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森出身で世間知らずな少年の世界革命  作者: スタミナ0
六章:マコトと射手座の銃
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ニーナ・ヴィルゼスト



 風が吹き抜ける森の中を、一頭の獣が駆けていた。本能の赴くまま、獲物を追う筈であるその生物はいま、狩られる側として逃走している。己の背後から迫る気配に怯え、生存本能が危険信号を発していた。

 太陽の投げ掛ける日差し、それもこの神樹の森では樹影すらなく、ただ薄暗い林間が続く。獣は川を避ける。あの場所は視界が拓ける、即ち敵からすればあちらの発見を早くしてしまう。

 進行方向を本能で定めて走る。目的もなく、ただ途方も無く、敵の気配が消えるまで。安心が得られるまで、その四肢を駆動させて地を蹴った。

 だが――森の闇を疾駆することしばし、眼前には抜き身の短刀を片手に提げた少年が居た。自身が恐怖していた正体を目にして、獣は前肢を上げて嘶く。身を翻して再び逃げようとすれば、その獣の視界が反転した。一度宙を舞い、聳える樹幹、その中程の高さまで上昇したかと思えば、後は下降していく。遠退いていく枝葉の天井と、暗くなっていく意識。

 森の中よりも暗然とした闇が視野を閉ざした時、その獣は一生を終えた。




『遅い、今回は不合格だ』


 獣の死体を回収して帰還するなり、藍色の守護者は辛辣に言い放った。むろん悪意ではなく、それは純粋な評価である。時折こうして二人によって、如何に素早く、より効率的に、あらゆる状況下で偶発する事象すら悉く利用して獣を仕留める術を鍛えられていた。

 俯いて悄然とする少年――ユウタがちらりと二人の背後に立って、遠目にこちらを眺める老人の姿を覗く。彼は特に興味も無さそうに、無表情でユウタを見ていると、無言で踵を返していった。

 そこに失望はなく、ただ少年の成長を淡々と観察する師としての姿。師には見放されていない――ユウタは少しほっと胸を撫で下ろしながら、昂然と胸を張って自分を見下ろす双子の守護者に頭を下げる。

 包帯に隠された相貌は、まだ幼いユウタには不気味に思え、さらに鍛練中は厳格な態度を見せる二人に圧倒されるばかり。多少狩りに心得がある程度の子供ならば、目に涙をためていたであろう。皮肉にも、ユウタは師によって受けた特別な訓練で年に似合わぬ大人びた雰囲気と精神力がある。故に、この二人を前にしても怖じ気付かずに居られた。

 ユウタの頭の上に、二人の掌が載った。その感触に戸惑って顔をあげると、彼らの口許に微かな笑みが湛えられているのを悟った。先程とは一変した優しく柔らかな空気に、思わず呆然とする。


『明日もまた来る。次は頑張れ』


『応援している』


 労いと励まし、その二人の言葉は純粋な少年の心に響いた。ユウタは途端に破顔して頷く。素朴で簡素な言葉であっても、それが嬉しくてたまらない。師からの称賛は無く、そういったものとは無縁の人で、修練の間は黙視しているのみ。だからこそ、他人によって励まされる事が滅多に無かった。


『あのっ、ゼーダ、ビューダ!』


 二人の名を呼んだ。

 振り向いた大人に、無邪気な少年が駆け寄り胸前で片手の拳を握り込んだ。


『次はもっと上手くなるよう頑張るから、また教えて』


 無邪気な意思表示が微笑ましかったのか、二人は屈み込んでユウタに目線の高さを合わせると、また優しく頭を撫でる。指の間を刺す癖のある黒髪を楽しみ弄るように、二人は小さな子供の髪を掻き乱した。擽ったさに思わず笑い、ユウタが二人の手から逃れようと身を捩るほど、それを追って腕が伸びる。

 ふと、師が戸口に立ってこちらを黙然と見詰めているのを見て、双子の守護者が慌てて手を放す。ユウタが寂しそうに顔を逸らすと、二人は村の方角に向けて歩き出した。


『我々が構い過ぎて、「先生」が嫉妬してしまったみたいだ。遊びが過ぎたな』


『また来る、楽しみにしている』


 村に帰る二人に向かって手を振り、見送っていると隣に師が立っていた。相変わらず氣術も使用せず、音もなく動く師の所作の一つひとつに深甚なる敬意が募る。自分はまだ地面を擦る足音すら消せないというのに。

 師は双子を見ていた。その瞳が少し憐憫を含んでおり、ユウタは首を傾げる。


『ユウタ、二人を恨んではならない』


『……?どうしたのですか、師匠』


 ユウタを両腕で抱え上げ、家に戻って行く。風が走り、二人の鼻に夏の湿気に喘ぐ木々や雑草の渋い香りが漂った。それを胸いっぱいに吸い込み、狩りの疲労にやや眠気を催して師の胸に寄り掛かる。まだ睡眠の時間では無いが、無性に体は休息を求めて意識を強引に闇へと引き込む。

 微睡みの中、師の言葉がひっそりと聞こえた。


『彼等もまた、先祖の徒に翻弄された犠牲者だ』










   ×       ×       ×





「……ちょっ…………ぇ、聞いてる?」


「……は?」


「何ぼーっとしてんのよ」


 ユウタは隣を歩く相棒の声に顔を上げた。振り向けば、至近距離に精緻な人形のような造形の顔がある。本来ならば慌てて離れて動揺に騒ぎ立てているが、今の気分はそうではなかった。あたかも深い眠りの中から覚醒して間もない時のように朦朧としていた。

 息の掛かる距離で数瞬も見詰め合っていた二人の沈黙、それは顔を接近させてきたムスビが顔を紅潮させて離れることによって終わった。ユウタの意識は未だ望洋としたままである。


「な、なによ。あたしの顔に何か付いてるの?」


「……はっ!いけない、ムスビ!顔に鼻が付いてる、すぐに取らなきゃ危険だ!」


「それは付いてて大丈夫なヤツだから!?」


 ようやく目覚め、ユウタがムスビの顔面を掴む。抵抗するムスビと彼の抗争を傍目から見守るマコトは、和やかな表情で笑っていた。こうも戦闘で驚異の実力を披露してみせた二人の会話が愉快であると、本当に万人に恐れられる国賊か疑わしい。実際には濡れ衣であるし、マコトもその事実を知悉している。

 桃色の髪の少女――ニーナは、二人を見て口許を隠して微笑む。上品な振る舞いに、貴族や領主などに出会った事も無いマコトでも高位な家の出身であると推察できた。銃使いの銃弾より救って貰った恩をユウタに返したいという切実な願いを受け、彼女に導かれて歩く一党。

 果たして何処に連れて行かれるのか。いずれにせよ、国に伝播するユウタ達の風聞では行く先々で混乱や問題がある。その現状を見ても、ニーナが容認しようとも他が許容できるかは判らない。途轍もない不遇を受ける事になることは容易に想像できるが、二人は素直に従って付いて来ている。

 こういう気質だから、常に面倒事に遭遇しやしいのか。だとするなら正常――とは言い難くも、この面子では最も冷静な判断が下せる自分が、二人に注意を喚起しなくてはならない。

 一人緊張するマコトの意も知らず、ユウタは用意された食事に想いを馳せ、今にも絶品との邂逅に胸を踊らせていた。成長期(身長は一向に伸びないが)ともあり、旅に出て様々な料理を目にし、舌にしたことで好奇心に乗じて食欲が森に居た頃よりも増している。川魚の煮汁、山菜の炒め物、獣肉の骨付き肉、その他にも色々と探究したユウタは外界の料理に対する興味は大きい。

 国に敵視され、満足に食物すら口に出来ない身で、誰かに好意的に遇して貰えるとは奇跡に等しく思えた。

 ユウタ達は小さな路地を歩き続け、中央道に合流する。先程は銃使いの奇襲により混乱に陥った現場も人の避難が完了し、行商人すら姿を消していた。

 火薬や骸の悪臭が市街にも届かんとする物騒な時期に、一つでも凶器が人の視野にちらつけばそれは直ぐ様大きな騒動へと肥大化する。小さな環がやがて大きな波紋として首都の内を乱す。

 北の国境から体内を侵食する寄生虫のように息を潜めていた反乱軍を刺激してしまった。戦乱再び、恐怖は留まる所を知らず町を捨てた難民が別の場所に押し掛け、それが再び反感や新たな敵を誘導する目印となることで戦の火の手は瞬く間に広がる。

 ユウタは苛烈な戦場を通過して来た故に、その光景を嫌でも見ることになった。人々の遺骸が足元を埋め尽くす場所、火薬に爆砕されて見る影もなく瓦解した街並み、山から続く川の下流は人の血で濁る。この地獄絵図の中で、誰かの死を悼む余裕もなく、その身辺に閃く凶刃からの逃避を余儀無くされて屍を踏み越える。

 けぶり立つ硝煙と破損した武器が墓標の役を果たして戦場を飾る。同じ国の民でありながら、何故争いは絶えないのか。誰もが狂気に翻弄され、忌避すべき過去を彷彿とさせる陰惨な殺し合いを繰り返す。

 ユウタが寂莫とした街路を進むなか、思い出した記憶。

 数十年前の戦時中も自分の師アキラは主を転々として戦っていた。その後、カルデラ一族に保護された幼馴染ヒビキとの再会を果たし、後の歴史を作る大きな役割を為し果せた。

 ユウタもいま、その時である。この国を双子の氣術師、及び怨嗟の叫びを上げる矛剴の一族を斥け、東国を鎮めて戦を終わらせなくてはならない。この乱世を治める為に神が遣わす調停者――ヤミビトとしてでなく、己の意思で仲間や友人、愛する人を守る。師が歩んだ道を偶然にも辿る奇妙な境遇に在りながら、ユウタはその過酷な運命を甘受した。そして、そこから逃げるわけにはいかない。


 王宮への階段を一党が上がる。

 一人物思いに耽るユウタと、ただ無心に周囲の景色を見回すムスビでは、今自分たちの歩いている場所の異様さにも気付いていなかった。その違和感に眉を顰ませていたのは、マコトただ一人。先頭を歩くニーナを怪訝に睨んでいた。

 意気揚々と軽く弾んだ足取りで段差を飛ぶ少女が、前を向かず跳躍して三人に体を向ける。


「皆様は首都へは、何をしに来たのですか?」


 その質問に三人は応え倦ねる。

 此所には少女に拘わらず、国民には話せぬ事情を抱える者しか居ない。ムスビに関しては、つい先刻に賢者を暗殺したばかりであり、これが世に知られれば正真正銘の大罪人となる。

 何も知らない、無垢な瞳を向けるニーナの問いに応えず、黙り込んだ三人に小首を傾げた。三人の動きは完全に停止し、それぞれが違う方向に視線を逸らしていた。返される眼差しはない。


 しかし、意外にも沈黙を破ったのはニーナだった。


「ごめんさない、意地悪な事を訊いてしまって。うん、本当は判るんです、貴方達がいったい何者なのかも」


 ニーナの言葉を聞いた瞬間、その場の空気が凍り付いた。何も認知していないような娘が、最初から事情を知っていたとなれば慄然とするのは当然。国の敵への接近を敢行した行為、その真意を推し量るユウタとムスビは、その目に緊張の色を浮かべる。

 一段上に片足を乗せ、半身をニーナに隠すよう対すると、その体に隠れたところで仕込の柄を右手で逆手握りに持っていた。誰の目にも判る警戒に引き締まった顔である。

 ムスビは静かに魔力を空気に充溢させて、神秘的でありながら飢えた猛獣の迫力を醸し出す。外見が大人しい少女であろうと躊躇わず始末する体勢を整えている。

 腰の鞘にある漆黒の拳銃に手を伸ばし、マコトもまた鋭い剣幕でこちらを見下ろす相手に身構えた。

 ニーナは腰を直角に折って深々と頭を下げる。


「ごめんなさい、謀るような真似をして。でも、これは信じて欲しいのです。私は貴方達の敵ではなく、寧ろ味方であると」


「生憎、そういう甘言は信じられないんだ。僕らをそうやって油断させようと同じ台詞を吐くのは、いつも地位が高くて賢しい連中ばかりだった」


「そうそう、そんな常套手段で通じるわけ無いでしょ。この数ヶ月、楽しくはあったけど、すっかり人間不信になったし」


 相手の話を冷然と一蹴する二人の態度に顔を伏せて、申し訳無さそうにする姿は、なるほど確かに敵意は感じられない。だが、常に二人に躙り寄る害悪は親切を装って詐術と陥穽で追い詰める者ばかりだった。容易に信頼して欲しい、或いは協力や支援を促す人物ほど信用ならない。

 ユウタ達が仲間と呼べる者は、常に道程で合流した出会いばかり。最初は仲間意識も無い仲から、苦難に立ち向かう勇敢な味方となる。


 この姫が予めユウタが誰かを知っている。即ち、それが裏付けするのは、路地裏で果たした出会いは、彼女が意図したもの。相手の位置を把握した上で接近し、その正体を既に認識して接触を試みた。国が恐れる指名手配犯の真実を独断で繙く為か、或いは賢者と相違ない害意に満ちた行動か。

 どちらにせよ、ユウタの位置を知るとは、要するに賢者とも認識を共有していたということ。それがニーナ個人か、或いは国家なのかは判断できないが、それでも三人は突然現れた少女に対して向ける感情が辺りの空気をさらに冷たくしたことから、言わずもがな、ニーナは敵対者と見なされたのだ。

 ニーナがひとつでも不審な挙動を起こせば、すぐにそれは死へと直結する。この面子の中でも、最も敵を斬る術に長けたユウタの一掴みにも足らない細身の慎ましい杖から放たれる刃が、魔法を展開するムスビや銃を抜き放つマコトよりも先に少女へ襲い掛かる。

 世に回った風聞の、冷徹かつ無慈悲に人を斬る暗殺者と嘯かれる少年の真実は、温厚で頼りない性格だが、実力そのものは噂通りのもの。それは勿論、「白き魔女」も同様である。その一行に同行を認められたマコトもまた、並みの兵士とは比較にならない力を秘めているのだ。

 ニーナは三人に頭頂部を晒したまま不動を決め込んでいた。油断もせずに炯眼を光らせるユウタが一歩摺り足で進み出る。


 その時、階段の上では騒がしい甲冑のぶつかる音がする。重なるそれらが、複数の騎士の参上を示唆していた。それを一番に聞き咎めたユウタが上を見上げる。

 赤い鎧を身に纏う長槍を携えた四人の男が、ニーナの姿を見て眉間に皺を寄せた険相で駆け寄り、ユウタ達の前に立つ。その姿は、まさに高官を護衛する近衛。


「姫、やはり信用なりません。我々に任せて貴女は城へ」


「いえ、彼等は私を守ってくれました。無礼は許しません」


「現に貴女に向けて武器を構えている。これが連中が物騒な奴等であるという証明にはなりませんか?」


「どうでしょう、私はそうは思いません。彼等に疑念を懐かせるような狼藉を働いたというだけのことです」


 兵士の一人が退かせようとニーナを催促するが、それを頑なに拒否する彼女に閉口する。苦々しい顔で三人に向き直る騎士の鎧に、ユウタはふと見憶えがあった。

 懐かしいと思うのは、ロブディでハナエを守護したあの衛兵と同じ武装をしているからだろうか……。


「お前が梟、そして横にいる娘が……「白き魔女」か!」


「首都の騎士は、みな同じ甲冑をしているんですか?」


「はぁ?」


「いえ、知り合いに元は首都の騎士団に所属して、今はカルデラ一族に仕えている人がいるので」


 ユウタのその言葉に、四人が顔を合わせた。意外だとばかりに、全員が目を見開いており、暫く間を置いて今度は一座が少年を注視した。


「お前、まさか……ジーデスを知ってるのか!?」


 これにはユウタも喫驚に言葉を失う。知り合いとは言ったが、名までは明かしていないというのに、彼等は記憶に刻まれ思い起こした友人の名を言い当てた。

 そう、あの赤く滾る血潮のごとし毛髪と瞳の、戦闘力は高くないが一時の主にも強い忠誠心、そして仲間に対する義理を欠かさない、あのジーデスだ。最初はハナエを巡り険悪な間柄ではあったが、カリーナを護衛し魔物の群れと対峙する修羅場の中で育んだ絆は固い。今では互いに志を共にする友として認め合う関係だ。

 ユウタの言葉を待っている衛兵に、動揺を悟られぬよう努めて返答する。


「友人です、ロブディを訪れた際に彼と一度カルデラ当主の護衛をしました。彼には僕も助けられたので」


「そうか、あいつの友人か」


 近衛兵の空気が弛緩する。マコトも我知らず一触即発の緊迫した状況から解放され、安堵の溜め息を漏らしていた。王宮前の階段で粗相があれば、それは更なる援軍を呼びここで三人と国の正面衝突が開始する。

 ニーナを囲う四方の塔のように立つ騎士が槍の石突きで床を叩き、粛然と背を伸ばす。彼らの態度の変化に驚き、ユウタは仕込を握る手を緩めた。


「済まない、友人の仲間に対して。ジーデスは人を見る眼だけは、誰よりもあった。あいつが友人と認知する存在ならば、我々の味方も同然。

 姫、では予定通り、彼を中へ?」


「ええ、でも正門からは拙いので、離れからにしましょう。貴方達が慌てて駆け付けるものだから、きっと周囲からの疑いもあるでしょう」


「うっ……」


 痛いところを衝かれたと小さく呻き、衛兵四人がニーナを守りながら階段を降りて、ユウタ達を誘導する。従うかを迷った三人は、彼等の背を向けたあまりに無防備な姿から敵意を感じられず、そのまま後続した。












   ×       ×       ×




 離れ――そう呼ばれる庭に、ユウタは既視感を覚えた。ロブディの屋敷にある「離れ」も、手入れが施され均等に頭を揃える芝の柔らかそうな緑色の絨毯と、古びてはいるがまだ機能を維持しているであろう井戸。白く磨かれ洗練された白磁ですべてを作り上げたような首都の雰囲気を逸したこの場所が、ユウタには親しく思えて思わず微笑した。

 人気の無い路地をひたすら経て、王宮へと迂回しながら近付いて、この場所に到着する。


 「離れ」には誰の姿もなく、庭に入る入り口から王宮の内部へ続く木の扉まで、頭上を左右に整然と立つ木々が覆って、こちらの姿を隠蔽していた。確かに余人に知られず出入するには適した戸口であろう。

 先頭の騎士が扉をわずかに開けて顔を入れ、様子を確かめてから入る。その間も黙々と歩く全員の中で、ニーナ一人が暢気に鼻唄を歌っているのを見て、マコトが露骨に顔を顰めていた。人を避けようと道を選び慎重な衛兵の行動に配慮しない態度が癪に障った。こんな争乱絶えぬ血生臭い時期に……と、常に追われ続ける身であった自分とは反対のニーナを恨まずにはいられない。


 しかし、マコトは周囲を見回す。王宮の何処へ案内されているのだろう。自分達を匿う空間を確保しているのか、その足取りに淀みはない。いや、匿うというよりは拘束する部屋か。まだ味方だと決定したわけでもないし、ユウタ自身が誰よりも彼等を警戒している。

 知り合いの名が呼ばれたのは予想外ではあるが、それでも信頼に足らない。




 ニーナがある部屋の前で立ち止まる。


 中へ先に騎士が立ち入り、ユウタ達が続く。既に促さずとも意を察するまでになり、その行動には遠慮の欠片も無かった。最後にニーナが廊下に不審な影はないかを検めて、戸をゆっくりと閉めた。

 中は木を組んで作られた二段式の寝台。戦の疲れを癒す戦力が利用する兵舎のような場所。石造りの小屋のように冷たい石の床と壁は牢屋を思わせたが、寝台の柔らかさと上掛けの厚さと洗濯がされて汚れのない布の状態は人の管理が目に見えて判った。誰かを拘束する為に設けられた空間ではない。

 振り返った三人に、ニーナが再び黙礼する。


「此所は、何?」


「本来は王宮で働く侍女が使う筈の場所ですが、現在の空きが此所だけで……もしご不満があれば、何でも承ります」


「ベッドあるだけで充分だよ。いや、そこじゃなくて、僕らに部屋を提供したのは?」


 ユウタは核心を衝く質問を口にした。ムスビとマコトの疑問の代弁でもあった。王宮内に自分達が留まる理由を、ニーナは解しているのだろうか。国賊だと断じた国が、その犯罪者を中に取り込むというその行為。部屋まで与えるその待遇は、些か理解の出来ない状態であった。

 ニーナは少し躊躇するそぶりを見せたが、すぐにその質問に応じる。その間も騎士は口を挟まずに扉に固まって、廊下の気配に耳を澄ましていた。


「先日、カルデラ当主カリーナ様より届いた使節団の報告が記された書状、そこに<印>を名乗る武装集団、そして貴方の事がありました。


 我々には害の無い、利害の一致した者だと。過去に、貴方の師が私の母を護衛した事は王宮では既に知られています」


 ユウタも疑わずに聞いた。

 二代前の当主ヒビキが二〇年前――ベリオン大戦でその手腕を振るい、その惨劇を終結させる一手を放ったことを知っているし、恐らくそれが王宮でも公然の秘密の一つとなっているだろう。兵を救おうと奮起した一国の姫を護衛する為に、その直近に付けられた手練れの随身がいた。

 その弟子の存在を、国が看過しているわけがない。


 内容を嚥下するユウタとは違い、マコトは首を捻る。そんな情報をなぜニーナが知っている?それに、ベリオン大戦でヤミビトの護衛対象は姫――現在の王女であるその人を、今話の中で自然にニーナは母と称呼した。


「一つ問いたい。オレ達を助ける善意については兎も角、お前がどうしてカルデラの書状内容を?政治関係に詳しくないオレでも、あの一族の言葉を直接伺えるのは、錚々いない。……お前、何者なんだ?」


 近衛兵が目を細める。長槍の穂先が揺れて、長柄を握る手に力が籠った。


 無礼を改めさせようと前に出る兵の一人を片手で制止したニーナは、その問いに顔を歪めず真摯に視線を真っ向から返して応える。


「私はニーナ・ヴィルゼスト。――西国の王族です」


「……ふうん。で、あたし達に何の用?」


 一国を治める王族の一人、それを前にして態度などから概ね察していたユウタは、静かにしていた。

 今まで静観していたムスビが進み出ると、ユウタの肩に寄り掛かりながら腕を組んだ。挑発的な態度は、またしても衛兵を苛立たせるものだったが、ニーナもそれを咎める気配はない。

 ユウタが鬱陶しいと払うのを避けて体を起こしたムスビに一歩近付き、ニーナ・ヴィルゼストは話を続けた。


「私から父上、国王に貴方達が我々に無害であると伝えてきます」


 そして言葉を紡ぐ。言い誤ることなく、決然とした声音で。


「貴方達には協力して貰います。この混乱を終わらせる為に」


「生意気なヤツ」


「君が言うな」


 冷笑したムスビを、ユウタが叱る。


 時を隔て、そして代を変えて、一国の姫とヤミビトは再会した。

















アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


最近、外出の度に膝が痛むのは何故かと疑問に思い、調べたところタンパク質の不足なんだという結論に至り、ひたすら牛乳を体内へと流し込む療法を試行しました。


それから次第に関節の痛みが引いていくのを感じて……自分の体が単純なのを犇々と感じました。




次回も宜しくお願い致します。







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