ジャンヌの試練
ランタンの傍らに売店で購入したアイテムを並べながら、ジャンヌは一緒に購入した魔物の図鑑へと手を伸ばす。ページをめくりながらドラゴンに関する情報が記載されているページを探し出した彼女は、幼い頃に目にした騎士団のドラゴンを思い出しながら息を呑んだ。
まだジャンヌが武器を持つことを許されていなかった頃、大国の騎士を乗せたドラゴンが、アネモスの里の上空を通過していったのである。魔術師がいなければ討伐は困難と言われるほどのドラゴンを調教できる騎士団は極めて強力であり、ドラゴンを調教したという実績も他国への抑止力として機能する。
剣や弓矢を弾き飛ばす外殻を身に纏い、強力なブレスで敵の隊列を全て焼き尽くすドラゴンを、人間の意思で操る事ができるのだ。より効率のいい攻撃を上空から放ってくるドラゴンがどれほどの脅威と化すかは言うまでもないだろう。
今回の敵は人間に調教されたドラゴンではなく、野生のドラゴンである。そのため、人間の騎士が指揮を執るドラゴンと比べればそれほど手強くはない。
(相手は空を飛んでいる………)
ドラゴンの討伐が困難な原因は、基本的に空を飛んでいる事だろう。この世界で一般的な武器である剣が届かない時点でハードルは十分に高いと言えるが、ドラゴンには堅牢な外殻と強力なブレスまであるため、仮にドラゴンが地上戦に付き合ってくれたとしても剣だけで討伐するのは困難である。
ランタンの周囲に並べた投げナイフをちらりと見てから、自分の槍を見つめる。
鋼鉄製の弓矢は高価である上に、ジャンヌはそれほど弓矢を使ったことがないため、購入したとしてもドラゴンに矢を命中させられる可能性は低い。第一、鋼鉄製の武器を使っている騎士団ですら討伐には魔術師を同行させているのだから、弓矢で討伐するのはほぼ不可能だろう。
魔術師を同行させている時点で、鋼鉄製の弓矢では力不足だと確信しているからだ。
そのため、ジャンヌはクロスボウや弓矢ではなく、投げナイフを売店で購入した。ただ単に投擲すれば人間の敵には効果があるが、ドラゴンの外殻に弾き飛ばされるのが関の山である。だが、この投げナイフに加圧した魔力を流し込んだ状態で投擲すれば、着弾したナイフの中で高圧の魔力が爆発を起こすため、殺傷力は飛躍的に向上するというわけだ。
ジャンヌが装備している槍の長さは2mである。剣よりも長いとはいえ、空を飛んでいるドラゴンには投擲しない限り届くことはないだろう。こちらにも魔力を流し込んで投擲するという選択肢があるが、使い捨てにする投げナイフとは違って、この槍はジャンヌが里から持ってきた愛用の槍である。投げナイフよりもはるかに高価であり、愛着のある武器を使い捨てにするという選択肢はない。
投げナイフと一緒に購入したエリクサーを数えてから、ジャンヌはもう一度ドラゴンの情報を凝視する。
(弱点は鱗で覆われている部分………苦手な属性は水属性と氷属性のようですね)
ドラゴンの鱗は、外殻よりもはるかに薄い。そのため、運良くここに弓矢を命中させる事ができれば、ドラゴンにダメージを与えることもできると言われている。ジノヴィもサラマンダーを倒す時はそこを狙ったのだろうかと思ったジャンヌは、彼がトロールを瞬殺した時の事を思い出し、苦笑いしながら首を横に振った。
きっと、強引に外殻もろとも粉砕したに違いない。
草原に出現したドラゴンの苦手な属性は、水属性と氷属性のみである。残念なことにジャンヌが得意とするのは風属性と光属性のみであり、ドラゴンが苦手とする属性での攻撃は不可能だ。
とはいっても、風属性は全く通用しないわけではないので、風属性の魔力での攻撃は効果があるだろう。風属性の魔術の大半は標的を切断するか、超高圧の空気で攻撃目標を押し潰すような魔術ばかりである。そのため、他の属性の攻撃に比べると効果が標的の防御力に左右されにくいという利点がある。
作戦を立てつつ、ジャンヌはランタンの傍らに丸めてある地図を広げた。
当たり前だが、魔物の討伐の難易度はその魔物の強さに左右される。だが、場合によっては弱い魔物でも熟練の傭兵が苦戦するような強さを発揮することがあり、それほど強くない魔物だと高を括っていた傭兵たちが返り討ちに遭う事は珍しくはない。
――――――地形である。
相手が巨大な魔物であれば、戦う場所に遮蔽物があることが望ましい。そうすれば魔物から身を隠しつつ不意打ちをしたり、物陰に隠れて回復する事ができるからだ。遮蔽物もろともブレスで消し飛ばされることもあるが、遮蔽物が傭兵や冒険者の生存率を左右すると言っても過言ではない。
逆に、小型の魔物であればその遮蔽物を利用して奇襲を仕掛けてくることがあるため、小型の魔物を相手にする場合は開放的な場所が望ましいとされている。
しかし――――――ドラゴンと戦うことになる場所の地形は、最悪と言ってもいいだろう。
遮蔽物が全く存在しない草原で、ドラゴンと真っ向から戦うことになるのだから。
遮蔽物がないのだから、ドラゴンを探し出すのは容易いだろう。だが、ドラゴンの視覚や聴覚は人間よりもはるかに優れているため、相手が草原のど真ん中で眠っていない限り、先に発見するのは不可能だろう。
夜間に攻め込むべきだろうかと考えたジャンヌだが、すぐにその作戦を却下する。
夜になれば魔物はより凶暴になる上に、夜行性の魔物も姿を現す。夜行性の魔物の中には凶暴な魔物が多いため、熟練の冒険者たちですら夜間に街や村を出ようとしない。しかも視界が一気に悪くなるため、奇襲する前にドラゴンに察知されて暗闇の中で戦う羽目になるか、ドラゴンを発見する前に凶暴な魔物に食い殺されるのが関の山だ。
ドラゴンが居座っているという地域に印をつけてから、周囲の地形を確認する。
南西には渓谷があるが、そこにはゴーレムの巣があるらしく、時折ゴーレムが草原に姿を現すこともあるという。北東には草原が広がっているが、その地域の草は成長が早いらしく、屈めば成人でも身を隠す事ができるという。
(ここで戦うのが望ましいですね)
その地域に印をつけ、距離を測ってから図鑑のページを確認するジャンヌ。戦う予定の地域がドラゴンの嗅覚で察知できる範囲内にあることを確認した彼女は、ポーチの中から資金の入った革の袋を取り出し、肉屋で販売されている肉の金額を思い出してから再びポーチへと戻した。
「お、まだ起きてんのか」
「ああ、ジノヴィ」
作戦を考えていると、部屋のドアを開けてジノヴィが部屋に入ってきた。
今回は、ジャンヌ1人でドラゴンを討伐することになっている。念のためジノヴィも同行するが、ジャンヌに魔物との戦いを経験させて彼女の実力を上げるための戦いであるため、彼が手を貸すことになるのはジャンヌが殺されかけた時だけだろう。
単独でドラゴンを討伐することになったジャンヌは、この村にもう一日だけ留まって作戦を立てる事にしていた。そのため、出発したばかりの宿屋に逆戻りして部屋を借り、アイテムを用意して作戦を立てることになったのである。
彼は閉店する直前の売店で何かを購入してきたらしく、手には大きな革の袋を持っているのが分かる。首を傾げながらその袋を凝視していると、ジノヴィはジャンヌが見ていたページと地図を見下ろして頷き、その革の袋を彼女の傍らにそっと下ろした。
「それは?」
「差し入れだ」
袋を開け、中身を取り出すジャンヌ。袋の中には透明な液体の入った瓶―――――おそらく酒瓶だろう――――――が5つ入っており、マッチ箱も入っている。その下にあるのはやけに大きな木箱だ。エリクサーが入っているのだろうかと思ったが、エリクサーは試験管に似たガラス製の容器に入っているか、水筒などに入れて販売されていることが多い。
首を傾げながら、その木箱の上に乗っている酒瓶を拾い上げて外へと出したジャンヌは、酒瓶の中から漏れ出たオイルの臭いに気付いてそのアイテムの正体を見破った。
――――――火炎瓶だ。
魔物の中には炎属性の攻撃が弱点となっている魔物もいる。そのため、魔術が仕えない剣士はマッチでこの火炎瓶に火をつけて投擲し、魔物を火達磨にするのである。一緒に入っているマッチ箱は点火用なのだろう。
火炎瓶を箱の中から取り出しながら、ジャンヌは首を傾げた。
ドラゴンは炎属性が弱点というわけではない。火炎瓶を投擲して火達磨にしても、殆どダメージは与えられないのだ。
なぜこれを買ってきたのだろうかと思いつつ、重い木箱を両手で取り出すジャンヌ。揺れる度に中から金属音が聞こえるため、中身は金属で作られた代物なのだろう。何が入っているのだろうかと考えながら床の上に置いた彼女は、蓋を開けて中身を見下ろし、目を見開いた。
「トラバサミ………!」
そう、中に入っていたのは鋼鉄製の牙がいくつも取り付けられた、やけに大きなトラバサミだったのだ。
対人用のトラバサミよりもサイズが大きいため、人間用ではなく対魔物用のトラバサミであることが分かる。これを使えば魔物にダメージを与えるだけでなく、足止めすることもできる。しかも対魔物用のトラバサミは、人間が踏めば確実に両足が切断されるほどの殺傷力がある。さすがにドラゴンの脚を食い千切るほどの殺傷力はないものの、ドラゴンがこれを踏めば鋼鉄製の牙が外殻を穿ち、大ダメージを与えてくれることだろう。
これを使った作戦をすぐに考えたジャンヌだが、一緒に入っていた火炎瓶を何に使えばいいのかは全く思いつかなかった。
攻撃に使ったとしても、あまりダメージは与えられない。それに戦う場所は人間が屈めば隠れられるほどの長さの草が生えている場所なのだから、こんなものを投擲すれば草原に燃え広がって逃げ場がなくなり、むしろ追い詰められかねない。
これは旅にとっておけという事なのだろうかと思いながら火炎瓶に再利用された酒瓶をまじまじと見ていると、ジノヴィはニヤニヤ笑いながらアドバイスした。
「ジャンヌ、炎は攻撃だけに使うもんじゃないぞ」
「え?」
「じゃあ、俺は先に寝る」
「ちょ、ちょっと、ジノヴィ………」
部屋の壁に寄り掛かりながら座り、ツヴァイヘンダーを肩に担ぎながら瞼を閉じるジノヴィ。頭を掻きながら火炎瓶を見下ろしたジャンヌは、戦う予定の地域を変えろという意味なのだろうかと思いつつ、もう一度地図を見下ろす。
だが、ドラゴンとの戦いに適している地形はここだけだとしか思えない。渓谷におびき寄せればゴーレムとの乱戦にもなりかねないし、渓谷の足場は劣悪だ。それに対し、ドラゴンは巨大な翼で飛ぶ事ができるため、むしろ上空からブレスで狙い撃ちにされる可能性がある。
遮蔽物のない草原で戦うのは論外だ。
つまり、ジャンヌが選んだ場所しかドラゴンと戦える場所はない。それに足元が見えない場所ならば、彼が渡してくれたトラバサミにドラゴンが引っかかる可能性が高くなる。
彼女がそこを選ぶだろうと思っていたからこそ、ジノヴィはこれを差し入れに選んだのだろう。
投げナイフの傍らに並んだ5本の火炎瓶を見つめながら、ジャンヌは肩をすくめるのだった。
「俺は手助けはしない。自力でドラゴンを倒せ」
そう言うと、ジノヴィは売店で購入したと思われる望遠鏡―――――全く装飾がない安物である―――――を左手に持ったまま踵を返し、草原の向こうへと歩いて行った。
世界を救済するために旅立ったジャンヌには、熟練の傭兵であるジノヴィという心強い護衛がいる。トロールを瞬殺し、剣が折れたとはいえ単独でサラマンダーを討伐することに成功するほどの実力者だが、彼に頼り続ける事は許されない。
それゆえに、ジャンヌも力を付けなければならなかった。
彼女は試されているのである。
拳を握り締めてから後ろを振り向く。足元を覆っている草原の草たちは段々と長くなっており、彼女が立っている場所の草は既に脛に達しつつある。このまま先へと進んでいけば、身を隠す事ができるほどの長さの草で覆われた場所へと辿り着く事だろう。
呼吸を整えつつ、ポーチの中から袋を取り出す。
中に入っているのは、村を出る直前に肉屋で購入した牛の肉だった。ドラゴンの好物とされており、村で飼育している家畜を襲って食い殺すのは珍しくないという。
罠に使うために、それを購入してきたのだ。
草原を進んでいる内に、段々と草が彼女の太腿を覆い始めた。身体に草が当たる音以外は何も聞こえない、静かな草原。獰猛なドラゴンが住み着いたとは思えない平和な場所に見えてしまう。
袋から取り出した肉を、ジャンヌは地面に置いた。少し離れたところに背負っていた対魔物用のトラバサミを設置し、誤って購入した冒険者が餌食にならないように装備されている安全装置を解除する。安全装置として機能している安全ピンを引き抜いてから、背中に背負っている槍を取り出して姿勢を低くし、草むらのど真ん中で伏せた。
ドラゴンがおびき寄せられるのを待ちながら、ポーチの中を確認する。中に入っているのは予備のエリクサー、火炎瓶、点火用のマッチなどだ。腰の左側には試験管のような容器に入ったエリクサーのホルダーがあり、その傍らにはキンジャールの鞘がある。
魔力の反応で察知されないよう、呼吸を整えながら魔力を抑え込む。もしジャンヌが隠れているのを察知されてブレスで先制攻撃されれば、この草むらが火の海と化し、ドラゴンに追い詰められてしまうだろう。
(超えなきゃ)
ドラゴンを倒さなければ、強くなることはできない。
力を付けなければ、世界を救済する資格はない。
呼吸を整えながら草むらの中で待っていると――――――早くも、空を何かが飛んでくるのが見えた。
「………!」
鈍色の外殻と鱗で覆われた巨躯の左右からは、その巨躯を浮遊させるために発達した強靭な翼が伸びているのが分かる。後足と前足からは、優秀な鍛冶職人が下降して取り付けたのではないかと思ってしまうほど鋭い爪が生えており、頭からは後方へと大剣の切っ先に似た鈍色の角が伸びているのが分かる。
里の上空を、騎士団のドラゴンが通過していった瞬間がフラッシュバックした。
これ見よがしに騎士団のエンブレムが刻まれた防具に身を包んだ、騎士団のドラゴン。あのドラゴンの背中には人間が乗っていたが、今しがた姿を現したドラゴンには誰も乗っていない。
「あ、あれが………!」
ついに姿を現したのだ。
ジャンヌが打ち倒さなければならない敵が。