新たな剣
「踏み込みが甘い! 武器の間合いと殺傷力に甘えてはなりません、ジャンヌ!」
「くっ!」
今しがた突き出した槍を大慌てで引き戻し、訓練用の剣を振るうランスロットの一撃を長い柄で辛うじて防ぐ。バチン、と木製の柄と木製の剣がぶつかり合い、金属製の得物同士の衝突では聞く事の出来ない高い音を響かせる。
使命のための大切な少女とはいえ、ジャンヌもアネモスの里に住んでいた頃から他の戦士たちと共に訓練を受けていた。長い間アートルム帝国からの侵略を退け続けた戦士たちは精鋭部隊と言ってもおかしくないほどの錬度を誇る猛者ばかりだったが、アルビオン王国騎士団に所属するランスロットの実力は、アネモスの里の守護者たちに匹敵すると言っても過言ではないだろう。
防御が手薄になってしまうタイミングで、鋭い一撃が飛んでくるのである。致命傷にならないような攻撃であれば、無茶な戦い方だが敢えてそれを無視して攻撃を続行するという選択肢もある。近距離用の得物を使っている以上、攻撃している瞬間が最大の隙と化してしまうのだから、致命傷にならない限りは敵の反撃を無視してもある程度であれば問題はない。
だが、ランスロットはジャンヌが攻撃してくるタイミングで、心臓を狙ってくる。防御せざるを得ない一撃を放ち、彼女の攻撃を何度も頓挫させてくる。
防御に集中している内に、防戦一方になっていくのだ。距離を一旦とってから槍で突いても、また間合いを詰められて防戦一方になってしまう。
カウンターをお見舞いするか、ジノヴィのように致命傷になる一撃を放つ余裕がなくなるほど攻撃して倒すしかない。もし仮に魔術を使うことが許されていたとしても、詠唱している最中に攻撃を受けることになるだろう。逆に隙を生んでしまう。
「そこまで!」
広間の隅で戦いを見ていた騎士が大声で告げると、ランスロットは微笑みながら剣を鞘に戻した。
「距離をとるという判断は素晴らしいですが、もう少し武器の扱いに慣れておくべきですね」
「は、はい………」
槍の柄を握り締めながら、実力差があり過ぎることを実感する。
ジャンヌが学んできた戦い方は、”使命”のために旅立つことになった際に身を守るための戦い方だ。あくまでも襲ってきた敵を追い払う事を優先している。だが、ランスロットが学んでいる戦い方は、敵を”殺す”ための戦い方である。剣で狙ってくる場所も心臓や喉元などで、そこへの攻撃が難しいと判断すればアキレス腱などの場所を狙い始める。
(で、でも、ジノヴィはこの人を圧倒してるんですよね………)
森の中でジノヴィとランスロットが戦っていた時のことを思い出しながら、ジャンヌは苦笑いする。今のジャンヌではランスロットには全く敵わないが、この手強い男ですらジノヴィには手も足も出なかったのである。
格上のさらに格上が自分の傍らに居る事は喜ばしい事だが、彼に頼っているわけにもいかない。自分の弱さを痛感する度に、心の中にあるその気持ちがどんどん強くなっていく。
「ランスロットさん、もう一度お願いしても良いですか」
「構いません。ただ、休憩も大事です」
微笑みながらそう言ったランスロットは、ジャンヌにハンカチを手渡しながら、傍らに居る騎士に「すみませんが、彼女に水を」と命じた。
槍を傍らに置き、ジャンヌは息を吐く。呼吸を整えながら、ランスロットから受け取ったハンカチで額の汗を拭き取っていると、総司令部の正門から狼の毛皮で作った服に身を包んだ巨漢が出ていくのが見えた。
蒼い制服や防具を身に纏う騎士たちと比べると、服装があまりにも荒々しすぎる。傍から見れば牢屋の中に入れられていた盗賊が釈放されたようにも見えるが、その巨漢は盗賊よりも遥かに恐ろしく、頼りになる男と言っていいだろう。
(ジノヴィ……)
普段ならば背中に大剣を背負っている筈なのだが、正門から離れていく彼は腰に護身用のトマホークを下げているだけである。
きっと、新しい大剣を買いに行ってくるのだろう。この街には以前まで使っていた大剣を作り上げてくれた職人がいる、と彼が言っていた事を思い出したジャンヌは、頭を掻きながら工場の方へと向かって歩いて行く巨漢を見つめていた。
(結構変わったな、この辺も)
以前にサラマンダーの討伐を終え、絶対に折れないほど堅牢な大剣を作るように依頼した時の事を思い出しながら、ジノヴィは屹立する巨大な工場の群れを見渡した。あの時からこの辺りには鍛冶屋が何軒もあったが、所狭しと並んでいた鍛冶屋は消え失せており、その代わりに騒音を発する巨大な工場や煙突が鎮座している。
開きっ放しになっている鋼鉄の扉の向こうからは、鉄の溶ける強烈な臭いと熱が漏れ出てくる。広い工場のど真ん中には高熱を発する巨大な溶鉱炉が鎮座しており、その中へと作業員たちが真っ黒な鉄鉱石をスコップで放り込んでいた。
騎士団で使用する剣や防具の素材になるのだろう。騎士団の規模が大きくなった以上、鍛冶職人に依頼するよりも、鍛冶職人から指導を受けた作業員たちを工場で働かせて大量生産した方が効率がいい。かつてこの大通りで鍛冶屋を経営していた職人たちは、この工場の経営者になったのだろうか。
大剣を作ってくれたドワーフの職人の店も消えているのではないかと少しばかり心配になったが、金属が金槌で殴打される金属音が響き渡る大通りの向こうに、古めかしい木製の看板が見えた瞬間に彼は安堵した。
その看板の傍らにある鍛冶屋は、あの時から全く変わっていなかった。ジノヴィが傭兵になるよりも遥かに昔からおかれている看板は傷だらけになっていて、以前に訪れた時よりも浅黒くなっている。剣と盾のイラストが描かれているのは辛うじて分かるが、このまま黒くなっていけばイラストが見えなくなり、何の店なのか分からなくなってしまうに違いない。
入り口のドアは開けっ放しになっていた。ここは騎士団の総司令部がある王都なので、治安は昔から極めて良い。泥棒が入り込んだとしてもすぐに巡回している警備兵に取り押さえられるだろうが、この店に忍び込もうとすれば、職人の剛腕でぶん殴られるのが関の山だろう。
折れた剣を持ってここを訪れた時の事を思い出してから、ジノヴィは入口へと足を踏み入れた。
店内に完成した防具や剣が飾られていなければ、酒場のようにも見えた事だろう。武器や防具が並ぶ棚の近くには丸いテーブルと椅子がいくつか置かれていて、テーブルの上には武器のカタログがいくつか置いてある。
元々は酒場だった店を店主が買い取り、鍛冶屋に作り替えたのだという。あのテーブルと椅子は、ここが酒場だった時の名残なのだ。
「おーい、誰かいるか?」
問いかけてみると、カウンターの奥にある工房で響いていた金属音がぴたりと止まった。しばらくするとドアが開き、頭に灰色のバンダナを巻いた若いハーフエルフの男が姿を現す。
「いらっしゃい!」
「おっさんの弟子か?」
「あ、師匠の知り合いか?」
「おう、昔世話になったんだ」
「ちょっと待っててくれよ。………師匠! お客さんだ!!」
『おう!』
真っ赤になった金属が水の中へ放り込まれる音が聞こえたかと思いきや、工房の方から浅黒い肌の小柄な男性が姿を現した。小柄とは言っても、腕や肩はまるで訓練を受けた兵士のようにがっちりとした筋肉で覆われている。
汚れたハンカチで汗を拭きながら姿を現した男性は、ジノヴィの顔を見た途端に笑みを浮かべた。
「おぉ、ジノヴィじゃねえか! 何年ぶりだ!?」
「久しぶりだなぁ、おっさん! ちょっと剣を造ってほしいんだが」
「あぁ? あの時これ以上ないほど頑丈なやつを造ってやったはずだが?」
「それがな、アーサーのクソジジイに折られちまって………」
職人の自信作を折られた、と告げた途端に怒声を叩きつけられる覚悟はしていたジノヴィだったが、アーサーに折られたという事を理解したドワーフの職人は息を吐くと、悔しそうな顔をしながら頭を掻いた。
「あぁ………あいつが相手だったか。良かったな、剣一本で済んでよ」
「まったくだ」
「師匠、アーサーってそんなヤバい奴なのか?」
「あの”円卓の騎士”のトップだぞ?」
熟練の職人でさえ、アーサーという男の名を聞くだけで剣が折れた理由を認めてしまう。
それほどの実力を誇る男と戦い、生還できたジノヴィは幸運と言ってもいいだろう。相手が訓練用の得物だったとはいえ、実戦用の得物を装備した上で全力で戦わなければ、殺傷力を限界まで落とした得物を持った相手に殺されていたのかもしれないのだから。
「で、作ってほしいのは剣か?」
「ああ」
ニヤリと笑いながら、ジノヴィは腰に下げていた革の袋を取り出した。
中に収まっていたのは、1枚の金貨と2枚の赤い鱗だ。
「………こいつで、アーサーでも折れない剣を造ってほしい」
「任せろってんだ」
腕を組みながら鱗を見下ろした職人は、因縁がある相手と戦いに行く戦士のように笑った。
この世界では、金貨が3枚あればローンなしで家を建てられる。
つまり、金貨1枚にはかなりの価値があるのだ。貴族や彼らの専属の私兵じゃなければ目にする事ができないほど希少な通貨と言ってもいいだろう。
ジノヴィが持っていた金貨は、アネモスの里を訪れる前から保管していたものだった。この店を訪れる原因となったサラマンダー討伐の報酬の一部である。
先ほど一緒に渡した2枚の鱗は、その際に報酬と一緒に受け取ったサラマンダーの鱗であった。討伐したサラマンダーから手に入れたもので、当時はそれを使って大剣を作ってほしいと職人に頼んだのだが、当時の技術力では剣すら弾く鱗を加工することは不可能であったため、悔しい顔をしながら職人に断られてしまったのである。
だが、技術力が発達した今であれば素材として使うことはできる。たった2枚の鱗だけだが、その堅牢な鱗を砕いて金属に添加してやれば、耐久性と切れ味は爆発的に向上するだろう。
職人にとって悔しい事は、自分自身の技術力不足のせいで依頼を断らなければならない事だ。このジノヴィからの依頼は、ドワーフの職人にとってのリベンジでもあった。
そして、そのリベンジで出来上がった剣を使い、今度はジノヴィがアーサーにリベンジするのである。
椅子に腰を下ろしながら店内を見渡していると、カウンターの奥にある扉がゆっくりと開いた。若いハーフエルフの弟子と職人が姿を現したかと思いきや、薄汚れた布で包まれた物体をカウンターの上にそっと置く。
「………これなら満足する筈だ」
椅子から立ち上がり、カウンターへと向かう。
ジノヴィの顔を見てからニヤリと笑った職人は、出来上がった剣を包んでいる布をそっと外した。
「おお………!」
布の中から姿を現したのは、以前使っていた得物よりも更に荒々しい大剣だった。大剣の中では華奢な代物と言えるだろうが、刀身の付け根から刀身の中間部にかけて追加された大きめのセレーションのせいで、他の大剣よりも荒々しい形状に見えてしまう。
刀身の色は基本的には黒だが、黒い刀身にはまるで血飛沫のような赤いラインが不規則に浮かび上がっている。サラマンダーの鱗を砕き、刀身の素材に添加した故世によって浮かび上がった模様だろう。まだ試し斬りすらしていないというのに、まるで数多の標的を切り刻んできたかのような禍々しさを発している。
柄を握ったジノヴィは、以前使っていた大剣と重さが全く変わらないことを知ってぎょっとした。
剣士にとって、得物の重さは重要だ。新しい剣を使うのであれば、以前まで使っていた得物に近い重量の剣を選ぶことが望ましい。武器の重さが変われば、敵に向かって振るう剣戟にも影響が出てしまうからである。
それを理解してくれているのか、ドワーフの職人は素材の重量を調整し、わざわざ以前に造った大剣と全く同じ重量の剣を造り上げてくれたのである。
「どうだ、使いこなせそうか?」
「………これはいい。以前の得物と感触が変わらん」
「そうだろう、この俺が造ったんだからな。ガッハッハッハッ!」
「ありがとう、これならアーサーでも折れないな」
「ああ、耐久性は前の剣よりも84%くらい上がってる筈だ。ドラゴンを斬りつけても刃毀れすら起こらんだろうよ」
ハーフエルフの弟子が新しい大剣用の鞘をジノヴィに手渡す。それを受け取ったジノヴィは新しい大剣を鞘の中に収めると、それを背中に背負った。
「あ、そうだ。俺はしばらく王都にいるから、少しの間世話になるかもしれん」
「おう、そうか。何かあったらすぐに来な。ナイフだろうと防具だろうと造ってやるぞ」
「ありがとよ」
職人に礼を言ってから、ジノヴィは踵を返し、鍛冶屋を後にする。
今まで一人で戦う事が多かったからなのか、ジノヴィには付き合いの長い人間は少ない。
だからこそ、彼は安堵していた。
久しぶりに、付き合いの長い知人と会えたのだから。




