円卓の覇者
真っ白なレンガの壁に囲まれた中庭は、様々な色の花で覆われていた。
アルビオン王国に咲いている花だけでなく、他国から取り寄せた花も植えられているのだろう。温かい日光を浴びながら咲いている花たちには美しい蝶たちが群がり、うっすらと濡れた茎や葉が、主人たちから水を与えられた直後だという事を告げている。
アーサーが待っている城の中というよりは、貴族の屋敷の中庭を思わせる。
その中庭へと足を踏み入れた途端、またしても強烈な威圧感がジノヴィとジャンヌに牙を剥いた。まるで今まで何人もの騎士たちを焼き殺してきたドラゴンが、自分たちを睨みつけながら火を噴き出し、咆哮しているかのような威圧感。だが、ジノヴィですら一瞬だけ怯えてしまうほどの威圧感は案内してくれたランスロットへは向けられていないのか、それともただ単に彼がそれに慣れているからなのか、ランスロットは涼しい顔で、まるで久しぶりに祖父の元を訪れる少年のような笑みを浮かべながら、花が植えられている花壇の前を歩いて行く。
「アーサー様、傭兵をお連れ致しました」
彼が声をかけたのは、真っ赤な薔薇に水を与えている老人だった。頭髪は白髪に覆われており、口の周りを覆っている髭も真っ白に染まっている。肌は皺で覆われているものの、数年前までは現役だったのか、老いているにもかかわらず体格はがっちりとしていた。
身に纏っているのはアルビオン王国騎士団の制服ではなく、灰色の私服だ。体格ががっちりとしていなければ、この中庭に咲いている花の世話係か、貴族に仕える執事のようにも見えたかもしれない。制服を着て防具を身に纏えばランスロットやアルビオン王国の騎士たちが慕う最強の騎士に見えるかもしれないが、今の彼は騎士団の人間には見えない。
だが――――――メガネを外しながらこちらを振り向いた老人とジノヴィの目が合った瞬間、先ほど感じた威圧感が再びジノヴィを包み込んだ。
間違いなく、この男がアーサーである。
アルビオン王国が誇る最強の騎士であり、円卓の騎士たちの頂点。
(すげえ………丸腰なのに、こんな威圧感を発するのか)
ジノヴィの一族にとっては、手強い敵と死闘を繰り広げることは最高の名誉であり、娯楽でもある。傭兵となったジノヴィも一族の教え通りに傭兵として戦いながら、強い敵との戦いを楽しんできた。
だが、今まで戦ってきた”強い敵”の大半には失望する羽目になった。自分の事を圧倒してくれるような強敵との戦いを期待していたというのに、強いと言われていた相手の大半はジノヴィの実力を大きく下回っており、中には命乞いする相手もいたのである。
しかし、この男は間違いなく強い。
自分を怯えさせる相手に出会ったのは何年ぶりだろうか、と思いながらアーサーを見つめていると、中庭に置かれれいる小さなテーブルの上にメガネを置いたアーサーは、にっこりと微笑みながらぺこりと頭を下げた。
「すまないね、お嬢さん。君まで怯えさせるつもりはなかったのだが」
「ジャンヌ………」
微笑みながらアーサーがそう言った瞬間、ジノヴィは隣にジャンヌがいる事を思い出していた。相手が予想以上に手強い相手だという事が確定した事に対する喜びが、自分が守らなければならない少女の事を忘れさせていたのだ。
ジノヴィへと向けられた威圧感は、ジャンヌにも牙を剥いていたらしい。遊びに来てくれた孫を出迎える祖父のようにアーサーが微笑んでいるにもかかわらず、隣にいるジャンヌは凍り付いたまま、未だにぶるぶると震えていた。
「ランスロットから聞いたよ。君が手強い傭兵か」
「ああ。あんたがアーサーなんだな?」
「いかにも」
微笑みながらアーサーがそう言っている内に、騎士団の制服に身を包んだ青年が木製の剣を抱えながら中庭へとやってきた。その青年はアーサーに「アーサー様、どうぞ」と言ってから剣を渡し、ぺこりと頭を下げてから踵を返す。
アーサーが青年から受け取ったのは、実戦で使う金属製の件ではない。訓練で騎士たちが使う木製の剣である。
それを見ながら、ジノヴィは顔をしかめた。
「………まさか、それで相手をするつもりか?」
「うむ。君には失礼かもしれないが、本物の剣を使うと”うっかり”殺してしまうのでね。加減が本当に難しいのだよ」
肩を回しながら、アーサーは微笑んだ。
舐められていることに腹は立ったものの、アーサーは本当に加減が難しいから木製の剣を使う事にしたという事はすぐに理解した。もし彼が金属製の剣を使ってジノヴィと戦えば、本当にこの中庭が血の海と化してしまうに違いない。
それほどの実力差がある相手なのだから、仮に得物が訓練用の殺傷力がない代物だったとしても、金属製の剣を持っている状態と殆ど変わらないだろう。傍から見れば、荒々しい服に身を包んで大剣を背負った傭兵が、非力な老人を殺そうとしているように見えるかもしれないが、この中庭にいる4人からすれば、これから殺される可能性が高いのはジノヴィの方としか言いようがない。
ニヤリと笑いながら「ジャンヌ、下がってろ」と言ったジノヴィは、大きな手を背中へと伸ばし、背負っている鞘の中から愛用の大剣を引き抜いた。数多の魔物や敵兵を両断してきた漆黒の刀身があらわになり、柄や刀身の付け根に巻き付けられている赤黒い布が揺らめく。
「じ、ジノヴィ……こんな相手と本当に戦うつもりですか………?」
「ああ」
楽しくてたまらないのだ。
仲のいい友達と遊びに行く子供のように微笑みながら、巨大な剣を床に突き立てるジノヴィ。真っ白な石畳の一部が剥離して宙を舞い、甲高い金属音が中庭の中で反響する。
「大剣か………」
「………ジジイ、自分の得物取りに行くなら今のうちだぞ?」
「うむ………いや、このままでいい」
剣の柄を掴み、床から引き抜くジノヴィ。愛用の大剣を構えて攻撃する準備を整えたにもかかわらず、彼の殺気を向けられているアーサーは、右手に木製の剣を持ったまま突っ立っている。
傍らに立っていたランスロットは、ぺこりと頭を下げてから後ろへと下がると、まだ震えているジャンヌを連れて中庭の入口の方へと向かった。ジャンヌに速く後ろに下がるように言おうとしていたジノヴィは、彼女を巻き込む恐れが無くなったのを確認してから姿勢を低くする。
だが――――――距離を詰めることは、出来なかった。
目の前にいる老人は剣を持って突っ立っているだけである。今は先ほどのような威圧感も出していないので、距離を詰めるのは容易いだろう。
しかし、ジノヴィは一歩も動かなかった。
彼の戦い方は荒々しく、無茶をするのは日常茶飯事である。相手の攻撃を喰らいながら強引に剣で両断することも多いが、そのような攻め方をする際は、喰らう事になる敵の反撃が致命傷になるか否かを見極めて行っている。
そう、”喰らうべき攻撃”と”喰らってはならぬ攻撃”を判別しているのだ。
敵が迎え撃とうとしてきたとしても、身体を捻って受け流したり、命中する筈の部位をずらすことで致命傷を回避することもできる。しかし、そのような死にかけることが多い戦い方をしていたために、ジノヴィは察していた。
目の前にいる老人の間合いに入れば、そんな戦い方は許されないという事を。
一撃でも喰らえば、それが致命傷と化す。
冷や汗が顎から滴り落ちる。心臓の鼓動が速くなり、目の前にいる老人以外の光景が見えなくなる。
息を吐き、心臓の鼓動が少しばかり遅くなったのを確認してから―――――――ジノヴィは突っ込んだ。
中庭はそれなりに広く、側面に回り込むことも難しくはない。だが、回り込んだとしてもアーサーは的確に反撃してくる可能性が極めて高い。そのため、複雑な戦い方を始めるよりも先に、敢えて真正面から攻めて様子を見る事にしたのである。
切っ先が微かに石畳の表面を掠め、一瞬だけ甲高い音と火花を発する。大剣を構えた巨漢が真正面から突っ込んできているというのに、彼はジノヴィの方を見て微笑んだまま、木製の剣を持って突っ立っている。
次の瞬間、甲高い音が響き、両手で持っていたジノヴィの大剣が吹き飛んだ。
「!?」
彼の剣は切れ味と頑丈さを重視した代物である。大剣の中では刀身は細身と言えるかもしれないが、重量は一般的な大剣と遜色ないほどの重さであり、吹き飛ばすのであれば同じく大剣を使うか、大型のハンマーが必要である。
しかし、彼が今から襲い掛かろうとしていた老人は、訓練用の木製の剣を振り上げた状態のまま、剣を吹き飛ばされて驚愕するジノヴィを睥睨していた。
ガチン、と大剣が白いレンガで覆われた壁を直撃し、金属音を奏でる。慌てて後ろへと大きくジャンプし、先ほど吹き飛ばされた大剣を拾い直したジノヴィは、左手を柄から放して腰のホルダーからトマホークを引っ張り出す。
それを投擲してから突撃し、剣を左から右へと大きく薙ぎ払う。
ぐるぐると回転しながらアーサーへと襲い掛かったトマホークは、彼が無造作に振るった剣であっさりと弾き飛ばされてしまった。だが、それを弾くために剣を振るってしまった以上、すぐに次の攻撃は出せない。一旦両手と剣を引き戻し、肉体を制御できる状態にリセットする必要がある。
その隙に両断しようとしたジノヴィだったが、彼の振るった剣がアーサーの年老いた身体を直撃する事はなかった。
剣を振るったアーサーが、その剣を振るった勢いを利用してくるりと回転し、そのまま足を上げ、剣を持っているジノヴィの手を蹴りつけてきたのである。足で蹴られた指はもちろん激痛を発したが、致命傷を与えるための攻撃などではない。突撃してくる相手の勢いを削ぎ落とし、あわよくば相手が手にしている得物を叩き落すための攻撃である。
左手を柄から放してしまったものの、剣を振るう速度と勢いが半減するのを承知の上で、ジノヴィは大剣をそのまま右手だけで薙ぎ払った。案の定、剣は空振りする羽目になってしまったものの、アーサーは後ろへとジャンプして回避する羽目になってしまう。
相手が後ろへと下がったのであれば、再び距離を詰めて攻撃を継続する。
姿勢を低くしながらダッシュし、開き程アーサーが剣で叩き落したトマホークを再び拾い上げる。投擲はせずにホルダーの中へと戻しながら、ジノヴィは驚愕していた。
アルビオン王国騎士団では、剣術の道場の指導者が騎士たちに指導を行っているため、当たり前だが剣を持っている敵を蹴りつけたり、殴りつけることはない。むしろ、そのような攻撃は騎士が扱う剣術には似合わないものとして忌避される。
だが、その騎士団の頂点に立っている筈のアーサーは、中途なく彼の手を蹴りつけてきた。
ジノヴィは、ちょっとだけ嬉しくなった。
きっと、アーサーも彼に似たような考え方の男なのだ。戦場で敵と戦う場合に活用するべきなのは、剣や剣術ばかりではない。訓練で鍛え上げた自分の肉体と格闘術も常に駆使し、相手を攻撃する事を重要視している。
それを理解した途端、恐怖がすべて消えた。
距離を詰め、アーサーに剣を振り下ろしながら笑う。その一撃は信じ難い事に木製の剣で受け止められた挙句、受け止めた剣をアーサーが傾けた事によって受け流されてしまったが、すぐに剣を振り上げて反撃する。
楽しくてたまらない。
こんなに強い敵と戦うのは、久しぶりだった。
予想以上の強敵である。
振り上げた剣を回避したアーサーが、レイピアのように木製の剣を突き出してくる。身体を思い切り捻って回避しつつ、ジノヴィは大剣の柄を突き出してアーサーを殴りつけようとしたが、バシッ、ともう片方の手で受け流されてしまい、至近距離での攻撃すら防がれてしまう。
近接戦闘では、距離が近ければ近いほど相手の攻撃を回避したり防ぐハードルは上がっていく。ある程度距離が離れていれば、相手の攻撃ははっきりと見えるので対処することは難しくないが、至近距離であれば相手の攻撃の軌道やどのような攻撃なのかを見切ることは難しくなるため、瞬間的な判断力や反射速度が優れていなければ、相手の攻撃は次々に直撃することになるだろう。
しかし、アーサーは至近距離から放たれた筈の攻撃を、容易く受け流してしまう。
剣を振り上げても、身体を逸らして回避される。
これならば当たると確信して放った一撃も剣で受け止めた後に受け流される。
それに対し、アーサーの攻撃は喰らうわけにはいかない。
おそらく、彼もジノヴィがどのような攻撃をしてくるのかを確認している段階なのだろう。本気ではないのは火を見るよりも明らかだが、本気ではない攻撃だというのに、彼が放つ剣戟はあまりにも鋭すぎる。
頭を後ろへと下げた直後、ジノヴィの目の前を木製の剣が一瞬で通過していった。回避しなければ首を切断されていたのではないかと思ってしまうほどの速度の剣戟である。
アーサーの種族は人間であり、年齢はもう60代後半だ。他の種族よりも寿命が短い人間の基準では、もう腰から剣を下ろすことを許され、退役して孫の遊び相手になる余生を送り始める年齢である。しかし、この男の剣戟の速度や反射速度は、外で訓練している若々しい現役の騎士たちとは別格としか言いようがない。
「!」
アーサーが振り下ろした剣を回避した直後、後ろに会った壁が破片を撒き散らしながら、まるでチェーンソーを石畳に接触させたような甲高い音が響いた。ぎょっとしながら後ろを見てみると、ジノヴィの後方に会った壁の周囲にはうっすらと白い煙が舞っており、その奥にある壁にはまるで剣で斬られたような傷跡が刻まれている。
(このジジイ、斬撃を飛ばしやがった………!)
剣士の中には、斬撃を飛ばして遠距離の敵を攻撃する者も多い。
ジノヴィが戦いを挑んだり、彼と共に魔物と戦った傭兵の中にもそのような剣士たちはいたが、大半は魔術を利用した疑似的な斬撃を飛ばしていた。
だが、アーサーが今しがた放った斬撃は魔力を一切使用していない。ただ単に剣を高速で振り下ろし、その際に生じた衝撃波を飛ばしただけだ。
「安心したまえ、君も鍛錬を続ければ習得できるさ」
「くそったれ、化け物か」
衝撃波を飛ばしたアーサーを睨みつけながら、ジノヴィは笑う。
魔力に頼らなくても斬撃を飛ばせるほどの実力がある。では、もし彼が本気になり、魔力を使って斬撃を飛ばせばどうなるのかは言うまでもないだろう。
次の瞬間、アーサーが片手で剣を持ったまま姿勢を低くして突っ込んできた。ジノヴィも同じように姿勢を低くし、大剣の切っ先を床に擦りつけながらアーサーへと剣を振り上げる。
石畳の破片を撒き散らしながら振り上げられた剣を、アーサーは右へと身体を思い切り倒しながら回避してしまう。漆黒の刀身は空振りし、切っ先を天空へと向ける羽目になってしまった。
「剣術の腕はいい。だが――――――惜しいな、まだ無駄が多い」
「――――――!」
姿勢を低くした状態で、木製の剣の切っ先をジノヴィへと向けるアーサー。
孫と遊ぶ老人のような笑みを浮かべながら、彼は告げた。
「――――――出直せ」
次の瞬間、訓練用の得物である筈の木製の剣が―――――――ジノヴィを貫いた。