砂上の雷霆(弐)/二人の運命の子
四方に鳥居の立つ不思議な空間。
仁那は周囲を見渡し、そこから先を閉ざす無窮の闇が全貌を秘匿する。東を示す鳥居の向こう側から、獣の低い唸り声が聞こえる。大気すら叩いて体が後ろへ倒されそうな圧力があった。
本来なら恐怖に近付く事さえ避けるのに、仁那の足はしぜんとそちらへ赴く。足音だけが途方もなく響き、闇の深さとこの世界の虚な空気を実感させた。この鳥居の先にも本当は何もなく、ただ自分はこれから漂泊の旅を続けて往くのではないかと不安さえ過る。
それでも足は止まらず、その鳥居の下を潜った。暗然とした闇の中に立ち止まり、上を見上げる。虚空に二つの眼が浮かんでいた、自身と同じ碧眼だが、そこに太陽に照らされた海洋に似た青さ。思わず見蕩れていると、背後の鳥居に囲われた地点にのみ灯っていた光が、次第に強くなって全景を明るく照らし出す。
目前にあった視線の正体までもが審らかになり、闇からの解放を経て命を得たとばかりに満足げな息を呼気を漏らす。匿されていたモノの全体を遂に見る事となったが、それが予想に反してあまりに大きいとあり、仁那は怖じ気半分に後退しながらさらに上を振り仰ぐ。
東の鳥居の先――そこに在ったのは、嘗て見た事も無い巨大な龍であった。翡翠の鬣を靡かせ、太く束ねた一対の長い髭に雄牛の耳、目元から下は駱駝に似ていながら口許より不釣り合いである鋭利な牙が覘く。重厚な縹色の魚鱗を纏う太い肢体をした偉容を中空に浮遊させたそれは、峻嶮たる孤峰の如く仁那を圧倒する。
照明された神々しい壮観に口を閉じて眺め入る。直視すら憚られる厳然とした姿には、自分の体に馴染んだ臭いが漂う。心底から精神が落ち着き、郷愁すら感じさせる。理性を備えた碧眼が賢しげに眇められ、矮小たる仁那を観察していた。
この強壮に怖じ気付かず、平然としている少女に興味を懐いたのか。いや、前提として両者は既知の関係である。実際にまだ認識しきれていないのは仁那だけだ。龍は静かに彼女の言葉を待つ。
いつまでも、時を忘れさせる沈黙が果てなく続くのではないか、その心配が段々と龍の胸中に浮かび上がってくる中、目の前の仁那がとうとう反応を示す第一声を口にした。
「もしかして……祐輔?」
『尺が長ぇんだよ、テメェは!!!』
四聖獣――神を四つの魂に分けた真の姿を暴露し、初めて目にする衝撃を受けた仁那を慮って辛抱して待ったが、さしもの祐輔も過剰な沈黙に叱咤する。体格が襟巻きの時とは異なり、巨峰と化したことで動作の一つ、一語にさえも風圧を伴う。正面から受けた仁那は苦笑したのも束の間、迫力に後ろへと転がった。
祐輔は嘆息して顔を上げ、別方向に視線を固定して拗ねる。確かに平生より同行に支障無い程度の大きさに留めていたが、この変容にそこまで喫驚されるのは心外だった。
仁那にとっては、元来の姿を直接目の当たりにしたのは、これが初めてであった。知荻縄の騒動で一度だけ祐輔らしき巨龍を目にした事もあったが、現在の彼はそれを些か上回る。常人の反応としては、これが正しいのだ。
相棒との合流に歓喜したが、そもそもこの場所が何処であり、何故こんな状況であるかに疑問を持つまでに長い時間は要さなかった。その質問そこ祐輔が待望していたものであり、またもあからさまな溜め息をこぼして応える。
『時計塔に行こうとした直前で月読命に捕縛された。連行される直前、辛うじて輸慶の能力で魂と八割の氣をテメェの体内に運んだ訳だ』
「月読命が来てたんだ……!え、でも魂ってどういう事?」
『逃げられねぇと悟って、肉体捨ててテメェん中に引っ越ししたって訳だ』
告げられる怒濤の事実に、仁那は混乱して相棒の言葉を反芻した。輸慶の協力の下、魂を分離させた肉体を囮に、自分の中に避難したと供述する。
そんな芸当が可能なのかどうかについては輸慶であるならば問題ない、しかし現状を正しく言い当てるならば、要するに祐輔の核は仁那の体内に在ること。そして、此所が仁那の中であるという証明だった。
云わば一心同体、一蓮托生。仁那が滅する時、祐輔の魂もまた永遠にその肉体に封印される。取り出す方法は如何様にもあれど、今相棒と肉体を共有する状態だ。
「ゆ、祐輔の肉体はどうするのさ!?」
『ンなもん、後で回収すりゃ良いだろ』
「軽い、軽いよそんな!?」
くつくつと笑って、祐輔の顔が再度下げられ、鼻先が仁那に触れる。驚いて身を固める彼女は、直近に感じる暴風も同然の鼻息に当てられ、その場に踏み堪えた。
青色の眼差しが交差する。大きさは違えど、その意思は互いに認め合う強さを有していた。可笑しくなって、両者が笑い始める。闇に囲われた孤独を忘れさせる笑声がどこまでも響き渡った。
一頻り笑い、漸く納まって仁那は顔を上げる。
「じゃあ、取り戻しに行かないとね」
『まずはあの須佐命乎とやらを片付けるか』
鳥居が崩れ、仁那と祐輔の周囲にあった景色が変貌する。二人を象徴するかの如し無窮の蒼天、鳥居の消えた地面には草原が一瞬にして生まれた。清澄な空気を運ぶ風の中に揺れるそれの中で、仁那と祐輔は前を見据える。
「やるよ、祐輔!」
『やるぞ!!』
× × ×
陽炎に歪む熱砂の地平線で、次々と地雷を作動させたような爆破が起こり、猛然と砂の柱が立ち上がって青空に手を伸ばす。輸慶が眺める砂漠の風景に現れるそれらを生み出すのは、砂上を疾駆する異色の影によって発生したもの。
全身を突風となって馳せる須佐命乎を泰然と構えて待ち、仕込の柄に手を掛ける優太。自身の脳天めがけ放たれた鉞の凶刃を最小限の動作で躱すや、その脇を通って擦れ違いざまに急所を斬る一刀を揮う。
腹部から真紅が迸り、須佐命乎は呻いて足下が蹌踉とする。主神の加護を授かりし剣の一閃は、如何に神族とて深い痛撃となる。それが邪氣を満身に纏ったとなれば、その痛みは想像を絶する。急所を何度衝かれたとて死なぬ体を持つ神族は、総身のほとんどを貫かれるか、邪氣によって心臓を穿たれるかでしか絶命しない。
故に、たとえ致命傷を何度受けても斃れず、斃れることが出来ず、強敵が相手ならばその激痛を飽くことなく繰り返し享受することになる。
須佐命乎が上空に掲げた指先に金色の氣が灯る。その背後から追撃を仕掛けんとした優太よりも先に、五指を地面に叩き付けた。彼を中心に円形に大衝撃が奔り、氣術の斥力に似た颶風で敵を弾く。
魔法や呪術と同様に人々が研鑽を積んで産み出した緻密な氣の操作ではない、出鱈目で濫用に等しい暴力。須佐命乎の周辺から砂もろとも一掃した風に圧迫され、高熱の砂を跳ねて転がる。
体勢を立て直した瞬間には、またしても鉞を頭上から振り翳す須佐命乎の影が忽然と浮かび上がった。至近距離で抜刀の予備動作にも入っていない優太には処し難い不意討ちである。やむを得ず防御に入り、その場に体の芯を据えて全力の氣術を展開する。
優太の掲げた右の掌から発せられる斥力と、須佐命乎の武力が邂逅を果たす。数寸の距離を隔てて睨み合う皮膚と刃が鎬を削る。踏み耐える二人の空間が軋み、砂の大地を強力な震動で砕く。この力業の果て、最後に立っているのはどちらか。
果たして、数瞬の間を空けて優太の体が後方へ猛然と飛んだ。彼が跳躍したのではなく、自らに反って来た斥力であった。対象を押し返そうとした力が通じずにいると、それは一転して相手の抗力とともに己に返礼される。氣術の迎撃を受けて耐え凌いだ存在は一人としていなかった――この須佐命乎を除いて。
追駆する敵影を視界の隅に捉え、優太は邪氣の拳で地面を叩いて上に跳ね上がる。上空に舞う少年を追って巨体を躍動させ、後ろに引き絞った鉞で狙いを定めた。勝利を確信した相が満悦に歪んだ。
相手が凶刃を届かせる寸陰、優太を球状に包む邪氣がそれを阻み、表面を斧や槍、刀剣や鎚とあらゆる武具に変形させる。危険を察知し、後ろへと飛び退る須佐命乎だったが、時既に遅く総てが凶弾の雨となって降り注ぐ。
「黑氣術――黒雨!」
襲来する数多の邪氣で鍛えられた魔装の凶器を、己が持ちうる技を以て弾かんと鉞を回旋して防御する。神族の得物すら悲鳴を上げ、一つをいなす度に把や刃は損耗していった。
幾度めかの攻撃を退けた時、遂に鉞は粉砕された。手中の武器が消えた途端、牙を剥いた邪氣の刃が身体中を抉り、貫通する。だが強靭過ぎる肉体はそれでも急所を撃たれる窮地を免れ、流血に白い肌を染めながらも生存した。
着地した優太が仕込を握る前に返報をしに須佐命乎が飛び出す。またしても構える前の隙を打たれたと僅かに優太は戦き、その右手を杖の柄に伸ばした。剣閃が趨るか、それとも剛拳が唸るか、一髪千鈞を引く勝負の行方を決する時の到来が訪れると、遠くから見守る輸慶は直感した。
その隣で意識を喪失していた仁那の体が動く。
両腕の傷が瞬く間に治癒し、その四肢に万力を得たかの如き活力が漲る。全身の血管を隅々まで奔走する縹色の氣が充溢し、砂漠の蒼天よりも青々とした色を帯びる竜巻が卒然と発生した。
直近の暴風に見舞われ、輸慶は空へ投げ出された。慌てて空中で旋回し、体の平衡を取り戻して竜巻を睨む。内側を見せない厚い風の壁を突き破り、稲妻が砂上を迸った。それは決着しようとしていた優太と須佐命乎の下へ行き、その間に割って入る。
空に亀裂が生まれんばかりの衝撃の炸裂。
霹靂のような轟音が地面をどよもし、音響を伴う風がまた輸慶を襲った。次々と自身に振り掛ける暴力にやや苛立ちながら、滑翔して戦場の近くへと向かう。
俯瞰すると、戦局は荒れ果てていた。
交錯するはずだった刃と拳の主は、中間地点より退けられて地面に倒れている。巻き起こる砂煙に咳き込み、砂の海から上体を引き戻す。どちらかの生命が潰える瞬間を免れた両者は、我知らず安堵の息を吐く。
一体誰が勝負を阻害したのか。須佐命乎の目が優太を庇い立つ人影を映す。
翡翠に染まり、額に一対の角を象る頭髪、左肩に波紋模様を拵えた裾の短い同色の羽織、服までもが染められ、さらに長い縹色の襟巻きをした少女が眼前に立ち塞がっていた。膝を着く須佐命乎を見下ろす。
須佐命乎は眉間に皺を寄せて唸った。姿形が少し変化しているが、相手が先程まで自身が蹂躙していた少女であると察した。再起不能に陥るまで追い詰め、止めを刺す前に妨害されたのだ。命を刈り取る機を失った後に果たした復活だが、様子が少し前と違う点を見るに更に進化して戻って来たのだろう。
「優太さん、待たせてごめん!」
「……仁那、なのか?」
自信に満ちた笑顔で振り向く少女は、間違いなく仁那その人である。
輸慶が運んだ『祐輔の魂』が仁那の肉体と順応するまで、暫く時間を稼ぐ為に優太は須佐命乎と戦っていた。頭上で不機嫌な輸慶を見るに、復活劇は些か以上に盛大だったのが頷ける。
仁那は脳内に語り掛ける相棒の声を聞いた。
『良いか仁那、今はテメェとオレ様で一つ。オレ様が力を供給し、テメェがオレ様の肉体として役を担う、判ってるな?』
「いつも一緒だったから、以前よりもこっちの方が馴染むよ」
『ケッ、下手こくんじゃねぇぞ。腐っても奴ぁ神族だ、油断すんな』
対話する仁那と祐輔の様子を見て、優太は少し憧憬の念を抱く。今は戦乱の中心に立って、組織を率いる事となった自分の相棒とは、以前と比較してあまり良好とは言えない。
冒険を愛していた彼女は、いつしか統率者としての威厳を備え、好戦的になってしまった。元より戦争を厭う優太は、いつしか心の懸隔を感じていたのだ。仁那と祐輔の関係は、そんな憂いを微塵も見せない純粋な友情で繋がっている。相棒を戦から引き戻すことを諦めた自分とは違い、どこまでも真っ直ぐな少女の眼差しが羨ましく思えた。
須佐命乎の感覚が目前の敵を危険だと叫ぶ。目の前を一つの森が、山が前進するかのような圧迫感が全身に犇々と伝わっていた。邪氣によって遅延していた回復力も通常に戻り、傷口が塞がって肌を伝う血液が蒸発する。体も十全に動く、磐石の態勢で迎撃に臨める己に戻った。
「殺し損ねた故にまた付け上がらせてしまったな。どれだけ力が増そうが、神に勝てると思うな!」
須佐命乎の体が烈風となって驀進する。
仁那は左の拳をゆっくりと腰の位置に引き絞り、右前の構えで右の掌を前に差し出す体勢で待ち受ける。発射の勢いを載せた須佐命乎の一撃を、この少女の姿は正面から受けて立つと豪語していた。あれだけ跳ね返され、その度に傷付せられる悲惨な経験をしながら、毅然と前を見据えている。
須佐命乎が右の拳を音速で放つ。常人には耐えられない速度の域を、神の肉体が猛然と走る。空気摩擦に体が火を点し、燃え上がる鉄槌を障害へと突き出す。
対する仁那は足を踏み換え、後ろに控えていた左を前に進ませると同時に、連動して腰の回転と踏み込みの力を充填させた渾身の拳撃で迎え撃つ。
接触した大小異なる拳。
その瞬間、火炎を巻いていた須佐命乎の体内の各所で骨に亀裂の入る音が鳴り響いた。その異常に意識を向けるよりも先に、今度は腕の肉が指先から解けるように塵になって消える。驚愕に目を剥いた時、肩部を少女の拳から走った雷に打たれた。右の上半身を損壊させ、後ろへと後退する。
威力が以前と……いや、自分と比べても桁違いだ。格段に腕力が増し、付加された雷は天災のものに近い。神の力の一端、その総てを掌握した仁那の自信に満ちた一撃に怯む。
刹那の戦慄を恥じて、須佐命乎は負けじと鉞で斬り掛かった。仁那は腰から拳鍔刀を引き抜いて、受け止める。刃が祐輔の氣を纏い、青く変色した。
須佐命乎は再び、仁那の武器と接触した事で鉞を介して伝わる電撃に片腕も焼かれた。皮膚を焦がし、蒸気を上げながら後ろへと大きく飛び退こうとして、右半身が重く地面に沈んだ。突然の加重に驚いて振り向くと、肉を失った部分から樹木が生い茂る。自分の体を媒体として成長し、巨大な高木へと成長した。
『オレ様の氣は雷と木の属性を司る。『助勢』の能力で、貴様の体は良い土壌になったぜ!』
「続けて行くよ、祐輔!」
仁那が両手を前に翳すと、襟巻きの裾が龍の頭部に変形し、前に顔を向けて手元に顎を乗せる。開いた口腔に縹色の氣が集中し、精密な操作によって球体へと形を定める。
樹幹から体を引き抜こうとする須佐命乎に、その球体から一条の光線が放出された。必中不可避、何者にも止められない雷の疾走の如き速度でまだ胴と木が連結した部分を穿孔する。須佐命乎の地点が爆発し、さらに光線が続いた行く先で光の柱が天を突く。
もはや山を崩す威力に唖然とする優太と、祐輔と完全に共鳴したからこそ為せるのだと、どこか自慢気に笑う輸慶。砂煙の中から転がって地面に仰臥する須佐命乎は、再生した左腕で損傷した脇腹を押さえて仁那を見る。
この時、初めて少女を取るに足らぬ下等生物ではなく、絶対的な脅威として認めた。
× × ×
「優太さん!」
突然呼ばれて驚いた優太は、仁那の声に肩を跳ねさせる。背を向けながら立つ少女の背から、その先の言葉を察した。今こそ畳み掛けて、須佐命乎を倒す時なのだと。
優太は彼女の隣へと歩む。目元から漆黒の線が伸びて「隈取」が顔に現れ、顔面を除く体を闇色の邪氣が包み込む。両目を開き、杖の鞘を上に放り投げた。輸慶が掴み取ったのを認めると、仁那の傍で抜き身の仕込を敵影に翳す。
須佐命乎は自身に手傷を追わせた少年少女を前に、全身を再生させるとともに大きく膨張させた。白い肌は内出血でも出来たかのように赤黒くなり、羽衣を千切って脱ぎ去る。
神族の美貌を捨てて、本気で正対する姿だった。
これは一種の敬意を表した意思表示であり、そして見た者を例外なく滅亡させるという示威行為でもある。誰よりも誇り高い神の血統は、たとえ何があろうとも下界の生物に敗北を認めてはならない。
神を脅かす不穏分子二体を前にし、その全力を披瀝せざるを得なかった。これは敵を追い詰めたという吉報となり、二人は口許に不敵な笑みを湛える。
「優太さん、次こそ決めるよ」
「今度こそ仕留める」
二人の姿が須佐命乎の眼前から消え去り、左右から挟撃を仕掛ける。漆黒の刀閃と縹色の拳撃が重なる一点は、力強くそれを弾く。幾度となく、三本の線は縦横無尽に砂上を疾走し、火花を散らして地形を変える。
仁那を蹴り飛ばした次に、優太によって仕込を逆手持ちにした拳で顔面を殴打されて宙を舞い、両足で地面を強く踏んで着地する。痛みに呻きながら再び前を向くと、今度は仁那の蹴撃を側頭部に受けて砂煙を轟然と裂いて飛ぶ。追走する二人と拳足を衝突させた。
もはや常人には残像しか見えない電光石火の出来事。視線だけでは、首を回すだけでは追い付かない。奇跡の力を身に宿した人間と神による死闘の顛末は、彼等と感覚を共有する他に見える者はいない。
輸慶は、数十年前に自身の前を訪れた予言者を思い出す。この二人の実力を束ねても、月読命と須佐命乎を加えても足許にすら届かない闇と力を携えた男の姿である。祐輔が認め、弁覩が尊敬し、昌了が主と定めた存在が遺した希望。これから来るであろう世界の苦難を打ち砕く鋭鋒。
この二人の戦いを最後まで見逃すまいと、祐輔は刮目する。
邪氣の剣に斬られ、春雷の拳に鼻面を叩打されて砂丘に頭から突っ込む。あまりの威力に形を崩した山は、砂の瀑布となって須佐命乎を流し潰す。
二人が吐息を漏らして残心する。まだ終わりではない、手応えがはっきりのその事実を物語っていた。それを証明するかの如く、熱砂の滝から飛沫を上げて上空に飛び出した須佐命乎は、一振りの大太刀を頭上に掲げている。勇猛な姿が太陽を背景にし、二人に威光を示しているかようであった。
「我が草那藝之大刀による渾身の一太刀で決着させよう!!」
鍔の部分から颶風を巻き、砂漠の大気を震撼させる。ガフマンでも完全に相殺できなかった強力無比の一刀。天上からの裁きとも言えるそれを手に揮り、須佐命乎は仮借なき猛威を振るう。
見上げた仁那は、その掌中に半径一尺ほどの氣の球体を作り出した。先程よりも大きいが、あれを弾き返せるほどの威力は望めない。方向を逸らす程度の抵抗が出来るかどうか、もし可能だったとしても余波で負傷は必至。
苦い顔の仁那の傍から、優太がその球体に手を添えた。四枚の花弁を模した邪氣がそれを包装して蕾となる。条理を逸する神威の一撃を閉じ込めた闇を、二人で須佐命乎へと向ける。
「仁那、準備は出来た?」
「うん、合体技ってヤツだね!」
須佐命乎の剣氣が太く空に延びていく。鋒は遥か上、砂漠が無事で済むかも疑わしき威容だった。血の一滴までも注いだような攻撃、それを前にして自分達の持つ黒い球体は頼りない。
だが、二人の胸には勝利を目指す志の炎は消えていなかった。
「終わりだ――草那藝之大刀ッ!!」
「はああああ――――――ッ!!」
烈帛の気合いで叱咤し、振り下ろされた神の裁定に手中で未開の蕾を解き放つ。上空へと上昇した黒い滴が破幻砂漠を両断せん長大さと濃密な氣を集束させた光に触れる。
この光帯の熱量――幾ら邪氣とて弾き返せはしない。拮抗せずに須佐命乎の勝利を告げる大地の悲鳴が空を震わせる。絶対の確信を胸に太刀を握る手に力を入れた。全力を消尽して迎え撃った強敵の散り際を華やかに、盛大に彩るべく前に出る。
だが、この時点で既に須佐命乎が予想だにしていない事態が起きていた。
漆黒の蕾は破壊されないどころか、須佐命乎の一撃を吸収して膨張している。許容量を超えている筈が、どこまでも大きく肥大化していた。地下の言義や何もかもを破断させようとしていた刀閃は、次第に小さくなって行く。
それに気付いた須佐命乎が見た時は、蕾の大きさは山に匹敵するまでに成長を遂げていた。空へ掲げた優太の右手と仁那の左手に押され、蕾は須佐命乎へと力を増して前進する。
「黑氣術――黒百合・開花!!」
優太の合図と共に、花弁が開く。
すると、内側に秘められていた仁那の氣が以前とは比較にならない大きさで出現した。開放と同時に須佐命乎を襲い、遥か彼方の空へと彼を伴って何処までも飛行する。
優太の邪氣によって須佐命乎の氣を奪い、吸収した分を内側へと供給する。闇人が元来氣術師の中でも特異と云われた氣の与奪を応用したものだった。須佐命乎がどれだけの攻撃を放とうと、それを己の力に還元して放つ。実質仁那の力を強化するだけの補助ではあるが、それでも必要不可欠である。
二人の一撃を受け、大気圏を轟然と上昇した須佐命乎の行方を見守る二人の頭上に拡がる蒼窮が、一瞬にして閃光に染まった。太陽さえ塗り潰してしまう強い光。
その時――中央大陸の半分を灰塵にしてしまうかのような氣の破裂が上空で発生した。これは遠方の地である西国の民も目にした光景となる。
光が消滅して暫し、二人はその場に腰を下ろした。さしもの須佐命乎も、あれを受けて生きてはいまい。そう感じた時、全身が脱力した。臀部を炙る砂の熱さも忘れて休憩する。
輸慶は足に掴んでいた鞘を持ち主の手元に落とすと、仁那の肩に留まった。抜き身の仕込を納める優太の傍で、仁那が高らかに大笑する。
「あ、疲れちゃった、もう無理!動けない!」
「僕も同じく……少し戦闘は無理かな」
二人が疲労で同時に項垂れると、黒貌が解除され、仁那の体も通常の状態に戻った。輸慶は彼らを労るように、慣れない手つきで両翼を広げて二人の頭部を撫でる。その感触と、輸慶のぎこちない動作に笑みを隠す。
仁那は左手の刻印に触れた。
『一件落着だな、最初にしちゃ上出来だ』
「わっせ、もう働きたくない」
『まだ仕事は残ってんぞ』
「うん、そうだね」
仁那が振り向くと、会話が聞こえていないはずの優太が頷いた。
「輸慶、僕らを言義へ」
『言われなくてもそうしますよ、無礼者』
「笑ってたの気付いてたんだ……」
『見えていないとでも?これだから人間は醜い。……でも、素晴らしかったですよ、貴方達の奮闘、そして本気は称賛に値します』
輸慶が二人を言義に転送した。
互いを信頼していたからこそ勝利を獲得できた。その友情と絆を知って、輸慶は人間に対する認識を改める。たとえ人間が二人のようであると一概に言えなくとも、きっとそうなっていく。この二人を中心に、世界は変わるのだと。
景色が変転し、言義に着いたのだと二人は喜んで――蒼褪めた。
町を見下ろす高度に居る。その事実に気付いた時、体は重力に従って下降を始めた。
『さあ、もう一仕事ですよ』
『仁那、サボんじゃねぇぞ』
「え、ちょっ――」
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
ぶっ続けで書ききると、精神が……。私も画面と死闘を繰り広げたので、執筆後はリラックスに散歩でもしようかと思います。
次回も宜しくお願い致します。




