罪人は踊り舞う
祐輔には判らなかった。
愛する者が望む世界の形を求め、自らを走狗とし戦場を東西奔走する闇人・暁の真意は旅に随行した長い年月でも解き明かせなかったのである。ただ一人の娘に、どうしてそこまで執着するのか。特別な出自の所為で人が普通に得る愛や幸せを貴く思い、それを自分には不相応と拒絶する姿が矛盾している。
せめて主に仕える者として、傍に居るだけで満足する男の心を量れなかった。もしかすると、闇人は矛剴の中から生まれ、誰よりも愛情に飢えているのかもしれない。だからこそ、幼き頃より感情を殺し、機械として修練する。愛情深い故に、その愛で世界を滅ぼしかねないのだ。
確かに、主を伊耶那岐以外に定め、何よりも規格外な邪氣を幼少期から内包する時点で異例ではあったが、それでも納得はできない。一人の娘に拘泥する意が到底知れなかった。
不可解な暁の心理に、疑問を呈した祐輔は実際に彼に訊ねた。あまりに素朴、けれど余人には共感も難しい暁の精神について踏み込む。
“――視えなかったからだ。”
『……あ?』
感情に乏しい暁も、何か含みのある神妙な面持ちで虚空を見上げたまま語る。
“――僕はどうしても視えなかったんだ、彼女の未来が。その謎を解明しようと接する内に、己の内側が酷く惹かれていった。……度し難いほどに、何時しか彼女を欲するようになった。”
暁が左の長い前髪を掻き上げ、一度だけ瞬きをすると双眸が真紅の輝きを帯びる。神秘を孕んだ眼差しは、前景を見ながら後々体験する先の時間の景観を目視した。対象が人であれ、自然であれ、物体であっても望んだ結果を先んじて視覚する能力。
暁は古くから、闇人でも限られた少数しか開眼し得なかった『千里眼』を、幼き日から使い熟している。それも発現初期から、己の生の範疇を超えた時間の現象さえ把握する。悉く、すべてに於いて万物を超越する才に満ちた生命体でありながら、彼でも見透かせなかった存在がいる。
希望通りの未来は抵抗感なく、先読みなど容易であった。だがどれも心を惹かず、寧ろ本来ならば目の当たりにしない凄惨な出来事を当事者も同然に感知する能力を厭わしく思っている。そんな中に現れた女性――響だけが、色褪せずに映った。
響は今目の前にしかない、いつその命が潰えるか、あたたかい微笑みが死によって失われる恐怖が自分を襲うことも予測不能であり、暁はどうしても彼女から目を逸らせない。
此処にしかない――それが何よりも、総てを手に入れることの可能な暁でさえ、渇望しても届かない。
“――響を愛している、ただそれだけだ。そんな彼女が望むのなら、目前の世界すら破壊してみせる。その障害が同族、友人、親であっても……。”
『あの小娘を見たが、オレ様は世界平和なんぞより、テメェとの幸せな暮らしを夢想してる感じだがな』
暁の両目が琥珀色に戻る。美しくも、あえかな哀しみを湛えた瞳を瞼に隠して、顔を片手で覆う。悲嘆や絶望に近い表情を浮かべているのを、祐輔は知っているのだ。彼がこれほど動揺する事など、恐らく数世紀の間隔に訪れる天変地異ほど稀少である。
祐輔も自分の言葉を反芻して、悲しい解答に辿り着く。そんな当たり前の事が無理だという、無類の刺客とまで慴れられた暁の不器用さ。戦では無敵であろうと、常人に可能である営みも至難おする。
“――響が欲しい、でも無理だ。彼女に尽くすには、“俺”は武力しか持ち合わせていない……。せめて安らかに、彼女を戦場から遠ざける為にも、この選択肢しか持ち合わせない。
彼女が世界を愛するなら、神だって殺してやる。”
『……やっぱ、オレ様には理解できんな』
暁は大切な彼女を、鮮血に濡れた戦地より守るべく戦っている。それしか出来ないと、また不器用に立ち回っていた。
彼が恐れるのは、大切な者との訣別。響が彼を捨てる決断をしたならば、それは暁という人間の生を終わらせるのと同意義である。
文字通り、身を切る思い――祐輔には、自分にそんな感覚があるとは全く思っていなかった。体験する筈もないと、そう信じて。
× × ×
言義の昇降機周辺に展開された周密な警備は、旅人達に無言の圧力を与えていた。発端である数名による影響で、滞在中であるすべての旅人が被疑者である。謂われなき容疑を被り厳しい検査を経ても、まだ信頼なく街路のそこかしこから受ける疑惑の視線に辟易していた。
警邏の意思を感じさせない色の無い瞳、注視すれば同じ相貌が写し絵の如く並び立っている。その事実に気付く者は少なく、ただ漠然と愚痴を口にし、顔で嫌悪を顕にして斜視するのみ。その間も、警邏は淡々と絡繹を眺める。およそ人間性が欠如した人形に等しい。
昇降機から出て言義を見回す新たな旅人は、降車と共に警邏によって包囲され、即座に検査が始まる。この待遇に不満の色を見せながら、渋々と従う様子を飯屋の外に列べられた長椅子に腰掛けて詩音と鈴音が遠目に見守った。半外套を着込んで面相を隠し、大胆に「二画」の北側――言義の警戒網が最も密度のある場所で串団子を食べる。
疲弊していた初日も、鈴音とこの位置で食事をしていた。無論、その後に輸慶の襲来で落ち着く暇は無く、間髪入れず追手の執拗な攻撃による余波で「二画」での生活はより困難になり折角帰還した故郷も味気無い。
跳ね橋が損壊したことで、鈴音の能力で急成長させた植物を利用し、この場も目撃されていないかと警戒を怠らずに「二画」へ渡った。証拠の回収は、再び彼女の能力によって颯爽と済んだ。先程まで急激な速度で大きくなった樹木も、すぐに木枯らしの風に吹かれたように萎びれ川へと落下してしまった。
不思議な能力を前に驚愕の余韻に打たれながら、二人で言義の中枢付近に腰を下ろしている。
よもや殺伐とした雰囲気に染まった言義で、これで何事もなく済むと思う警邏ではない。今も街路の奥から優太や仁那が姿を見せないかと目を光らせている。個々の戦闘力では敵わずとも、多勢の利を活かした戦法で少なくともあの二人を相手に戦線を維持するだけの連携力があった。
主な戦闘を単騎で行うだけの強大な力を有していながら周囲の協力を必須とする二人の姿勢は、詩音には不可解であってとても輝いて見える。自分を守るだけの能力があれば、怯えずに日々の安寧を築ける筈だ。他人の為に自らを犠牲にしようとは考えない。
それがどれほど無意味で危険かを弁えているのに、二人に憧れてしまう。やはり、自分の意志を貫いた背中に魅了されてしまったのだと詩音は苦笑する。
頭上の天井付近では輸慶が滞空し、「二画」の俯瞰図を脳内に記憶している。祐輔の姿は見受けられない。詩音に危険が及べば、直ぐ様救出可能な距離であり、学生や警邏の認識の外である領域に留まっている。初日に鈴音を射抜いた凶悪無比な緋色の風の照準は、既に詩音周辺の敵に定められた。万が一の場合にも早急に処し遂せる。
先程の旅人が検査を終え、黒い外套を羽織り直して歩く。学生の怪訝な視線を受けて顔を嫌そうに歪めながら、その足取りは「二画」中央付近にある時計塔を目指す。
腰に無数の脇差しを帯びた黒装束、全員が黒髪に浅黒い肌、それぞれ顔立ちは似ているが言義警邏ほど酷似している訳ではなく、兄弟での旅行なのだと見える。先頭を引率するのは口許を襟巻きに隠し、深く被った帽子が目元付近まで覆っていた。実質、詩音が認められたのは外気に晒された鼻と頬のみである。その人物だけ、刻刻した刃が先端部で半円形をした歪な刀を背負う。
仁那とは違い、そこに人目を引き付けてしまう傷痕でもあるのだろう。過去の証が痛々しく刻印された醜貌と自分で感じ、隠している。だが、今の彼等はどうあっても衆目を集める立場にある。町の現状がそうさせているとあって、詩音は当事者として責任感に内心で彼等へと謝罪する。
万事解決を目指した行動を心掛けるが、過程ではどうしようもなく言義への損害は免れない。その追及を詩音は確りと受け止める所存だ。何故なら、今回の敵ははっきりとした像を持たない。諸悪の根源が赤髭である以上、この言義で起こる出来事は救世の一端ではなく、ただの事故となる。「白き魔女」や「金色の娘」、カルデラ一族が首都に集結し決着させるまで、詩音達の行いが正義と称される日は来ない。
隣では鈴音が先程の一行を注視している。団子を咥えながら、訝る眼差しが絶えることはない。あの異様な背剣、それだけが鈴音の意識を引いているのではなく、その遣い手から感じる何かに感覚を研ぎ澄ましていた。
歩き去って行く姿を見届けた、鈴音の表情からまだ疑念の色は取り除かれていない。
「鈴音さん、どうしたの?」
「似てる」
「え、知り合いに?」
「……そんなところ」
再び鈴音は手元だけを動かし始めた。
まだ四日程度の付き合いだからこそ当然だが、彼女の表情は希薄である。故に場を和ませる為に吐いた冗談も、真顔の所為で違う意味を伴ってしまい、時折その周りを凍てつかせてしまう事も多々あった、鈴音の諧謔であるというのは、本人の補足や説明が後で付けられるか、部屋の隅で恥ずかしそうに踞る時に気付く。
言義では最も多くの時間を共有している彼女が友人と思っている。だが、そんな鈴音でも自分の正体を知れば……
仲間や輸慶からの失望、それが最も恐ろしい。どこまでも自分は脆弱な存在で、だからこそ誰かに依存したくなる。この状況下で精神的支柱である皆からの失意や負の感情に相当するものを向けられた際、自我を保っていられる自信など無い。
だからこそ、自分にも自信が身に付けられるように、この争いに参戦する。これは初めて己で降した決断、例え如何なる恐怖と相対する事になろうとも取り下げず、一歩も退かずに戦う。
ただその信念を曲げてしまった時、それ以降は二度と自分で行動する事など無駄として諦めてしまうだろう。
もうその怯懦に負ける訳にはいかない。優太や仁那と同じように、自分に打ち克つ力と心を手に入れる。総てを跳ね返す強靭さでなくても良い、総てを受け止める柔軟性も要らない、ただ詩音を詩音たらしめるものを見付けたい。この気概が光を失い、二度と己の中で眠つまてしまう前に。
緊張と不安が綯い混ぜとなって悲壮な顔の詩音は深呼吸をする。地下の冷気が胸の辺りに蟠る不安を雪ぐように感じた。
その胸中を察して鈴音が天井を見上げながら独り言のように話した。
「詩音は一人じゃない、私や輸慶……皆がいる。だから、不安にならなくて良い」
「うん、有り難う」
「私達は友達、だから……偽らずに話して」
鈴音の言葉に息を飲む。誰も直截的に訊ねなかった部分に触れた言葉だった。反応を窺って相貌に嵌め込まれた金の宝玉の如き両の眼に詩音を映す。
心の奥底まで引き込まれてしまいそうな美しさに、詩音は完全に硬直してしまった。
「詩音が故郷で何があったか知らない。でも、それが理由で性別を偽ってるのは判るし、『学院』を見て怯えてるのも」
「……え、ボクが女性だって気付いてたの?」
「だって可愛いから。それに、いつも胸元が苦しそうだった」
詩音はさっと自分の体を抱く。
赤面して俯く彼――否、彼女は首元まで隠すよう日頃から綺麗に正した袷の襟を掴んで体を小さくする。素直な賛嘆と自分の嘘が露呈していた事実に対する羞恥心で、耳まで発火する勢いで赤い。実は中では着痩せする仁那と違い、服の上からでも体の線が浮き出てしまうため晒を巻いている。その部分さえ隠し果せれば、男だと辛うじて通用する。
周囲には悟られていないと安堵していたが、鈴音には前々から看破されていたのだ。今まで男で通してきた身としては、忸怩たる感情が胸の内で逆巻く。
恥ではないと言いたげな優しい眼差しの鈴音の態度が、尚のこと詩音の胸に突き刺さる。
「……他に誰か気付いてた?」
「仲間の内では、同性は察して口を閉じてる。男達は信じてるみたい」
「ああ、だから鉄徹さんが凄く馴れ馴れしかったんだ……」
詩音はここ数日の記憶を遡る。
食事の用意をしていると、優太が何気なく手伝う時に手が触れ合って胸が一瞬跳ねて顔が熱くなるけれど、相手は何ら反応を見せない(優太の場合は、一般男性の例に該当しない場合もある)。鉄徹一味の勧誘を受け、何故か仁義や男の浪漫について夜な夜な語り合う会に無理矢理参加させられたりと酷く迷惑した。その時、大抵女性陣が自分を救うべく立ち上がって、暫し輸慶や祐輔を除き男女交戦状態となる。
自分が思っている以上に、みんなは自分に付いて気付いてくれている。意識を向けている。そう感じると、心強くなった。
「判った、有りのままで鈴音と話すよ」
「うん」
鈴音の微笑に、詩音も笑って応えた。
× × ×
優太が危惧する通り、刺客は既に言義に紛れ込んでいた。無論、それを誰もまだ認識していない。故に全員はまだ戦闘体制ではなく、輸慶もまた眼下の二人が仲良く飯屋の一画で食事する姿を微笑ましく眺め下ろしていた。問題の敵は乱入が予想される神族、または八咫烏とは違うモノ。
凶刃に映す殺意の影は、強かに獲物の血を吸う機を窺って息を潜めている。背筋に電流が走った感覚に、鈴音は気配を感じ取って周囲の警戒を強くした。何度も命を脅かされる経験を得て、誰よりも速やかに看取する術を磨いたのだ。
漸く打ち解けた詩音の笑顔を傍らに置き、どの角度から敵襲があるかと目を奔らせる。頭上の輸慶も、忙しない鈴音の所作を見咎めて、意味するところを察すると天井から索敵した。
文字通り鷹の目となる輸慶には、言義の全景が見える。その視力は砂粒をばら撒いた程度にしか見えない矮小な人間でさえも、艶に濡れた頭髪の一房や肌に浮いた汗の一粒まで視認する。弁覩ほど対象の心理、真贋を見抜くほどの特殊能力は無くとも、充分に強力な観察眼であった。
鈴音達を中心に探る輸慶の視線が張る警戒の網に反応する者はいない。害意はその外、或いは鈴音が微かな違和感を敵の気配の僅かな手懸かりと錯覚してか。だが、輸慶の胸にも後者である可能性は限りなく低く、脳内で喧しく鳴る警鐘が躙り寄る危険の存在を訴えていた。
結局、数分を経過しても近辺で大きな変化は見当たらない。鈴音は少しまだ違和感を残しながら、杞憂なのだと己を納得させて再び串団子に手を付ける。皿の上にあった物は、すでに半分以上を詩音が腹に収めている。人が危険に冷や汗を掻いている間、味を堪能していた彼女が恨めしく思える。
二人で平らげた皿を片付け、昇降機付近から離れる。最後に『学院』の警備体制を確認してから、実行の合図を送る。昇降機は単なる脱出経路に必要な判断材料。事が済めば、優太達は早急に言義を去る魂胆であり、その為の食糧や砂蜥蜴の用意も完了済み。あとは戦場となる時計塔の状況把握さえ終われば、惑う必要もなく赤髭秘蔵の資料を奪取するだけだ。
鈴音も緊張の色を相貌に滲ませる。
何故だろう、小さく胸の中にある痼のような違和感が、次第に大きく肥大化していく。接近するに連れて仰ぎ見る時計塔の高さがより天井を目指して伸びるほど、背中を撫でる冷たい汗が出る。
自分達の道程が険しく、生半可なものではないとはすでに弁えた理だ。だが、鈴音の危機感は既知のモノであり、最も恐怖した例に近い。
故郷の大陸を出て、この地に移り住んでから常に背後から忍び寄る影――過去の復讐に囚われた咎人の怨念が醸し出す殺気だ。それが自身に向けられていないとしても、脊髄を刺激して危険信号が指先の震えとして現れる。
「……詩音、周囲に気を配って。変に見回したりせず、感覚を鋭くしていつでも構えられるように」
「え、ま、まさか赤髭総督の……?」
「判らない。いや……でも、これは……」
曖昧な鈴音に小首を傾げた詩音は、未だ彼女と同じように危険の大小について悟っていなかった。それは同じく輸慶もだ、彼女の警戒心の度合いに比較すれば、まだ天井から俯瞰するその目にも余裕がある。
時計塔の前庭に出た二人は、学生が往来する波の中に目を凝らす。何処かに脅威がある、その漠然とした、しかし鈴音の経験則から語っても確かであるその意味を疑わずに詩音と共に探した。
ふと、先程の黒装束の面々が時計塔前で番兵と揉め合っている様子を認めて、詩音は何気無くそちらに気を取られた。学生服に槍を持つ番兵は鷹揚な応対をするが、慇懃に、しかし頑固な姿勢で何かを頼む彼等へ流石に眉を寄せて難色を示す。
互いに譲らぬ不毛な交渉が続き、平行線を辿る作業に飽いたのか、黒装束が身を翻した。番兵が退いた難敵に安堵すると、詩音も事の始終を見守っていたため自然と胸を撫で下ろす。たまに道行く先で執拗に詰めてくる商売人や兵士の対応が如何に難しいかを識っているからこその共感。
しかし、その安心感も直ぐ恐怖一色に塗り替えられた。
詩音が再び時計塔前から目を離そうと首を巡らした刹那、番兵の一人の首が宙へと舞う。赤く小さな花弁を散らして飛んで、弧を描きながら学生の波の中へと落下する。唖然とする詩音が硬直して十秒経つか否かの間隔が経過して、前庭を揺るがす悲鳴が響いた。
鈴音が振り向くと、ある物体を中心に学生達が後退する。自然とその場に円が生まれ、中点には冑の奥より目を見開いたまま絶命した番兵の惨たらしい頭部。無造作に転がり、断面から小さく流血が床に染み出す。
鈴音が頭上高く手を挙げた。
これは敵襲の合図――即ち、赤髭の刺客か神族関連者の介入を報せる動作であると同時に、やむを得ず作戦を始動する伝言。
輸慶はそれを見て体を急旋回させると、「一画」の方角へと滑空する。彼の役目は伝令、仲間へとこの情報を報告すべく常に詩音達の頭上に待機していた。
「詩音、もうやるよ」
「ええっ!?」
「良くも悪くも、この機会に便乗しないと拙い」
山刀を鞘から抜き、前へと飛び出す。混乱し四方八方へ逃げ惑う学生は、誰一人として肩を触れあわせず狭い間隙を風の如く疾駆した鈴音の存在を知覚していない。もはや初動すら見えず、あっという間に姿を見失い、恐慌にその場を右往左往する。
もう一人の番兵が仲間を討たれた衝撃に未だ事の次第を理解できず、呆然と立ち尽くしていた。その背後から刃物を振り翳した黒装束にも気付いていない。
鈴音は二人の間へと滑り込み、横合いから逆手に山刀を握り込んだ拳で顎を狙う。威力としては脳震盪を充分に引き起こす、躱わそうと身を後ろへと反らしても山刀が顎を切り裂ける。
しかし、今度は別の黒装束が短剣で鈴音の山刀を受け止め、拳が顎に到達する寸前で制止された。攻撃対象とされた黒装束は、振り翳した手を止めない。最初から鈴音など眼中にない、仲間が止められるという確信がある。
番兵の片割れが斃される前に、鈴音は振り上げた足で短剣を持つ黒装束の胴を蹴った。腹腔を拡張し洞を作らんばかりの強打に後方へと飛んで、番兵をいざ仕留めんと動いた仲間と絡み合って転倒する。辛うじて阻止に成功し、黒装束から庇う位置に仁王立ちする。
人数は六人、全員が同じ外貌をしている。いや、特筆すべきは泰然と武器を構えずに鈴音を睨む黒帽子の男、深く被って隠れてはいるが、奥から殺意を帯びた鋭い視線を向けていた。あの特徴的な武器を背負った男だ。
「貴方達は何者で、何故に『学院』を狙う?」
「…………我々の言葉は剣、和解は無く、事を成立させるのに流血を必須とする」
怪剣の男が襟巻きを取り払う。
鈴音は晒された彼の口許に身を固めた。畏怖の感情に凝然と立ち尽くす。相手の唇の下に刻まれた、白い蛇と短刀の模様――いや、烙印だ。
黒装束全員が服の一部を剥ぐと、そこには同様の『白印』が刻まれている。部位はそれぞれ異なるが、禍々しいそれはどれも鈴音の目に焼き付く。
「……まさか……」
「我々は<印>、お久し振りですね魔王の後継者」
丁寧な挨拶、だが声音には悪意が込められている。それが鈴音の鼓膜の内側で、冷たい響きをもって体の芯を凍てつかせる。
いま眼前に居るのは、鈴音が恐れ逃げ続けた敵にして、あのガフマンをも一度は脅かした神代より続く武術に秀逸し、さらにあの『業』の一角を担う血族――<印>を名告る矛剴一族の刺客であった。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
明日も頑張って更新します!
次回も宜しくお願い致します。




