浸食の竜
「やぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
突っ走りながら槍を思い切り突き出し、飛び掛かろうとしていたゴブリンの首元に突き立てる。人間よりも小柄なゴブリンの首の骨を先端部が貫通したらしく、ゴブリンはあっという間に動かなくなった。
槍を引き抜こうとするが、すぐに別の方向からゴブリンの集団が襲い掛かってくる。槍をゴブリンの死体から引き抜いて応戦している暇がない事を瞬時に悟ったジャンヌは、絶命したゴブリンが串刺しにされたままになっている槍を強引に持ち上げ、右から左へと思い切り薙ぎ払った。
ジャンプした直後のゴブリンたちの脇腹を、ジャンヌの槍が思い切り打ち据える。金属製の先端部が彼らの肋骨を容易く粉砕し、ゴブリンたちをまとめて吹き飛ばしてしまう。
槍をぐるりと回して地面に突き立て、右足でゴブリンの死体を踏みつけながら槍を引き抜くジャンヌ。血まみれの槍を見て顔をしかめた彼女は、魔物の群れのど真ん中で血まみれになりながら戦っている狂戦士を見てぎょっとする。
ジノヴィは――――――笑っていた。
剣を振るう度に返り血を浴び、彼の剣と身体は赤くなっていく。魔物たちの反撃が彼の肩や脇腹を掠めて血が噴き出ても、狼の毛皮を身に纏ったジノヴィは止まらない。血まみれの禍々しい剣を薙ぎ払って外殻もろともゴーレムの巨体を両断し、剣を地面に叩きつけて衝撃波を放ち、ゴブリンの群れを木っ端微塵に吹き飛ばす。
魔物の群れを蹂躙しながら、単独で魔物の群れの中央を突破しようとしている。
千切れ飛んだゴブリンの腕を掴み、血まみれの棍棒を捥ぎ取ってそれを振り回す。ガツン、と棍棒がゴブリンの小さな頭を打ち据えたかと思うと、頭蓋骨を叩き割られたゴブリンはあっさりと崩れ落ち、痙攣を始めた。
飛び掛かってきたゴーレムがジノヴィの頭を思い切り殴打する。小柄とはいえ、筋力は人間よりも強靭である上に爪や牙も鋭い。しかも、ゴブリンは獲物へと群れで襲い掛かるため、何体かを容易く倒していたとしても全く別の方向からの不意打ちを受けるのは珍しくない。
ベテランの剣士であっても、その不意打ちが致命傷になって殺されてしまうケースもあるのである。
だが、ジノヴィは全くダメージを受けていないようだった。
眉間から血を流しながらニヤリと笑い、今しがた自分の頭を殴りつけたゴブリンの顔面を左手で思い切り掴むジノヴィ。そのままゴブリンを思い切り投げ飛ばすかと思いきや、彼は左手に思い切り力を込め、ゴブリンの小さな頭を握り潰してしまった。
オリーブグリーンの皮膚が破け、脳味噌や眼球が周囲に飛び散る。痙攣する胴体を投げ捨て、血まみれの左手で大剣を握りながら、ジノヴィは咆哮する。
(すごい………!)
ジャンヌからすれば、戦いとは侵略者から身を守る事を意味する言葉と言っても良い。彼女の故郷であるアネモスの里は、大昔からアートルム帝国からの侵略を受けてきた場所だ。それゆえに戦いが起こるとすれば防衛戦ばかりであり、里に住むエルフたちが逆に侵略した事は一度もない。
だからこそ、戦いとは侵略者を迎え撃つ防衛戦を意味すると彼女は思い込んでいた。
それが、アネモスの里の戦士たちの認識だ。
しかし、ジノヴィは全く違う。
彼は戦いを楽しんでいた。相手の攻撃が自分の肉体を掠める度に、まるで親しい戦友と酒を飲む戦士のように笑い、自分の振るった大剣が相手を叩き潰す度に、楽しそうに笑う。
傭兵一族にとって、戦いとは娯楽なのだ。敵との殺し合いを楽しむために、大昔から彼らは一族の戦士たちによって鍛え上げられ、あらゆる戦場で猛威を振るい続けた。
笑いながら戦うジノヴィを見ながら、ジャンヌはランツクネヒトの殲滅を命じた当時の列強国の王たちが感じていた恐怖を理解する。
ランツクネヒトの戦士たちが望んでいたのは平和や高額な報酬などではなく、戦いのみである。だが、戦争に勝利して死闘に決着がついてしまえば、彼らの欲する戦場はもう”用意”してやることができなくなるだろう。
そうなれば、戦いのみを望む獰猛な傭兵一族が次に誰に向かって剣を向けるかは想像に難くない。
だから当時の王たちは、自国が滅ぼされる前に彼らを滅ぼそうとしたのだ。
その生き残りが、平穏なアルビオン王国の草原で猛威を振るっている。
『ギィィィィィッ!』
「!!」
唸り声を発しながら、ボロボロのゴブリンが襲い掛かってきた。咄嗟に横へとジャンプして回避しようとするが、ゴブリンが振るった棍棒の先端部がジャンヌの脇腹を打ち据える。
「カッ――――――」
肋骨に激痛が走る。
左手で脇腹を押さえながら立ち上がり、一旦槍から手を離す。近距離まで接近されてしまった上に、負傷して距離を素早くとる事ができなくなった以上、槍は無用の長物だ。リーチの短い得物で反撃するしかない。
キンジャールを引き抜き、逆手持ちにしてからゴブリンに向かって振るう。だが、ボロボロになっていたゴブリンは棍棒を両手で構えながらその一撃をガードし、逆にジャンヌを突き飛ばす。
先ほどの一撃を喰らっていなければ、押し返すことはできただろう。しかし、やはり肋骨が何本か折れているようで、力を込めようとすると先ほど攻撃を受けた脇腹に激痛が走ってしまう。
「しまっ――――――」
「ふんっ!」
血まみれのゴブリンがジャンヌに噛みつくよりも先に、後方から振るわれた白銀の剣がゴブリンの首を撥ね飛ばしていた。切断されたゴブリンの頭が血を撒き散らしながら宙を舞い、魔物の死体だらけとなった大地に落下する。
ゴブリンの首を撥ね飛ばしたランスロットは剣を一旦地面に突き立てて腰のポーチへと手を突っ込み、中に収まっていた試験管のようなガラスの容器をジャンヌへと差し出した。中には緑色の粘液が収まっている。
「改良型のエリクサーです、さあ」
「あ、ありがとうございます」
礼を言ってから蓋を開け、一般的なエリクサーよりもどろりとしたそれを口へと放り込む。強烈な薬草の臭いを発するスライムにも似た粘液を呑み込んだ直後、先ほど棍棒で殴打された脇腹の激痛がゆっくりと消え始めた。
通常のエリクサーでは回復までもっと時間がかかる。回復している最中に敵の追撃を受け、そのまま殺されてしまう事は珍しくないため、仲間の治療は回復アイテムよりも治療魔術の方が望ましいと言われている。
アルビオン王国の技術が予想以上に発達していることに驚愕しながら、先ほど投げ捨てた槍を拾い上げ、ジャンヌも魔物の群れに向かって突撃を始めた。
反対側では他の騎士たちも戦っているが、殆どの魔物はジノヴィのみを狙っているようだった。彼を真っ先に殺さなければ、ここにいる群れが皆殺しにされるという事を理解したのだろう。
中には逃げ出そうとする魔物もいるが、草原から遠ざかろうとした魔物の背中には無慈悲に矢が突き刺さり、そのまま動かなくなってしまう。
アルビオン王国の狙撃兵たちだ。他の騎士たちと比べると金属製の防具は殆ど纏っておらず、頭には蒼いフードをかぶっている。
魔物の掃討作戦では、絶対に魔物を逃がしてはならない。その逃げ延びた魔物が新しい魔物の群れを形成したり、繁殖して再び人間に牙を剥く可能性があるからだ。だから、人間同士の戦争と違って、魔物の掃討作戦は皆殺しが基本なのである。
「!」
ゴーレムがジャンヌに向かって突進してくる。進路上にはまだゴブリンたちがいたが、お構いなしに岩石にも似た脚で踏みつけながら、ジャンヌの真正面から突っ込んできた。
槍を右手で持ったまま右へとジャンプする。ドォン、と岩石に覆われた脚がジャンヌのすぐ近くへと振り下ろされ、血の混じった土を舞い上げる。
今の一撃でジャンヌを踏み潰したと思ったのか、ゴーレムがゆっくりと立ち止まった。しかし、彼女は踏み潰されたわけではない。辛うじて今の一撃を回避し、ゴーレムの弱点である外殻の隙間を狙っている。
「はぁっ!!」
ズン、と外殻の隙間に槍を突き立てた。外殻の下にある皮膚をあっさりと貫いた先端部が筋肉繊維を穿ち、傷口から鮮血を噴出させる。
槍を引き抜き、素早く後ろへジャンプするジャンヌ。ゴーレムは咆哮を発しながら剛腕を振り回すが、ダメージを受けたゴーレムの剛腕は大地を何度か掠めたり、打ち据えただけだった。
次の瞬間、回転しながら飛んできた一本の大剣がゴーレムの眉間を直撃した。まるで弾丸で頭を狙撃されたかのように、がくん、とゴーレムが頭を大きく揺らす。全身を岩石にも似た外殻で覆われた巨人の眉間を穿ったのは、返り血で真っ赤に染まった一本の大剣。
そう、ジノヴィの剣だった。
血まみれになった巨漢が、よろめいているゴーレムの膝へとジャンプし、あっという間に眉間までよじ登る。懐へと飛び込んできた狂戦士を捕まえるためにゴーレムは手を伸ばすが、それよりも先に自分の得物の柄を掴んだジノヴィが、大笑いしながら眉間の剣を思い切り引き抜いた。
「ギャァァアハハハハハハハハハハハハハハハァッ!」
頭蓋骨の破片や鮮血を浴びながら、呻き声を発するゴーレムへと更に剣を振り下ろすジノヴィ。ガァン、と大剣を叩きつけた直後、岩石のような外殻がまるでハンマーで殴打された氷のように砕け散り、柔らかい皮膚があらわになる。
躊躇せずに、狂戦士はその柔らかい皮膚へと剣を突き立てた。
ゴーレムの外殻は堅牢だが、その外殻の粉砕に成功すれば討伐は容易だ。
『ゴォォォォォォォォォォォッ!!』
頭を貫かれたゴーレムが、巨大な口から咆哮と鮮血を発しながら倒れていく。後ろへと倒れるゴーレムの上から飛び降りたジノヴィは、身体中に付着した返り血をぺろりと舐めてからニヤリと笑い、ジャンヌの方を振り向いた。
「ジャンヌ、戦いは楽しいだろ」
「ジノヴィ……あなたは――――――」
もう既に、殆どのゴーレムは討伐されている。ゴブリンはまだ残っているようだが、既に魔物の群れは騎士団が包囲しているし、魔物の数もかなり減っている状態である。包囲網を突破するのは不可能と言ってもいいだろう。
ジノヴィはまだ物足りないだろうが、戦いは終わったと言っても良い。
その時、急に青空が黒く染まり始めた。純白の雲が消え、太陽の光もろとも空が黒い闇のようなものに侵食されていく。
ジャンヌたちや他の騎士たちも、ぎょっとしながら空を見上げた。
まだ昼間である。戦闘が始まってから2時間くらいしか経過していないのだから、夜になったわけではないだろう。それに、頭上の青空を侵食した闇のようなものの中には、月明かりどころか星すらない。闇そのものを大空へと向けて解き放ったかのように真っ暗になってしまう。
だが、冷静なアルビオン王国の騎士たちはすぐにランタンに灯りをつけた。小型だが、腰に下げておく事ができるランタンだ。こうすれば、片手で松明を持たなければならないせいで剣を片手で振る羽目にはならなくなる。
暗闇で魔物を相手にするのが危険だからこそ、彼らは真っ先に光源を確保したのだ。
しかし――――――それが仇になった。
唐突に、空から炎の奔流が流れ落ちてきたのである。
「!!」
炎の滝にも似た激流が、ランタンをつけて戦闘を継続しようとしていた騎士たちを呑み込んだ。金属製の防具や狙撃兵用の制服に身を包んだ騎士たちが一瞬で火達磨になったかと思いきや、肉が黒焦げになり、眼球が蒸発して、金属製の防具がどろりと溶けていく。
その炎が、草原の草にまで燃え移った。
草原が瞬く間に火の海になる。赤い光が死体だらけの黒い大地と暗い空を照らし、焼き殺されていく騎士や魔物の断末魔から遠ざかろうとするかのように、赤い火の粉が空へと舞い上がっていく。
火の海の上空に――――――巨大な何かがいた。
「ジノヴィ、あれは………」
「あ?」
暗い空にいる巨大な怪物には、翼があった。
空を舞う鳥とは比べ物にならないほど巨大で、大きな爪や棘の生えた翼だった。堅牢そうな外殻の表面には紫色の古代文字にも似た模様が浮かび上がっていて、暗闇の中で点滅しているのが分かる。
巨大な翼の付け根にある胴体らしき部位から伸びているのは、尻尾と巨大な頭だ。尻尾の先端部には紫色の結晶を思わせる棘が無数に生えており、頭には眉間から斜め上へと伸びた大剣を思わせる角がある。
その角の傍らにあるのは――――――鮮血のように紅い、眼。
「ドラ……ゴン………?」
空を闇で覆い尽くし、虐殺の大地へ炎と共に降り立ったのは―――――1体のドラゴンであった。




