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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
二章:幹太と審美眼の虎
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温泉街の狐火(壱)/瘴気と黒狐



 山巓は雲海の中で孤島のごとく浮かび上がり、雲の水平線から現れた太陽の光を遮られることなく受ける。西国南部と首都を遮るのは「竜の背骨」と呼ばれたクェンデル山岳部であり、磨かれた岩肌が曙光を浴びて艶に濡れ光る。

 その麓に広がり、朝靄によって視界が困難となっているシエール森林には、強力な魔物が跳梁跋扈すると旅人や冒険者に広く膾炙していた。誰しも此所を縦断し首都へ入る者は少数であり、それも修行を目的とする戦士か、それとも短慮で能力不足のまま足を踏み入れる無知な愚者。

 大陸同盟戦争が終結し、魔族の侵攻も消えてから中央大陸は次に、二分されてしまった。宗教国家であり主神とその一族を信仰対象とする西、肉体や精神の強化によって己自身を信ずる東。云わば神を肯定的に認める国と、それを嫌悪する国に分離した。

 それもあり、中央大陸の内乱は次の戦争を予期させる険悪な情報ばかりが流れる。それは玉石混淆――戦争を助長する者によって流されたありもしない嘘の伝聞がさらに国民を掻き乱す。

 右も左も信頼に足る人間はおらず、未だ国の境界線が明瞭とならぬ神と人のどちらを恃むかと葛藤に苦しむ時代。

 森の中を老人に付き添って歩く黒衣の青年は、彼の護衛として同伴していた。急を要する事態とあり、老人は大陸中心部の村を訪れることを天より命ぜられた。そしてまた同じ内容で、天上人と浅からぬ因縁のある青年にもまた、召集の天啓が告げられた。

 前に立ち塞がる魔物を一刀で斬り伏せながら、老人に躙り寄る害悪を、危険の臭いの元を瞬時に素早く正確に把握し、旅を阻害するものを一瞬の躊躇い無く処分する。老人にはその手先の動きすら見えず、瞬き一つの間に巨大な魔物であっても地響きに似た音を立てて倒れる。この森全体と視覚を共有する能力を所有する老人にとっては、どれも強者が苦心して漸く撃破する難敵ばかりなのに、涼しい顔であしらっていた。

 数年前に一度会って、それ以来ひとつも音沙汰もなかったが、青年へと成長した事に少なからず感慨があった。今まで会った闇人の中には異質に感じられる。


「お前ぇ、今は何してんだ?」


「ここより南東に住まう一族当主の随身です」


「主神様が怒らねぇってのは、珍しいもんだ」


「約束を果たせば、文句は言いませんよ。この事は他言無用……たとえ、来る日に貴方を訪ねる我が後継者にも、です」


 二人で歩いているというのに、足音は一つ。この至近距離であっても、老人には同伴者の気配は感じられない。森の中を歩く時の孤独感に身を震わせるだけだった。


「しっかし、お前ぇが天啓に従うってのは、一体なんの意図があってだ?」


「神樹の根本には村があります。今のうちに恩を売っておけば、大部分には決着が付く」


「成る程な、未来を決める大一番ってな訳か。それは確かなのか?」


 青年はきっぱりと首肯する。


「そいじゃ、ワシの命運も決まるってか」


「ええ」


「この件が済めば、お前ぇとは今生の別れか」


「ええ」


「次に面見せたガキが、どうしようも無い根性無しだったら承知しねぇぞ」


「……逞しい子です、そうはなりませんよ」


「じゃあ賭けるか?こちとら運だけは強ぇんだ」


「実力勝負しか経験がなく、運によって獲得した勝利は一度たりとも無いので、少々自信はありませんが」


 老人の笑声が森に響く。隣の青年が心外だとばかりに微かに眉根を寄せたが、その機微を果たして相手は受け取っておらず、まだ腹の底から湧く可笑しさに肩が震えていた。

 老人の反応に不満を持ちながら、神樹の根本に隠された大陸の心臓を目指す。







  ×       ×       ×





 娼館『散華』の正門に辿り着く。

 弁覩の背から次々と降りて、全員が扉の前で用心深く周りを見た。猛然と町中を疾駆する白銀の虎は、良くも悪くも町人達を娼館から掃いていき、仲間以外に人影は見当たらない。隠れていたとしても、弁覩の嗅覚で探知できる。

 幹太は腕を組んで館を見上げる。一見は立派な建物であり、此所が娼館であると知らなければ、宿と間違えて戸を叩いてしまいそうだ。尤も、見当違いで踏み込んだとしても、一時の悦楽を得る人間がいることも否めない。

 侵入経路を外観から探る。弁覩達が使用するのは、おそらく小動物が滑り込める小さな間隙で、幹太達に利用可能な道ではない。正面から強襲するという案も、内部構造もあまり把握していない状況下で無闇に踏み込んだら一網打尽にされる。

 現在は祐輔が先行して、この中に居る。もし捕縛される失態があっても、仁那の仲間ということもあって、助太刀に来る望みがある。

 そして最も懸念すべきは、館の何処に「月狐」の本拠地が定められているか。上階なのか、それとも地下に施設があるのかもしれない。上下左右、何処に罠が仕掛けられているか。


「弁覩、奴等は何処に?」


「最上階に集会場があったニャ。そこにボスっぽい奴もいた……ただ、部屋の前は階段が一本、両脇に狐を侍らせた陣形。下階の廊下にも、入念に小狐が配備されてるニャ」


「中々、深い所まで潜入したんだな。助かったぜ、これで真っ直ぐ上を目指せば良いんだな。あとは潜入方法だが……」


 弁覩の足下には、口を塞いだ昼傘が転がっている。彼女は衆目の集まる真っ只中で、自分は『散華』を営む者だと高らかに言っていた。それが正しいのなら、人質として用いるのが有効。ただし、通用するのは娼館で働く者だけで、狐自体には直接対決でしか退治は見込めない。

 失神している昼傘を後ろ手の状態に縛り山刀を引き抜いて喉元に翳す。彼女の体を確り支えながら、幹太は一同を見渡して頷くと正門に踏み込む。戸を先に昆旦が開け、隙間から入った。

 玄関先で受付を担当していた女は、客に好印象を与えるような笑顔で出迎え、直後に表情を凍り付かせた。上司の昼傘に凶刃を突き付けたまま入った男に、悲鳴を上げようとして彼の背後から飛び出した銀髪の少女に口を塞がれた。被りで顔を隠しているが、隙間から金色の眼光が無抵抗を強要する。恐怖にただ何度も頷いた様子を見て、昆旦が身を乗り出す。


「最上階まで我々は君達と諍うことなく進みたい。あまり無用な被害者を出したくないものでね……君らが匿う「月狐」とやら以外にこれを伝達してくれ、くれぐれも奴等には聞こえないように、頼めるかい?」


「勿論、静かに、大人しく、何なら仕事をそのまま続行して貰って構わないから。事が済めば普通に去るし、この男も解放するからさ」


 女は取り押さえられながら、訝しげな視線を目の前の一同に投げあ後、小さく頷いた。鈴音が手を放すと、摺り足で廊下の闇へと歩いて行く。やや不安な心持ちで見送った幹太に猫の体格に戻った弁覩がすり寄る。

 昆旦が興味津々に足下の猫を見遣って、鼻眼鏡を指で押し上げた。その瞳の奥に好奇心の火が点る。しかし、ここでは質問に応えている暇も許されない。天井から、または今通過した扉から敵襲があっても何ら不思議ではないのだ。機会を改めてと頭の隅に留める。

 数分後に受付の女は帰還し、全員に黙礼した。上階へ続く階段までの案内を請け負い、そのまま一同を誘導する。


「何だか、妙に上手く事が運ぶもんだな……。それに、昼傘の人質は本当に効いてんのか?」


「『散華』は職を失った女が、茅出を名乗る女……つまり昼傘によって、身体を売った稼業を営む場所です。この二年、戦争で財産や家族を喪った彼女達にとって、住む場所や仕事を与えてくれた昼傘は救世主なのですよ、容易に捨てきれない絆がある。……噂ですがね」


「へぇ……やっぱ、戦争の影響は大きいな。早くあの……なんだっけ、「白き魔女」にこっちの国も鎮めて欲しいわ」


「さあ……しかし、他国からの助力無くして平穏が得られず、となれば東国は堕ちていますね、世も末です」


 階段を上る間も、男と女の声が辺りで犇めく。時には耳を塞ぎたくなるような音も聞こえて、幹太は嘔気を堪えた。屋内に充満した臭いは酷く、鈴音の肩で悶えながら、弁覩は鼻を両手で覆う。この中でも特に何ら変化が無いのは、幹太に話ながら笑う昆旦と、後ろを静かに歩く鈴音。

 三階へと上がった一行は、先導していた女に昼傘を渡して帰らせた。此所から先は、弁覩の情報に見張りが睨みを利かせる「月狐」の支配する空間。床下の騒がしさも気にならず、緊張した空気に全員の感覚が鋭敏になる。

 床が軋む音にさえ反応し、鉈の切っ先をそちらへ差し向けてしまう。仲間でさえ不信になってしまいそうな場所を歩くのは、精神的にかなり疲労する。

 索敵として機能するのは、己の勘のみ。弁覩の鼻は、階下に瀰漫していた臭気で麻痺してしまった。相手の武装は一部を除いて刀剣、または戦槍など。鉄扇などを使用する特殊な狐の存在がいることも確認されている。

 足音を忍ばせて歩きつつ、目先の角に「月狐」が潜んでいまいかと気を張る。


「幹太、来る!」


 鈴音の注意と共に、虚空を切り裂いて飛来するのは矢――いや、鉄扇である。狙いは幹太目掛けてであり、前衛に立っていた彼を庇う障害物は無い。

 鉈を振り下ろして撃墜を図ったが、強烈な衝撃と共に弾かれて幹太の上体が後ろへ反れる。鼻先の空気を抉り、鉄扇は勢い止まず後ろの鈴音に。

 鈴音は振り上げた拳固で天井へと打ち上げた。轟音が炸裂し、角の先で驚嘆の奇声が上がると昆旦が指で前方を指し示す。昆旦が小声で呪文を紡げば、空気中に氣が集中し複数の氷塊を形成する。


「《氷の弾丸(アイス・バレット)》!」


 射出された氷の礫は、直線から軌道を変えて角の先に潜む敵を討滅する。進行方向で上がる悲鳴に、幹太は目を輝かせた。魔法の威力、それを意のままに操作する昆旦の手練は、初見の人間を大いに惹き付ける魅力が秘められている。

 鈴音は弁覩を撫でつつ、前に走り出して先に角の先へと躍り出た。急いで後続する二人の前で、既に岩石を砕き割った時に似た鈍い音と、骨が折れる音が立て続けに鳴る。そこに人間を食い破る異形の怪物でも居るのかと錯覚してしまう。

 廊下の角を右折した先では、狐の刀剣を握力で粉砕する鈴音が立っていた。金属で作られた凶器、それを紙でも手中に包むように軽くしてみせる。破片を捨てた彼女の掌の皮膚に傷はない。

 安堵した幹太が駆け寄れば、弁覩が顔を上げて何かを訴えている。先程よりも気分が悪いのか、かなり顔は険しい。

 昆旦が膝を折って、前に倒れ込む。口許を手で隠しながら咳き込み、周囲を鋭く見渡した。彼の様子を確認すべく屈み込んだ幹太も、爪先に力が入らず床に転倒する。体に異変が起きている、視界が朦朧となり五感が薄れていく。

 意識の断絶だけは避けようと抗い、壁に寄り掛かる。


「な……何だこれ……」


『幹太、これは……大変ニャ……!』


「何……が……」


 弁覩は正体に感付いている。見上げた幹太の視界では、その姿が朧気に輪郭が歪み始め、声も耳奥で何度も谺する。

 昆旦が床に伏せていた面を上げた。


「これは……()(ヘン)だ!」






  ×       ×       ×




「――鴉片……だって?」


 その名を聞いた途端、確かに昨晩に仁那を庇って受けた背中の傷から走る痛みが、次第に鈍く緩和されていく。思考力が落ち始め、完全に症状が現れ始めていた。鈍痛と陶酔の効果が脳にまで浸透してきた。三階は密室、毒が空気中に揺蕩う魔境と化している。

 幹太はふと、床を見詰めた。鴉片の臭いが微かに鼻腔を満たす。これは二階で嗅いだものと同じだった。敵は既に、相手の突撃を予知して鴉片を焚いている。二階の女達もろとも、薬にかけて躊躇っていない。恐らく集会場前の階段で毒を振り撒いている。

 鈴音は握り締めた拳を壁面に叩き付ける。三階を震動させる威力を放った一撃で、建物に巨大な穴が穿たれた。屋内で爆薬を起動させたに等しい効果であり、一瞬この廊下に発生した一陣の風と共に充満する瘴気が払われる。

 肺を満たした外気に鴉片は無く、二人は一度だけ深呼吸すると息を止める。まだ空間に漂う鴉片は存在している、気を許していれば今度こそ脳まで蕩けてしまう。


「鈴音は、大丈夫なのか?」


「うん、大丈夫だよ。薬や呪術に対して、私は耐性がついてる」


「我が子ながら恐ろしい」


 幹太にとっては、考察するよりも納得する方が早い。鈴音の特異能力は、生活するようになった二年前の春から起きている。彼女が何か嘘をついた事はなく、しかし隠したい事に関しては口を閉ざしてしまう。まだ家族となって、解らない事実も多く残されているのだ。その正体を察しているのは、あの冒険者ガフマンのみ。

 事情があまりに深刻なのか、その真実を開示する事はなかった。それに纏わる事件には何度も遭遇したが、それでも鈴音は守るべき対象である。幹太の精神的支柱は家族である鈴音と弁覩。

 鈴音に抱き起こされた時、背後の階段で騒音がする。段差を喧しく踏み鳴らす大勢の気配に、鴉片が徐々に抜けて意識が冴え始めた昆旦も構える。下階から姿を見せたのは、狐の覆面をした集団が武装した姿。

 前方からも三列で並んで進む狐達。異様なのは、その先頭に二匹の黒い狐。白で統一されていた「月狐」の中では異彩を放つ。三人は二匹が只者では無いのだと直感する。

 前後を閉塞する狐の群れ。対する戦力は鈴音、鼻を潰された弁覩、まだ鴉片が血中を冒し万全とは言い難い幹太と昆旦。若干三名の負傷が目立ち、狐の集団攻撃はさらに劣勢を強いる。――狐の仮面に、恐らく鴉片を吸わない細工でも施しているのだろう、「月狐」の面子は薬の影響など微塵も見せず、敵意の矛先をこちらへ正確に突き付けている。


「鈴音……前方の黒狐以外を、全部倒せるか?後ろは昆旦が一掃してくれると助かるんだが……」


「それは可能だが……あの黒いのが、一番厄介に思えます」


「二匹は俺が面倒見てやる、だから露払いは頼んだ」


「でも幹太……!」


「心配すんな、足止めだけだって。精々、殺されないように踏ん張るから、早めに頼むぞ」


 ふらりと立ち上がって、幹太は鉈を片手に携える。黒狐の武器は、斜に背負った竹槍である。金属製と違い、強度は低いその材質で作られた武器を得物とする真意を探る。重量は少ないから俊敏に攻撃を仕掛けられる――相手の攻撃を受けず、手数は少なく一つを致命傷とすることが流儀なのか。

 どちらにせよ、鋭利に尖った先端を避けて行けば、大きな負傷とはならない。間合いの長さをこの狭い廊下で潰すのは苦労が要るが、何も倒すのではなく時間を稼げば良い。

 幹太の後ろから鈴音が跳躍する。黒狐の対応が追い付かぬほどの敏捷で、その後方に控えた狐の群れに完全と躍り掛かる。仮面越しに頭蓋を叩き割り、自分を捕まえようとした腕を捻り上げて折った。武器を構える者には、利き手を破壊する。黒狐の後ろは凄然とした地獄が展開されていた。

 仲間の悲鳴を聞いて駆け出す対岸の群れは、立ちはだかる昆旦の魔法に迎撃されていた。武具で防御した前進を試みても、自在に軌道を変えて襲撃する魔法の脅威には敵わず次々と床の上に斃れた。

 幹太の肩には、鈴音から離れた弁覩が我が物顔で乗っている。幾分か気分が良くなったのか、いつもの不遜な態度に戻りつつある。


「お力添え頼むぜ、弁覩」


『任せろニャ、幹太。一匹はニャーが引き受けるから、その間にやっちまうニャ』


「あれ、二匹やってくれた方が助かるんだが」


『働けニャ』


「厳しいねぇ」


 弁覩が肩を踏み台に跳ね上がった。背中の傷に響いて呻く飼い主を無視した猫に、黒狐の一匹が竹槍を突き出す。小動物だろうと容赦しない、寸分違わず串刺しにする為の刺突。速度は獣を相手に仕事をしてきた狩人幹太でも見切れる、だが空中で弁覩は避けられない。

 槍が命中すると思った転瞬で、弁覩の体が急激な成長を始めた。頭部から大型の虎に豹変し、竹槍の先端を咥えて止めると、黒狐ごと鈴音が作り出した横穴へと投げ払った。

 穴から落ちた黒狐が正門の甍に着地すると、追撃に弁覩も飛び降りる。


「弁覩!」


『すぐ戻るニャ!』


 壁際まで寄って、降下していく弁覩を見送っていた幹太の鼻先を竹槍が刳った。後ろに飛び退いて回避したが、頬を掠めて真紅が頬に一条伝った。振り向けば、連続で無数の穿孔を繰り出す黒狐に鉈で応戦する。

 竹槍は撓り、槍を躱わしたと油断した途端に横腹を強かに打つ。鞭をより太く硬質にした一撃に体力が削られる。直撃は避け、どうにか処し果せているが、身体中に掠り傷が作られていった。戦槍と比較して危険性は少ないと甘く見ていたが、この武器は異なった危険性を孕んでいる。柔軟性に富んだそれは、槍とは思えない攻撃を何度も生み出す。

 いくら竹とはいえ、鉈で伐るには相応の腕力と間合い、力を矯める所要時間が必須。だが、この竹槍の遣い手は巧みにその猶予すら与えない。少しずつ、だが確かにこちらを追い詰めていた。


「くっ……狩人だからって、なめんなよ!」


 鉈で横へ打ち払いながら、幹太は山刀を引き抜いて投擲する。無理な姿勢から捻出したそれは、黒狐の右肩に命中し、その体を後ろへ僅かに退かせる。相手が怯んだ隙を突いて、鉈を逆手に持ち変えて把を握った拳を竹槍に滑らせるようにして距離を詰め、下から渾身の力で顎を殴打した。

 思わぬ反撃を受けて床に倒れ伏せた黒狐の胴に座って、左肩に鉈を突き刺す。両手が萎えて槍を手放したのを確認し、山刀も引き抜いて立ち上がった。


「殺しはしない……それでもう竹槍は握れねぇだろ。お前らの頭を潰せば終わりだ」


 幹太の戦闘が終了した頃には、鈴音は屍の上に立ち、昆旦が担当していた群れは氷の中に幽閉されていた。前後に振り返っても恐怖の光景が広がっており、嘆息して額を壁に当てて俯く。幹太の服は血に滲んでいた。仲間の中では、誰よりも悲惨な状態である。

 横穴の縁に弁覩が現れた。


「おう、どうだった?」


「頭を噛み砕いて庭に捨てておいたニャ。本来は二人で戦う戦術だったらしいから、楽だったニャね。途中で祐輔が屋根から飛び出して、町の方に向かったニャ」


「仁那達に何かあったのか!」


「可能性は否定できニャい、祐輔はあの娘を特に気に入ってるからニャ」


 神族と対峙する二人。如何にあのガフマンも、今回はあの巨大な羽衣の男には手を焼くどころか、敗北を喫することもあるだろう。あれは、誰も手の届かない神聖な一族より送られた遣いである。

 幹太は鈴音に振り返った。


「鈴音、仁那の援軍に向かってくれ」


「え、でも……!」


「確かに、鴉片を焚いてるかもしれねぇが、こいつがありゃ何とかなる」


 幹太は黒狐から仮面を剥いで、自身に装着した。昆旦は激しい体内の氣の消費に息は荒く、彼に倣って白い狐の仮面を被る。これで瘴気の中枢に踏み込んでも意識を失わず、最上階を攻撃できる。弁覩の案内があれば、敵の頭領の判別も付く。

 幹太の袖を握って首を横へ振る鈴音は、悲壮な面持ちだった。昆旦が情けない表情を目元に浮かべて見守る中で、彼女を抱き締める。


「今は何としても全滅は避けたい。俺達だけでも「月狐」を倒す……だから信じろ!」


「でも、でも、幹太……傷付いて」


「男は痩せ我慢でも仕事はこなす。俺が約束破った事、あったか?」


「無い、けど」


「なら、お前の友達を助けて来い。あ、ガフマンには要らねぇぞ」


 体を離すと、鈴音は相手を見上げた。仮面を取ると額からの流血で片目が塞がっているが、気丈に笑顔を作る幹太に唇を噛み締めた。いま立っているのも精一杯な状態である。限界に近い体の悲鳴を無視して、鈴音を送り出そうしていた。

 昆旦が肩を叩いて「幹太さんは任せなさい」と優しい声音で語るが、鈴音の中で踏ん切りが付かない。自分にとって最も大切なのは、幹太でありそこに揺らぎは無い。だからこそ、大切なモノを喪失する辛苦を想像して、この場を離れられないのだ。


『鈴音、ニャーが全力で守るニャ。だから、友達を助けてくるニャよ』


「……でも」


『いざとなったら、コイツを咥えてとんずらするニャ』


 穏やかに笑った弁覩に、鈴音は漸く頷いた。体格の変化や風で荒れた毛並みを整えるように撫でる。喉を鳴らして喜ぶ愛猫に微かに笑ってから、幹太に振り向いた。

 その内懐に滑り込んで、爪先立ちになって幹太の唇に口付けした。唖然とする弁覩以外が見守る中、被りを取り払って角を露にした鈴音は横穴から外へと脱出する。軽々と正門の屋根に着地し、細い街路の影に走って消えた。

 瞠目したまま立ち尽くす幹太を肘で小突いたのは昆旦と弁覩。


「やりますな、幹太殿。あんな可愛い女子を」


『ま、幹太はやればできる男ニャ。鈴音が惚れるのも仕方がニャい』


「え?え?え?」


「後で会ったら、妻にするかどうか、しっかり返答するんですよ?」


「え、えー……?ま、まあ、何だ……解毒にはなったかな?」


 今の口づけは――父親に対する愛情の証か?しかし、事を幹太よりも深く理解している二人組さらは、そんな解答は無い。幹太には信じられないが、鈴音の好意が異性に対するものではないかと、初めて認識した。

 未だ飲み込めない現実に混乱しつつ、黒狐の仮面を装備する。鈴音に任せろと豪語した手前、必ず果たさねば格好が付かない。

 弁覩と昆旦、幹太は上階を目指して階段を上った。








アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

自分でも書く手がやや暴走気味な気がしますが、物語的にはまったく逸走していないので、大丈夫かと思います(多分)!


次回も宜しくお願い致します。



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