表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
六章:マコトと射手座の銃
115/302

キスリート襲撃戦(4)/マコトVSタイガ

近衛四人とマコトとお姫様、頑張ります。



 ベリオン大戦の中でも、矛剴が最も敵視する勢力は大きく分けて二つだった。それが彼等の方針でも排除の対象となり、必ず目的を完遂する上でどうしても道程の障害となる。一つは西国の王室、そしてカルデラ一族だ。戦争を推し進める東は敵ではない。

 この世の戦争に蟠る禍根に宿った殺意や思惑、それに伴う被害を助長させ、平穏を奪い復讐心を育ませる。そうした意思で統率された大陸の矛先を、いずれ北方の大陸に座す傲岸なる神族へ差し向けるのが狙いであり、その為に標的にならぬよう努めるのが矛剴の立ち回り。その弊害となる要素を排斥すべく力を振るうのだった。

 その暗躍が長らく続く中、古の時代に追放されて以来、故郷として腰を据えるようになった秘境の里では、次期当主となる子息の命を宿した本家の血筋であるカオリは、本来は従兄妹であるようなタクマとの愛に満ちた生活に浸っていた。

 しかし、加速するタクマの神族に対する憎悪は、彼を戦場へと駆り立てて里にはほとんど帰らなくさせた。それを悲しまぬ妻の想いも、今の彼は知っているのだろうか。腹の中に孕んだ新たな生命の兆しとして、その体を激痛と嘔吐感が時折苛む。愛する人は何処かへ、そして子供の出産に覚える不安、その二つに挟まれて酷く追い詰められたカオリが発見したのは、里では忌み嫌われながらも『巳』の役を十にも満たない齢で立派に務める双子の少年だった。


 連日、村の警備にあたる双子の氣術師は、所定の位置――仕事を放棄し人の目を盗んで日中の時間を穏やかに過ごせる山に潜んでいた。里からは然程離れておらず、何か異変があれぱ即座に駆け付けられる。尤も、疎意によって冷遇されてきた彼等が、その里の為に救護へ向かう理由は微塵もないが……。

 そんな彼等の最近の日常は、此所である人物との会話をする為にある。身重でありながら、此所を欠かさず訪れて、飄々と二人に挨拶する人物に会釈して岩で座りやすい椅子を都合する。この気遣いを無用と言いながら、カオリは有り難く腰を下ろすのだった。

 そんな彼女の傍に用心棒、それも王家に従事する騎兵のように跪く。


「堅苦しいからやめなさい」


「しかし、貴女は本家のお方。我々のような卑しい分家、それも忌まれる者とあれば本来は密会も禁ずるべきなのです」


「じゃあ命令。今日も楽しくわたしと会話ね」


 この彼女の態度に閉口して、二人は途方に暮れると同時に、どうしようもない喜びを感じていた。兵士でもなく、不吉な子と厭われる自分たちをただ一人の人間として遇する、そのカオリの性根が好ましかった。自覚はないが会話中、二人は年の離れた姉も同然に接しているのである。

 人との交流が無い双子の話題は、自然と自身らが趣を置き、常に観察し続けた中で発見した動植物の生態、山に住む者すら見つけ難い現象など。無論、大事な存在を懐妊している身とあって屋敷に幽閉されているに等しいカオリは、身近な外界の小さな事柄にすら大きな反応を見せた。


「二人とも狩りが上手なのね!」


「それしかやる事がなくて……」


「トオルはこの前、俺を猪を見紛って矢を射てきただろう?氣術で空間把握能力を高めていなかったら、頭を刎ねられていたぞ」


「それを言えば、お前だってこの前、私に投石したじゃないか。たった近くの木立に潜む栗鼠を一匹仕留めるのに、どうやったら後ろで見守っていた私に命中しかける、あんな出鱈目な投擲が出来るとは魂消たぞ」


 互いの失態を衝いた喧嘩が始まった。揚げ足を取り合う二人の会話を微笑ましそうに見守るカオリは、争う両者の頭頂にたおやかな手を乗せて、優しく窘める。彼女の言う事には素直に従う彼等は、漸々(ようよう)落ち着きを取り戻して渋々と引き下がった。

 三人の時間はそれから続き、熱中していた三人を夕刻の空から茜色の光が寂しく照らす。頃合いと見た双子は、カオリを支えて立たせると帰路に同道する。最近は氣術を用いても、歩行が億劫になってきたカオリを里まで届けようと考えていた。

 罰責を避けるといえど、流石にこれ以上カオリに一人で道を往復させるわけにはいかない。狭く道の険しい杣道、足元を検めてからゆっくりと進む。カオリが申し訳なさそうにすれば体を支えるトオルが目配せし、それを察し先導していたダイゴがわざと転倒してみせた。

 大好きな人に向ける想いで出来た行為に、カオリは笑って感謝する。


「もう、此所に通うのも難しいね」


「……良い子が生まれると、良いですね」


 二人は顔がきつくなるのを隠し、平静を装って答えた。彼女が屋敷に居れば、もう自分達が会うことはできない。恐らく、それからもずっと長い時間が掛かって、一度だけ会えるか否かというところである。年月が経てば、いずれ自分達にも部隊に配属されて戦場に出る。

 カオリは彼等とは正反対に、何やら企み顔で含み笑いをしていた。何事と訝る二人に、彼女は低い声で呟いた。


「そういえば、屋敷にも警護はびっしりだけど、やっぱちょっと心配だな~。信頼における部下、それも少数を直近に並べた方が良いかも~」


「……まさか……」


「明日から君らをわたしの専属の護衛に申請するよ。わたしの願いを無碍には出来ないだろうし、どうあろうと『巳』を担う強者なら体裁も何も不都合は無いでしょう?」


 カオリの言葉に、双子はまた喜びを噛み締めた。同時に、双子のみで完結していた世界が少しずつ広がる感覚があった。

 彼女を救いたい、幸せになってほしいと……そのお腹にいる子供も一緒に、幸福な家庭で生きてほしいと強く望んだ。自分達を救ってくれた彼女を守りたいと一心に願う、双子にとって確固たる意志が生まれた瞬間だった。








   ×       ×       ×





 耳許を豪腕が掠めていく。空気が焦げたような臭いに、さらなる恐怖が掻き立てられる。たった一発、それが有する威力は王宮の廊下を蹂躙し、わずかな塵芥さえも一掃してしまうタイガの姿は、さながら嵐が人格に権化した姿。

 暴風に煽られて、後方へと無様に転がるのは同じ氣術師であり、彼を師事していたマコト。敵対を選んだとなれば、いずれ戦うであろうと予見していた相手。この混乱の中にその見立てが早くも的中してしまうとは、彼にとって不測の事態だった。

 相手は義足――かつてユウタによって切断された脚部の機能を補うべく拵えられた補助器である。元あった肉体に比べれば不自由であるそれを、氣術によって体内の氣の流動と義足に宿る氣の循環で、本来の足を再現してしまう。故に、義手であろうが義足であろうが義眼であろうが、氣術師には然したる問題にはならない。

 衛兵の足許まで転がったマコトは、すぐに体勢を立て直して前方を睨んだ。衛兵を引き連れてタイガ一人を抜けるのは困難だが、その難所を掻い潜っても背後に控えた<印>が邪魔である。迂路という選択を採っても、氣巧眼による追跡を受けてしまい、ユウタの元へさらに厄介者を招き入れるだけだ。

 マコトの考えでは、この首都を襲う氣術師は、この西の国に潜伏していた<印>の総勢。故に、王宮も含め市街にいる十二支はタイガを含め、四人である。その内の一人、『子』のシズカは既に故人。

 つまりは王宮内にいる双子とタイガの三人のみだ。どんな策を講じるにしろ、今目の前にいる相手を倒さなくてはならない現状に変わりはない。自分には不相応であるような役ではあるが、この場に居合わせた人間ではマコト以外に対抗できる人間は不在である。

 マコトのみでは撃退は不可能、だからといって近衛を加えてもタイガに敵うか些か判じ難い。この劣勢、必然的に導き出される最適解は全滅を避けて、ユウタに杖を輸送すること。

 後ろ手にマコトは紫檀の杖を放り、それを向こう傷の近衛オーガンが受け止めた。二挺の拳銃を抜いて、銃口を構える。


「ここはオレが何とかするから、姫達は杖をユウタに届けて欲しい」


「お前一人では無理だ!」


「だけど、これしかないッ!」


「余所見をするな」


 マコトの肌が粟立ち、近衛も慄きに槍の穂先を前に据えて身構えた。一声でこの場を制するは手練れの滲ませる殺意。身を竦ませる冷たい声音が敵対者を萎縮させる。

 バシルが前に出て、マコトの隣に立つ。マリスとフルムは姫を前後に挟んだ陣形を整えた。彼等は退避を望まない、この場で共に迎撃する所存だ。それを愚挙だと想いながら、マコトは頼もしくも感じた。


「判った、皆がそう言うなら……。

 オレが最大の技を放つ、その発動までの間、どうにか凌いでくれ!」


 マコトは姫に向かって、漆黒の拳銃を投げ渡す。受け取って不審顔の彼女は、すぐに彼の意図を察して指を銃把に絡めて不格好ながらに構えた。この戦場にあっては、一国の姫といえど一人の人間である。生き残る為には、殺人であろうと何だろうと躊躇っている場合ではない。

 この姫の胆の据わった部分を気に入り、マコトは強く頷くと前に視線を戻す。片手の短機関銃の銃口をタイガに翳し、その間もやや後ろに引いた右半身の胸の高さに構えた手の指先を向けた。バシルと同様に、オーガンは前に出た。杖をベルトに斜に差している。

 タイガの体が微かに左右に揺れる。全員の注視が集う中、巨体が猛然と直進を始めた。この短い距離を詰めて来る獣を前に、近衛二人が進行方向から予測した停止地点――足を止めるであろう場所を槍で刳った。視覚では捕捉し得ない速度で接近するものを刺すには、予想するしかない。

 読み通り、彼等の槍の先端はタイガに届いた。足を止めた彼には当てられたが、傷を負わすには足らない。二本の刃を掌中に収めて、頭上から睨む眼光にバシルが口許を引き攣らせた。

 巨大な獣に睨まれて恐怖しない人間はいない。だがそれでも、姫の護衛を務める信頼を勝ち得た兵士の胆力は伊達ではない。槍は無理だとすぐに判断した二人は、柄から手を放して腰に佩いた長剣を抜き放つ。

 左右に回り、それぞれが太腿の下部、膝関節の骨の隙間に向けて刺突を繰り出した。義足の接合部に、もう一方は残った足を止める為に剣先で鋭く空気を切り裂いた。

 戦と縁遠いような王宮勤務の兵にしては、随分と良い動きだ――タイガは感嘆に目を細めて、それも刹那に拭い捨てると手に握っていた槍を放し、脇を絞るように引き戻した肘で二人を殴打する。横っ面に強か打擲を受けた二人は壁まで弾かれた。

 近衛を退かして無防備なマコトに向け、タイガはその引き絞った体勢から正拳を衝き出す。その場の空間を捻じ曲げるような拳が、風を巻いて標的の頭蓋に迫る。必殺を確信し、いつかの小さな弟子の面影をそこに見て、別れを惜しんだがそれも遅い。拳はもう止められないのだ、マコトは一秒後には生命体ではなく、ただの肉塊へとなる。

 そのタイガの肩を、空気を薙ぎ払って浴びせられる火線の雨。氣巧拳で武装した肉体を、氣の鎧ごと強烈な威力で乱打し、拳の軌道を逸らすどころかタイガの姿勢を崩させた。強力すぎる急襲にタイガは驚嘆した。

 マコトが至近距離で短機関銃を炸裂させたのだ。氣巧砲の充填と並行し、片手の武器を問題なく扱っている。暴れ狂う猛獣の手綱を握っているように、一本の腕では使用が困難な連射に震える銃器を支えていた。

 マコトの左耳を過ぎた拳に向け、姫を護衛していたマリスとフルムは、手首に槍の尖端を突き刺そうと手元に力を込めた。だが、刃先は濃密に編み込まれた氣の鎧に防がれ、虚空で不可視の物体と接触した抵抗感に拮抗する。

 腕を振り払って槍を突き返したタイガが、マコトに目掛けて逆の腕を振る。今度は拳ではない、前腕の内側を叩きつけて首の骨をへし折る積もりだ。

 フルムが自ら身を擲ち、マコトの体とタイガの腕の間に割って入る。一秒を数えず、体を襲う凄まじい衝撃に意識を半分も削られながら、それでも足で踏ん張る。――同時に、槍の長柄で梃子のように傾けて持ち上げると、タイガの拳は上に逸れて撥ね上がった。拳の作り出した風圧で、フルムもバシルの方へと叩き付けられる。冑の半面がひしゃげていた。

 タイガが身を翻し、回し蹴りの体勢に入る。攻撃を流された反動を余さず、次の手に繋げる技量はまさに熟練の戦士。戦慄するマコト――数秒間を連続で撃ち続けた短機関銃は弾倉は空である。もう同じ手では凌げない。

 庇おうと前に出ようとしたマリスの傍で銃声が鳴り響いた。鼓膜を引き裂くような轟音と共に、まだ脚の回転が中途で、こちらに背を向けいたタイガの体に命中する。体が崩れてタイガはその場に転倒した。

 倒れていた三人の兵が顔を上げて音源を探れば、そこに震える両手で拳銃の先から紫煙を吹かせた姫ニーナの勇姿である。拳銃の威力は、彼女の距離からでも至近弾の短機関銃のおよそ数倍はある。咄嗟にマコトを守ろうとした彼女の意志の発露が、タイガを床に倒したのであった。


「ナイスだ、御姫さん!」


「行って下さい!」


 跳ね起きて目の前に超然と立つタイガ。再び攻勢に出ようと身を躍らせた時、彼の氣巧眼がマコトの指先に集中した力に息を呑む。

 濃密かつ緻密な氣が、矢の鏃の形状で彼の指に滞留している。狙いは言わずもがな、先端の向きからでも自分だと容易に読めた。タイガは急いで回避せんと後ろに体を傾ける。反り身となれば、どうにか躱わせると考えた。

 だが、姫に攻撃を防がれた時点で着弾は必至。タイガがその判断を下した時には、もう砲弾は発射の点火を済ませていた。


「氣巧法――氣巧矢・鳥墜しの型!!」


 後ろの手、氣巧法の媒体となっていた手の形が解かれると、タイガの喉元に大きな穴が穿たれた。氣を練り込んだ矢は敵を撃ち抜き、更に後方で待機していた一党を貫いた。

 タイガの拳をより鋭利に、そして一点に集中させた威を発したマコトの力に対する尊敬に、近衛が拳を握って大声を上げた。ニーナも今さらに驚悸する胸を押さえながら、安堵に床に座り込んだ。

 マコトは浅く荒い呼吸を整え、姫の元へと駆け寄った。拳銃を固く握った手をほどき、優しく笑いかけた。


「助かった、やるな姫さん」


「お役に立てて良かった」


 苦笑してマコトの胸に凭れる。たった一発、その銃爪を引くときの覚悟は、普段戦役とは無関係な姫の精神を大きく削るには事欠かなかった。しかし、目の前で果敢に立ち向かう近衛と少年に突き動かされ、勝敗を決する一撃に繋いだ一弾を放つ指は動いたのだ。

 姫を片腕で抱き寄せて支えながら、振り返って近衛の四人に向く。歪になった冑を脱いだフルムは、透き通るよつな茶髪が血に汚れ、首の火傷に沁みるのか少し顔を痛みに歪めていた。頭部からの出血、だが誰が見てもわかるが頭蓋を打ち破られたわけではなかった。

 近衛の一人がすぐにまだ未使用の手拭いを裂いて、即席の包帯を作り出す。頭の周りにきつく縛ったそれを撫でてフルムがほっと息を吐く。

 オーガンとバシルは口が切れて少し血を垂れ流していたが、命に別状はない。攻撃をいなしたマリスも大事はなかった。


「一撃で全員仕留められたのは良かったな。この面子でタイガさんを倒せたのは凄いぞ」


「そ、それより早く杖を届けましょう」


 マコトは姫を立たせ、マリスに預ける。陣形を組み直して廊下を進む際、タイガの目がわずかに動いて身構えたが、弱々しく呼気が漏れているのみだった。


「マコ……ト……。『酉』は……お前、……が……」


「……オレには不相応ですよ。でももし、誰もやる事がなくて、矛剴も考えを改めた後で生き残っていたなら、オレがやります」


「……ユウタを……見届……けろ。それと……忠告……」


「何でしょう」


 マコトは段々と小さくなる声に合わせ、耳を彼の口の近くに寄せた。死を前にした人の冷たい息が耳朶を擽る。


「魔術師……いずれ……この世を、破滅……させる……。もし……これから先もユウタと……戦う……な……ら……奴から……守れ……」


 マコトはその言葉を飲み込めず、呆然としながらも頷いた。それを見たタイガが瞑目し、呼吸が止まってから姿勢を直して、彼の言葉を反芻する。国を救う為に躍起になっている「白き魔女」が、いずれ世界を滅ぼす。この暗示は一体、何なのだろう。

 近衛が怪訝にこちらを見ているのに気付き、マコトは慌てて彼等に駆け寄った。今はそれどころではない、一刻も早く杖をユウタに届けなくてはならないのだ。


「急ごう!」






   ×       ×       ×





 衝立のように王宮入口を、幾つもの小さな空間に小分けする瓦礫と死体。その中で剣戟は途方もなく続いていた。凄然と曇天に瞬いた雷の如く、光の剣が何度も交差した。障害物を切り裂き、岩すらも動きを阻む物にはならない。

 荒々しい竜巻のように攻撃を絶やさないユウタの手を、総て跳ね返す。トオルは極めて冷静に少年の攻撃を読み、確実に弾いては反撃に出る。

 この応酬がひたすら繰り返され、決着は遠い先に未だ近づく気配を見せない。苦々しげなユウタにも涼しい表情のトオル。どちらが焦燥に攻撃を急ぎ、また決定的な一撃が出せずに手を拱いているかは一目瞭然であった。

 だが、ある意味ではトオルにも苛立ちがあった。冷静さを欠くほどでは無いし、その問題に取り合わなくても勝機はある。だが、彼はそれを無視できずにいた。

 振り下ろされた氣巧剣を受け止めて弾き、その把で少年の胴を打って突き飛ばす。床に倒れたユウタは剣を手放し、瓦礫に背を預ける。


「どうした、剣先に殺意が無いぞ」


「……!?」


 ユウタの琥珀色の瞳が見開かれた。相手は故郷を焼き滅ぼした仇敵、誰よりも憎悪し、嫌悪した相手の筈であり、殺意の対象になる。だが、トオルはそれを温いと、甘いと、弱いと嘲る。

 一体、何がユウタの剣を鈍らせているのか。単にトオルの剣技が自分を凌駕しているだけならば、簡単に納得できる。氣巧剣の操作技術なら、彼に一日の長があるのだ。だが、本質的な意味が違うのかもしれない。敵の顔がそれを物語っていた。


「私を侮っているというのなら、見せるしかないな」


 トオルも氣巧剣を仕舞い、腰帯に差すと両の掌を打ち合わせて握る。乾いた音が天井まで響き、王宮入口の空気が孕む静寂の海に沈殿していく。市街に走る脅威と騒音が、次第に遠退く感覚は、あたかも気を失う前の朧気な意識に聴く音と同じだった。瓦礫に囲われている二人の空間だけが世界から切り離されたと錯覚すらユウタは、小太刀の把を逆手持ちにし、地面を強く蹴った。

 無音の跳躍で肉薄する、今何をするのか予想も付かないが、それでも力が発動する前に仕留めれば良い。氣巧剣よりも手慣れた武器ならば、確実に先程よりは素早く、より正確にトオルを屠る一撃が放てる。

 踏み出したユウタが把を握る手に力を込め、一気に抜刀しようと動いた。距離は刃圏の内側、まだ両手を握り構えたままの相手なら、確実に首を斬り落とせる。必殺を確約する一刀、ここに己のすべてを注ぎ、亡き友と愛する人達に捧ぐ――ユウタの小太刀が刀身を覘かせた。


「氣巧法――()(こう)()・双頭蛇」


 告げられた技の名――彼の足許に青い火が陽炎の如く揺らめき、一瞬で火勢を強めて彼を包んだ。刀を抜こうとしたユウタは後ろへと飛び退り、異様な火炎の中に佇む敵の奇観に顔を顰めた。

 空気を燻す熱気は感じない、さらに氣巧法であるとトオルの口から聞こえた。ならば、これは色を帯びて可視化された氣なのか。だとするなら、計り知れない量と濃さがある。氣巧剣と同じように別のエネルギーへ変換するのではない、氣そのものが強く練り合わされているのだ。

 高く立ち上がった氣の炎は、主を内包した体を変形させる。眼前で立ち上った火柱の先端は、二つの蛇を象った。魔法かと思えるその桁外れな氣術の技巧が為せる技だと悟る。

 漸く組んでいた手を解いたトオルは、炎の中に悠然と立ち、この力を誇示するように両の腕を広げた。その偉容に圧倒され、あまりの驚愕に凝然と目を見開いたままのユウタに囁いた。


「これでもまだ、先代ヤミビトの方が遥かに強い。約五〇年前の話、未だに矛剴の中で畏怖を以て語り継がれる逸話だ。

 東国には小山に似た巨躯に膨大な魔力を保有する四聖獣という化物が存在する。齢十二に村を発って最初に奴等と遭遇した先代は、その住処である山岳地帯の中で最も標高のあった山を氣術で岩石に分解し、そして空へ球状に再構築させたそうだ。

 今でも手の出し難い、あの強大な怪物を氣術で作り上げた隕石によって倒したらしい。きっと……(あまね)く総て、つまり神族すら含めた者の中で最も強い存在だっただろうな」


 双頭の大蛇が首を擡げて、ユウタを睨んだ。獲物を見つけ、青い火の粉を撒きながら口腔を広げて地面を破壊しながら蛇行する。ただ恐慌に硬直し、立ち尽くす少年へ無慈悲に一頭が横から噛みついた。牙に突き刺さってはいないが、体を襲う強烈な衝撃に内臓と骨が軋み、血を吐きながら大蛇に振り回される。これが果たして、いや語り継がれる話の中にいる師も含め、氣術なのかと疑いたくなった。

 枢機となる部分に居るトオルが手刀を軽く振り下ろすと、ユウタを捕まえていた大蛇が肢体を撓らせ、咥えていた獲物を叩き付けた。その場から土煙が憤然と立ち上がり、辺りを煙幕となって隠す。


「彼が望んだ通り、お前は優しい子供に育った。氣巧法という氣術師に於いて、争いの象徴とされる技も伝授されず、暗殺術も裏返しの護身術に転換された。

 だが所詮、それは自身を守る程度の力にしかならない。お前は高望みし過ぎた、他者を……友を救いたいと願うなら、その定められた領域を侵す為に戦いに身を擲つ他ない。そうだろう?」


 二頭の大蛇が螺旋を描き、ユウタの居る場所へ何度も全身を叩きつける。その度に瓦礫の山は崩れ、さらに漂っていた粉塵が撹拌され、地震となってトオルにまで伝わる。

 連鎖的に爆破されたかのように、青い炎の伸びる先では砂塵と岩が舞う。人体では耐えられない痛撃、だがトオルは構わず続ける。まだユウタの氣をはっきりと感知していた。


 突如、大蛇の動きが止まった。トオルが撤退を命じれば、頭部を失った一対の蛇が引き戻される。この濃密な氣で形成された蛇、これを切断するには氣巧剣以上となる大蛇と同等の氣でしか不可能、だだの刀剣によるものではない。

 土煙の向こう側、死屍や瓦礫がさらに細かく粉砕にされて煩雑とする場所で、闇色の火が揺曳していた。こちらは禍々しく、底の無い洞の中に蟠る暗黒を連想させる。

 視界が晴れた。

 そこに居るのは、全身を漆黒にした紅い瞳のユウタだった。手に駆る小太刀の刀身、草履までもが染められ、そこに人の形をした闇が存在している。顔と思しき場所に、双眸が凶刃の照り返しのように炯々と光っている。


「意識を失い、箍がはずれたか……それで良い。お前の全力を出せ、そうでなくては私を殺せはしないぞ」


 大蛇の頭部が再生し、ユウタを再び睨む。一度は仕留め損ねた獲物、今度は逃がしはしない。トオルも腰を少し落とし、不測の事態に備えて構える。ここから先は判らない、今のユウタ――ヤミビトの「(こく)(ぼう)」を発動した状態に油断は禁物。

 ユウタは上体を前に垂らし、獣の突進ように身を低くする。


「ハナエ……守る……そうだ…許さない……みんな……返せ……アンタ所為で……ハナエが……」


 脳裏に浮かび上がるのは、ハナエの磨耗した姿だった。森を出て間もない頃、家族や村を喪失した現実に打たれ、いつも悲泣の涙に目を腫らす。それを一番傍で見ていた時に心を襲った痛みが、今自分の肉体を走っていた。

 満身に行き渡った“黒い氣”が波打ち、ユウタの感情の起伏を表す。周囲にまで迸り、大蛇の頭部である青い炎を吸収した。


「終わらせるよ……みんな」


 狂気を孕んだ瞳がトオルを捉えて妖しく光った。




アクセスして頂き、誠に有り難うございます。

あと少しで第一部完結!……を仄めかしておきながら、実は長く続きます、最終決戦ですので……ご寛恕ください。

次回も宜しくお願い致します。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ