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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
二章:幹太と審美眼の虎
146/302

語られる歴史(参)



 凪いだ湖面は、雲の合間から姿を現す月を濁り無く映す天空の鏡となっていた。

 風は無く、遠い彼方から聴こえるのは鳥の啼く声がする。何を哀れみ、悲しんでいるのか。ただ空虚に空へと伝播していく声に、二人は耳を澄ませる。

 一人は熱意があった。世界を滅ぼし、万物を浄化する刧火を放つほどの熱い血潮が体と、そして意思を支配している。己が願望を叶えるなら、如何なる犠牲も厭わず、あらゆる手段を是とする精神。目前に立ち塞がるなら、総て焼き掃う対象であると見なす。――それはまるで、太陽だった。

 光が届かぬ部分、遮る物を照らし熱を与え、そして溶解させる。地に巣食う闇を喰らい尽くすべく、それが無為であると知悉してなお、愚直に求める。しかし至近距離にあるなら、己が望む物を秘匿する障害を消滅させることすら造作もない。

 故に、その願いが一つを求める時、たとえ一人の人間を手に入れる為であったとしても、求める先を定めてしまえば世界すらも敵であり、焼き滅ぼす事も容易となる。

 対する一人は、義憤があった。目の前に立つ人が愛していた筈の世界を、仲間を殺める凶行にまで至ったこの現実を包む暗澹とした闇を切り払い、それでもなお止まらずに進むその足の枷にならんと鋼の意思を以て相対する。――それはまるで、一振りの剣であった。

 心を刀身に映し、振るわれた(きっさき)には想いの強さが載り、その剣に曇りが無ければ、それは阻む物も無い絶対的な矛と成り得る。それが他人の感情であろうと、不可視の力とされる運命であっても断つ。

 剣は映してしまった、相手の真の姿――その奥には相手が消し去ろうとする総てを、まだ思い遣る心があると。その矛盾を投影し、看破したからこそ止めなくてはならない。気付いたのが自分だけであるなら、彼女の願望を断ち、その奥に在るモノを囲う弊害を取り除くべく、剣は相手を切る決意をした。


「言った筈だ、大切な人が狂気に奔ることは望まないと。その繋がりが、絆が、愛情が紡いでくれた世界を君も知ってるだろ。――みんなが君を想っているんだ!」


 一人は胸中で溶岩流のごとき憤懣を押し留めて、相手に訴えかけた。自分もその一人であると。依然として禍々しい熱を帯びた獰猛な微笑みを湛えて、視線を返す相手に叫ぶ。

 その熱意が向かうのは自分であると知って、なお苦しくなった。その妄執を、固執に堕ちた太陽は痛々しい輝きで剣を照らす。その光を反射させ、自覚させようと試みても、光源の強さはあまりに凄まじく、こちらの意は伝わりもしない。

 もう、自分自身が見えないほどの光を宿していた。


「……だから、行かせない!」


 月夜の下で太陽が輝く。地面に映された第二の空を乱し、波を立たせて空間を歪める。前方で胎動する力によって、周囲が掻き乱されていく。言葉では通じない、剣の訴えは虚しくも届かなかった。

 諦念に瞼を閉じて、剣は役目を変えた。相手に伝える物ではなく、相手を切り伏せる物。友愛による怒りの熱が、次第に夜空を凍てつかせる冷気へと変遷する。

 向かい合う二人――一方は夜空を照らす太陽、もう一方は夜闇よりも深い濃密な漆黒。相反する双方が引き合うかのように前へ進み出た。燦然と飛沫を散らして進む太陽、湖面を騒がせず空気を滑り静かに疾駆する闇。

 中間地点で両者は交わった。互いに喰らい合い、相殺して消える。夜空の下で散逸した力の中から現れた二つの人影が、湖面の上で激しく衝突した。

 彼ら以外に、この夜を彩る音はなかった。鳥の声ももう消えて、風はこの場で生み出される。一夜かぎり、この場所が世界の中心となる。そしてこの場に立つ者は一人、すなわちどちらかが倒れた瞬間、世界の行く末は決定する。


 この日、世界が終わると誰もが確信した――。








「――――ッ!」


 少年は寝台から跳ね起きた。

 あまりの勢いに、薄い上掛けが床に落ちる。右の瞼の裏に焼き付いた夢に、汗が顎から滴り寝台に染みを作った。肌は熱を放射しているように収まらず、涼しい夜気さえも感じない。

 ある時期から真紅に変色した右の瞳に視せられる夢は、異様な現実味を帯びて少年を苛む。実際にあった事柄に立ち会ってたかと思えるほどの迫力に恐怖が体を駆け巡る。

 体を冷やそうと沢へ下りる為に立ち上がると、手を掴まれて驚き振り返る。

 自分を捕まえた正体は、寝台の上で安らかな寝息を立てていた。普段は高圧的で何者も近付けない威厳、そしてその印象を崩す磊落さが混在する少女に、何故か少年は安堵する。体を熱していた恐怖も霧散した。

 少女はこうして、いつも自分の布団に潜り込んでくる。決まって誰もが寝静まった夜半に、気配を消して訪れるのだ。部屋に入ることすら拒んだが、物言わせぬほどの頑固さで渋々妥協し、結果的に毎晩寝台を共有することが日常化していた。

 夢を視た右の瞳を閉じ、琥珀色の隻眼で少女に柔らかい眼差しを注いで、その白い頭髪の一房を指で弄る。


「……まさか、ね……」


 







  ×       ×       ×





 旅館『敷座』を出て、一行は繁華街の中にある飯屋で夕餉にしていた。引率するガフマンの希望あって、誰も首を振らずに入店した。東国の地では一際目立つその容貌を轟然と動かし、衆目を集めても気を留めず笑う。ガフマンの大胆な言動には精神が削られたが、その反面では心惹かれるものがあった。ここまで心の底から愉快に、そして感情を露にしている人間は初めてである。

 知識と肉体は成長しても、心はまだ無邪気で何も知らず貪欲な子供にも似た幼さがある。それは恐らく、大抵の人間が大人へとなって行くに連れて諦観と選択の中で捨てられる尊い感情。いずれ不可能だと、綺麗事だと弁え一蹴するであろう感性が備わっている。生粋の冒険者――そうガフマンが呼ばれる所以はすべて、そこを起源とするのだろう。

 仁那も後より思い出していた。

 西で名を馳せ、異国の地にさえ存在を認知させた強者。一時は戦場にて西の軍勢に加わり、赤髭総督を悩ませた人物でもある。それからは、あらゆる迷宮を踏破し、過去から続き現代にまで蔓延る未知を解明する大きな手懸かりをその掌中に掴み、人々の胸を震わせる武勇を持って帰還する英雄であり、【灼熱】の二つ名を持つ戦士。

 その冒険譚が物語として綴られることもあったが、それらの記録は二年前から忽然と消えている。彼が東の土地に在る謎を求めた、或いは帝竜討伐の際に負った傷を隠し隠居、または突然の死を迎えたと様々な説があった。冒険者のみでなく、旅人の界隈でも有名であるためか一時期彼を弔う者までいたという。

 だが、件の亡き英雄と云われた偉人は、こうして物理的に命脈を絶やさず仁那に肉薄してくる。飲み込んでも満たされぬ無窮を孕む好奇心を充溢させて語り掛けてくるのだ。

 仁那には、彼がこの二年をどう過ごしていたかは判らない。だが、少なくともまた謎を解明すべく動いているという事は確かだ。それがガフマンという男であり、それを止めた時こそ真にガフマンの死と呼ぶ時なのだろう。

 故に、好奇心の対象は凄まじい追求を受ける。仁那は幸か不幸か、その的となってしまっていた。


「――ほう、つまりお前さんは龍の力を宿しておると?」


「端的に言えば……そうです」


 左手の手套を取らずに説明した。

 食堂に陳列する机に集まる旅人や町人によって、空間にほとんど余裕は無い。身動ぎ一つで誰かに接触する。その中でもガフマンの巨体は、やはり二人分以上を占めるほどで、傍に腰掛けている幹太や鈴音も肩を狭くしていた。

 机を挟み正面に座る仁那の首には祐輔、膝上には弁覩が座す。湯上がりで火照る体に仁那は手で扇ぐ。密着した二体の獣の間で交わされる鋭い眼光を至近距離で受け、仁那は体の熱によるものとは違う冷たい汗が滲む。先程の弁覩の悪戯があってから、祐輔の警戒心は今までにないほど高まっていた。

 店内での暴走を防ぐ手綱を握るのは仁那と幹太だが、後者に関しては先程の鈴音による体当たりがかなり堪えたのか、未だ机上に伏せた面を上げずに苦悶の声を漏らす。気遣う鈴音の視線へと気丈に笑って振る舞うが、回復には程遠く顔色は優れない。

 卓上で所狭しと並べられた大皿に盛られた料理を食するガフマンの手は止まらかった。それを見ているだけで、仁那も既に空腹感は無く、彼の胃袋に何かが収まれば、それも共有されていると錯覚してしまう。

 ガフマンが少し身を乗り出して訊ねるのは、港湾都市で発生した事件。仁那が発ってから、その現状が住人によって広く各地へと新聞で伝えられており、世にとっては既知事項。道を急いだ仁那の耳には届かなかった。

 当事者であることからまず驚かれたが、次に仁那が如何に魔族を退けたかを問い糺す。『刻印』に関する情報は極僅しか持ち合わせておらず、これが強力であり、根源は祐輔からであるという認識だけだ。顔の向きはそのままに、ガフマンの瞳が襟巻きの龍を映す。

 質問が来ると判っていたのか、黙って目も合わせず沈黙する祐輔の様子に、弁覩が机の上に載ると人間のように臀部を机に下ろし器用に胡座をかいた。


「白猫、まさかお前が知っとるのか?」


『勿論ニャ、この左手の「花弁」は、ニャー達と深い関係を持つニャ』


 左手の手套を無理矢理剥ぎ取る。慌てて取り返そうと手を伸ばした瞬間、弁覩が手首に牙を突き立てた。それは、仲案道堂で相棒に力を与えられた時と同様であり、既視感のある光景である。

 左腕から全身の血管の中で異物が蠕動する感覚に、思わず握っていた湯飲みを握り潰した。破片が掌の皮膚を貫くが、その痛みを凌駕する激痛に襲われる。あの時と違うのは、痛みを伴うこと。祐輔の時分は、牙が肉を抉ろうとも無感覚だった。

 体内に花弁の一枚、漆黒に塗られたそれが金属に似た光沢を放つ銀に染まる。漸く弁覩が口を離すが、その歯牙に血は付着していない。手套を返し、口元を手で拭ってガフマンに向き直る。


『仁那は『器』ニャ。ニャーや祐輔、その他二体の同胞の力を受ける』


「ほう、見てくれは小動物だが、異様な魔力……いや氣を感じるわい。何者だ、お前達は?」


『おいゴミ虎、まさか説明すんのか?』


『祐輔が『器』を間違えた時点で、もう守秘義務も何も無いニャ』


『間違えた……だと……?』


 弁覩は無視して、ガフマンに説明した。


『ニャー達は『四片』、または『四聖獣』と呼ばれる分散体。元は個であり、太古に分けられた魂と肉体』


「ほう……して、誰の肉体の欠片であると?」


『一言で表すなら、西国が崇める「神」。要するに、神族でも並ぶ者は居ない世界の始まり、主神の一部ニャよ。

 そして『器』は、ニャー達とある人間の間で交わされた約束、その要となる人物を指すニャ』




    ×          ×





 遥か昔、神代の世界に君臨した主神。

 三人の子を生み出し、世界に戦争と平和という二種の概念を生み出した。

 魔術師――世界の運営を一任された事実上は神の代行を務める者。

 死術師――生命を司り、死と生の交錯を管理し世界を監視する者。

 氣術師――万物の理を読み解き、森羅万象を制御する力を担う者。

 魔術師は北大陸で神の守護を命ぜられた獣人族。死術師は南大陸で神に叛逆する現代の魔王一族。氣術師は両者による衝突で世界に生じる軋轢などを処理する矛剴一族。これらは『業』と呼ばれ、主神の力であるとされた。

 力を失い、魔術師という代行を得て以来、『業』という役割を失った肉体は蛻に等しく、消滅を危惧した主神は肉体と莫大な魔力を四つに分断した。それらが弁覩、祐輔を含める四体の獣――『四片』。


 氣術師と獣人族は憎しみ合う相互関係であり、過去の事件を切っ掛けに幾度と無く死術師が起こした中央大陸の戦乱にて火花を散らした。『業』が互いに引き合う中で、分かたれた四体の獣は沈黙を守っていたが、約六〇年前より存在を認知した氣術師によって襲撃を受ける。

 主神本体への復讐を果たすべく、まずはその復活を望んだ矛剴が捕縛に取り掛かるが、それを弁覩達は幾度も撃退した。飽くことなく怨恨を以て現れる外敵を排除する日々の中は、延々と続くと思われた。


 しかし、約五〇年前である。

 この地を通り過ぎた一人の少年により、弁覩達は初めて敗北を喫した。四体の獣、力を総じて「神」となる存在を前に、拮抗すら許さず圧倒される経験は無く、獣達は彼を神族だと疑った。

 その少年は北大陸に渡り、神族に中央大陸にて魔族撃退の協力を強いた。これによって『大陸同盟戦争』は閉幕したのである。

 その数年後、少年は再び現れた。

 弁覩達の迎撃を物ともせず、簡単に制する。

 少年の正体は――『(ヤミ)(ビト)』。矛剴一族の中に生まれ、神の(しもべ)として人生を費やす。各代に一人、子を成さず、一族の中で生まれた次代の担い手に技と役目を伝授し死に行く機械。

 歴史の裏で脈々と継承されてきた伝統の中で、その少年は唯一神に逆らい己の意思で動く個体だった。何を目的に行動しているかは不明であったが、未来を見通す力を有していたために、弁覩達に協力を強要する。

 無論、弁覩達は反抗したが、中でも祐輔は彼の旅に付いて行く決断をした。少年が見据える世界、その果てに何があるのかを見定めると。


 そして十七年前、先の大戦が終結したと宣言された月に、彼は老人となって現れた。自身の命が既に長くないと悟り、四体に予言を遺す。


『お前達の選択次第で、大きく世界は左右される。いずれ現れる指導者は、その憎悪を愛に換える。急いたところで見付かりはしない、だが必ず十数年の後にお前達を訪ねる。

 その人間は、世界に多大な変革をもたらす。その手助けとして、お前達の力を分けて欲しい。拒む意が微かでも無いのなら、『器』は必ず受け止める。

 心根の優しい人間だ、お前達も認めるだろう。共に世界を救って欲しい』


 そして四体はそれぞれ、各地へとその存在を求めて動き出した。






  ×        ×        ×





 話が一通り終えると、全員が沈思する。

 弁覩達を軽くあしらい、神族を従わせて大陸同盟戦争を終結させた英雄。確かに、歴史には神族の協力あって、終戦に導かれたと後世に伝えられている。だが、彼等がどうして長らく無視していた魔族と中央大陸の戦乱に参加したのか、その詳細のみは未だ解明されないままだった。

 北大陸に足を踏み入れるには、神族に(えにし)ある者のみ。西国にいる『御三家』、或いは神から加護を賜った皇族、中央大陸に追放された矛剴が該当する。世界の破滅を思わせた酷烈な戦況で、誰しも死は一寸先と終わらぬ地獄とした戦争、各地の緊張が最も高まった時期に、弁覩達を退けた少年はぬけぬけと北大陸まで赴き、戦争を終わらせる一手を講じたなだ。

 だが、その名は知られていない。英雄と称えられ、その人生を華やかに彩る功績を持ちながら誰も知覚しておらず、その人物はそれを良しとしたのだ。

 どんな大義があって、少年は予言したのか。


「それじゃ、わっせが『器』?」


 弁覩達――『四片』の来歴が明かされ、一通りの話を苦慮しながら解釈した仁那が小さく呟いた。四体の獣の力を受ける心優しき人間、世界を変化させる重要事項。予言者たる老人が示唆する『器』は、仁那の左手にある『刻印』が証である。

 祐輔は首肯するが、弁覩は顔を顰めていた。二体の間に認識の齟齬がある。

 幹太は鈴音の膝に頭を預けて眠り、この会話を鈴音とガフマンが静聴していた。既に周囲では宿へ帰る客が次々に席を立ち、酒に酔い取り残された者が疎らに店内に留まり眠る。

 厨房で食器を片付ける音のみが店内に響く中で祐輔が仁那の首から頭を前に出す。


『おい、ゴミ虎。オレ様が間違えた、ってのはどういう事だ?オレ様みてぇな奇々怪々な生物でも受け止める性根から甘っちょろい小娘で、前回の事件でも間違いなくコイツだって確信がある。

 アイツの予言通りだろう……何の不満がある』


『不満じゃニャい。仁那は紛れも無く『器』ニャ……ニャけど、本来は『器』になる予定じゃニャかった、というだけの話ニャ』


「どういう事?」


『仁那は見る限り、ただの人族ニャ。遠縁に矛剴や獣人族、魔王を持たない……ニャーの目がそう告げてるニャ』


 弁覩の賢しげに細められた目が光る。

 その時、目前の白猫から奇妙な力の波動を感じて仁那は椅子を引いた。


『祐輔、予言通りなら……『器』は、“彼”の弟子を指し示しているニャよ。仁那じゃニャい、ガフマンが言っていたユウタ、という少年ニャ』


『…………』


 仁那は口を閉じた祐輔の様子に首を傾げた。

 “彼”、“アイツ”と呼ばれる存在――予言者の弟子がユウタであると弁覩は告げ、そして彼こそが本来の『器』だと。


『じゃあ、アイツの予言は間違ってたって事か?』


『違うニャ、彼じゃニャくお前が間違ったニャ。いずれ約束通り、弟子は来る……その時こそ力の譲渡ニャ。

 仁那はただの人間……普通なら、力を与えた時点で死ぬニャ。祐輔、この娘の体に一体何をしたニャ?』


 先程から弁覩の声音は、やや相手を責める強さがあった。眉間に寄せた皺がまさしく、祐輔の判断を誤りであると指摘する険のある表情をしている。その態度に平時の彼ならば憤怒も露に反駁する筈だが、今回は消極的で口を噤む。些細な選択でも未来は大きく左右される、予言者の言葉が龍の胸に谺しているのだ。

 仁那は左の手の甲を眺めた。二枚の花弁が染まっている。あと二つ、つまり祐輔の同胞があと二体存在し、『器』を満たす為には彼等との邂逅が不可欠。だが、仁那が予言にあった正統な『器』ではない。


『オレ様は何もしてねぇ……。仁那、『刻印』の力を使ったのは、何回だ?』


「ま、まだ一度だけ。仲案道堂で門客蛙と一騎討ちになって、追い詰められて発動した」


『引き金はそれだった訳か』


「……でも、確かに使用後に死にかけたよ。血反吐も撒き散らしたし、電撃を受けたみたいに身体中痛かった」


 弁覩がことさらに顔を顰めた。

 やはり不可解なのだ。神の分身とされる『四片』の力は、およそ余人には譲受の不可能は代物。神族の血を持たない一般的な人族では、身体的に崩壊が始まる。

 だが、仁那は受け取ってからも暫く活動することが出来た。無論、力を使用した後に訪れたあの状態異常が反動であることは自明の理。実際に行使して理解したのは、一人が持つにはあまりに不相応な威力を誇る。『刻印』を発動した時の仁那は、軽く拳を突き出しただけで魔導師の能力を複数名用いて束ねたものに相当する。それだけ人間の体では耐久が難しい力の結晶、一人では制御がままならないのだ。


『仁那、両親は人族ニャ?』


「うん、東国と西国の混血なんだ、わっせ。事情によると、戦争で敵対関係になって夫婦で共存することが厳しくなって、わっせを北の孤児院に預けたんだって。人伝に聞いた話だけど」


『そうニャのか……じゃあ、なおさら不思議ニャ。どうして力を所持したまま生きてられるのかニャ?』


「思い当たる節は……あるよ。

 戦闘後に苦しんでたわっせの所に、純白の羽衣を着た……そうだね、凄く高位な人間の雰囲気がある感じの人が来て、血を分けてくれた。名前は……軻遇突智、そう名乗ってた」


 弁覩が机から進み出て、仁那の胸元を注視した。視線を寄せる元は何かと、自身の襟を開いて中を検めようとするが、祐輔に制止された。無闇に胸元をはだけさせる行為だと気付いて、仁那も慌てて隠す。ガフマンが苦笑しており、彼の脇腹の肉を摘まんで鈴音が睨んでいた。

 弁覩の瞳が銀色の光を灯す。それが彼の力による現象だとすぐに察して動かず、仁那は背筋を超然と伸ばして待機する。


『……仁那、その軻遇突智というのが何者か判るニャ?』


「うーん?空を飛んでたし、魔導師とか?」


『残念ニャね、そいつは魔導師ニャんか比較するのも甚だ不適な存在ニャ。何故仁那と接触したかは、概ね察せられるニャけど』


 祐輔は顔に理解の色を示す。


『思い出した……軻遇突智、どっかで聞いた名かと思ったら、一度会った事があるぜ。北大陸で一度、アイツと一緒に訪れた時に決闘を持ち込んできた野郎だ』


『その話は後ニャ。

 良いニャか、仁那?そいつは……中央大陸に遣いを寄越すだけで、太古から矛剴や獣人族、血縁や『加護』を持つ連中しかお目に掛かれない』


 ガフマンが興味に駆られて、より距離を詰める。仁那も思わず身を乗り出し、卓上で昂然と二足で直立する白猫に額を寄せた。眠る幹太の鼾を傍らに、一同は耳を澄ます。


『主神直系の血統、世界の支配者――神族ニャ』









アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

夏休みももうすぐ終わり、それぞれの日常が始まるんですね。この長期休暇を有意義にしようと、張り切って運動してみたところ、暫く全力疾走しても息切れしない……これは感慨深いですね。

運動って尊い!……一週間に一回、それで充分ですね(堕落の始まり)。


次回も宜しくお願い致します。



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