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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
三章:詩音と言伝ての鳳
161/302

砂漠の世界より



 長作務衣の男が回廊を進む。

 肩に担いだ錫杖が鳴らす遊環の音に、先方を包む闇に角笛を吹いたような残響が道を途方もない距離に錯覚させる。夜闇に暗くなり、燈籠さえ付いていない城内をそぞろ歩くのは、薄く開いた瞼から白目が覗く男――八部衆は夜叉の名を継承し、旅先で出会した少女に“半目”と渾名された人。

 視覚に頼らずに、一体どのようにして闇の中でも正確に城内の様子を把握しているか、余人には想像も付かない。かつて主人を襲った史上最大の脅威は、西国南方の山岳に住まう一族より遣わされた刺客によって両目を奪われて以来、その不都合を補う為に感覚を研ぎ澄ました。今は亡き怨敵は、その名が大陸全土に隠然と知れわたっている。

 あの雪辱より約二〇年、鍛練を積んだ己の現状ならば届くだろうか。この問に対し、半目の思考は至極冷静に解答を出す――否、相手は誰も踏み越えられぬ境地に、人でありながら辿り着いた化け物。一時の感情でも勝利を確信する事すら憚られる。

 あれから、己の心底に在った不動の自負を捨て、自殺行為にも等しき厳しい修身で周囲を戦かせる事もあった。技術と経験、それらを練り上げた実力を昇華させる度に、あの刺客の姿はより遠く感じる。自分を圧倒し、総督を屈させた姿は未だ片鱗でしかない。

 それから苦痛と血に染まった修羅の道を歩み始めて長い時が経ち、その双眸と同じく自身の所在すら掴めぬ暗然とした闇の檻に囚われてしまった。自分を照らす太陽を探し、自分を導く光の翼を求めて闇を彷徨する月日の果てに、ある少女との出会いが救済を齎す。


 侠客の仁那――自分の手を取り、この身を案じて健気に先導しようと努めた少女。総て独力で成し遂げてきた半目にとっては、未知の体験であった。触れられた体温が凍てついた身心を癒し、閉じられた檻を溶かしていく。

 主人と定めた赤髭総督ですら無理だった光を、その少女の中に垣間見た。あまりに純粋で、貴く、儚げな姿は今にも雲に覆われてしまいそうである。いつしか、心の内でその存在は大きくなり、出会って僅かの間柄でありながら、傍に居ない時間が経過するに連れて焦燥感が胸を焼く。

 再会した時、どれほど安堵したのか――あの少女にすら理解し得ないであろう。


 回廊の途中で、格子窓の隙間から夜空を見上げた。暗雲に隠れた月を見上げて、顔を俯かせて瞼を閉じる。今、この火乃聿を覆う雲はまさに赤髭総督そのもの。彼の圧政が、支配が、強欲が東国から光を奪いつつある。

 ならば――半目は再び足を前に進ませて、闇の中を迷わずに歩む。いずれ現れ、この暗い城の最奥まで太陽の暈を届ける存在の到来を祈った。それが何者であり、誰なのかは判っている。

 太陽の為なら、その時には暗雲を切り払う刃に変わらんと決意した。別れ際に触れた少女の温もりが、今でも鮮明に思い出せる。それが闇を流浪する虚無感に満ちた生を彩る兆しなのだと断じて疑わない。


 “――その目に刻まれた傷と対話し、そして己の主に誰が相応しいか検討しなさい。”


 今となって、その言葉の本質を捉えた、もはや惑うまでもないほど明確に。

 半目はふと、窓の向こうで月光に濡れた甍の上に胡座を掻く人影を見咎めた。何故か、その時ばかりは遠景までもが明瞭に視認が出来ていた。もう光を大半失った筈の目に、泰然と座す人の姿が映る。

 その面貌に既視感があり、半目は格子窓を薙刀で破砕して飛び出し、自身も屋根上に躍り出た。景色は再び輪郭を曖昧にさせ、以前の視力に戻ってしまう。しかし、それでも見間違う訳が無い、その顔は忘れられない。


「言葉の意味を、ようやく心得たか」


「……嘘だ、貴様は……!」


 隣からする声に戦慄で全身が凍る。

 動けずに居る半目の目元に、体温の無い人の手が触れた。八部衆の一角を与る者としてあるまじき恐れに後退し、その場に膝を屈してしまう。

 見に覚えがある――これは、“あの時”と同じ。


「太陽が昇る時、その瞳にもまた光が戻る」


 半目は刮目し、その盲目に近い視力で至近距離に在る人影を探した。だが、そこには誰も居ない。

 夜風の中、戸惑いに揺れた遊環の音だけが響き渡った。







   ×       ×       ×




 灼熱の大地は、天上より燦々と照りつける太陽によって炙られ、陽炎を地平線に作り出している。雨天とは対を成す快晴、遮る物の無い光が直接空から空気を焼くことで、大地や草木からは水分が奪われた場所。穢れなく青々とした空の下に、砂丘の峰が幾つも並んでいた。

 秋を待つばかりの夏は、より暑さが厳しくなっていた。しかし、此所はそれよりも過酷な環境である。呼吸をする度に喉は焼かれて肺の奥に熱が蟠る。足場の砂は靴底を急激に温め、皮膚を焦がすために足袋を履くしかなかった。裸足で踏めば、それこそ一瞬と待たず皮膚に火傷を負う。あたかも火の上を歩く感覚だった。

 千極の火乃聿より北東に広がる破幻(はげん)砂漠(さばく)――特殊な気候により、寒地である筈の北部に属していながら乾燥した土地であり、白壕と同様に地中の魔物による影響かは未だ解明されていないのである。縦断に五日は要する広大な大地ではあるが、適する魔物は少なく生物の姿を目にするのは稀だとされる。

 砂漠の中を進むのは、二頭の駱駝。しかし、通常のものとは事なり、皮膚は網目を張った模様の鱗で、頭部からは鬣が揺れており、四肢で直立した体高はおよそ一丈に近い。目尻に柔和な線を描く瞼の内で、円らな瞳が揺曳する陽炎の向こう側を見据える。

 これは砂蜥蜴(デザート・リザード)と呼ばれる魔物の近縁種。乾燥した土地を好み群生する習性があり、極めて温厚であり大気中の氣を定期的に吸収する行為を食事とし、体内でそれらを水分へと変換して生活する。常に砂漠の中を歩く体力を有し、わずかに睡眠時間を必要とするのみ。人を襲撃する例は稀少であり、その大抵が子供を拐かす密猟者などを撃退すべく奮起する場合のみだ。

 簡単に調教師によって訓練され、砂漠を越える旅人の足になるようにされている。破幻砂漠の際に設けられた厩舎から代金を支払って得られる。生態もあり、休憩を殆どせず砂蜥蜴に宛がう水分や食糧の荷物も不要となるため、かなり効率的である。

 煌々と頭上から太陽が、そして光を照り返した砂の仮借の無い熱放射による挟撃に遭い、砂蜥蜴の背に跨がって外套の中で歯を食い縛って耐える少女――仁那は、手元の地図と目の前に広がる景観を何度も繰り返し見て進路を決めていた。

 駱駝の脇に吊るした複数の瓢箪の中に満たした水は、もうすぐ底をついてしまう。到着予定はもうすぐだと踏んでの備えであったが、よもや未だ半分の距離も稼いでいないとはあるまい。しかし、目的地の標と思われる物は何処にも建っておらず、焦りだけが加速する。

 砂蜥蜴の臀部で肢体を丸めて眠る襟巻きの龍――祐輔は、この暑さにも涼しげな顔でいた。気温の高低などは関係無いらしく、高熱であろうと極寒であろうと、その土地に適応する生態。何と恨めしく、羨ましいことか、仁那は少し批難めいた眼差しを後ろに投げ掛けた。

 背後では表情に表さずとも、やはり暑さが堪えるのか時折目を険しくさせる銀髪の少女――鈴音は、砂塵に目が潰れるのを防ぐ為に眼鏡(ゴーグル)をしている。魔族でもやはり、気温による体感だけは人族と差異が無いらしい。確かに炎に焼かれても人族よりは耐久するが、長時間も砂漠を進み続けては体に堪える。

 果てなく続くように思える破幻砂漠は、自分達を捕らえる世界に思え、鈴音は閉塞感に胸が苦しくなる。志を新たに踏み出した新天地、旅人となった今目の前には、早速苦難が立ちはだかっている。仲間の赤い冒険者より教わった知識でも、この砂漠に類いする物語は耳にしていない。

 目前に像を成して表れる未知、そこに微かな高揚を覚えないこともなかった。


「祐輔、上空から近くに何か無いかを見てくれる?」


 振り返った仁那の声に、片目を開けて反応する。砂蜥蜴の体から立ち上がるまでの所要時間は長く、欠伸を一つして体を解す。倦怠感のある態度には幾らか余裕が見える。祐輔ならば空へ飛翔しても眼球の水分を蒸発させられる惨事も無いのだろう。直上に天空に向けて飛んだ祐輔の体は、青空の中へと消えた。

 本来ならば迂回してでも避けるような土地だが、なぜ仁那が訪れたのか――その理由は二週間前に発った温泉郷に潜伏するカリーナ・カルデラより依頼されての事だった。索漠とした景色の中に、彼女が求める物がある。

 祐輔が戻るまで待機する気力は無い。一ヶ所に留まっていると、その分だけ熱で意識を失いそうになる。仮に目的地の道標が無くとも、せめて水源さえ掴めれば夜まで耐え凌げる。砂漠の夜は冷えるため、熱遮断の為にも厚着で臨む必要があったが、それが逆に身を苦しめるとは露知らず。

 砂蜥蜴の足跡が点々と砂漠に残されては、風に巻かれた土煙の砂塵に掻き消される。足場に危険は無いか、それを注意深く観察する余裕もなかった。この荒涼たる砂の世界には、大小拘わらず常に命を脅かす魔物が潜んでいる。

 如何に予備知識を十全に備えていようと、その場で問われるのは判断力と反応速度、知識の有無よりもそちらが重要視される。過酷な自然の踏破に挑むのなら、大切なのはそれらを培う経験だ。

 祐輔が上空から舞い戻り、仁那の肩に強く着地する。小さな悲鳴を上げて苦しむ相棒の様子を楽しみながら、顎で東の方角を示した。それが水源なのか、或いは目的地の俯瞰した景観か。どちらにせよ、祐輔が視認できる範囲にある。

 希望を見出だして、早速東に向けて砂蜥蜴の舵を執る。鈴音の瞳がわずかに輝いた、恐らく休憩が欲しいのだろう。足を踏み入れて二日、そろそろ人の気配が恋しくなる。


 道を急ぐ足取りで東へと進み続けた一行は、炎天下の空気に炙られても気概を失わず、祐輔の捉えた希望に向けて止まらない。今の彼女達は数時間ならば休憩せずに歩けるほどだった。

 鈴音はふと、地平線に人影を見付けた。魔族としての視力が、陽炎の向こう側で動く物体を分析する。疲労で目を凝らすのも億劫だが、それでも敵影ならば距離がある内に感知した方が良い。仁那にも注意が促せる。

 砂漠で見付けた他の影――無蓋の馬車、いや箱橇であった。


「仁那、向こうに箱橇がある」


「えっ?」


 砂蜥蜴の進路をそちらへ変更し、鈴音の発見した箱橇へと向かう。合流すれば、これから行く場所について情報を得られるかもしれない。期待を込めて接近すると、次第に仁那の視力でもその輪郭が見えてきた。

 相手が何者かにも依るが、それでも喜びが湧き上がる。この砂漠の旅を憂慮していた身として、他の人間との出会いは幸運。

 しかし、その感情も直ぐ様、暗鬱としたものへ変わる。

 胸を踊らせて行けば、箱橇は確かにそこにあった。破損は見られず、横木に立て掛けられた物品の数々からして行商人の使用していた橇と思われる。主に中身は食糧、他に生活用品となる金属器があった。許可無く物色するのも些か常識に欠ける行為ではあったが、仁那の好奇心は気にも留めなかった。尤も、まずそれらを許可するか、或いは咎めようとする行商人、箱橇の所有者らしき姿が何処にも無かったのだ。

 その点について、祐輔のみが気付いており、この取り残された箱橇の周辺を見回す。箱橇を押して来た時の轍が砂地に刻印されている。風が吹けばすぐに消去されてしまうが、まだ残っているということは、先ほどまで動かしていた証左。食糧も傷んでいないし、商品を捨てて動くなど商人にあるまじき行動である。よく見れば、積まれた瓢箪には充分にまだ水があった。商人の姿を追って、箱橇に残された行方を示唆する徴憑を探す。

 鈴音は砂蜥蜴二体の面倒を見ており、彼等の鱗に付着した砂塵を払い落としている。よく動物に懐かれてしまう体質らしく、甘えて無遠慮に顔を擦り寄せてくる魔物に微かに苦笑した。

 仁那の周囲全景に人の影は見られず、やはり箱橇は取り残されたと考えて間違いない。


「祐輔、さっき上に行った時に近くで何が見えた?」


 仁那の突然の問い掛けに、祐輔は首を捻った。


『あ?池と小屋があったぜ』


「そこに人は居た?」


『…………居なかったなぁ、これでも視力にゃ自信があるからよ、それでも見えなかったぜ。あとは砂蜥蜴とやらも』


 祐輔の情報通りなら、箱橇の荷物を一旦捨てて、水の確保に水源まで先に急いだとは考えられない。まず大量の水が積んである上に、この破幻砂漠を動くならば砂蜥蜴が必須であり、祐輔でも池の近くに人も居なければ砂蜥蜴も居ないとなると、箱橇の所有者は忽然と消息を絶ったのだ。

 それが何なのか、魔物か盗賊か。前者は地下から出現したものに遭遇した場合であり、後者は小屋に隠れているやもしれない。

 ふと、箱橇の中でも他の品々とは異なり、黒檀で拵えた小綺麗な箱があった。一辺が一尺ほどに均一で作られた立方体の外貌、蝶番の錠が設えてあり、南京錠で重ねて固定されているため中身を確認するには一度破壊するしかない。

 持ち上げた仁那が高々と掲げると、それは太陽光を反射して黒曜石のような艶を纏う。その端麗な箱は傷一つなく、貴重に管理されていたのだろう。明らかに重要な物であると一目で判った。

 それを矯めつ眇めつし、元の場所に戻そうとしたが、祐輔の尾に腕を絡め取られた。


『よく判らねぇが、死んだんだろ。なら貰っとけや』


「そんな酷い真似、できないよ」


『だとしても、この砂漠に来るなんざお前と同じ連中だろ。もしかしたら、目的地にそれを求めてるヤツが居るから載せてたんじゃねぇのか?』


 仁那は箱と祐輔を交互に見遣った。

 よく確認すれば、他の商品にはそれぞれ値段を記す付箋が付けられている。どれも高価な物ではないが、この黒檀の箱は例外で値段は記されておらず、私物なのかもしれない。


「うーん……これ、届け物なのかな?それとも……やっぱり私物?」


『どちらにせよ、捨てられた時点で遅送も確定だ。取引も成立しねぇし、そら商品にすらならねぇだろ。……行った先で、宛先の野郎に出会した時の為に、お前が持っとけ』


「必要とあらば売れるように、って考えてるでしょ」


『……そんな事ねぇよ』


「こっち見て言ってよ、祐輔のバカ」


 仁那は仕方なく雑嚢の中に容れた。荷物が大分嵩張ってしまったが、これも仕形がない。祐輔の言う通り、送り主の無念があるやもしれないのだ。仮に宛先の人物に会った時の備えとして持っていても損はない。

 無論、カリーナからの依頼を遂行した後にも現れない場合は、仁那の意向で処理するしかない。


 ここで仁那達が、鍵を破壊してでも中身を検査するほど用心深ければ、まだ良かったのだろう。破損の無い箱橇、残った新しい轍、まだ傷んでいない商品の数々、消えた行商人……これらの要素より推論が導き出せるほど、今の仁那達に余裕が無かったのが、後の不幸を招き寄せた意味となる。






  ×       ×       ×





 祐輔の情報は正しく、後刻には砂丘より眺望できる池と畔に建つ小屋があった。付近には草木も疎らに生えていて、今の仁那達にとっては甘美である。砂蜥蜴を急がせて、砂の斜面を駆け降りた。砂煙を巻き起こしながら、池まで颯爽と接近すると、仁那は飛び降りて池に頭から入ろうとする。

 しかし、ここで再び背後から尾を首に搦めた祐輔によって制止され、慌てて身を後ろに直すと相棒の龍を厳しく睨め付けた。折角見付けた水源、砂漠を二日間以上も歩いたのだから頭から浴びたって罪にはならないだろう。そう語る仁那の瞳を鬱陶しそうに避けて、祐輔は水辺を旋回する。


『何があるか解らん、弁覩の能力で水質調査だ』


「弁覩もきっと喜ぶ」


「水質調査に使われて喜ぶのかなぁ」


 脳裏に小事に使用するなと不平を糾する白猫の姿が浮かんで、やや悲しい気持ちになりつつも左手に宿る『弁覩』を行使する。真贋に拘わらずあらゆる物を識別する視覚能力――これを以てすれば、単純な善悪や複雑な偽装の手口も暴いてしまう。現に、破幻砂漠に行き着くまでの間に迫ってきた商人の詐術をこれで悉く躱わしてきた。

 水面に視線を走らせると、深さが青色の濃淡で示され、水と他の物質が異色で区別される。然程深くは無いが、一点のみが黒く染まっている。これは水深を表している部分だ。

 汚水ではなく、況してや毒水でもない。危険な要素は無いため、前に踏み出して中に入る。膝下まで浸かるほどであり、進むのに何ら苦労はなかった。問題の深い箇所の側に立ち、水面の底を覗き込もうとする。

 すると、突然祐輔の声が空に響く。


『仁那、伏せろ!』


「え?」


 祐輔が水面を低く馳せた。遅れて飛沫が立ち、水の緒を引いて仁那に接近する。

 仁那は何事かと祐輔を見る前に、上から飛来する影を見咎めた。太陽を背に現れたのは、大きな鳥影で両翼を広げた姿は鷹ほどである。足の爪を光らせながら降りてくる。凄まじい速度で肉薄する鳥を振り仰いだが、その場から動く猶予がない。

 激突する寸前で、鳥を横合いから祐輔が体当たりで弾いた。傍を轟然と通過した鳥を目で追えば、空中で滑翔して方向転換をすると再び仁那に襲い掛かる。祐輔が両者の間に再び入り、その場で縦に円形を体で作って回り、加速した尾を滑空する鳥の頭に振り下ろした。

 察知し体勢を変えて蹴爪を振り上げた鳥の反撃が衝突する。祐輔の鱗と鳥の爪が激しく火花を散らして交わり、互いに弾き合うように後退した。

 鳥が空へ上昇して、嘴の先端を仁那に向けながら急降下する。狙いは一点、始終その敵意は仁那に集中している。

 陸地から見ていた鈴音は、山刀を逆手に持つと後方へと大きく振りかぶると、前に踏み出して渾身の力で投擲する。鈍い風切り音を立てながら、回転する鉈が鳥を狙撃した。狙いは正確、速度に乗った鳥の体からしても必中不可避と判断しての攻撃である。

 しかし、敵はその体勢から鉈を蹴り下ろして防御した。仁那の頭頂に達する寸前で勢いが殺され、さらに祐輔が体に巻き付いて拘束する。


『……よう、久々だってのに何してくれてんだ、輸慶』


『貴方の氣を感じてみれば、小娘から感じられたので不審に思っていましたが……祐輔、これはどういう事ですか?』


 両者は仁那の至近距離で睨み合っている。祐輔と面識があるらしく、しかしその空気は険悪だった。

 祐輔に名を呼ばれた鷹――輸慶(ユケイ)の鋭い眼光が仁那を捉える。黄昏色の筋が混じる茜色の羽毛は、絹のように美しい光沢を帯びていた。高官が身に纏う衣裳に似た美しい色彩に思わず見入ってしまう。体躯は鷹のように大きく、祐輔と同じ体格。翼には赤、青、黄金色の斑点模様が広がっていた。

 仁那の前で急上昇した祐輔は、再び下降して水面に輸慶を叩き付ける。水柱が立って二体の姿が消えると、水が雨となって降り注ぐ。あの小さな体からは予想も付かない力の大きさに鈴音も目を瞠った。

 水煙の中を二体が泳ぐ。互いに打撃を与えながら、環を描いて池を奔走する。もはや手出しが出来ずに呆然と立ち尽くす仁那の肩に、空気を劈いた輸慶の羽毛が突き刺さる。衝撃に後ろへと尻餅をついて、攻撃を受けた箇所から伝わる痛みに踞った。

 仁那の様子に気づいた祐輔は、牙を剥き出しに輸慶へと躍り掛かる。


『テメェッ!』


『おや、あの貴方が思い入れするとは珍しい――ッ!?』


 一瞬の油断を衝いて、龍が相手の首筋に噛み付いた。肉を引き裂かんばかりの剣幕で相手を捕らえると、祐輔の口内から縹色の光が溢れる。

 輸慶が痛みに歪ませていた顔が驚愕に強張った。苦し紛れに後ろへと視線を巡らせて、祐輔の凶行に叫ぶ。


『貴方……正気ですか!?』


『テメェは手出ししちゃならねぇモンに触れちまったからな!』


 二体を中心に閃光が炸裂した。爆風が水面を波立たせ、仁那はそれに呑み込まれる。方向も分からぬまま、後ろへと転がり続けた。祐輔の力の余波は、鈴音の場所まで届く。砂避けの眼鏡が役に立ち、吹き荒れた風で礫となった砂塵から目を保護する。しかし、強烈な力の残響がいまだに空気を震撼させており、立っている事すら厳しい暴風が吹き荒れていた。

 波に揉まれた仁那は、ふと浮遊感に身を竦ませた。足場が無い――水中で振り返ると、自分は水深の深い“孔”の部分に入り込んでしまったらしい。急いで浅瀬に戻ろうと水を掻いた途端、凄まじい重力を感じて下に引き摺り込まれた。否、それは重力ではなく水流だった。

 強く抗っても、自分は水面から離れていく。

 仁那が沈んでいく様を、鈴音は知っていた。足元から草を引き抜いて陸から跳躍すると急いで“孔”の側に寄る。手中の草が急激に成長して長い蔦になると、水流に乗せて仁那まで届けた。

 鈴音からの救助、慌てて蔦を手繰り寄せて踏ん張る。水面に揺らぐ鈴音の表情を見て安堵した。このまま浅瀬まで上れる。

 しかし、仁那の手元で軋りを上げて蔦が切れた。再び猛然と仁那を下へ持ち去ろうとする引力が働き、深い闇へと吸い込まれる。呼吸が苦しくなって意識が遠退く中、空を円形に穿ったような“孔”を見上げる。

 伸ばした手が薄れて、視界に暗幕が下ろされた。



 池の上に限定して降る煙雨の中で、輸慶と祐輔は正対する。前者は羽毛を焦がしており、時折空中で左右にふらついていた。龍は獰猛に喉を鳴らしながら降雨を切り裂きて接近する。

 輸慶は上空へと上がってそれを回避すると、太陽を背に滞空しながら笑った。


『祐輔、まさかあの娘が『器』ですか?』


『そうだ。次いでにクソ虎も認めたぜ』


『ほう……弁覩が、ですか?これはまた珍妙ですね……ですが、『器』ならば然るべき存在が別に居ます』


『闇人だってか?』


『いいえ……いずれ貴方も会うでしょう。そして認める事になる』


『!?おい、そりゃどういう――』


 言葉を遮って、輸慶が消えた。

 取り残された祐輔が疑問に太陽を見上げていると背後から鈴音が駆け寄る。


「仁那が水流に呑まれて深い底に行った」


『何!?くそ……オレ様の所為か、迂闊にぶっ放すんじゃなかった』


「判らないけど、下に行ったって事は……」


 祐輔は頷いた。

 仁那達の目的地は砂漠の中心――その地下にある都市である。破幻砂漠という過酷な環境でありながら未だに絡繹のある場所であり、そこにカリーナの探し物があるのだ。

 仮にこの“孔”が下へ通ずるとなれば、都市に繋がっている可能性が高い。尤も、水に巻き込まれた仁那が生きている保証は無いが……


「すぐ行こう、仁那は生きてる、きっと」


『……ああ』


 “孔”を見下ろした。

 祐輔は消えた輸慶の言葉を反芻する。然るべき『器』が、仁那と当代闇人以外に存在する。その意味するところは何なのか、未だあの輸慶の真意は知れないが、それでも一つ理解するとあれば今回、『四片』の身内であった彼が敵に回っているということ。

 その言動からしても、仁那と敵対している。


『……待ってろよ、仁那』







アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

第三章始動です、今回は最初からシリアスな雰囲気になってしまいました。中盤から終盤への繋ぎで出したギャグは苦し紛れ……ですね。

次からは良い比重になるよう調整したいです。


次回も宜しくお願い致します。



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