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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
一章:仁那と襟巻きの龍
134/302

知荻縄の逃走(壱)/透対門客



 その日、少女は倒れていた。

 度重なる不幸――飯屋に入れば、その町が戦火に巻かれて、人の命は蒸発する。激化して行く戦争に旅の足は萎え、まともな栄養補給すらままならない。四肢を流れる血が足りない、獣道の泥に顔を伏せたまま、少女は呻き声すら上げなかった。

 恩義に義侠心を以て返礼に尽くす、これだけを流儀として進み続けた旅路を顧みて、少女は短い人生ではあったものの、充実はしていたと極度の空腹感に苛まれながら微笑んだ。人知れず一つの命が山の土に還ろうとしている、結末としては寂しいが少女は快く引き受ける。

 この荒々しい時代に旅を選んだ自分が歩むに相応しい末路。人並みの幸せを得るよりも、己の興味を探求した故の死ならば初志にも反せず本望である。

 ただやはり、空しくも手を伸ばして前に進もうとしていた。虚空を掴んでぱたりと湿った地面に音を立てて落ちた手に伝わる冷たさを最後に、意識を失った。


 暫くして、瞼が開かれた。

 肌に当たる空気は暖かく、目の前の熾火が周囲の闇を照らし、暗澹としていた胸裏にも光差したように思えて少女は涙した。まだ続いている己の命に対する歓喜で嗚咽を漏らす。

 それに気付いたのか、闇の中から奇妙な影が現れて首を傾げた。風貌は如何にも異様な生物、だがそれが串に差した兎肉を仁那の下へと運んだ。

 鼻先に漂う焦げた臭い、食欲が沸き立ち求める衝動が腕を動かした。串を乱暴に掴んで肉に噛みつく。口内で弾けた新鮮な肉から迸る旨味に、感涙に顔を濡らして必死に食する。

 その必死さをやや気味悪がって身を引いている龍は、次の肉を焼き始める。気分が落ち着いた少女は龍の傍へと寄って、顔を覗き込んだ。


『まじまじと見てんじゃねぇ』


「どうして助けてくれたの?」


『気紛れだ、戦争でもねぇのに此所で死んでんのも可笑しいだろ』


 無愛想に返答する龍は、人の言葉を流暢に話す。その驚愕すべき事実を、だが少女は特に気に留めることもなくこの龍は恩人であると認識する。まだ口の中に残る残滓を舐め取って、救われた喜びを改めて噛み締めた。

 少女は笑って龍とそのまま夜を明かし、次の場所に向けて歩き始めた。久しい食事は肉で埋め尽くされていたが、体は十全に力を蓄え、活力へと変換される。

 別れ際に少女は龍に振り返った。


「わっせは仁那、侠客なんだ。一夜の恩、何か返せると良いんだけど」


『ああ?とっとと消えてくれた方が有り難ぇのに』


「そう言わずにさ~」


 執念深く食い下がる少女を尾で払いながら、満更でもなく考える。龍の言葉を待って、両手で尾を掴んで離さない。まともな案が無ければ、この場所で足止めを食らうのだろう、だがまともな物が何一つ思い浮かばない。

 龍は暫くして考え付くした結果、苦し気に答えた。


『思い付くまでは、テメェと一緒に居てやる』


「え、うん?……判った」


『だから一応、基本的にお前の旅の供として動く。……そうだな、助け合いって奴だ』


「おお!素敵な関係だね!――名前は!?」


『あ?』


「だって旅をする間に何て呼べば良いの?」


 この質問に、龍は虚をつかれて閉口した。無言は許さない無邪気な少女の瞳に気圧され、渋々と口にする。


『元々名は無ぇが……以前、勝手に付けられたモンならある』


「なになに?」


『……(ユウ)()、支え助ける者の意だ』


「……良い名前だね。じゃあ宜しく、祐輔!」






  ×       ×       ×





 港湾都市に蟠る霧は、西へと移動した。雨が降れば引く、だが港を見下ろす曇天に雨の兆しはなく、湿気のみが街路を満たしていた。山中は恐らく一歩を進めるのも危険な環境へと変化している。

 山間部に漂う濃密な霧を遠景に、軍港に立つ透は祐輔を随えて北の繁華街を目指す。門客は主に山道へと主力を投じて警備に就くため、酒場を襲撃するには好機である。手薄となってしまう是手は、仁那が寄越した女児と共に廃船の中で身を寄せ合っているだろう。あの場所を探す連中は居ない、それはこの都市に滞在する間に変わらなかった事実だ。

 視界は良好、殺気を秘匿する魔の霧が立ち去った街は変わらず静寂に眠っている。人の営みが絶えて久しいであろう繁華街は、透の足音のみが響く。路地裏の闇から今にも凶刃を提げた敵影が現れないかを探りつつ、中央地域に入る手前で屋根の上へと進路を変更した。

 如何に注意していようと、やはり甍に着地した音は隠せない。夜気に鳴る音の一つひとつが危機感を誘う。その分、空中を自在に移動する祐輔は勝手が良く、悠々と先行していた。

 棟瓦の上を走り、酒場までの所要時間を短縮する。仁那が囚われているのは、裏にある庭園から窺える二階の部屋である。

 庭園の入り口ともなる裏門の前には、三人の門客が顔を揃えていた。どれも武装は見られず、魔族として生来兼ね備えている強靭な肉体を主軸とした肉弾戦の型なのだろう。周囲を注意深く見回して、龕灯を片手に路地の中を覗いている。

 裏門を見下ろす屋敷の屋根上に潜む透の足元を掠める光、だが気付かず帰って行く門客に安堵も慢心も無く、口と隻腕で器用に襷で袂を、そして袴の裾も紐で裁つ付けに絞った。裾が空気を叩く音も防ぎたいと用心する透の用意である。

 祐輔は先んじて、救出の合図をしに上空へと上がって旋回すると、酒場の二階の小円窓まで滑空した。ここからは、透の潜入が始まる。

 身を屈めて膝の上に載せた雑嚢の奥より取り出したのは、義手である。木を削り作られた簡素な物であるが、作られた関節部が問題なく曲がるよう細工が施されてある。それを左腕の断面にあてがい、包帯で繋がった上腕を堅く縛る。

 暫し瞑想して深呼吸を繰り返すと、透は左腕を掲げた。感覚も連結しない人体と木を結合させただけである筈の腕は、右腕と同じく不自然無く動く。これは義手に工夫があるのではなく、透自身の“特殊な技”による産物である。誂えた片手を握り込んでから、指の根本に至るまで包帯で包む。

 準備は完了した。透は路地の中へと飛び込み、溝板を蹴って懐中から抜き放った短刀を片手に低く裏門の前へと躍り出る。察知した門客が声を上げるよりも早く首を断ち切り、もう一人の眉間に投擲した短刀が命中する。瞬く間に屠られた仲間の不覚を報せようと声を上げて走り出そうとした最後の生き残りに対し、透はその姿勢のまま動かない。

 ただ右手を軽く横へ切るような仕草をすると、路地裏から溝板の一枚が飛来し、門客の顔面を強打する。

 門客は独りでに動き出し、自我を持ったかのごとく自分に狙い定めて飛んだこの物体を訝しむ。今の技は何だ?

 死体に刺さっていた短刀が溝板と同様に空中へと勝手に跳ね上がり、透の掌へと戻る。特異な技を呼吸も同然に扱う義手とは思えぬ男の手練に恐怖し、門客は隠していた力の本性を顕す。両腕のみが肥大化し、前頭部から錐状の一角が突出する。

 魔族としての貌に戻った門客に対し、淡々と男は左手の掌を差し向けながら呪文を紡ぐ。魔物の血を色濃く継ぐ魔族には、天敵である魔力行使の心得もあった。


「――支配呪術《幻迷》」


 門客は視界に移る相手の輪郭が歪み、闇夜に霧散していく光景に瞠目する。この港を包み隠していた霧みたいに空気中に溶けた男の面影を必死に追う。全方位へと首を巡らして狼狽する。

 男は消えたのではない。視覚から作用する呪術により、相手を半睡眠状態へと陥れ、強く意識を傾注する対象をあたかも消えたかのように幻覚を見せる。呪術とは本来、触れてこそ効果を発揮するため、距離を取った状態で相手への作用を望むのは難しい。しかし、透の技量は距離の長短を意に介さず魔族を縛した。

 幻覚に混乱している門客の首筋を背後から短刀で引き裂く。人体の中枢器官たる脊髄を損傷させる一刀に、断末魔の悲鳴を上げることすらさせず地に蹴り倒した。魔族の肉体再生能力の強さは前以て知っている故に、用心して短刀で改めて心臓を抉る。

 血を払って鞘に納めて裏門の屋根上に飛び上がる。庭園には人影在らず、動揺の色は仲案道堂にはまだ見られない。庭に降りて仲案道堂の母屋へと進み始めた時、祐輔の下降して行った窓から騒々しい物音が鳴り響いた。

 顔を上げれば、窓から飛び出した祐輔が一直線にこちらへ滑翔する。


「何事だ?」


『仁那のヤツ、此所で騒ぎを起こすらしい!(わり)ぃが協力してやってくれ!』


「そういった情報は事前に……しかし、彼女の現状では無理か。仕方無い、稼げても半刻だぞ。それと祐輔、お前は仁那が外に出るまで追手を拡散させろ」


『そっから先は?』


「不可能だとは言わないんだな。ならば、その先は好きにしろ」


 祐輔が仲案道堂の玄関に向けて飛ぶ。水中を推進する蛇のように蛇行しながら中空を泳ぐ影を見送り、母屋への扉を蹴り倒すと懐から笛を取り出して強く吹き鳴らす。屋内へと伝達する所在の主張、相手を引き付け殿(しんがり)となる役を買って出た。

 庭園の中央まで後退し、透は腰から両端に穴の穿たれた鉄の筒を抜く。また笛かと思われる物体から、一条の光がそれぞれから出現する。都合良く長さを中途で止められたその現象を武器のように扱い、透は手中で一旋させて構える。

 程無くして、裏門と母屋から殺到する門客に堂々と立った。逃げず、ただ昂然と戦意を露にして対決を希望する。裏門の警備が殺られたと悟ったのか、全員の体格が最初から変異する。魔物の膂力と人の知性を帯びた生命体に包囲された。

 透が足許の土を薙ぎ払うと、雪崩の如く全方位から門客が押し寄せる。この勢力の優劣が瞭然とした状況下でも冷静な透は片手に握る光の剣を回旋させながら前方へと投げ放つ。触れる物を無差別に寸断する回転は竜巻となって軌道を変え、庭園を円周を描いて走る。透が指し示す方向へ、自在に回転運動を止めずに稼働する自動型の殲滅機械となって逆に魔族を蹂躙した。

 光の嵐から逃れようとする門客を無慈悲にその猛威が襲う。だが、難を逃れて透に肉薄する存在も少なくはなかった。この侵入者を一刻も早く排除しなくては、全滅も考えうる。

 左右から迫る門客に、その場で高く跳躍すると両足を広げて、顎を的確に打ち抜く。人ならば容易く脳震盪を引き起こす打撃だが、相手は身体強度からも遥かに上の構造をした怪物である。だが、問題なのは脚力ではなかった――彼の足の裏から発生し、顎のみならず全身を圧迫する斥力によって光の嵐吹き荒れる円周上まで突き放された。無論、透の指示によってその二人も飛行を続ける光の円により両断される。

 後方から飛び掛かったのは、前腕部が盾の形状をした魔族。振り向きざまに短刀を抜きながら横へ薙いだ一撃を受け止められた。武器を操る透の腕を掴んで固定すると、そのまま空の手を握り込んで顔に目掛けて振る。


「感染呪術《強制止》」


 しかし、透の顔を目的として攻撃を開始した門客は、彼と目線が合致した途端に体の自由が奪われた。全身の筋肉が麻痺を起こして硬直する中、相手を捕まえていた握力が緩む。触れていた事で、寧ろ相手の呪術の本領が発揮された事に気付いた時は既に遅く、首に一刀を受けて絶命した。

 血飛沫をあげながら倒れる盾の門客の腕を一本切り落とし、接近する多勢へと投げる。受け止めずに殴り払った門客の懐まで地面を滑って潜り込むと、下から突き上げるように逆手持ちの短刀で腹部から喉まで深く抉り切った。

 切創から迸る血を次の門客の目潰しに使い、怯んだ隙に横から首を刎ねる。

 庭園は阿鼻叫喚の地獄と化し、その中心に泰然と立つ透が死神として敵意を向ける輩の命を搾取して行く。誰も手傷を負わせるに足らない、この侵入者の圧倒的な戦闘力を前に誰もが踏み出す事を躊躇い、その一瞬の出遅れに閃く凶刃が新たに一つの芽を刈り取る。

 透の支配が完成しつつある場所に、頭上から轟然と空気の烈声を上げながら飛来する一本の矢。威力は未知数、可視ができる稠密な風の鎧を纏って降下する攻撃。

 魔族を退けていた透は察知して、その場から側転倒立で回避する。地面に着弾したと同時に、爆風が巻き起こり、屋根の瓦が音を立てて剥落する。

 庭園に放たれた攻撃の発生源を探し、透の視線は仲案道堂の高い上階の屋根に行き着いた。甍に片膝を着き、横倒しにした艶のある弓に四本の矢を矧いでいるのは、鮮やかに萌える新緑を連想する頭髪を揺らした少年。門客の一人なのか、だとすると先程の矢は仲間への直撃も厭わないほどの威力を有していた。

 募る疑問に頭を悩ませた透へと、次は門客の中から光の刃を掻い潜って現れた二人の黒装束が走る。一人は籠手に鉄の爪を武装し、もう一人は両手に漆黒の短剣(ナイフ)を携えていた。素早く互いに交差しながら進み、透を左右から襲撃する。

 透は己の隻眼と右腕を同時に一閃する攻撃を反り身になって躱わし、背後から爪で足下を薙ぐ敵の肩に乗って後方へと跳躍して二人の狭撃から離脱する。着地すると、屋上から四本の鏃が風の強力な掩護を受け高速で接近する。透が面前で交差させた左右の腕を外側へと振り払えば、矢は壁際で観戦していた門客への突き刺さる。

 透の直感から、彼等がかなりの手練れであると理解した。一切の間が無い連携攻撃は、戦地で練り上げられた精度を感じさせる。頭上から魔法を付加させた援護射撃、矢を矧ぐまで猛追する近接戦闘の二人による鋭鋒。

 透の前に立つ二人がフードを取る。

 漆黒の短剣を所持するのは、黄金色の目と同色の髪をした少年、右のこめかみを刈り上げており整った顔立ちを凛々しく見せていた。この修羅場に立ち、相手を睨む姿に強者の風格が滲み出す。

 その隣には亜麻色の髪をした髑髏の面。量の鉄爪を擦り合わせて威嚇していた。


「その容姿と武具……成る程、お前達がユウタの頼った“彼女”の近衛か」


 透の言葉に屋根に控える妖精族の少年が顔を険しくして怒声を上げる。


「義手を意のままに動かす異様な技……見た事がある。

 まさか直々に<(スティグマ)>も刺客を送り込んで来るとはな。キスリート襲撃を失敗に終えてから動きを見なかったが、今度は力で“あの方”を強奪する魂胆か」


「……そこに居るのか。ならば「金色の姫」に伝えて欲しい!守護者ゼーダは盟友の願いを受け、貴女を迎えに来たと!」


「……何を言っている?」


「以上だ、伝えたい事はそれだけだ。……時間稼ぎも充分だろう」


 透は周囲を一瞥し、手元に双刀の怪剣を戻した。光を消失させた把を腰帯に差し、眼前の二人を見据えたまま後方へと高く跳躍すると、裏門の棟瓦に着地し、屋根伝いに走り出す。生存者の門客が追うのを三人は見届け、意味の判らない伝言を残した相手に疑念を持ちながら武器を収めた。






  ×       ×       ×




 狭い路地を走り抜ける。薄暗い闇の中を突き進む透の背後から、溝板を乱打する雑踏。龕灯の光が壁を照らし、次第に距離を詰めていた。やはり地理の慣れに関しては、彼等に一日の長がある。このまま尋常な逃走では、いずれ捕縛されるのも時間の問題である。

 走りながら、透は行き止まりに当たってしまった。眼前に立つ九尺の壁面を見上げ、後ろへと振り向いた。追跡の足音が穏やかになり、背後の三叉路の内、透が立つこの道を覗いた二本に龕灯の明かりが溢れ、次第に重なろうと互いに接近する。どうやら、袋小路に追い詰めたとあって門客も慎重に行動しているらしい。

 草履の鼻緒を指先でしっかり掴みながら、身を屈んで跳躍の姿勢に入る。この程度の高さならば、危険の如何も問題ではない。雁木屋根の上に乗り付いた時と同じく、透には全く障害の意味は成さない。

 飛び出そうとした透の眼前――壁の向こう側から、突如として空中に躍り出た細い影。先回りした敵の鞭かと身構え後退しようとしたが、その正体を即座に解する。それは一本の太い荒縄である、引いてみれば固定してあり、登るのに何ら支障の無い強度が備わっていた。

 壁面に足を付けながら登り、塀を越えて向こう側へと着地する。溝板を盛大に鳴らしての着陸、透は周囲を見回して路地に小さく身を屈める存在を認めた。影は手元の龕灯に火を点けて自分の顔を照らす。


「……蜥蜴族、なぜ此所に?」


「あんた、仲案道堂から出て来ただろ?聞きたい事がある、あそこに仲間が囚われているんだ」


「お前の名は?」


()()、この町に逃げ込んで追われてる山賊の(モン)だ」


「では芭小、私と共に来い!話は後だ」


 山賊芭小の肩を叩き、透が前を先行する。既に後ろでは姿を消した彼を見失い、騒然とする門客の当惑に満ちた声音と罵声が聞こえる。その激しさに耳を塞いで芭小も後を追った。ぐずぐずして居れば、こちらにも追手が回って来る。昼夜問わず追跡者の力に緩みは無く、完全に気配が消えない限りは探索を中断して帰るなど断じて無いのだ。

 殺意が風となって路地に滞留し、呼吸を辛くさせる剣呑な空気が二人の前方から漂う。どの道を選択して行こうとも不安は消えず、一つ角を曲がる度に自暴自棄になるのを踏み堪える。走っても消えない門客の怒号、遠退かず常に一定かそれ以上の距離を詰めて来た。芭小は今にも諦めようかと心を挫かれそうになった。

 この数日間、仲間を失ってなお希望を捨てずに逃走劇を繰り広げた彼だったが、既に憔悴と疲労に体は重く意識は今にも溶解しそうなほど脆い。

 倒れ掛かったところを透が抱えて受け止める。


「後少しの辛抱だ、頑張れ」


「仲間は、仲間は無事なのか……?」


「安心しろ、少なくとも生きている。でなければお前を追う意味が無いかりな」


 慰めか、或いは事実か。どちらとして受け取ったかは知れないが、芭小は笑って足許に力を込めて一人で立つ。


「げ……」


「もう来たか」


 たった少し足を止めた、その僅かな時間でさえ命取りだと知る。二人が前方に見据えた一本道の前に、龕灯が揺れていた。闇の中に浮かぶ多数の奇怪な面貌、闇に棲息する悪魔と形容するに相応しい異形の影が列を成して行進する。

 背後を確認すれば、そちらにはまだ手が回ってはいない。引き返せば良い、だがその間に包囲網は完成して行く。迂回しても結果は同じだ。


「クソッ、済まない……!」


「いや、お前の所為ではない。奴等が我々の予想を凌駕していただけのこと、単純な話だ」


「どうする……逃げ道ぁ少ねぇぞ」


「やれやれ……私は武力解決よりも、逃げ回る方が好ましいのだが。今夜は些か以上に労苦を強いられるようだ」


 短刀を抜く透は、芭小を背に隠して立つ。光は既に足許まで届き、網膜を柔らかい龕灯の中の蝋燭より発せられる光が刺激した。相手もこちらの姿をいましかと認識した筈である。これで透が引けば、相手が詰め寄る状況が作られた。

 芭小へと振り向かず、透は一声を掛けた。


「行け、私が面倒を見る。その隙に道を引き返し、何処か適当な場所で屋根上に登れ。そこなら大概は撒ける」


「で、でも……!」


「心配するな、また生きて会える」


「……済まねぇ、恩に着る。また必ず会おう!」


 走り去って行く芭小に祈る――どうかこれが一期一会の縁で無いように。

 相手を引き受けると豪語したが、この多勢に無勢をどう処し切るかはまだ考えていない。体に疲労は無い、戦闘に関して枷となるのは退路が塞がれていること。このまま踵を返して逃げれば、あの芭小を追い立ててしまう。

 先頭の門客が走り出した。その腰にある小太刀を見咎め、透は短刀を擲つ。眉間に的中したその攻撃で脳組織を破壊され立ち尽くしたまま死んだ体を盾にする。腰の小太刀を奪って次に飛び出す隙を窺っている門客へと死体を蹴り飛ばした。

 小太刀を抜き放ち、軽く二、三度だけ振る。刃渡りに気を付ければ、壁に刃が阻まれるという不覚も未然に防げる。


「さて、是手の元へ帰らねばな」


 押し寄せる殺意の波を前に、透は刀一振りで立ちはだかった。





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

透の力量発揮ですね、後は仁那の話になって行くと思いますが……。


次回も宜しくお願い致します。

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