生きるための剣術
大剣の切っ先が、平穏な森の大地を無慈悲に抉りながら若い騎士に牙を剥いた。
このように剣の切っ先で地面を抉りながら強引に振り上げる剣戟は、ジノヴィが得意とする攻撃だった。地面に擦りつけることで刃こぼれを起こしてしまう可能性があるものの、地面や砂を吹き飛ばしながら振り上げるため、振り上げられる剣を受け止めにくくなるという利点がある。
このような荒い戦い方をするため、ジノヴィは剣を職人に注文する時は頑丈さを最優先にしていた。
今の彼が握っている大剣は、信頼性の高い武器を作ることを得意とするドワーフの職人が創り上げた頑丈な剣である。巨大な岩石や金属の塊に思い切り叩きつけたとしても、刃こぼれを起こすことはないほどの頑丈さだ。
もちろん武器の手入れは怠るわけにはいかないものの、戦闘中に折れることは殆どないと言っていい。この件を容易く折る事ができる相手は、ジノヴィよりもはるかに格上の相手でしかないのだ。
若い騎士は目を見開きながら、左手に装着されている小型の盾でその一撃を受け止めた。土が付着した大剣の刀身が、アルビオン王国騎士団のエンブレムが描かれた盾を強打し、甲高い金属音を森の中に響かせる。
得意としていた一撃を防がれたジノヴィは、素早く剣を引き戻しながらニヤリと笑った。
今の一撃を剣で受け止めるのは間に合わないと判断したからこそ、左手の盾で防いだのだろう。しかも、ジノヴィの剣戟が盾を直撃する瞬間に盾の角度を少しばかり逸らし、彼の剣が纏う運動エネルギーを受け流して破壊力を軽減させたのだ。
ジノヴィの大剣で鎧もろとも両断されるよりも先にそのような判断をする事ができるという事は、強い相手という事である。
引き戻した剣の柄から左手を離し、今度は右腕だけで持った状態で振り下ろす。しかし、先ほどの一撃を盾で辛うじて防いだ若い騎士は、今度はその一撃を左へとジャンプして回避した。
右腕の腕力と剣の重さをフル活用した一撃が、森の地面を粉砕する。もし今の一撃を回避せずに剣や盾で防ごうとしていれば、ガードに使った得物もろとも粉砕され、両断されていたに違いない。
若い騎士はガードできる一撃ではないという事を悟ったのだろうか。それとも、たまたま回避を選択したことが功を奏したのだろうか。
舞い上がった土を浴びながら、今度は若い騎士が反撃を始める。右手に持った剣を、ジノヴィの胸板へと突き出す。彼の持つ剣はジノヴィの大剣と比べるとかなり華奢だったが、ジノヴィの得物と比べると切れ味は鋭い。切っ先が命中すれば、筋肉で覆われた屈強なジノヴィの胸板ですら易々と切り裂いてしまうだろう。
だが―――――その一撃が牙を剥こうとしているにもかかわらず、ジノヴィは回避しようとはしなかった。
敵が晒している隙は、戦闘に夢中になっている多くの戦士を欺くものだ。
実力が拮抗している剣士同士が片方の隙を見つければ、すかさずに攻撃する。どれほど熟練した剣士であったとしても、その隙そのものが相手が用意した罠であると見抜くことはできない。
この若い騎士も、それを見抜く事ができなかった。
武器の重さも利用したとはいえ、先ほどの一撃は両手で振り下ろせば更に強烈な攻撃と化していた筈である。だというのに、なぜジノヴィはわざわざその剣戟を”片手で”振り下ろしたのか。
騎士がそれを悟るよりも先に、ぴたりと騎士の剣が止まる。
「!!」
「甘い」
剣を持っている騎士の手首を、巨大なジノヴィの左腕が掴んでいたのだ。
慌ててその巨大な手を振り解こうとするが、ジノヴィは何度も実戦で重い大剣を振り回せるほどの腕力や握力を誇る屈強な巨漢である。いくら訓練で鍛え上げたとはいえ、騎士の腕力で振り払える程度の握力ではない。
振り払うために足掻く騎士の華奢な腕を掴んだジノヴィが、容赦なく彼を投げ飛ばす。
「ぐっ!?」
地面に叩きつけられた騎士は、目を見開きながら大慌てで横へと転がった。
次の瞬間、ジノヴィの大剣が地面に突き刺さる。
「反射速度と回避は優秀だな」
「ぐっ、おのれ…………ッ!」
「ほらほら、とっとと俺を斬ってみせろよ。じゃないと、”アーサーの爺さん”の顔に泥を塗ることになるぜ?」
「貴様、なぜ我らが主君の名を――――――」
若い騎士がぎょっとしている間に、ジノヴィは手にしていた大剣を、まるでナイフを投擲するかのように騎士に向かって投げつけていた。
重い大剣を軽々と振り回せる腕力や瞬発力を使って、従来の剣よりもはるかに重い大剣を投擲すれば、その一撃の殺傷力は比べ物にならないほど高くなる。下手をすれば、騎士団に支給されている大型の盾もろとも騎士の肉体を貫くほどの破壊力や貫通力となるだろう。
下手をすれば剣を振るうよりも恐ろしい一撃だが、それを放つ剣士にとってはリスクの大きな攻撃である。
剣を投擲するという事は、一時的に丸腰になることを意味しているからだ。確かに、遠くにいる敵を一度だけ攻撃する事ができる手段だが、その攻撃が外れたり、複数の敵と戦っている場合では、投げつけた得物を拾い直さない限り敵と互角に戦う事は不可能である。
この一撃で仕留めることを狙って投擲したのか。
それとも、丸腰になったとしても互角以上に戦う自信があるのか。
若い騎士はジノヴィが得物を投擲した理由を考えるよりも先に、その一撃を回避した。
もちろん、アルビオン王国騎士団ではこのように剣を投擲することは教えていない。むしろ、武器を失う事に繋がるため、逆に武器の投擲を禁じている。
ジノヴィの腕力や握力は騎士以上である。もし仮に彼にまた腕や身体を掴まれればそのまま投げ飛ばされるのが関の山だ。だが、今の彼が丸腰であるのに対し、騎士はまだ剣と盾を装備している。相手を殴り飛ばせるほどの距離にまで肉薄されなければ、彼の方が圧倒的に有利であった。
しかし―――――ジノヴィがすぐに空いた手を腰へと伸ばし、魔物の革で作られたと思われるホルダーの中からトマホークを引き抜いたのを目にした騎士は、唇を噛み締めながら突撃を中断する羽目になった。
(なんだと………!?)
ジノヴィの得物は、大剣だけではない。
彼が最も得意とする得物は大剣だが、もし戦闘中に大剣の刀身が折れてしまった場合や、大剣を振り回すことが難しい室内や洞窟の中での戦闘のために、トマホークも2本ほど持ち歩いているのだ。
武器をトマホークに持ち替えたジノヴィが再び突撃してくる。騎士は剣を構えてから、肉薄してくるジノヴィに向かって剣を振り下ろした。
ジノヴィが持っているトマホークは非常にがっちりとした代物だ。柄の部分は木製の部品を使っているが、それ以外の部分は分厚い金属で作られている。その気になれば、魔物の外殻を粉砕することもできるだろう。
剣よりも破壊力は上だが、リーチならば騎士が持っている剣の方が上だ。
そのまま振り下ろせば刀身がジノヴィの方を直撃する筈だったが――――――唐突に、ジノヴィの速度が上がった。
「!?」
彼の速度が急に上がったことで、想定していたタイミングの全てが狂ってしまった。ジノヴィの方に辛うじて剣の鍔が命中したものの、剣で斬りつけるのと鍔で殴打するだけではどちらが殺傷力が上なのかは言うまでもない。
それに対し、騎士はトマホークが猛威を振るう間合いにまでジノヴィを接近させてしまっていた。
彼は見切っていたのだ。
大剣を投擲してトマホークに持ち替えれば、騎士には得物のリーチというアドバンテージが生まれる。自分の方が相手よりも早く攻撃できるようになった以上、ジノヴィから肉薄しようとすれば先に剣を振り下ろすだろう。
だからこそ、ジノヴィは敢えて本気を出さずに突っ走り、騎士が剣を振り下ろし始めたタイミングで加速して、タイミングを狂わせた。
肩を強打している鍔を突進する勢いで弾き飛ばしつつ、右手に持ったトマホークを振り下ろすジノヴィ。だが、騎士はすぐに左手の小さな盾を振り上げ、辛うじてトマホークの一撃をそれで受け止めた。
一瞬だけ火花と盾の欠片が散り、鉄の溶ける臭いが生まれる。
ジノヴィのトマホークは、アルビオン王国騎士団のエンブレムが描かれた盾に食い込んでいた。盾の亀裂からは、微かに紅い液体が溢れ出ている。
トマホークが盾を砕き、少しだけ騎士の腕に傷をつけたのだ。
「攻め方が単調過ぎるんだよぉ!!」
「ぐあっ!?」
強引に盾からトマホークを引き抜きながら、ジノヴィは防具で守られている騎士の腹へとお構いなしに膝蹴りを叩き込んだ。腕に食い込んでいたトマホークも外れ、防具の破片と血飛沫が森の中に舞い散る。
傍から見れば、ジノヴィの攻撃は大剣を振り回しているだけに見えるだろう。しかし、単調な攻撃の中から唐突にフェイントに変更したり、彼の戦い方が単調だと決めつけている敵の裏をかくため、唐突に変化する彼の戦い方に対応するのは困難である。
そう、彼の攻め方はかなり複雑なのだ。
「き、貴様………! そんな剣術をどこで学んだ………!?」
「俺の一族だ。幼少の頃、先輩の戦士に何度も殺されかけながら死に物狂いで学んだ」
敵よりも弱ければ、死ぬしかない。
幼少の頃のジノヴィを守ってくれる者は存在しなかった。母や父親ですら、彼を守ってくれない。だから、生き延びるためには強敵ですら殺すほどの力を手に入れる必要があった。
生き延びるために手にした剣術なのである。騎士団で習うような”人を守る剣術”ではなく、”敵を殺して生き延びる”ための剣術なのだから。
ホルダーから素早くエリクサーを取り出し、左腕の傷を回復させる騎士。瓶の中の液体を飲み干した瞬間に、左腕の傷から流れ落ちていた鮮血がぴたりと止まる。
その直後、またしてもジノヴィが騎士に向かって肉薄した。
(またタイミングをずらすつもりか………!?)
息を飲みながら、騎士は剣を構える。
先ほどは剣を振り下ろした直後にタイミングを狂わせられたせいで、刀身ではなく鍔が肩に命中した。その一撃を除けば、彼はまだジノヴィに一撃も攻撃を命中させていない。
不利なのは自分の方だった。
ジノヴィの方が、自分よりもはるかに実戦を経験しているというのは戦い方や剣の振るい方で分かる。ジノヴィの剣術は訓練で学んだような剣術ではなく、強敵と死闘を繰り広げて身に着けた実戦向きの剣術だ。
騎士団の教本に乗っている剣術よりも、より”殺し合いに向いた”剣術。
対抗するためには、騎士団の訓練や教本で学んだ剣術を捨てなければならない。しかし、学んだことを捨てるという事は、人を守るために学んできた剣術そのものと自分の正義感を否定することを意味する。
それを捨てることを躊躇している間に、ジノヴィは再び接近していた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
雄叫びを上げつつ、剣を左から右へと振り払って反撃する。
ジノヴィは一瞬だけ目を見開き、振り回そうとしていたトマホークを上げてその一撃をガードする。だが、いくら重い大剣を易々と振り回せるほどの腕力を持っていたとしても、相手が全ての体重を乗せて薙ぎ払った剣術を、攻撃を中断して咄嗟にガードした片手の力だけで受け止めることは流石のジノヴィでも不可能であった。
ガギン、と金属音が響き渡り、トマホークが森の中を舞う。
(もらった!!)
今度こそ、ジノヴィは丸腰だ。
腰のホルダーにはまだ1本のトマホークが収まっているが、それを引き抜くよりも先に一撃を叩き込むことはできる。
しかし――――――トマホークを弾かれたジノヴィが手を伸ばした方向をちらりと見た彼は、凍り付く羽目になった。
先ほどジノヴィが投擲した大剣が、ジノヴィのすぐ近くの地面に突き刺さっていたのだ。
全体重を乗せた一撃でトマホークを弾き飛ばされたのは、想定外ではなかったのである。
先ほど投擲した得物を拾うために、わざとトマホークを吹き飛ばされたと見せかけ、利き手を”空ける”ためだったのだ。
地面から大剣を引き抜き、そのまま柄を引っ張りつつ騎士の腹に思い切り叩きつけるジノヴィ。止めを刺すために剣を振り上げていた騎士の腹へと、まるで強烈なボディブローのように牙を剥いたその一撃を喰らった騎士は、右手から剣を落とし、腹を押さえる羽目になった。
「うぐ…………っ!」
戦闘不能になった騎士の首筋に、大剣の冷たい刀身が付きつけられる。
「俺の勝ちだな」
「…………」
「殺されたくなかったら、アーサーの爺さんの所に案内しろ」
睨みつけてくる騎士を見下ろしながら、ジノヴィはニヤリと笑った。




