、僕は師匠に正直に生きろと言われてるんだ、やっぱり嘘は付けない!」


結「嘘でも言いなさいよ!ていうか、あんた今までの旅で何度も人欺して来たでしょうが!」


優太「組織内に良い男は沢山居るから、大丈夫さ」


結「そうね、じゃあ見付かるまでは、あんたに甘えるわ」


優太「ははっ、おぞましい!」


結「早速、甘えても良いかしら?」


優太「ん、何?」


結「あんたに対しては、嗜虐心が疼いちゃって仕方無いの」


優太「それ、僕だけじゃないよね絶対に」


結「今日の夜、楽しみにしてなさい。……必要なのは匕首で良いわね……」


優太「戸締まり気を付けないとな……」








 黄泉國(よもつくに)へ往く霊魂の波は、滞留する事無く黄泉比良坂(よもつひらさか)を流れ、『輪廻の環』の内側へと還元され、別の存在意義を与えられる機を待つ。生命の営みが循環すること、即ち常に死の数が相対的に増加する。

 黄泉國の門は一つ、原始の大地にして後に分断された神聖なる北大陸(リメンタル)と称呼された場所の北東部に広がる樹海の中枢――広大な湖である。北大陸自体は、およそ中央大陸(ベリオン)の約四割の面積と予測されるが、それは海外より見た視点。ある境界線を越えれば、その正体が暴かれる。

 広く展開された空間圧縮の力により、本来は中央大陸の数倍に達する領土を保有し、その全貌を他二つの大陸から秘匿していた。故に、この樹林はこの湖より森林限界までで、千極の国土に相当する広範である。

 湖底まで四方より水中に魂の通過する傾斜路(黄泉比良坂)が伸び、収束した線の先に湛えられた虚ろな洞にこそ黄泉の門がある。

 それは原初より、最も古くから在る対の世界への入門。神に授かった寿命を尽くし果てた者は等しく、次なる世界での生活を定められる。太古より延々と、この両面の世を周回する為に幾度と無く形を変え、新たな存在として運営する――それが輪廻の円環。

 今日も分け隔て無く、死した総てが其処へ運ばれる中、列より二つの魂が黄泉比良坂を外れ、池の畔を彷徨する。黄泉國への進路を外れる事は、条理を逸するのと同じ。外法の存在――この世界に留まる権利を与えられた特例。

 岸辺に浮遊した二つの直下より、樹の幹や蔦が成長を始め、複雑に絡み合い繭の形状となって包み込む。内側で躍動する魂を内包する樹木は母胎、一度肉体を喪った核を包む新たな器を複製する役割を持っていた。次第に発光する繭の中から、人影が躍り出る。

 周囲を見渡して、湖水を指先で軽く掬って払う男。細面に麻布を斜に巻き、左目を隠している。着衣は七分袖の徳利襟ではあるが、目元まで覆う長さがあり、膨らむ葉叢の如き乱髪の所為で右の面相を僅かにしか覗かせない。指貫の短い手套の掌は厚い布で作られていた。

 背には縫い針のごとく錐状の尖端をした長刀、鋭利な刃先とは逆の終端には穴があり、そこから目に捉えるのも難儀する細い糸が伸びて、一本の短刀の円柱状の把に纏められている。

 褲の裾に臑当(すねあて)を内側に仕込み、包帯を巻いて絞った先にある足は短靴だが、爪先と踵の底が刳り貫かれた異様な作りで、土踏む足の裏は硬い靴底の音ではなく裸足が砂を擦る音。手套のように、その足の皮膚は異常に厚い。

 遅れて繭から脱し、隻眼の男を見るのは同性の人間。目許のみを露出した黒頭巾には額当が施され、月光を照り返さぬよう漆が塗られている。袈裟に線状の凹凸が重なり合う留め具(ファスナー)がある上着には大量の道具を仕舞う衣嚢が数多くあった。

 五分袖の上着から剥き出しの腕は、前腕を覆う手甲を装着しているが、この中に刀剣の刃が仕込まれる――所謂、手甲剣(パタ)である。腰には飛鏢(ひひょう)や手裏剣等の投擲武器が腰巻きの裾に隠れる。革の長靴も素材は柔らかく、靴底のみが乾草を編んだ草履と同様になっていた。

 暗い森林と複数の光の緒を引く発光体が中空を三々五々に舞って湖面へと潜る異様な風景。己の現状を理解するにも、地獄の前としか思えず眉を顰ませる。自分達の過去の所業が誰かに許されるものでないと信ずる彼等は、それ以外に皆目見当付かず困り果てた。

 湖の畔に林立する樹幹に背を預け、二人が途方に暮れていると、背後の樹間から草木を踏み締めながらも物音無く出現する第三者の影。先んじて察知も出来なかった存在に――二人は武器を抜き放って闖入者を迎えた。

 首に手甲剣の鋒、奇怪な長刀を突き付けられても動じず、一瞥だけを二人へ送る。すると武器を下げた彼等は一瞬だけ豊前としていたが、次には小さく笑った。


「まさか、アンタの仕業か。こんな瑞瑞しい姿で甦るたぁ、オイの人生死んでからも判らんモンだ」


 長刀を仕舞う隻眼の冗談に、黒頭巾が応じる。


「まさか最盛期の姿か……身体が動くのは嬉しいが、何やら嫌な予感だよ。さて、ボクらを復活させた理由を訊ねても良いかね?」


 注視を浴びるのは、暗中にも際立つ禍々しき黒装束の男。左の面を隠す無造作な長髪を夜風に靡かせ、この強者の二人へと自若として歩み寄る。

 煤汚れた徳利襟と裾を包帯で絞る裁付袴、手套に足袋と草履、羽織った単衣の前身頃を閉じて腰帯で固めた身形は、二人と比較しても武装が全く無い状態であった。しかし、それでも自然な挙措には他者に一切の隙を見せず、逆に相手の生存本能を刺激する危機感を与える。

 彼を前にして平然と居られるのは、恐らく世にも二人を除いて存在しないだろう。最初の警戒を忘れさせる程に、二人は目許に笑みを浮かべていた。

 対する男の顔は、戦を前にした兵の悲愴な面持ちである。


「これからお前達に働いて貰う。依頼内容は大軍の殲滅――この意味、判るな?」


 男の言葉に二人は肯き、しかし首を竦めてやれやれと首を横に振った。


「今度の雇い主が同業者で、しかもオイらに向かない多勢対無勢とはねぇ」


「幾ら若返ったと雖も、勘を取り戻すまでに体力があるか」


 愚痴を溢す二人に、男は振り向く。

 口では悪態を吐いても、その声音は倦怠を滲ませるだけで不可能とは言っていない。ただ少し体力を消費する小用、そういった感覚で依頼内容を見ている。死者だった二人は、既に男からいつしか現実の情報を脳内に伝達され、すべてを把握していた。その上で、それは強者の傲りではなく、仕事人として正確に己の実力を量り、遂行能力と敵対戦力などを勘考している。

 三人は湖畔に佇立し、水面の下へと想いを馳せる。


「直ぐに行ける」


「だからオイらは余計な事は考えずに働けと」


「久し振りの共闘か、ボクも張り切って来た」


 楚々と湖を照らす月光の下、男を挟む二人の笑声が夜気に響き渡る。





  ×       ×       ×




 雲は天下を横へ押し潰すかのように低く空を覆う。遠雷の轟く空から落ちる銀の弾丸は、屋根を強かに打ち人の足を阻む。既に火乃聿の地面に増水した河川の小さな氾濫もあり、城塞都市は翌朝には水の都として様相を変える勢いである。

 特に外堀高く、城郭の内側を固める天守閣は所々に滝を形成し、膝下までを浸からせる路上の水流は渓谷を流れる河に等しく壁を打って飛沫を散らす。

 物置小屋に帰った仁那の様子は、濡れ鼠になりながらも晴々としていた。その碧眼は決意に燃え、作戦会議に見せていた気迫はより一層凄みを増している。夜影は戸口に聞こえた声に与えられた恐怖の緊張から漸く解放され、彼女の身の安全を隈無く検めた。失神していた五人も意識を回復し、空白の顛末を聞こうとするもヨキと明宏は頑なに口を閉ざす。

 前触れも無く小屋を訪れた者に乱された室内は騒々しく、仁那が帰還した事で復調して行き、取り敢えず安堵に胸を撫で下ろした。雨の猛打を受ける屋根は脆く、雨凌ぎとしての機能は辛うじて維持しているが、板葺であるために所々では板の跳ねる音がする。それでも、早鐘を打つ心臓の鼓動はうるさく鼓膜を震わせた。

 夜影は作務衣の襟を正し、額に滲んだ汗を拭ってから、薙刀を壁に凭れさせる。その胸中に去来するのは、既知の恐怖による疑念だった。本来ならば再度(にど)と体験する筈の無い感情の波。冷静さを取り戻すまでに些か長い時間を要した。

 先代八部衆の面々を瞬間に全滅させ、赤髭を声色のみで跪かせた闇人暁に相似する、或いはそれを凌駕した威圧感である。たった一声、此所に居合わせる者を等しく死の淵へと突き落とすだけの威を持った存在が、九人の作戦では要となる仁那と繋がっていた。

 今頃になって寒さを覚えて震える仁那に、明宏は己の外套を渡した。有り難くそれを羽織ると、布の内側で朱雀門・輸慶の力を起動する。祐輔が雷と木に由来する氣を持つ様に、輸慶には風と火の属性がある。本来、氣に定型は無く、一定量と決まった操作により発火や氷結の現状を発生させる。

 しかし、輸慶達は獣の姿をした自然現象そのもの。伊耶那岐という“世界の概念”を分散させた故に、周囲に与える影響は既に形を決定されている。言義で烈風の刃を作った輸慶のもう一つの属性で内側から体温低下を防ぐ。

 弁覩は金と音、祐輔は木と雷、輸慶は火と風、昌了は水と土。これらを相棒から教わり、今日の戦闘で能力の一部のみを起動させる術から発展させ、属性付加による様々な現象を意のままに操れる。

 今や『四片』の力はすべて仁那の中に在るが、青龍の核を宿しているために力の均衡が保てず、完全な“伊耶那岐”にはまだ程遠い。

 祐輔によれば、これらを一体化させた末に世界の起源となる力を得られるという。仙術が操作する力ならば、仙術の動力源こそ『四片』が持つ属性。八つを集中させ、肉体を司る“聖氣”を開花させ“世界そのもの”となる。尤も、“伊耶那岐そのもの”では無いため、擬似的な“二つ目の世界”にしかなり得ない。

 肉体の聖氣は、魂を司る邪氣とは対を成す。主に魂と肉体の平衡を維持する仙術があって、世界と同化し“完全なる伊耶那岐”と化す。神代の初期では、伊邪那美に仙術の力を奪われたが故に肉体を分け、僅な残滓から魔術師と死術師を生産したのだ。

 そう考えれば、暁が仙術を会得したのも、闇人が『伊邪那美の子』と呼ばれるほどもう一方の神と深く繋がっているからこそなのかもしれない。暁は中でもら最も強い『伊邪那美の器』とされていた所以である。

 仁那は未だ聖氣を完全に把持していない。その為には祐輔の魂を体内から取り除く、即ち彼の肉体を奪還する事が目標。その為にも、神族との争いは必至、まずは中央大陸の内乱を治める必要がある。


「これから三日間、どうしようか」


 仁那もそこまでは考えを巡らせておらず、当日への目標を打ち立てた張本人にしては、あまりに杜撰な計画である。呆れて物言えぬヨキの心慮を推し量り、お前も変わらないものだと明宏は嘆息する。

 假八達は火乃聿の地下に蔓延る暗渠の地図を得るまでは何も出来る事が無い。勘田も暫く城下町へは帰れないが、総督の発令した外出禁止令がある今は店主の不在を訝られずに済む。假八達の親が如何なる反応を見せるかは未だ誰にも想像出来ない。

 この物置小屋は用が少ないとはいえ、何時までも滞在し身を隠し遂せるほどの物件にはなり得ず、拠点を移動する算段を組み立てる必要がある。三日間の内に天守閣の中を敵に見付からず移動し、且つ人の訪れない場所を探すのは困難だ。

 やはり明宏達が勘田や假八などと共に城下町へ一度帰るのが得策やもしれない。それでも、警邏の長作務衣と戦闘をして、負傷した二人で五人を護衛するのは些か辛い。


「仁那の能力で、明宏達を瞬間移動させ城下町へ戻すのはどうだ?その後は妖精族の娘が行使する空間魔法で……」


「飛んだ先に長作務衣が居ないとも限らないし、それは難しいよ。わっせは半目さんと一緒だから疑われなかったけど、急に七人現れたら不審に思われるし」


 仁那が瞬間移動で行ける範囲に限界はなく、記憶した地点に自由に往来する。空間魔法と同様に、その地の座標や距離を正確に把握する必要もない、神に相応しき移動の力。

 城下町には移動出来るが、天守閣まで迂回せずに路地だけを進んだ仁那は、移動の目印となる場所を記憶していない。従って、勘田の店に直接転移する事も出来ず、どの地点に行けるかも未知。仮にその先で警邏と遭遇したなら、即刻戦闘開始となる。負傷した明宏達も勘田と同じ非戦闘員の枠に捉えるなら、実質仁那が相手取らなくてはならない。


「半目さん、何処か人の寄り付かない場所って……」


「無い、この物置小屋に似た場所が幾つか点在しているが、どれも距離がある」


「うーん……暫くは此所だよね」


「人が来たら私の空間魔法で一時的に避難できるから大丈夫~」


 相変わらず気迫も無い倦怠感のある声で応じたヨキに、全員が不安となった。


「取り敢えず、私と仁那は自室へ戻らねば」


「そうだね、わっせ達は行くよ」


 全員が頷くのを見て、仁那は半目の袖を掴む。輸慶の能力を開放し、後は天守閣の一室を脳裏に思い浮かべて移動した。

 室内から完全に姿を消した二人を見送って、勘田や假八達も思考回路が回らず呆然とする。ヨキの空間魔法を目撃しているが、視界から姿を消す力はやはり魔法や特殊な力の運動を目の当たりにした経験の無い勘田には驚愕を禁じ得ないものであった。

 明宏はふと、自分の包帯の下で何度も体を悩ませていた激痛が消えたことに気付く。上から擦ってみるが、快癒してしまったのか肌を擦る感覚だけである。


「……傷の治りが早い」


 明宏は独りごちた。


 一方で、彼女の知覚する世界を最も近くで共感する位置にある相棒の祐輔は、またしても不可解な現象に阻害されてしまう。物置小屋にて詮議する彼等の様子を半睡状態で眺めていた時、唐突に仁那との認識共有を遮断された。視界が暗転し、精神世界の草原だけを映す。

 唖然とする龍が次に仁那との共感(リンク)を取り戻せば、既に一事を終えた後の光景であった。不自然な全員の姿、何より長作務衣の夜影までもが動揺の色を窺わせる。彼が居れば、どんな敵も如何様に処理できる。その自負と実力を併せ持つ戦士が見せるには、とても似つかわしくない表情だった。

 空白の時間を(しら)べるため、仁那の記憶に意識を重ねて行くが、やはりその試みも空しく終える。認識共有を遮られた瞬間から、干渉できない領域が生まれていた。肉体を共にし、魂を共鳴させた祐輔でさえ見えないとなれば、それは何者かが妨害しているという証左。それも、一時的に祐輔と仁那の魂を肉体の内部で分離させる芸当だ。

 既存の世界で可能であるのは、仙術を除いて他にない。死術では魂までには干渉出来ず、他の氣術や魔術では論外である。祐輔の記憶では、それら総てを可能にし得るのは、昨今に於いても唯一人。

 仁那に問い糺そうとした時、己の魂を留める為に作られた彼女の心象風景が崩壊した。口を開いて止まった祐輔の目前には、四方に鳥居の立つ闇の空間だけである。

 本来ならそこに居る筈の少女は無く、代わりに老人が居る。背面に波紋模様を中心として広がった四枚の花弁をあしらった白装束に、長く垂れる羽衣を着ており右の頭部のみ伸ばした奇怪な毛髪。十握りもある把に、刃渡り二丈に及ぶ大太刀を地に突き立て、その柄頭に胡座を掻いて座っている。

 驚愕に硬直し、暫し言葉無く凝視する祐輔へと老人は振り仰ぐ。鳥居の向こうから闇を見据える老人の瞳は黄昏の輝きを思わせる色であり、既視感を覚えた祐輔の胸中を察してか、微笑んでから口を開いた。

『諦めい、まだそん時じゃない』低い声だった。

 祐輔を囲う闇が蠢く。

 鳥居の向こうに在る老人に気を取られていたため、その動きには気付かなかった。祐輔は背後から伸びた暗黒の鎖に全身を縛られ、地面に押さえ付けられる。抵抗を許さず、現れる無数の鎖が幾重にも巻かれ、頑丈な拘束を作り出す。

 祐輔は認識共有で仁那に己の現状を伝えようとして、ふと違和感を感じる。仁那と自分の間に異物が立ち塞がり、意思の疎通を遮っていた。その正体を探って――彼女の影に潜む“何か”を感知する。

 それを伝えるにも、強力な(いまし)めによって感覚を封殺され、次第に意識自体が微睡み始めた。霞む視界の向こうで、老人の傍に黒い人の形をした影が直立している。顔は無く、ただ人の輪郭を象っただけ、然れど理解の範疇を逸脱したモノ。


『……テメェは……一体――――』






  ×       ×       ×




 天守閣上階の一室に転移した仁那と夜影。

 記憶した場所まで僅かな時間も隔てずに移動する力は、信頼によって得た恩恵である。再び道程で長作務衣との戦闘状態に陥る危機も容易に回避し、長距離を省略する技は自惚れを生んでしまいそうになるが、機を誤れば惨事に直結する事態も考えられた。超常の力を体得した者は、己の能力について知覚的になり、周囲への影響について注意深くなる事を求められる。

 この力を私益を求める様に無為に揮わず、仲間を救う力として行使する意識を持つのは、体内に居る相棒の援護あってのこと。仁那は友情の上に獲得したモノであると誇らしく感じている。

 しかし、部屋に到着して即座に違和感を覚えた。『四片』の能力を使えば、必ず左手の刻印と肉体が深く繋がる。その際に祐輔の存在を少なからず感知するのだが、この転移の最中に感じる相棒の気配が消えていた。不思議に思って呼ぶが、返答は無い。神経を研ぎ澄まし、青龍門の力を開放して漸く体内に居る彼の存在を認識できた。

 室内の様子を探り始めた夜影は、入念に床の埃などについても調べている。その行動の意図は、不在の間に何者かが室内へ来た痕跡を知る為だ。視覚が復活した事で、普段から研ぎ澄ました聴覚と触覚で得る徴憑に更なる確信を得られる。

 仁那は彼の邪魔をしない為にも、部屋の隅に移動してその後ろ姿を静観する。自分の判断に従って、今まで忠義を尽くした主人に反逆し、普段は疑う筈の無い自室の変化を調べる作業まで必要となった。赤髭の慧眼は鋭く、確かに仁那を救うべく恭順を装って命令に背いた状態をも密かに看破しているやもしれない。

 背馳する部下の素振りに、果たして千極の生み出した悪魔が何も悟らずにいるのか。長年彼に付き添っていたからこそ、夜影は猜疑心を懐かずにはいられないのだろう。仁那は壁際に踞り、抱えた膝に顎を埋める。

 今でも鮮明に思い出せるのは、あの音無の見せた世界――老人と少年の団欒。慎ましくも温かく幸せを確かに持つ家庭は、誰かに聞いた話と同じ印象を受ける。特筆すべきは少年の容貌、幼くも仁那の記憶に該当する存在が一人。

 音無が過度な接触をし、危険を冒してまで仁那に訴えた本心。彼にとって何にも替え難く、如何なる手段を用いても守りたいと願う、その風景は仁那の胸を打った。人は真に心の奥底に眠る願望を認識した時、予測し得る範囲の道程でも生じる危険すら顧みずに進む。――そういった人間を、“取り憑かれた者”と呼ぶのだろう。

 過去の話に聞く暁、そして優太がそうであった。

 後者は復讐の過程に、帰るべき場所を求めていた。花衣を拠り所として、それでも復讐者となって西国首都に至るまで敵を容赦無く殲滅した。それより一年半後も、血腥い遍歴を辿った故に言義で見せた<印>への憎悪は、歪で誰の制止すらも聞かぬ強引さがある。

 その願望は家族、得た後の彼は何を目指しているのか。仁那には矛剴でも理解し合える事を知った、だからこそ優太の掲げる矛剴剿討は本当に正しい事なのだろうか。確かに、友人を奪われ故郷を焼き捨てられ、そして花衣を傷付けた彼等を許し難い。

 仁那には、優太が途方もない闇に踏み入ろうとしている気がした。この戦争の後も、一人血を求めてさ迷う悪鬼になり、大切な人すら顧みずに兇刃を振る獣になるという漠然とした予感が脳裏に過る。彼の父親も復讐者だった、愛を識りながら育て親にさえ敵意を向けた哀れな終末。その道を、優太も少なからず準えていると見えた。

 次に会う時、彼の様子が気になる。

 三日後に花衣と会って笑う姿を見れば、この嫌な予感も消え失せるのだろうか。優太の右の瞳が視る未来に禍が無い事を祈った。


 夜影の自室の前に、人の気配が現れる。

 灯籠を片手にした人影が障子に浮かび上がり、その来訪を知らせる。一通り入室の痕跡が無かったため、仁那と二人で今後の方針について詮議していたところ、廊下を渡る足音に会話を止めて待ち構えていた夜影が応じる。

 八部衆夜叉を務めるとあって、部下は粛然とした様子で廊下に正座していた。曇天の闇夜は、城内までも濃密な暗黒で満たし、幾ら夜戦にも対応する兵士として調練された長作務衣でも、灯り無しでは往来が難しいのだ。

 夜影は縦に畳んだ手拭いを目隠しに後頭部で堅く縛り、障子を開けて部下を迎える。盲目で知られる彼の体裁を保つには、まだ欺瞞を拵えなければならなかった。

 長作務衣は仁那を見遣って一礼すると、慇懃に面を下げる。仁那が白虎門の真贋を判別する能力で視たところ、悪意や害意などは無く、その意識は夜叉一点に注がれていた。


「閣下より、夜叉様とその妻を連れて御座へ参るようにと」


 振り返る夜影は、仁那の傍に屈んだ。

 夜影の妻として天守閣に来たならば、自分もまたその体裁を守る為に苦難を乗り越える覚悟を強いられる。赤髭との直接対面に内心ではやや狼狽したが、努めて平静を装う。


「疲れているとは思うが、来てくれるか?」


「うん、わかった」


 夜影は片手に仁那を抱き、部下の先導に()いて行く。最上階の円卓に赤髭が座して待つ。段差を踏み締める毎に鳴る軋みは、仁那の心を掻き乱す。人心を隠す術には誰よりも疎い、即ち祐輔から筋金入りと認められた正直者の仁那が赤髭を相手にこの作戦を知られずに居られるか否か。

 先の不安に顔を早くも蒼白にし、胸の辺りを手で探って、はっとする。音無に首飾りを返却したばかりだというのに、精神安定を図る心の拠り所にしていた。仁那は頭を振ってから、瞼の裏に彼の姿を投影する。夜影の妻という設定でありながら、何処か不義理を働いている罪悪感が芽生えた。

 そんな煩悶を抱えながら、件の最上階へと辿り着く。高欄のある張り出しを閉鎖する雨戸に囲われた廊下、案内の長作務衣は最上階の中心にある一室を秘匿した障子の横に退き、進み出た夜影は障子の前で跪いた。


「夜叉、此所に参りました」


「入りなさい」


 奥から聞こえる声に応えて、障子を開けた隙間から夜影が滑り込む。仁那は紹介されるのを待って動かず、障子に隠れて深呼吸した。赤髭に会う緊張が未だ解れない。

 その様子を見た長作務衣の案内は、暫し彼女を眺めながら、懐から小さな包みを取り出して床を滑らせて仁那に渡す。中を開けて茶菓子だと知ると、仁那は顔を綻ばせて一礼した。心なしか長作務衣も微笑んで、粛々と頭を下げる。

 本来なら敵の贈り物には細心の注意を促す祐輔も、依然として不気味な沈黙を保つ。仁那はそれを膝に置いたまま待つと、少しして障子の間隙から顔を出した夜影に招かれる。

 茶菓子の長作務衣へ小さく手を振ってから、室内へと入った。最上階の部屋に円卓は無く、長く広間の遠くでは御簾が掛けられ、向こう側には文机に向かう人影が揺れている。

 仁那の入室の音に手を止め、御簾を捌いて奥から玄端の装いをした男性が現れた。中央大陸戦争より暗躍しているとあって、既に還暦を過ぎた身でありながら、眼窩の奥より光らせた炯眼は仁那をはっきりと射竦める。

 隣に座を占める夜影が紹介した。


「私の妻となります、仁那です」


「わっせ……私は仁那と申します。お初お目にかかり、至極光栄で……えと……」


「自然体で構いませんよ、夜叉の認めた女性とはいえ、まだ判らぬ事もあるでしょう」


 礼儀作法について学んでいない仁那の素養が早くも露見した。廊下では何故か、先程の長作務衣が心配そうに障子の隙間より赤髭に見えぬ角度から見守っており、夜影は口許に笑みを湛えていた。

 鷹揚に応えた赤髭の言葉に甘え、仁那は微笑みながら目礼する。一見して穏やかな壮年の男性、しかし奥底を見せない、隙の無い人物であった。

 笑顔でありながら、一切踏み込ませない異様な雰囲気を醸している。


「夜叉よ、本当に良いのですね?」


「はい、戦場より離れし時は、私を一人の人間として受け止める彼女に、この生を共に生きたいと願う一心です」


 赤髭は仁那の方へ向き直る。

 どんな質疑応答を求められるかと身構える仁那に、深々と頭を垂れた。床に額を伏せるあまり、その白髪が流れて項が晒される。予想外の行動に呆気に取られる仁那の隣で、夜影は密かに眉根を寄せた。


「夜叉をどうか宜しくお願いします。長く彼を見て来た私からも、貴方への愛に偽りが無い事が判ります。少々堅すぎる事が性格の難ではありますが、どうか彼と幸せを築いて下さい」


「あ、いえっ、こちらこそ宜しくお願いします!」


 数瞬遅れて頭を下げる仁那。


「実は夜叉、貴方に任務を言い渡したい」


「……」


「今日、迦楼羅が何者かに殺害されました。胴を一刀で断たれ、路地に放置されていたと報告を受けまして……城下町で目撃された「白き魔女」のり遣わされた諜報員の仕業なのかと」


「生憎の天候、私の五感は遮られてしまい、索敵が機能せず巡回に当たりましたが、その影は捉えられず」


「奴等は侵入した可能性があります、妻を招いて早速で失礼ですが、貴方にも捜索に出て貰いたい」


「御意」


「伝えたい事は以上です。……それでは仁那、夜叉をお願いします」


「はい!」


 部屋を辞して、再び茶菓子の長作務衣による案内を受けながら、夜影と仁那は最上階を去る。

 その跫が充分に遠阪ってのを見計らって、廊下より別の人影が入室する。赤髭は一瞥もせずに言葉を投げる。


「仁那に監視を二人付けなさい、夜叉より可能な限り遠ざけます」


 人影は廊下に戻る。



「茶菓子、有り難う」


 仁那に礼を言われた長作務衣――やはり勝手に付けた渾名は“茶菓子”、その人は黙礼して去った。

 漸く一呼吸し、夜影の自室に腰を落ち着かせる。


「廊下に気配がした……やっぱり、疑われてるよね」


「用心しろ、仁那。これから別行動になるやもしれん」


「うん、判ってる」


 赤髭はやはり、仁那の存在を疑っている。迦楼羅の殺害の件に於いても、「白き魔女」の間諜との関連性を仁那に見いだしているのだ。

 これからは一挙手一投足に気を配らなくてはならない。




 仁那が決意を固め、時は三日後へと向かう。







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

前文の優太と結のやり取りは……暇潰しです。

赤髭さんを善人にしようかと悩んだ最後の機会ですが、やはり彼には当初の設定を貫徹して貰おうかと思います。


次回も宜しくお願い致します。

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