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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
六章:マコトと射手座の銃
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キスリート襲撃戦(5)/夢の中の住人



 月夜に照らされる矛剴本家の屋敷。

 その中では呱々の声が響き、警備たちは静かな安堵の息を漏らす。およそ十ヶ月に及ぶ戒厳体制によって守ろうとした命は、遂に誕生を果たしたようだと全員が認知し、それを祝福する宴会の催しについて思案し始めた。

 屋敷の中、その最奥の部屋で出産が行われ、その入口を固めて守備するのは、里に嫌厭の対象と認識されていた双子。黙然と扉の両脇に佇んでいた彼らは、産声を耳にし、今まで醸し出していた冷徹な雰囲気から一変して競い合うように中へと押し入る。

 中では数人と、憔悴の色に染まりながらも儚い笑顔のカオリ、そして……小さな命。

 二人の侍女に抱えられるのは双子、自身らと同じ出生という点にまた奇妙な縁を感じ、愛おしそうに頬を一度だけ撫でた。触れれば消えてしまいそうな柔らかい肌、まだ開かぬ瞼の裏で母の姿でも探しているのか懸命に手で虚空を掻いている。

 二人はカオリの傍へと(いざ)って、その顔を見下ろした。まだ息が荒く、一目で判る大いに疲労した姿、あれだけ重そうに抱えていた腹部は萎み、女性としての体型を取り戻したとはいえ少し心配に思えて仕方がなかった。狼狽えて侍女に何か手伝いは無いかと協力の意を示しては慌てる二人を、カオリが笑って手を引き寄せる。


「有り難う、二人とも」


 それだけで二人は涙ぐむと、何も言えずに嗚咽を漏らして、爆発しそうな感情を噛み殺し、肩を震わせる。カオリがそっと優しく包む姿を、彼等を避けていた者までもが黙って見守っていた。



 出産から三週間が経ち、二人の子供を抱えながら、双子はやはり慣れない扱いに動揺していた。子供の顔を覗き込んで笑えば、微かに瞼を動かした表情だけで何事かと混乱する二人は忙しい。それを楽しそうに傍観するカオリは、その様子を弄ることに趣をおいていた。


「お、おい、力加減はこれで適当なのか?」


「わ、私に聞くな!か、カオリ様、私も大丈夫か?」


「あー、そこ強くしちゃダメ!」


「はひっ、す、済まない!」


「あはは、嘘だよ」


 情けない声を上げるトオルに痛む腹部を抱えて笑うカオリ。名残惜しそうに毛布の敷き詰められた篭へと子供を戻すと、双子は正座のまま彼女の乱れた上掛けを正してやる。最近は守衛よりも看護の役が多くなっていた、気を抜くとカオリは外出してしまうほどで、二人は一切目が離せない。

 献身的に彼女に接する双子を、いつしか屋敷の中の者は認めていくのだった。

 いや、双子の存在よりも注目する問題がある。それは蹶然と持ち上がった休戦協定、さらには新たに生まれた本家の子の内、一人があの“ヤミビト”であること。前者はその立役者となったカルデラ一族を滅ぼしにタクマが単身で向かい、未だに帰還しない。後者は処遇に困り果てている。

 先代が育てる風習だが、その人物が里に不在であるどころか、一族の裏切者。如何に帰還したとしても、寛容には見れない。

 里にも混乱が起きている中でも、穏やかな日常を過ごす双子とカオリ、そして赤子。そんな平和な彼等の営みが行われる部屋に、訪問者が現れた。


 戸が滔々と鳴る。

 叩扉の音に振り返った双子が入室許可の応答をするが、その音は一向に止まない。不審に思った二人が氣巧剣を構え、摺り足で躙り寄る。不穏な空気に、カオリも子供のいる篭を掻き寄せ、その光景を固唾を飲んで見守った。

 二人が戸の閂に手を伸ばした時、唐突に観音開きに勢いよく開いた。即座に後ろへ飛び退って身構えた双子の氣巧剣の切っ先が翳される前で、自若として踏み入ってくる人影。

 黒外套に身を包んだ中背、白髪を無造作に後ろで結った男は、床を軋ませずに歩む。敵を一瞬で斬り伏せる氣巧剣をも意に介さず、琥珀色の瞳は真っ直ぐカオリを捉えていた。

 無音の一足、琥珀色の瞳、氣巧剣にも物怖じしない手練の自負が滲む姿……


「先代ヤミビト、貴様が何故此所にいる!?」


 無礼なる訪問者を糾するトオル。

 果たして、ヤミビトは歩みを止めず、それ以外に何の動作も無いまま、殺意を向ける二人を氣術で壁に突き飛ばしてみせた。そのまま体を壁面に固定され、指先一つの身動ぎも許されない。一瞬にして、何の目配せもせずに複数の対象を縛る、この技量は里にも居ない。

 怯えながら子を守ろうと抱えるカオリを前にして、直近で足を止めたヤミビトは、静かに呟く。


「約束を果たそう……」


 ヤミビトが篭の一つを奪い取った。抵抗しようとしたが、無惨にも腕の中から強引に離されてしまい、床に倒れ伏せる。

 双子はすぐに気付く。あれは当代の“ヤミビト”、まさか知っていたのか――!

 そのまま出口の戸へと踵を返し、颯爽と赤子を腕に抱えて立ち去る。追跡しようにも体は動かない、何たる失態だろうか。暫しの時が流れ、漸く呪縛から解き放たれた二人が床に崩れると、カオリの小さな慟哭を耳にした。

 駆け寄って彼女を抱き起こし、慰めに包み込む。唯一残った赤子を胸にするカオリの震える体は、あまりに弱々しく双子の胸を強く締め付けた。


 それから数日後――カオリの逝去に、里の悲憤は限界を知らずに高まり、ヤミビトに対する憎悪を募らせた。加えてタクマの死を境に、大陸に出張していた矛剴も終戦を告げる報せを手に帰還する。

 度重なる悲劇の中、カオリと出会った山に双子は消沈して岩に腰掛けながら、空を見上げていた。気を紛らす為に動植物を観察すれば、そこから得た知識を誇らしげに彼女へと語った記憶が延々と再生され、二人の苦悩は積み重なる一方である。

 忘れられるわけがない。何も無かった、半身であるお互いでしか形成されなかった世界で、あの人だけか救いだった。カオリ以外に自分の人生を彩るモノが存在しただろうか。止めどなく溢れる涙に頬が濡れる。

 自分達ではカオリを守れなかった。彼女に償いたい、子供を奪われた悲しみを消す方法は無いか、自身の脳内で必死に模索する。ヤミビトへの復讐――それは無理だ、幾ら己を鍛えようとも勝てばしない、そういう奴だ。ならば、残ったもう一人を傍で支えるか――いや、今の自分達には到底出来まい。

 ただ胸に空いた穴を埋める手段を探すことに、彼等の時間は費やされていった。







   ×       ×        ×






 崩れて円形に穿たれた天井から二階の様子が覗ける。人の足音はしない、剣戟の音も、悲鳴すらもここには届かないのだ。もう、王宮を制圧したのかもしれない。この首都に投じられた西国配属の矛剴総勢力に加え、シエール森林で巨大に成長した魔物を呪術で従えた戦力は首都を混乱の坩堝へと陥れた。勇敢なる冒険者と兵士により、市街は未だ壊滅的な状態では無いだろう。

 しかし、存外王宮に仕える兵たちの力量を軽視した余りの惨状か、入り口にある屍の中には多数の矛剴が見掛けられる。彼等を侮ってしまった自身らの算段もそうではあるが、問題だったのはやはり、襲撃を想定した警備体制が敷かれていたこと。本来ならば急襲という形である筈が、始点から全面戦争へと様相は変わっていた。

 まさか、首都に潜伏しているであろう国賊に成り果てた知己の【梟】と、その相棒たる「白き魔女」が既に王室と結託していたとは露知らず。見る限り磐石の守備とまでは言えなかったが、それでもこちらは計算を狂わされた。

 だが、予測していた戦いはあった。

 復讐に現れた少年との再会、それを予め考えた上で「白き魔女」と分離させての戦闘。初盤は経験と奇策と技術で圧倒していたが、手合わせするほど驚愕の進化を遂げる成長力は相変わらずであった。正々堂々とした戦いは、半年――いや、それ以上に長い間隔がある。

 この数ヶ月に起きた少年の変化は、トオルにとっても望外の展開であった。村で見守り続けた二人――少年とハナエが結ばれた朗報、そして人望を集める実力のみならず変わらぬ優しさ。これまで何度も殺人を犯しただろう、残酷な現実を突き付けられたであろう、それでも変遷しない想いと強さを備えた少年に惜しみ無く全力を出す。

 だが、対する少年の剣には殺意が感じられない。その理由をトオルは知っている――だからこそ、彼には本気になって貰わねば困るのだ。互いを喰い合う闘争の中に、油断や感傷は不必要。――いや、自分も手を抜いていた部分があることを認める。

 それを咎め、トオルも己に言い聞かせるように彼を叩き伏せる。


 その結果、目の前にいるのは――。



「それが「黒貌」か……、闇人の正体がこんなにも醜いとは」


 二本足をした黒闇の獣は、片手の得物を一振りする。本来ならば鎬地まで研がれた筈の刃は、漆を塗られたかのように黒い。輝きが失われた剣呑な刀身は禍々しさを放っている。その姿に陰影の濃淡などはなく、ただ途方もない漆黒だった。

 トオルも聞き及んでいた情報である。

 「黒貌」――ある特定の感情の昂りによって発作的に発動するヤミビト特有の能力。“黒氣(くろき)”と名付けられたそれを身に纏い、常時その周辺の大気や物質に在る氣を無差別に吸収し我が物とする。生命体が長時間の接触を図れば、それこそ命の危機に瀕する羽目になるだろう。

 加えて、ヤミビトにはもう一つの異能力がある。それは手傷を負わせた敵の感情を喪失させるという。敵意や戦意を奪うのみならず、傷の度合いによっては廃人だ。

 対策法は未だに無い。氣巧拳で肉体の防御を意図しても、あの漆黒の刃は何の支障もなくすり抜けてくるだろう。氣術の斥力を用いても、吸収されてしまうのだから、尋常に武器で打ち合う他に無い。

 氣巧法ではなく、純粋な武具による攻撃が効果的。その能力からしても、肉体に有り余る膨大な氣を蓄え続けることになるため、長時間の維持は不可能。即ち、持久戦か意識の断絶が相手を沈黙させるのに有効な策である。

 トオルの熟思は、ヤミビトの性質をすべて正確に分析していた。対処法の良し悪しはこれから判断するとして、相手は今意識の殆ど無い状態――ただの獣とすればいなすのは造作もない。確実に気絶させる一撃が命中すれば勝利は確定するだろう。


「…………来い!」


 兵の亡骸に突き立てられていた長槍を背後で穂先を下へ斜にして構える。矛剴に特定の武器は無い、確かに不得手はあれど、相手を確実に仕留める為の力を強要されるならば、固執する武具は有り得ない。

 真紅の眸が稲妻のような残光を走らせ、闇の獣は姿を消した。瓦礫を遮蔽物に身を角し、迂回しながら死角を衝く積もりである。戦闘ならば常套手段、誰でも予測し磐石の体制で迎え撃てるだろう。

 だが、異常なのはその行動速度である。初速から推察しても、およそ人には不可能な速さだ。成る程、体外からの氣を身体機能増幅に必要なエネルギーへと変換し、爆発的な敏捷性を作り出しているのだ。ならば至近距離での戦闘は危ういかもしれない。

 トオルは氣術による認識能力の拡大で、隠れたヤミビトを感知しようとするが、該当する生体反応は皆無。氣を吸収して動く個体をまず把握しようという試み自体が愚かなのだろう。その異常な性質は、氣術でも読み取れない。

 断念して姿を現す瞬間に、感覚を研ぎ澄ます。全方位へ隈無く、周囲の全景を映し出す鏡となって襲撃に備える。自身の鼓動音と呼吸だけがうるさい静寂、足音は一切無い。

 五感を敏くさせた状態で、背筋を恐怖が撫で上げた。その不快な感触に振り返り、槍を回旋させるトオルは、手元に伝わる強烈な衝撃に敵の存在を把握した。円弧を描いて回る槍の長柄に、黒い刃が受け止められている。

 手応えがあるのは良いが、敵の膂力の凄まじさが腕を痺れさせる。血走る紅いの眼は光を失っており、やはり意識がないことを証明していた。至近距離で見れば、筆舌に尽くし難い迫力がある。

 圧される体、次第に後退する立ち位置と前に出るヤミビトの足。自身よりも体格の小さい相手が発する力は、巨大な闘牛との競り合いの最中と錯覚させる。これでは倒される!

 トオルは振り上げた足でヤミビトの胴を蹴り、その体が蹌踉めいた隙に距離を取って、足許めがけて槍の先端で突く。防御に徹していれば、いずれ殺されるのは自明の理。ならば、間隔をあけず反撃すれば、その時は来る。

 放たれた鋭鋒、だが虚空を切り裂くのみに終えた。槍の先端には既に敵影はなく、空しい手応えを主に伝える。トオルは不発を識って、直ぐ様その姿を探そうと顔を上げた時、槍の上に乗し掛かる重みを感じて驚怖する。

 柄の上に立ち、既に木立を引き絞ったヤミビト。その光景を無感動に見て冷静に処す者は、余程の実力者か、或いは狂人か。トオルは振り払うよりも先に身を屈めた。頭上を音もなく切る刃、間を置かずに返す刀で次の攻撃が来る。

 槍を高々と掲げて、ヤミビトを強引に上へと持ち上げる。

 突然足場が浮上した状況にも動じず、攻撃を中断して跳躍し、トオルの前方の岩の上で足を揃えて着地した。一体どうやって草履で足を擦らずに、激しい運動の中でも物音立てずに移動が出きるのだろうか。だが、そんな些末な謎に思考を尽くす暇はない、そういうものなのだと解釈する。

 トオルは氣術を展開し、周囲一帯の岩を稼動させる。浮遊した数多の瓦礫が、弾丸となってヤミビトに集中する。殺人的な雨を前に、果してどうこれを掻い潜るのか。

 ヤミビトの背から翼――否、長い五指を広げた巨大な手を模す黒い氣が出現した。掌底から指先までおよそ二丈はあり、瓦礫の礫を悉く受け止める。防御手段にも不足は無し、活用法は攻撃と吸収のみではなかった。

 トオルは岩の砲弾を絶やさず、同時進行で氣巧方を発動させる。


「氣巧法――氣巧牙・双頭蛇!」


 ヤミビトを“手”もろとも、青い炎の大蛇か縛る。千年樹の幹ほどある太い胴に拘束され、行動を制限すれば良いだろう。だが、それも時間の問題だ、相手は氣を奪う力を常時発動中なのだ。その証拠に、双頭蛇の胴が少しずつ縮小していく。

 だが、それまでだ。この状態を維持し続ければ、ヤミビトは膨大な氣の吸収に耐えられず、「黒貌」を解除する。吸収という特異な力が逆に仇となるのだ、魔法や呪術などによって過分に摂取した氣を発散する術があったなら、まだ能力を維持する余地が大いにあったであろう。

 拘束されながら、自身を睨むヤミビトに対し、こちらも一切の油断も無く、双頭蛇の形状を保ち続けることに必死であった。


「理性の無い力、無暗に攻撃したところで、所詮は赤子の暴走も同然。私に刃を届かせる前に、自身の能力で己を蝕むとは滑稽。

 これで終わりだ、ユウタ。村の復讐も果たせず、無様に悔やむが良い」


 抵抗するヤミビトの体から、徐々に力が消えていく。双頭蛇の吸収速度も衰え、体表を覆う黒氣から皮膚の色が現れ始めた。

 頃合いと見て、拘束を解いたトオルは、瓦礫による攻撃を再始動する。全力で投じられたそれらが幾重にも重なり、ヤミビトに迫った。

 回避の為の跳躍も、今は弱々しく思える。何度も攻撃を免れるが、ついに一つが命中する。吐血と共に瓦礫に叩き付けられ、地面に伏せて動かない。


「詰めが甘かったな、ユウタ」








   ×       ×       ×




 ユウタの意識は、夢を見ていた。

 何処なのかは判らない、ただ木立に囲まれた場所からは、粗野な家々が建ち並ぶ山里の景色だった。切り株に腰掛けた体勢で、ユウタは望洋と里を見詰めている。確か戦闘中だった筈である……此所は何処だろうか、僕は勝ったんだっけ、負けたんだっけ?

 状況の把握すらままならないと自嘲する。現実から逃避する為に、こうして殻に籠ったのだ。何故か、言うまでもなくかつての仲間と戦う辛苦に耐えられなかった。復讐し殺すと嘯いておきながら、自分は甘い。剣に殺意がないと指摘されて思わず否定したが、自覚せざるを得ない。

 この場所は誰かの記憶の中――いや、概ね見当は付いている、師の故郷だ。ガフマンの手紙にあった矛剴の里だろう。逃げ先に選んだことを狼藉と思い、忸怩たる感情に苛まれて俯いた。

 どうすれば良いのか。自分は彼等をどうしたい?裏切り者を断罪したいのか、それとも――。


「困った時は、何も考えないのが一番だよ。素直に思ったことを行動にして」


 心地好い声が耳許を涼風となって過ぎる。聞いた事のある声音だった。だがそれは、己が現実で邂逅し、触れ合ってきた者達ではない。出会ってすらいない相手の声を耳にする、その感覚が自分にはあった。

 ユウタは後ろを顧みて、そこに立つ声の主を見た。

 灰色の双眸に肩の長さにあり毛先がやや跳ねた黒の乱髪。一見は溌剌とした印象だが、声と姿勢が淑やかな雰囲気である。ユウタからすれば、ハナエに似ていた。模様の入った瀟洒な着物の女性は、ユウタか腰掛ける切り株の隙間に押し入った。

 立ち上がって譲るユウタに、手を口に当てて小さく笑う。容姿から年齢は同じほどに思えるが、仕草の所為か大人びた空気を纏っている。思わず畏まってしまうユウタの様子を見て、嬉しそうに目を細める女性。


「ふふ、あの人みたいで可笑しい」


「貴女は誰ですか、僕の……いや、師匠の記憶に出て、しかも僕と会話が可能だなんて……」


「そうだね、その部分も説明しないと。言葉足らずなあなたの師匠に代わって」


 女性の口ぶりは、万事を把握している様だった。こういう人物ほど、長い韜晦によっていつも問題点をはぐらかされているようで、ユウタは苦手であった。やはり、ハナエとは違う。

 里を展望する場所で二人、静かな時間を過ごすのも悪くはない。現実に向き直るよりも、穏やかで平和である。


「それは駄目、選ばなければ話は前に進まない。自分で戦うことを選んだのだから、逃げることは許されないよ」


「……同郷の友人で、尊敬していた人なんです。復讐しようと思っても……やっぱり……」


「なら、どうしたいの?」


 その質問に答えられなかった。その解答を導き出すことに困苦していたのだ。


「判りません」


「なら、此所でわたしと話でもしてから出そう。でも、曖昧なのはだめ、はっきりした解答じゃなきゃ、現実に還してあげないから」


「……もしかして、僕を此所に喚んだりしたんですか、貴女が?」


「さあ、どうでしょうね?」


 楽しげに座右の足を振る女性に呆れ、ユウタは長嘆を禁じ得なかった。正体に繋がる情報を詮索すると、彼女は事実を晦ませる。本質を問えば、紛れさせてしまう。本人が開示しない限りは、彼女を理解することも叶わない。

 ユウタも諦めて一本の木に寄り掛かる。背には全く触覚も無い、やはり夢だ。だが、女性の声だけは聞き紛うことなく届く。一方的で無い分だけ、まだ救いようがある。


「わたしはあなたの師によって、「隈」に封印された氣だよ、勿論、ほんの一部だけど。つまり、最初からあなたの中には、あなたと師匠とわたし、それぞれの氣が混在してるの。

 ああ、でも戦闘には全く加勢していないけどね」


「師匠が僕に必要だから、貴女の氣を自分の黒印と一緒に封印したと?」


「その認識で間違ってないよ。でも、まさかこんなに瑞々しい姿とは、自分でも思ってなかった」


 女性は立ち上がると、着物の袖を持ち上げてその場で回る。笑顔がこちらへ向き直った時、微風と共に色彩様々な花弁が空気に舞うように思えた。何故だろう、ハナエと違うと判ってるのに似ていると思うのは……。

 ユウタは深まる疑問に頭を悩ませながら、女性から一切目を離さない。


「うん、必要な時に……か。そうだね、約束の刻なのかもしれない」


 得心したように頷くと、女性は真剣な眼差しでユウタを射抜く。天真爛漫だった彼女が、急に冷たく、厳かな態度に変わり、また別の美しさに映って、ユウタは呼吸すら忘れて見入った。

 歩み寄って来た相手は、そっとユウタの体を抱き締める。感触は無い、なのに体温だけは感じられる。身を包む圧迫感ではなく、体を暖める不思議な現象も気にならず、ただ憮然と女性にされるがままであった。


「ちゃんと、守ってくれたんだ……」


 その幸福感に満ちた声色に、ユウタも抱き返した。理由は本人にすら解することは出来ないが、それでも腕が本能的にその体温をさらに感じようとしている。

 夢の中に現れた奇妙な住人は、赤子をあやすようにユウタの背中を何度も叩く。その度に衝撃が胸の芯にまで伝播し、どうしようもない安心感が湧き起こる。


「大丈夫、あなたは頑張ってる」


 ユウタは腕の力を強くし、その華奢な体を締め上げた。力加減も考えられないほど、涙を堪えようとする。アカリに言われた時と同じく、まるで親の愛にも似た情を感じて縋ってしまう。だが、あの時とは比にならぬ大きなモノだった。

 女性が軽く胸を突き飛ばすように、体を離した。名残惜しげなユウタに対し、気さくに笑ってまた切り株に腰を下ろした。


「さ、お話の続きをしましょう。

 手始めに、わたしが見てきたあなたの師匠のお話から。でも、時間も限られているし、短くなるけど良い?」


 ユウタは頷いて、彼女の前に座った。


「昔むかし、ある所に一人の少年が居ました。森の中に暮らす、奇妙な少年の話です――」




アクセスして頂き、誠に有難うございます。

いや……長くなるな六章、でもじっくり書きたい、楽しいから。

 七月下旬までには第一部が終わりそうな気配がしますが……。

次回も宜しくお願い致します。

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