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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
四章:夜影と仕分けの亀
193/302

かの伝説は未だ命脈を続けて



 地底を蹂躙する溶岩流が煌々と照らす。

 肺を焼く熱気と触れた物体を焦がす火の粉が大気を満たし、何処に居ようと生物の行動を阻む自然の脅威を絶やさず燃やし続ける。薄暗い空の下では、地面こそ太陽かの如く下からの光だけが道標となった。

 世界の終焉を体現した光景に、上半身のみを屹立させる闇色の巨人。面貌は閉じた下顎より著しく伸びた牙を露出し、平面も同然に鼻梁が潰れており、然れど眼窩の奥では真紅の瞳が溶岩を睥睨している。

 両腕で巨躯を支えた前傾姿勢で構えた姿は、地殻を突き破って現れた太古の巨人である。低い唸り声を上げ、手を着いた硬い岩盤を握り砕く。滾らせた全身の黒い氣が輪郭を火のように揺らし、熱風を受けて火の粉を掻き消す闇の粒子を散らす。

 巨人を背に泰然と立つ黒衣の男は、己が立つ崖の下に流れる溶岩の中で孤独に佇む岩を見下ろす。そこには灼熱の空気に炙られてなお、毅然として睨め上げる自然を返す青年の勇姿。然れど、男の瞳には感嘆も救いの手を差し伸べる慈悲の感情すら皆無。

 青年は片手に一条の光を中途で停止させたかの如き異様な剣を片手に、揺れる岩石の上で姿勢を維持する。圧倒的な自然の力の奔流に呑まれぬ為に足下に気を配りつつ、頭上で厳然と立つ相手から目を逸らさなかった。

 闇の巨人が片手を掲げた。掌中に数本の槍が出現する。いや、槍とは明らかに異なり、穂先を含め徒を総計しておよそ十丈以上にもわたる長大な凶器に氣を練り上げた攻撃。果たして、あれを凌ぎ得る防具があるのか。

 青年は発射前からその解答を得ている。答は否、あれは絶対攻撃と形容するに相応しい破壊力と殺傷力を秘めた最強の武具。如何なる遮蔽物であろうと、耐久性の高低を無視した理不尽という概念自体を具現化している。

 巨人はその腕を撓らせ、勢いを載せ直下へと叩き付ける。従って振り下ろされた槍は、直撃という条件を満たせば絶命を免れない矛となって、高熱の空気を切り裂いて標的へ飛んだ。

 初めから防御など許されない。回避以外に術を持たない青年は、岩石から跳躍して近くの崖の壁面に立ち、さらにその場から走って二次被害を避ける。標的を見失った暗黒の槍は溶岩流を貫き、散った炎の飛沫を逆巻く暴風で撹拌し、辺り一帯の物体に飛散させて焼き焦がす。青年の判断が後僅かでも遅れを取っていたなら、直撃を避けられても死んでいた。

 肉体と岩壁の氣を同化させる事で、壁面に立って移動する事も可能にし、そのまま巨人の背後に廻り込み、光の剣を躊躇い無く振り下ろした。彼が手に駆るのもまた、尋常な武具では絶対に防げない武器の一つ。

 それ故に――弾かれた事実に驚怖を隠せなかった。

 振り向きながら無造作に回した巨腕に、光の剣もろとも叩打され、宙を高速で回転し近くの岩山に激突した。衝撃を相殺する為に寸前で展開した斥力で背や四肢の骨を損傷する惨事を避けた。しかし、それでも岩に罅を入れて埋もれ、鈍痛に脳が揺らぐ。視界が傾き、意識は朦朧として吐血する。

 巨人は振り抜いた拳を引き戻し、今度は背後の中空に無数の小さな闇色の環を作る。形状や大小に変化はあれど威力は一つずつが以前と差異無い脅威であると青年は推考した。巨人を操作する男は、未だ一歩もその位置から足を動かさない。視線すら寄越さず、ただ戦況を興味も無さそうに見ている。

 その余裕綽々とした態度、明らかに己が脅かされるとは微塵も考えてすらいない気構えが、青年の戦意に火を点ける。圧倒的な実力差を前なしても挫けず果敢に戦闘の続行を望めるのは、熱気に煽られても涼しげな表情を崩さない男の鼻先に剣を届けんと奮い立たされるからだ。


「素直に称賛する。此処まで俺の攻撃を凌いだのは軻遇突智の他にはいない」


 言葉とは裏腹に、声音には全く感情や興味の色を呈する事のない男。それが青年を障害とすら認識していない証左であった。最初から傷を負わせると意気込むのも甚だ憐れだと伝えている。

 岩の亀裂を脱け出し、光の剣を一度軽く振って、それでも前に進み出る。今あの崖に立つのは、青年の中では唯一無二の強さを手に入れた存在。打ち克つ為に、己の総てを以て対峙しなくては勝機など見出だせない。

 未だ心の折れない青年に、一瞥すらせず嘆息する。無駄な事だと一蹴する反応は、やはり全く汗一つ無い余裕を表していた。巨人が無慈悲にも、闇の環を投擲する。射出された流星による爆撃で、青年の居る岩山は瓦解して溶岩流の中へ沈んだ。

 憤然と沸き上がる蒸気と土煙に含まれる瓦礫を蹴って、青年は宙に身を躍らせて前転しながら、男から離れた崖に着陸する。未だ健在かと思われたが、その体の各部には深い裂傷があった。回避し遂せなかった攻撃は、掠めただけでも肉体を破壊するに充分の威力を有している。

 血を流しても倒れずに立つ青年の気丈な姿に、何の感慨すら懐かず男は跳躍して彼の前に降り立った。盛大に土地を破壊した痕跡を残したまま、巨人は男の存在を失って消失する。


「お前は“出来損ないの闇人”……俺の計画に現れた異例(イレギュラー)だ。本来なら即刻処分していたが、お前の子に用がある以上は生かす価値がまだあった。……今となっては、もうその意味も無いが」


 男の目が微かに憐憫の色を兆す。

 青年は痛みに震える四肢を叱咤し、剣の鋒を前に突き付けた。こちらは決死の覚悟で挑んでいるのに対し、相手はただ不要になった道具を処分する簡単な作業とでもいう熱意の差に体の芯が憤怒で熱くなる。

 光の剣で放つ斬撃が何度も中空に閃きを残像として残すも、それらは虚しく空を斬る結果だけを伝えた。敵の皮膚には一切触れずに、それも防御を展開しても居ない軽い体術でいなされる。

 焦燥と憤懣に加速する手数、それでも一向に手応えは無く、ただ一人相手の居ない虚空へ剣の素振りでもしているかのように錯覚した。すぐ目前に在るのに、距離は果てしなく感じる。


「師匠にとって、僕は……僕は何だったんだ!」


 想いを叫ぶ青年に、男は残酷に告げる。


「道具以外に無い。この世の総ては俺が仕組んだ絡操でしかない……響以外はな」


 あまりの衝撃に体が止まる。

 顳顬(こめかみ)を冷たい汗が伝い、滔々と語る相手が本当に何者なのかを再確認する。記憶を遡行して、男と過ごした日々を再生した。愛情を注がれていると思っていた、我が子のように育てられていると、それが嬉しかった。だが総てが――嘘であると告げる。

 男が軽く振るった指先に合わせ、青年の体は抵抗を許さない斥力で吹き飛び、固く所々が鋭利に尖った岩の上を猛然と転がる。血と砂が混じり、再び立ち上がった青年の姿は無惨だった。

 男が手を虚空に伸ばすと、遠くから飛来した紫檀の杖が手中に収まる。片手に持って崖際に立ち、青年を迎えようと待っていた。“あれ”を手にしたら、これが恐らく最期なのだ。

 それでも一矢報いたい。裏切られた悲しみ、覆された愛の苦しみ、全てが企みの中にしか育まれなかった偽りの関係を切り裂く為に、光の剣を手にして満身創痍の体を引き摺って決闘に臨む。

 哀れみを消して、無表情の男が正対する。


「僕は、絶対にアンタを許さない!」


「訣別の時間だ――拓真(タクマ)


 そして世界は、最悪の未来へ進んだ――。






  ×       ×       ×





 昌了の告げた言葉に、仁那と夜影は驚愕に言葉を失ってしまった。二人の左手と目に植え付けられた力の正体は、先代闇人・暁によって与えられた黒印である。過去に生活していた優太や祐輔の話によれば、彼は背に大きな黒印を刻まれていた。それもまだ完全体ではなく、他者へと移植した後の未だ全貌すら為さない残骸なのだ。

 どの先代をも超越し、神族を畏怖させ、世界の運命に抗い、神の分散体すら御す規格外の人間。それでも彼もまた一個の命――生命としての条理にまで逆らう事は叶わない。だからこそ、次代に託すべく各地に様々な布石を打った。それが、現在の全大陸にまで及ぶ騒乱を起こす発端となっている。

 しかし昌了は、未だに暁が生存する可能性を論ずる。夜影が黒印の一部を享受した時期がおよそ一月前という事しか材料が無い臆断である。それでも一同は何故か納得いく現実味に息を呑んで反論すらしなかった。

 昌了の記憶では、自分を二度も圧倒した時と予言を残して去った姿だけである。果たして、彼の全てを知っている者などいるのか。愛する者だった響でさえ、恐らく全容を把握しては居ないのだろう。闇人という役柄以上に、その本質は誰にも明かされずに謎に包まれたままである。

 この話の中、祐輔だけが明確な解答を知っていた。最も暁の近くに在り続け、その行く末を見届けたからこそ、転生の説を裏付ける理由も容易に想像が付いたのだ。幼き頃より人間を逸脱した理解者の居ない化け物、比肩する存在はこの世に無く、祐輔でさえ隣に並べなかった。一人で世界の宿命の根幹まで手を伸ばし、触れてしまった男。

 仁那の精神世界に作られた心象風景の中、草原から身を起こした祐輔は、世界の主を喚び寄せる。途端に、仁那の意識は己の深層心理にまで潜り込み、内側に共存する相棒と対面した。天に支えるような威容にも親しみ深く、現実を忘れて微笑んだが、瞬時に表情が曇る。

 祐輔の碧眼が、眼下に孤立する少女を映した。鼻先を近付け、至近距離で己の胸懐を話す。昌了さえ認知しない本当の暁を、仁那にだけは伝えたかった。


『暁はな、この世で主神以外に“仙術”を支える唯一の存在だった』


 “――センジュツ……?”


『主神が世界創造に利用した技、魔術と死術の源流であり、それを模倣したのが氣術だ。二つの流儀を心得て、初めて手にする力だ』


 伊耶那岐の能力――仙術(せんじゅつ)

 世界の理を繙き、魂が循環する輪廻の環へ干渉し、想像するままに自然の形を変える。現世を運営するに必要不可欠にして、伊耶那以外に使用不可能な技。魔術と死術の集合、氣術の原型たるそれは、原始から現今にまで力の範囲が及ぶ。

 物体を純粋な氣に変換し、新たな物体への再構築や運動に必要な力として利用する。使用者が所望する形に制限は無く、実体に限らない魂までもを司り、意のままに世界から己までをも書き換えてしまう。

 これを応用する事で、人為的に自然現象を発生させ、死者を甦らす。即ち、天災を意識的に発現させて世界を創り直し、また命の制限を取り除いて不死や転生を繰り返せる。誰もが欲して、結果的に届かぬと諦める至上の幻想を実現する力。

 氣術の自然との一体化の範疇をより拡大し、世界全体と己を同化させて神格化までさせてしまう能力である。

 祐輔が見た記憶では、暁は既に齢一七にてこれを体得し、主神との契約をも成立させた。大陸同盟戦争時には反対する北大陸の面々までをも強制的に従わせ、戦乱を治めて終戦へと導いた。ただ独り、世界を理解した存在として、以降は如何なる叛逆を容認しない絶対強者となる。

 現代から神代まで視る千里眼の力――『天眼通』、主神から契約で譲受した五つの神通力、そして仙術と、それらの特殊能力を除いても何者も並ぶ事の出来ない純粋な戦闘力。

 伊耶那岐と伊邪那美が不在となった現世では、云わば彼こそ神に等しいが、それも完全ではない。闇人は後者の力を色濃く受け継いだ末裔であり、主神とは劃然とした一線を画す。故に本人は、『四片』をその身体に取り込んでも第二の伊耶那岐として成立しないと断言した。

 当初は祐輔が彼こそ『器』として適格であり、そうなれば世界も安泰だと容易に頷ける程の信頼が置ける力量。それでも固辞した彼の真意とは、その出生にある。

 だからこそ、『器』と闇人を分けた。今思えば、弁覩が候補として優太を挙げていたが、祐輔が選んだ仁那こそ、暁が予言した存在に相違無い。未来は彼の思うままに進行している筈だが、その計画(シナリオ)に果たして自分自身の復活まで企図していたのか否かは、祐輔も判じ難いところである。

 茫然とする仁那に共感し、それを長く体験してきた祐輔は過去の思い出に長嘆の息を吐く。それは草原の作る緑の絨毯を撫でる突風となって、地平線まで駆け抜ける。煽られた仁那は踏ん張る事すら忘れており、そのまま後ろに倒れた。


『オレ様や弁覩達を集合させ、主神を復活するには二つ方法がある。一つは主神の神殿にある玉座へ吸収させる、一つは仙術で四体を分解し一個体に魂さえも再構築する』


 “――確か、神族が『四片』を狙ってるって……。”


『恐らく、奴等も誰かを神格化してぇみてぇだな。オレ様の肉体も、恐らく今は玉座に縛られてやがる』


 “――それも、暁さんは視てるのかな?”


『全部、筒抜けだろうぜ。この会話内容は、既にオレ様が輸慶の能力で半目と昌了に伝えてる』


 “――え゛ッ!そんな事できたの!?”


『テメェと肉体共有してんだ、出来て可笑しかねぇだろ』


 仁那の意識が現実に引き戻された。

 夜影と昌了の見詰める中、人事不省に耽っていたらしく、二人に慌てて謝る。祐輔との会話を既に聞いていた昌了は頷くだけであり、夜影は雨にあまり濡れぬよう庭園の端まで移動させ、瓦屋根の下まで誘う。

 暁が生きているならば、今はどんな姿でこの世を視ているのか。死して約二十年、愛する者も死した場所で、未だ夢の続きを見守る殉教者のような生き様。彼が最も親しいとするなら、優太や祐輔なのだろう。いつか、この面子が再会する事が出来たなら、果たして彼は喜ぶのか。

 仁那には親が居ない。故に、仮に死んだ肉親と再会した場合を想定する事も出来ないのだ。隣に寄り添って欲しいと思う相手も居らず、現状は相棒の祐輔のみで満足している。皆と協力し苦難を打破する先で得る未来を生きる事が本願だった。

 しかし、今考えると――仁那は隣にあの音無を想像してしまう。何故か手を取られただけで、声を聞いただけで、勝手に嬉しくなる。催眠術にでも精神を冒されているのかと疑心暗鬼になる程であった。

 薄汚れた黒装束と癖の強い長髪、雨が壁を作る勢いの景色でも鮮明に映る姿が恋しい。仁那は譲り受けた首飾りを握り締めて瞑目し、瞼の裏に彼の姿を投影する。雲の如く掴めないような存在、傍に居ても心は此に無い彼の横顔。

 最後に見たあの微笑みが脳裏に焼き付いて離れない。あの鋭い琥珀色の眼差しを、微かに柔らかくしたあの瞬間の空気に戻りたいと強く願っている。 


『仁那よ、如何した?』


「ふぇっ!?い、いや別に!」


『兎も角、当面の目的は……夜影、どうする?其方の考えを訊きたい』


 夜影は挙動不審な仁那を訝りつつも、決断を口にする。


「私も最早惑うまでもない、総督に仇為す一員として戦おう。この身は仁那と共にある」


『我が兄弟よ。余も参戦しても構わないな』


「貴様無しで私は成り立たん」


 仁那はいつしか仲の深まった昌了と夜影を微笑ましく思い、祐輔は呆れた視線で見詰める。


『似たモン同士だと、波長が合うんだな』


 “――じゃあ、わっせと祐輔も?”


『テメェと一緒にすんな』


 “――酷すぎる!?”


 漸く全員が団結し、方針が一つの方向へ定まってきた。あと二日を如何に過ごすか、ただカルデラや「白き魔女」の到着を悠長に座して待つとはいかない。自ら行動する必要がある、その理由としては先ず千極帝の救出の為の策を練る事。

 やはり彼等を脱出させるに当たって、混乱は回避不能である。輸慶の能力で城郭の外へと転移は出来ても、敵の目は何処にあるかも判らない。巡回の長作務衣が脱走を早々に確認してしまうだろう。

 実行の日取りは、赤髭打倒に必要な道具の集結する二日後。諸悪の根元を断てば、千極帝の安全も保証される。尤も、カリーナが何を画策しているかまでは推測し得ない。綿密な計画を立てる部隊の頭脳としては、仁那よりも昌了が好適である。残り二日間を如何とするか、その採択を任せても心配は無い。

 全員が情報の共有を終えた時、近辺の甍が雨飛沫を上げて爆発した。仁那と昌了を破片から守る為、前に出た夜影が激しく薙刀を回旋させて弾く。視力を取り戻した分、正確な武器の操作までも可能になった故の反応だった。

 夜影は満悦の情をその相に滲ませ、再び瞼を閉じた。特別な目だからこそ、長時間の開放は何らかの負担が生じると考えてである。いつしか昌了がその肩にまで攀じ登り、爆心地のある遠くに目を眇めた。

 仁那は拳鍔刀を手に執って構える。


「侵入者を仕留める為に誰かが戦っているやもしれん。仁那、昌了……力を貸してくれ、これを看過する訳にはいかん」


 夜影の提案に頷き、一同は破片散らす戦場へ向かった。







   ×       ×       ×





 両端に遊環が付けられた迦楼羅の弓より放つ複数の矢の猛攻を受け、明宏は湾刀で撃墜するが、手数の追い付かなかった物が体を抉る。背後に負傷者と非戦闘員を抱えた状態では、存分に力を発揮する事が叶わない。それも敵対者が千極では最強の戦士とされる八部衆の一人となれば、死の危険性も高くなる。

 鳥族と思われる肉体は、雨の中でも飛翔を可能とし、間断無く迅速な射撃を繰り出す手練は、天候に五感を封じられた明宏には途轍もない難敵であった。せめて刃圏に入れて一撃を入れれば簡単に息の根を止められる。俊敏な相手こそ、ヨキの弓で牽制しながら接近する平生の戦術が使用できるが、今彼女は弓兵として致命的な負傷――肩部に矢傷を受けた不覚。

 両者が敵を撃滅するのに最適な距離が食い違っている。このままでは埒が空かない、一方的な暴力を前に易々と斃れる訳にはいかないのだ。

 明宏は意を決し、前に飛び出す。低く前傾姿勢のまま地面を馳せ、迦楼羅の直下に潜り込む。下からの襲撃を恐れ、高度を上げた敵を追撃するべく跳躍した。

 明宏が振り翳した刃と迦楼羅の蹴爪が衝突する。衝撃を吸収しきれず宙で蹌踉と体勢を崩した相手を見ながら落下し、背中を地面に強打した。与えられても一撃、それ以上に畳み掛けるまでには至らず、加えて威力も半減されてしまう。距離のみならず、高低差までもが戦局に組まれてしまうと近接戦闘を事とする明宏には完全に勝てない。

 痛みに呻く中で、迦楼羅が弓を番えて勘田に狙いを定める。最も脅威であった明宏を斥けた今、手薄になった後衛を叩くのが戦争において正道。必殺を確信しての矢を射出させ、数秒と経たずに見られる相手の鮮血を想像して獰猛に笑む。

 跳ね起きて追い縋るが、明宏では間に合わない。勘田が頭を抱えて身構える隣では、ヨキが傷口を手で押さえながら、空いた片手を虚空に突き出す。


「甘いよ!!」


 ヨキの目前に孔が開かれ、その中へと迦楼羅の矢が吸い込まれる。驚嘆に目を見開いて、彼は己の背後で同じ孔が空中に切開されたのを察し、滑翔した。ヨキが繋げた空間の能力を介して本人へと返された射撃は虚しく地面に突き立つ。

 明宏は屋根上に飛び乗り、その場から更に高く跳ね上がった。甍を蹴散らしての跳躍は、迦楼羅との高度を一時的に同じにする。相手をただ斃すだけでは駄目だ、秋京までの道案内を頼む為にも生け捕りにしなくてはならない。

 その為には、まず敵を同じ土俵に引きずり込む。湾刀を弓に引っ掛け、重力に従って落下を始める明宏の体重が乗って再び空中で姿勢を崩す迦楼羅を、更に腕を掴んで引き寄せてその胴を足で捕まえる。

 今度は二人で地面に叩き付けられ、雨水に浸かりながら明宏が関節を絞めようと体勢を変える。そこに生まれた僅かな隙を利用して、迦楼羅の振り上げた足が顎を強か打擲する。痛撃を受けて怯んだのを見て、翼を広げる。


「この迦楼羅を地面に降ろした無礼、確りと清算して貰いますよ!」


 遊環を鳴らし、矢を矧ぐ。

 明宏は脳震盪に地面に伏している。眼下の男を射抜かんと指を離し、弦を弾いて飛んだ凶器を見詰める。今度こそ命中すると確信して、再び標的と矢の間に出現した孔に瞠目し、慌ててその場を離れる。

 ヨキの空間魔法で明宏に差し向けられた矢を迦楼羅の背後へと転送する。それでも、反射神経の鋭い鳥族の身体能力と戦場で鍛え上げた本能で、攻撃の前に察知して回避してしまう。幾ら魔法による掩護があっても、これでは一向に平行線を辿るだけ。否、氣が枯渇してしまえば回避は望めず、迦楼羅の勝利となる。

 この場の全員が処刑されてしまう。

 明宏は跳ね起きて、両肩を矢に貫かれる。行動を開始する前に、強烈な痛みを伴う制止を受けて倒れた。本来なら弓兵としてはあまりに困難な体勢からでも、迦楼羅ならば何の問題もなく敵を狙撃し得る。

 動けなくなった明宏の後頭部を踏んで着地した。


「これで終わりです。中々健闘した方なのではないでしょうか?」


 微笑んでから、弓に番えず矢そのものを振り下ろす。首筋目掛け、鏃の先端が空気を裂き血肉を求めて走る。勘田が戦慄し、ヨキが走り出すが最早届かぬ位置だ。

 二度目ではあったが、今度こそ勝利を確信した迦楼羅――しかし、またしても阻害を受ける。


「ブゴオッ!!」


「間に合った!」


 側面から高速で来訪した蹴撃。

 顔面を撃ち抜かれ、堪らず壁まで吹き飛ばされた迦楼羅を唖然として見詰める三人の前で、少女は異形の拳鍔を装備して立つ。続いて現れる長身の長作務衣が隣に寄り添い、扱うにはあまりに長過ぎる薙刀の先端を迦楼羅へと差し向けた。


「成敗してやる、この悪党!」




アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

休日に朝の更新が出来て、私の気分も少し昂っています。余裕があれば、もう一話更新するかもしれません。


次回も宜しくお願い致します。

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