王都キャメロット
傍から見れば、その街は巨大な要塞にも見えた事だろう。
この街も、アルビオン王国の他の街と同じく周囲を防壁で覆われている。とはいっても、街の周囲に建造されたその防壁の分厚さは、この王国へと足を踏み入れた時にジャンヌたちが目にした防壁とは比べ物にならないほど分厚い。
アルビオン王国の街の大半はこのように防壁で覆われた城郭都市となっている。魔物に襲われないために配備されているのだろうが、騎士団が国内の魔物を定期的に掃討しているため、この防壁に魔物の襲撃で傷がつくことは殆どない。
不要なのではないかと思いながら巨大な防壁を見つめていたジャンヌは、昨日の夜にランスロットが言っていた事を思い出した。最近は魔物の変異種が姿を現すことが多くなっており、騎士団の被害も大きくなりつつあるという。もし更に強力な変異種が現れれば、この防壁を破壊されて住民たちが被害を被ることもあるかもしれない。
「ほら、とっとと歩け」
「くっ」
「ジノヴィ、彼には優しくしてください!」
ここまで案内してくれたランスロットは、昨日の夕方のように両腕は縛られていなかった。彼の手を縛って騎士団の本部がある王都へと堂々と向かえば、ジノヴィが腕試しのために戦いを挑もうとしているアーサーという老人だけではなく、アルビオン王国騎士団そのものを敵に回すことになる。
ジノヴィは大喜びで迎え撃ちそうだが、彼の仕事は世界の浄化に旅立ったジャンヌを護衛することだ。騎士団を敵に回せば、ジノヴィよりも未熟なジャンヌが先にやられてしまうのは想像に難くない。
もちろん、ランスロットから没収していた彼の剣も返している。なので、傍から見れば騎士団の一員であるランスロットが2人の冒険者を王都に案内しているようにしか見えないだろう。縄で縛りながらここまで来なかったのは正解だと実感しながら歩いていると、巨大な防壁の下にある門で警備をしていた騎士たちが、ランスロットに敬礼した。
「お疲れ様であります、ランスロット様。予定よりも帰還が遅いようですが………?」
「ああ、心配をかけた。掃討作戦から戻る途中、この2人の冒険者を保護したんだ。王都へと向かっていたらしいから、帰還するついでに護衛しながら戻ってきた」
正確に言うと、彼に護衛されながらここまでやってきたのではなく、帰還する途中だった彼を倒してここまでジノヴィが連行してきたのである。本当の事を話せば、この真面目な騎士たちが一斉に腰の剣を抜くことになるのは言うまでもないだろう。
ちらりとジノヴィの方を見上げてみると、彼はランスロットの背後で腕を組んだまま、目の前にいる青年を睨みつけていた。
「それと、こちらの冒険者の本業は傭兵らしくてね。手合わせしてもらったが負けてしまったよ」
「えっ、ランスロット様が負けてしまったのですか!?」
「なんと………」
「ああ、本当に素晴らしい剣士だ。それで、彼はアーサー様と戦って腕試しをしてみたいらしい」
「アーサー様と!?」
アルビオン王国騎士団を率いるのは、”円卓の騎士”と呼ばれる騎士たちである。圧倒的な戦闘力を誇る騎士たちであり、アルビオン王国の切り札と言ってもいいだろう。周辺諸国を侵略して領土を広げているアートルム帝国がアルビオン王国と戦争をしない理由でもある。
その円卓の騎士の中でも最強の騎士と言われているのが、騎士団の総司令官でもあるアーサーであった。
「あのお方も楽しんで下さるだろう。最近は退屈しているようだからな」
「わ、分かりました………では、アーサー様にはお伝えしておきます」
「頼む。………さあ、どうぞ」
そう言うと、ランスロットはジノヴィとジャンヌを連れて門の方へと歩いた。防壁の下にある検問所らしき小さな建物の中で、命令を受けた若い騎士が大きなハンドルを必死にぐるぐると回したかと思いきや、金属音を奏でながら巨大な門がゆっくりと開き始める。
防壁が分厚過ぎるからなのか、内部はまるでトンネルのようだった。実際に天井には照明が用意されているし、壁面には騎士団が発行したものなのか、防壁の外へ旅立つ場合の注意点や魔物の掃討作戦によって安全が確保された地域について書かれた紙が貼りつけられており、これから外へと向かおうとしていた旅人や商人たちがそれをチェックしているのが見える。
ジャンヌがその張られている紙を見ていると、防壁の向こうへと案内しているランスロットの肩を掴んだジノヴィが低い声で言った。
「ランスロット君………俺はお前みたいな青二才に護衛された覚えはないんだがなぁ?」
「し、仕方ないだろう? あのように説明しなきゃ面倒なことになったんだから」
「俺にボコボコにされたから遅くなっちゃいましたって言えばいいのによ」
「もうっ、ジノヴィ。この方はとっても誠実な人なんですから、そんな事言わないでください」
「はいはい。………それより、アーサーの爺さんはどこにいるんだ? すぐ戦えるのか?」
ジノヴィはジャンヌに咎められたことを全く気にしていないようだった。最強の騎士と言われているアーサーと戦うのが楽しみだからなのだろう。
「戦えますよ。警備兵たちが城へ報告しましたから」
そう言いながら、ランスロットは先ほど通過した検問所の窓の向こうを指差した。先ほど若い騎士が必死に回していた大きな金属製のハンドルの隣には、同じく金属製の細い配管が取り付けられているのが分かる。
おそらく、街の中央にある城か、城の近くにある騎士団の詰所へと繋がっている伝声管なのだろう。てっきり伝令でも向かわせたのだろうと思っていたジャンヌは、その伝声管を歩きながらまじまじと見つめた。
トンネルにも似た防壁の通路の向こうには、巨大な街が広がっていた。屹立する建物は非常に巨大で、奥の方には大きな鍛冶屋や工場でもあるのか、黒煙を放出している搭にも似た煙突が見える。
「………おっさん元気かなぁ」
「え?」
「あの煙突見えるだろ? あれ鍛冶屋の煙突なんだが、その鍛冶屋で俺の剣を造ってくれたドワーフのおっさんが働いてるんだ」
「そうなんですか?」
「おう」
「ああ、あの人ですか。優秀な職人ですよね。あの人が造った剣は我が騎士団でも採用されていますよ」
煙突を見つめていたジノヴィは、大通りを歩きながら「後で顔出そうかな」と呟くと、大通りの向こうに鎮座する巨大な城を睨みつけた。
王都キャメロットの中心部に鎮座する城は騎士団の総司令部でもある。円卓の騎士たちを率いるアーサーは、きっとそこにいるに違いない。
大通りにある店で売られている商品を眺めていたジャンヌは、城を見つめながら笑っているジノヴィを見てぞっとした。
報酬の金額よりも強敵との戦いを優先する彼の願望が剥き出しになった、危険な笑みだった。
アートルム帝国への抑止力として機能しているアルビオン王国騎士団は、アートルム帝国が保有する騎士団と比べると規模は非常に小さい。
積極的に他国を侵略しているアートルム帝国では徴兵制となっており、国民や占領した国の人々を強引に騎士団に入団させて騎士団を編成しているという。それに対し、アルビオン王国騎士団は志願制となっており、絶対に市民を強制的に入団させることはない。
それゆえに規模は帝国よりも小さいが、騎士たちの錬度ではアルビオン王国の方が遥かに上なのだ。以前に行われたアートルム王国との合同演習では、アートルム側の騎士たちはアルビオン王国の騎士たちとの剣術の試合で手も足も出ずに惨敗したという。
だからこそ、この騎士団は帝国への抑止力となっているのだ。
城の門の前で警備している騎士たちを見ながら、ジャンヌは息を呑んだ。
魔物との戦いや他国の騎士との戦いを経験してきたのか、警備をしている中年の騎士の目対は非常に鋭い。何度も死闘を経験し、その熾烈な戦いから生還してくれば、人間の目つきも研磨されてあのような目つきに変貌してしまうのだろうか。
「では、私はアーサー様に掃討作戦の報告と先ほどの話をしてきます。申し訳ありませんが、ここでお待ちください」
「ハッ、客人を外で待たせるのか。王国の騎士団も随分と無礼なものだ」
「ジノヴィ!」
彼女が彼を咎めると同時に、警備をしている騎士たちの目つきが更に鋭くなった。
ランスロットは苦笑いしながら肩をすくめる。
「申し訳ありません。客人とはいえ、部外者を城の敷地内へ入れるには許可が必要なのです。その許可も頂いて参りますので、少々お待ちを」
当たり前だが、総司令部に冒険者や市民たちを入れるわけがない。街の中心部にある施設だが、騎士団の機密情報なども保管されているれっきとした軍事施設であるため、迂闊に部外者を入れることは許されない。
騎士団の騎士たちからすれば、ジャンヌとジノヴィも部外者でしかないのだ。一緒にここまでやってきたランスロットならば、少なくともジャンヌはスパイではないという事を理解しているが、警備をしている騎士たちからすればどちらもスパイである可能性があるため、ランスロットが連れてきた冒険者だからと言って司令部に入れるわけにはいかないのだ。
ジャンヌはそのことに納得して「分かりました、待ってます」と言ったが、隣にいるジノヴィは納得していないようだった。いや、彼はただ単に八つ当たりする相手がいなくなるのが嫌なのだろう。
彼にとって、ランスロットは自分に”美女を連れ去ろうとしていた盗賊”というとんでもない濡れ衣を着せた男である。腹を立てるのは仕方のない事だと言えるが、森の中での戦闘でもう仕返しはした筈だ。
子供のようだと思っている間に、ランスロットは警備兵たちの隣を通過して司令部の扉を開け、中へと入っていった。
「ジノヴィ、落ち着いてくださいよ」
「くそったれ、謝罪くらいしろってんだ」
確かに、ランスロットはジノヴィに盗賊と間違ったことについての謝罪はしていない。彼が腹を立てているのはその事についてなのだろうか。
ジノヴィは舌打ちをしながら、総司令部の周囲を覆っている鉄柵の向こうを見つめた。鉄柵の向こうには剣術の訓練に使われると思われる広場があり、その広場で数名の騎士が年老いたベテランの騎士に怒鳴りつけられながら剣を振っている。
騎士団が採用している剣術に頼り続けている以上、強くなることは有り得ないとジノヴィは考えている。確かに、騎士団で新兵たちが習う事になる剣術は騎士団の上層部が選定した流派の剣術となっており、習得できれば接近戦では非常に強くなることだろう。だが、流派の剣術に頼ってしまっている以上、必ずワンパターンになってしまう。
知能が低い魔物との戦闘であればその問題は表面化しない。だが、相手の意表を突いたり、裏を読む必要が生じる対人戦では次の手を読まれてしまうという致命的な問題と化してしまうのだ。
だから、ジノヴィの剣術は基本的に我流だ。幼少の頃に受けた訓練は簡単な剣術の練習や素振りをした後に先輩の戦士と戦わされ、格上の相手に痛めつけられながら自分の剣術を形成するという危険な訓練であった。
それゆえに、彼の剣術は荒々しい。貴族たちが目にすれば野蛮人が剣を振り回しているだけに見えるだろうが、相手の意表を突いたり、場合によっては強引に攻めたりすることもできるため、接近戦だけで言えば非常に合理的と言える。
貴族たちは見た目や見栄えという余計な要素まで追求するが、ジノヴィの場合はそういった要素が全くない”生き延びるための剣術”なのだ。
ジャンヌと一緒に騎士たちの訓練を見ていると、先ほど入口へと入っていったランスロットが戻ってきた。もう既に任務を終えたからなのか、身に纏っていた防具をいくつか外して騎士団の制服に着替えている。
「お待たせしました。中庭でアーサー様がお待ちです」
「やっとか」
「この2人を通せ」
「はっ」
2人の門番の間を通過し、ジノヴィとジャンヌは総司令部である城へと足を踏み入れた。
2人の足が石畳を踏みしめると同時に―――――――強烈な威圧感が、2人に牙を剥いた。まるで凶暴なドラゴンに狙われているという事を実感したかのように、冷たい威圧感が2人の身体を一瞬だけ包み込む。いつの間にか額に冷や汗をかいていた事に気付いたジャンヌは、無意識のうちにぶるぶると震えている手でそれを拭い去った。
その汗は、間違いなく今の威圧感を感じると同時に生じたものだった。城の前で待っている時は、そのような汗はかいていなかったのだから。
(何だ、今のは………)
汗を拭い去りながら、ジノヴィも目を見開いていた。
先ほどまで感じていた楽しみが、今しがた牙を剥いた威圧感に連れ去られたように消え失せる。まだ彼のいる城の玄関に足を踏み入れただけであり、アーサーと実際に戦うどころか目の前にすら立っていないにもかかわらず、何度も死闘を経験したジノヴィは感じ取っていた。
――――――アーサーと戦うのは、危険だと。
しかし、すぐに彼は笑った。
こんな威圧感を発する人間は初めてだったのだから。
今まで彼は最強だと言われている剣士に何度も戦いを挑んだ。きっと自分を満足させてくれる手ごわい相手に違いないと期待しながら剣を振るったが、今まで彼が戦ってきた剣士たちは彼がぞっとするほどの威圧感すら発する事ができない者ばかりであり、ジノヴィを満足させてくれる相手はもう人間にはいないのではないかと失望しかけていた。
だが――――――これならば、確実に楽しめる。
ニヤリと笑いながら、ジノヴィはランスロットと共に城の通路を進み、中庭へと向かうのだった。




