地下の学術都市
錯綜する生と死――砂漠へと次々に新たな犠牲者が倒れていく。上空より差し向けられ凶刃を携えた烏の大群の中、剣戟の音を鳴り響かせて未だに健在である。
黒いうねりの中で、死神を中心に次々と紅蓮の花が咲いて、刹那に散った。幾許かの不安を胸の底に抱えながら、任務を全うすべく眼前の死が人格へと権化した敵に向かって突貫する。命を擲つ事を躊躇わない強者もいたが、みな等しく死神によって切り伏せられた。
煌々と照り付ける太陽の下で、疲労も知らず巧みに武器を操って害悪を退ける。烏の猛攻は既に十数分も勢いを弱めず維持されていた。しかし、それは彼等が死神と拮抗しているのではなく、一人が死んでは再び増員する、その繰り返しが全滅を長引かせていただけである。
烏の惨たらしい死体が積み重なる。
死神は選別などしない、自分を狙う者なら隔たりなく終焉を与える。苦戦の色など一切見せず、触れる者を悉く捌いていった。闇色の烈風が烏を縦横無尽に両断する。
断末魔の代わりに一矢報いるべく杜撰な投擲を繰り出すが、それは逆に利用されて命を賭した仲間を殺める道具にされてしまう。
閃く銀色の軌道は、中途で赤い花を咲かせる。烏の大群を処理する手際に滞りはなく、増援も既に数を少なくさせていた。遥か頭上で滞空している控えの烏たちも、怖じ気を振るって飛び出す隙を何度も逃している。
烏の大群の中で、神秘的な雰囲気を纏う女性は淡々と戦況を俯瞰する。一目瞭然、劣勢は烏の群れに強要され、依然として場を支配しているのは死神だった。一瞬の油断もなく、隙が生まれていざ突かんとすれば、そこに待っているのは罠と転瞬の内に訪れる死。
剣閃の合間に視線を周囲へ奔らせて、次に仕留めるべき対象と、その後に続く者の順番を予め知覚する。一動作と思われる時には、並行して速やかな状況把握を済ませていた。
諦観した女性が片手を挙げると、烏の体が静止した。攻勢が止んだのを知って、その間に大群の環の一点を切り裂きながら進んで包囲網を脱する死神の姿を見送った後、残り少ない烏を伴って乾いた空に消える。
死神は気配が消失したのを覚って足を止める。
武器に滴る血を静かに払って鞘に納めた。手巾を取り出して額と首筋に付いた砂だけ落とすと、地平線を見回して嘆息する。飽きもせず襲撃を繰り返す烏の執着には、呆れを通り越した賛嘆があった。
草履で砂を踏みしめながら、砂丘を越えていくと箱橇が横転している。荷物が内側から僅かに溢れてはいるが、荒らされた形跡は無い。傍には砂蜥蜴が繋がれていて、足元に誰かが倒れていた。
駆けて直近で屈み、砂に伏せた人物を抱き上げる。
唇が乾燥して、なにかを伝えようと動いているが声が出ない。死神は烏を屠っていた先程とは一変して、慈悲深く腰に吊るしてあった瓢箪の詮を抜いて中の水を飲ませる。ゆっくりと口許に傾けて、声を掛けて落ち着かせながら給水させた。
地面に横倒しにして、箱橇を起こす。中の荷物も整理すると、砂漠で倒れている人間を砂蜥蜴の背に乗せる。周囲をもう一度見渡し、烏の姿が無いと確認すると手綱を引きながら東に向けて歩き始めた。荷物はその場に置いて行く、余裕があれば後で回収も可能だろう。
「……あり、がとう……」
死神は言葉なく頷いて応えると、後はただ砂蜥蜴を導く。その目が見据える前景に、小屋と池が現れた。畔では、こちらに大きく手を振る女児が待機している。砂蜥蜴を小屋の近くに留めて、背の上に伏す人物を背負って近付く。
「早かったですね、先生。それで、その人は……?」
「早く休める場所に寝かせたい。すぐ町へ入ろう」
「はい」
二人は特に言葉を交わさず、小屋の中へと入った。
仁那達が訪れる、僅か一時間前の出来事であった。
× × ×
鈴音と祐輔は、小屋に入って男を見た。
無精髭に肌色は黒く、濃い顔立ちの二名が短槍を持っている。瞳の色は深緑で彫りが深く、初対面の人間を威圧するに事欠かない迫力があった。しかし、今回はその効果も無い。相手は修羅場を幾度も経験した鈴音と祐輔、彼等よりも恐ろしい敵に何度も遭遇した経験のある強者だ。
部屋の中心には楕円形の物体が置かれており、男二名はそれを鈴音から庇う立ち位置。鍵の無い扉は無用心、大切な物を守るには些か防備の乏しい小屋に居る二名。
一人が進み出て、鈴音の顔を至近で見る。今回は珍しくも、襟巻きに擬態した祐輔の存在は彼等に生物であると露見せず、彼女のみが視線の対象となった。男は小屋を訪れた少女に目を眇めると、その場から一歩横へと退き片割れに向かって目配せをする。
すると、部屋の隅に移動した男が壁の一角に取り付けられた歯車を手で回した。内側で閂の下ろされたような音と共に、楕円形の物体が中心から二つに割れて床に沈んで行く。ぎょっとして、思わず鈴音は前のめりにその動きを凝視した。
楕円形の物体、それは蓋だった。姿を消したと同時に、下から円柱の形状をした箱が現れる。扉と窓が設えてあって、中を覗くと数人を収容可能な空間があった。努めて襟巻きを演じるべく目を閉じて身を固めている祐輔は、蓋の退場から続く謎の騒音が気になって仕方がない。
鈴音の驚愕を読み取って、微笑んだ男が扉を開けて箱の中へと催促する。その誘導に小さく目礼してから足を運び箱へと入る。中に入って察したのは、これは形が異様であれど車であると判った――それも地下へと降りて行く物。
来訪者の乗車を確認した男が、再び歯車を回すと扉が閉まり、箱車は小屋の床よりも低い場所へと降下する。天井も窓張りであり、そこから再び現れた楕円形の蓋が閉じるのを見届けた。
奇妙な機械仕掛けに感嘆の息を洩らし、見上げたままの鈴音は体を一瞬だけ襲った微かな浮遊感に箱車の稼働を知る。どうやら、地下へと向けて静かに動き出したらしい。
漸く身を解いた祐輔が、周りへ視線を何度か走らせて首を傾げると、今度は鈴音に説明を求める。小屋での出来事から箱車の状態まで語ると、祐輔は鼻で嗤ってまた首に巻き付く。全く信じていない様子だ。それは鈴音とて同じ、未だに信じられない光景だった。
乗車して数分後、窓の外に淡い光が射す。地下には有り得ない明るさに、好奇心に駆られて鈴音は外を覗いた。
「祐輔、これって町?」
『だろうな……マジで信じられん』
二人は窓に顔を貼り付けて、ただ景色に眺め入る。
地下には蛍色に発光する河川が流れる町が広がっていた。そこかしかに灯籠が灯されて街路を照らし、人が勝手知ったる風に歩く様子が眼下にある。砂漠の下には人の営みがある、これを目にして鈴音と祐輔は言葉を失った。
ふと、箱車の中に置かれた棚に地図がある事に気付いて、一つを手に取る。箱車に乗って町に向かう旅人へ向けた物らしい。
学術都市――言義。
町を縦断する二本の河川によって分かたれ、南下するほどに傾斜する地形となっている。水は不思議にも光を放ち、地下空間に佇む町の全貌を照らしていた。高い岩壁と天井の岩は、町を開拓した際の名残がある。
川に区切られた町は、東から順に「一画」――居住区画。「二画」――学院区画。「三画」――産業区画。それぞれ別の特色があり、跳ね橋によって移動が可能だが、これは一時間に一度だけ陸地を繋ぐよう自動で橋が降りる。この箱車と同じく、多種多様な技術の粋を結集させた産物である。何度も渡る人間に合わせて橋を人力で稼働させる必要を省いた仕掛け。
まず「一画」の居住区画は、板葺の家屋が軒を列ねており、木製の支柱を除いた壁などは石造りであった。それぞれに魔石灯籠が設置され、街路の暗い場所を明らかにしている。規定の時間となると消灯され、そこからの夜間外出は禁止。
「二画」には言義の代名詞でもある学院が厳然と佇立している。煉瓦で造られており、中に入れる者は学生と旅人のみ。中には千極でも最大の蔵書を誇り、図書館は学術棟とは別の場所にある。また、郵便の受付や宿もあるとあり、旅人の滞在地域は大抵この場所だ。
「三画」においては、学院での研究によって発見された技術を用いて、新たな製品などを開発し、それらを実用化させる――云わば実験場であり、成功品が即座に現場で採用されて生活を支える為の道具になる場所でもある。此所は学生と技術者のみが出入を許可された特別な地域。
以上が、鈴音の持つ地図の裏面に記してあった言義に関する諸情報。これよりも更に深く詳細を知るには、やはり現地を歩いて探る他に無い。しかし、仁那を探すとなれば中々難しい。
地下水に巻き込まれた彼女は、恐らく下流に居るかもしれない。しかし、それがどの区画に居るかまでは断定出来ないのが現状である。何より、一つひとつを虱潰しに探すとしても、一時間毎にしか動かない跳ね橋によって作業が長引いてしまうだろう。
箱車が町に到着すると、扉が独りでに開く。「二画」の北側で鈴音は、旅人と学生で賑わう広間に出た。地上の破幻砂漠では見掛けられなかったが、数多くの冒険者も見受けられる。更には、全員が軽装であった。
ふと、地下の空気が乾燥していない事に気付いて、鈴音は眼鏡を外して首に提げる。被りはそのままに、人波を避けながら進む。学術棟は数える事が億劫になるほど建っており、恐らく一つずつ別々の分野を専門としている。しかし、今の鈴音にはこれらを観光する暇は無い。
一刻も早い仲間の捜索に向けて、まずどの地域から探すかを考えなくてはならなかった。連絡を取る手段として、まず最適なのは祐輔――上空から仁那を探って、両者の所在を知らせる。伝達速度としては一番早いだろう。
「私は宿を確保しに行く。祐輔は仁那を探して、見付けたら報告して」
『何処からどこまで?』
「無茶を言うけど、全区画。消灯前までには戻ってきて」
『あいよ、柔らかい布団を頼むぜ』
襟巻きの龍が天井に向けて飛ぶのを見届けた。他に祐輔を見ている者はいない。
鈴音はすぐに宿のある「二画」南部を目指す。仁那が戻ってくるにせよ、宿の無い状態では人家に厄介になるしかない。合流するまでの間、仁那を自然に受け入れる為の準備をする。祐輔の目で見付からない場合は、彼女は先に何処かで世話になっているのか、或いは……。
地上で仁那を襲撃した輸慶という名の鷹、恐らく弁覩や祐輔と同類である『四片』の一体――それが此所に来る可能性は無い。箱車に乗るには、あの男二人の許可を要する、加えて別の経路を使うなら池の中心部にある水流に乗るしかない。
鈴音達を唯一阻害するとなれば、それは町に他ならない。跳ね橋による一時間に一度の移動、加えて「三画」という特別な地域による仕切り。
上空を移動する祐輔ならば、これらの障害を意に介さず動けるが、あまり目立つと捕獲されかねない。弁覩の場合もそうであったように、珍しい動物として好奇心のある人間に駆られるか、或いはこの町の特色なら研究される。あの祐輔に限って捕縛される不覚は無いが、やはり仁那が消えた不安感が何もかも悲観的に考えさせる。
鈴音が確認すべきなのは、まず宿の予約と跳ね橋が降りる時間帯を把握すること。後々の行動に影響が出ると考えられる物の視察だった。
「……嫌な予感」
訪れて早々に遭う苦難に、先が思い遣られる。
× × ×
「……あ、れ……?」
目が覚めた。
知らない天井が広がっている。此所は一体、何処なのだろう……?深い眠りに落ちていた筈なのに、体の調子が頗る良くて動きやすい。布団から這い出てみれば、畳の部屋――どうやら、宿の一室に居るらしい。
最後の記憶を辿る。気絶する寸前まで、一体なにがあったのか、思い出さなくてはならない。
「あ、目が覚めた?」
部屋の中で他人の声がする。
振り返ると、そこに黒衣の少年が居た。盆を持ってこちらに寄ると、枕元に安置する。上には水と簡単な手料理。少年に一礼してから食べた。
空っぽだったお腹を満たしてくれる料理に、生きている実感が得られた。
そうだ、確か最後は砂漠の中で倒れている時だった。足元から何かニュルりと出て来て、絡まれたと思った途端に力が抜けたんだ。それで、“あの子”と……
「食事中に悪いけど、幾つか訊ねたい事があるんだ」
少年の真剣な表情に、思わず固まってしまった。
第一印象は怖い人だった――深い隈が目元にあって、何だか睨まれているみたいだったけど、今至近距離で見た限り、目鼻立ちの整った顔だ。
「あ、はい」
「君の名前は?」
「……詩音です」
「職業は?」
「飛脚、をやってます」
「此所は言義の宿だ。仕事で言義を目指して歩いていた?」
「はい」
「済まない、君の荷物は破幻砂漠に置き去りにした」
淡々と続く問答に、何だか緊張感が解れてきた。何より少年の表情が穏やかで、身構えているこちらが失礼に思えてくる。
まさか、意識を失っている間に言義まで運んでくれたんだ。その優しさが心に沁みて、思わず感涙しそうになったのも束の間、すぐに背筋が凍って少年の手を握った。
「あっ、あの!荷物の中に黒い箱はありませんでしたか!?」
「そういえば、あったね」
「すぐに取りに行かないと、あれは貴重な物なんです!」
「後で僕が取りに行くよ。だから安静にしていて。黒い箱だね、あと他に何か要る?」
「いえ、あれさえあれば……」
「了解、じゃあ続きの質問は、帰って来た後で」
少年によってゆっくりと布団に戻された。丁寧に上掛けを直してくれて微笑むと部屋を辞した。初対面の相手に親切にするなんて、やはり怪しむべきなのだろうか。盆に置いてある物にも薬が含ませてあったらどうしよう……。
しかし、そんな用があるなら、宿に連れ込む意味がわからない。それに根拠は微塵もないけど、嘘を言っている風にも見えなかった。もっと人を疑って掛かるべきなんだろうけど。でも、砂蜥蜴に乗せてくれたり面倒を見たりと、やはり疑うのは失礼なのかな。
でも今は兎に角、休みたかったのが本音だ。自分が今無理をしても、きっと砂漠でまた倒れるのが目に見えてる。それなら少年に頼んだ方が良い。もし、彼が箱を盗むようなら……
「はい、これは替えの衣服。何かあったら、隣室に居る少女を訪ねるんだ。僕の仲間だから、安心してくれて良い」
入室した彼は、枕元に今度は衣服を置く。丁寧に畳まれていた。片手に小太刀を持って退室する。
よく見ると、服は砂漠で倒れた時のままだった。砂なんかは落とされていて大方綺麗になっていたけど、やはり着替える必要がある。寝る時くらい、ゆったりとした服装でいたい。
少年に心の中で何度目かのお礼を言ってから服を替える。肩の荷が降りた感じがして、布団の中に潜り込んだ時には眠気が襲ってきた。
“あの子”は荷物の場所で待っているかもしれない。上手くすれば、少年と合流して……
その時、意識がぱったりと途切れた。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
第一部から保留していた温泉、学園の悲願が果たせてほっとしています。……二部の二章、もう少し穏やかに温泉に浸かってる話にする予定だったんですが、慌ただしくなりましたね。
今回は平穏……出来る限り平穏な物語にしたい!
次回も宜しくお願い致します。




