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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
四章:夜影と仕分けの亀
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『填顧』の勘田と秋京



 夜影と昌了は本殿を出て北へ。

 常に冷静沈着であり、千極では比類なき戦闘力を有する八部衆の一角を務める男は、主の命令に背いて自ら招き入れた仁那の救出に急ぐ。外出という制限は最低限課しながらも、やはり自由行動となれば少女が無事に帰還する事は無い。それは彼女が辿って来た旅路が証明している。

 赤髭が北側への行動を妨害した意図は、もはや考察の余地も不要なほどに明確で、仁那を夜影が感知せぬ内に処分する意向を示す。幾ら千極を見極めるとはいえ、やはり外出許可の判断は浅はかだったと後悔する。

 抜き身の薙刀を手に傾斜路を駆け降り、懐中で仁那を感知する昌了の探針に従って北を目指す。大体の位置を把握すれば、後は記憶から該当する場所を予想し、一直線に向かって救抜する。問題は、一度の判断の誤りが仁那との合流までに要する時間をより延長する危険を発生させる。

 常日頃より捧げた忠誠心、その姿勢で赤髭が部下の背馳を想定せず障害を先んじて用意していなければ救うのも容易だ。後は仁那に嗾けられた刺客を容赦なく屠るのみを意図する。

 既に仁那を迎え入れてから決めた覚悟――もし彼女の判断が降される前に、その身が害悪の前に晒されるのであれば、立場を捨て楯となる所存。その時点で赤髭が徹底的に攻撃を仕掛ける時、主さえも斬る狂犬となる。

 漆喰を塗られた壁に挟まれた路は、もはや足首まで浸かる水深を作り出していた。元来より夜影は視力が疎い故にまず窺見を放ち、正確な位置情報を得てからでなくては仕留められない。追う足を急がせれば、如何に強者といえど路傍の石にさえ躓く不覚を取る。現に足場が水に満たされた時、夜影は何度か錫杖で体を支えて転倒を避けた。

 戦闘や生活では聴覚と触覚を恃みとするが、この豪雨ではどちらも役立たない。天も地も忠誠を誓った主さえも、夜影の枷となって蝕む。前進する足を重く苦める状況でも、脳裏には朗らかに笑む仁那の姿が映る。瞼に投影した思い出の光景ならば、視力も関係ない。求める先を見据える事だけを可能とする範疇で視覚を奪った暁に、奇妙な謝意と尊敬を懐く。

 昌了が懐中で蠢き、弱々しくも夜影の胸を叩いて訴える。


『止まれ、頭上から来る!』


 飛び退った夜影の眼前で猛然と水柱が上がる。路地に大波を起こし、逆巻く烈風に煽られた。明らかに部下の長作務衣には到底不可能な攻撃、擲弾ならば納得の威力だが、天守閣に常駐する戦士で爆弾を主流とする者は記憶に無い。

 薙刀を地面に突き立て、後方へと引っ張られる体を引き戻す。修練で鍛え上げた頑強な肉体が、突風と荒波を耐え凌ぐ。懐の昌了は顔だけを悠然と出して、夜影に代わって前方を確認した。賢しげに隻眼を眇め、嘆息と共に嘲笑する。

 夜影が正面に見た路地で、地面に溜まっていた雨水を周囲に降らせて立ち上がったのは、両手に大斧を携え、頭部は爬虫類に似た外観ではあるが、左右の面相に二つずつ眼球を持つ複眼の怪物。周囲の降雨を空中で爆散させるけたたましい咆哮を上げた口腔は、舌の無い牙のみを孕んでいる。革鎧を装備して人を模しているが、その醜貌 は明らかに魔物である。

 昌了が前を見据えながら、蛇が肢体を伸ばして夜影の首筋に噛み付く。痛覚が牙に皮膚を貫かれた事を知らせ、すぐにでも振り払おうとして夜影は手を止めた。薄く開いた目に鮮明な景色が映し出される。だが、目線の高さが些か違う上に、自分の薙刀を確認できた。


『視覚を繋げた、今は余が其方の眼である』


「……助かる、しかし目線の高さ、その差異によって生まれる違和感を解消するには、少々時間が要る」


『北大陸の海域に棲息する化蛇(カダ)と呼ばれる魔物だ。水が存在するならば、奴の間合いは雨中では町全体に及ぶ』


 その忠告と共に、足下の水が蔦の如く体に縄となって巻き付く。四肢を締め上げるそれは、触れている着衣の部分から冷たさを感じ、確かに水なのだと実感する。夜影の膂力でも振り払えない強い縛め――先手を打たれ、行動不能の相手に化蛇が飛び掛かる。

 昌了の全身から鶸色の氣が迸り、夜影の満身を包む。水の束縛が解かれ、ただの雨水となって落ちた。化蛇の驚愕を誰も責められはしない、これは昌了の特異能力――『裁断』により、化蛇の氣と水を練り合わせて作った水の縄より、化蛇の氣のみを剔出してみせたのではなく、異なる両者の繋がりを断ち切って元の状態に回帰させたのだ。

 仮に対象が炎の魔法ならば、熱と氣に分断させる。『望むままに物質を構成する要素に分解する力』そのもの。

 拘束より逃れ、自由を得た夜影は薙刀を回旋させた。力では己が勝ると確信して大斧を振り上げた化蛇の両腕が地面に落下し、雨水を赤く汚す。

 当惑して止まった魔物は、次の瞬間に首を断たれて路上に倒れた。それを踏み越え、夜影は先へ向かう。


「助太刀感謝する」


『存外、中々良い連携だった。……しかし、北側からの魔物とは珍妙な。北大陸の何者かが暗躍しているやもしれん、警戒を怠らず感知に勤しむとしよう』


「そして私が敵を退ける刃だ、戦闘は任せよ」


 走る夜影の背を見守る視線が一つ。

 仁那と共に行動していた筈の黒装束の音無が、化蛇の死体の上に立っていた。昌了の感知にすら反応せず、渾名の通り音も無く佇む。

 足許の亡骸を蹴って飛び降りると、異形の魔物は微細な光の粒子となって弾けた。すぐに雨に呑まれてしまい、化蛇の残した血は雨水に流され、証拠さえ消える。

 化蛇という足場を失って、いざ水に音を立てて浸かるかと思いきや、草履を履いた足の裏は水面に浮き、水上に直立していた。黒雲を見上げ、断続的に雷とは異なる光の炸裂が雲上で発生しているのを察する。まだ自分が展開した結界と格闘しているらしい……。

 遠くなる夜影の勇ましい力走を遠目に伺いつつ、その足は天守閣へ向く。


「往け、其所にお前の正しき道がある」





  ×       ×       ×





 総督の坐す天守閣の膝下――城塞都市の火乃聿にて営まれる変哲の無い茶屋『填顧(テンコ)』。その商売はといえば、経営力を損なう事無い程度に人員に不足無く給料は出せる、しかし盛況とも評し難い繁盛の極々一般的な店であった。火乃聿に辿り着くまでの街道にある駅などに、もう一店が建っている。そちらは人の足が運ぶ脇にあるため首都よりも賑わっており、店主もそちらに力を入れている。

 元より名店建ち並ぶ火乃聿の路にひっそりと座る『填顧』は周囲の栄光の中でも褪色して見える事で、反ってそれが人の関心を惹き付ける客で経済を賄っている。尤も、一度足を運んだ者がまた此所を訪れるとは、酔狂だと言われてしまう評判だった。世情が剣呑さを帯びて、最近は旅人が少なくなり、『填顧』を見掛けて入る者も何時しか逓減した。

 常連客は店長の知己、捗らない商売を揶揄しに来た名店の跡取り息子、この店の茶の味をいたく好んで足繁く通う物好き……内装に彼等を加えた風景が日常の絵となっている。繁盛中の街道支店に偏り、手薄となった店を任されたのが息子――勘田である。

 余暇を見付けてはその都度、自分へ野次を飛ばす迷惑な客を捌き、店長の不在に自分を気遣う年長者達への敬意を払う立ち居振舞いは、日に日に勘田の心労を増やした。半年に一度見掛ける程度しか顔合わせのなく、それも会話内容は商売の進捗状況の報告だけといった如何にも将来熱心にして家族の負担も顧みぬ父親にも家族への情念が褪める。

 何を支えに生きて行けば良いかと、気の抜け目に思考を悩ませながら、惰性で営む日常の景色を無感動に眺めつつ配膳を行う自身の務めを遂行する。勘田は半ば生きる屍の如く命じられた役目を果たし、熱意に欠いた店長代理として過ごしていた。

 その日々に変調をもたらしたのは、二年前の夏頃に此所を訪れた一人の少女である。入店するや否や、店内の隅の席を小さく陣取って、後は顔を壁に向けて注文の確認を待つ態勢に徹する。逸らした顔は判らないが、恐らく最低限人目に触れるのを避けた本人なりの対処法なのだろう。これで奇異の視線を集めないのだから有効なのだと俄に信じ難い。

 どの客とも違い、注文確認の以降も無駄な会話を求めずに、ただ串団子を頬張り、抹茶を啜って一人ご満悦の面持ち。食事中以外は滅多な事に顔を見せないから、勘田もこの時ばかりは注視してしまう。よく見れば同年と思われるが、振る舞いは常連の野次馬(跡取り息子)とはまた違う気位の高さが窺える。

 入店から約三時間も滞在して、密かに立ち去ってしまう。いつしか、この珍客を観察する事に勘田は奇しくも気概を持った。

 秋頃、その日は来ないかと思いきや少女は閉店間際の夜半に訪れて来た。暖簾を下ろす為に表に出た勘田を待ち構えて、強盗防止の為に置いた樽の影に膝を抱えて座り、勘田を見て心底安堵したように笑う。昼時以外の来訪など、それも客が完全に失せた宵闇の中、此処まで一人で足運ぶ変わり者の来店など想定しておらず、ただ慌てた。

 この夜道に常連として純粋に茶屋を楽しんでくれる少女を突き返す冷遇など、幾ら強引に経営を委任された店とはいえ、店長代理てして最低限の矜持と人への思い遣りがあって、店内に暫し匿う事にした。何より、憂い絶えぬ国の騒乱の数々が近辺で起こって良からぬ噂も立つ外に、自分の気概の元を放置するなど考え付きもしない。

 招き入れた少女は秋京(しゅうきょう)という名で、二人で部屋に座して正対するまでは顔すら確りと拝めなかった関係である。左右に団子を付けたように髪を結った小さな頭に、八重歯を覗かせ溌剌とした印象を与える笑顔と快活な性格。これが店内の隅っこで大人しくしていたのが不思議である。

 呆れ半分興味半分で相手をすると、秋京は短時間でも店で働きたいと申し出る。商売に興味があるのか、縋り付いての懇願する瞳は光り輝く。勢いに圧されて致し方なく了承した勘田は、この時に従業員兼友人を得る事となった。

 それから定期的に昼から夕刻までの間に業務を果たす秋京と共に、勘田は平時無感動で運営していた茶屋の風景が色彩を変えて見え、無自覚に愛想笑いではない心底からの笑顔で接客するようになった。この変化には、機械のごとく商売の悦びも知らない男の醜態を嘲る目的で来ていた野次馬も居なくなり、その他からは客の雰囲気が良くなったと評価を受ける。

 それから軌道に乗り、段々と客足も増えて捗々しくなった事で親の関心を惹き付け、こちらを要にした戦術を実行しようとした彼の判断を固辞し、秋京との経営を楽しんだ。

 しかし、今年の夏となってから秋京が居なくなった。客足は減らず、新たに雇った従業員達によって店の経済が退転する事は無かったが、気が気でならない勘田としては、どうにか会いたい所存。

 再び此所に現れる日を待つよりも、自ら行動を起こすのが良策と腹を括った日の夜に、秋京は店の前で初日同様に樽の影に踞っていたのだ。乱れた衣服と髪、これには心臓が凍り付いて事実を嚥下するまでに長い時間を要し、漸く我に却って中へ入れて風呂を沸かして休ませた。

 身嗜みを整えた秋京と改めて対面すると、弱々しい笑顔で彼女は退職を申し出た。理由を言及すれば、彼女の素性は総督の居る天守閣にあり、これより先に此所を訪れる機会は限り無く無に等しいと言う。

 自分はしがない店の店長代理、幾ら逆らっても天守閣に居る秋京には届かない。それに悔しくも自分の身が惜しくなって勘田は黙り、最後に彼女の望んだ串団子と抹茶を提供して送り出す他に無かった。後悔に喘ぎ苦しんだ果て、最後の『填顧』の食事を楽しむ笑顔に涙を流していた秋京の面貌が、脳裏に焼き付いて精神を蝕む。あれは、絶対に苦しんでいた、救いを求めずとも心が軋みを上げている音が、少なくとも勘田には聞こえた。

 そして今秋、「白き魔女」などの来訪あって慌てる天守閣は、来訪者を首都に迎えるにあたって外出禁止令にて人々が路を歩くのさえ拒んだ。此所に不審な動きあれば間諜と疑われるからである。そのため、街路を長作務衣が彷徨くのを窓から見掛けた。

 天守閣が今慌ただしいとあれば、隙を見て秋京を救えるのではないか。ふと思い浮かんだ無謀な案に、後は長作務衣を如何に躱すかを考えていた時、路地に現れた二人組で戦う凄腕の旅人を発見した。



「ああ……成る程ねぇ」


 茶屋『填顧』の中、畳を敷いた一室に二人を協力者として招聘した勘田は、串団子と抹茶を差し出して慎重に遇する。彼等の気を損ねれば、自分が懐く一縷の望みすらも儚く散ると知って愛想笑いの奥に細心の注意を払う鋭い精神が隠れていた。

 その気苦労を察して、ヨキは彼の事情に頷きながら茶を啜る。味はあまり好みではなかった。明宏も渋い顔をしているが、これは彼の大好物を口にした時の表情である。この癖の所為で、よく飯屋で気に入ったとしても店長からは冷遇される始末。ヨキは解説を混ぜて明宏の本心を代弁し、抹茶を称賛した。

 安堵する勘田は、二人を正面に座る。まだ二人からは承諾も受け取っていないが、勘田は何としても天守閣に辿り着くまでの間の護衛を依頼したかった。報酬はまだ考えておらず、無鉄砲な行動だと自身で反省しながらも、やはり退く事は出来ない。

 旅人の二人は、その覚悟を犇々と感じながら串団子を口にして咀嚼する微妙な態度。相手の心の内を察しながら真剣さの無く、これが勘田を不安にさせているとは全く思ってもいない。ヨキは串を皿に安置して、腕組みしながら後ろの支柱に凭れた。


「要するに、そのガールフレンドを助けたいんだ~」


「がぁる……?」


「東国で言う、女性の友人、又は恋人の意だ」


「あ、はい、そうですね」


 前者の方で納得を得て頷く勘田に、下卑た笑顔のヨキを咎める手刀が落とされる。

 明宏の攻撃を甘んじて受け入れ、しかし想定を超えた痛みに呻くヨキ。獣人族は軽い打撃であっても、相手に大きな負傷を負わせる術に長けており、些細な動作にも武の片鱗が垣間見えるほどに強い。妖精族の少女に対する柔らかい注意の積もりが、意図せず大打撃となっていた。

 鈍痛に転がる仲間を無視し、明宏は相手に失礼無いよう軽く一礼する。


「しかし、オイラ達は天守閣に用は無い。旅人として、そんな危険な任務は避けたい。報酬が幾ら高くとも承諾は難しい」


「う……な、何でもします、だからどうか……!」


「奴隷に身分を堕とされても、同じ事が言えるか?」


「…………っ!」


 勘田は言葉に窮して、乗り出した体を引き戻す。明宏の険相に射竦められて固まる少年をヨキは畳に伏せた状態から盗み見た。確かに、両者の合意があるならば奴隷であろうと金銭の譲渡も、対象が旅人であっても認められる。相手の要求によっては、人生を左右されてしまう。

 その弱い立場にあるとなって、少し怖じ気付く勘田だったが、肺から絞り出した低く籠った声が明宏の胸に届く。


「そ、それでも……秋京を助けたいんだ!俺にとっちゃ、たった一人の親友なんだよ!」


 明宏は険しい相を保ったまま叱咤する。


「委細承知した!ヨキ、空間魔法で外堀を超えられるか?」


「近付いてみなきゃ判んない~。でもやるっしょ」


 ヨキもその回答を予想していたのか、戸惑いもなく潜入の算段について詮議を始めた。二人の呆気ない反応に戸惑い、暫し蚊帳の外となっていた勘田も、事実を理解して喜ぶ。


「な、何で引き受けてくれたんですか?」


「獣人族は、友情の為に命を懸ける者には協力を惜しまない信条がある。それに、オイラは故郷の友人すら守れなかった……目の前に友を救わんとする者が居るなら是非もない」


「私も旅の出始めは好きだった幼馴染を追って出たんだ~。弓が大得意の癖に『剣一本で成り上がる』なんて言って出ていったからね、私も心配でさ~!恋路は中々うまく行かないよね、だから私は君と秋京の恋心(ラブハート)を繋ぐ天使(キューピット)になってあ・げ・る~!」


「キューピ……?ラブ……?」


「ヨキ、貴様はもう黙っていろ」


 斯くして、天守閣潜入小隊が組織された。






  ×       ×       ×





 閉ざされた石棺の底――闇の地下に幽閉されてしまった仁那。経緯が思い出せぬまま、空いた棺の中に入った成行と雖も、閉塞的な空間に息苦しく自然と顔が引き攣る。脱出は『四葉の紋章』を利用すれば、石棺どころか礼拝堂を破壊し地上に舞い戻る荒業が可能だ。気が引けるが、それでもこの場に大人しくして居るほど安穏な状況ではない。

 降りてすぐの場所で提灯を振り回して照らす範囲から外部には、限界など無いかのように闇が伸びていたが、少し進めば岩壁が見える。一抹の安堵と同時に、やはり此所が狭い地下だと再確認させられてしまう。訪れて早くもこの窮状、困り果てた所に人のものと思しき一声。

 身構えて待つと、光の輪の内側に踏み入る足を見た。


 “――ほら見て、祐輔!足があるよ、幽霊じゃない!”


『一概に幽霊にゃ足が無いモンだと思ってるおめでてぇ頭か。知ってるか?死体に取り憑く悪霊も居るんだぜ』


 “――そうなったら祐輔が食べてくれる。”


『オレ様の食堂器官の管轄外だ』


 仁那には孤独感を払う人の気配に欣喜するが、思えば此所は地下であり、人の居る筈の無い場所。仮に人の存在があるとするなら、その身が抱える事情は尋常なものではなく、ある目的で幽閉された無実の人間、或いは大罪を犯した咎人――後者の場合なら牢獄という意味を持つ。

 礼拝堂の下に設えられた物が牢屋であるとは思いたくは無い仁那としては、前者であることを祈る。提灯を掲げたまま待つと、そのまま接近するにつれて足下から膝へと照明部分が上がり、躊躇いがちな足取りではあるが充分に姿を確認し得る距離まで歩み寄って来た。

 明らかとなった声の主の姿は意外なものであった。濡れ羽色の髪を左右で玉に結い、無造作に背中に流した襟髪は腰まで届く。白磁の額を無防備に晒すように前髪は短く切り揃えられ、薄い眉の下にある円らな黒く大きな瞳が仁那に警戒の色を示している。

 左手首に二つの編み紐の腕輪をし、服装は簡素な貫頭衣のみで他に着衣している物は見受けられず、袖から伸びる手足は華奢であった。少し窶れた様子だが、それでも着飾り無い粗末な布一枚でも美々しい容姿が損なわれない少女。

 小首を傾げる動作だけにも筆舌に尽くし難い愛嬌を感じて、我知らず感嘆の吐息を漏らして眺めてしまう。祐輔は精神世界より仁那の眼を介して姿を捉え、この少女の出方を窺っていた。礼拝堂の直下に位置する地中に囚われた原因は何なのか、些細な事でも疑わぬ余地はない現状である故に祐輔の観察眼が鋭く光る。


「あの……どちら様?」


「わっせは侠客の仁那!此所に来た理由は……何だったか忘れちゃったけど、敵じゃないから安心して良いよ!実際にわっせ、貴女が何者なのかも判んないし」


『テメェの自己紹介、記憶喪失の女って風にしか聞こえねぇな』


 “――祐輔は黙ってて!”


 少女は胸前に両手を握って微笑んだ。

 警戒心が弛み、仁那の前で腰を直角に折って一礼する。


「あたしは秋京、此所に幽閉されているの」


「秋京か……こんな可愛い娘を幽閉って、余程人目に触れさせたくないのかな」


「……此所には私と兄、そして父が居ます」


 その言葉に、闇の中でもう一つの気配が近付く。秋京の隣に現れたのは、背が高く提灯をさらに少し持ち上げなくては見えない長髪の男性。長襦袢一枚の姿で仁那を見詰める。

 これが秋京の兄なのだと察して黙礼する。


「我が名は夏京(かきょう)、四代目千極帝なる者だ!」


「……を目指してるんですね。判りますよ、夢が大きいとそれだけ遣り甲斐出ますよね!」


「違うっ、事実だ!」


 “――仁那、こういう男の扱いが上手くなったな。オレ様だったら挨拶の代わりに顔面の肉を頂戴するぜ。”


 よく聞けば、仁那が地下牢獄に来た時に聞いた声は彼の物だと今になって知る。確かに秋京の声質も低いが、女性と判別できる範疇であった。

 憤懣を隠さず次々と語る男――夏京を隣で見る妹は、些か痛々しいモノを眼にした表情である。自己評価の高い者は周囲からあらゆる横柄を容認されると勘違いし、他者の所有物を勝手気儘に収奪する事が多々ある。旅路でよくそういった男性に会い、仁那を見咎めて一夜の相手にと強要してくる例もあった(その都度、祐輔が鼻面に噛み付いて撃退する場面が約束となる)。

 夏京もその人種かと見て、苦手意識に後退りする。秋京は彼を光の内側から押し出して、謝罪を含めた低頭をすると、改めて仁那を正面から見据えた。


「お願いがあるのです、どうかあたし達を此所から連れ出して欲しい」


「それは良いけれど、でもやっぱり此所に幽閉されているって事は、張本人の監視下にあるんでしょ?不用意に外へ出たら、刺客が来るし」


「……それでも、あたしは会いたい人が居るの」


 唇を噛む秋京に否定の言葉も出ず、押し黙った仁那の背後で地下に響く布擦れの音。夏京かと思ったが、祐輔の氣がそれとは別であると感知する。


「我々は此所に……赤髭の手によって、囚われている。最早、堂々とこの国の実権を恣にし、千極帝に成り代わる心算だ」


「あ、赤髭……!それって、どういう……」


「話がしたい、もう少しこちらへ」


 声のする方へと摺り足で近づけば、壁面が虚空に現れて、その下では咳き込む低い声がする。夏京よりも威厳に満ちて、しかし小さく震えた声は死期迫る病人のそれに似た弱々しさだった。

 提灯で照明する部分をゆっくり下げると、壁面に配置された寝台があり、その上で寝かせている痩せた肢体を上掛けで保護する初老の男性。白く太い眉の下で落ち窪んだ眼窩の奥からは、鋭い眼光が仁那を射る。長く蓄えた髭の先を赤い紐で結び、秋京と同じく無地の貫頭衣を着ている。

 上掛けを腹部までにし、仰ぎ臥した彼の腕は異様に細かった。鍛練の賜物が形として表出したのとは違い、肉を削ぎ落として浮き出た筋がはっきりと見え、思わず仁那は息を呑む。

 持ち上げられた指先は震え、小さな動作で仁那を呼ぶ。寝台の傍まで躄って、その顔を近くで見る。


「……貴方は?」


「今は退位した……三代目千極帝にして、そこに居る二人の父……こほっ……春京(しゅんきょう)だ。我々は千極帝の血筋にして正当なる帝の後継者、赤髭によって礼拝堂の地下に幽閉された者」


 その時、ふと脳裏に記憶が甦った。

 此所に至るまでの経緯、記憶から消去されていた筈の過去が映像として眼に映される。自分を導く手、無表情だが優しい音無の存在、そして彼が示唆した帝の幽閉。突然想起した驚愕と歓喜に打ち震える仁那だったが、祐輔にはそれらが全く見えなかった。

 様子の怪しい仁那を訝って眉を顰める四代目千極帝――春京は、深く息を吐いて瞑目する。不思議な少女を前に、何を伝えれば良いかを脳内で整理し、それを十全に伝える為に呼吸を整えた。

 今は取り戻した記憶に喜んでいる時ではない、寝台の上に少し身を乗り出して耳を澄ます。相手は危篤に陥って発声すら一苦労要る病人である。何度も聞き直して喋らせる手間は掛けさせない。


「君が何者かは知らないが……せめて、その二人だけは救って欲しい。赤髭を止めろとは言わない。私は足枷になる……二人だけでも」


「此所に置いてくなんて出来ないよ!絶対に助けるから!」


 仁那は白く細い骨の如き手を両手で包んだ。

 少女の体温が骨身に染みるのか、深い吐息と共に微笑する。


「どうやら、この身にもまだ救いがあったようだ」


 その時、石棺の蓋が開き頭上から光が射し込む。矩形の間隙が広がって行くに連れ、春京が慌てて自身の上掛けで提灯を覆った。

 その意図を把握した祐輔が叫ぶ。


 “――ヤベェぞ仁那!見回りの長作務衣共だ!”


「えっ」


 隠れる暇は無い。

 仁那の見上げる頭上から、人の影が現れた。





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

椅子に座ろうとして背凭れの部分を引くと同時に腰を下ろしたら、そのまま座れずに床に尻餅を着く恥ずかしい状態。

 家族が笑ってくれました!あれ、嗤うの間違いかな……。


次回も宜しくお願い致します。



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