気高さの違い
中間地帯は、大国の間に広がる地域である。大国の介入を拒んで独立を維持することを認められる代わりに、大国に利益が出る条約を結んだり、その土地で採掘できる資源を優先的に大国へと提供することによって、大国からの侵略を受けずに独立しているのだ。
中間地帯に存在する街は、元々は大国の周囲に存在する小国たちであった。しかし、大国が強力な騎士団を出撃させて各地の国や村を侵略して領土を広げ始めると、小国たちは二つの選択肢を選んだ。
一つは自国の軍事力をフル活用しつつ、周囲の小国と同盟を結んで大国と戦う事であった。しかし、大国の騎士団の物量や豊富な魔術師たちの猛攻によってあっという間に騎士団や戦士たちを蹂躙され、最終的には無条件降伏を行って大国の領土の一部となってしまうのが関の山であった。
もう一つは、自国への侵略を防ぐために大国と条約を結び、資源の提供や利益の出る条約を結ぶ代わりに独立を承認する事であった。この後者の選択肢を選んで蹂躙されずに済んだ小国たちが、現在の中間地帯となっているのである。
ジノヴィの隣を歩いていたジャンヌは、今まで訪れた街とは建築様式が異なる建物を興味深そうに見上げた。壁は他の街で目にした建物と同じくレンガで作られているものの、屋根は丸みを帯びているのである。
おそらく、大国に占領されずに済んだ小国の伝統的な建築様式なのだろう。
大通りにある露店からは、稀に聞き覚えのない言語も聞こえてくる。小国だった中間地帯の公用語だった言語なのだろうか。
「回復アイテムとか食料は大丈夫か?」
「ええ」
エリクサーを販売している露店をちらりと見てから、彼女の隣を歩くジノヴィが問いかける。治療魔術を使う事ができる治療魔術師がパーティーにいるのであれば、すぐに仲間に回復してもらう事ができるため、最悪の場合はエリクサーを所持しなくても―――――万が一のために所持しておくのが望ましい―――――問題はない。だが、治療魔術師は非常に数が少ない上に、魔術師になれるか否かは生まれつき体内にある魔力の量で決まってしまう。そのため、魔力の量が少ない人間は初歩的な魔術を習得するのが精いっぱいであり、魔術師となるのは不可能である。
それゆえに、治療魔術師のいないパーティーや単独行動をする傭兵たちにとっては、魔術を使わなくても傷口を治療できるエリクサーは生命線と言っても過言ではなかった。この回復アイテムが発明されたことにより、各地の騎士団や冒険者たちの生存率は爆発的に高められたのである。
売店で売られているエリクサーを見てから、ちらりと自分のエリクサーを確認する。まるで試験管のようなガラス製の容器に入っている緑色の液体は、少しばかり減っているものの、補充が必要なほど消費しているわけではない。
草原を移動している最中に、ゴブリンに爪で切り裂かれた掠り傷を治療するのに一口飲んだ程度である。
(これならば補充は不要ですね)
歩きながら、他のアイテムも確認しておく。食料はまだ余裕があるし、草原を移動している最中に仕留めたゴブリンの肉―――――ジノヴィからとっておくように言われたものだ―――――も残っている。攻撃に使用する投げナイフも使っていないため、補充の必要はない。
このままこの街を素通りしてもいいだろうと思ったジャンヌは、顔を上げてジノヴィの顔を見上げた。彼は既に補充が必要なアイテムは特にないという事を確認していたらしく、ジャンヌのようにポーチやアイテムのホルダーの中をチェックする様子はない。
「この街は素通りしてもよさそうですね」
今の時刻はまだ午前9時頃である。この街をすぐに出発したとしても、日が暮れる頃には徒歩でも次の街には到着している事だろう。仮に途中で魔物と遭遇する羽目になったとしても、瞬殺して移動を再開する事ができる筈である。
この街の反対側は森になっており、次の街はその森の中にあるという。
「素通りするなら急ぐぞ。夜の森はかなり危険だからな」
「ええ」
基本的に、夜になると魔物は凶暴化すると言われている。更に暗闇での戦闘となるため、非常に索敵が難しくなる上に、視界を照らすためのランタンや松明を片手に持ちながら戦わなければならなくなるため、必然的に片手で凶暴な魔物と戦わなければならなくなってしまうからだ。
優秀な魔術師であれば、光属性の魔術で周囲を照らしながら強力な魔術で魔物を蹂躙できるが、強力な魔術を使えない剣士たちからすれば、夜間に魔物と戦うのは非常に危険な行為であった。
剣は手で握って振るう武器であるため、片方の手が使えなくなるだけで振るう速度や威力に悪影響が出てしまうためである。
ジノヴィならば平然とツヴァイヘンダーを片手で振り回しそうだが、今まで一人で戦ってきたからこそ、夜間に魔物と戦う事を避けようとしているのだろう。
それに、森の中に生息する魔物は草原で遭遇する魔物よりも危険な魔物が多い。森の中には剣を容易く弾き飛ばす外殻を持つアラクネや、ドラゴンを殴り殺して捕食できるほどの腕力を誇るトロールも生息しているのである。
アネモスの里を襲ったトロールたちの事を思い出しながら、ジャンヌは息を呑んだ。
昼間だったからこそ、トロールの位置や攻撃を把握して討伐する事ができたものの、夜になってさらに暗くなった上に遮蔽物の多い森の中で、片方の手にたいまつを持っているせいで片手しか使えない状態でトロールと遭遇すれば、生存するのはほぼ確実に不可能だろう。
それゆえに、この街を素通りしていくのであれば、夜になる前に次の街へと到着することが望ましい。
「馬があれば夕暮れ前には着くんだがな」
「そうですねぇ………」
このような街では、自警団に申請すれば馬を借りる事ができる。価格はそれほどではないので、住民たちは隣の街に買い物へ行く場合などに借りてよく利用するらしいが、途中で魔物に襲われ、借りた住民もろとも馬が戻って来ないことは珍しくないという。
できるならば借りていきたいところだが、ジャンヌたちはこの街の住人ではないため、借りた馬をここまで”返しに”来るわけにはいかない。それゆえに目的地まで徒歩で移動するか、たまたま同じ方向へと向かう商人の馬車に乗せてもらうしか移動手段がなかった。
魔術の中には一瞬で移動できる”転移魔術”と呼ばれる魔術も存在するのだが、転移魔術は非常に大量の魔力を消費する上に、習得する難易度も非常に高いため、数が少ない魔術師の中でも使用する事ができる者は少ないという。
馬に跨って街の出口へと向かっていく住民を見つめながら、ジャンヌは溜息をついた。馬を”購入”するのが望ましいのだが、自警団は馬の販売は行っていないし、仮に馬を販売している商人がいたとしても価格は非常に高い。資金に余裕があるとはいえ、馬を購入すれば資金の大半を消費する羽目になるのは火を見るよりも明らかであった。
すると、ジャンヌの隣を歩いていたジノヴィが、急に建物の近くで止まっていた馬車に乗ろうとしている男性に向かって歩き出した。どっさりと積み荷が積まれた馬車に乗ろうとしていた中年の男性を呼び止めたジノヴィは、その男性と話を始める。
おそらく、その男性がこれから向かう目的地の場所を聞いているのだろう。もし森のある方向へと向かうのであれば、一緒に乗せてくれるように交渉するつもりに違いない。
ジャンヌもその男性の方へと歩いていくうちに、ジノヴィはポケットから革で作られた財布―――――魔物の革で作られている―――――を取り出し、中から銀貨を10枚ほど取り出して商人に手渡した。
「おお、こんなにいっぱい払ってくれるのかね?」
「2人分だ。こっちこそ、こんなに積み荷があるのに乗せてもらえるんだからな」
「悪いねえ。さあ、出発だ。荷台に乗りな」
「だってさ、ジャンヌ」
「えっ、もう交渉終わりですか?」
「おう」
そう言いながら、ジノヴィは荷台の上に乗りこんで木箱の上に腰を下ろした。ジャンヌも荷台の上によじ登り、大きめの樽―――――おそらく酒が入っておるのだろう―――――の隣へと腰を下ろす。
冒険者が別の街へと移動する際に、商人の荷馬車に乗せてもらって移動することは珍しくはない。馬を持っていない冒険者からすれば、徒歩よりも遥かに速く目的地に到着する事ができるし、戦う事ができない商人からすれば護衛として機能する冒険者を格安で雇う事ができるため、お互いに大きなメリットとなるのである。
馬の鳴き声が響き、2人を乗せた荷馬車がゆっくりと街の門の方へと走り始める。武装した自警団が警備する街の門を通過すると、商人は馬車をどんどん加速させ始めた。
「そういえば、どうしてあんなに銀貨を渡したんです?」
蹄の音を聞きながら尋ねると、ジノヴィはポーチから取り出したゴブリンの肉を食い千切りながら答えた。
「信用してもらうためさ。冒険者の中には、乗せてもらってるにもかかわらず金を払わなかったり、どさくさに紛れて積み荷を盗む礼儀知らずのクソ野郎がいる。商人の中にはそういうバカを警戒して、冒険者を乗せない奴もいるのさ。だから信用してもらうためにちょっとばかり多めに支払っといた」
「そ、そんな人たちがいるんですか?」
「ああ。昔一緒に仕事したパーティーの中にも、商人が運んでる高価な品物を盗んで逃げようとしたバカがいた」
「その人はどうしたんです?」
手に持っていたゴブリンの肉を全て口の中へと放り込み、硬いゴブリンの肉を噛み砕いてから飲み込むジノヴィ。水筒を拾い上げて水を一口だけ飲んだ彼は、口元についている水滴を拭い去ってからニヤリと笑った。
「ぶん殴って気絶させてから、森の中に置き去りにしてきた」
「えぇ!?」
「数分後に断末魔が聞こえてきたから死んだんじゃないか?」
「ぱ、パーティーの人は咎めなかったんですか!?」
「一匹狼の寄せ集めだったから誰も咎めなかった。傭兵ってのは報酬さえ手に入れば仲間を切り捨てることもあるからな」
そう言いながら、ポーチからもう一つゴブリンの肉を取り出すジノヴィ。ジャンヌはゴブリンの肉を食い千切るジノヴィを見つめながら呆然とするのだった。
「ありがとな、おじさん」
「おう、こっちこそありがとう。死ぬんじゃないぞ」
「ありがとうございました!」
ぺこりと頭を下げると、ここまで乗せてきてくれた商人の男性は2人に微笑みながら手を振り、街の大通りの向こうへとゆっくりと馬車を走らせていった。
森の中に作られた街は、アネモスの里を彷彿とさせる建築様式の建物が多い。周囲の森で豊富な木材が確保できるからなのか、レンガで作られた建物は殆ど見受けられず、木材で建てられた建物が大半である。とはいっても、大国と対立することを選んだアネモスの里とは違って、大国に資源を提供する代わりに独立を維持したからなのか、大通りには魔力の光を証明代わりにする街灯が木製の柱に吊るされており、大通りの道も板で舗装されている。
アネモスの里に大国の技術を取り入れ、規模を大きくさせたような場所だ。
街並みを見つめながら、ジャンヌは目を細める。
もしアネモスの里も大国との対立を選ばず、この街のように資源や利益の出る条約を結んで独立を維持していれば、もっと里の住民たちの暮らしは豊かになったのではないだろうか、と。
すると、ジノヴィが大きな手をジャンヌの肩の上に置いた。
「ジャンヌ、屈するのと立ち向かうのは違うぞ」
「ジノヴィ………」
屈するのと立ち向かうのは違う。
この街は独立を維持するために、大国とは戦わず、資源を差し出して”見逃してもらう”事を選んだ。しかし、アネモスの里は大国と戦う事を選び、小規模な里でありながらも大国の騎士団を何度も撃退している。
資源を差し出して屈した町と、強大な敵との戦いを続けている里のどちらが気高い存在であるかは言うまでもない。
「さあ、宿でも探そう」
「ええ、そうしましょう」
頭上に広がる巨大な樹の枝の向こうには、夕日で橙色に染まった空が居座っている。夕日は段々と黒ずみ始めており、日没まで時間がないという事を告げていた。
宿を探すために2人が歩き出したその時だった。
「――――――なんだとコラぁ!?」
男性の怒号が聞こえてきたかと思うと―――――近くの建物の壁が弾け飛び、その中から顔面から血を流した太った男性が姿を現したのである。その男性は呻き声を発しながら板で舗装された大通りの上に叩きつけられると、血を拭い去りながらゆっくりと立ち上がった。
「や、やめろ! この金額で十分だろうが!」
怯えながら男性が叫ぶ。すると、今しがた男性が突き破った穴の向こうから、言い争いをしていたもう1人の男性が姿を現す。
身長はジノヴィとほぼ同じくらいだろうか。彼と同じく身体中が筋肉で覆われていて、アイテム用のホルダーの付いたズボンと灰色のタンクトップに身を包んでいる。傍から見れば露店の店主を思わせる姿だが、ホルダーの中には回復用のエリクサーやナイフが収まっており、傭兵や冒険者であることを告げていた。
頭髪の色は茶髪で、眉間には傷跡がある。仕事の最中に負ったのだろうか。
その男性は指を鳴らしながら太った男性に近付いていくと、逃げようとする男性の胸倉を掴み、もう片方の拳を握り締める。
「ふざけんなよデブ。アラクネ討伐の最中にキングアラクネが出てきたんだぞ? お前、キングアラクネは出ないって言ったよな? ついでにキングアラクネも倒してきたが、報酬は最初に言った金額のままだとぉ!? 話が違う上に報酬を増額しねえってどういう事だコラぁ!? 肉をバラバラにして肉屋に売るぞ、この豚野郎がッ!」
「ひ、ひいっ! わ、分かった! 報酬はば、倍にするからっ!」
「…………それでいい」
クライアントと思われる男性から手を離した傭兵は、近くに立っている街灯をブーツで思い切り蹴飛ばしてから、息を吐いて踵を返す。
ジャンヌは目を見開きながら、その男性を見つめた。
「じ、ジノヴィ…………」
「傭兵とクライアントのトラブルだろ。そういう事は珍しくない」
仕事の最中に、攻撃目標ではない魔物が乱入したことによって、傭兵がクライアントに報酬の増額を要求することは珍しい事ではない。傭兵にとってはクライアントからの情報は自分の命を左右するため、基本的に情報が誤っていた場合はクライアントが報酬を増額し、傭兵に謝罪するのが理想的と言われている。
しかし、中にはその報酬の増額を拒否し、傭兵とトラブルになってしまう事も多いのだ。
何度もそういうトラブルを見てきたジノヴィは、うんざりしながらその傭兵の方へと歩き始めた。建物の中へと戻ろうとしていた傭兵は、街の入口の方から歩いてくる巨漢に気付いて目を見開く。
ジノヴィはニヤリと笑いながら、その傭兵に言った。
「――――――――久しぶりだなぁ、『ライノ』」




