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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
六章:マコトと射手座の銃
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キスリート襲撃戦(2)/炎の魔都



 首都を襲った災厄を誰しも自然現象だと考えた。戦車という形容すら適する巨大な魔物による侵攻、それに乗じて現れた武装集団の存在は除外すると、神を信仰する国の中枢は、人の命を貪り喰らう人外の跋扈する魔都と成り果てた。

 美しい神殿のような町の風体も、今は無造作に撒かれたような肉片や鮮血が貼り付いて、神聖さを汚濁が塗り潰していく。人の悲鳴が絶えず轟く場所を、一体誰がキスリートだと思えたか。

 その時に丁度居合わせた冒険者も、この未曾有の事態には閉口し、やむを得ず武器を手に戦う他になかった。歴史上、首都を襲うのは人ばかりであり、かつて魔物によって踏み躙られたという痕跡は皆無であった。国王陛下より降された命令が絵空事であると、たとえ今が如何なる時も反乱軍や盗賊による襲撃に堅固な態勢で守り続けられた町の警備を、これ以上さらに強くする必要性はあるのだろうか。

 とうとう国王陛下も己の怯懦を(かく)す余裕も無くしたかと邪推する者の思考を根底から覆し、その動揺に一瞬の後れを取った人間は命を喪う。冒険者の胸中には、既に国王を守る、または町の人々を生かすなどの殊勝な心構えを保っている人種は居ない。

 ただ生存本能に従い、この窮状を潜り抜けて生を謳歌する――その一念で動いていた。持ち場を離れ、魔物を退けながら出来る限り安全地帯へ移動する。追い詰められた状況下で為せる判断は、そこに限定された。

 しかし、首都の何処にも魔物は居る。予めその動作を、配置を、陣形を設定された機械仕掛けの兵器の如く、逃げ延びたと歓喜する冒険者の前に現れ、無慈悲に命を刈り取る。

 まだ気概を失わずに奮闘する者、或いは諦念に膝を折って魔物に命を差し出すという種類に分岐する。


 魔物の襲撃が町を飲み込んでいく中、不思議にも王宮には一体も姿を見せない――その事実に冒険者や兵士は気付きもしなかった。この混乱の中で、それほど冷静に観察が行える者がいるなら、それはこの地獄を生きる術を備えた強者のみ。

 町に滞在している冒険者、そして兵士の中でもそれはほんの一握りしか居ない。だからこそ、此所に逃げ込む人を見掛けない。

 王宮の中は既に、魔物を召喚した黒衣の連中――<(スティグマ)>によって、王室を狙う虐殺が繰り広げられていた。屋内で最後の盾とし、剣を手に戦う者は兵士の中でも実力を見込まれた精鋭ばかり。流石に武術に優れた<印>といえど、これには苦戦を強いられ、自身らのみが行使を可能とする氣術を用いても返り討ちの結果に終えた。

 葬られた戦士によって作られた惨憺たる現場を徘徊する者は、どれも傷を負って意識朦朧、疲労困憊に体は自由が利かず、頽れては地面を這い事切れる。また死体の山から、死を偽装して血に塗れて惨劇を脱した者は、正常な精神を破壊されて泣き笑いに踊り狂う。

 神に従う国にはあるまじき惨状、もはや信仰心すら失った人間達は一つの了解を得るのだった。――これは神罰ではない、人為的に招かれた災害だったのだ。これを救う為の力を神は与えてくれない。

 人々の胸の内にあった神の像が、音を立てて崩れ去っていくのを犇々と感じ、そこに生きる為には自分の力のみが恃みだと得心する者が現れ始める兆しが生まれた。


 魔物の吐き散らす業火に、空から舞い降りた雪は静かに溶けて水滴を垂らす。暖められた空気によって、首都の降雪はすぐに雨に変化した。だが、王宮を中心とした一帯のみは変わらず綿雪が地面に堆積する。

 所々で上がる火の手、それに照らされて銀色に光る粒は人の痛みも知らず淡々と嵩を増していく。煙火は魔法の心得がある者によって鎮静化される事で、火勢が規模を拡大することを阻止されていた。人々の意識が一度破壊され、新たな方向へと転じられた今、もはや町人も行動を余儀なくされる。

 元々戦歴のあった人民も武器を取り、過去の記憶を探りながら魔物と対する。蘇る己の武勇と誇り、培った技術や一線を退いてから得た知識が鈍った戦闘の勘を補う。兵士に加勢する勢力まで現れ、様相は兵と冒険者の侵略者退治から国民による平和の奪還に移行した。

 さらに強力な味方を得て気勢が上がる――だが、首都に雪崩れ込む魔物の勢いは一向に止まない。元を絶たなくては、いずれこの希望も潰える。

 そんな彼等に届いた朗報は一つ。

 王宮に魔物を使役する諸悪の根元が居る、それを討つべく国が引き入れた新たな戦力が奮戦しているということ。冒険者は暗然とした戦場の中に光を見出だし、その新戦力が魔物の源泉とでもいうべき敵を滅してくれるのを期待して、戦線の維持に努めた。






  ×       ×       ×




 神殿の入口の向こう側から、業火を口腔から噴射する魔物の姿が見える。熾火に照らされたかのように、それを背後にして立つ双子の守護者の影が床に揺曳し、少年少女の足許にまで伸縮を繰り返した。影の主は包帯に秘匿した面貌のまま、二人の敵対者を交互に見遣る。

 双子の守護者の背景に傲然と屹立していた魔物が断末魔の咆哮を上げて、建物の影に傾いていった。続いて鳴り響く霹靂のような音は、巨体の倒れた証拠。酷烈な劣勢に陥る中でも、まだ人は諦めずに戦っている。それを知って、ユウタもムスビも一刻も迅く敵を始末することを意図した。

 経験上でも判明しているのは、この魔物の襲撃は目前の二人によって引き起こされたもの――いつかの港町で、浜辺や海上の船に魔物の群を喚び寄せ襲わせた悪行。彼等が斃れれば、首都は救われる。私怨による戦いとはいえ、ここには人命の希望も懸かっている。


 ユウタは少し顎を上げて、二人の背後に隠れた小さな人影に目を眇める。愛する人に似た容姿、だが印象が少し異なるその人物に記憶の中で該当する知り合いの名があった。登場は予測していたが、まさかこの場で目に掛かるとは思いもよらず、ユウタは双子に対する憎しみを一時だけ忘れ、微笑みかけた。


「カナエ、久し振り……村長の館を訪ねた時以来だね」


「ッ……あの、ユウタ、二人は……」


 悲痛に歪ませた顔でなにかを訴えようとするカナエは、双子の守護者に制止されて口を噤んだ。今度は二人を批難を含めた眼差しで睨むが、彼等は見向きもしない。眼前の二人から視線を外さず、王宮に踏み込み後続した部下にカナエを押しやった。

 無言で黒衣が姫を連れて、柱の影に隠れながら移動する。ユウタは追うこともせず、一瞥するのみですぐ前に向き直った。いずれ後で会える、その前に終わらせるべき事がある。

 悠然と武器も取らずに立つ二人に対し、ユウタの構えも同様のものだった。腰にある小太刀に手を伸ばさず、腕を脇に自然に垂らしている。ムスビは威嚇じみた鋭い眼光を放っているが、吹いた微風と無反応で受け流す双子。

 黒の半外套に藍色の袷に草鞋を履いた風体。腰帯には、両端にはばきが見られる一尺ほどの刀の把が差してある。恐らくは氣巧剣の媒体かと推察するが、しかし奇妙な形状がユウタに輪郭の捉えられない恐怖を与えた。

 短髪に刈り上げたのはゼーダ、これと対を為すように顔すら覆い隠す長さまで無造作に長髪を垂らすビューダ。二人の風貌に顔を顰めるムスビだったが、ユウタは慣れているらしい。いや、寧ろこの数ヵ月を彼等を追って戦っていたユウタからすれば、何度も脳内に思い描いていた姿だったのだ、見飽きたと一蹴してもおかしくはない。


「ユウタ、成長したな。我々も誇らしい」


「余談はいい、早く始めよう」


 今にも抜刀の姿勢に入らんと、小太刀の鞘の上部を握った手を動かし、指で鍔をわずかに持ち上げて刀身をちらつかせる。激流を思わせるムスビの怒りとは違い、ユウタは静かに相手を飲み込む憤怒を湛えていた。

 会話を省いて、すぐに戦闘を始めようとするユウタを諌めるように手を前に出し、ゼーダは穏やかな声音で続けた。黙々と二人を見守るのはビューダとムスビであり、どちらが先手に打って出るかを監視している。


「以前は港町の飯屋だったか……今、あの港湾がどうなっているか、もう把握しているようだな」


「今は魔族に占領されている、と情報があった。僕の友人も数多く居る……これも<印>が撒いた種でしょう?」


「ああ、魔族を直接招いたのは我々だ。あの時の災害は魔族を呼ぶものでもあった。魔物と人間の中間に立つ血の魔族は、支配呪術による操作に弱い。……丁度、我々が神樹の森で使用した魔物の使役でも効果覿面だった」


 嫌でも蘇る、森に暮らす最後の夜。

 ハナエと身を寄せ合った温もり、約束や師と氣術の話、それを妨害した魔物の襲来。……そして、神樹もろとも焼き尽くされた村の光景。脳裏に刻まれたものを、犯人によって再び思い出させられた現状に、ユウタの怒りがさらに募る。

 もう交わす言葉は無用だと断じた筈である。しかし、未だゼーダは過去を語る口を閉じることをしない。何の意図があって続けるのか、ユウタを逆上させて冷静さを奪うのが目的だとするなら、成る程効果は着々と出ている。

 その魂胆もあるのだと判じて、ユウタは努めて武器を抜く手を理性で押さえつけた。まだ斬ってはならない、相手の真意を看破する為に。

 隣でビューダが包帯を解き始めた。額の白印が露になり、旅を出るまで一度も見た事が無かった人相が冷気に露出された。失明したかと思われる右の瞳が動き、ムスビを捉えた。

 その瞬間、ユウタの横に待機していたムスビが後ろへと大きく弾かれた。風に叩き上げられたように、柱の間を遠く飛んで行く。突然のことにユウタも振り返った。


「な……ッ!?」


「ムスビ!」


 名を呼んだ時は既に遅い。死体の山の向こう側へと姿を眩ませた相棒への心配に、ユウタが駆け出そうとするのを、背後から地面を蹴って大きな物音を立てたゼーダの行為が制止する。

 立ち止まったユウタの傍をすり抜け、ムスビの消えた方角に走り出したビューダが一度振り向いて笑う。家族に終の別れを告げるような悲しい笑顔を向けて、再び駆ける。


「ゼーダ、先にいくぞ」


「……ああ、また会える」


 ゼーダは深く頷いて、半身が去っていく姿を見送る。一瞬の不覚をユウタは悔いて、歯軋りをしながら改めて向き直る。そちらが始めた会話の最中に、まさか自ら横槍を入れてくるとは予想だにしなかった。

 わずかに見せてしまった油断を衝かれたことに忸怩たる感情を懐きながら、それを隠してユウタはゼーダを睨む。もうビューダではなく、ユウタを見詰めるゼーダの口元の包帯が緩んだ。


「ユウタ、一つ問うぞ。これが聞ければ、もう何も言わない。お前の要望通り事を進めるとしよう。

 何故、此所に居る?」


「……は?」


 ユウタは思わず間の抜けた声を出した。

 ゼーダは間違いなく、こちらの出現を予見した上で王宮に、首都に来た筈だ。その意味を既に弁えておきながら、何故再度問う必要があるのか。熟考しても解を出せず、訝るユウタの目がさらに炯々としたものになっていく。

 藍色の頭髪が風に揺れる。今度はさらに語調を強めたゼーダが、ユウタに再三の質問を投げ掛けた。その声色には怒りが滲んでおり、明確な感情を示していた。


「答えろ、ハナエを斬ったにも拘わらず、何故お前はぬけぬけと首都で構えて我々を迎え、彼女を守ることを放棄した!?」


 ユウタは動揺した。それが別に、彼が批判しているであろう事が正鵠を射ていて、返す言葉がないのではない――まるで彼の口調が、ハナエの身を気遣うように聞こえたからだった。

 ハナエを殺そうとした<印>の一員でありながら、その言動はまったく理に添わない。立場とは離別したゼーダ自身の想いに、ユウタは返答に窮する。


「な、何でアンタがそんな事を気に掛けるんだ!ハナエを殺そうとしたくせに、村を焼かれて……彼女が……どれだけ苦しんだか知らないくせに!」


「それを傍で支える事もせず、我々を追跡しに旅に出たのは見事に滑稽だったぞ。だが身内から聞いた、ハナエを一度斬ったそうじゃないか」


 ユウタは息を呑んで、小太刀にかけた手を思わず離す。隙が生まれる、だがゼーダは攻めずに言葉を紡いだ。


「ハナエを喪失する恐怖を知ってなお、まだ我々への復讐を優先したか愚か者!あまつさえ、魔女に魅了されてしまったとは見るに堪えん醜態だな」


「黙れ!」


 流石にユウタも黙ってはいられなかった。聞き捨てならない、確かに復讐を優先してしまったが、その意味合いは違う。ハナエを守り抜く為に矛剴を殲滅する旅に再出発したのだ。確かにムスビに惹かれている面もあることは自覚している。

 それでも、彼の物言いがハナエを捨てたと断言しているようで、それがユウタの中にあるものを爆発させた。


「ハナエを傷付けてきたアンタらが、今さら何なんだよ!それに勘違いするな、僕は……ハナエを守る為にアンタらを殺しに来たんだ」


「何が違うか、お前にとって彼女は所詮ただ同郷の仲に過ぎないのだろう?」


 嘲り一蹴するゼーダに、ユウタは唇を噛む。


「違う……ハナエは、ただの幼馴染じゃない」


「ではお前にとってハナエは何者だ?」


 何故、ゼーダが自分とハナエの関係に拘泥するのか。そんな事に疑念を持ちながら、ユウタは決然とした意を言葉に載せて告げる。


「将来を誓い合った、未来の妻だ。僕にとっては唯一無二で、誰よりも守りたい人だ。だから、生きているだけで彼女を傷付ける害悪を野放しにはしない」


 ユウタの言葉に、彼の双眸が見開かれる。暫しの沈黙と共に、その声が穏やかなものに戻った。緩み始めた包帯を掴み、小さく笑声を溢していた。だがそれと同時に、声とは一致しない剣呑な雰囲気を全身から発散しているかのように、彼を取り巻く空気がユウタを緊張させる。


「婚約者……なのか。そうか、あの子の想いが実ったのか。なら、もう問わない。」


 肌を刺すような冷気が荒々しく吹いた風に乗り皮膚を削る。

 氣術師だからこそ感じる。彼を中心に躍動する氣の激しい流れが乱気流のようなものを発生させ、相手を圧倒しようとしている。

 だが、ユウタは気圧される事もなく、右手の包帯を引き千切った。

 両者が秘匿していた、二頭の蛇が互いに巻き付き、そして短刀に貫かれて一つとなった烙印。違いは大きさと、そして異色であること。


「守護者ゼーダは、神樹の村と一緒にあの日死んだんだ」


「なら私は矛剴十二支、『(へび)』のトオルとして戦おう」


 ユウタは拳を握る。

 村を失ったハナエ、カナエ、そしてギゼルの娘、死んでいった村人と守護者の為に、全身から氣を漲らせて決戦に挑む。


「終わらせる、いま此所で」





  ×       ×       ×




 ニーナ達は目的地に到着してすぐ、扉を蹴破って入室すると中にあったユウタの杖を発見した。まだ敵の手が伸びていない区画であったためか、付近に敵の姿は見られなかった。しかし、その平穏もいずれ崩れる。早く移動しなくては、また<印>の凶刃の間を掻い潜って行かなくてはならない。

 マコトは杖をベルトに帯びて部屋を出る。片手に持てば氣巧法の発動を阻害してしまう。ただでさえ扱いの困難な氣術の発動を、さらに妨げる枷を自分で作るなど愚行である。

 目的の物を回収したとあって、後は王宮の入り口まで行けば良い。だがその道程を通るのは至難だと弁えている近衛は気が抜けない。

 此所は王宮の裏口「離れ」に近い部屋。反対側に位置する王宮の正門までは、かなりの距離があり時間を要する。到着までにユウタが返り討ちに遭っている可能性は未知数。あの双子の実力さえ測れるなら方針も定まる。ここまで先手を読ませず、この首都に波乱を巻き起こした手法を見るに、恐ろしいほど秀逸した呪術の技巧が見てとれる。複数の巨大な魔物を支配し、操る能力は一般的な呪術師でも類を見ない。

 何より、矛剴分家十二支の中でも最も強いと嘯かれ、何より神樹の森に潜伏するという任務を託された信頼の篤さ、そこには絶対的な力があり、如何に困難な局面であろうとも打破してみせる力量と器量を併せ持つという確信を周囲に与える程だ。

 呪術に対し相性の悪いヤミビト――その力は長期戦には不向きだというのは明確だ。時間が経過する毎に、勝利は遠退いていく。

 一刀、一刺、一打で必殺を確約する為の戦術を専門とする暗殺の徒。氣術師にとっては天敵である氣の与奪、及び人体に巡る氣の流動を自在に操るという特殊能力。

 これらで相殺されるとするなら、後は武術や体力の差異、そして経験の豊富さで決まる。その点で言えば、最後の経験というのはユウタよりも双子の方が優勢だと言えるのだ。

 ユウタの強味である必殺の一刀、これを繰り出す為に必要不可欠なのは、彼が最も慣れ親しんだ武具である紫檀の仕込み杖。早急に届けなくてはならない。


「オレは杖を届けに行くけど、やっぱり一緒に来るよな?実際、結構助けられたから、これから先も同行して貰えると助かるけど……」


 マコトは姫を見て言葉を濁らせる。

 ニーナは本来、王室専用の安全な避難場所へと護送しなくてはならない。だが、マコトに続くというのは、ニーナをさらに危険地帯へと招く行為である。その判断に従うとなれば、それは近衛の任務から逸している――守るべき者を敢えて死地に連れていくのは、国に忠義する兵士としてはあまりに理を外している。

 四人も思案顔で姫を見詰めていた。彼等の中に渦巻く葛藤は、出来れば友のジーデスと親しいユウタを守りたい思いもあった。だがそれ以前に、己はニーナを守る任務を仰せつかった一人の兵。これ以上の無茶は本当に命を喪う。


「構いません、道中で死んでも。私はユウタ様の足枷にはなりたくありません。近衛の彼等が必要ならば、同伴させます。不要とあらば、私はこの一室で待機しています」


 近衛の四人が顔面を蒼白にする。

 マコトは思わず笑った。年のわりには胆の据わった少女、花よ蝶よと愛でられて武具や鮮血とはまったく無縁な安寧の中に生きてきたであろう彼女は、ここまでの途中で何度も出会した侵略者を見ながらも退かない。意地を張るにしても、ここまで頑固だと、一種の尊敬の念を懐いた。


「それじゃ、行きましょうか姫」


「ニーナでお願いします」


 一座が決意を固めたとき、その場に新たな敵勢が到着した。足音に振り返ったマコトは、戦慄に身を強張らせ、近衛もただならぬ気配に呼吸を忘れて長槍を中段に構えて立つ。

 廊下をこちらに向かって歩むのは、赤の混じる黒い頭髪の大男。右足は木製の義足で時折膝の部分で軋りを上げているが、弛みない足取りである。背後に複数の部下を率いて、前方にいるマコトを見詰めていた。

 ニーナは二人の間で視線を往復させる。両者の間で凍える空気から、お互いに面識があるのだと理解した。

 巨漢が立ち止まった。


「久しいな……マコト」


「……タイガ様……!」


「逃走した後の所在は知れなかったが……まさか、此所に居たとはな。氣術師としての才覚は誰よりもあったが故に手塩にかけて育てたが、どうやらそれがお前の中で何か邪なものを育ませていたらしいな」


 マコトの手が震える。

 この男は――マコトのいる矛剴分家の一角の当主を務める強者、『酉』のタイガである。過去に何度も氣術の手解きを受け、一時期は本当に純粋な尊敬の対象だった人物。戦闘力、統率力はまさに当主として相応しく、次代を担うとしてマコトに誰よりも期待をしてくれた数少ない理解者だった。


「何故、逃げ出した?」


 地響きのような低い声で迫るタイガに、マコトは恐怖で震えた。早く杖をユウタに届けなくてはいけない……そして、前に立ち塞がるのがタイガであっても戦って進む。そうでなくては勝てないと承知している。

 それでも、本能が敵対を拒絶して体を硬直させていた。どうしても抗い難い感情に掌握された体の主導権を勇気で奪い返すこともできず、俯いて瞼を固く閉じ、自己憐憫に歯を食い縛る。ユウタやムスビのように勇気があれば、かつての師であっても攻撃できた筈なのに。

 萎縮して動けなくなったマコトを庇うように立ち、槍衾で牽制する近衛の輪。彼等も自分が敵う相手ではないと解しても、立ち向かう意志を失わずにいる。この男に殺されるのは怖い、だがそれよりも恐ろしいのは国を喪う事である。そして、その後に吹き荒れる戦乱の渦中に大切な人が巻き込まれていく未来を想像して黙ってはいられなくなった。

 頭上に高くあるタイガの凶相に怯えるマコトの手に、ニーナの片手が添えられた。はっとして顔をあげた彼は、自分を真っ直ぐ捉えた姫の強い眼差しに当てられて安心感が生まれる。傍で誰かが支えてくれることの貴さ、心強さを感じたのだ。

 まだ畏怖に震える喉で、それでも目の前の男に対して言う。


「白印の意味を、知っているから……!」


 タイガが疑問に目を細めた。

 白印の意味――そんなことを考えもしなかった。だが、そこにどのような“呪い”があるのか、ただ追放された者として刻まれたに過ぎないのではないか?


「知らないなら良い……どうせ、理解しようともしないんだから。それでも、オレは貴方を倒して進む……ユウタの元に辿り着いてみせる!」


「成る程、ユウタと結託したか。だが、そう簡単には通さん、久方ぶりの稽古としようか、マコト!」








二日連続の更新です。

アクセスして戴き、本当に有り難うございます。

一部の終幕を飾る戦いを書き抜いて、次の第二部に繋げて行きたいです。……無事に書き終わりたい。

次回も宜しくお願い致します。

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