怨念の根源へ
大剣を振り下ろす度に、以前とは違う音が響く。
刀身の付け根から中間部にかけて追加されたセレーションが、振り下ろされる度に空気をズタズタにしているからだ。殺傷力の底上げのために追加されたそれは、実戦でジノヴィと戦う羽目になった敵兵や魔物の肉をよりズタズタに引き裂いてくれるに違いない。
アーサーと戦った時の事を思い出しながら剣を振るう。あの男に攻撃を一度も当てられなかった悔しさを思い出しながら剣を薙ぎ払い、訓練場の床に切っ先を叩きつける。
ゴギン、という金属音が響き、残響が空へと舞い上がる。石畳を直撃した切っ先には傷はついていない。
「………」
これならば、アーサーと戦っても剣は折れないだろう。
武器は変わった。だが、自分は変わっただろうか?
大剣の柄を握り締めながら歯を食いしばる。確かに、得物の殺傷力は戦いを左右する。だが、それを振るう剣士の実力が変わっていなければ結果は変わらない。そう、より強力になった得物を振るう自分が変わらなければ、あの男には勝てないのだ。
アーサーの剣を振るう速度は予想以上だったし、年老いているにもかかわらずこちらの剣戟は全て回避されてしまった。しかも、こちらが手にしていたのは愛用していた大剣であったのに対し、向こうは訓練用の木製の剣である。鈍器として使うのが関の山である得物を使っていた相手に敗北したのは屈辱でしかないが、それほど実力差があるという事を意味している。
この剣を振るう自分が強くならない限り、あの男には勝てない。
溜息をつきながら剣を鞘へと戻した。
訓練場の石畳には大量の傷がある。他の騎士との訓練中に床に叩きつけられたのか、石畳にはいたる所にへこんだ跡があるし、剣を振り下ろされた傷跡も残っている。
先ほど自分がつけた傷跡を見下ろしてから、彼は踵を返した。
ジノヴィの目的は、ジャンヌの護衛だ。
世界を浄化するという大きな使命を与えられた彼女を守り抜き、彼女に牙を剥こうとする連中を剣で切り裂くのが彼の使命。アーサーと戦う事よりも、それを優先しなければならない。ジノヴィの一族は報酬の金額よりも強敵との戦いを選ぶ荒々しい性格の戦士たちだ。だが、傭兵としてクライアントと契約している以上、彼女の護衛はやり遂げなければならない。
訓練場を後にした彼は、アーサーから与えられた部屋へと向かった。階段を降りて廊下を曲がり、念のため部屋のドアをノックしてから中へと入る。
「おう、今戻った」
「お帰りなさい、ジノヴィ」
部屋の奥にある机では、ジャンヌが魔術の勉強をしているところだった。アルビオン王国騎士団には当然ながら魔術師も所属している。とはいっても、魔術師は生まれつき持っている魔力の量や才能によって左右されることが多く、魔術師になる事ができる才能を持っている者はそれほど多くない。それゆえに魔術師は”貴重品”であり、魔術師の質と人数が国家の戦闘力そのものと言っても過言ではない。
その”貴重品”たちのために執筆された教本を読んでいるのだろう。剣を壁に立てかけながら、ジャンヌの後ろからちらりと教本を見たジノヴィは、風属性の魔術の教本だという事を確認してから装備を外し、壁に立てかけていく。
自分も魔術を習得するべきだろうかと思ったが、ジノヴィはすぐに苦笑した。
彼の体内にも魔力はある。だが、ジャンヌのように魔力の量は多くないし魔力の質も悪すぎる。魔術を全く使えないというわけではないだろうが、使いこなすのは不可能と言ってもいいだろう。
汗を拭きながら、まだ一族が壊滅する前の事を思い出す。
彼の一族にも魔術師はいた。とは言っても、杖を持って剣士たちの後方で魔術の詠唱を行い、強力な魔術で支援するようなタイプの魔術師ではない。剣に魔力を纏わせ、他の剣士たちと一緒に最前線で敵を切り裂くような荒々しい魔術師だ。他国の魔術師たちからすれば、剣士と変わらなかったに違いない。
もしジノヴィが魔術を習得するとしたら、そういったタイプの魔術が向いているだろう。
「ちょっと水浴びてくるわ」
「あ、はい」
念のためにダガーだけは身に着けたまま、ジノヴィは部屋を出た。既に空は真っ暗になっており、城の周囲を警備する騎士たちもランタンや松明を手にしているのが分かる。明日はアルビオン王国騎士団の魔物の掃討作戦に同行することになっているため、今日は早めに休んでおいた方が良いだろう。
ランスロットの話では、魔物の掃討作戦の最中に魔物の変異種と遭遇する事が多くなったという。炎のブレスを吐く筈のドラゴンが氷や電撃のブレスを吐き、魔術を使う事ができない筈のゴブリンの中に杖を持った個体が紛れ込んでいて、魔術を使って攻撃してくる事も珍しくないという。
もしその変異の原因が死者たちの怨念なのだとしたら、彼らと共に戦っていれば魔物たちを変異させている発生源と遭遇することもある筈だ。彼女と共に世界中を旅しながら浄化を続けるよりも、そういった発生源を浄化させた方が効率的である。
魔物は死者たちの魂が発する怨念や絶望の影響を受けやすい。怨念の影響を受けた魔物たちは変異を起こし、より恐ろしい魔物となって人々に牙を剥く。
明日の掃討作戦で変異種と遭遇することになれば、戦闘の難易度は今まで以上に高くなるだろう。ジノヴィはそれを楽しみにしているが、ジャンヌは大丈夫だろうか。
彼女はまだ未熟だ。戦いの残酷さを知ったとはいえ、ジノヴィが守ってやらなければあっという間にやられてしまうだろう。
彼女には、この世界を浄化して滅亡から救うという大きな使命がある。それが果たせないという事は、この世界そのもの滅亡を意味している。
こんなところでジャンヌを死なせるわけにはいかない。
だからこそ、強くならなければならないのだ。
それがジノヴィの役目なのだから。
城の前にある広間には、既にアルビオン王国の騎士たちがずらりと整列していた。白銀の鎧の上に蒼いマントを身に着けた騎士たちが、肩にハルバードを担いでいるのが見える。腰に下げているのはロングソードだろう。
今回の掃討作戦に投入される騎士の人数は50人。そのうち5名は魔術だという。
魔術師の人数が少ないように見えるが、魔術師は非常に希少な存在である。魔物の掃討作戦程度では投入されないのが普通だ。
掃討作戦に5人も投入されている方が異例なのである。
魔術師まで兵力に含まれている理由は、間違いなく騎士団が変異種と戦闘を行う回数が増えたからだろう。ランスロットの話では変異種と遭遇する事が増えたせいで騎士団の損害がどんどん増えており、掃討作戦の際に増援を要請しに来た伝令以外は全滅してしまった部隊もあるという。
変異種が出現し始めたアルビオン王国では、魔物の掃討作戦の難易度は非常に高いのだ。
「我々は北側から回り込み、魔物の群れの後方から奇襲を行います」
馬に跨ったランスロットが作戦を説明する。真正面から魔物たちを攻撃するのは、あそこに整列している騎士たちの役目だ。彼らが魔物を攻撃している隙に後方から魔物の群れを攻撃して攪乱させ、魔物たちを殲滅するのである。
情報ではその群れに変異種は含まれていないというが、魔物は血の臭いに刺激されて寄ってくるという特徴がある。殺した魔物の血の臭いや、犠牲になった騎士の血の臭いによって変異種が引き寄せられる恐れもあるため、変異種がいないからと言って小規模な部隊だけを派遣するのは愚策だ。
門がゆっくりと開き始める。騎士たちの指揮官と思われる男が剣を振り下ろすと同時に、整列していた騎士たちが一斉に馬を走らせ始めた。
「さて、私たちも行きましょう」
「ああ」
返事をしながら、ジノヴィはちらりとジャンヌの方を見る。ジャンヌも魔物の変異種と戦う覚悟をしていたらしく、彼の目を見つめながら首を縦に振った。
それを見て安心したジノヴィは、ランスロットたちと共に馬を走らせ、城の門から躍り出た。
第四章 完
第五章へ続く




