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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
三章:詩音と言伝ての鳳
163/302

梟は舞い降りて



 夜の破幻砂漠に漂う空気は澄みわたっていた。

 空に浮かぶ星は、それこそ砂漠から天上へとばら蒔いた砂粒が月光を慎ましくも逞しく跳ね返したような輝きがある。初冬の山巓からしか見られず、人々が足を運んで一時だけ現実を忘れさせる美しさが空を彩っていた。

 最も強く光を宿し帯状に群を成して空を流れる場所は、闇夜を浄めんという宝石を介して射す光に似る。湿度が低く、街頭など無い荒涼たる土地だからこそ拝見できるのだ。破幻砂漠の星空は、道程の苦難を忘れさせる貴さがあった。

 夜の砂丘から身を躍らせて、砂煙を小さく上げながら斜面を跳ねて降りた少年は、片手を腰紐に差した小太刀の柄頭に手を置いて押さえ、丘の麓まで行く。

 目指す先である下では、静寂の中で孤独に待機していた箱橇がある。言義に入る前に救助した人間の所有物だ。いや、飛脚なのだから他人の物資を運搬しているので、正確には全く他人の物。

 横木に飛び乗って、中身を検める事から始めた。少年は救助の際から漠然と違和感を抱き、現物を再度前にしてその正体に納得した。

 この破幻砂漠を渡らせ、言義へと届けるにはあまりに大荷物である。一般的な飛脚は雑嚢や、背負子に載る量しか動かせない。それは無論、飛脚が人であり、自身の足で輸送するからだ。これはあたかも、飛脚の死を承知で積まれた荷物。

 今度は荷台から水で満たされた瓢箪を手に取る。栓を抜いて臭いを嗅ぐと、明らかな異臭がする。これは水が腐っての事ではない、刺激臭を発する露骨な毒だった。これでは水分補給もしない――恐らく、時持ちの水筒で此所まで粘ったのだろう。これには何かが仕込まれている。

 飛脚を追い詰める荷の量と質、そこに隠された貴重とされる「黒い箱」。依頼主は何を企んでいたのか、少年にも概ね察しが付いた。


「あの人の言っていた通りか……急いで回収しないと」


 中を確認すると、既に「黒い箱」と思しき物体は見当たらなかった。既に依頼主と結託した何者かによって奪い去られた後だったのかもしれない。

 少年が箱橇から飛び降りると、夜空に銀の光を閃かせて矢が飛来する。後方へ向かって猛然と倒立背転を繰り返し、その場から離脱した。矢が届かない距離に立ち、砂漠の地平線に視線を巡らせる。

 あまり遠くない砂丘の上に、矢を矧いだ集団が居た。次々と点火した矢を放っては番えて、容赦なく少年ではなく箱橇を狙う。盗賊にしては行動が不可解、少年には彼等が証拠隠滅に現れた人物だと感じた。

 少年は前傾姿勢で低く、素早く走って集団に肉薄すると、瞬く間に全員の弓矢を抜き放った小太刀で取り上げた。慄然とする全員の中から適当に一人を選び、喉元に刃先を突き付ける。


「応えろ、「黒い箱」は何処だ?」


 少年の声が低く重たく、砂漠の夜に染み渡る。

 集団の全員が四十がらみの男でありながら、この若者を前にして恐怖に身動ぎすら忘れてしまっていた。少年が武器を翳して脅している者以外も、見えない凶器が己の心臓に触れるか否かの距離で待機している感覚がして身震いする。

 場を制し、空気を凍てつかせる少年に対して、喉元の凶刃に冷や汗を流しながら男が訴える。


「ち、違う……お、俺達は箱を燃やすように命じられただけで……!」


「箱の破壊……?」


「し、仕事は終わった。もう遅いぞ、あれを見ろ!」


 少年はちらりと後ろを見遣った。

 箱橇は発光し、横木から荷物まで猛火に包まれている。恐らく止めるまでもなく全焼してしまう。確かに今さら止めたところで無為だ。

 集団は箱の破壊を企んだ。即ち、現在彼らが少年より先んじて回収を済ませてはいないということ。ならば、箱の所在はまた別にあるのだ。

 これは想定していなかった。

 少年が目を離している隙に、全員が砂蜥蜴を置き去りに駆け出す。恐怖にただただ逃げ惑っているようで、散り散りの状態であった。その必死さを見て長嘆の息を洩らした後、小太刀を納刀して荷物に向き直ると、箱橇の火炎を背景に中空に佇む鳥影が浮かんでいる。


「ただの魔物……では無さそうだね」


『初めてお目にかかります。私は輸慶、貴方の師とは浅からぬ因縁のある者』


「何か用?」


『私は貴方が救助した人間と懇意にさせて貰っています。もし、連れて行って貰えれば、「黒い箱」の行方を開示します』


「君が隠した?」


『いえ、私ではない部外者です。それは地下の町に居ます。……どうでしょう?』


「わかった」


 少年が同行を認めると、鷹は宙で旋回してから緩やかな弧を描きつつ肩に降りた。爪を立てず器用に掴まると、後は我が物顔で胸を張って周囲を見回している。

 人語を操る動物、魔物とも判じ難い生物に戸惑いながら、少年は町へ向けて戻った。





  ×       ×       ×





 「三画」――南部。


 町全体に掛けて、南部は断崖絶壁となっている。(おばしま)が設けられた先は、川の合流する貯水地となっており、砂漠の地層の下に脈々と流れる地下水の集合ばである。とはいえ、逃れる先が無い為に水量が過分に滞っては衛生面でも非常に悪いと考えられ、当時滞在していた魔導師の協力を得て南部の“天井”に穿った孔に続く水道管があり、内部では揚水機と呼ばれる自動で汲み上げなどを行う機械仕掛けの道具により、地上にある池へと運ばれる。

 破幻砂漠の日射に耐えられなかった人々は、地下を開拓する術を用いて、地下水脈の流れを読み、その直近に都市を築いた。元来、この場所は洞穴となっており、水流も地表から窺えたとされる。開拓の黎明期、地上に都市はあったが人々の困苦が積み重なるため、地下へと逃げる策を考案する。魔導師と共に天井を作り、川によって適度な湿気と水の循環を作って快適な空間を作り出した。

 この「三画」は、云わば地下都市の初期から受け継がれる技術と伝統が一つの区域として密集した場所である。これは言義の誇りであり、町を象徴する学院よりも密かに重宝される。

 その為か、技術者と開発に携わる学生を除いた者は全員が立ち入りを禁じられる。故に、些細な出来心であっても侵入を試みれば、それでも大罪となりうるのだ。これが言義の掟であり、矜持でもある。旅人であろうと容赦はしない。


 そんな「三画」の南方、欄干によって隔てられた崖の向こうより、決死の登攀を以て辿り着いた少女――仁那が姿を見せる。岩壁から上への道を手探りで見付け、その積み重ねを根気強く続けた結果、数十分の格闘の末に町へと這い上がったのであった。

 地上にある池より、猛烈な勢いの水流で水道管の中を降りて意識を失い掛けたが、どうにか持ちこたえて意識の手綱を引き戻すと、祐輔の能力を利用して水流に乗りながら蛍色に発光する地下水まで泳いだ。仮にその先が空気の無い世界だったとしても、あの時の仁那にとっては救いの光だった故に避け難かった。結果は幸運に恵まれた仁那が、言義に誰よりも先に到着し、誰よりも後に街の地面を踏み締める事となる。

 濡れ鼠の仁那は、自身の生存に感慨を懐きつつ、冷たい自分の体を抱いて左右を見回した。此所が言義であるかは、容易に想像が付くし、きっと間違っていない。しかし、現在地が街の何処に居るのかまでは推察出来ず、その答えを導き出す思考力すら奪われていた。

 水中に入る前までは高熱に焼かれていた肌が、今では急激に体温を失いつつある。火を熾そうにも、雑嚢の中にある物はすべて湿気っている。黒檀の箱に関しては無事だが、今はそれどころではない。

 裾を絞って水分を落としながら、町を右往左往する。遠くから鎚を打つ金の律動、稼動する滑車の唸り声など様々な音が犇めき合っている。騒々しい街の喧騒だけで、今にも倒れそうな体を引き摺って歩く。よく見れば、何処も扉の無い粗末な家屋ばかりであり、内装は物置小屋にも等しい乱雑とした様相。しかし、生活感のある物は無く、強いて挙げるならば製品開発に必要とされる道具ばかりだった。

 学術都市とあって、学院などが見られると考えられていた仁那にとっては、大いに予想を裏切る景観である。しかし、ここ一帯には人が居ない。耳を騒がせる音はまだ遠い。

 地下の冷えた空気に撫でられ、(くしゃみ)をひとつする。情けない声を出せば、寂莫とした街の中へと響き渡った。返答はなく、仁那は頭を垂れて人の気配を求め彷徨する。その足取りは夢遊病患者のように覚束無いものに似ていた。

 高い岩壁を登攀する、その行為を敢行した後で体力は然程残っていない。膝を折れば、そこに居座ってしまうだろう。今は体を温めるものが欲しかった。


「ん……この音は?」


 街路を彷徨く仁那の右方、その角の向こうから壁を跳ねて輻輳する笑声。蛍光色で薄暗く照らされた此所より外れ、いよいよ闇が幕を下ろしたかのような路地の奥に人の気配があった。

 仁那は喜びに両手を叩いて、その方向へと走る。石畳を蹴って進む先に、灰色の壁に挟まれた狭い道が暗闇へと続く。それでも声は止まない、構わず走って中を突き進んだ。怪しい雰囲気を覚るほど今の仁那の注意力は欠如していた。

 壁に反響する音が大きくなるに連れて、接近していると思う傍らで次第に方向を見失ってしまいそうな錯覚に襲われる。全方位から重なり耳を苛む声、希望の光と見た筈が少しずつ不吉な印象に変遷する。

 路地の中を半ば自棄気味に猛進すること一分も要さずに、音源に辿り着いてしまった。角を曲がってすぐ視界に入った人影に顔が綻んだ。ふと暗い路地の中だと、二ヶ月前に体験した追跡者の影などを連想してしまって身が固まってしまうが、そこには魔族ではなく人族などが居た。

 笑顔になって呼び掛けようとするも、ふとその景色に疑問を懐いた。集団で円陣となり、環の中にある物に意識を注いで笑っている。仁那の耳に届く声色、その正体がこの距離になって漸く判明した。――これは弱者を虐げる者の嗤笑だ。旅の中では、嫌でも耳にしてしまう侮蔑の音。

 仁那は彼等に静かに歩み寄って、円環の中心に在る何かを探ろうと覗いた。

 そこには、周囲からの投石に打たれても伏したまま動かない人物。一見は死体に見紛うものだが、体を襲った攻撃を受ける度に呻き声が聞き取れる。これは紛れもない集団による虐待だった。

 仁那は自身に降り掛かる危険の可能性も顧みず、一団に闊歩して近付くと一人の石を握った手を捕まえて、背後から足を払った。転倒した時に生まれた環の隙間に滑り込んで、倒れている人間を庇うように中央に立つ。

 突然の闖入者に喫驚して硬直していたが、一団は次に濡れた少女の肢体に視線を這わせた。普段から着用している袖無しのタートルネックやジーンズは、体の輪郭を際立たせており、水分を吸って肌により密着していた。一団は男ばかり、故に現れた仁那に対して下卑た思慮で昂る。

 仁那は瞬間的に悪寒を感じたが、臆する訳にもいかず睨みを利かせて全員を牽制する。

 転倒した男が立ち上がって反撃に飛び出そうとしたのを、集団を指揮していると思われる筋骨隆々とした体が特徴の大男が前に出た。


「よう、お嬢ちゃん。見た所、旅人っぽいな?」


「そうだよ。……少し事情があって、こんな場所に来ちゃったけど」


 「ふーん」仁那の周りを歩いて、様々な角度から吟味する。

 肩に「剛」と刺青を入れ、浅黒い肌に頭頂で髪を括っている。右の瞼と鼻が脹れている魁偉な容貌が仁那を観察した。仁那は足許に伏したままの人物に気を配りながら、決して隙を見せまいと両腕を広げて庇い立つ。

 裏に悪意を秘めた穏やかな笑顔で、大男は仁那の肩に手を置いた。


「此所は旅人の禁止区域なんだよ、知らなかったか?」


 仁那は苦々しげな顔になる。

 この町へ入る際に、誰も感知しない水道管から伝った道を利用した。無論、その時点で違法と問われても致し方無いが、街の慣習や原則を弁えぬまま町内を動いたのは迂闊だった。現に、相手はそれを咎めて脅迫に出ている。

 背後に守る人がありながら、これでは仁那も口出しが出来ない。


「俺達、ソイツに用があるんだ。もし退かないってんなら……代わりになって貰うぜ?」


「……因みに、身代わりの場合、わっせは何をすれば良い?」


「此所に居る全員の相手以外に無いだろ。内容は、言わなくても判るな?」






  ×       ×       ×





『仁那ァッ!』


「祐輔……!」


 男達と対峙して、劣勢にあった仁那は頭上から轟いた龍の声で顔が喜色に染まる。再会に跳ねる自分とは逆に、祐輔は鬼の形相で急接近していた。恐らく、俯瞰した仁那の現状から見て男達の欲望を察したのだろう。まさに仁那の肩に手を置く男に対し、喉を噛み切らんばかりの威勢で急下降中にあった。

 突如として上から来襲した謎の生物に狼狽える男達の環が少し広がった。一人ひとりの間に余裕が生まれつつあり、仁那は肩を掴む手を払って足許の人物を担ぎ上げる。相手の混乱がたとえ一瞬だったとしても、脱出には事欠かない。

 その場から去ろうと足を前に駆け出した時、頭上で破裂音が鳴り響く。驚いて振り仰いだ先で、祐輔の体が空中で不自然に曲がると、そのまま近隣の家屋に墜落した。足を止めて刮目する仁那は、完全に脱出の隙を失った。

 唖然とする一座の注視募る中に、悠揚と翼で空気を叩いて滞空する一羽の鷹。羽根の先端が虹色だと錯覚してしまう緋色の猛禽は、仁那を鋭い眼光で突き刺す。


『見付けたぞ、贋作めが』


 鷹の輸慶の眼差しに射られて動けなくなった仁那を、男達が羽交い締めにした。背後から二人に押さえ込まれ、肩に担いでいた人物を強引に引き剥がされる。すぐ止めに入ろうとするが、体力の無い仁那に男達を振り払うだけの余力が無かった。

 『刻印』の能力を使用すれば一掃できる。しかし、相手は生身の人間――たとえ手加減しても致命傷は避けられない。何より、これ程に疲弊した状態で行使すれば、また“反動”で大きな損耗を受ける。

 状況のすべてが仁那を束縛していた。意気揚々と路地を突き進み、男達の声に釣られて動いた過去の行動に忸怩たる感情を抱く。尋常な戦いも満足に行えない状態で、複数の人間を相手に立ち向かう蛮勇が自分を追い詰める。

 歯噛みして必死に抵抗する。

 華奢な矮躯からは想像だにしない力に振り回されながら、男達は仁那を暗い平屋の中へと引きずり込もうとした。空より敵意を隠さず襲い掛かる龍を撃墜した鷹が仲間かは判じ難いが、少なくとも敵ではないと認識したのだ。後は、先刻に中断した暴力の続きと、新たに得た少女の体に興じる為に場所を変える。

 撤退が始まった時、彼等の正面――鷹の直下にある家の屋根から黒い人影が降り立った。だが、誰も気付きはしなかった。男達は移動に必死であったからか、或いはその存在が音もなく着地してみせたからなのか。

 新たな気配を覚らず仁那を拘束していた一団に、黒い影は体勢を低く地面を蹴って詰め寄った。誰も知覚しない、意識の外側にある影は次々と男達の後頭部などに鞘に納めたままの小太刀で打撃を加え、意識を絶っていく。

 倒れていく仲間に察した刺青の男が、仁那を人質にしようと彼女を抱き寄せる寸前で、投擲された小太刀の柄頭が眉間に命中し、天井を仰ぎながら地面に倒れた。

 呆然と一部始終を見ていた仁那は、得物を拾い上げて手を差し伸べる影――黒装束の少年を見詰める。


「間に合って良かった」


 仁那の左手を取ろうと伸ばす少年の右手には――同じ手套があった。何故同一の物だと判るのか、日常的に愛用する仁那にしか気付けない理由がある。縫い目や材質から、その人物の好みや丁寧さが窺えてしまう。自分が譲り受けた物は、完成品の一つ前の段階にあった試作品ではあったが、少年の着用する物と酷似していた。

 伸ばされた手を掴む手前で、少年がさっと腕を引き戻して左手に変えてしまう。その相貌に苦笑を浮かべており、しかし先程の男達に比べて温厚な印象を受ける顔に何の躊躇いもなく手を取る。

 立ち上がり、改めて対すると相手の出で立ちをまじまじと見てしまう。

 結われた後れ毛まで癖のある黒髪と、整った顔立ちをした琥珀色の隻眼。女性から見て甘く興味を惹き付けられる容貌とは裏腹に、何処か沈鬱な影が内在しており、目元を塗ったような漆黒の隈も重なってそれらを台無しにしていた。黒の単衣と裁付袴といった簡素な服装であり、素足の先に粗末な草履の鼻緒が見える。

 黒檀の鞘をした小太刀を左の腰紐に差し、羅紗の半外套の袖を腰元に回して前で縛った姿。黒一式の装束とあり、薄暗い地下都市の景色の中に溶けているようで、注意しなくては少し離れただけで見失ってしまいそうになる。だが、それよりも先に感じたのは、男達を倒すまでの異様な速さ。そして所作の一つに音が無く、唯一聞き咎められたとすれば外套が翻ってはためく微かな音。

 いま正対して、仁那は体の芯が凍える感覚がした。それは水に奪われた体温の所為ではなく、目前に佇む少年の中から感じた男達へ向ける敵意である。まるで、あの薙刀を駆使する人形の怪物たる半目――八部衆の夜叉が敵を屠る時に発したモノを想起させた。

 少年は懐中より瓢箪、そして片手で器用に背嚢を開けて予備の外套を取り出す。前者を仁那の手に持たせると、肩に腕を回して外套を羽織らせた。

 あまりに自然な行為だったために何の感情も湧かず、その手先の動きを見ているだけだったが、すぐに慌てて一礼する。

 少年は笑いながら、足許に倒れる男達を抱え上げて路地の端に安置した。

 その途中も、ずっと仁那は彼の手元に集中していた。右手の手套に、やはり既視感しかない。作り主が同じだと判るのは、同じ物を贈られた者のみである。


「あの……もしかして……ユウタさん?」


「君が、仁那だね?

 初めまして、僕は優太(ユウタ)花衣(ハナエ)から聞いていた通り、勇敢な人なんだね」


 黒装束の少年――優太は、朗らかに笑って仁那と握手した。容姿は兎も角、その笑みと優しさと先程の行動が相俟って仁那は顔が熱くなっていた。体力の大半を失っていた疲弊状態に優しくされたのもあるが、男達の悪意から守ってくれた上に握られた手から伝わる体温が心臓の鼓動を乱す。

 平静を装って笑顔で応える仁那を前に、優太は真剣な表情になった。


「ところで、仁那さんに訊きたい」


「ん、な、何でしょう」


 やや動揺に声が上擦っていて自分でも些か挙動不審な動きで背筋を伸ばした仁那だったが、次の優太の一言に緊張と顔を火照らせていた熱が急激に引いて行く。


「花衣は可愛かった?それと、銕や上連さんが彼女に手を出していたりしなかった?」


「………………………………ん?」


「ここ一年以上、花衣に会ってないんだ。僕を心配させまいと、きっと手紙に不安な事を書いたりしないから……裏で何が起こっていても仕方がない。昔から花衣は何かと悪意の的になりやすい……だって可愛いから」


「え、ま、まあ、そうだね。あれだけ可愛いと、わっせでも嫉妬しちゃうくらいだけど、同性からでも好かれる性格だと思う」


「それは常識だよ。寧ろ花衣の優しさに付け入って、その身を脅かす不逞の輩が居るんだ。……うん、凄い心配だな……返信はまだだけど、やっぱり早く次の手紙を書こう」


「ああ……そういえば、この前わっせが見た時に、花衣が手紙の内容で赤くなって悶えながら喜んでたよ」


「なら控えよう、他の男性に見られるのが嫌だ。くっ……でもあれだけじゃ足りない……というか早く会いたい……!」


 その場で独自の世界を展開し始めた優太に、仁那は若干引いてしまっていた。上連や近衛の全員から聞いていたが、花衣を自慢する奇癖が眼前で発揮された事で、颯爽と現れ自分を救った素敵な英雄の人物像が音を立てて瓦解する。愛の深さを非難したりはしないが、仁那はその勢いに付いて行けず顔を引き攣らせた。

 少年の性格に困惑していると、背後で家屋が一件爆砕した。内側から吹き荒れた轟風に木片が飛散して周囲一帯に突き刺さる。襲い来る瓦礫から、優太が仁那の肩を抱き寄せると膕に手を入れて体を持ち上げると、右へと大きく飛び退いて回避した。

 同時に、路地に寝かせていた男達が滑空して優太の背後に控えるように浮遊する。仁那は瞠目する――花衣や包帯の男ゼーダから聞いていた彼の持つ特殊な技を目の当たりにして、言葉が出なかった。


「これが花衣の言っていた……氣術」


「え、花衣が僕の事を話していたの?」


 嬉しそうに微笑んだ次の瞬間には、鋭く研ぎ澄ました刃のような眼差しで崩壊した家屋を一瞥した。土煙の中から輸慶が煙幕を破って出現する。

 優太に抱かれた仁那を見遣ると、怪訝に眉を顰める。


『その娘を渡しなさい』


「断る。僕が地下に連れて入り、君は「黒い箱」を持つ人物までの案内、そういう契約だ。もう内容は完遂した、それ以上の要求は通らない」


 優太は仁那を降ろして自分の背後に回すと、小太刀の把に左手の指を緩く絡めた。

 輸慶が宙で旋転し、蹴爪を光らせて接近する。高速で迫る鷹に対して、優太は泰然と構えたまま間合いを見計らって抜刀する。刃圏に敵影を捕捉した転瞬、刃閃が相手の爪と交差して金属音を打ち鳴らした。

 輸慶が衝撃に後方へと回転して壁に叩き付けられた時には、黒檀の鞘に納刀している。瞬きの内よりも短く終わった出来事を視認できなかったため、何事かと仁那は両者を交互に見比べた。


「次は両翼を狙う」


 冷たく言い放った少年を睨み、苦し気に空に飛び上がった輸慶は仁那を一度だけ斜視すると東の方角へと飛翔した。禍根を残して去る鳥影を見送った後、優太は破壊された家屋の中へと入った。

 瓦礫を退けながら、中より救い出したのは気絶した龍だった。塵を払い落として仁那に届ける。

 相棒の倒れた姿を見て、思わず掻き寄せるように抱き締める反応に目を伏せると、倒れている男の中より彼等から暴力を受けていた人物を背負った。負傷が誰よりも酷いとあって、今すぐ手当てが必要なのだ。


「取り敢えず、此所を離れよう。近くで火を焚いて、君も温めないとね」


 歩き出した少年に暫く忘我していたが、すぐに後を追って走る。首に相棒を襟巻きのようにして、外套の前身頃を閉じて少しでも体を温める。予想していなかった邂逅に未だ驚悸する胸を押さえて、少年の後ろ姿に付いて行く。

 彼は先程、「黒い箱」と言った。恐らく仁那の雑嚢に収納された物と相違無いだろう。言動からしても、優太を誘導したのは輸慶――砂漠で箱を橇から取り出す一部始終を見ていたからこそ、此所へ連れて来られたのだろう。交換条件として、この地下都市に入る事を希求して。

 まだ彼の目的は判明していないが、少なくとも今は自身を救ってくれた花衣の婚約者に従う事にした。


「火を焚く間、君が見た花衣の様子を聞かせて」


「もう優太さんの花衣に対する愛で暖まりそうだなぁ」







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

少し慌ただしくなってしまい、更新が遅れてしまいました。内容も少しトントン拍子かもしれません。

 遂に出会いを果たした第一部と第二部の主人公ですが、前者は少々難があった性格が更にパワーアップしております。今回は花衣にデレデレですが、次回から持ち直す……でしょうね。



次回も宜しくお願い致します。

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