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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
三章:詩音と言伝ての鳳
174/302

戦慄の時計塔(壱)/第三の花弁



 矛剴一族は劣勢にあり、是が非でも打開策を講じたい所存であった。

 しかし、度重なる妨害と不測の事態で悉く作戦は無に帰す。東国の秘境より、誰よりも神々を憎悪する彼等でさえも、天に祈るような思いで挽回の時を待つ。軽視していた障害に阻まれ、不覚の逸機に喘ぐ。己の不始末に斯くもここまで苦しめられたことは無かった。

 西国首都陥落はあえなく惨敗、周辺に点在していた基地も壊滅し、千極の港町で交渉相手としていた魔族が一掃され、白壕で港との連絡用に置いていた九尾狐も立て続けに戦死。

 当初の強敵は、西方の山頂に座すカルデラ、その当主と浅からぬ縁を結んだ二代に亘る闇人と見なしていた。何れ前者は処理し、後者は誘惑を続けて懐柔すれば物事の運びも重畳、北で沈黙を守る神族へ中央大陸勢力を統率しての全面戦争が仕掛けられる。如何に主神直系の血族であろうとも致命傷は必至だ。

 しかし、卒然と弊害(イレギュラー)が現れ、カルデラ一族や闇人に比類するまでの勢力に擡頭した。

 まずは早々に一人を回収し、後は処分する時を待つばかりだった皇族末裔の長女たる花衣である。周囲が強靭な輪で固められていたというのもあるが、当時の作戦では闇人を此方側に引き入れる為の道具としていたが生き残り、あまつさえ闇人の精神的支柱になってしまった。その後も攻め倦ねて、結果的に赤髭にそちらを委任して一年以上も決着がつかずにいる。

 次に「白き魔女」――七年前に殲滅した獣人族にして、既に絶命したと思われていた当代の魔術師。まさか南方にある炭鉱の町に生き延びているとは予想だにせず、さらに運命の導きか森を出たばかりの闇人に遭遇した。

 一度は拉致もしたが強く拘束する都度、劣勢を覆して成長する。既にその膝下に夥しい員数、そして奇々怪々とした能力などを備えた強力な軍団を組織した一国に匹敵する王にまで巨大化した。ある意味では、カルデラ以上の難敵だ。

 最後に、魔王の後継者、そして彼女と結託した一人の存在。何としても魔族との交渉に必須事項である鈴音の身柄を確保し、協力者の少女は性格が純粋であるという事から一年半前の闇人同様に懐柔する手に回る。少女は紛れもなく対神族兵器としての役割を充分に果たすだろう。それだけの急成長と意志を持っている。

 その手法の是非は問わない、手に入れるなら尊厳を踏み躙ってでも手を伸ばす。矛剴当主を務める少年の覚悟に、一切の澱みはなかった。その魔手は、侠客仁那とその相棒祐輔へと静かに足音を忍ばせて近付いている。


「さあ、おいで――仁那。俺が本当の平和へと、君を導いてあげよう」


 盤面に乗せた駒を眺め下ろす少年の瞳は琥珀色、妖しげに眇めれば内側で日暮を思わせる輝きを孕む。頭巾に陣羽織の仕込み杖を持つ髑髏、杖を携える長衣を着た単眼の男、天秤を両手で支える聖女の駒、一対の角と牙を持つ獣、そして王冠の駒と神官の駒。そして三頭六腕で四本それぞれに宝玉、そして残る両手で矛を掲げた怪異な姿の駒がある。

 その対面には烏、小人、様々な種類の立ち並ぶ中でも優美な装束に複眼をした貴人の駒が中央に据えられていた。その中間でさ迷うのは、衣裳の軍師と全身を武装した異様な外形の駒。

 少年は盤上からそれら総てを腕で無造作に薙ぎ払った。


「最後に悲願を成し遂げるのは、この矛剴だ」






  ×       ×        ×




 時計塔の前庭を包む空気は静寂に染まり、呼吸の音が微かに耳朶を打つ。荒れた石畳の地面に沈む黒装束の上に立つ仁那と、交戦中であった鈴音の前に立って小太刀を緩慢な動作で手に執る優太。鞘と刀身が擦れる音が緊張感をより一層高めていた。仁那も笑顔を消して、腰元の拳鍔刀に手を伸ばす。

 矛剴の最強一角とされる『丑』の銘を戴いた卓は、目前に出現した少年に目を奪われた。

 深い黒の隈を目元に抱える眉目秀麗な少年。黒一色の単衣と裁付袴に足袋、茶の半外套を腰巻きとした装いに黒檀の鞘に納めた小太刀を帯びる。匿した右目と対になる琥珀の瞳は、修羅場を知る強者の余裕があった。

 小太刀の刀身を半分だけ覗かせた状態で手を止め、その眼差しは卓を中心として広く前景を見渡している。後ろに目があるかの如く、背後で時計塔に埋もれる<印>の構成員に対する警戒も欠いていない。

 卓は総毛立ってしまうような敵意を自分に向ける彼こそ、一族の裏切り者によって育成され、今や対立勢力でも最も矛剴が警戒する人物の一人――当代闇人の優太であると了解した。神樹の森に隠居した先代闇人の頃より話は聞いていたが、通称を【梟】とする通りだった。

 着地から、半足踏み出した動作にまで物音を立てず、全景を見回し静謐の空気を纏って狙いを定める姿は、樹上から総てを透視する森の賢者と称えられた猛禽の名を体現している。

 卓は恍惚とした表情で、前方に撞木足で泰然と立ち構える少年を観察した。前矛剴当主の拓真に似て冷徹な雰囲気を持ち、その奥に仲間に気を配る優しい心を隠している。

 実力は無類の刺客と称されるに相応しい位階に到達しているという風聞、姑息な手など一切抜いた尋常な勝負でも遺憾無く実力を発揮できるだろう。容易に間合いに踏み込めば、こちらの首が瞬刻の間に転がっている。身の躱しが誰よりも達者である故に、重量のある剣破鬼を扱う卓に勝機はない。距離を保って、常に氣術や部下の連携でしか攻められない。

 だが、注意すべきは少年だけではない。

 背後で仲間を踏みながら、こちらを厳しく睨め付ける少女の異様な氣の波動に冷たい汗が絶えない。空気中に伝播する圧倒的な氣を体内で大量に含有する姿は、特殊な姿を象っている。

 一つに結い束ねた後れ毛の毛先へと向くに連れて薔薇色から始まり冴え冴えとした群青色である。皮膚を除き、眼や髪を金色に染めており、炎のように緋色に染まった服から氣が揺れ立つ。草履の踵には朱の氣で形成された蹴爪が付いている。左腕の唐草模様と肩の波紋模様も同色である――あれが力の根源か、と卓は左手の刻印を見る。

 その人の手には余る代物を苦悶の片鱗すら見せぬ顔で扱っている。『四片』に会う機会の無かった卓にとっては、この凄まじい迫力は未経験であった。あたかも少女自体が小山ほどの巨躯を持つ怪獣であり、今にも噛み付かんと牙をちらつかせているように見える。

 正面からの衝突を避けなくてはならない。実戦で培った卓の直感が危険信号を訴えている。何者かは判る、以前から矛剴の中でも議題とされていた少女。『侠客の仁那、侮るべからず』という注意があった。

 カリーナ・カルデラの肝煎りである刺客優太と侠客仁那、両者に前後を挟まれた事態はあまり芳しくない。戦力比としては、数はこちらが優れど質では心細い。鈴音との戦闘から続いて現在の損耗は二人、一撃を受けて昏倒している。

 撤退という英断こそ一団の統率者として正しいが、犠牲を伴ってなお任務遂行を果たせなかった失態を持ち帰る無様を晒す恥は堪え難い。退路は見えるが、聳える敵に先は暗影ばかり。


「初めまして、貴方が優太くんね?」


 冷然とした眼差しだけを返す優太。同族としての挨拶を黙殺され、内心微かに頬が引き攣る思いであった。一切の懐柔の余地なく、この少年は心底から矛剴への敵意を懐いている。確かに生まれ故郷を知らず、邂逅の度に諍うばかりの相手など信ずるに足らないのは自明。

 少年の目的が自分とその婚約者、そして大陸を常に脅かす矛剴一族を根絶やしにすることだとは織り込み済みであった。これでは交渉での和解など最初から儚い希望である。

 卓は足許に剣破鬼を突き立て、柄頭に座った。器用に平衡を保ち、薄笑いを浮かべたまま少年を見据える。十七年の年月を経て現れた『拓真の遺産』、その実像を前にして心の内側に感動があった。嘗てないほどに矛剴の侵略を押し進め、神族復讐まであと一歩まで追い詰めた救世主の実子。

 成長するに連れ、その相貌が彼に似てくるのもまた彼を慕っていた者としては懐旧を禁じ得ない。誕生して間もなく、母の顔を記憶することも許されずに里から収奪された。惜しむらくはその精神、先代闇人の教育によって残酷な暗殺の徒としての技能を練磨している。


「貴方と魔女が殺した『巳』の双子、彼等の失敗から私達は暫く不自由になってしまったわ。勿論、まだ手が無い訳でもなかったけれど。赤髭という戦乱の火種はまだ存在してる、私達が有効活用すれば容易く戦火は大陸西端まで及ぶでしょうね」


「わっせ達がそうはさせない!」


 背後から叱咤する仁那を一瞥した。

 特異な能力を体得し、人と神の域を彷徨する肉体の氣の流れは分析が難しい。全身から強大な波動を発するため、此方から氣術で介入するのも不可能である。その絡操(からくり)を大方理解した。まるで原子炉のごとく、体内で新たに氣を生産しているのだ。不完全でも神に近付いた――それも、神族などではなく主神の分散した肉体から抽出された氣そのものを宿したために、世界を循環するモノの源泉となっている。

 だが、そんな尋常一様ではない異能も、その分負荷は大きい。せいぜい短期決戦でしか望めないのだろう。


「詩音と鈴音、此所は僕らが引き受ける。君達は時計塔内部へ、中へは誰一人として入れないから構わず行け」


「二人で大丈夫?」


「問題ないよ、仁那はそう倒される訳がない。それに――<印>の処理は、得意だから」


 優太の炯眼が卓に照準を定めた。

 三人の<印>が両手に刀を提げて直進する。腰をその場で低く落とし、迎撃態勢を作った。鈴音を背に庇いながらの挟撃に、それでも焦燥すら顔に滲ませず対する。

 最初に攻撃に出たのは正面から一人が短剣を投擲し、手に握り締めたもう一振りで逆袈裟切りを仕掛ける。優太の動体視力と体捌きなら回避も可能だが、後ろの鈴音には自分で遮られて見えていない。

 飛来する短剣の把を掴んで止めると、相手に背を向けたまま屈み込む。後頭部で突進しながら突きを放った相手の刃が空を切る音を感じる。上体を戻さずにその体勢で相手の得物を操る手元を踵で蹴り上げた。打撃を受けて指の力が弛緩し、手を離れて短剣が上へと撥ね上がる。

 優太は小さく飛んで宙で翻身し、引き戻した足を今度は体の勢いを乗せたまま敵の首を側方から打ち抜く。回し蹴りを顎に受けて脳震盪を起こして転倒しかかったところへ、小太刀の刃で頸動脈に切れ込みを入れる。

 頽れた場所から血溜まりを作って沈黙する仲間の亡骸を見詰める二人に、先程弾き上げた短剣を落下途中に飛び上がって空中で前転し、踵で柄頭を蹴り下ろす。次の手に出ようと踏み込んだ一人の眉間に、足で蹴り飛ばされた仲間の武器が命中した。

 卓は足許に倒れ込んだ部下に苦い顔をする。瞬く間に二人を屠られた、その事実が完成するまでの所要時間は僅か三秒程度だ。ただの力業ではなく、徹頭徹尾が技巧のみで為されたこと。胸の内側から感慨の熱が急激に冷めてゆき、目の前にあるのが恩人の息子ではなく殺人機械なのだと知る。

 <印>の死体が転がる間隙を優太が音もなく馳せる。直線軌道を描き中空を滑空している鷹のように感じる速度である。まさしく梟の異称が定着したのは、この姿なのだろう。剣破鬼を振り上げ、彼が踏み込む瞬間を狙い打って振り下ろす。ただの刀剣では斃せまい、卓の手元に大気中から氣が集中する。


「氣巧法――氣巧閃(きこうせん)ッ!」


 (つむじかぜ)を巻いて優太の頭上から落ちるのは、氣を纏った剣破鬼。不可視の氣が刀身を中心として丸太のように太く束ねられ、凄まじい重量を載せて標的を圧殺する為だけに練り上げられた。体感としては一辺一丈をした立方体の鉄塊を打ち付ける物に等しい。

 優太は敵の初動と周囲の氣の流れから先読みし、初見である氣巧閃の全貌を察知した。その威力と攻撃範囲を想定し、直撃すれば致死すると判断しても足を止めず間合いに入る。小太刀を横薙ぎに一閃するが、一瞬早く卓は後ろへ飛び退いていたため回避された。それでもまだ氣巧閃は速度を緩めず落ちてくる。


氣展法(きてんほう)――空氣圧縮」


 優太が頭上に掲げた手で拳を作ると、氣巧閃の猛威が前庭全体を震撼させる金属の大絶叫を鳴らし、絶対的な抵抗感を卓の手元に伝えて中途で静止する。氣術師でも不可解な現象に目を瞠って固まり、少年の方を振り向く。拳固を挙げた体勢で小太刀の刃先を卓の喉元を刳る。

 辛うじて反り身になって回避したが、浅く切られた首から鮮血が迸り、喉の奥から競り上がって吐血が唇を洗う。剣破鬼を引き戻して数歩退いた場所で膝を着き、喀血混じりに(しわぶ)く。

 睨め下ろす優太の小太刀には僅かな血すら付着していない。手にする武器と同じような剣呑な輝きを目に宿して歩み寄る影に卓の全身を恐怖が駆け巡る。自分は世辞でも矛剴十二支の中では強くない。これほどの強者は今は亡き『巳』の双子と『酉』の大翔(タイガ)に匹濤する力量だった。

 卓は剣破鬼が阻まれた現象の実態を探る。大気中に己の氣を同化させてみれば、優太の頭上で円形に凝固した氣の団塊を探知した。一切の塵すら遮断する稠密な盾である。

 優太の編み出した氣巧法とは異なる技――氣展法。自身が触れた物体を媒体と集中力を両立させて発動条件を充たす氣巧法とは趣を異にする。氣術の中に元来ある認識能力の拡大を応用し、直径十丈の範囲に存在する総ての氣に干渉する。本来は物体を核としなければ形も維持できない氣巧法を、斥力や浮力を作動させるのと同様に自由に自然界で行う――氣巧法の上位交換のようなもの。

 例として、今回の優太が駆使したのは、触れてもいない大気中の氣を繊細に感知し、圧縮させて威力絶大な氣巧法に防御した。『巳』の透が使用していた氣巧牙も実際は此方側に近い。

 戦場での経験と氣術の才を以て開花させた技である。ただの甘い子供ではない、正真正銘の戦士だった。

 眼前で動けなくなった『丑』の卓へと小太刀を振り翳す。

 卓は死を覚悟して瞑目した、優太の流儀ならば痛みも与えずに迅速な絶命を為す。この思考ももうすぐに途絶える筈だった。

 頭上で金属音が鳴る、刃同士が互いに削り合った火花が卓の髪を焦がした。顔を上げて振り仰ぐと、優太の小太刀と卓の間に拳鍔刀で割り込んだ仁那が居た。いつ接近したのかさえ知覚できない速度で来たのか、彼女を中心に遅れて旋風が逆巻く。

 彼女へと二人は怪訝な視線を投げ掛けた。


「止めないでくれ、仁那」


「捕縛すれば情報が聞き出せると思う、それに地位も高そうだし、生かした方が有益だと思う」


「矛剴は油断ならない。即刻始末するのが原則だ、その油断がいずれ大切な者を失う要因、或いは遠因となって後にも影響を及ぼすんだ」


 後顧の憂いを断つならば、容赦はせず即座に処すべし。優太に一切の譲歩はない。

 仁那は喉が焼けて乾く感覚に唾を飲む。

 直近で感じる優太の殺意が並大抵のものではない、警邏に対し放っていた牽制と威圧という目的を逸した、私怨で敵を狩る復讐者の意思。仲間である筈なのに、仁那でさえ恐怖に体の芯が竦む。

 優太が後ろを顧みると、詩音めがけて短剣を五指の間に持って投擲に備えている<印>の一員を捉えた。優太が後ろ手に振った動作に従い氣展法で形成した盾が回転し、空気を切り裂いて標的へと向かう。

 短剣が放たれた瞬間、<印>の男は体を縦に寸断された。

 血飛沫舞う光景に戦慄して逃げる隙を失った詩音の前に、緋色の閃光が奔る。瞬間移動した仁那の背から純粋な氣で構成された雄大な翼が現れ、内側へ折り畳むように詩音を包む。悪意を乗せて投じられた凶刃を受け止め、払い落とす。


「あ、有り難う……」


「いや、良いよ。二人は早く時計塔に、此所はわっせと……優太さんに任せて」


 おずおずと頷いて、詩音は走って鈴音の傍に立つ。<印>の妨害が消え、二人は怯えて腰を抜かした番兵の横を通過し、時計塔の大扉を潜って中へ入った。

 仁那は前庭に残された死体を見遣ってから、優太へと振り向く。冷徹な少年に気圧されぬよう身を引き締め、卓との間にまた立ちはだかる。花衣から聞いていた印象と違う――いや、これが彼女の知らない戦闘体制の彼なのか、矛剴に限定して向けられる敵意なのか。


「優太さん、取り敢えず彼等が時計塔を狙う理由を訊こう。先を急いで大事な部分を見逃したら勿体無いよ」


「僕は敵側に寝返った仲間は攻撃せず、救い出すということを志している。分かり合えるなら、その機会を逃さないよう努めてきた。

 でも彼等は、僕と会う度に仲間を虐げ、殺し、奪ってきた。もう言葉も不必要なんだよ」


 優太が指を横へ振った途端、<印>の男を両断した氣が旋回し、仁那の背後に踞った卓に切りかかる。


「生かすだけ無駄なんだ。彼等の所為で戦争が始まった、その過ちを飽くことなく繰り返す亡者なんだ」


「くっ……!」


 仁那が背後に展開した翼が円形の刃を受け止める。激しい氣の衝突に、身を震わせるような怪音が耳を劈く。耐え抗い、自分の所業を咎める仲間の姿に嘆息する。花衣を一度は利用し、大陸を地獄に堕とした害悪への処断を妨害することは、仲間であっても看過はしない。


「仁那、いい加減に――!」


 言葉の途中で、優太は何かの気配を察して飛び退いた。仁那は翼を手を握るように氣の刃を包んで潰す。多少体を揺さぶる衝撃を伴ったが、氣展法の脅威を殺した。安堵した仁那だったが、頭上から夥しい矢が飛来していることを察し、慌てて卓を抱き寄せて能力を発動する。

 上空へと転移した。過去位置の地面に刺さる矢の数々を優雅に俯瞰する。輸慶の能力による恩恵で、空中移動も可能であった。詩音の助太刀に入る前、天井間際に輸慶と共に転移にした際、落下地点を詩音と敵の間に調整すべく発動し、その時に特性を心得た。

 咄嗟の行動であったが、成功した事に安心しながら、眼下にある前庭に募り始めた敵影に苦笑を浮かべる。


「やっとご登場だね……」






  ×       ×       ×




 前庭へと収斂するのは、出動した警邏の輪。

 一人ひとりが密集し、整列して強固な陣形を展開した彼等の視線は優太――ではなく、その背後にある時計塔に集中している。意図を察知した優太は、大扉前の段差に立って全員を睥睨した。彼等の狙いは予想に違わず、赤髭総督秘蔵の書庫の死守だ。

 この様子を見ると、赤髭総督の命令がまだ処分は済んでいないのだと推測できる。妨害はあったが、詩音達の任務もまだ手遅れではない。一刻を争う事態ではあるが、救いのある情報にはなった。尤も、優太は皮肉にもその間、赤髭総督の隠蔽した事実が保管される時計塔を彼等から守らなくてはならない。

 敵の数は百を優に上回る。全員が槍を装備しており、小太刀の優太では間合いでも不利がある。無傷でやり過ごすには至難の窮地。仁那が両翼を拡げると、羽の一枚が騒めき膨らんだ。脇に抱えられた卓は傷を手で押さえながら、羽毛の擦れる音にただ身を固める。

 少女がその気になれば、いつでも自分を始末できる。この翼の音は何か、確かめようにも傷口が広がってしまうため上を向くことも苦しい。


「『日輪の羽』――!!」


 仁那が翼で羽ばたくと、一斉掃射された羽が波紋模様に落ちた凶器の降雨となって警邏を襲う。被弾者がいないよう調節した放擲は、地面に着弾すると火炎を撒き散らして石畳を爆発させる。爆風や熱に煽られて倒れる警邏を優太は観察した。

 この威力なら被弾した瞬間に即死する。敢えて狙いを逸らした、彼女は一体なにを調べる積もりなのか。

 大概の敵が倒れると、次々とその体を踏んで後輪が前庭へと詰め寄る。輸慶の能力を解いて、地面に着地した仁那は次に縹色の花弁を輝かせて、祐輔の能力を身に纏う。卓へと屈んで、その喉元に手を押し当てた。

 優太には理解できない奇妙な氣の行使で、傷口が光を帯びて修復していく。見て判る速度での治癒、痛みが引いていく感覚でそれを知った卓も瞠目していた。

 祐輔の能力『助勢』による掩護で、自然治癒力を増幅させたのだ。優太としては怨敵を回復させる少女の行動に不満を隠せないが、今は警邏の方が脅威でありそちらに意識を向ける。


「仁那、助けたってそんなのは……」


「現状を覆すには、もう一人必要でしょ?」


「……嘘だろう、まさか<印>に協力を乞うの?」


 仁那は卓の両手を握り、真剣な眼差しで覗き込む。


「お願いします、私達に協力して下さい。……あの、お仲間を死なせておいてですけど、少なくとも今は私達に協力した方が安全だと思うけど。……あれ、これってお願いっていうより、脅迫になってない?」


 一人で混乱し始めた仁那に、卓はしばし呆然としてから間を置いて笑う。敵に協力を申し出る精神、自分達が原因で戦争が始まり、また少女も被害者でありながらそれでも頼る。一種の狂行と揶揄できるかもしれないが、実際に相対している卓には狂いも迷いもない純粋な意思を感じる。

 前庭に取り残された剣破鬼が独りでに地面から浮き、回転しながら高々と伸ばした卓の手中に収まった。優太の横に立ち、警邏を眺め遣る。


「私も時計塔に用があるの、奴等に来られちゃ大変だわ。……言っておくけど、既に仲間は「二画」に大勢居る、油断しないことね、仁那ちゃん」


「ありがとう!」


「もう理解不能だよ、仁那もこいつも」


 嘆く優太の側で構える二人は、走り出した警邏に向けて自分達も飛び出す。氣術と剣破鬼を駆使して前衛を争闘していく卓と、雷光を迸らせて広範囲に攻撃を放つ仁那、敵側に死傷者が出ないよう手加減している。

 優太は敵陣の真っ只中で、倒れていた警邏が次々と立ち上がるのを見た。爆撃で致命傷を負いながら、苦悶も窺わせぬ無表情で立つ姿に違和感がさらに強くなる。

 ふと、警邏の一体の千切れた腕から血管ではない太い管が垂れているのを発見した。筋肉の筋が辛うじて繋がっているのではなく、加工された人工物である。血に濡れてまだ判じ難いが、優太は間違いなく彼等が人間でないことを確信する。


「仁那、ソイツらは人間じゃない!」


「え、じゃあ魔物!?」


「いや……信じられないけど、これは……人形という線が正しいのか」


 立ち止まった仁那を背後から切ろうとする警邏を氣術で斥ける卓。一礼して感謝する仁那に気さくに笑って次の獲物へと躍りかかった。仁那の持つ異様な性質は以前から聞いていたが、優太にはやはり理解の及ばないものである。

 一時的な休戦協定とはいえ、こうも親しげなのは不可解だ。敵を油断させる演技と言われても納得の困難な様相である。

 優太は呆れ笑いをこぼし、段差を駆け上がってくる警邏の首を刎ねる。損傷があっても動くのなら、脳と体を分離させてしまえば良い。生命力の強い魔物や魔族でなければ、大概はこれで沈静化できる筈だ。

 卓が優太の側まで戻って来た。返り血で濡れた黒の上着を脱ぎ捨てた軽装になり、剣破鬼で自分の体を支えているほど疲労していた。傷の急激な回復ではあったが、自然治癒力を高めた故の結果であり、実際は大きく体力を消耗している。仁那の氣はあくまで、卓の身体機能を増幅しただけであり、快癒するまでの間に消費したのは自分自身の氣だ。

 肩で呼吸をし、その顔は心なしか蒼白である。


「埒が空かないわよ、これ」


「……もう良いや、仕方がない」


 優太が優しく卓の肩に右手を置く。

 黒印が形を崩して腕全体に広がり、大気の氣を吸収する。何をする積もりかも振り向く卓の体に、活力が戻り始めた。優太の右腕を介して氣が内側へと注入されている。

 闇人が持つ、『氣の与奪』を行使して卓の体を復調させていた。疲労感が引いていくと、倦怠感も同時に抜ける。

 活力を取り戻した卓は、優太の両肩に手を置く。喜びに戯れてくる彼を鬱陶しいと払い退けて敵を狩る。


「もう、優太ちゃんったら!でも許しちゃう!」


「変な事したら、また喉を裂くからね」


 変態的な所業に至る前に釘を刺しておく。

 睨んだ優太の視線も、だが卓は照れ隠しなのだと感じて微風のように受け流した。


「敵や貴方の仲間が入らないよう、扉を閉めるの手伝って下さい」


「お願いね、お姉さんも了解よ」


「男でしょうが」


「でも、此所のは人力で閉まるのかしら。跳ね橋のように、機械があるのでなくて?」


「それは事前調査が出来てる!」


 優太は大扉の脇にある壁面から突出した木製の突起を氣術で下げる。遠雷のような音と共に、両の扉が震動した。


「あとはこれを人力で押すだけだ」


「えぇ……自動じゃないのね。最後は結局人の力なの、便利じゃないわ」


 優太は右、卓は左の扉を氣術によって操作し、およそ片方に十数人を動員して閉める扉を一気に動かす。仁那が敵を止めている間に、大扉が重厚な音を立てて完全に合わされ、文字通り外部からの侵入に戸を立てる。

 作業を終えた二人は武器を改めて構えた。

 仁那はまだ動ける、仮に反動に苦しむなら優太の力で回復も可能だ。こちらには数の不利を押し返すだけの戦力が付いている。


「卓さん、貴方の増援はいつ来るんですか」


「知らないわ、奴等は別の任務よ」


「何ですか、それ」


「それは――」


 卓の言葉は優太に届かなかった。

 前庭で戦う仁那の姿が、突如として空から墜落してきた紺色の流星によって消される。地面を捲り上げて爆風が周囲を掃った。飛来する瓦礫をすべて避けて、二人は土煙に隠された前庭に飛び降りて彼女を探す。

 何があったのか、二人は解らなかった。


「仁那、何処にいる!?」


「此所だ」


 応答を求めて叫んだ優太に応えた声は、まったくの別人である。低く野太い、相手を圧する威厳に満ちた声だ。

 その方向に振り向いた優太の視界に、鉞を振りかぶった羽衣の巨人が忽然と現れる。卓がそれを捉えて悲鳴に似た叫びを上げる。


「優太ちゃん!!」


「――もう遅い」


 凶刃の光が閃く。






アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


――現状――

時計塔内部→鈴音と詩音

時計塔外部→優太・仁那・卓VS警邏・??

基地に向け→弥生・ピュゼル・鉄徹一味・石黒



ご覧の通り、解決まで凄く長くなりそうですが、お付き合い頂ければ嬉しいです。

次回も宜しくお願い致します。



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