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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
二章:幹太と審美眼の虎
156/302

龍華滝の戦い(弐)/監視者と闇人と『器』



 千極北部――。


 極寒の地とされ、常に降雪によって白く染まった世界。山巓列なる奥には、決して人の踏み入らない場所へと通ずる道があるとされる。遠方に見えるのは、山に囲われた中心地にある遺跡。

 その付近、深山の雪中を馳せる漆黒の影と追随する鳥の大群。針葉樹によって囲われた切通の崖に、次々と鳥影が血達磨になって落ちて行く。

 黒の袷に裁付袴の少年は、その場に根を張って迎え撃つ態勢をとり、琥珀色の隻眼を周囲へ奔らせる。頭上や樹間から出現する害悪を悉く一刀で始末した。足下の雪は墨汁を滲ませたように黒くなり、死屍が道端に累々と積み重なる。

 密命を受け、この地に一人で空気を凍てつかせる雪山を行軍した少年に、遺跡へ接近するほど敵は数を増して妨害する。その行為が目先の目的地に秘められた事実の露見を防ぎたいという、烏の懸命な意志が感じられた。それが益々、少年の歩を遺跡へと前進させる。

 敵に対し斜に構えて仕込み杖の柄に手を添える。縦横無尽に飛翔し、山中を疾風となって駆ける烏の猛攻に、この雪の世界よりも凍てつく冷戦とした眼差しを返す。来る者には一刀を、戦う者には力の差を、擲つ者には永遠の沈黙を与える。

 前後から肉薄する烏の突進に、跳躍して中空で体を横倒しにする。攻撃を回避され、少年の上下を通過しようとした刹那、回転しつつ仕込みを抜刀した剣閃を受けて血を噴きながら仲間の懐に飛び込む。獣じみた反射神経、高い身体能力が無ければ不可能な芸当である。それを凶刃を以て差し迫る危機を前に恐怖で固まらず、淡々と為し遂せる技量と胆力に烏は戦慄した。

 着地した少年の足場から黒炎が迸り、火勢を強めて上空に弾丸となって打ち上がった。両手を両腕を広げた所在を合図に、黒い球体は上空で破裂する。無数の雨滴となったそれらが烏の頭上にて様々な武具へと姿を変質させた。


黑氣術(くろきじゅつ)――黒雨(くろさめ)


 暗黒の刃に刺し貫かれ、悲鳴を上げる間もなく絶命した烏の肉体から氣を吸収し、膨張して一定の大きさまで達した途端、山中の冷気を払うほど爆風が吹き荒れる。死体は跡形も無く雪の上で四散し、赤黒く染まった雪上で独り佇む少年は上空を見遣った。

 寒気に澄んだ空で、泰然と少年を静かに見下ろす羽衣の女性。生物の体内を循環する血液をすべて失っているかのようなきめ細やかな白磁の肌、生気を感じない白い瞳などとは対照的に、赤く艶のある情熱的な色の唇。感情に乏しいのか、自身が放った部下を全滅させられてなお、その機微を読み取るのは難しい。

 血を払って納刀した少年と、羽衣の美女は視線を合わせたまま黙然と動かず、相手を観察していた。このまま永久に保たれると思われた沈黙を、しかし予想外にも破ったのは女性であった。


「その右目……――千里眼か」


 女性が注視するのは、正対する少年の瞼を開いて露になった右目――真紅の瞳である。強膜は墨色に染まっており、瞳孔は白く形は楕円に近い。

 感覚器官を鋭く研ぎ澄まし、相手の予備動作を読み未来を予測して先に斬り掛かる事を極意とする者の中にのみ、稀少だが発現する能力。過去より主神の闇を背負う宿命にある“異物”のみが獲得することができる。

 女性の好奇心を孕む目に、少年は右の瞼を閉じて隠す。相手に晒すのを厭うて常時瞑目した左に注がれる視線へ鬱陶しそうに眥をつり上げると、そのまま遺跡へと向けて歩み始めた。

 一峰降れば、そこにある遺跡へと進む少年の背を見詰めながら、女性が片手を空へ掲げる。その掌中に蒼い火炎が発生し、巨大な球状となった。針葉樹の樹冠に載る雪が落ち、驟雨となって踏み固められた雪の足跡を洗う。強力な氣の波動を感知し、振り返った少年へと投げられた。

 森を食い散らかす猛火の洗礼に、左手で制止する少年。彼へ届く事無く、空気中で分散し消失した。その急襲を事も無げに処した少年の周りでは、未だ蒼い火が枝葉を焼いていた。あの女性は既に姿を消している。

 まだ何処かに潜んでいると訝って気配を探るが、忽然とこの山中から存在を晦ませた。だがまだ疑念は晴れず、少年は右目を強く見開く。真紅の瞳が未来の動きを目視し、脳へと情報を伝達する。


「…………(まず)いな」


 “――其方は危険だ、此所で始末する。”


 空より響く声がするよりも早く、少年は北の高山を厳しく睨め付けていた。数秒の後に、山頂から地響きと共に斜面を(はら)う雪崩の白煙。猛然と走って低地へと駆ける景観に、頬を汗が一筋伝った。

 背から黒炎で象った両翼で上に飛翔し、(なだ)れ落ちる雪を回避する。人間ならば直撃した後、生きている保証は無い。況してや、人の足など届かぬこの深山に救助は望めないだろう。

 林間を津波のように疾走し、圧力で後から木々ごと押し流す。空中で旋回し、敵の影を探して一帯を見回した。すると、今度は猛烈な吹雪となって少年を強い気流に巻き込む。翼は機能せず、降雪の弾丸によって方向を見失うほど弾かれた。


「ぐッ……自然操作……?」


 その背後から空を切り裂き、女性が急接近していた。開いた右手の五指を軽く折り畳み、後ろへと引いた体勢で飛行する。突然の吹雪に見回れて対応も追い付かずに飛ばされる少年に向け、淡い空色の火を纏った掌底を放つ。

 しかし、その寸前で少年が翻身して素早く抜刀した。予め気配を察していたのか、相手の技が決まる前に黒い剣撃が女性の片腕を断ち切る。想像だにしない逆襲を受け、体勢を崩して攻撃が空振りした。

 自然を操る本人の負傷に呼応し、吹雪がぱったりと止み、雪崩は遺跡の前で勢いを弱めた。煙り立つ霧の中に二人は背を向けあって着地する。少年が小さく刃先を振って鞘に戻すと、女性の姿が景色に薄く透明に溶けていった。

 振り返ると、そこに姿はなく、だが空間に伝わる声を残す。


 “――負の遺産は、必ず消す。その時まで……”


 少年は暫く空を仰いでいたが、遺跡へと視線を移した。


「行こう」






  ×       ×       ×





 白壕・龍華滝――。


 振り抜かれた獣の拳に打たれ、月読命は地表を激しく跳ね転がった。羽衣が泥に汚れ、美しい相貌に土が貼り付く。鉞を突き立てて威力を殺し、漸く静止した体を起こして前方を睨んだ。

 全身から白銀の氣を滾らせる少女の立ち姿。


「四片・白虎門……の力」


 仁那は己の掌を見詰めた。全身から湧く力に疼いている。いまは兎に角、この溢れる力を発散したい感情が脳を支配していた。目の前には、その受け皿となる対象が居る。

 祐輔の能力は懐かしさや安心を覚えるが、弁覩の能力を解放した際、自身が好戦的な性格へ変わっていることを自覚した。


「何だか、今なら何でも出来そうな気がする!」


 仁那が飛び出した。

 過去位置の地面が爆ぜて、目前に現れる。月読命は振るわれた爪を受け止めた時、手元へ伝わる衝撃が以前より軽いものに感じた。防御に成功したと思った瞬間には、今度は腹部と顔面を三発ずつ仁那の拳足が命中する。

 月読命は確信した――膂力は以前の半分、速度が跳ね上がった分、そちらは低下してしまったようだ。これならば、被弾を覚悟で突貫し相討ちに持ち込めば、まだ勝機はあるだろう。

 仁那の攻撃が頬を捉え、吐血しながら鉞を振り回した。相手の体がわずかに揺らぐ、まだ力を発動して間もないのか、或いはこの戦いが初めてか、どちらにせよ力の制御がまだ不完全。確実に当てようと力を振り絞った。

 しかし、横っ面を叩かれて生じた音が圧力を伴って炸裂し、月読命を仁那から弾き飛ばした。思わぬ第二撃を食らって倒れる。その現象の正体はすぐに解った。仁那自身は把握していないのか、小首を傾げている。

 実際に体験して導き出した解答は――『音』。打撃音が増幅され、音圧で月読命を攻撃したのだ。至近距離で発動されたが故に耳鳴りがひどく、実際に棍棒で殴られたような鈍痛が脳を揺らす。三半規管にまで衝撃は伝わっており、平衡感覚が曖昧である。

 震える足を隠す為に、鉞を再度あの大鎌へと変形させた。今度は狙いを定めず、乱暴に前へと振るおうとして、背後に振り掲げた大鎌が動かない。謎の抵抗感に振り返ると、巨大な龍が刃を顎で挟み止めていた。


『食らいやがれッ!』


 地面ごと薙ぎ払う祐輔の尾が、下から月読命を叩き上げた。完全体ではないが、今は大木に近い胴回りの龍に打撃を加えられ、少女の肢体は高速で仁那へと引き寄せられる。

 氣で構成された尾が肥大化し、先端を分離させて十数個の拳を形成する。飛来する無防備な月読命へ向けて、一切の容赦も慈悲も許さず、仮借の無い連撃を繰り出した。


「『猫の手』!!」


 月読命を地面に叩き伏せ、拳の雨を降らせた。視程を妨げるほどの粉塵と土煙が上がり、大地の亀裂がさらに規模を広げて行く。重ねて鳴り響く轟音が増幅し、爆撃に近い威力を含んで月読命を何度も強打した。人ならば数撃で挽肉となっているが、仁那の拳にはまだ月読命の体に当たった手応えが確かにある。

 神族が容易に斃せるとは思ってもいない。実際に祐輔の能力は、人体など塵にできる威力を誇っており、その直撃を受けてなお肉体の形状を維持するどころか途中まで仁那を圧倒していた。一切の油断が、慢心が、安心が、事を大きく方向転換させる。苦心して奪取した戦闘の支配権を活用する。

 頃合いを見て攻撃を中止し、後ろへと飛び退く。まだ倒せたとは思えないが、それでも体力と相手の状態を見なくては先に不安が募る。ここまでの猛攻ならば、さしもの月読命とて無傷とはいかないだろう。

 尾が通常の形に回帰すると、仁那の体から弁覩の氣が『刻印』へと吸収された。わずか一分も維持できず解除されてしまったが、その後に総身を蝕む激痛に呻いて膝を着く。左目が熱く血流がそこに集中していた。頬を血涙が流れていく、思わず顔を押さえて踞った。

 脳を乱打する痛みに歯を食い縛って耐えた。気が狂いそうになり、体内を蹂躙する別の物の存在を感じ取った。血管の中に何かが潜んでいる、仁那を内側から破壊している。

 地面に小さくなる仁那の前に、空から舞い降りる影。祐輔が着陸する人物に刮目した。


「月読命を返り討ちとは、流石は我が眷族。だがやはり、まだ馴染んではおらんか」


「カ……軻遇突智……さん……?」


 現れた羽衣の男――軻遇突智が薄笑いを浮かべ、仁那の顎に手を滑り込ませて顔を持ち上げる。自身と同色になった彼女の左目を矯めつ眇めつし、口許をさらに歪にさせた。

 地面から漸く体を起こした月読命が兄の姿を見咎めた。敵に対し慈悲深く歩み寄って、その状態を診ている。大鎌を手放し、さらに先程の猛打で全身に多大な傷を負ってしまった今では、仁那に反撃を仕掛ける余力も無い。何より背後では、仁那が人質も同然の状態にあるとあって、動かず悔しげに眉間を寄せて憤る龍が居る。不審な行動があれば、背後の龍に止めを刺される。

 軻遇突智は仁那の耳許に口を寄せて囁く。鼓膜の中で何度も谺し、脳から離れない魔性じみた甘い声音だった。


「また、血が欲しいか?」


『やめろ、それ以上テメェの血を入れたら、どうなるか判らねぇぞ!?』


「なればこそ面白いではないか。我が眷族となろうと所詮は矮小なる人族、『四片』の力を取り込んだ時点で死しても不思議ではなかった。ならば、この娘の強運に懸けてみれば良い。

 さあ、どうする?」


 頭の中で反響する声に頭を振って、必死に抗おうとする。軻遇突智は声を聞くまで、上から見下ろして待っていた。

 仁那の中で葛藤が生まれる。この激痛に虐げられる体と意識を早く終わらせたい、あの日に同じ症状で悩んでいた瀕死の自分を救ってくれた血液が与えられる。何とも甘美な提案ではあるが、その裏に潜む危険性も無視はできない。祐輔の注意の声が聞こえる――内容は聞こえない、今は軻遇突智の声だけが届く。それ以外が遮断されてしまっていた。

 軻遇突智が手首に傷を入れる。眼前で溢れる流血に視線が吸い寄せられた。手を伸ばし、鮮血で描かれた一条の線に手を伸ばす。誘惑を振り払えない。


「……わ、わっせは……」


 意識も曖昧に、されど口が決断を告げようとした。


「させない」


 空気を澄み渡らせる一声。

 突然、周囲の地面を破って魔物達が出現した。地表へ姿を見せるや、凄まじい熱を放ちながら周辺の空気を熱すると、軻遇突智を見付けて疾走する。大小様々、個々の能力は違えど意志は統率されていた。

 軻遇突智を全方位から攻撃する。その背後では助勢に飛び出そうとした月読命が、振り下ろされた祐輔の手に押し潰された。

 敵意の標的となる神族の男は、その勢力に対して特に身構えずに対する。無造作に両腕を振る、それだけで暴風が魔物を一蹴し、彼を中心とした仁那と祐輔以外の総てが蹴散らされた。

 軻遇突智が一瞥すると、魔物の体が発火した。その火勢は凄まじく、爆薬を体内に含ませ着火したかのような規模で爆発する。次々と敵対者を排除していく中、その目の前で地面から夥しい数の蔦が伸びて互いに絡み、繭を作り出して仁那を閉じ込めると、地中へ引きずり込んだ。

 仁那は土の中を移動する繭の中で震動に耐えて身を丸める。軻遇突智が振り向いた方角で、地面より現れた繭を傍に侍らせた銀髪の少女――鈴音が龍華滝を背に立っていた。

 蔦が解けて中から仁那が転がり落ちる。

 苦痛に相貌を歪めながら見上げて、仁那は鈴音の存在に驚いた。幹太と共に「月狐」討伐に赴いていた筈である。


「助けに来た」


「ど……どうして、此所が?」


「あれだけ騒音を立てていれば」


 そこに皮肉の色はなく、ただ自分が道標としたものを淡々と語る鈴音。ガフマン達に比較すればまだ慎ましいが、寧ろそちらを選んで参上したのだろう。

 鈴音の金の眼光を正面から受けて、軻遇突智は口端をつり上げて卑屈に笑った。


「懐柔する間も無いとは」


『テメェ、何が目的だ?』


「いや、単に眷族と貴様、そして白虎の視察だ。しかし、まさか個体で名を与えられていたとはな。……命名も、先代闇人の仕業か?」


『何だ、アイツに敗けた腹いせに、計画を頓挫させようって魂胆か?オレ様は内容を知らねぇが、”契約“から数十年間、動きすら見せなかった神族(テメェら)が動くなんざ、企みがあるとしか思えねぇ』


「今は何も語れん。だが、一つ告げておくとするなら……約定を反故にしたヤツを如何とするか、ヤツ本人は既に死人故に詰問も刑罰も無為、ならばその後継者と世に生きるヤツの友人とやらを監視するという結論に至った。

 特に必見は当代闇人、そして『器』の小娘。天照が前者を視ている……が、短絡的な性格なため既に攻撃を開始しているやもしれん。

 そして私が……」


 仁那を見遣った。

 既に症状から復調し、決然とした眼差しで視線を返している。つまり、『器』たる彼女の監視役を担当していると軻遇突智は語る。傍に立つ銀髪の少女に目を細めた。

 祐輔の体が縮小して行き、平時の体格へと戻ると飛翔して仁那の首に巻き付く。解放された月読命が咳き込みながら体を起こすと、軻遇突智に裾を掴んで持ち上げられた。


「我々はこれでお暇するとしよう。……案ずるな、須佐命乎も撤退させる」


 軻遇突智の体が空中に浮かぶ。


「では、今後ともお前の活躍に期待しよう――愛しい眷族よ」


 その一言に、仁那の背筋を寒気が走る。思わず自分の体を抱いた。

 不気味な微笑みを残して、二人の姿が戦場から消えた。


「ごめん、助けるのが遅れた」


「大丈夫だよ、助かったよ鈴音。――あと祐輔も」


『付け加えたように言うんじゃねぇ』


 不承不承と謝意を受け取って、祐輔は鼻息をついた。鈴音に支えられながら立ち、南の方角へ振り向いた。


「よし、ガフマンさんを助けに行こう!」





  ×       ×       ×





 龍華滝より下った中流に、新たな池が生まれた。

 一時間前までは森林が広がっていた地形は窪地に変えられ、空の器を水が満たす。その畔で剣を交える巨漢二人の熾烈な争いが、水面を騒がせていた。一動作に空気が叩かれて倒木と地割れが連鎖的に発生する。

 ガフマンが長剣で刺突すれば、太刀で受け止めた須佐命乎の肉体が水面と平行に飛ぶ。空中で水に腕を突き立てて勢いを殺して静止する。水上の彼は胸に深い傷を負って、流血が白装束を汚して爪先から滴ったものが池に滲む。

 須佐命乎の前方では、池に踏み込む敵影。彼が一歩を踏み締めると、水は蒸発して霧となる。その前進は止まらず、触れる水は等しく沸点まで熱されてしまい、阻む事すら許されず闊歩するガフマンを取り囲む空間は灼熱と化していた。

 須佐命乎が空気を蹴って轟然と直進する。正面に捉え、大上段から太刀で一刀する。ガフマンが長剣で横から太刀の刀身を殴打し、軌道を逸らせば池の半面が水煙を上げた。

 拮抗する力は桁違い、もはや二人が天災と形容できる域に達している。

 両者は互いに胴を拳で打って弾き合う。ガフマンは浅瀬まで転がり、須佐命乎は水面下に沈む。


「ここまで苦戦したのは……久々だわい!」


「成る程……人族も捨てたものではないな」


 屈強な肉体は限界を知らず、そのまま地に伏す事を断じて認めない。相手の動力源――即ち命を焼き尽くすか、切り裂くか。終着点は至極簡潔としており、それ故に道程は長い。

 互いに決着の一手を採ろうと踏み出した。

 その時、ガフマンの頭上から無数の火の矢が飛来する。後ろへと飛び退いて躱わすが、延々と火の降雨は止まずに森を破壊した。触れた物質を灰にする氣の蹂躙に回避するしかない。流石のガフマンも撃墜するという行動は、傷付いた今では難しかった。

 池で静観していた須佐命乎は、上空で月読命を脇に抱えて黙然と佇む軻遇突智を見付けて察した。撤退命令――それが私情か、それとも主神の指令かはまだわからないが、反抗せずに従う。須佐命乎は自身の力量では、あの兄に刃向かうことが死を意味すると了解している。

 好敵手との戦闘を中断された不服も隠し、その側へと寄った。


「これは珍重だな……お前にも不可能があるとは。ヤツは良い友になるのではないか?」


「お戯れを。私に友など不要です……兄上、月読命は任務に失敗したと?」


「我が眷族が予想以上の善戦をしてな、見事に返り討ちだ。今回は『四片』の暗殺も控えよ」


「しかし、あれは下等生物には過分にして不必要な力……これを看過する事は」


「須佐命乎。私は此奴の監視を命じられた、対象の抹殺は私に楯突くも同然の行為だ。これ以上の蛮行は私への不敬と断じて死刑に処す……理解したか?」


「……兄上の意向のままに」


 深く頭を垂れた須佐命乎は、彼と共に空に姿を消した。

 ガフマンは苛烈な火の攻撃が止んで訝ると、須佐命乎の姿が消えた事を察知した。見渡す限りでは姿が見受けられない、撤退したのかもしれない。雌雄を決する戦の行方は敵の撤退、これを勝利と判じるか釈然とせず首を捻る。

 迷宮の最奥にいる魔物以外に強敵と認めた存在はおらず、神族という新たな脅威に会って確信した。『器』としての機能や役目の話を思い返しても、仁那の旅はいずれ無自覚に世界と深く結び付く。それを神族は決して容認せず、再び刺客を派遣する。その時に思い描かれる画は、神族と彼等が下等種と蔑む人々による戦争。過去の例を遥かに上回る規模となるだろう。

 その時、再び須佐命乎と(まみ)える。


「それまでお預けだ」


 長剣を鞘に納めて長嘆すると、その場に仰向けで倒れた。相手を滅する覚悟で放った大技の連発、自身に向けられた大地を揺るがす殺意を受け止めた身体は戦闘終了と解した瞬間に脱力する。

 仁那の戦場も気になるが、今はそちらに向かう力が残されていなかった。


「ガフマンさんっ!」


「おお?小娘、生きておったか!」


 見上げて鈴音に担がれた仁那を見ると、腹の底から声を上げて笑った。


「ははは!お前さん、襤褸雑巾になっとるではないか!」


「ガフマンさん……敗けたんですか?」


「強引に引き分けになったわい。次こそ討ち果たす」


 体力を失い行動不能となった二人を見回す。鈴音は襟巻きの龍を見詰めた。


「……私、二人も運びたくない」


『オレ様に働けってか』


「ん、大きくなってガフマンを背に乗せれば」


『じゃあテメェがあの赤獅子だな。オレ様は生憎と、身内以外にゃ冷たいんでね』


「えっ!本当に!?祐輔、背に乗せてくれるの!?」


『騒いでると振り落とすからな。あと体毛弄ったり鱗撫でたりしたら殺す』


「うっわ厳しぃ……」


 首から離れ、全長六丈の大蛇に巨大化して仁那を背に載せる。鈴音は自信よりも一回りも二回りも上背なガフマンの巨体を軽々と肩に持ち上げた。


「幹太が待ってる、行こう」


 鈴音の歩調に合わせて祐輔も空を泳ぐ。

 仁那は相棒の背に体を預けて体毛に顔を埋めた。昨日の夜に手入れをしたためか、いつもより艶やかで指で梳くと滑らかに通る。

 心地よい感触に瞼が重くなり、ゆっくりと景色が暗くなっていく。

 ふと幹太の事を考えた。白壕に到着してからすぐに愚痴を聞かされるかもしれない。だが約束してしまった、侠客仁那としてではなく、一人の人間として、友人として。


「あぁ……でも眠いや……」


 仁那は龍の胴に抱き着いて眠った。少女の寝息を感じ取って、祐輔は静かに笑う。


『取り敢えず、帰ったら風呂だな。………………………………………………臭ぇ』








アクセスして下さり、誠に有り難うございます。

これにて神族との戦闘、白壕の事件は解決です。あと二話で第二章は完結……かもしれません。

気を抜かずに仕上げていきたいです。


次回も宜しくお願い致します。

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