ジャンヌの一撃
バリスタから放たれた巨大な矢が、砦に向かって急降下を始めたドラゴンの鱗を打ち据える。ゴーレムの外殻ですら撃ち抜き、一撃で仕留めるほどの威力を誇る代物だが、今では旧式の兵器となっており、新しいタイプのバリスタに更新されている。
新型のバリスタは飛竜の鱗すら撃ち抜くだけでなく、内部に高圧魔力を充填する事で爆発する矢を放つことも可能であると言われているが、もし仮にその新型バリスタがここにあったとしても砦に迫るドラゴンを撃墜する事はできなかっただろう。
旧式とはいえ、防御力の低い部位を正確に狙う事ができるのであれば、十分にダメージを与えられる有効な兵器となる。しかし、急降下を試みるドラゴンを撃墜するには、そのバリスタを使う砲手の錬度が低すぎたと言わざるを得ない。
アルバノ砦の騎士たちが怠けていたというわけではない。彼らも、栄えあるアルビオン王国騎士団の騎士たちである。錬度を維持するために訓練を続け、他の要塞の守備隊との合同演習も積極的に行う事で錬度を高めていた。
だが、実戦を”想定した”訓練だけでは錬度の向上には限界がある。騎士や兵士を最も成長させるのは訓練ではなく、命懸けで戦う実戦なのである。実戦を経験したことのある兵士と訓練だけ受けてきた兵士を比較すれば、どちらが高い錬度なのかは言うまでもないだろう。
アルバノ砦守備隊は、実戦経験が騎士団の中でも特に少ない部署であった。騎士団内部でも”怠け者”のレッテルを貼られ、訓練くらいしかやることがない部署と揶揄されることも少なくなかった。
実際に、アルバノ砦の周辺は徹底的な魔物の掃討によって魔物が殆ど生息しておらず、騎士たちが実戦を経験できる環境などではなかった。ごく稀に谷へと迷い込んだ魔物を弓矢で狙撃するのが、ここの守備隊にとっての実戦だったのである。
それゆえに、経験の浅いバリスタの砲手たちに急降下中のドラゴンを迎撃できるほどの技量など無かった。中には命中させた砲手もいるが、命中しているのはがっちりとした鱗や外殻で守られている硬い部位ばかりである。周囲にソニックブームを生み出しながら急降下してくるドラゴンに命中したバリスタの大きな矢が、まるで装甲に弾かれる銃弾のような甲高い音を奏でながら弾かれていく。
狙うのであれば、眼球、外殻のつなぎ目、翼のどれかだ。そこだけは外殻と鱗で防御されていない脆い部位であり、硬い外殻を持つ魔物との戦闘では真っ先に狙わなければならない部位として、騎士たちは教育を受けている。
だが、当たらない。
当てられないのだ。
魔物が接近すると爆発する炸裂弾でもあればもっと容易く迎撃できていただろう。だが、先端部の鋭さと運動エネルギーのみが攻撃手段となる従来のバリスタでは、それを命中させなければ意味はない。しかも、弱点に命中させなければその意味も半減する。
「装填急げ、突っ込んでくるぞ!」
装填手が大慌てで矢を装填し、レバーを引いて発射準備を終える。座席に座った砲手がハンドルを回しながらバリスタの仰角を調整し、照準用のレンズを覗き込みながら発射用のスイッチを押そうとするが、彼が矢を放つよりも先に駆け寄ってきたランスロットが砲手に向かって告げた。
「私がやります」
「ランスロット様!?」
「バリスタの訓練なら受けましたし、防衛戦で使ったこともあります。任せてください」
「は、はあ」
砲手の座席に腰を下ろし、ハンドルを回して仰角を修正するランスロット。呼吸を整えながらレンズを覗き込み、目の前にある操縦桿のようなレバーに装着されたスイッチを押した。
番えられていた鉄製の巨大な矢が、与えられた運動エネルギーをフル活用しながら大空へと上昇していく。牙の生えた巨大な口を開け、その口の奥から紫色の炎を迸らせながら急降下してくるドラゴンから軌道が逸れたかと思いきや、ランスロットの放ったその一撃は、正確に左の翼の付け根を射抜いた。
空中で血飛沫が噴き上がり、ドラゴンがブレスの発射を中断して咆哮する。急降下を断念しようとしたドラゴンは軌道を変更して高度を上げようとするが、ランスロットの放った一撃が命中したことで動きの鈍ったドラゴンは、バリスタの砲手たちに向かって大きな隙を晒していた。
バリスタだけではなく、無数の矢や魔術も放たれた。鱗や外殻に次々に矢が命中し、魔術師たちの放った氷の槍が外殻の隙間を貫く。
怒り狂ったのか、ドラゴンは口から炎を噴きながら咆哮する。しかし、その怒りを込めた一撃がアルバノ砦を焼き尽くすよりも先に、放たれた一本の巨大な矢が、ドラゴンの右の眼球を撃ち抜いた。
『グオォォォォォォォォォッ!?』
「―――――――ふむ、良かった。腕は衰えていないようだ」
ランスロットの放った一撃であった。
片目を潰されたドラゴンが、呻き声を発しながら砦の中庭へと落下してくる。中庭で魔術を放っていた魔術師たちが大慌てで退避した直後、ドォン、と巨大な岩石が落下するかのような音を立てて、禍々しい姿のドラゴンが中庭へと墜落する。
すぐさま騎士たちが城壁の上から矢を放ち、魔術師たちが魔術の詠唱を始める。ドラゴンは騎士たちの攻撃を堅牢な外殻で弾き飛ばしながらゆっくりと起き上がり、咆哮しながら炎を吐く準備を始めた。
討伐に向かっていた魔術師たちを一撃で全滅させるほどのブレスである。犠牲になった騎士たちが運悪く密集隊形だったとはいえ、攻撃範囲は極めて広いだろう。中庭からとはいえ、放たれれば城壁の上の守備隊は焼き尽くされるに違いない。
ランスロットは慌ててハンドルを回し、バリスタを旋回させた。だが、これはあくまでも遠距離の敵や空中から攻撃してくるドラゴンを攻撃するための兵器であり、中庭と城壁の真下は死角だ。俯角が足りない。
だが、その必要はなかった。
仲間の矢に誤射される事など全く考慮していないのか、それとも恐怖という感情を持っていないのか、既に味方の矢が何百本も突き刺さっている戦場のような中庭を、1人の剣士が突っ走ているのを見て、ランスロットは溜息をつく。
長い間1人で戦っていたからこそ、あの男は連携という戦い方を知らない。全て1人でこじ開け、切り開く。戦いで身に着けた力や技量は全て、邪魔な敵を薙ぎ倒すためのものだ。自分一人で前に突き進むための暴力的な力でしかない。
だから、彼は1人だと強い。
「よぉ」
嬉しそうに笑いながらドラゴンに挨拶をした彼は、既に鞘から引き抜いた大剣の柄を両手でぎゅっと握りながら、腰を思い切り回転させながら強烈な剣戟をドラゴンの外殻のつなぎ目に叩き込んだ。
一見すると弱点を狙っているようには見えない一撃だったが、漆黒の切っ先は正確に外殻と外殻の隙間へ突入したかと思いきや、剥き出しになっていた薄い皮膚を易々と切り裂く。赤黒い返り血を浴びながらさらに体重を乗せた事によって、大剣がさらに肉の中へとめり込んで、人間よりもはるかに太い筋肉繊維を次々に寸断していった。
強引に大剣を引き抜き、すぐに後ろに下がるジノヴィ。その直後、咆哮しながらぐるりと回転したドラゴンの尻尾が彼の眼前を掠め、砦の中庭に置かれていた騎士の銅像の脛から上を木っ端微塵に吹き飛ばす。
ドラゴンの反撃が空振りした直後、すぐにジノヴィは再び突撃した。
大型の魔物の攻撃力は恐ろしい。どれだけ良質な鉄鉱石を使い、一流の鍛冶職人が用意した特注品の鎧だろうと、問答無用で装着している騎士もろとも叩き潰してしまう。だが、身体が巨大で人間の方が遥かに小さい以上、接近すれば死角はいくらでもあるし、攻撃は単調になる。
一度攻撃を回避すれば、すぐに反撃は飛んで来ないのだ。だから攻撃したら反撃を回避し、空振りを確認してからまた反撃していれば攻撃を喰らう事はない。
巨大な敵の姿に恐怖を感じなくなれば、チャンスは見えてくる。
切っ先を外殻の隙間に向かって突き立てる。ガツッ、と切っ先が微かに外殻の縁を掠めて火花を散らしたものの、漆黒の大剣の先端部は狙い通りに外殻のつなぎ目へとめり込み、肉を食い破る。
続けてもう一度斬りつけようとしたジノヴィだったが、舌打ちをしてから後ろへジャンプした。
ドラゴンからの反撃を警戒したわけではない。ドラゴンは先ほど空振りした攻撃を終えてやっと体勢を立て直し、これから反撃を始めようとしているところだった。もう一度攻撃する猶予はあっただろう。
彼が後ろへと下がったのは、魔術師部隊の詠唱がやっと終わったからであった。
(錬度低すぎだろこいつら!)
魔法陣の大きさと放射している魔力の圧力で、今から彼らが放とうとしている魔術を識別する。
もっとも初歩的な氷属性の魔術である『ピアーシング・アイス』である。要するに魔力で限界まで硬度を強化した氷の槍を徹甲弾のように射出する魔術であり、初歩的な魔術の中では最も貫通力に優れる攻撃である。
だが、それの詠唱に10秒以上もかかるのは論外だ。
ここに居るのが落ちこぼれや怠け者のレッテルを貼られている騎士ばかりだとランスロットからすでに聞いている。百戦錬磨のベテランばかりのアルビオン王国騎士団であれば落ちこぼれであったとしてもレベルは高いだろうと期待していたジノヴィは、やはり他人に期待しても損をするだけだ、という持論が正しかったことを痛感する羽目になった。
そんな錬度の低い連中の攻撃に巻き込まれないために、攻撃のチャンスを潰して譲ってやるのも気に食わない。ジノヴィであれば、もっと大きなダメージを与えられていた筈だ。
案の定、魔術師たちが放ったピアーシング・アイスは命中したものの、弱点は全て外していた。全て堅牢な外殻や、ドラゴンの背中から伸びる結晶に弾き飛ばされて砕け散ってしまったのである。
ドラゴンが踵を返し、城壁の上に向かって尻尾を叩きつける。魔術師たちは慌てて退避したが、逃げ遅れた数名の魔術師たちがその尻尾の下敷きになり、城壁の上で真っ赤な物体が飛び散った。ぼとん、と中庭に千切れ飛んだ腸や潰れた内臓と思われる肉片が落下してきたのを見ながら、ジノヴィは「余計なことを………」と悪態をつく。
やはり、1人でいい。
連携は性に合わない。
守るものなど不要。愛など不要。全ての戦いは娯楽であり、強敵との死闘こそ最高の名誉である。
それが彼の一族であるランツクネヒトの思想であり美徳。
だが――――――彼の考え方も、少しは変わり始めていたのかもしれない。
(ああ、前まではそうだった)
1人で戦うのも悪くない。
けれども――――――信頼できると仲間と一緒ならば。
姿勢を低くしながらドラゴンに肉薄するジノヴィ。振り下ろされてきたドラゴンの巨大な足を躱し、関節の部分を大剣で何度も斬りつけてドラゴンの体勢を崩す。
『グオォォォ』
ぐらり、とドラゴンの巨体が揺れる。片方の翼と眼球を潰されて飛ぶ事ができなくなった以上、その巨躯を支えるのはこの2つの大きな足だ。それ故に今のドラゴンは動きが鈍重であり、攻撃範囲とタイミングさえ気を付けていればそれほど脅威ではない。
それに、周囲で必死に魔術を放つ魔術師たちのおかげで、ドラゴンの注意を逸らす事ができた。
左足に攻撃を集中する。大きく開いた傷口に剣を突き立て、そのまま梃子のように傷口を抉る。ブチッ、と外殻と肉体を繋いでいた皮膚が千切れ、腐臭にも似た悪臭と、赤黒い肉があらわになる。
雄叫びをあげながら、ジノヴィはそのまま外殻を丸ごと引き剥がした。ブチン、と肉の繊維が千切れ飛び、傷口から赤黒い血が溢れ出る。
『ゴォォォォォォォォッ!!』
「さっきから喧しい」
傷口の中に剣を突き立てる。ガツッ、と切っ先が硬い物体に当たって弾かれるのが分かった。ドラゴンの足の骨だ。さすがにこの巨体を支える脚の中に収まっている骨は、大剣程度では切断できないらしい。
だが、これくらい攻撃を与えて機動力を削ぎ落としてやれば十分だろう。
血まみれにんりながら大剣を引き抜き、振り払われた尻尾とブレスを回避しながら後ろへ大きくジャンプする。紫色の炎が燃え移り、火の海と化し始めた中庭の中で大剣を肩に担いだジノヴィは、ちらりと城壁の上を見た。
おそらく、ドラゴンを攻撃する魔術師たちが一斉に魔術の詠唱を中止しない限り、その反応に気付く事はないだろう。
数十人の魔術師による魔力放射というノイズに紛れて、1人の少女が戦闘開始時からずっと詠唱を続けていたのだ。
「やれ、ジャンヌ」
城壁の上にいる少女を見上げ、お前ならできるさ、と呟きながらながら、ジノヴィは微笑んだ。
身体中の魔力が暴発し、肉と皮膚が弾け飛んでしまいそうなほどの激痛が、先ほどからジャンヌの全身を苛み続けている。ここで術式の構築を誤り、魔力の暴発を許せば華奢な彼女の肉体は全長158cmの爆弾と化すであろう。
戦闘中であるにもかかわらず、そんなデリケートな詠唱を続ける事ができたのは、ジノヴィの奮戦と守備隊の魔術師たちが彼女の魔力放射を隠匿する”ノイズ”として機能してくれたからである。
必死に奮戦してくれた魔術師たちを利用するかのような戦法を実行してしまったことに罪悪感を感じながら、術式の構築を済ませた彼女はゆっくりと目を開けた。
眼前には、紫色の炎に覆われた日の海の中で、ゆっくりとジャンヌの方を振り向くドラゴンがいる。魔術師たちが次々に命を落としていったことでノイズが弱まり、彼女の強烈な魔力放射があらわになったからだろう。
『オォォォォォォォォッ!!』
「風よ………大いなる精霊たちよ、どうかこの一撃に―――――ご加護をッ!」
ドン、と彼女の周囲の空気が激震した。
構築された術式によって、ジャンヌの持つ槍へと超高圧魔力が流れ込んでいく。術式を経て槍へと魔力が伝達されていく度に、体内の魔力が風属性へと変換されていき、ジャンヌが愛用する槍が風を纏い始めた。
口を開け、ジャンヌへとブレスを放つドラゴン。まるで火山から噴き上がるマグマの奔流を、そのままジャンヌへと叩き込もうとしているかのような強烈な一撃であった。もし命中すれば、分厚い城壁だろうとあっという間に融解して崩れ落ちてしまうだろう。
自分へと迫るブレスを睨みつけながら――――――ジャンヌは、その一撃を放った。
「―――――――”シルフィード・カノン”!!」
目の前に浮遊する魔法陣に向かって、風を纏った槍を投擲したのである。
パリン、と甲高い音を響かせて魔法陣が砕け散った頃には、槍が纏う風は既にあらゆる外殻を穿つほどの殺傷力を持った突風に変貌していた。
衝撃波まで纏った槍が、ドラゴンの放った炎の濁流に飛び込む。ジャンヌが全ての魔力を限界まで込めて投擲したその一撃は、ブレスに触れて融解するどころか、あろうことか炎の奔流のど真ん中に大穴を穿ち――――――ドラゴンの眉間を、射抜いた。




