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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
六章:マコトと射手座の銃
110/302

「あの人」の弟子/ムスビは復讐を誓う



 黎明を過ぎ、日が昇って空の色が明るくなり始めた時間帯に少年は川辺に釣りへ来ていた。岩に腰を下ろす彼は、竿先から手元へと伝達される予備振動に意識を集中させていた。沢へ下りて彼が遊ぶとすれば、それは水浴びではなく釣りであった。

 元より食用旺盛な少年は、時間を楽しむよりも空腹を満たすことのみに意識を傾注している。今も竿を握り手応えを待望しながら、脳内では炙った魚の身を頬張った時の味を妄想している。

 呆れてそれを見守るのは、村の中で出会い、すぐに親しくなった同い年の少女。村長の娘とあって、村民からの跡継ぎとしての期待、人柄に対する信頼などは少年が持ち合わせない輝きを持っていた。

 最近は遊ぶようになり、時折こうして早朝に少年の趣味に付き合うこととなるが、その際やはり村長の娘とあって身辺に及ぶ危険の可能性の一切も排除したいと要心深くなる村長によって、護衛に守護者が随伴することとなる。

 やや眠そうに瞼を擦って、それでも竿先から伝う糸が水面へと吸われる一点に視線を注ぎ、川魚が針に掛かる兆しを見逃さんとばかりに気を張った。その姿勢と意欲は、竿を手繰る少年の気勢にも勝る。二人の朝食となる食料とあって、集中力は高まった。

 それを背後の木陰から物静かに、魚にも気配を悟らせず影として二人の姿を見守るのは双子の守護者。今回は彼等が担当であり、まだ空を焦がす曙光が森の遠方に窺える時間から館を出発した少女の為に起床している。普段から村周辺の警護などに勤しむ二人が、そんな苦労さえも顔に出さずにいるのは、二人の気分を害したくないという一念であったからだ。

 端から見れば、とても仲が良く、寄り添う姿が将来を誓い合う儚く初々しい子供達を守護する親の姿。

 少年の手元に微かな振動が伝わった。それを機敏に読み取った彼が即座にタイミングを見計らい、一気に引き上げる。川面を破って現れた魚を桶にそのまま放り、少女に対し自慢気な表情を作っていた。これに相手はその顔すら見ず、桶の内側で生き生きと暴れる魚体を見詰めて興奮に手を叩く。


『ユウタ、将来はハナエを妻にすると良い』


『きっと苦労しない、幸せだ』


 ふと、二人の守護者が言う。先程から自分ではなく魚を見て喜ぶ少女へと不満を露に眉間に皺を作る少年が、途端に途方に暮れた顔になって振り返る。少女すらも二人の言葉に身を固めて、少し頬を紅潮させて笑っていた。


『僕なんかよりハナエと結婚したい人が沢山いますし、その人達に失礼ですよ』


『でも、ユウタだったら気苦労が無さそう。わたし、別に良いよ。もし素敵な人が居なかったらね』


『君の労苦が浮く分だけ、僕の負担は重くなるんだけど……というか都合の良い保険なんだ』


 苦笑した少年に朗らかな笑みを返す少女。

 双子の守護者は脳裏に、近い将来に身を結ぶ二人と祝う村民の姿を夢想して、自然と口許を綻ばせた。これが実現できれば、何と幸せなことか。見守ってきた二人が夫婦として、想いを通じ合わせる未来を望まぬ筈がない。

 だが、それを望むのは甚だしい、だって……

 守護者の顔が険しくなった様子に気付かず、少年は半ば呆れ笑いのままで振り向く。


『そんな未来があるか判らないけど……その時は、僕らを祝って下さいね』


『約束ですよ、ゼーダさん、ビューダさん!』


 空に昇る太陽よりも眩く輝く宝石を空に翳したかのように、目を細めて二人は空を仰ぐ。胸の内を包むあたたかさが心地よく、それが何よりも呪縛として己を苦しめるのだと再確認し、それは無理だと首を横に振ろうとする。だが、先んじて溢れた本音は隠せず、なんとも浅ましく酷い嘘が着けたものだと自嘲した。


『ああ、必ず』


『我々は君らの幸福だけを祈る』






  ×       ×       ×






 王室が顔を揃える玉座の間に、本来はこの場に立つ事すら危険であると知っていながら立つのは、国に追われる二人の冒険者。

 一人は凄腕の刺客として、一人は万人を惑わす魔女として疑われ、その身を常に修羅場に置いていた。初見では一般人すら思わず床に伏せて崇めてしまうような威容、磨かれた神殿の内装をした王宮の中心に立ちながら、然程の変化も見られない。加えて、王を忘れて小言を吐き合う始末には思わず笑いを噛み殺す者、非礼だと断じる者、呆気に取られる者と様々であった。

 二人の主張は、国家反逆は冤罪であるということ。八咫烏による聖女暗殺事件の際に見せた不審な行動、冒険者を束ねる指導者としての異様な才覚、それらが招いた偏見によるものだと語った。

 ニーナも彼等に救われたという証言

 しかし今日、何者かによる暗殺が確認された賢者と本国で使役していた銃使いの死亡。彼等の来訪と重なる奇怪な事件に、関連性が見出だせてしまう以上、信用と疑念の間に玉座に鎮座する王の胸懐は葛藤に締め付けられていた。


 ユウタは嫌悪に顔を顰める。斧を担ぎ、王の傍に控えながら未だムスビに対して視線を送る騎士から遠ざけるように、彼女を背に隠した。王の御前に斯くも無礼を働きながら依然憚りもなく女性に対する色欲を隠しもしない。果たして、これが騎士なのか。ユウタの知る騎士――ジーデスは、理不尽な現場に在ろうとも守ると定めた者以外にも真摯に向き合う精神の持ち主である。

 あの騎士とジーデス、どちらが騎士の本質に適するものなのかを判じかね、後方に立つニーナの近衛四人を見遣った。監視という任務を受け二人を注視しているが、そこには敵意はなく寧ろ視線が合えば微笑み掛けてくる程に好意的である。

 一方、ユウタが玉座の間に来て居たたまれない理由が二つあった。

 一つはムスビの服装。王の前とあり優美なドレス、髪を纏めて高い位置に結い上げた身なりが無防備であり、空間の隅に待機している兵士が盗み見るのを察する。自他共に認める美貌が意図せず寄せる好奇の意識とは解しているが、ユウタは何故かそれを隠したい感情に駆られる。誰かの悪意、それも粘着質な視線に彼女が晒されているのは判然としない忌避感があった。

 二つ、こちらへと固定されて動かない王女の目差し。これが何よりもユウタを苦しませていた。無視をしようにも、相手は害意の無い微笑を向け、さらにその身が国家でも重宝されるかの戦争で活躍した姫であったとなれば、それも叶わないのだ。

 ユウタが戸惑うように王女を見れば、ムスビの靴が強く足を踏む。実際に鼻の下を伸ばしているかを確認も出来ないユウタは、自分の下卑た笑みというのを想像して頭を捻る。


「ムスビ、足が痛いんだけど」


「あたしに踏まれてるのよ、ご褒美じゃない?」


「君に踏まれるのは死にも等しい屈辱だよ」


「あんただけよ、そう考えてるの」


「僕は決して非常識じゃないッ!」


「蹴らないだけ優しいわよ。あたしの寛容を安く見ないで」


「ああ、君の器の大きさって……」


「その絶望的な顔やめてくれない!?」


 あたかも視認し難い小さな物体に目を眇めているユウタの表情に、相棒の少女が猛烈に抗議する。近衛と共に立つマコトは、もはや注意すらせずに状況を座していた。一度は王の前と慎んだ筈の軽口の応酬――息をする事すら憚れる神々しい神殿の中に居ながら、平生と変わらず喧嘩を始めた二人には何も言えない。

 ちらりと覗いた王の表情は笑みを湛えており、そこには繕いや飾りが一切無い。彼が娘の要望とあって本来はすぐにでも断罪すべき国賊を前にして情状酌量の余地を与えた寛容と共に、ニーナの面目すら潰す行為をしていることに、まだ二人は気付いていないのだ。二人の無罪認定の助勢として推参したマコトだったが、この態度には些か気概を削がれるばかりである。

 王女が座から腰を上げて、靴音を鳴らしながら二人に歩み寄る。とうとう寛大な夫の設けた話し合いの場を乱す言動を叱責すべく自ら出向いたかと誰もが慄然とする。先程まで笑いを堪えて見ていた近衛も顔面蒼白となっており、何人かは正視に堪えないと苦々しげに顔を逸らす。

 ユウタが口を止めて、王女の方へと向き直った。入室から続く絡み付くような視線、その元たる王女が自分を見据えて接近する様子を注視する。まだ言い足りないのか、ムスビは美しい装束と容貌に似合わず、拳を握り締めて少年を威嚇していた。


「貴方があの人の弟子、なのね?」


「え、えと……はい」


 当惑に小さく返答すると、王女がユウタの両の頬に優しく手を添えて、その額をユウタのそれに当てる。接触した肌から別の体温を感じ取り、赤面した少年の初々しい反応を楽しんでいる。


「なら、私の弟弟子、となるのね」


「………………はい?」


 王女の言葉にユウタは首を傾げた。


「戦場を巡る中、治癒魔導師としての腕を上げたのは単なる経験だけではありません。師匠――つまりヤミビト・アキラ様の持つ氣術に基づいた体内魔力の流動に関する知識で、私は兵士を癒してきました」


「あ、あの……?」


「私はタクマに次ぐ二番弟子ではありましたが、恐らくアキラ様にとっては最高の弟子だったでしょう」


 恍惚と語り、己が懐く鮮烈な記憶の想起に忘我する姿が、あの端然とした気品ある王女の姿とかけ離れ、誰もが閉口した。予めこの本性を認めていたかのように、王が悲嘆に頭を抱えているのは自明の理。至近距離で物語る王女に気圧され、ユウタが後退する度にさらに踏み込んでくる。熱意の強さがあまりにも凄まじく、若干の恐怖が体を支配する。

 戦場を馳せる、血に塗れた大地に伏す兵を癒す為に尽くす中、その身に走る凶刃から守護した護衛の男。王女の中で誰よりも輝き、暗澹とした世界の中に希望を示してくれた存在だ。彼女には神々しく映る姿は、今も曇りなく胸の奥に居る。

 抵抗を止めて、大人しく傾聴するユウタに怒濤の思出話が展開された。


「ああ、何と素晴らしいお方!アキラ様は道中私の師として、姫に従事する執事や近衛ではなく、真に一人の人間として、先導者として厳粛な態度で接してくれたのです。だからこそ励む事が出来ました!

 あの憎きタクマさえいなければ、私こそが彼の良き弟子として……ああ、忌々しい!」


「あ、あの……僕の師匠はアキラで、僕はタクマの息子、です……」


「あら?タクマ、まさか子が居たなんて……」


 弱々しく出自を端的に明かすユウタに、その双眸を大きく見開く。王女はあのタクマ――ユウタの父であり、かつて矛剴を率いて戦時に暗躍した氣術師の存在を把握していた。面識はあるような口振りは終始忌諱を含みながらも、どこか競争相手の兄弟を自慢していた。

 ユウタの面貌を険しい目付きで観察すること暫し、彼女は口端をつり上げて笑う。


「タクマは元気かしら?あれから連絡が無いのですが」


「……死にました。話によると、ロブディで師匠との一騎討ちに敗北し、そのまま……」


「どんな最期かご存知……?」


「多分、地下迷宮四層目の溶岩流に落ちて焼死した……と」


 ユウタは町を訪れる都度に視る夢――師の持つ黒印の一部である「隈」の影響で流れる映像を思い出した。憎悪に満ちた目、氣巧剣を駆り師へと振り翳した狂気、三肢を切断されて溶岩に落下する姿と、それを見守る師の悲哀を滲ませた表情。夢を見た当時では、まったく正体も掴めない謎の景色だったが、今となってはそこに自身が大きく関わっていることは知っている。

 恐らく、タクマと言葉を交わし、切磋琢磨した過去があるのか、王女は憂いに目を伏せて悲しげに微笑む。当然なのかもしれない、同じ人を師事し競い合う中では少なからず余人には理解し得ない情が在った筈である。いまは亡き者になった兄妹弟子の身を悼み、想うことしか出来ない空しさが彼女の顔に表れている。

 もう一度、ユウタを真っ直ぐ見詰めて姫が笑んだ。


「辛かったでしょう……」


「……いえ、物心付く頃には師が居たので、父がどんな人物だったかは、考えない事にしています」


「アキラ様は、もう……?」


「五年前に安らかに眠りました。僕を『愛している』とだけ遺して、あとは掟というか約束が……」


「約束?」


「ええ、この黒い刻印が呪いでないと証明する事です」


 ユウタは右腕の包帯を取り、王女の面前に晒した。師も背負っていた同種の呪い、神の剣として呪縛を受ける存在を示す烙印である。今では対決した氣術師から事の顛末、及び黒印の詳細も聞いているため、もう覆すのは無理だと概ね諦観していた。だが、それでもユウタは懐いた初志を忘れることはせず、今でも想いは色褪せない。

 たとえ周囲に呪いとされようと、人生を以て抗った師の辛苦と努力が今のユウタを形作っている。“ヤミビト”という呪いに打ち克つ為に、今のユウタは走っている。


「アキラ様にも同じモノがありましたね。でも、彼と比較すると随分と小さい……」


「師匠が異例なだけですよ。あの人は、色々な意味で特別だったんです」


「……そう、ね。彼の寵愛を受けた貴方は、きっとタクマよりも逞しい。彼は寂しい人でしたから」


「え?」


「いえ、こちらの話です。……あなた」


 王女が振り返る――その先に座す王も頷いていた。

 王は席を立ち、見下ろしながら低い声でユウタに問い掛ける。


「梟……確かユウタ、だったね。君の目的を聞かせて欲しい」


 本題に入り、場の空気が緊張する。近衛も表情を引き締め、マコトは息を飲んで見る。先程から蚊帳の外となり始めていたムスビも気を取り直し、王女の横で静かに佇む。

 片膝を絨毯に着き、頭を垂れたユウタに一同の注視が募る。


「陛下が追跡している皇族の末裔であるハナエ、彼女を救う為にも僕は矛剴<印>を殲滅する所存です。この国との利害は一致、反乱を起こす積もりは毛頭なく、元より平穏の為に戦います」


「同族殺しか……だが、出来るのかね?」


「躊躇いません、未来の為にも」


「……皇族の末裔、その娘は君にとって何だ?」


 王の厳めしい面構えにも、ユウタは全く怖じ気付かず、毅然として彼を見据えながら意思を言の葉に乗せて紡ぐ。


「ハナエは――婚約者です。この戦乱を終結させた後に二人で夫婦の契りを交わし、静かに暮らす……その夢を果たす為にも、僕は戦わなくてはならない」


「……良かろう、指名手配を取り下げる。では、君にはこれから東国との交渉の為にも、まずは国内の面倒事を片付けるのを手伝って貰いたい」


「はい、従います。ですが、僕は主を定めません。カルデラ一族とは別の勢力として働いているので、僕の失態は僕の責任です」


「そうか」


 王はこの少年の立ち様と、その年に似合わぬ強固な意思に納得した。婚約者を助けるため、そして身を負った大いなる宿命に正面から対峙している。喩え国に追われても、彼が想うのは彼女であり、それが揺らいだ時はないのだと、琥珀色の目差しが物語っていた。

 王が思い出すのは、二〇年前である。カルデラに遣わされ、この玉座の間を訪れ、今は禅譲した先代の王との会話している所を見た事がある。そこに居た男の強い覚悟にもまた、愛する人を思い遣る情念が在った。懐疑的な王にも粛々と対し、見事に重責を全うした伝説の戦士。

 信頼に値すると見て、王は彼の存在を外敵ではなく同士だと認識した。


「陛下に報告があります」


「何だね」


「明日、矛剴がこの首都を襲撃します」


 卒然と背後の兵士達がざわめく。国家に反抗する強大な武装集団の来襲を告げるユウタに、王は眉を寄せた。


「確かか?」


「信用できる筋のものです。恐らく彼等を統率する者は僕との遭遇を予見し、そして敢えてそれを甘受する予定で来ます」


「明日に備えて、警備をより厳戒にするか」


「はい、そこで僭越ながら僕に、その統率者との戦いを許可して頂けませんか?」


 改めて玉座に腰を下ろした王は頬杖を肘掛けにつく。王女も元の座へと戻り、ユウタの言葉に耳を傾けた。


「その心は?」


「どうしても、彼等に落とし前をつけさせる必要があるんです。彼等を倒す為に旅をしてきました。……僕と彼等の戦いに、一切の手出しをしないと、約束して貰えないでしょうか?」


「……君の事だ、許可の有無も問わぬのだろう、好きにしなさい」


「有り難うございます。

 それと、相棒のムスビと後ろの少年、彼等は僕と志を共にする仲間です。きっとお役に立てると思います」


「許す」


 ユウタは振り返って、マコトを一瞥した。彼は呆れながらも安堵の息を吐き、近衛が喜びに肩を叩きあっていた。わずかな時間で既に絆が生まれている――その要因が、王の前で自然体のままにいたユウタの粗相を危惧し、胸を痛めていた者の共有する感情によるものだとユウタは知らない。

 これで問題なく共闘が出来る。今回、ユウタが王室と意思疏通を交わせたのはニーナのお蔭であり、そして王女が尊敬しユウタが敬愛する師の存在。二つの要素、どちらかが欠如していたならば、間違いなく成功はしなかった、できたとしてもかなりの苦労を強いられていたであろう。

 ユウタは自身の右腕を見遣った。今も成長を続ける烙印、これがいずれ呪いではないと証明すると誓った森の中の頃が懐かしい。思えば、神樹の森に住んでいた人間の内で生存者は、ユウタとハナエ、双子の守護者とギゼルの娘、そしてカナエである。あの時に戻れるなら、と願えばこの人数でも村を復興できたかもしれない。……双子の守護者を除いて。

 銃使いを倒してから、彼等の夢を見る。それも、睡眠の時間ではなく行動の際も意識を塗り潰し、あたかも誰かの制御があるかのように。ユウタの記憶にある二人に関する時間、何故今になって……


『ユウタ、二人を恨んではならない』


 師の言葉を反芻し、その含意が何なのかを探す。彼はまるでこの事態を先読みしていたように、ユウタに囁いた。彼は『未来が視える』と言った時がある。その力で総てを知ったのかもしれない。

 まだ先代ヤミビト――アキラには不明な点が多い。中でも特に謎とされるのは、何故彼が襲った名、襲った役目に背いて、主を転転とし神に背馳することとなったのか。恐らく、その起源は彼が居た矛剴の里、数十年前の月日を遡った彼の幼少期にある。ヒビキが共に居た時間帯、彼にどんな心境の変化があったのか。

 壮絶な人生を歩みながら、誰よりも謹み深く、闇の中に生きてきた男。最期まで自分を語らず、ただ愛情だけを遺してこの世を去った人。唯一無二の師であり、ユウタという人格を形成した環境の大半を占め、構成していた名付け親にして育て親。


 “――師匠は、僕を見ているのかな?”


 ユウタは目許を撫でた。この「隈」を通して視る師の記憶は、いつも悲しいものばかりだった。意思を固めて剣を手にしたとき、愛する人との最期の別れ、そして自ら弟子を討ち滅ぼした手応え。そこまでして、()()()()を否定する気持ちの根源が知りたかった。

 まだユウタは、彼を知る者を探さなくてはならない。


「彼等に部屋を、休むと良い」


 王が命令すると、近衛と数人の侍女が三人を誘導する。手を振る王女とニーナに黙礼し、ユウタは踵を返して玉座の間を出た。


「冷や冷やしたっていうか……結局オレは不要だったな」


「いや、居てくれるだけで助かったよ、何か和んで緊張せずにいられたから」


「何だろう……オレ、置物人形的な感じがする……」


 マコトとユウタは同室とされ、ムスビは別室に招かれる。配置としては当然の采配だろう。入室の前に、近衛に囲まれながら身を寄せてきた彼女が耳許で小さく囁いた。


「二時間後、部屋に来て。話があるから」


 何気無く縦に首を振って応えて別れる。恐らくこれからの戦闘、事前に合わせる動きなどについての会議かと踏んで、ユウタは特に何も考えなかった。

 だが、彼は知らない――これが二人の関係を変える、崩壊の始まりだと。







  ×       ×       ×





 二時間後――。


 約束の時間となり、ユウタは暗い廊下を歩いて近衛に訊いて得た相棒の部屋を訪ねる。内容は概ね察している――双子の守護者との決闘、そこに自分も加えて欲しいという希望なのだ。獣人族虐殺の合図を出した犯人が来ると聞き、ただ矛剴を迎撃するだけでは募る憎悪にも決着が付かないと推察する。

 無論、ユウタはこの希望を快諾する心算だ。あの二人に、たった単身で拮抗できる自信も無い。いや、認めたくはないと思うユウタではあったが、瞭然と正面衝突で彼等には勝てないと思っていた。ならば、ムスビの助力を借りる他ない。

 相手は氣術師――魔導師や呪術師よりも厄介な敵だ。恐らく武具を操る術、氣の扱いもユウタを数段上回る手練。

 叩扉の音が廊下に響く。ユウタは向こう側のムスビに対して呼び掛けた。


「ムスビ、僕だ」


「何よ、遠慮せず入れば?」


「じゃあ扉を氣術で吹き飛ばして入室するのは?」


「あんた、折角疑惑が晴れたのに、また追われたいの?」


「ゆっくりご飯が食べたいから、それは御免だね」


 扉を開けて入室すると、中は甘い香りがした。アーチ状の鏡が設置された化粧台、数人が横臥しても収まる優美な寝台、一人で使うにはあまりに大きすぎる納戸と、予想を遥かに逸する物ばかりにユウタは我を忘れて眺め入る。

 甘い芳香の正体は、寝台の横に置かれた袖机の上に紫煙を立ち上らせている急須に似た容器。換気の為の窓を閉め切り、中は完全に鼻腔を溶かすような匂いが充満していた。


「あんた、いつまで突っ立ってるのよ」


 寝台に腰掛けて足を組ながら、薄い寝間着の裾を払っている。


「これ、何の香り?」


「体力回復の効果があるやつよ、呪術で薬草の扱いも受けたわ」


「へぇ、呪術って呪うだけじゃないんだね」


「毒も使い用では薬よ。流儀は人体に効果をもたらす、だから」


「何だろう、ムスビが使うと疫病なんかが発生するんじゃ……」


「あたしが魔法使ったら世界は火の海よ。でも安心しなさい、今はその気もないから実害も出てないでしょ?」


「今は、っていつか予定はあるんだな。それと実害はいつも僕が被ってる気がするんだけど」


 ムスビは微笑みながら、自分の隣へ座るよう催促する。落ち着いて話すには、部屋の匂いと雰囲気が合わないが、ユウタは寝台に腰を下ろす。


「それで、話って?」


「…………婚約者って、どういう事?」


 ムスビの言葉に、一瞬ユウタは虚脱感に呻く。全身の体温が引いて行き、動揺に冷や汗が肌から滲み出す。予想と反する話に、ユウタは返答が出来ず視線が彷徨する。

 対する彼女の表情は穏やかで、静かに答えを待っていた。


「えーと……その、いつか話そうと思ってたんだ」


「ふーん……いつから?」


「ロブディで、面会の許可が下りた後にすぐ会話をして……それで……」


「ハナエからプロポーズを受けて罪悪感に?」


「いや、違う。僕が望んだんだ、別に罪悪感もないし、あの時はただ幸福感で一杯で……あ」


 ユウタは照れ臭そうに頬を掻いて、顔をムスビから背ける。いつか話す時が来ると甘え、先延ばしにしていた()()が回ってきた。

 何故躊躇ったか?

 理由としては旅の道中とあり、自分との冒険を楽しむムスビに対し、ハナエとの婚約は終わりを示唆する。ユウタが妻と共に暮らせば、そこに戦いや旅という言葉は消え、相棒が独りになってしまう。真実を明かせば、ムスビに詰め寄られ、今の関係も破綻するのではないか、そう危惧し恐怖に告白する機会を自身で手放した。

 狼狽えるユウタに依然変わらず笑いながら、ムスビはふっと息を吐く。


「あんたねぇ、相棒に報告があって良かったんじゃないの?」


「す、すみません……」


「まあ、相思相愛だったって事ね……こんな事なら……だった」


「え?何……あれ……?」


 至近距離で小さく呟いたムスビの言葉に耳を澄ましていたがまったく届かなかった。聴覚の優れたユウタが聞き取れない筈がない。本人にも自覚があり、ムスビに再質問をかけようとしたときに、体調の異変に気づく。

 意識が半睡眠に落ちたように朧気になり、体に熱が籠っていた。呼吸が苦しくなり、背を伸ばしていることすら辛い。朦朧とした視界の中、ムスビがまだ笑っている。


「あんた、どうしたの?」


「ぐ……何だろう……疲労、かな……?」


「珍しい事もあるの……ね?」


 ムスビの戸惑いに上擦った声。

 体は本人の意思を離れて糸で手繰られた人形のごとく、ムスビの上に覆い被さった。まだ意識はある、ユウタは状況の理解に追い付かず、また脳を冒していく熱の正体を探ろうとするが、まともに思考すら不可能なほど体は異常を来している。

 眼下のムスビは、虚ろな瞳のユウタの異常事態を目の当たりにして、冷笑を浮かべる。何の嘲りなのか、明らかに見下した態度にも今は叱る事も無理だった。

 それよりも胸の内から湧く、かつて覚えた事のない衝動に体が熱くなり、血潮を滾らせる何か。


「む、すび……?よく、判んないけど……逃げ……」











     ×          ×




 あいつは、まんまと引っ掛かった。

 これが相棒であるあたしに対し、どれだけ心を許しているかの証左となった。それを知る度に嬉しくなる。


 玉座の間で、婚約者とあいつの口から聞いた時は凍りついた。知らぬ間に、あいつの心はハナエに盗られていた。理由はどうせ、あのロブディでの一件だろう。きっと自分を斬った事に対する罪悪感に付け入り、婚約させたに違いない。

 そうじゃないとしたら、一体どんな手であんな朴念仁を落とせるのか。あいつの師匠やハナエを除いて、誰よりも時間を共にしたあたしでも判らない。


 何であれ、あいつをハナエに奪われた。その事実にあたしは打ちひしがれる。遅かったのか、あの日ハナエとの面会に立ち合うべきだったのか?

 いや、その前にあの時ハナエが死んでいれば、こんな事は無かったのではないか?


 ……そう、心はハナエの物となった。

 なら、それら以外から侵食して、ゆっくりと奪い返して行けば良い。幸い、まだ戦いは続く……敵は<印>に加えて、反乱軍や東国がある。戦場さえあれば、あいつは剣を執り、あたしは傍に付いて肩を並べて戦う――その間に奪還する。


 部屋へ入りすぐに簡単な呪術の一種、感染呪術を用いて秘薬を調合した。簡単に言えば惚れ薬であり、まあ娼婦が多用する薬だ。空気中に臭いとして撒かれ、呼吸と共に粘膜から作用して人間に効果を発揮する。呪術に弱いヤミビトの体質ならば、すぐに掛かるだろう。

 あとはこの薬をあいつが不審に思わないかどうか。


 効果はすぐに現れた。

 思考力、判断力、理解力を薬によって失ったあいつは獣だった。すぐに意識が消えて、あとは一心不乱。あたしは抵抗もしないし、寧ろ喜んで受けた。

 我に返って、あいつは途轍もない罪悪感に苛まれるだろう。その贖罪として、きっとあたしに尽くす。それを始点に、望む未来へと調整していくだけだ。

 今はキスも出来ない。薬で失われた理性が残っている様子ではなかった。まだ反射的にもハナエを想う意思が残っているのだ。今はそれで良い、いずれ籠絡していけば変わる話。


 あたしはもう、迷わない。

 こいつを絶対に手に入れてみせる。それをハナエに見せ付けて復讐する。他にはもう何も要らない、こいつが傍にさえ居てくれれば、それで……。




更新しました。忙しくなると予期していた夏ですが、初頭から振り回されました……全身痛い……。


本作にアクセスして頂き、誠に有り難うございます。良ければ作者ページからスピンオフ作品も見て貰えれば嬉しいです。


次回も宜しくお願い致します。

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