(1) 掌の穴 (表紙絵)
『どわあぁぁーーーッ!』
そりゃ悲鳴もあげるさ。
朝起きたら、俺の手にでっかい穴が空いていたのだから。
ニートになった上に手には大穴とか、母ちゃんにますます顔向けできないじゃん。
『ん、あれ?』
よく見ると掌には穴が空いているのにその裏側、手の甲は普通ではないか。
穴の向こう側はこんなにはっきり見えるというのに。
そう、石の壁も鉄格子もこんなにはっきりと。
『なんだこれ。穴の向こう側は牢屋の中か? おわ!』
その穴の向こうの景色が勝手に動いた。
そしてその穴の向こう側に、誰かがいた。
『ひッ、怖すぎる!』
しかしよく見ると、人ではない?
その誰かは泣きながらこっちを見て口をパクパクしているのだが、どう見ても人ではない。
クリクリ黒目に垂れた耳、潰れた鼻先……。
簡素な衣服は着ているものの、それは犬だった。
犬種でいえばパグ犬であろうか。
服を着たパグ犬が泣きながら、こちらを睨んでいるのだ。
しかもその顔がだんだんアップになってくるではないか。
『わわ、近い近い近いッ! あっち行け、フッ、フッ、フーッ!』
俺は焦って思わず息を吹きかけた。
すると画面がグラングランと揺れた。
それでこのパグ犬が、驚いた顔でこちらを見ているではないか。
もしかして、穴の向こうに俺の息が届いたのだろうか?
これはただのカメラ映像ではないということなのか?
少し整理してみよう。
俺の掌にでっかい穴が開いた。
でもその裏側の手の甲は普通。
それで穴の向う側は牢屋みたいなところでパグ犬がいて。
ソイツに息を吹きかけたらめっちゃビックリしてて……。
いったい何なのだ、これは。
しかもこのパグ犬ときたら、先程からまるで喋ってるみたいに口をパクパクしている。
向こう側の音声は聞こえないものの、俺に向けて何かをしきりに訴えているようにも見える。
『そうだ、スマホ……』
これを撮影して動画サイトにアップすれば少しはカネになるかもしれないと思い付く。
それで改めてこのパグ犬をじっくり観察してみると、病気なのだろうか。やけにグッタリしているし、鼻とかもカサカサに乾いている。
そして泣きながら口をパクパクさせて何かをしきりに訴えている。
そうか。もしかしたら、コイツは腹が減ってるのかもしれない。
『牛乳とか飲むかな?』
俺の息が穴の向こうに届いたのだ。この穴に牛乳を注いでやったらどうなるか……。
俺は手の穴に紙パックの牛乳をトクトクと注いでみた。
牛乳で穴の向こう側がみるみる真っ白になっていく。
それで掌を逆さにしても牛乳は溢れて来ないようだった。
これではっきりした。
こちらから穴の向こうにモノは送れる、けれど逆はない。
この穴は一方通行なのだ。
その穴の向こうではパグ犬が牛乳をペロペロしているようだった。
『お、そうか気に入ったか。ほらドンドン注つぎ足してやるぞ』
牛乳で白かった向こう側は、ペロペロされてすぐにクリアになった。
どうやら全部飲んでしまったようだ。
『おい、めっちゃペロペロしてるとこ悪いが牛乳はこれで終わりだぞ』
「……」
俺がつい呼び掛けてしまうと、パグ犬は急に慌てたように舌を引っ込めた。
そしてめっちゃ真っ赤になってこっちを睨んでいる。
え?
『もしかして……、俺の声が聴こえてます?』
パグ犬はコクンと頷いた。
え?
てことは……。
『あの、もしかしてもしかして、俺の言葉が分かるんですか?』
また頷いた。
マジか! てことはもしかしてもしかしてもしかして……。
これはパグ犬なんかじゃなくて……。
『おいおいおいおい、なんだよ俺の手の穴ぁ! 宇宙人とか異世界人とか、そっち方面と繋がってるじゃねーかよッ!』
これがニートの俺と、異世界少女のパグ子との出会いであった。