世界最強の傭兵一族
呼吸を整えながら、使い続けている大剣の柄を握り締める。柄に巻き付けている黒い布は手汗と返り血のせいで湿っており、鮮血と汗と泥の臭いが混ざり合った強烈な臭いを発している。
全く装飾が施されていない漆黒の刀身も、同じように泥と鮮血で濡れていた。刀身の先端部には切り裂いた敵兵の小さな肉片がこびり付いており、刃の一部は敵が身に纏う防具もろとも強引に切り裂いたせいで摩耗し、変色していた。
左手で顔に付着した返り血を汗もろとも拭い去り、飛び掛かってくる敵兵を睨みつける。雄叫びを上げながら飛び掛かってきた敵兵が剣を振り下ろすよりも先に、ジノヴィは前傾姿勢になりながら前方へと走り出す。飛び掛かってきた敵兵の真下を通過した彼は、銀色の鎧に身を包んでいる敵兵が剣を空振りしながら着地すると同時に身体を思い切り回転させ、遠心力の恩恵で破壊力を増した大剣を敵兵の後頭部へとぶちかました。
ガチン、と兜が砕け散る金属音が轟き、兜の残骸と共に敵兵の肉片や脳味噌の一部が舞い上がる。頭を切断され、脳味噌の破片や鮮血を巻き散らしている敵兵の死体を思い切り蹴飛ばしたジノヴィは、脳味噌の一部が付着した自分の剣を見下ろしてニヤリと笑った。
(足りねえ)
敵が弱すぎるせいで、全く楽しめない。
ジノヴィの一族は、大半が傭兵となっている。だが、ジノヴィの同胞たちが傭兵として戦う理由は、クライアントから支払われる報酬で一族の仲間たちを養うためではない。
彼らが傭兵として戦場に行く理由は―――――――戦いを楽しむためであった。
大量の金貨を手に入れるためではなく、錆び付いた剣の臭いや敵兵の鮮血の臭いが支配する戦場で、敵兵と命懸けで戦うために、彼らは傭兵になるのだ。
血まみれのツヴァイヘンダーを引きずり、地面に禍々しい線を刻み付けながら、盾を構えながら応戦しようとする敵兵の隊列を睨みつける。剣が地面を削る音を聞きながら、ゆっくりと接近してくるジノヴィを睨みつける敵兵たちの顔を見据えた彼は、溜息をついてから加速した。
この依頼を引き受けたことによって戦うことになった敵の中に、ジノヴィを満足させてくれる敵はいない。
大きな金属製の盾を構えている敵兵の1人に肉薄したジノヴィは、姿勢を低くした状態で、引きずっていたツヴァイヘンダーを右斜め下から思い切り振り上げた。地面に禍々しい線を刻み付けるという仕事を終えた獰猛なツヴァイヘンダーが騎士の持っている盾を直撃し、大きな金属音を奏でる。
普通の剣ならば、盾に弾き返されるのが関の山だろう。しかし、金属音が残響へと変貌していくよりも先に、一瞬だけ盾の表面で火花が煌いた。
漆黒の刀身が、分厚い金属製の盾を容赦なく切断していく。盾を切断されていることに気付いた兵士がぎょっとしながら右手を上げ、持っている剣で受け止めようとするが、盾を慌てて投げ捨てた彼の剣がジノヴィの剣を受け止めるよりも先に、思い切り振り上げた獰猛な一撃が敵兵の顔面を一足先に切り裂くのは火を見るよりも明らかだった。
案の定、白銀の剣がジノヴィの大剣を受け止めるよりも先に、鮮血と両断された眼球が飛び散る。兜を容易く粉砕し、右側の頬と左目を切り裂かれた敵兵が、鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちていく。
もし強敵だったのならば、自分たちの盾でジノヴィの剣戟が食い止められないことを悟り、ジノヴィが接近してきた時点で盾を投げ捨てて身軽になっていただろう。防御力が機能しないのであれば、敵の攻撃を回避するしかない。
盾を捨てて攻撃を回避するという選択肢を選ばなかった時点で、敵兵は三流だと判断したのである。
それゆえに、ジノヴィは失望していた。
強敵と戦いたいのになぜ未熟な敵と戦わなければならないのだろうか、と。
敵兵が手を離した白銀の剣を左手で掴み、隣でぎょっとしている敵兵の顔面に突き立てる。仲間が手にしていた剣で頭蓋骨もろとも脳味噌を貫かれた敵兵は、鮮血を噴き上げながら崩れ落ちた。
再び姿勢を低くしながらぐるりと回転し、遠心力で切れ味を底上げした強烈な斬撃で2人の敵兵の首を切り裂く。狼の毛皮で作った服が返り血で真っ赤に染まったのを見たジノヴィは、ニヤリと笑ってから雄叫びを上げた。
瞼を開け、頭を掻きながら目の前にある緋色の炎を見下ろす。クライアントの依頼を受けて向かった戦場で目の当たりにした業火よりもはるかに小さな炎が、木の枝に喰らい付きながら小さく燃え上がっている。
焚火の傍らには、以前に購入したキンジャールの刀身を眺めている金髪の少女が座っていた。すぐ隣には2mの槍―――――彼女が里から持ってきた得物である―――――が置かれているのが分かる。
肩に抱えていた大剣の刀身を見つめながら溜息をつくと、焚火の近くで見張りをしてくれていたジャンヌが顔を上げた。
「ああ、起きたんですね」
「後はお前が寝ろ。俺が見張る」
「いいのですか?」
眺めていたキンジャールの刀身を鞘に戻しながら尋ねるジャンヌ。あくびをしながら首を縦に振ったジノヴィは、すぐ脇に置いてある木の枝を掴んで焚火の中に放り込み、舞い上がる火の粉を見つめながら答える。
「世界救済の前に、疲労で倒れるわけにはいかないだろ」
「そうですね………いつもすみません、ジノヴィ」
基本的に、夜中の見張りはジノヴィの仕事となっている。ジャンヌよりも実戦経験が豊富であるため、敵兵や魔物の気配ならば瞬時に察知して臨戦態勢に入る事ができる。もし盗賊が忍び寄ってきても、薄汚れたブーツが地面を踏みしめる音や気配を察知してジャンヌを起こし、返り討ちにすることもできるだろう。
それに、ジャンヌが安全なアネモスの里から旅に出たのは、彼女の持つ力でこの世界を救済するためである。使命を果たす前に疲労のせいで倒れてしまったら元も子もない。ジャンヌが力尽きるという事は、ジノヴィが引き受けた依頼が失敗するという事を意味する。
息を吐きながら袋の中に手を突っ込み、中に残っていたライ麦パンを引っ張り出したジノヴィは、ライ麦パンを咀嚼してから水筒へと手を伸ばした。
そっと立ち上がったジャンヌは、ジノヴィのすぐ隣にある樹の幹に寄り掛かり、焚火を見つめながら見張りを始めたジノヴィの顔を見上げる。
「何だ?」
「ジノヴィ、あなたはどうしてそんなに強いのですか?」
「あ? 何回も戦場に行ってるからだよ」
「どのような訓練を受けたのです?」
「年上の戦士と剣術の稽古をやってた。年下の奴らに剣術を教えることもあったが、子供の稽古の相手になってやるのは大人か長老に傭兵と認められた戦士たちの仕事さ。傭兵として認められる前の相手は、基本的に年上や格上の戦士ばっかりだった」
夜空を見上げながら、ジノヴィは布を巻いた大剣の柄を握り締める。
「アネモスの里でも同じです。私の稽古の相手も格上の戦士ばかりでした」
「ああ、見てたよ」
「えっ?」
ジノヴィと同じように夜空を見上げようとしていたジャンヌは、ぎょっとしながらもう一度ジノヴィの顔を見上げた。
アネモスの里を防衛するという依頼を引き受けていたジノヴィは、休憩時間中に何度かアネモスの里の中にある訓練場へと足を運んでいた。何度も強大な帝国との戦闘を繰り返して撃退し続けているアネモスの里の戦士たちの戦い方に興味があったため、何度か見学していたのである。
その時に、ジノヴィはジャンヌが他の戦士たちと稽古をするのを見たことがあった。
「み、みっ、み、見てたんですかぁっ!?」
「おう」
顔を赤くしながら焚火を見下ろすジャンヌ。そっとジノヴィの顔を見上げようとした彼女の傍らに水の入った水筒を置いて微笑んだジノヴィは、自分が訓練を受けていた時の事を思い出しながら言った。
「…………俺たちの一族の稽古は、かなり過酷だった」
「アネモスの里よりもですか?」
「ああ。俺たちの一族では、戦士の訓練に当たり前のように本物の剣を使う。格上の戦士たちは未熟な戦士たちの練習相手であり、傭兵に向いていない戦士を脱落させる”試験官”でもあった」
「試験官…………。脱落した方は多かったのですか?」
「――――――俺たちの一族では、脱落は死を意味する」
話を聞いていたジャンヌが目を見開いた。
普通の脱落であれば、戦士となることを認められないだけで済む筈である。しかし、ジノヴィの一族では、傭兵となって戦場で剣を振るう事が認められなければ死を意味するという。
ぎょっとしながら彼を見上げるジャンヌを、ジノヴィがまるで戦闘中のように真面目な表情で見下ろしてから告げる。
「戦士たちはな、訓練で相手を殺すことを認められていた。格下の戦士は、格上の戦士に殺されないように足掻くしかない。弱ければ年上に戦士たちに嬲り殺しにされ、墓に埋葬されて終わりだ」
「そんな………! ざ、残酷すぎます! 同胞を殺すなんて!」
「そうかもしれんが、力のない戦士が戦場に行くのも残酷な事さ。…………だから、俺は必死に格上の戦士たちと戦って生き延びた。俺たちにとって、戦場に出て強力な敵を倒すことは最高の名誉だ。逆に、敵に殺されることはどのような死に方だろうと最も無様な事とされている」
――――――戦場と全く変わらない。
ジノヴィの一族が住んでいた里で戦士たちが経験する訓練は、戦場と殆ど同じと言っても過言ではない。格上の戦士たちとの訓練を生き延びた者しか傭兵となることを許されず、生き延びる事ができなかった者は埋葬される。
常に格上との殺し合いをするからこそ、彼はこれほど強いのだ。
アネモスの里の戦士たちも、熾烈な訓練を受ける。しかしジノヴィが幼少の頃から続けていた訓練は、アネモスの里と比べ物にならないほど苛酷であった。
生温い訓練を受けていた事を痛感しながら、差し出された水筒を手に取るジャンヌ。真面目な表情になった彼女を見下ろしたジノヴィは、溜息をつきながら焚火の中に木の枝を放り込む。
「あなたの一族は、まだその訓練を続けているのですか?」
「いや、もうやってないよ」
村や部族を守る戦士たちは非常に貴重な存在である。いくら強い戦士に鍛え上げるためとはいえ、格上の戦士が訓練で格下の戦士を殺すのは一族を守る戦力を自分で減らしているのと同じだ。だからこそもう止めてしまったのだろうとジャンヌは思ったが、彼女の顔を見下ろしたジノヴィが、彼女を再び凍り付かせる。
「――――――滅んじまったからな、俺の一族は」
「―――――――えっ?」
戦士を訓練で殺すのは非効率的だと判断したからこそ止めたのではなく――――――彼の一族そのものが滅んでしまったせいで、もうそのような訓練は続けられていないのである。
一族を滅ぼされた悲しみに慣れたのか、それとも元々自分の一族に愛着がなかったからなのか、ジノヴィはジャンヌに淡々とそう答えてから缶詰を取り出し、中に入っているハーピーの塩漬けを口へと運んだ。
「め、滅亡………したのですか?」
「ああ。俺たちを危険だと判断した連中が里を滅ぼしやがった。元々一族の人口は少なかったから、連中の殲滅戦はすぐに終わっちまったよ」
討伐が困難と言われているドラゴンやトロールを、大剣で平然と薙ぎ倒してしまう傭兵の一族を雇う事ができれば、クライアントの勝利は確定したと言ってもいいだろう。そして、逆に言えば彼らを敵に回す羽目になった勢力の全滅も確定したと言っても過言ではない。
それゆえに彼らは必要とされつつ、疎まれていたのである。
勝利をもたらす傭兵であり、敗北をもたらす傭兵でもあるのだから。
ジノヴィはその滅亡した傭兵一族の生き残りなのだ。
「俺たちの一族の名は――――――『ランツクネヒト』だ」
「ランツクネヒト…………!」
報酬の金額よりも、強敵との殺し合いや戦闘を楽しむ世界最強の傭兵一族である。
平然とドラゴンやトロールをツヴァイヘンダーだけで討伐する傭兵たちを恐れた列強国は、精鋭部隊を編成して殲滅作戦を実行し、この荒々しい戦士たちの里を襲撃したのである。結果的に殲滅作戦は成功し、ランツクネヒトと呼ばれた傭兵一族は滅亡することになったのだが、差し向けられた精鋭部隊も大半が戦死することになり、各国の騎士団は現在でも精鋭部隊の再編成を続けていると言われている。
そう、ジャンヌを護衛することになった男は、世界最強の傭兵一族の生き残りだったのである。
「…………そろそろ寝ろ、ジャンヌ」
「は、はい」
微笑みながらそう言ったジノヴィは、ホルダーの中からトマホークを取り出して手入れを始める。
樹の幹に寄り掛かって瞼を瞑りながら、ジャンヌは思った。
ジノヴィは一族を殺した者たちを憎んでいるのではないだろうか、と。




