想いを翼に乗せて
一週間の内に発生した言義の騒動は、住人の意識に深く爪痕を残す被害を出した。
街中に散乱する警邏の遺骸から成長し、「二画」の中枢を森林へと変貌させた植生の発達。崩壊寸前の時計塔を支える生命力もあり、処理が困難であるとされ、さらに奉行所は急襲を受けた損害により再起不能となった。
この首謀者となったのは、救世を成す「白き魔女」より遣わされた【太陽】の工作員である弥生。赤髭総督が秘匿する悪行の記録を暴く為、その隠蔽工作と黙認を続けた奉行所と時計塔の破壊を命じられたと供述する。回収された記録の数々を町中に伝える事で、人民の意識は少しずつ彼等を信頼する方向へと傾いていった。
何よりも、「一画」と「二画」で暗黙の了解とされていた悪辣なる警邏隊――人造人間の調達の手口も明らかとなって、口止めされていた被害者及び事実を知らなかった町人による紛糾が後を絶たなかった。
赤髭の悪政に苦しめられた者達、死した警邏を含めた犠牲者の追悼を行う儀式が言義全体で開かれ、三日間も惻々と哀訴の嗚咽に包まれる。繰り返される悲劇の数々を阻止すべく、【太陽】の構成員はこれを千極全土へと伝播させる為に破幻砂漠を超えて人員を増やし、情報を持ってを各地へと拡散した。
作戦に協力した鉄徹一味や石黒、旅人達の逃走幇助をした呑丼は無実となり釈放された。新たに組織された奉行所によって、「三画」への往来に課せられた制度を大きく改変し、旅人達の足行く先は範囲が広げる。
また勇敢なる職人の彼等が称えた優太と仁那は、暫しの間は町人達から持て囃される始末となり、何処を歩いても衆目の中心となっていたたまれず、町の復興作業を手伝った。町人からの憤懣を乗せた面罵や怒号を覚悟していた筈が、英雄と呼ばれては複雑な心境である。
祐輔の肉体を回収した月読命の行方は知れず、当面の目標として赤髭打倒を遂行した後、仁那は奪還に向けて動く方針を整えた。魂が自分の中にある以上、何らかの機会を窺って再び神族は出現する。
それまでは、いつもの旅を続けるしかない。
輸慶と詩音は、回収した記録の原物をカリーナの下に輸送する任を飛脚として承った。道中は優太が随行し、無事を確認した後に苛烈な戦地とされる鴫原にて「白き魔女」との合流を図る。千極を左右する物を運ぶ重責にやや緊張しながらも、これを率先して受けると言った詩音には以前にない自信がある。
鉄徹一味や石黒、そして呑丼は少し遅れて【太陽】に合流する手筈となった。彼等の技術力が必要とされ、職人としての気概を昂らせる。
二週間の滞在が続き、仁那も言義の学問などを堪能して、その心に静かな次への土地に馳せる想いが募り始める。いや、期間的には次が何処なのか、それはもう決定している。期待ではなく不吉な予感ばかりが胸にあった。
ヴェシュの遺体は残っておらず、彼が潜伏先として使用していた書斎には一人娘への手紙が遺され、ピュゼルに依頼し家族の下へ届けた。戦乱に死者は必須、犠牲なくして勝利は有り得ない。そんな当たり前の条理にも、だが仁那は納得出来なかった。
この戦いは必要なかった。ヴェシュの命を奪った闘争は、何の益体もない意地の張り合いの上にある。大切なモノを喪失した心痛に苛まれる人々を見ながら、次の決戦に向ける意思が固まって行く。
× × ×
「三画」――。
仁那は気紛れに「三画」へ向かう。
拳鍔刀や呑丼救出の礼を述べに向かおうと足を運ぶのは必然。前者は神族との戦闘でも大いに役立ち、後者については言わずもがな、彼が居なければ自分達は赤髭の間接的な毒牙によって死んでいた。
新たに組織された奉行所に務める者は、過去の警邏を悼む喪服のように黒い軍服となっており、こちらは表情豊かに仁那が通過すれば微笑みながら敬礼する。まだ救世主扱いに慣れない仁那としては、これに苦笑する他になかった。
祐輔本体を肉体に宿した所為か、以前より能力使用後の反動が軽微な損耗に留まっている。首に彼の体温を感じられない寂寥はあれど、その感情を察した相棒の声が脳内に響いて安堵を催す。肉体は無くとも、彼は最も仁那に近い場所に居るのだと再確認が出来る。
しかし、物理的に居なくなってからの問題は多かった。普段なら祐輔が睨みを利かせて牽制していた男は、何の憚りもなく仁那に近付いて好意を示し、食事や人気の無い場所へ誘おうとする。これを内側から見ていた祐輔の憤懣は計り知れず、人の良い仁那は何度も危険な目に遭いそうになった。無論、その度に撃退や持ち前の人誑しを以て、いつしか言義の男の界隈では崇敬の対象となる。
本人はこれを全く意図しておらず、求めてもいない物腰低く服従の意を示す男達に困惑するばかりだった。祐輔としては悪い虫がついている状態には変わり無いため、未だ不満を仁那に垂れ流している。
町並みに馴染んできたのも頃合いとあり、礼と共に出立の別れを告げようかと考えている。準備は整い、既に昇降機の前では鈴音と詩音が待つ。二人の仲は良好で、一見して美少年と美少女による恋仲と周囲からは定評があるが、どちらも同性であり友情以外の何ら感情が無いため、民衆と二人の認識に多大な齟齬が生じてしまっている。
しかし、ここで問題なのは、仁那の与り知らぬ時に何があったのか、詩音が密かに優太に想いを寄せるようになってしまい、阻害せよと痛憤の輸慶に何度も叱責を受けた。自分も最初は思わず初恋の人として優太を夢見てしまいそうになったが、きっと二人も花衣自慢を聞けば冷静になるだろう。
現に、復興作業中にも優太は自分の婚約者の自慢を惜し気なく披露し、一部の男の妄想を膨らませる大惨事となった。本人は知覚していないが、言義では「金色の娘」の噂も知っている者を中心とした新興宗教が密かに立ち上がろうとしている。町内であれだけ暴れて爪痕を残した後、これ以上ない悪影響を与えてしまっているとは、優太が自覚しない点が大いに呆れてしまう。
祐輔によれば、優太の師――暁は印象が薄い故に各地を奔走しても顔を記憶されず、事件は速やかに闇の中へと葬ってきたために本名も知られていない。それでも、何らかの不祥事で関与する事となった異性を虜にしてしまう魔性が無意識で発動しているらしく、また彼を想う女性は誰もが不幸の結末を迎える。
闇人の黒印にその効果が秘められているのかと言えばそうではなく、祐輔によると獣人族の長が秘蔵する書には代々端整な容姿で生まれ、北大陸の時では矛剴内外を問わず闇人を巡っての血生臭い闘争があったと記録されている。ひとえに、闇人が等しく背負う性なのだ。
優太が森の中で外界から隔てられ、師と花衣以外と深く関わらない生活があったからこそ、彼の鈍感は成長したのだろう。詩音、そして石黒からの思慕には欠片も気付かない。
「女の人達が可哀想、天然の女誑しだね」仁那が呟くと、脳内では「お前もな」と返ってくるが、仁那は思い当たる節がなく首を捻る。
板張りの家屋が続く街路を抜け、跳ね橋を渡って工場の建ち並ぶ区域に差し掛かり「三画」との別れを密かに胸中で告げながら、鉄徹一味と石黒が職能を活かす仕事場を訪ねた。
仁那が現れた瞬間の歓声に若干怯えていたが、彼女の性格を考慮した鉄徹一味と石黒は職人達を諫め、昇降機まで見送ると言って職場を離れた。
全員で雑談を交わし、足並みを揃えて「二画」の北側で旅人を送り出す昇降機前まで辿り着く。
「お、兄貴が居たぞ!相変わらずだな!」
鉄徹一味が指差した先に優太が立つ。
しかし、その周囲を女性が包囲していた。割烹着、学生服に身を包む多様な身分の異性から、様々な品を受け取って、篤く礼を言っている。日保ちの良い弁当を包んだ糧嚢を渡し、一部は花を贈った。優太が微笑むだけで歓喜の声が辺りを叩く。
半ば引き攣った笑顔で見守る仁那と、その人気を当然だと頷く鉄徹一味、嫉妬する石黒で一同は分かれた。彼らの存在を気取って、人の環の中心から抜け出した優太が駆け寄る。
その顔が酷く憔悴しているのを見て、仁那は憐憫を禁じ得なかった。質が悪いのは認めるが、それでも本人がそれに苦しめられている事は否定できない。
「いや、凄い応援だよ。旅立ちでこんなにお礼されたの初めてかも……鉄徹達のお蔭で」
「そりゃ何よりです、兄貴!」
「皮肉の積もりだったのに」
呆れる優太の後ろでは、詩音と鈴音が串団子を頬張っていた。この二週間、二人は飯屋の常連となって定刻には必ず入店する習慣が根付いている。それは旅立ちの日でも変わらず、数日前まであまりの美味にその飯屋秘伝の味付けを研究し、厨房で二つの影が汗を流す姿を仁那は見た。
あの鈴音までもが顔を綻ばせて堪能している。これを幹太が見ていたなら、欣喜に半狂乱と化していただろう。鮮明に思い描けた情景が酷く、仁那は頭を抱えた。首都に赴く時、彼もまた合流する約束がある。その時の爆発は想像の範疇に留まらないという強い予感が立った。
詩音がふと、一つ食した後の串団子を持って優太に歩み寄り、その口許に運ぶ。彼が振り向いて油断した瞬間に口へ入れた。その行動に仁那に留まらず、全員が驚怖に唖然とする。輸慶は嘴を開けて硬直した。
詩音からは考えられぬ積極性、それも異性を相手にした行為であり一同の驚愕は一入である。悪戯を成功させた幼児に似た無邪気な笑みを見せ、優太の反応を待っていた。
何事かと驚きながらも、咀嚼して頬を緩ませる優太は味に好感を示し、もう一つを希求する。食欲に関しては誰よりも旺盛であった。あたかも恋人が食物を共有するかのようであり、石黒が憤慨して鉄徹一味の一人を弾き飛ばして前に出る。
「優太さん、今のはボクが作ったんです。美味しいですか?」
「もっと早く知りたかった、凄く良いと思う」
「あの、詩音さん。食べ物で釣るのは良くないと思います」
「ボクは何もしてないよ。……まずは胃袋からだよね」
「き、聞こえましたよ、今!この……雄狐!」
「え、ぼ、ボクは女の子だよ!」
どちらも婚約者が居ると既知でありながらの挙止。
喧嘩を始めた二人を無感動に見ながら、優太に串団子を渋々と渡す鈴音。それを受け取って頬張る彼の横で、皿から消えた一本を惜しんで震えている。
仁那は感慨すら懐く、優太に魅了されない女性が此所に居たのだと鈴音が眩しく見えた。尤も、既に彼女の意中には別の男性が居るからこそ当然ではある。
その喧騒を尻目に、呑丼が仁那の隣に寄り添う。
「わっしが片手間で作ったモンじゃ。首が寂しそうに見えたんでな、相棒の代わりと言っては不謹慎じゃが」
呑丼が手渡したのは、茶の襟巻きだった。土汚れの目立たない色の木地を選んだ配慮を知って、仁那は思わずその老体に力強く抱き着いた。少女の華奢な肢体から発揮される予想外の力に苦悶しながら、優しく背を叩いた。
職人の中でも顔が広く、様々な現場に手をかける呑丼の多彩な技能の産物。毛織物を専門とした職人にも劣らぬ完成度があり、仁那は感動に暫く彼から離れなかった。
鈴音には自身が製作した頑丈な背嚢を贈り、そのまま「三画」へと去ろうとして、今度は鈴音に抱き着かれて捕まった。彼女としては祖父のように感じられ、いい加減鬱陶しいと払い退けることも出来ず呑丼は苦い顔をする。
別れを悲しむ雰囲気は何処かへ流れ、長引いた会話に終止符を打って、優太が最初に暇乞いを告げる。真新しい上着と褲を着衣した詩音が手を振りながら昇降機に乗る。輸慶は何故かその場に残り、仁那が差し出した腕に留まって正面から顔を覗く。
『これから多くの苦難が貴方を襲います。最後の昌了は、特にその最たる例となるでしょう。けれど、それでも挫けずに立ち向かいなさい』
「うん、友達になってくるね」
『頑固者ですから……気をつけて』
輸慶は一度羽ばたいて腕から離れると、一瞬で姿を消した。いつ見てもその瞬間移動には全員が感嘆する。友人と別れた鈴音は些か悲哀を滲ませた面持ちで、高さを稼いで行く昇降機を見送った。数少ない友人との別れ、これが訣別では無いと弁えても、やはり時間の隔たりを置くのだと思うと寂しさを隠せないのだ。
仁那は振り返って、全員に一礼した。
「今まで有り難う、また何処かで!」
「姉貴、またな!」
「仁那さん、本当に有り難うございました」
「達者でな、魔族の娘、侠客と襟巻き」
呑丼の声に、祐輔が笑う。
優太達を地上に送った空の昇降機に乗車し、朗らかに微笑む警邏が取手を捻ると扉が閉まった。仲間が眼下に広がる言義の景観の中に小さくなる。地中に入るまで手を振っている全員に、見えていないとしても仁那は同じく手を挙げて応える。
地中に入り、完全に言義の景色が遮断されると、鈴音が懐中より紙片を取り出す。紙面を展げて、何度も文を検めている。横から覗くと、顔をわずかに紅潮させて隠した。滑らかな銀髪の中から出た耳までも赤い。
仁那は正確には見えずとも、内容を概ね察した。これは幹太に向けた手紙である。語学を専門とする学術棟に鈴音が夜に籠って勉強していた事を知っていた。魔族として力の使用法には修練を積んでいたが、最低限の文字しか知らない彼女では十全に人へ文面で想いを伝える術に欠く。
受け取った幹太の反応を想像し、またしても笑った。
昇降機が地上に到着し、扉が開いて小屋を出る。外には既に配備された食料を背負う砂蜥蜴が待機し、振り返らずに跨がって砂漠へと進み出した。その足が向く先は火乃聿――赤髭総督が国の騒擾を座視する玉座の膝下である。何が潜んでいるかは、大方読めている。
剣呑な現場に臨む気構えは整えた。刺客が来ようとも、自分は挫けずに戦う決意を固める。
ふと、脳裏に夜叉――いや半目と読んで親しむ男の姿を想起する。彼は総督を守護する近衛の一人であり、仮に仁那が戦えば対立関係となる。その悲痛な事実が胸を抉る。
『テメェも手紙を書きゃ良いんだよ』
「えっ……でも、知られたら……」
『少し早く着いたら、火乃聿をただのお友達として一緒に観光出来るだろ』
「……うん、そうだね!」
祐輔の気遣いに気丈に笑ったが、やはりどうしても拭えない、堪え難い辛苦がある。
鈴音の手紙が空へと舞い、鳥形となって想い人待つ山中の里へと向かった。青空へと消えて行く紙片を、仁那と鈴音は見守る。
「そう言えば、詩音は何で倒れての?毒物も摂ってないのに、小屋の近くで」
「話によると、砂漠に生息する砂漠海月に足を触れられて、電撃で失神したって」
「へえ……そんな事があったんだ」
「全長一丈以上の巨大な海月らしい――」
鈴音の声を遮り、前景の砂から幾つもの巨大な楕円形の何かが隆起する。砂蜥蜴を急停止させた二人の前に、砂を掻き分けた触手が忍び寄る。
顔を顰めた二人は、手綱を握って旋回し、別方向へと駆けて逃げた。
× × ×
白壕――。
カリーナの下へ詩音を届けた優太は、旅館の一室へ向かった。途中で下の庭園へと降りて、取り決め通りの合図を送ると目的の扉が開く。階段を上がり、上階に着いてすぐの場所で人を待ち受けて空いた隙間に滑り込み、周辺の気配を探ってから静かに閉めた。言義で騒動を起こした身とあり、これは人伝に赤髭も聞き及んでいる。
いつ刺客が襲来するか、その時は場所や機会を問わずに訪れる。詩音については、何かの危険があった場合、輸慶という強力な護衛が居る。本来ならば自分が随伴する必要も皆無ではあったが、それでも白壕へ赴く用事があった。――否、作ったのだ。
カリーナと久々の面会がしたかったという理由は後付けであり、本来の目的は別にある。
室内に進み入ると、向こう側で一人が壁に背を預けながら待ち構えていた。面相を包帯で隠した隻腕の男が、入室した少年を迎えて顔を上げる。
「久し振りだね、ゼーダ」
「大きくなったな、優太」
応えた声に再会を喜ぶ色は無い。
何処か憐れみを含ませた低い声は、優太の耳朶を擽る。その意味を予め知っており、隻腕の男の胸中を思慮して黙った。そこから紡ぐ言葉は、どれを採っても彼の気分を損ねるばかりか、憤怒の感情を誘うだろう。
優太は杖を握り締め、真っ直ぐとゼーダを見据える。揺るぎ無い意思を示す眼差しに、包帯の中の目が微かに眇められた。彼は優太と最も交流の長い人物の一人であり、その生来の頑固さを知って諦念に長嘆する。
ゼーダは合流したい旨を優太から聞き、是手を【太陽】に預けて一人で来た。一対一での再会を希望した優太の言葉通りに旅館の一室を占めて待った。理由は既に聞いている、それがゼーダには正気を疑うものであり、問い糺して叶うならその判断を改めさせようとも考えていた。しかし、直面してその一考は消える。
優太を止めるには、自分だけでは無理なのだと。
「本当に、行く積もりか?」
「うん……僕は――矛剴の里に行く」
優太の言葉が重く一室の空気を沈鬱なものに変えた。
言義の一件で、時計塔の前庭で警邏と交戦中に現れた<印>から知ったある人物からの言伝てを聞いて、忌避する敵の郷里に踏み込む判断に至った。師や優太自身、そしてゼーダの故郷である矛剴の里へ。
“――愛する弟の優太。お前に一度矛剴を知って貰いたい。一切の手出しはしない、滞在中は純粋に我々を見て欲しい。……待っている。”
それは師の手によって連れ去られ、以来生き別れとなった双子の兄の言葉である。目的の不明な伝言に応じるか否か、一人で考えた末に出した結論は、この招待に応じる事だった。矛剴を敵視し、二度と相容れぬと断じてただ邂逅と共に果たし合うだけと諦観した怨敵。
だが、優太は矛剴のすべてを知っている訳ではない。戦争を裏で糸引く黒幕であったとしても、全員が果たして本当に無害であるか。『神を呪う』という白印の呪縛ゆえに戦う彼等の正義を見定めるべく。
本来の優太なら、にべもなく断っていた。だが、例え憎悪すべき敵であろうとも救おうとした仁那の行動に一縷の希望を懐いた。可能ならば、矛剴とも分かり合えるのではないか。同族を抹殺する未来を回避できるのなら是非もない。少なからず、自分の生家であるその一族を根絶やしにせずに済ませられる。
彼等が真に悪か正義かを判断する好機、優太は矛剴の里に向かう決断をゼーダと再会する事で改めて確かめたかった。
「ゼーダ、僕は行くよ……この目で確かめたい」
優太の決然とした声音に額に手を当てて嘆き、ゼーダは諦める。
「判った……ただし、その際は私も同伴する。案内役は、身近な人間の方が安心だろう」
ゼーダの前身は矛剴十二支の『巳』を担う透である。幼少時は周囲に厭われ、孤独に双子で過ごした過去を持つ。西国首都陥落の任務を最後に、矛剴には戦死したという事になっている。死者である筈の彼が現れた時、混乱は避けられないが、それでも優太の身の安全を確認しなくてはならない。何よりも、久々の故郷が帰還した自分の胸に如何なる情念を抱かせるか、そこに興味がある。
優太は頷いて、窓から手紙を飛ばした。
既に返信は書いていた。鴫原で合流した結を首都へと送った後、迎えの者を要求する。
「花衣には、会えないかもしれないな」
「一年以上顔を会わせていない。知荻縄でも、酷く恋しそうにしていたぞ。本当に行くのか?」
「……花衣には、総てに決着を付けて帰ると言いました。途中で放棄するなんて、きっと彼女も嫌だろうし、僕自身が後悔を残す」
「ふっ……そうだな、では約束の時にまた」
ゼーダは部屋を辞した。
取り残された優太は曇天の空を見上げ、想い人の顔を思い浮かべる。今、この胸に在る複雑な感情をどんな言の葉に乗せて伝えたら良いか、戦争で酷く磨耗した心ではわからなかった。
温泉郷に滞在する事になった詩音は、長襦袢の姿で縁側に座る。隣では身を清めて、羽毛に艶を纏った輸慶が羽を伸ばしていた。
優太との別れは惜しかったが、いつかまた会える。飛脚の職を続けていれば、あの黒衣の少年に見える事もあるだろう。その時を想像して、詩音は情けなく顔を緩ませた。
輸慶は呆れて嘆息をつき、空を見上げる。神族はまた襲撃を行う、山里に隠れた弁覩もまたその対象であり、自分も例外ではない。昌了が居る“座”――即ち、隠されたベリオン皇族の城を意味する。念話で道中繋ぐと、ある用事で外れていたが今は“座”に戻っているという。仁那という少女を待って、彼はそこに待つ所存だ。
あの娘が背負った大きな運命、過酷な現実と悪意に苦しむだろう。祐輔が居たとしても、それは決して避けられない。
「ねえ、輸慶」
『はい、どうしましたか?』
「もし、皆が辛い時や悲しい時、その心の重荷をボクらが運ぶ事は出来ないのかな」
詩音は抱いた自分の膝に顎を乗せて呟く。
その言葉を聞いて、輸慶には自身の使命を感じる。仁那が苦しい時、祐輔だけでは無理だというのなら、微力であろうとも『四片』を力の象徴ではなく友として見る彼女の心を苛む重荷を、自分が担いで助けなくてはならない。
いや、仁那に限った話ではないのだ。これから多くの人々が苦しむ、誰かに伝えられないその想いを、自分が代わりに送る事が可能だ。仁那に祐輔の魂と言葉を届けたように、詩音の苦しみを分かち合えた時と同様に。
人間と分かり合うには、仁那による変革を待つばかりではない。己で変わる努力が必要である。誰かの言葉を誰かへ伝える、その貴い作業を繰り返す事で人間の心に触れ、より深く知れるだろう。それでやはり救いようがないのなら滅ぼし、詩音や仁那と同じで友情が育めるなら進んで手を伸ばそう。
『詩音なら……いえ、“私達”なら出来ますよ』
「……うん、そうだね!」
詩音の笑顔に、言伝ての鷹は翼を畳んで微笑みを返した。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
これにて、三章は完結です。地下都市の次は、このような予定となっております。
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火乃聿舞台。
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四章『◯◯と◯◯◯◯◯』~仁那side~。
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矛剴の里が舞台。
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五章『優太と矛剴の里』~優太side~
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まだ予定なので、変更もあるかと思いますが大方の流れはこうなるかと思います。ここまで本作を読んで頂き、本当に有り難うございます。これからも楽しんで頂けるよう、精一杯努力を尽くします。
次回も宜しくお願い致します。




