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狼血のジノヴィ  作者: 往復ミサイル/T
第一章
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傭兵の猛攻


 押し寄せていた絶望の壁に、風穴が開いたようだった。


 何の前触れもなく落下してきたトロールの頭。剛腕で飛竜を叩き潰し、人間を容易く喰らってしまうトロールは、討伐するためには虎の子の魔術師を投入するか、これでもかというほどの数の騎士を投入しなければ討伐することはできないと言われている。


 魔術を使わずに剣のみで討伐するなど、ありえない。


 それゆえにジャンヌは、その光景を”希望”だとは思っていなかった。


 まだ受け入れる事ができていなかったのだから、希望ではなく、絶望の真っ只中に穿たれた穴でしかなかったのである。


「―――――――下がってろ、女」


「あなたは―――――――」


 容易くトロールの頭を切断してしまったのは、狼の毛皮で造られた服に身を包み、”ツヴァイヘンダー”と呼ばれる大剣を手にした傭兵であった。大剣の中でもすらりとした刀身には既に鮮血がへばりついており、その刃があのトロールの骨もろとも脂肪と筋肉を寸断したのだという事を告げている。


 真っ赤に染まった自分の得物を一瞥した傭兵は、血の臭いが染みついた空気を吸い込んだ。


 きっと彼の経験してきた戦場もこのような”臭い”だったのだろう。剣に切り裂かれ、棍棒に潰された死体が発する血の臭い。足元を埋め尽くす土は死体から流れ出る鮮血で禍々しい泥に変わり、戦いを続ける戦士たちの両足に絡みつく。


 里へと駆けつけた傭兵の発する雰囲気が段々と鋭くなっていくのを感じていると、その傭兵ジノヴィは血まみれのツヴァイヘンダーを振り払い、肩に担いだ。


「…………こいつらは俺が仕留める」


「はぁ…………? ま、待て、無茶だ。おっさんをあっさり殺すような化け物なんだぞ? さっきのは不意打ちで倒せたのかもしれないが―――――――」


 先ほどまで悪態をついていたヨハンは、そう言いながらジノヴィを止めようとした。


 確かに1人で2体のトロールに挑むのは無謀としか言いようがない。あの剛腕で叩き潰されてミンチになり、そのまま食われるのが関の山である。


 しかし―――――――ジャンヌは、この傭兵ならばあのトロールたちを殺せるのではないかと思っていた。


 不意打ちだったとはいえ、人間よりもはるかに分厚いトロールの肉と骨を強引に切り裂き、首を切断してしまったのである。ジノヴィの筋力が、里の戦士たちよりもはるかに強靭なのは想像に難くない。それにこの男はあのアートルム帝国の騎士たちに戦いを挑み、たった1人で騎士たちを蹴散らしてしまった最強の傭兵なのだ。


「傭兵さん、私たちが支援します」


「ジャンヌ、正気か!?」


 ジャンヌが提案すると、隣に立っていたヨハンは目を見開きながら彼女の肩を掴んだ。


「おっさんが死んだのを見ただろ? こいつまで死なせる気か!?」


 鍛冶屋の店主を無駄死にさせてしまったことを悔いているヨハンは、この傭兵を店主の二の舞にしないように止めようとしているのだろう。彼まで無駄死にさせるよりは、店主の言っていた通りに生き残っている住民たちを鍛冶屋の地下室に立て籠もらせ、あの魔物たちが里を去っていくのを待った方が、少なくとも生存者たちを守ることができる。


 しかし、巨大な剣を肩に担いだ荒々しい傭兵が選んだ答えは、2人の提案とはまったく一致していなかった。


「こいつは俺1人でぶち殺す。お前らは黙って見てろ」


 ジャンヌとヨハンの提案をあっさりと断ち切った傭兵は、担いでいた大剣をくるりと回してから切っ先を地面に突き立てる。


 彼にとっては、邪魔でしかなかったのだ。


 実戦経験が少ないせいで未熟なジャンヌと、逃げようとするヨハンが。


 ジノヴィは、今までたった1人で激戦のど真ん中で剣を振るい続けていたにもかかわらず生き延びてきた男なのだから。


 自分が突き立てた剣を置き去りにするかのように駆け出し、右手を後方に伸ばしてツヴァイヘンダーの柄を握るジノヴィ。無茶です、と彼を制止しようとしたジャンヌの華奢な声を、自分の得物を地面から引き抜く荒々しい音で消し去りながら走り出した彼は、狼の毛皮で作ったフードをかぶったままトロールたちに肉薄していく。


 残っているトロールは、何も手にしていないトロールと棍棒を持っているトロールの2体のみ。もちろん厄介なのは、棍棒を手にしているトロールである。


 普通ならばそちらを優先的に狙うべきだろう。もし仮にジャンヌが大国の騎士団に所属する魔術師であったのならば、真っ先に棍棒を手にしている方のトロールに集中攻撃を敢行し、トロールの筋力と棍棒のリーチが猛威を振るう前に倒している。


 しかし、右手に持ったツヴァイヘンダーの刀身を地面に擦りつけ、大地に傷跡を刻み付けながら疾駆する傭兵が狙っていたのは―――――――丸腰の方のトロールであった。


 獲物がやってきたことを喜ぶかのように、ニヤリと笑いながら咆哮するトロール。重々しい咆哮を浴びながら姿勢を低くしたジノヴィは、先ほど倒したトロールの死体の上にジャンプし、オリーブグリーンの皮膚の上で更にジャンプする。


 ジャンプしている彼を捕えて口へと運ぶために手を伸ばすトロール。軌道を変えなければ、そのまま握りつぶされて食い殺されるのが関の山だろう。


 やはり援護するべきだったと思いながらジャンヌは慌てて魔術の詠唱の準備をするが―――――――アートルム帝国の騎士たちを蹴散らした男が、あっさりとやられるわけがなかった。


 トロールが伸ばしてきた手のひらに、右手に持っていたツヴァイヘンダーの切っ先を突き刺さしたのである。


 巨大なトロールからすれば、いくら大剣とはいえ人類が振るう事ができる剣で斬りつけても致命傷にはならないだろう。皮膚が切れて血が出た程度の傷でしかない。


 しかし、トロールたちにも痛覚はある。


 唐突に手のひらに剣を突き刺され、ぴたりと一瞬だけ止まるトロールの巨大な手。その隙にジノヴィは両手でツヴァイヘンダーの柄を掴み、そのまま逆立ちをしようとしているかのように、腕の筋肉と背筋と足の勢いを駆使して両足を天空へと向けたかと思うと、そのまま足を振り下ろしてトロールの皮膚を踏みつけ、ツヴァイヘンダーを引き抜きながらトロールの剛腕の上を走り始めた。


 先ほど大地に刀身を擦りつけていたように、切っ先をトロールの皮膚に擦りつけながら突っ走るジノヴィ。彼はそれほど力を込めていたわけではないものの、彼が振るうツヴァイヘンダーはそれなりに重いため、武器の重量のせいで擦りつけた切っ先がトロールの皮膚を切り裂き、彼が前へと突き進む度にオリーブグリーンの皮膚に深紅の紋章を刻み付けていく。


 そのままトロールの頭のツヴァイヘンダーの剣戟を叩き込むつもりなのだろう。


「な、なんだよあいつは…………!」


 ヨハンと共にジノヴィの戦いを見守っていたジャンヌも、驚愕していた。


 トロールを討伐するには、強力な魔術で攻撃できる魔術師を投入する必要があると言われている。トロールの剛腕の餌食にならない距離から、一撃で魔物の群れを粉砕してしまうほどの破壊力を誇る魔術で攻撃し、トロールを撃破する事ができるからである。


 もしくはこれでもかというほどの人数の騎士を派遣するという手もあるが、この作戦はかなりの犠牲が出てしまうため、トロールの討伐には魔術師の派遣が好ましいと言われていた。


 大国が考案したその戦術が―――――――たった1人の傭兵によって、覆されていく。


 魔術を全く使わない男が、荒々しい大剣を1本だけ抱えてトロールの猛攻をすり抜け、怪物たちを殺そうとしているのである。


 その時、唐突にジノヴィは腰のホルダーから伸びている木製の柄へと手を伸ばした。自分が仕留めた獣の素材で作られたホルダーから顔を出したのは、鋼鉄製の分厚い刃が取り付けられた武骨なトマホークであった。


 引き抜いたトマホークも攻撃に使うのだろうかと思っていたジャンヌたちは、ジノヴィがそのトマホークを握った左手を振り払い、棍棒を持っているトロールへと投擲したのを目の当たりにして絶句した。


 そのまま丸腰のトロールを仕留めてしまえば棍棒を持っているトロールと一対一の状態で戦う事ができるというのに、なぜもう片方のトロールの逆鱗に触れるような真似をするのだろうか。トロールにトマホークを投擲してダメージを与えれば、獰猛なトロールが参戦してくるのは想像に難くない。


 必然的に、二対一になってしまう。


 案の定、彼が投擲したトマホークを喰らったトロールは咆哮を発し、棍棒を振り回しながらジノヴィを狙い始めた。


「何を考えているの…………!?」


 いくら既に一体のトロールを討伐しているとはいえ、二体のトロールを同時に相手にできるわけがない。しかも片方のトロールは棍棒を装備しているのである。飛竜やドラゴンを殴り殺すほどの腕力と、人類では震えないような巨大な棍棒のリーチが同時に猛威を振るえば、人類では太刀打ちできないだろう。


 かかってこい、と言わんばかりに別のホルダーへと手を伸ばし、もう1本のトマホークを投擲するジノヴィ。さすがに走りながらの投擲であったため、その一撃は棍棒を持っているトロールに命中することはなかったものの、そのトロールを挑発することには成功したらしい。


 雄叫びを上げながら棍棒を振り上げるトロール。その隙に丸腰の方のトロールの頭の上に乗ったジノヴィは、手にしていたツヴァイヘンダーをトロールの頭に突き立てて返り血を浴びてから、巨大な棍棒が落下するよりも先にジャンプする。


 離脱した彼のすぐ脇を掠める巨大な棍棒。しかし振り下ろされた棍棒が彼の脇を通過してしまった以上、その棍棒がジノヴィを叩き潰すことはないだろう。


 代わりに餌食になるのは―――――――先ほどまでジノヴィが踏みつけていた、もう片方のトロールだ。


『ゴウッ―――――――』


 ぐじゃっ、と、頭蓋骨と脳味噌が押し潰される湿った音が森の中に響き渡った。その攻撃を喰らう羽目になったトロールの断末魔をかき消したその音は、森の巨大な樹の幹に体当たりして反響し、どんどん遠ざかっていく。


 いくら巨大な怪物でも、脳味噌を潰されて生きているわけがない。


 耳と鼻と口から鮮血を噴き出し、血涙を流す羽目になった哀れなトロールは、ぐらりと巨大な身体を揺らしたかと思うと、そのまま後ろへと崩れ落ち、誰もいなくなった木製の家を何軒か押し潰して動かなくなってしまう。


 ―――――――ジノヴィは、トロールの攻撃力を利用したのだ。


 人類の攻撃で歯が立たないのであれば、トロールの攻撃力を利用すればいいのである。


 彼はただ単に突撃して剣を振るうだけではなく、敵の特徴を把握し、しっかりと作戦を考えながら戦っていたのだ。


「すごい…………!」


「なんだよ、あの戦い方は…………!」


 2人が驚愕している間に、ジノヴィは誤って仲間を殺してしまったトロールの足元へと潜り込む。


 トロールが左手を伸ばしてジノヴィを捕まえようとするが、それよりも先に姿勢を低くしながら前へと進んだ彼は、両手でツヴァイヘンダーの柄を握りながら刀身を振り上げた。


 ジノヴィが狙ったのは、トロールのアキレス腱。


 二足歩行の魔物の動きを止めるには、やはりアキレス腱を切り裂いて動きを止めるのが最も効果的なのである。


 オリーブグリーンの皮膚もろともアキレス腱を切り裂き、素早くトロールの真下から離脱するジノヴィ。仲間の仇を討つためにジノヴィを殺そうとしていたトロールの身体が、がくん、と揺れ、トロールは身動きが取れなくなってしまう。


 強引に身体を動かそうとしつつ、棍棒を振り回すトロール。しかしその棍棒は、無意味に森の地面を殴打するだけだった。


「やかましい奴だな」


 足掻き続けるトロールを見上げながら、そう言うジノヴィ。


 血まみれになったツヴァイヘンダーを構えながら溜息をついた彼は、姿勢を低くしながら走り始める。


 もしもっと早く偵察を切り上げて里に戻っていれば、戦士たちが犠牲になることはなかったかもしれない。トロールへと向かって突っ走る最中にそんなことを考えながら、ジノヴィは歯を食いしばった。


 いつもならば”敵を殺せ”という依頼ばかりである。こちらから攻撃を仕掛けるような仕事なのであれば、ただ単に敵を殺すだけでいい。いちいち味方を守る必要はないのだから非常に戦いやすい。


 ジノヴィの接近を察知したトロールが剛腕を振るう。鈍重なトロールの攻撃が着弾する前に左へと移動し、その剛腕をあっさりと回避したジノヴィは、剛腕がまき散らした泥と土を浴びながらジャンプした。


 倒壊した木製の建物に、魔物の襲撃の犠牲になった住民たちの死体。


 もっと早く戻ってくればよかった、ともう一度後悔したジノヴィは、愛用の得物の切っ先をトロールの頭に突き立てる前に、空中で呟いた。


「―――――――だから防衛戦は嫌いなんだ」


 次の瞬間、猛烈な運動エネルギーと返り血を纏ったツヴァイヘンダーの刀身が、足掻いていたトロールの眉間を貫いた。





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