敵の本城は高く聳えて
四章、開幕です。
神樹の森より北西には、巨大な渓谷がある。
今は安寧の静けさばかりが漂い、人々の安き寝息が断続的に家屋の内側に聞こえる夜の共同農村は、初秋より中央大陸北部に降る新雪を屋根に受けていた。重なる綿雪が厚さを増し、翌朝の従事に雪掻きを加える算段をする。
夜更けを待たず、起床してしまった一人が欠伸を一つすると、吐息は白くなって空気に凍り付く。早くも訪れた厳冬の予兆に身震いし、厚い羽織を一着箪笥から引っ張り出し、眠気覚ましに外気にあたることにした。
外の降雪は緩慢な落下速度であり、春の桜の花弁の落ちるそれに似ていた。無論、人に与える印象までは正反対ではある。草履で踏み締めた後に残された足跡も、朝になれば静かに消去されるだろう。少し前までは、踏み荒らされた地面に浸透する鮮血で作物は不気味にも育っていた。
人を肥料に育てる魔性の農作物。この作業を幾百、幾千と繰り返し続けた農夫達も完成には合唱と来年の豊作を祈祷するのだが、二年も続いた生き血を啜り成長した物に手を付けるか、些か気が引けた。生きる為にと口にするが、味覚に感じる筈のない血肉を貪る亡者なのだと己が映り、一時期は嘔気を催し土に還す者に憐れみと共感の目が向けられる。
今年もまた、冬の内に貯蔵する作物も救世主による鎮静を受ける前の物、今年が最後となるのだろう。西と東は二年前よりも遥かに良好な関係を築いていた。文化の相違や価値観の齟齬などによる好悪も今や意識の外にあり、残されし国境の線が無意味であるという感覚が静かに広まりつつある。
渓谷の前に体を天へと伸ばし、緊張した体を解して首を回すと小気味いい骨の音が鳴る。北部で農業に従事する者には見慣れた景色ではあるが、今宵の渓谷は月光を谷底にまで届かせている。いつもは光すら届かぬ深淵とされ、虚ろな闇を挟んで捕らえたとまで謂われる底が見下ろせる。雪が降り注ぐ闇の谷間は、目を疑う奇観が拡がっていた。
地面は高所より寝惚け眼の霞む視力でも判る凍土であり、打ち込む杭すら折る硬度を思わせるほど月光に濡れた氷面は谷とその内側に光る月を投影する。路傍の岩壁からは樹木が重なり合って隧道を作るように枝葉の手を結ぶ先には、蔦這い延びる城があった。傾斜路となっている谷間の道の先端に建つ。
この発見に農夫は慌てて兵を呼び出した。夜半に何事かと、睡眠を阻害された苛立ちを飲み込んで異常に駆け付けた彼等もまた、息を呑んで渓谷の内側より晒された城を目にする。呼び付けられた隊員には、西の首都に坐す神殿の如き城と、東の中枢に聳える楼閣を眺めた者さえ、口を揃えて美の賛辞を送る荘厳と神聖を内包する佇まい。
あたかも然るべき時の訪れに封印を解かれ、闇の内側から忽然と姿を現した城地。これは救世主の到来に出現したのか、或いは何らかの破滅と終焉を意味する凶兆か。この時、既に農村の全員が渓谷に寄って驚愕していた。
呪縛から解き放たれ、注視募る城の最奥には玉座がある。背後には障子のように網目の硝子張りの半楕円形の窓が設えられ、足下からは布切れの酷い襤褸の赤い絨毯が伸びている。傍に林立する支柱の氷面、埃を被り汚れた白磁の石畳の床にまで植物が生えている。
玉座の傍に在る袖机には、闇の中に目を凝らす一匹の亀が居た。枯草が映えた茶の甲羅の下に、古びて所々に傷を負う搦色の表皮。一目で判る老体に、臀部から体を癒着させて延びた黒蛇が肢体を絡み付け、束縛されているような外観である。たが、蛇体に力を込めている訳でもなく、況してや亀の頭部を噛み砕かんと襲い掛かりもしない。それは共存し、同様に夜闇が蟠る城内を見詰める。
数十年も来訪者の無い場所に谺する跫。
亀と蛇は首を擡げて前を見据え、月光を背に待つ。暗闇を叩く硬い音は確かに近付いて来る。正体が何であるか、先んじて看破した老亀は泰然と机上に立って来訪者を迎えた。
赤い絨毯に従い、玉座の前に姿を現したのは白衣の少年――木陰から獲物を狙い光る獣の目のように鋭い眼光。
「迎えに来たよ、急に居なくなるから」
「余は告げた筈だ、余の手を借りようとお前達が前進を止めぬなら、滅亡は免れんと。まさか、これまでの罪科を引責し、潔く死す為の方策でも講じるか?」
「此所に居ては、『器』に会えない。その前に天上の住人に回収される。君を火乃聿へ導くだけだよ」
少年に老亀は頭を振った。蛇は黙然と相手に視線を固定したままでいる。亀とは別に、その真意を探っているようだった。
亀は自らは動かない。
「余は己の一考で此所に居る。その危険も覚悟の上、重々承知しての待機だ」
「それでも、だ」少年が玉座に近付き、亀を持ち上げた。反対の意を述べていたが、予想外にも抵抗は無かった。抱え上げられても安静にしている。
白衣の裾を翻して、闇の中へと戻った。
来訪者が出れば城門が閉ざされる、だがまた渓谷の中に封じられる事は無い。期は満ちた、ただ正当な王の到着を待って、玉座は月光を受けながら静かに待つ。
× × ×
秋雨受けて濡れた街道を往く。
簑に身を包む行商人達の絡繹は、笠を叩いて滴り落ちた雨滴の冷たさも気にせず、泥濘にも歩を進めていた。見据える瞳は昏く、商売に懸ける気概どころか生気さえも窺えず、ただ道を往来するよう呪いを受けて死後も単調な作業を繰り返す屍じみた陰鬱さを漂わせる。
赤髭総督の膝下――火乃聿の城下町から続く街道は、関と砦を結んで続く。その威厳は周囲を圧するものであり、侵攻を仕掛けんとする反乱軍の精鋭さえも一度足を止めて固まる。何より、首都火乃聿は四方を石積みの砦に囲われた城塞都市である。過去にその堅牢な守備を破った例は無い。
色濃い曇天から猛烈に天下を叩く雷雨、轟く遠雷を背景にして照らされた楼閣から、常に赤髭総督の監視が首都全体に行き届く。戦時中であり都市内に籠る者がいたが、最近は各地で平和が現れ始めると去る雑踏の音も大きくなる。甍から滑る雨水は漸く町を出られる商人の代わりに滂沱の涙となって流れた。
滞在中、首都を訪れた商人は必然的に農作や機械工業の労働を強いられ、「西人狩り」が苛烈であった時期は町内に晒し首が見受けられる。地獄の都市と化した火乃聿を去る人々の想いは、この悪天候と違い晴々としていたが、それまでに強要された重労働に傷めた体には活気が無い。
城塞の一劃に建つ小さな駅に賑は無く、露店は閉められ、引き戸の内側から溢れた灯りの見える店内からも食器の音すら聞こえず、激しい雨音に町の存在感が掻き消されていた。人が残らず出払った廃墟に近い様相、行商人すら通らない。
赤髭の威光に照らし出されたのは人の傷ばかり。世に刻まれた戦の爪痕。常に強き国家で在ろうと努め、戦果に表出させようとした暴君に虐げられた人々のか細い訴え。本人に届いた事は無く、いつまでも痛々しく空気を荒ませる。
そんな場所に笠を被り簑を着た男。隠した体は六尺ほど上に頭頂を持つ偉丈夫であり、粗末な雨具の中では長作務衣の裾が水を滴らせた。楼閣に務める赤髭直属の兵のみが着用する珍しい装束で、この廃れた駅を歩いている。肩に乗せた一丈もする薙刀、その長物に付けられた鋭利な刃とは逆の終端には五つの遊環が揺れて鳴った。
錫杖と薙刀の外貌を併せ持つ異様な得物を手にして、男の足取りは駅の東へと進む。彼ほどの身分ならば出迎えもあって良いが、人は怯えて表に躍り出る姿は無い。無論、そんな勇敢な人物が居たとしても命乞いを待たずに処刑される――この男の手によって。
草履の裏に付着し重くなる土を壁に擦り付けて落とすと、天幕を上に張った茶屋に設置された長椅子に腰かけた。簑の紐を解き、水を払い落としてから軒から垂れる糸に結んで吊るし、笠を机に置いて雨天を振り仰ぐ。
男はそれから人の声や足の無い静寂の中に身を委ね人を待つ。遠い空の霹靂にも耳を貸さず、豪雨の中にする微かな足音を探る。知人との再会とあり、それも親しい関係とあって晴天の下を望んだが、ただ一人の心情を汲み取るほど天は優しくない。
腕を組んで俯き、瞑目したまま椅子に座していると、泥濘に足を取られて慌てた足音がした。小さく少女の悲鳴がして、そちらを振り向く。猛雨に霞む町の街路を駆ける姿を見咎めた。その影は茶屋へと飛び込んで、椅子の上に盛大な音を立てて倒れる。
その落ち着きの無さにやれやれと頭を緩やかに横へ振りながら立ち上がり、反対の長椅子に倒れた少女の簑を取って同じように糸に吊るし、肩に優しく手を添えて起き上がらせた。
振り向いた少女の碧眼は澄んでおり、この灰色の町の景観の中でも一際目立つ色彩である。後ろに結って束ねた滑らかな黒髪の尾を振って、そのあどけなさの残る面差しが男を覗く。
「久し振り――半目さん!」
「その名で呼ばれるのも久しいな――仁那」
歯を見せて無邪気に破顔する少女――仁那。茶の襟巻きに肩口から袖を断ったタートルネック、ジーンズから伸びて剥き出しの素足に草履の旅装束。町の雰囲気に合わない嬉々とした表情だった。
その笑顔にまた相貌を綻ばせる男――半目こと夜叉は、錫杖を壁に立て掛けて隣に腰掛けた。濡れた体を拭う彼女を見守り、自分も思い出して作務衣の裾を絞る。自分から排出された水量の多さに仁那が笑った。
仁那は手紙でのやり取りで花衣やカリーナと連絡をし、時期を合わせ今火乃聿に来ている。だが、それよりも先に観光を目的に町を来訪し、知己が案内役に適任だと半目に依頼した。これを快諾した彼との合流地点として、この駅を選択して茶屋を目印に来た。
二人が以前会ったのは、三ヶ月前の知荻縄での騒動であり、山道で兵士に絡まれる仁那と飯屋で居合わせたのが切っ掛けであり、その後も偶然再会して港町へ下る。偶然にも同伴を許してしまった総督の遣いと港町に隠された悪を暴き、最終的に退治を夜叉として遂行した半目が早く立ち去ってそれ以来であった。
手紙を送る際に、彼が「半目」の名を所望したのは友愛の証。夜叉としたの号よりも、友人として付けた仁那からの愛称を好んで宛先にさせたのは、男が示した好意である。
仁那は本名を知らない――「夜叉」は称号や役職名であり、「半目」は名を開示しない彼に無理矢理命名した仮の物。後者が今は定着してしまったが、真の名を聞かない、いや彼は口にもしない。
それでも案内を頼む文通が為せた驚きを素直に口にした。
「吃驚だよ、「半目さん」で送ったら本当に返答が来たんだもん。もし通じなかったらどうしようって焦ったんだけど良かった」
「西国の『魔力郵送』とは、約二〇年前の戦乱で間諜が跳梁する戦地で正確な情報を確実に届ける術として開発された。神を信仰する国家であるが故に、相手の人相を想起し己の氣で綴った宛名を揃えるだけで、誰かの仲介も要らず直接届くのを可能にした……想いの強さ、という力か。
この有能さは買われ、忽ち戦役の中では有為であり、今や戦争に限らず人々の暮らしを繋ぐ技術となっている。徴兵され戦地に赴いた尖兵とその家族、遠い僻地に待つ伴侶や友人等、それを題材にしたなかなか美しい文集もあった」
「そ、そんな過去が……知らなかった」
「総督閣下がこれに対し、益々憤慨して西の地に派遣する兵の増員を命ずる姿を傍で見ていたからな」
「その文集って、半目さん読んだの?」
「密かに持ち帰り、敵の暗号解読を目的として組織された語学に著しく優れた者に翻訳させ、後で部下に読ませた。書物を感情豊かに、抑揚で表現する事を不得手とする奴だったばかりに、この時は己の人選の悪さに頭を痛めた」
「じゃあ、今度はわっせが読んであげるね!」
「それは……また違って聞こえてくるだろうな」
半目の語る『魔力郵送』の誕生した背景、彼が視覚の疎い己の身の不都合も障害としないほど文書を嗜むという事を知って、次々と質問を投げ掛ける。これは彼を知る好機だと、身を乗り出す少女の明るさに圧され、半目は小首を傾げながらも微笑ましく思って鷹揚に応えた。
その中で半目は自身の知る相手の遍歴を訊いた。国が講じた異常な調練により、孤児院と偽装して幼児より戦線に立つことのみに存在価値を持つ兵器として育成された陰惨な過去。まだ自我の形成も済んでいない児童に、殺人をさも当然に行わせ、勝利の義務ばかりを強いる。
そんな環境から幸運にも抜け出し、今は皆を想う優しい人柄になった侠客の道を進む少女は、赤髭が数々の所業を繰り返し、硝煙と杜撰な墓標ばかりが立つ国土では眩く耀いて映る。それは盲目も同然に光を失った戦闘の鬼たる夜叉にも届く。
花衣を追跡し、立ち塞がる障害を切り捨てる殺伐とした生活、かつて捨てた筈の人の心が胸に残る先代闇人の言葉へ何処か期待し、それ故に磨耗していく精神に安らぎを与える存在。
半目は確信した、この少女こそ――……
二人の話題は絶えなかった。
出会えなかった分、その思慕は深い。仁那が火乃聿を訪れた理由を半目は知っている。それに彼女が胸を痛めている事、関係が覆し難いほど取り返しが付かないことも。
仁那は半目にとって敵対者であり、その認識に相違無い。彼がどう動くか、どちらにせよ対立するならば解答は言うまでもなく、二人の決裂を意味する。
いつか、二人の意思を確認する時が来ると判って、仁那は避け続けた。
「半目さん、家族は?」
「我々に親族は居ない。否、知らない。閣下の子飼いである身とすれば、閣下こそ敬愛すべき親なのやもしれん」
「そんなの……」
「ああ、認めよう。間違っている、是非を問う必要性も無いほどに、瞭然と判りきっている。だが、八部衆を含め部下達は過去の教育により盲目的に信じて疑わない。私がそれに気付いたのは、つい最近だ……仁那のお蔭でな」
「わっせ?」
きょとんと途方に暮れた顔の仁那に微笑む。
「以前言った通り、お前の侠客としての矜持や心構え、それらが戦傷に苦しむ人々の安らぎとなる。私が遣わした間者より聞いたのは、敵味方を問わず優しく強く在るお前の姿……私は確信した、その誰をも愛する貴さに。
だから仁那――」
半目の口が囁く。
彼の手が伸びて、仁那の手を取った。包み込む大きな手の暖かさに驚き、面を上げれば鼻先に相手の相貌が待つ。
「我が妻として、家族としてこちらへ来ないか?私の新たな光として」
その言葉に、仁那は暫く現実から意識が乖離したが、少しずつ状況を読み込んだ思考が再び彼女を茶屋の長椅子へと引き戻し、半目と正対させた。力強く結ばれた手が逃れる事を許さず、仁那は狼狽して周囲を見回す。
助け船を出す人影は無い。半目の瞳は真剣そのもの、阿りを言っているのではなく、ありのままに言にした真意だった。
仁那は再び向き直って、真剣に思考し、その頬が赤みを帯びていく。雨に濡れて冷えた体を底から熱くさせる、今までにない感覚に心臓が早鐘を打った。
「へっ?」
出された結論は無く――あまりの衝撃に対する間の抜けた声だけだった。
× × ×
仁那が半目と再会して三日後――火乃聿の関所にカリーナ一行は居た。馬車の中にカリーナを隠し、その脇を大槍を持つ勇者セラと警戒の目を光らせるミシルに護衛され、攻め難い陣形となっていた。馬の手綱を引くのは一任されたジーデスであり、己に対する差配の可笑しさに不平声を口にせぬよう努める。概ね察しが付くのは、完全にカリーナの玩具として衆目に詰襟の服を着た文官が馬車を動かす奇怪な画を見せたいのだろう。
何を言っても「そのまま行け」、「お前は馬すら扱えないのか」、「そんな度胸も無いのに元王国騎士とは笑止」という暴言ばかりが返ってくる。あのセラさえもが同情する仕打ちであった。
その後続には、首都を訪れた組織【太陽】の精鋭達である。四行の列を成して詰め寄る彼等の偉容は、周囲で商売をする者達には神々しく、希望の光の到来を示していた。中心にはカリーナ達と同じ馬車だが、乗車しているのはかの救世主「白き魔女」。全員が太陽の模様を刺繍した装束の行列の中に紛れ、仁那と別れた鈴音は、列の中を割ってカリーナの居る馬車に入る。
近衛に厳しく制止されたが、車内から顔を飄々と覗かせた本人の了承を得て乗車した。魔族の身分が広く露呈してしまえば、赤髭は南大陸と手を組み中央大陸統一を企図して参上したと喧伝し、忽ち西からの使者を弊害として仕立てあげる。単純ではあるが、戦争の脅威に怯えている国民には効果覿面の策。
車内に逃げ込んだ鈴音は、温泉郷で別れて少し時を隔てた相手と再会の握手を交わす。雨で濡れた鈴音に応じながら、手拭いを出して早速自分の手を吹くカリーナの態度に相変わらずと嘆息する。
鈴音の後に仁那が来るものかと扉を開放したままだったが、その姿が無いと悟ると颯爽と閉める。その後、鈴音を睨んで詰問した。
「おい、仁那は何処だ。私に何の連絡も無いが?」
「仁那は知り合いと観光」
「…………正気か?」
「説明が足りなかった、観光……偵察、うん、偵察」
「繕うな、お前の所為で仲間の失態が既に露見してしまったぞ」
鈴音の額に手刀を落とす。
反省の色も窺えない代わりに、どこか悲哀の色を滲ませた瞳にカリーナは事情を察した。仁那にとって火乃聿の知り合いとは一人に限定され、さらに鈴音が人を伴う彼女の独断行動を偵察と変換したのは相手の人間と出会う事を意味する。八部衆の夜叉と密会し、対立前に友人として首都を楽しむ心算なのだ。
友人との敵対がどのように厳酷であるか、カリーナは知らない。政界に友はおらず、常に山岳部より総てを外敵と見なし、国政を独りで操作するだけだった自分としては、味方など内側に引き込んだ股肱の臣と兵。巨擘とされる優太やジーデス、セラとミシル以外は信頼も薄い。
浅薄な関係だけを築いてきた自分と違い、分け隔てなく情深く接して来た仁那の心を推し量ること自体が無為。その苦痛と悲嘆に共感を示せない。
それ以上、鈴音を咎める事も出来ず車窓の外を覗いていると、扉が開いた。
今度そこに立っていたのは、黒外套の優太である。「白き魔女」の随身――その声として、手として動く彼が何の用であるかを検めるべく、車内へ招き入れる。しかし、彼は横へ首を振った。
「カリーナ様、僕はこれから別行動となります」
「斥候か?」
「いえ……北の秘境に在る里へ、隻腕のゼーダと共に」
鈴音が目を見開き、カリーナは額に手を当てた。北の秘境、そこに営まれる里は矛剴の本拠地。彼らを全滅させるまで、優太が近付きもしようとしなかったであろう土地。
「仁那といい……お前も正気か?」
頷く優太に手を振った。
「引き留めはしない。“お前”が独自で下した判断を切り捨てるのが主でも我を貫くのは前例を聞いて存じている。好きにすると良い……魔女は許したか?」
「猛反対でしたが、知りません」
朗らかな笑みで相棒の反発すら一蹴した従弟に、カリーナは笑いを隠せない。
「ふふ……では行け、ただし生還しろ」
「……では、また」
「それと、婚約者に一言ぐらい告げておけ。合流してから、まだ一度も顔合わせしていないのだろう?後続部隊に護送されている最中だ、あと半時すれば会える」
「……顔を見たら、きっと進めなくなるので」
優太は扉を閉めた。
カリーナは呆れ顔で見送った後、鈴音へと向き直る。少なからず彼の心情が判る。
戦争でただ人を狩る武器として己を鍛えた日々の中には過酷な心痛だけしかなく、常に心の拠所としていた花衣と面会した時、その決断を放棄してしまう。常に己で考え、行動してきた優太としては己の判断を捨てる行為が恐ろしいのだ。一年半の時間による隔たりが与える効果は想像を絶する、再会に大陸の命運も投げ捨てるのも否めない。
「さて、私は魔女殿にどう応対すべきか」
「笑えば緊張が解れるって聞いた」
「白壕の時よりも酷いぞ、お前。因みに誰からの入れ知恵だ?」
「幹太」
「宛にするな」
検査を終え、隊列が前進を始める。
車体が揺れ、動き出すと地響きのように雑踏が街道を埋め尽くす。高く聳り立つ市壁が近付くのを見て、鈴音が感嘆する中でカリーナは一人思案していた。優太の不在、赤髭にとっては恐怖の対象である闇人を欠いたこの現状で、対処法を如何とするか。戦力に問題は無い、彼を除いたとて揺らぎはしないだろう。
門を潜り、車窓から見える遠くに建つ楼閣を眺めてカリーナは顎に手を当てて唸る。様々な犠牲を払い、確実な勝利を導き出す為の周到な策を活かして戦役の怪物を打倒する。祖母の代から存在し、未だ命脈を保つ最大の敵の懐、それからが正念場だ。
「さあ、決着を付けようか……赤髭」
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
四章始動となりました。一章から名前と悪印象だけが続いていた赤髭総督とご対面のお話となります。徹底的な悪大官を目指して書いて行きたいです。
次回も宜しくお願い致します。




