朝と夜の邂逅
新章スタートです。
地理情報~
大陸が三つ。
北の海に浮かぶのは『リメンタル』。南の海に『ローレンス』。主に、二つの国によって二つに分かたれる大陸『ベリオン』。
ベリオンには二つの国が存在し、その中に町村がある。
東の国『センゴク』、首都ヒノイチ。
西の国『タリタン』、首都キスリート。
この国境は大陸の中心にあり、そこに神樹の森がある。先日、調査隊が派遣された件の場所。そこからタリタン方面へ南下し、リュクリルの町に出たユウタは、ハナエと別れて西へ進んだ。海側を迂回し、内陸側へと移動しながら旅をする方針である。
× × ×
草原を一人、歩いていたユウタは竹笠を手で取り、空を見上げる。燦然と輝く太陽は、地上の物を照り付けていた。道の先を見据えると、陽炎に揺らいだ景色が暑さを物語っている。リュクリルを出てから数時間。日は天頂から傾き始めている。
神樹の森では湿気と、僅かに上がる気温ほどでしか夏を感じられなかった。ユウタは慣れない強い日差しに晒され、さほど体力を削がれなかった。だが、これなら、ハナエを連れて来た時、彼女には酷であっただろう。草鞋で踏み締める大地も、一足ごとに足の裏に熱が伝わる。
風が吹くと、襷で巻いた袖の内側を涼やかにしてくれる。森の時とは違って空が見えると、もたらす爽快感も格が違った。
旅の目的は、ギゼルが起こした神樹の村の消滅を、裏で手引きしたと思われる守護者二名。ユウタの知る者の内の誰かだ。唯一、その手で取り逃したと言うギゼル本人には、その人間の正体について問う前に殺された。手掛かりは一切ない状態で、彼等が何処へ消えたのかも知らない。人に尋ねるとしても、守護者は十人もいた。一人ひとりの特徴を上げて聞くには、かなりの時間を要する。それに、次の町に居るという保障もないのだから、完全に手詰まりだった。
「考えが甘かったなぁ」
一人ごちりながら、立ち止まった。リュクリルから歩いて、約十時間が経過し、ようやく次の町へと到着した。目の前に見えるのは、村を囲っていた石壁よりも頑丈そうな防壁によって守られた検問。入り口の傍に甲冑を着た二人の男性が、槍を片手に黙然としている。
ユウタは門を通ろうと、二人の顔色を窺いながら足を進めた。
「おい、止まれ」
彫像のように黙っていた男が、少年を呼び止める。その声に肩を跳ねさせ、奇声を上げた。周囲から見れば、ユウタの様子はあまりにも挙動不審である。番兵は怪訝な表情で彼を見つめ、その前に立つ。身長は彼よりも一回りあり、見下ろされた時の威圧感にユウタは恐慌に固まってしまった。
少年の服装を暫く眺めると、その腰に佩いた小太刀を取り上げた。トードが自分に餞別として贈ってくれた物であるため、ユウタは番兵に懇願するような瞳で訴える。旅を始めたばかりに、こういった時の対応が判らない。
「お前、これは何処で?」
「リュクリル、です。護身用にと知人から頂きました」
「旅の目的は?」
「観光です」
「何日の滞在予定だ?」
「三日、四日?」
「よし、行け」
番兵に押し出されて、町の中へと入る。終始向けられる視線の威圧感から解放され、ユウタは安堵の息をついた。リュクリルでの生活である程度、大人達との付き合いにも慣れた筈だったが、検問の持つ違う緊張感は、今まで経験したものとは異なるものだ。額に浮かんだ玉の汗を拭う。
目の前に広がる景色は、人の雑踏で埋め尽くされていた。路肩に整然と陳列する店の数々は、どれも行列を作り繁盛している。見た事のない人の賑わいに、思わず茫然自失と立ち尽くした少年は、道脇に逸れて人々の営みを観察することに没頭した。夕暮れもあり、酒を片手に屋台へ晩酌をしに行く人間も通る。これだけの人波の中を歩くのは、リュクリルの裏町以来である。しかし、今回の人口密度はその比ではない。
ユウタは背嚢を背負い直し、人混みの中に踏み入る決心をした。これからの旅において、間違いなく何度も体験するであろう事なら、ここで感覚を得ておいた方がいい。竦む足を一歩出した。
「旅人さん、大丈夫?」
「おわぁッ!?」
喧騒の中でも通るその鈴のような声音。ユウタは町の活気に圧倒され、怯えていた所を見咎められたかと羞恥に赤面しながら、睨むように声の主へ振り返った。
相手はユウタと同じように道の端で壁に体を寄せながら、首だけを回して彼を見ていた。初対面の旅人に対しても臆面なく話し掛けてみせたのは、黄金色の髪をした少年だった。整った顔立ちに、清潔感のある黒一色のシャツとズボンを着ている。身嗜みは簡素なのに、端然とした美少年の様相であった。落ち着きを払ったその態度は、ユウタが駆け出しの旅人であることをすぐに見抜いているようである。
同い年ほどである外見年齢の彼は、その振る舞いも何もユウタより大人びている。慌てて平静を装う相手にも朗らかに微笑んでみせる様子は、彼の穏やかな性格を知るのには充分だった。そんな相手に情けない姿を晒したと縮こまるユウタに、黄金色の髪を掻きながら手を振る。
「顔色悪かったみたいだし、てっきり具合が良くないのかと」
体調を心配する素振りでフォローしてくれる相手に、ユウタはなんとも申し訳ない気持ちとなった。彼のような心優しい人間に対し、一時でも敵意を向けてしまった事への恥が何よりも重い。竹笠を胸に抱きながら一礼した。
「大丈夫です。ただ、こう人が多い所は慣れなくて」
「何処から来たの?」
「リュクリルです」
「じゃあ、本当にまだ駆け出しなんだ」
初心者なのは看破されている。表情に出さずとも、ユウタは自分の身の振るまいにもう少し氣を配ろうと考えた。この調子で続けば、良からぬ輩に集られる日も近いかもしれない。
「良ければ、町を案内するよ。俺、この近くに住んでるティル」
「僕はユウタ。一応、旅人です」
握手を求めて差し出されたティルの手に、包帯の右手を重ねた。相手に憐愍を懐いて欲しくないユウタは常に左で応じるようにしているが、今回は慌てていたために隠していた方を出してしまった。握られた両者の手から視線を逸らす。
ティルは包帯を見ても何も言わず、ユウタの隣に立って歩き始めた。
到着した町シェイサイト。
商業区、居住区の二つがあり、ユウタは主に前者をティルと共に回った。途中、旅に必要な物資について吟味したりと、かなり長くなった。無論、そんなユウタにも気を損ねず真摯に付き合うティルの印象は、善良な人間となった。
× × ×
「ユウタさん面白~い!」
「え、どこが?」
「目の下の隈が」
「人のコンプレックスを笑わないで。ピンポイントで抉られたの初めてだよ」
あれから町内を二人で散策したユウタは、ティルの厚意によって彼の家に泊めてもらう事となった。彼の家は居住区の路地裏にある廃屋の一つで、腐食した机と床に敷き詰められた藁だけである。しかし、森の中で地面で眠る事も多かったユウタとしては、特に支障がなかった。
厄介となる家にはもう一人が住んでおり、ミミナという少女は、三つほどユウタより年下で、髪色はティルと同じである。二人は兄妹らしく、相貌も揃って見れば、確かに似ていた。鳶色の差した瞳は、どちらも悪意がない。
ティルは彼女と二人暮らしで、両親とは早くから死別している。町の中にある地下炭鉱に出現する魔物の討伐、その報酬を生活の資金とする。そういう仕事は、生活の基盤が無い者が雇われる形で身を売るもののため、貧しい者が募る傾向がある。その中でも実力と体力があるティルは、長く続いていた。
ユウタは魔物の退治として、スノウマンとゴブリンの経験しかない。神樹の森に生息するのは希少種ばかりだが、個体数が少なく遭遇する事は滅多に無いのである。あの村の不祥事があるまでは斃した事も皆無だ。故に、ティルの方が魔物と対峙した際の対処法は詳しいだろう。
ユウタが考えたのは、路銀を稼ぎながらの旅である。リュクリルで貯めた分だけでは、そう長く持たないのは自明の理。時に働きながら足を進める事が出来れば、何よりも楽だろう。森の中に居た自給自足とは違って、旅には資金が必須なのだ。
「旅人でもやり易くて、稼げる仕事ってあるかな?」
ユウタは無邪気なミミナとの会話を断って、仕事用のナイフを研ぐティルに尋ねた。砥石で刃を研ぐ手付きからも、随分と慣れている。柄の部分の包帯は擦り切れており、長らく使用されているのが解った。
ティルは床に置いて、真剣な眼差しを足元に落とす。
「冒険者、がある。それなら、簡単な依頼をこなしつつ、報酬を受け取って簡単に稼げる筈だよ」
「冒険者?」
「もしかして、知らない?」
それも知らないのか、と隠さず顔に出すティルに項垂れた。無知とはこの事である。リュクリルで訪れる旅人に様々な事を聞いたが、冒険者に関する話は無かった。トードの家での勉強は、金の使い方と宿の使用法のみ。それだけで凌げると安易に考えたユウタの甘さが、早速裏目に出た。
腐食した机の上に腰を下ろし、腕を組んで唸る。ティルにも冒険者、についての説明が難しいらしく、ユウタに対して戸惑いがちな視線を送っていた。それを察し、ユウタも慌てて手を振る。
「明日その冒険者について町の人に聞いてみる。今日は泊めてくれて、本当にありがとう」
「こんな何もない所で申し訳無いけど」
ティルが苦笑する。
ユウタは、船を漕ぐミミナを藁の上に寝かせた。疲れていたのか、横臥した途端に寝息を立てて深い眠りに入る。他人が家の中に居るというのに、緊張感の無い様子は二人を和ませた。ユウタは、初対面の人間に分け隔てなく接する所に、兄と同じ優しい人間性を垣間見た。初めての町に混乱する自分を救ってくれた人物の温かさに心の底から感謝した。
夜気が涼しげなのを見て、外を歩きたくなったユウタは、三尺ある仕込み杖を手に、出口に立つ。
それをティルが慌てて後ろから袖を引いて止めた。
「何処に行くんだ。店なら多分、もう閉まってるよ」
「散歩したくなっただけ。すぐ帰って来る」
ユウタは彼の手を優しくほどいて、静かな夜の町へと足を踏み出した。
× × ×
町は驚くほど静かだった。
あれだけ騒々しかった商店街から、人が忽然と姿を消している。路地裏を伝って、居住区から歩いてきたユウタはその光景に、一人興奮した。無人の町を見ると、それが自分だけに用意された舞台に感じて微かな高揚を覚える。
草鞋で擦る足音が響く。月光が妖しく雲の間から差し、夜の町の非現実的に感じさせる。杖で叩いた地面の固い音は、がらんどうの洞のようにどこまでも谺した。閑散とした町の様子に、ユウタは一人満足げに見渡しながら歩く。
人が居ないと、ここまで寂しげなものなのか。
「…………」
ふと、壁に貼り付けられた紙に目が留まった。足を止めて見るが、丁度良く積み上げられた木箱の段差で陰が重なっていた。ユウタは紙を剥がし、月光に翳しながら眺める。紙面に配列した字を読みすめていく内に、これが手配書だと理解した。特定の人物名と、その特徴を列挙し丁寧に目撃情報まで記載されている。
手配書を折り畳んだ。逃亡した守護者を期待したが、記憶の中の彼等に該当する情報はなかった。懸賞金の値段だけを確認してしまったのは、ティルの家でこれからについて考えた所為だろう。
「あんた、何してんのよ」
夜は無人の町である筈なのに、人の声がした。
ユウタは思わず紙を懐に入れて振り返る。完全に油断しきっていたためか、接近する前に気配を察知することが出来なかった。師に稽古を付けて貰っていた時にはない、半年来の慢心である。春先の戦いやギゼルとの戦闘でも痛感した。夜ならば、なおさら注意をしなくてはいけない。ユウタは自分の気の緩みを嘆きながら、相手を見詰めた。
裾の擦り切れたローブ。フードを深く被って顔を隠しているが、その隙間から垂れた白いメッシュの入っている黒髪に目を奪われた。懐の手配書を広げ、紙面と交互に見やる。文字の成す意味と照合する相手に愕然とした。
「まさか、手配書の……?」
「そうよ」
臆面もなく認める相手は、両手を腰に当てて胸を張っていた。布の下から主張する胸部の膨らみと、しなやかな腰に裾から覗く白い足。ユウタは相手を観察して、女性だと気づいた。口調はやや強気で、手配書を握る人間を前にしても威風堂々としている。背丈はユウタよりも低いためか、あまり怖くない。
「私の手配書握って、何しようとしてたの?」
「え?いや、別に…ふーん、って感じ」
「目の前に本人よ?」
「いや、どうでもいいかな」
「はぁ?」
ユウタの反応が不服なのか、怒気の含まれた声をしている。彼としては、面倒ごとに巻き込まれず静かで平穏な旅を求めている。体験した騒動が激しかっただけに、ユウタは誰よりも穏やかな雰囲気を欲した。
「私を殺せば、お金が貰えるのよ?」
「興味ない……本音は関わりたくない」
「ふーん。……私がどんな理由で、指名手配されてるかも?」
ユウタは頷いてはみたが、本心は興味があった。彼女という人物が、果たしてどんなものなのか。自分と呑気に会話をしている相手が、本当に手配書に載せられるような人間なのだろうか。そう疑うと、好奇心を懐かずにはいられない。
「聞いてみなさい」
何より、本人が質問を所望しているようだった。
「えー……じゃあ聞くけど、誰か殺した?」
「はあ?そんな訳無いでしょ」
「えーと……じゃあ、何万人殺した?」
「発想がジェノサイド過ぎるんですけど!?」
質問内容の不真面目さに彼女は怒りを露にする。ユウタとしては、もう手配書の人物と相対してから、ティルの家に帰りたい気持ちになっていた。夜の町を探検する興奮の熱も、今では驚くほど冷めている。帰っても習慣の所為で眠りに付けないだろうが、それでも半日歩いた体を休憩させたかった。
一陣の風が吹く。
湿気を含んだ風は、相手のフードを剥がしてしまった。慌てる彼女をユウタは注視する。
「あ………」
「え」
戸惑いの声を上げた彼女。ユウタも顔を顰めた。
驚くべき点は二つ。
まず、ユウタは自分と同じ琥珀色の双眸に目を引かれた。白いメッシュを除いて黒髪なのも重なり、親近感を湧かせた。その顔からも、同年の人間なのが解る。
そして、ユウタが次に身を硬直させてしまったのが、彼女の頭頂で一対の耳が動いていた。髪と一体化し、黒い獣の耳が外気に晒されてぴくぴくと動いている。その姿に唖然として、指差したまま固まった少年に、彼女は暫く放心状態だった顔を真っ赤にさせた。
頭を両腕で抱え、必死に耳を隠そうとしている。
「く、見たわね……」
「見えちゃったな」
少女は悔しげに顔を歪めると、数歩後退した。相当見られたくなかったのか、頬を紅潮させたまま敵意をユウタに向けている。
ユウタは踵を返して、ティルの家に引き返そうとしたが、背筋を舐め上げられたような感覚に飛び退く。反射的に後ろへ下がった彼の過去位置に、矢が突き刺さった。
「あ!……出たわね」
少女の視線の先を、ユウタも暗い気持ちで追った。
彼らの左方の建物、その屋根の上で黒衣に白い髑髏の仮面をした人物が、弓に矢を番えていた。目を凝らせば、殺意を乗せた鏃の尖端が少女を狙っているのが解る。それが為す意味とは、自分とは違い積極的に彼女を狩る人物。
ユウタが振り向くと、彼女は顔を蒼白にして固まっていた。あれでは続く第二矢を避けることもままならないだろう。
遠目で弓が引き絞られるのが見える。
「くそッ!」
ユウタは手を伸ばし、氣術で彼女を引き寄せた。胸の内に引き込まれた小さな体を受け止め、後ろへと回すと杖を構えた。
放たれた矢は、直線で飛び出す。大気を滑り、視認し難い速度で標的とそれを庇う人間へと向かう。相手が動かなければ寸分違わず、心臓を貫く軌道だった。
ユウタが仕込み杖の刃を抜く。鞘を払いざまに一閃し、飛来する矢を弾いた。中ほどから衝撃で折れたそれが、傍の地面に乾いた音を立てて落ちる。
「ちょ、あんた何で庇ってんのよ!」
「うるさいな、黙ってろ。僕だってこんな事する筈じゃ無かったんだよ!」
体が勝手に動いた。人に説明すれば疑われる内容で、少女を守る為に矢面に立ってしまった事をひどく後悔した。狙撃しているのは彼女、今からでも退けば確実に逃れられる。──だと言うのに、体は気分にも背くように動いていた。
「ああ…もうどうにでもなれ」
雨、酷いですね。
春雨、なんでしょうか。これだけ降ると、コンビニに行くのも疲れますね。濡れた裾などが気分を落ち込ませるのには効果的というか・・・。
今回アクセスして頂いた方、ありがとうございます!




