アルビオン王国
草原の向こうに、巨大な防壁が屹立している。
草原や森には危険な魔物が生息しているため、他の国や街へと移動している最中の商人が襲われたり、魔物の群れが街や村を襲撃するのは珍しい事ではない。そのため、大昔から人々は巨大な防壁を街の周囲に建造し、魔物の襲撃から身を守ってきたのである。
だが―――――――ジノヴィとジャンヌの目の前に鎮座するその巨大な防壁が守っているのは、街や村ではなく、”国”であった。
そう、その防壁は大国の国境に建造されているのである。
防壁の高さは、ジャンヌやジノヴィが訪れた中間地帯の街の防壁の3倍以上だろう。トロールやゴーレムの群れが突進しても微動だにしないほどの分厚い防壁の表面には、無数の魔法陣や複雑な記号がこれでもかというほど描かれているのが見える。攻め込んできた敵国の魔術師が魔術を叩き込んできても耐える事ができるように、対魔術用の結界を展開させているのだ。
防壁の上には防具に身を包んだ騎士たちや大砲の砲手たちが待機しており、彼らの傍らには大砲の巨大な砲身がずらりと並んでいるのが見える。入り口の門には盾と槍を手にした騎士たちが何人も並んでおり、門を通過しようとする商人や旅人たちの持ち物をチェックしていた。
「こ、ここが『アルビオン王国』ですか………!」
「ああ。目的地はここの王都『キャメロット』だ」
アルビオン王国は大国のうちの1つである。積極的に他国を侵略し、領土を拡大しようとするアートルム帝国のように他国への侵略は一切行わず、古代遺跡から古代の技術の発掘や解析を最優先にしている国家である。騎士団の物量はアートルム帝国ほどではないものの、一人一人の実力ではアートルム帝国を圧倒している上に、遺跡から発掘した古代技術を騎士たちの装備に転用しているため、騎士団の戦力は非常に強力と言われている。
もしアートルム帝国と戦争になれば、アートルム帝国はアルビオン王国に惨敗する羽目になるだろう。それゆえに、アートルム帝国はこの王国には絶対に戦争を仕掛けようとはしない。
この防壁が屹立している位置も、アルビオン王国が建国された当時から全く変わっていないという。
「貴様、この荷物はなんだ?」
ジャンヌと一緒に門の入り口に並んでいる旅人や商人の後ろに並ぼうとしていると、騎士たちに荷物を検査されていた商人が、白銀の鎧を身に纏った騎士たちに問い詰められていた。
「や、薬草だよ! 国内の雑貨店に売りに行く予定だったんだ!」
「嘘をつくな! これは麻薬じゃないか!!」
「どこで手に入れた!?」
「し、知らない!」
「こっちに来い! 貴様には取り調べを受けてもらう!!」
「は、離せぇぇぇぇぇぇっ!!」
中年の商人が、数名の騎士に取り押さえられて検問所の中へと連れて行かれるのを見ていたジャンヌは、ぎょっとしながらジノヴィの顔を見上げた。
「ず、随分と厳重ですね」
「ああ。最近はアルビオン王国内に麻薬を持ち込むバカが多いらしいからな。俺たちはそんな物持ってないから問題ないだろ」
「あの、私ハーフエルフなんですけど迫害されたりしませんよね?」
「アルビオン王国は種族を差別するようなことはない。王国では種族、宗教、文化などの差別は違法だからな」
「そうなんですか?」
「ああ。そんなことしたら憲兵に財産の半分を没収される」
安心しながらもう一度騎士たちの方を見渡すジャンヌ。騎士たちの中には兜を身に着けずに取り調べをしている騎士も見受けられたが、その騎士の頭髪の中から長い耳が伸びていることに気付いたジャンヌは、その騎士を凝視しながら安堵していた。
そう、人間以外の種族も騎士団に所属しており、同じように仕事をしているのである。
やがて、彼女たちの前に並んでいた旅人の荷物の検査が終わった。荷物を受け取って門の内側へと歩いて行く旅人に「お気を付けて」と言いながら手を振っていた騎士が、その旅人の後ろに並んでいたジャンヌやジノヴィの方を振り向く。
「では、荷物をこちらへどうぞ。調べさせていただきます」
「ど、どうぞ」
「ほらよ」
食料や回復アイテムの入っている荷物を騎士に渡すと、その騎士の後ろに待機していた数名の騎士たちが、中身を調べ始めた。当たり前だが、ジャンヌやジノヴィの持ち物は他の冒険者や傭兵とそれほど変わらない。敵と戦うための武器や回復アイテムくらいである。
案の定、2人の持ち物は回復アイテムや食料くらいであった。身に着けていた武器も調べられたものの、2人が装備している槍や大剣は何の変哲もない武器である。
「検査が完了しました。通っても良いですよ」
「ありがとうございました」
「どうも」
荷物と武器を受け取った2人は、まるで分厚い防壁に穿たれた風穴のような門の中へと向かって歩き出した。防壁の内側に入るための門というよりはトンネルのようである。天井には大型の照明がいくつか設置されており、左右にある壁には盗賊や麻薬カルテルのリーダーの似顔絵と賞金の金額が書かれた紙が所狭しと張り付けられていた。
門の内側にも、同じように騎士団の検問所があった。こちら側の検問所では”国外へと出る商人や旅人”の持ち物を検査しているようだった。ジャンヌはまた持ち物検査を受けなければならないのかと思いつつ荷物を差し出す準備をしたが、さすがについさっき荷物の検査を受けたばかりの旅人はもう一度荷物の検査を受ける必要はなかったらしく、剣を腰に下げた若い騎士に「では、お気を付けて」と挨拶されただけであった。
溜息をつきながらジノヴィの顔を見上げるジャンヌ。ジノヴィは苦笑いしながら彼女の顔を見下ろすと、ニヤリと笑ってから先ほど通過した検問所の方を振り向く。
「お前、他人に持ち物を見せるのが好きなのか?」
「ち、違います! また検査を受ける必要があるのかと思っただけです!」
「そうか。俺に聞けばよかったのに」
「し、知ってたんですか?」
「ジャンヌ、俺は傭兵だぞ? 今までいろんなところで戦ってきたんだ」
「ということは、この国に来たこともあるってことですか?」
「おう」
検問所の方を眺めながらジノヴィが返事をすると、ジャンヌは「教えてくださいよ………」と呟いて顔を赤くしながら、足元を見下ろした。
「それにしても、あんなに厳重に持ち物検査をしているのですから、この国は中間地帯と比べると安全そうですね」
2人が今まで立ち寄ってきた中間地帯の街では、先ほど通過した検問所よりもはるかに小規模な検問所があるか、数名の門番が立っているだけであった。中間地帯の街には自警団の団員たちが駐留しているものの、騎士団のようにしっかりとした訓練を受けているわけではないため、魔物や盗賊団によって街が襲撃された場合は街を守り切れないことも珍しくない。
それゆえに、中間地帯よりも大国の領土内の方が安全なのだ。もし魔物や盗賊が街を襲撃しても、すぐに百戦錬磨の騎士団が最寄りの駐屯地から駆け付けてくれるのだから。
あれだけ厳重に入国する者の持ち物検査を行っているのだから最も安全な国に違いないと思いながらジャンヌは尋ねたが、ジノヴィは首を縦に振らなかった。
草原の向こうを見つめながら、まるで草原の向こうに展開する敵兵の群れを見つめるかのように目を細めるジノヴィ。ジャンヌの話を聞いていなかったというわけではなく、首を縦に振れるほど治安が良いわけではないのだという事を察したジャンヌは、拳を握り締めながら草原の向こうを見渡す。
アルビオン広告ではもうすぐ春になるからなのか、草原の中には様々な色の花が咲きつつあった。
「…………まあ、草原で野宿してる最中に魔物が襲ってくる事はねえよ」
咲いている真紅の花を見つめながら、ジノヴィが言った。
夜間の森へと足を踏み入れた傭兵の平均的な生存率は、たった7%であると言われている。
基本的に、魔物たちが狂暴化するのは夜間だ。更に夜行性の魔物も姿を現すため、夜間の森の危険度は昼間の森の比ではない。それゆえに、熟練の傭兵でも夜の森に足を踏み入れるのは避けている。
夜の森は非常に暗い。更に、周囲に巨大な樹や植物が乱立しているため、槍や大剣のような得物では非常に戦いにくい。元々片手用の剣やサーベルを使っている傭兵では問題はないが、周囲を照らすために片手には松明やランタンを持たなければならないため、夜間の戦闘は必然的に片手が塞がってしまう。
魔物がより危険になるだけではなく、自分も万全の状態で迎撃できなくなってしまうのだ。
それゆえに、森は夜になる前に通過するのが鉄則であり、日没前に森を抜けられない可能性が高い場合は通過を諦め、森から離れたところで野宿をするのが望ましい。
段々と橙色になりつつある空を見上げながら、ジャンヌはポーチの中から地図を取り出した。ジャンヌとジノヴィが歩いている森は、ジャンヌの出身地であるアネモスの里の周囲にある森と比べると樹はそれほど高くない。面積もアネモスの森と比べると小さいため、通過するのは簡単である。
実際に、大昔――――――里の老人たちが若い頃の話であるため、500年以上前だ――――――は良質な木材を手に入れるため、アルビオン王国から派遣された使者や商人がアネモスの里を訪れ、長老たちと木材を購入する交渉を行っていたという。
現在では木材よりも鉄鉱石の方が価値が高くなってしまったため、観光以外にアネモスの里を訪れるアルビオン王国の人間はいなくなってしまったが。
「もう少しで日没ですね」
「ハーピーを追いかけ回している場合じゃなかったな」
隣を歩きながら焼いたハーピーの肉に噛みつくジノヴィを見たジャンヌは溜息をついた。
本来であれば、空が橙色に染まり始めるころにはもう森の反対側へと到達し、近くにある村で宿を探している予定であった。だが、森に入る前に休憩中のハーピーの群れを見たジノヴィが、食料を補充しておくべきだと言ったため、森に入る前にジャンヌの戦闘訓練も兼ねてハーピーの群れと戦う羽目になったのである。
「あと20分くらい歩いていれば森を抜けられそうです」
「おー、それは良かった。ほら、食っとけ」
「いりませんよ」
「もったいねえなぁー」
ジャンヌに渡そうとしていたハーピーの肉を口へと運びながら、ジノヴィは背負っていた大剣の柄を掴んだ。
まだ夜になっていないとはいえ、段々と暗くなりつつある。魔物の凶暴化や夜行性の魔物の徘徊が始まってもおかしくはない時間帯だ。だからこそ、いつでも迎撃できるように準備を始めたのだろう。
ハーピーの骨もろとも焼いた肉を噛み砕き、付着した油を服で拭い去ってから大剣を引き抜くジノヴィ。ジャンヌも地図を折り畳んでからポーチの中にしまい、背負っていた槍を準備する。
おそらく、日が沈む前には森を通過する事ができるだろう。
しばらく森の中を歩いていると、後ろから馬の蹄の音が聞こえてきた。大慌てで森を通過しようとしている商人だろうかと思いながら振り向いたジノヴィは、その馬に乗っている男の服装と装備を見て目を細めた。
2人の後ろから凄まじい速度で走ってきた馬に乗っているのは、純白の防具に身を包んだ騎士だった。腰には同じく純白の鞘に収まった剣を下げており、左手には相手の剣を受け止めるための小型の盾らしきものを装着している。その盾に描かれているのは、アルビオン王国騎士団のエンブレムである。
馬に乗ったその騎士は、森の中を歩いている2人の脇をすさまじい速度で通過したかと思うと、唐突に馬を立ち止まらせてから飛び降り、大剣を肩に担ぎながら歩いているジノヴィを睨みつけた。
「止まりなさい、そこの盗賊」
「え?」
「ん?」
ぎょっとしながらジャンヌはジノヴィの顔を見上げる。確かにジノヴィが身に纏っているのは狼の毛皮で作った服であり、首には昔に自分が狩った狼の牙で作った首飾りを下げている。盗賊団のメンバーと勘違いされてもおかしくない服装である。
そのような荒々しい服に身を包んだ巨漢が、ジャンヌのような華奢な美少女の隣を大剣を肩に担ぎながら歩いていれば、少女をアジトへと連れ帰ろうとしている盗賊には見えるかもしれない。だが、もし本物の盗賊であれば少女の手足を縛らずに歩かせることはないし、日が沈みつつある時間帯に森の中を歩いていることはない。
だが、目の前で馬から降りた若い騎士はジノヴィの事を盗賊だと思い込んでいるらしく、剣を鞘から引き抜きながら叫んだ。
「その少女を離しなさい! 今すぐに少女を開放して武器を捨てれば、罪は軽くしてあげましょう」
「…………あ、あの、この人は私の護衛なのですが………」
ジャンヌが苦笑いしながら騎士に言った。
「怖がらないでください、お嬢さん。その盗賊に話を合わせるように強要されているのでしょう。今すぐ助けて差し上げます」
「強要してねーんだけど」
「黙れ! これが最後通牒だ、今すぐ彼女を離しなさい! さもなくば――――――ここで貴様を斬る!」
「…………ジャンヌ、勘違いされてるのって服装のせいか?」
「うーん、次の街で新しい服を買った方がいいかもしれませんね………」
「そうかぁ………」
頭を掻きながら溜息をつき、肩に担いでいる大剣をそっと下ろしながら一歩前に出る。ゴブリンを容易く踏みつぶせるほどがっしりとした足が大地を踏みしめた途端、一瞬だけ猛烈な殺気が目の前に立ち塞がった騎士に牙を剥いた。
「ま、待ってくださいジノヴィ! 彼の誤解を解いた方が――――――」
「人を盗賊だと決めつけてるんだったら、証拠を見せても誤解は解けねえよ」
止めようとするジャンヌを見下ろして微笑んでから、大剣の柄を両手で握る。得物の返り血で赤と白の迷彩模様と化した布が巻き付けられている柄を握り締めながら大剣を構えたジノヴィは、先ほど発した殺気にあまり怯えていない騎士を見つめながらニヤリと笑う。
今の殺気で怯えている程度の相手であれば、実力差があり過ぎるという事だ。そういう相手の時は全く勝負にならないのだが、殺気に全く怯えていないという事は、少なくとも瞬殺されない程度の実力を持っている相手だという事を意味する。
(食後の運動には丁度良さそうだ)
純白の防具を身に纏った騎士も、剣を構えながら姿勢を低くする。
「ジャンヌ、服の件だが――――――買い替えるかどうかは、あいつをぶちのめしながら考えるわ」
そう言った直後、ジノヴィは大剣の切っ先を地面に擦りつけながら騎士へと突進していった。




