ユウタVSタイゾウ
雨が酷いですね。
今日も雨に打たれながら、出勤する社会人の方々や、登校する学生さん達の苦労が思いやられます。
・・・え、私ですか?
なにもしてませんよ(泣)。
ユウタは、あらゆる武具の技術において、通常よりも高い技量を持ち合わせている。ただ、その程度の位階でしかない。“人よりは出来る”が、“達人”にまでは届かない。故に、一つを極めた敵に対しては常にそれ以上のものが求められる。策を弄するだけでは覆せない、そんな劣勢の戦況でこそ、氣術は真価を発揮する。誰も予想し得ない角度からの、敵を一撃で仕留められずとも多大な動揺を与えられる。それこそ、ユウタが主流とする戦法だ。
だが、今回は分が悪い。なぜなら、タイゾウも自分と同じく、氣術師であること。血路を開く為の力は、既知である彼に対しては不意打ちにもならない。寧ろ、相手の方が氣術師としての格は遥かに上位であると、戦闘の前に済ませた邂逅で理解した。タイゾウの技を模倣しようとも、模造品であるユウタの氣巧剣が彼の身に届くのも儚い望みに等しい。タイゾウが剣術に慣れ親しんでいるのは手先の動きで解る。
では、それらの理屈や力の差を埋める、“それ以上”のものとは何なのか。その解を導き出した時、ユウタにもはや迷いはなかった。
× × ×
刃が衝突して怪音を立てる。交錯した二筋の異色は、交点で空間を澱ませる。激しく打ち付ける雨の中で鈍く光る剣は、両者の命脈を断つために振るわれた。濁流の上で、その剣戟は果てしなく続く。至近距離で交わされる殺意の応酬は、一手間違えれば確実な敗因へと直結させる。
タイゾウはその危機感に興奮し、ユウタはその危惧に絶望する。
互いが握るのは、刃渡り一メートルの氣巧剣。光を都合よく中途で終わらせたような外貌は、奇怪そのものである。その正体が、氣を光や熱へ還元し、そのエネルギー自体を更に氣術で固定化したという異質な武器。
振るう度に得る実感は、長剣ほどの長さがありながら、その重量はその五分の一にも満たない。いつもより、一閃が迅く思われるのは紛れもなく氣巧剣の特徴だ。だが、それに反し、意識を酷く消耗し、体が鈍重になっていく。違う系統で体力を削がれるのは、ある意味で長剣よりも操るのが難儀である。
ユウタとタイゾウは、足場の不安定な岩の上で相手を切り伏せようと踏ん張っている。些細な一撃でも、威力は絶大な氣巧剣ならば、一瞬で敵の脱落を望める。川に落ちても、この流れの強さと水量なら、川面に上がる前に体力を奪われて溺死する。
死が隣人として常に寄り添う事で、ユウタの精神がより研ぎ澄まされていった。その感覚は、シゲルの時に近い。あの時のような激情では無いにせよ、集中力ならば追随する。タイゾウも氣巧剣に熟練しているとは雖も、同じ使い手との戦闘経験が少ないのか、余裕が見られない。
今回はユウタにもまだ優勢に立つチャンスがある。散逸しそうな意識を、眼前の敵だけに拘束し、手に駆る異形の武器の切っ先を一心不乱に振るった。
ユウタが大上段から振り下ろす。音もなく空気を切り裂いて迫る光の刃が、タイゾウの頭蓋を両断しようとする。当たれば即死、尋常な手段では防ぎ切れない絶対攻撃。
タイゾウはその脅威を、ユウタからして右へと氣巧剣で殴打した。弾かれて外側へと引かれる体を持ち堪えたが、間髪入れずに少年へと反撃に出る。横薙ぎにに高速で振り抜かれた刃は、体勢を崩しかけたユウタにとって、背筋を凍らせる一撃だった。
慌てて脇を引き絞って、氣巧剣の尖端を斜め下に構えて受け止める。会心ともいえた一手が防がれたことに、少し残念そうな面持ちをするタイゾウだったが、その瞳の中に狂喜を孕んでいる。──こういう男だ。普通ならば、こんな戦場を用意してまで交渉を長引かせたり、危険を冒す必要はない。この短期間でユウタが察したのは、タイゾウが戦闘狂であること。自分を連れて行く先でも、安寧が約束されるとは思えない。
右から左へ、身を翻して叩き付けられる剣を、ユウタは着実に防いでいく。攻勢に転ずるには、まだ早い。敵の手の内を把握してから、隙を見計らって決定的な一撃を決める。その魂胆で、いままさにタイゾウの剣術から目を離さないでいた。
振り下ろしを受け止めたと感じた直後、今度は下から剣を弾き上げられた。仰け反りそうになる体を引き戻す。悠長に観察を長時間続けられるほど、彼を凌ぎ切れるのだろうか。タイゾウには、まだ底が見られない。何よりもフジタを圧倒してみせた男だからこそである。
タイゾウがユウタに背を向ける。再び、左右からの連撃と思って身構えるユウタ。しかし、彼はそのまま後ろに回した手で、氣巧剣を旋転させ、ユウタを縦横無尽に乱打する。予想の範疇外の奇襲に、慌てて応じる。すべて皮膚に到達する前に撃墜した。あまりの近距離なために、危うく己の氣巧剣で自切しそうになった。一合ずつが命取りである。
向き直ったタイゾウが、振り返ると同時に水平に剣を切った。余裕も隙もなく連続で閃く攻撃。ユウタは、もう自分が立っているのか、そう錯覚してしまいそうになった。体を横へと煽り、頭上の空気を滑走する光の筋に目が眩む。足場の不利な状況を共有するだけでは、一向に決着がつかない。自分が優位に立つ為の手を講じなくては、タイゾウとの差を埋められないのである。
ユウタはその剣閃を躱わした直後、大きく跳躍した。相手が出発した対岸の方へと迷いなく舞う。しかし、それを見逃すほど甘くもないタイゾウの目は、空中で無防備になっている少年を捉えた。容赦なく、頭上を通過する瞬間に合わせた凶刃。
「ぐ────ッ!!」
ユウタは辛うじて逆手持ちにした氣巧剣で受け止めたが、衝撃を相殺することは叶わず、対岸へと勢いよく吹き飛ばされる。川を越え、泥の上を激しく転がった。その途中、思わず手放してしまった剣の把が数メートル離れた木の根本に突き刺さる。
跳ね起きるユウタ。眼前には、すでにこちらへと駆け寄るタイゾウ。剣を回収している間に、一体どれだけ切り刻まれるだろうか。相手は戦闘に興じる、どこまでも恐ろしい狂人だ。自分の身を安全に、その『仲間』へと連れて行く事が考えられない。それに、ハナエやゴウセン、フジタやビューダとゼーダの為にも敗けは許されないのだから。
ユウタは立ち上がって、拳を構える。徒手空拳で正対を選ぶ少年に、またしても男が嫌らしく笑った。相手の予想外な行動に、焚き付けられやすい性格なのだろう。足を止めず、泥を辺りに蹴散らして踏み込む。
その刹那、ユウタは敵の内懐へ向かって低く飛び込んだ。剣を構えるタイゾウの腰の高さまでら前傾姿勢で突撃を敢行する。得物の差で、拳のユウタには覆せない間合いがあるため、至近距離まで近付かなくてはならない。これまでの打ち合いで、空振りを誘ってからでもタイゾウは即座に対処してみせる。なら、行動を決定し、すでに予備動作へと体を移行した状態を衝くしかない。
大上段からの振り下ろし。タイゾウの構えに、ユウタは拳を打ち込んだ。咄嗟に首を横へ僅かに傾げて、回避してみせた時は、少年も苦い顔をした。だが、その程度のことは想定済みである。仕組まれた第二の矢が、既にタイゾウを捉えている。
ユウタが腕を振り抜くと、岩で横殴りにされたような衝撃と共に、タイゾウの足元が滑り、その体が宙で回転する。その際、手元から得物を投げ飛ばしてしまう。抵抗もせず、地面に仰臥した彼は瞠目していた。ユウタの使った技の特異さに記憶があったからだ。少年が使用したのは、紛れもなく自身が引き連れた一人──シゲルの技「氣巧拳」。肉体での直撃がなくとも、練り上げた氣を衝突させる、氣術を拳法へと応用したもの。
ユウタは氣巧剣を、一夜かけて完成させたと言っていた。修得速度は確かに、目を見張るものがある。だが、彼はそれに加え、前戦の敵の技術にも目を向け、己の手の内にしていた。氣巧法を二つも短時間に会得するには、相当の修練が必要とされる。
タイゾウが呆れて笑った。
「ははっ──やっぱり君、最高だよ」
ユウタは声に答えず、自分の武器を氣術で引き寄せた。タイゾウも掌から発生させた引力で、氣巧剣を回収した。再び出現する闇と光の刃。
ユウタは上から振り下ろし、タイゾウはそれを防御する。後者は笑顔であったものの、内心は危機一髪と、かなり焦っていた。この調子ならば、まだ少年には秘匿されているモノが存在するかもしれない。そうなると、出し惜しんでいる間に敗北を喫するのは明確だ。いま、彼は凄まじい速度で成長している。
顔から薄笑いが消える。ユウタの足元を横から払い、蹌踉めいたユウタの下から脱出した。その背後で立つと、空かさず攻撃を入れずに、相手の出方を窺う。ユウタも彼の雰囲気が変貌したことに驚きながら、ゆっくりと向きを変えて相手に剣先を定める。
「少年、ここまで練り上げたか。立派だよ」
「教えろ、背中に黒い刻印のある老人に、憶えはあるか?」
「ん?少女の居場所じゃなくて?」
「そっちは勝てば解る事だ」
ユウタの不敵な発言に、タイゾウは途方に暮れたような顔をしたかと思えば、途端に哄笑した。雨の中でも大きく聞こえる笑声を煩わしいというように、ユウタは眉弓を寄せる。
「あー、うん、そうだね、くくっ。
えーと、背中の黒い刻印なら有名だ。そっか、君の育て親だもんね」
「ああ、そうさ。お前らが裏切り者と蔑視する人だ。僕にとっては、唯一の師」
「うーん……核心的な事は教えられないけど、これくらいなら」
タイゾウが胸元まで襟を広げた。乱暴に引かれた布の悲鳴が小さく聞こえたが、下から覗いた皮膚に見えたモノに注意が惹き付けられる。
彼の胸部に、ユウタと同じ刻印がある。異なるのは、白いことだった。
「言っておくけど、白い刻印なら、シゲルもジンタにもあるんだ。黒色は、“君達”だけだよ。各代に一人…稀に生まれる」
「そんな、由緒ある物なのか?」
「これは、刻印じゃなくて、“烙印”なんだよ」
烙印──罪人などに付ける焼き印。拭い去れない罪科の象徴。
「僕らが一体、何を犯したって言うんだ」
「まあ、君の師と君じゃない。それはその内解るよ。さ、続きを始めよう」
× × ×
遡ること、およそ一時間──
ユウタの戦闘が始まる半時前、タイゾウはハナエを連れ、村の裏門に来ていた。川のある正門側から隠れるように連れられた彼女は、これから自身の処遇について考えていた。この数日間、特に何の危害も加えられることは無かったが、最後まで油断はできない。
村を囲う防壁に到着した。ハナエの心臓が恐怖に早鐘を打ち、恐る恐るタイゾウを見上げると、彼女を蹴り飛ばした。壁に激突して、痛みにその場に蹲っていると、外套の男が踵を返す足音が聴こえる。
「え?」
「ん?」
ハナエが上げた戸惑いの声に、足を止めた。
「な、何でわたしを解放したの?」
「だって、もう必要ないし。それじゃ」
もう必要ない──その言葉の意味を考えた。氣術や集団の正体、そして先日の勝敗結果以外、ある程度の事情を聞いている彼女の頭に二つの結末が浮かぶ。
一つは、これからユウタとの戦闘。
もう一つは、既に片付いたユウタを迎えに行く。前日の戦いで彼が敗北し、タイゾウに連れて行かれる未来である。
ハナエは慌てて村へと押し入った。すでにその存在を察知していた守護者たちによって、歓喜に震えた村人たちの波を速やかに切り抜けながら、村長ダイキの下まで行く。村の中でも異様な風体の館に踏み入り、妹のカナエに挨拶を済ませて、村長の書斎を訪ねる。
扉を軽く叩いた。
「ただいま帰りました、ハナエです」
すると、扉が内側から開かれる。
村長が飛び出し、彼女を包み込んだ。凄まじい圧力に、思わず後退したが、その体を受け止める。
「よく帰ったハナエ!無事か!?怪我はないか!?」
ハナエを見回す村長に苦笑する。
「はい。わたし、特に何もされませんでしから。……あの、ユウタは?」
その一言で、村長が動きを止め、表情を固くした。先ほどまで娘の帰還を喜んでいた様子が、一気に冷めるように。彼は気まずく視線を床に落としながら呟いた。
「先日、あやつの戦いによって、ゴウセンとフジタが犠牲となった。何とか生き延びた奴は、恐らく今日も奴等との果たし合いに行く」
「そ、そうなんですね……」
「これが終われば、奴はどのみち、村には居れまい。早々に追放しよう、お前を巻き込んだ輩など許されん。
案ずるな、お前の良き理解者は作ってやるから」
まただ。ハナエは思った。
自分の幼少時から、村長はこの様子である。ユウタの師が「先生」と敬われ、村長よりも慕われる時期があった。それ以来、彼と、その弟子であるユウタに対しては心を開かない時がある。何かで意見が対立する時は、徹底的に排除するか、黙殺する。
いまの彼は、娘を人質としたユウタを一方的に弾圧したいだけなのだ。
「お父様。ユウタは仕方ありません。わたしが不用意に村を出たからなのです。彼を咎めないで下さい」
あの日、氣術師の三人を総員で叩く前。夕暮れになるまで、ハナエは薬草を蒐集していた。理由としては、右腕の痛みを発症したユウタに鎮痛作用のある薬を調合するため。普段から、一切そういった病や疲労の色を見せなかった彼の弱い一面に、彼女は身に迫る危機感を感じた。
彼が倒れて、自分の傍にいないという未来を、酷く受け入れ難いものとした。無我夢中で、本で調べた薬草を採取していた矢先、タイゾウに捕縛されたのである。
「だから…」
「わ、わかった。仕方あるまい、処罰は軽く済まそう。だが、それは奴が勝てるかどうか、それが先である」
ハナエは外を見た。
激しい雨が降り始めている。村人が一斉に家へと引き返していく光景が広がっていた。この中で、あのタイゾウと戦うのか。そう思うと、不安になる。
「ごめんなさい、お父様。わたし、少し外へ行きます!」
「お、おいハナエ!?」
× × ×
ユウタとタイゾウの戦いは、川から陸に戦場を移していた。湿る大地に軸を据え、その場から両者が一歩も退かずに剣を交える。森の中は暗く、更に空は雲に覆われていることから太陽の光すらない。完全な暗闇の中、その手に執った剣の光と氣術による気配感知のみで敵影を捕捉する。
ユウタの氣巧剣は、真紅の光を微弱に帯びて、更に禍々しい暗黒の刃となっていた。タイゾウもまた同じく、刀身が白光を燦然と輝かせていた。
激突する度に、刹那の閃光を散らして闇に溶ける。暗中で咲き乱れる火花は、まるで森の中に瞬く雷光である。
ユウタの袈裟切りは、難なく横へと弾かれる。続くタイゾウの逆袈裟を撃ち落とし、再び手中で旋回させた氣巧剣の連撃をいなす。膝下に滑らせた切っ先も届かない。
闇の中で続く剣戟は平行線を辿っている。
タイゾウもまた、自分との戦いの内で、ユウタの剣術が練り上げられているのが理解できた。追い付くのも時間の問題だろう。その吸収速度と、隠された未知数の力は後にタイゾウを苦しめる。早期決着を望んだ一打を放たなくてはいけない。
ユウタは棍棒のように剣を振り回してタイゾウを牽制すると、渾身の力で薙ぎ払おうとする。始点から終点まで、切っ先から軌道が空中に残光を残すような剣舞。
だが、攻撃を読みきったタイゾウは、見事その一撃を防いだ。鍔競りとなり、一向にどちらかへ傾く気配を見せない。これでは埒が開かない!
右腕の烙印に痛みが走った。
「ッ──ああッ!!」
ユウタが右手をタイゾウに突き出す。最大の集中力を以て、敵に全力の氣術をぶつける。
タイゾウもまた、それに応じた。彼の左手が重なる。
二人が鏡のように、掌を接近させていく。彼我の距離が詰まるほど、両者を突き放そうとする氣の力は増大した。指先で空気が連鎖的に小さく爆ぜて、濡れた土が水と共に空中へと浮上し、辺りの木々の表面に亀裂が走る。その場に根を張り、耐えるユウタとタイゾウの周囲は、空間が押し広げられるかのように壮絶な衝突に震撼した。
二人の指先が触れようとした。
先に折れたのは、氣の方だった。無音のまま炸裂し、爆風を巻き起こして二人を引き剥がす。全方位で高木が倒壊し、轟音を立てて地面の上に木っ端微塵となる。中間地点から大きく吹き飛ばされ、地面の上を背中で跳ねた。
川辺まで飛ばされたユウタは、氣巧剣を握り直して立つと、跳躍して木の幹に貼り付いた。そのまま上へと登り、枝葉の影に隠れる。ようやく歩き、探り始めたタイゾウは即座に少年の気配を感じて一本の木を切断した。人の柔肌の如く切断された断面から一瞬だけ火が上がり、雨によって消される。
傾いていく木から飛び降り、頭上から襲撃する。タイゾウは全力の剣撃を放つ姿勢を整え、落ちてくる少年を迎え撃つ。空中での攻撃は、少くなくとも一度が限界。その間に連続で叩き込めれば、タイゾウの勝利は確実である。
万全を期して待機し、その時を待つ──
「ここだ!!」
ユウタが懐から短刀を数本、指の間に挟み込んで投擲した。正確な連投に、その場で一撃にすべてを費やした体勢のタイゾウは、慌てて解除する隙もなく、氣巧剣で薙ぎ払った。
“──しまった!”
手を誤った。ユウタを打ち負かす為の攻撃を、つまらない事に使ってしまった。顔に渋面を作り、地を蹴って後退しようとしたところへ、落下してきたユウタの剣が掠め過ぎる。
着地した少年の足元に、タイゾウの片腕が転がった。氣巧剣を揺らしながら、男は痛みに少し呻く。
「ぐ、やるね…」
「この一撃入れるのに、どれだけ掛かったことか」
ユウタは浅く荒い呼吸を肩でしていた。ようやく手傷を負わせた事に安堵し、その顔を濡らしていた雨を拭う。戦闘の熱で火照った体は、蒸気でも立てているように雨の冷たさを詮無いものと思わせた。
ユウタが追撃に進み出ると、タイゾウが退く。
「仕方がないね、次で勝負を決めるしか」
「アンタにあるのか」
「隻腕だからって、舐めてもらっちゃ困るよ」
タイゾウはそう言うと、川岸に立って、少し視線を背後へ送ると、後方へと飛んだ。川面から露出した唯一の岩に、宙で背転しながら優雅に着地する。
ユウタはそれを見詰めた。
「そこからどうするってのさ」
「こうするのさ」
タイゾウが氣巧剣を指揮棒のように振るうと、川の流れの一部が、ユウタへと押し寄せた。
突然発生した部分的な氾濫に、ユウタは対処し切れず飲み込まれる。タイゾウが笑った。氣の力において、先程の衝突で互角と理解したが、操作技術なら自分の方が上だと。奇襲によって片腕を喪ったのは大きいが、いよいよ少年を侮ってられない。
もはや念頭に置いていたユウタの連行を忘れ、全力で倒す一念のみを剣先に乗せて、タイゾウは跳躍する。気配はまだ、同じ場所に立っている。恐らくは、水を斥ける為に氣術で応戦しているのだろう。その頭上から、同じように迫る自分の存在を知らずに。
「勝った、終わりだ少年!!」
歓喜と共に、宙で回転しながら叫んだタイゾウだったが、着地することなく地面に転がっていた。意識の断線もなく、足が縺れた訳でもない。何に阻害されたのか、体を起こそうとして異変に気付いた。
四肢がない──周囲に視線を巡らせて察した。
「残念だったな」
目前に立つユウタの足下に、タイゾウの腕と足が落ちている。
「何をしたんだい?」
「シゲルとの戦いで、僕の力が相手の氣を奪う事ができると知ったから。だから氣術で操作された濁流の主導権を逆に奪って、逆に僕を隠す水の膜を張ったんだ」
「それを私が勘違いし、攻撃を仕掛けた所へ」
「宙で回転する前に、三肢を切り落とした」
滔々としたユウタの解説を受け、タイゾウは微笑んだ。一回りも二回りも年下の少年に、見事に欺かれていた。
「完敗だよ、少年」
「ハナエは?」
「解放したよ。勝敗がどちらに転ぼうと、もう用がないしね」
「最後は僕を殺す気だったくせに」
「おや、気付いてたのかい?」
その様子にユウタは嘆息をつく。氣巧剣の刀身が、粒子になって空気中に霧散した。残された剣の把を腰の紐に結び、タイゾウの襟首を掴み上げる。再び向けられた憎しみに、彼は一切の罪悪感を見せない。
「勝者は君だ。好きにするといい」
× × ×
ギゼルを同伴し、ハナエが到着したのは、荒れ狂う川の近くで、ユウタが何かを川へ捨てる姿だった。それを見咎めて、大声で名前を呼ぶと、少年が顔を上げる。
川を渡って近付いてきた彼の様子に二人は固まった。
いつも澄んでいた琥珀色の瞳は、今の川と同じように濁っており、光が消えていた。ギゼルに対して一礼すると、あとはハナエの手を握って苦笑し、その場に崩れ落ちた。
次回、前日譚完結です。
そのあと、小話と登場人物紹介を挟んだ後に、二章を始めたいと思います。




