資金と槍
巨大な二足歩行の化け物の胸板を、風を纏った槍が容赦なく貫いた。岩石を思わせる堅牢な外殻で覆われているというのに、高圧の魔力によって生成された風に包まれた槍は容易く外殻もろとも胸を貫き、怪物の心臓を串刺しにしてしまう。
心臓を槍で貫かれた怪物は、咆哮を発しながら剛腕を振り回した。力尽きる前に、自分の心臓を貫いた少女へと報復するつもりなのだろう。胸板と同じく堅牢な岩石を思わせる外殻に覆われた剛腕で殴打されれば、どれほど頑丈な防具で身を守っていたとしても防具もろとも骨を粉砕されてしまう。
だが、少女はその剛腕に吹き飛ばされるよりも先に、自分の得物から手を離していた。相手に思い切り突き刺した槍を引き抜いていたのであれば、剛腕を回避することはできなかったに違いない。槍から手を離した少女は後方へとジャンプして怪物の攻撃を回避すると、思い切り振り回した剛腕を空振りした怪物を睨みつけた。
その直後、彼女の隣を漆黒の剣がぐるぐると回転しながら掠めていった。柄に薄汚れた布が巻き付けられているその剣は、明らかに投擲を想定して製造された得物ではない。片手で持てるサイズの得物であったのならば、投擲を考慮していなかったとしても強引に投げ飛ばし、敵を仕留めることはできるだろう。だが、今しがた少女の脇を掠めていったのは、両手で持って全力で振り回さなければならないようなサイズの大剣であった。
投擲して攻撃することが想定されているわけがない。
下手をすれば自分の背中に当たっていたのではないかと思ったジャンヌがぞくりとした頃には、後方から投擲された大剣は先ほどジャンヌが心臓を串刺しにした怪物の頭を直撃していた。頑丈な金属で作られた刀身が、重い剣を投擲できるほどの腕力によって与えられた運動エネルギーを総動員して怪物の頭を叩き割り、頭蓋骨もろとも脳味噌を両断する。
大剣が頭にめり込んだ怪物は、呻き声を発しながら鮮血を噴き出し、動かなくなってしまった。
「すまん、ジャンヌ。大丈夫か?」
「ジノヴィ、危ないじゃないですか!」
後ろからやって来たジノヴィを睨みつけながら、ジャンヌは叫ぶ。ジノヴィは苦笑いしながら彼女に頭を下げると、溜息をついたジャンヌの隣を通過して怪物の死体へと歩み寄った。
ジャンヌの槍で心臓を貫かれた挙句、彼が本気で投擲した大剣で頭を叩き割られたのだ。いくら普通の剣の斬撃ではダメージを与えられないほどの外殻で覆われている魔物でも、心臓を貫かれて頭を木っ端微塵にされれば絶命してしまう。
心臓を貫いているジャンヌの槍を強引に引き抜いてから、脳味噌を両断した自分の大剣を引っ張るジノヴィ。刀身にこびり付いている脳味噌の破片を布で拭き取ってから鞘に納めた彼は、先端部が血まみれになった槍を彼女に手渡した。
血まみれになった自分の得物を見て顔をしかめるジャンヌ。ジノヴィは「ほら、ナイフを準備しろ」と言いながら腰の鞘からナイフを引き抜くと、購入したばかりのキンジャールを引き抜いたジャンヌと共に魔物の死体へナイフを近づける。
2人が仕留めた魔物は、岩石のような外殻で全身を覆ったゴーレムであった。
大きさはトロールほどではないものの、岩石を思わせる堅牢な外殻で斬撃や弓矢を容易く弾いてしまうため、魔術で遠距離から殲滅するか、外殻を貫通できるほどの貫通力がある武器で攻撃する必要がある難敵だ。
基本的にゴーレムは遠距離攻撃はせず、ゆっくりと敵に近付いて剛腕で殴りつけることが多い。しかし生息する地域によっては、周囲にある岩石を持ち上げて投擲する個体もいるという。
分かりやすく言うと戦車のような魔物だ。
ジノヴィが粉砕したゴーレムの頭を見てまた顔をしかめたジャンヌは、ロイデンバルクを出発する前に購入したキンジャールの刀身を見つめた。
魔物の死体から外殻や内臓を切り取って持ち帰れば、商人などに売って資金を稼ぐ事ができる。それゆえに傭兵や冒険者は余裕があれば討伐した魔物から素材を切り取り、持ち帰ってそれを売却するのである。
「ゴーレムの素材で売れるのは外殻とか骨くらいだ」
「肉と内臓は売れないのですか?」
「ああ、こいつの肉は硬くて不味い。内臓は薬品の調合に使えないから価値がないんだ」
「じ、ジノヴィ、ゴーレムの肉を食べた経験があるんですか?」
ジノヴィが粉砕した頭にキンジャールを近づけ、断面から外殻と肉の隙間に切っ先を突き刺して剥がそうとしていたジャンヌは、ぴたりと止まってから尋ねた。
「傭兵になったばかりの頃、仕留めた魔物を全部丸焼きにして食った」
「全部!?」
「おう。ゴブリンとかハーピーは美味かったし、アラクネも肉に変な粘液が付いてたが美味かった。でもゴーレムの肉は硬くて不味かったから残しちまった」
「の、残しちゃったんですか………」
ちなみに、アラクネの中には毒を持つ変異種もいるという。図鑑でその変異種が持つ毒は『ぬるぬるした粘液である』と記載されていた事を思い出し、ちゃんと解毒薬を服用したのだろうかと思いつつ、ジャンヌは呆然としていた。
「あの、残したゴーレムはどうしたんです?」
「ゾンビの群れの中に放り込んでやった。そしたらそのゴーレムまでゾンビになっちまって、一晩中追いかけ回される羽目になっちまったよ。ガハハッ」
(じ、自業自得ですよ………………)
溜息をつきながら、ジャンヌは外殻と肉の間にキンジャールを突き立てた。力を込めて刃を突き刺していくと、ぺりっ、と亀裂の入っていた外殻の破片が剥がれ落ちる。岩石のような外殻の下から覗く肉や血管を目の当たりにしたジャンヌは顔をしかめながらちらりとジノヴィの方を見た。
彼はこうやって魔物をナイフで解体することに慣れているのか、素早く外殻を肉から引き剥がしてから布で包み、ポーチの中へと放り込んでいく。
アネモスの里にある肉屋でも、幼少の頃のジャンヌは店主が大きな包丁で食用の魔物を解体しているのを目にした時がある。身体中の皮を引き剥がされて店内に吊るされた魔物を目にした時は、あの肉を丸ごと焼いたら美味しいだろうかと考えていた。
幼少の頃の事を思い出しつつ、ジャンヌはゆっくりと外殻を肉から引き剥がしていく。ポーチから布を取り出して切り取った外殻をそれで包み込み、ポーチへとそっと入れた彼女は、再びゴーレムの死体にダガーを突き立てて外殻を剥がしていく。
持ち帰る途中に外殻が割れてしまうと、売却する時に値段が下がってしまうためだ。まだ資金に余裕があるとはいえ、旅が長引くのは火を見るよりも明らかである。少しでも資金を増やしておかなければ、下手をすれば回復アイテムすら購入できなくなってしまうだろう。
頭部の外殻を引き剥がし終えた2人は、布で刀身の血を拭き取ってから鞘の中にナイフを収めた。
「この外殻は鎧の素材に使うんですか?」
「ああ。他にも盾の素材にもなるし、器用な職人はこれを削って剣を造る」
「この外殻で………………?」
「おう」
そう言いながらジノヴィはポーチから引き剥がした外殻を取り出した。
ゴーレムの外殻は非常に硬いため、防具や盾の素材にすることもできる。場合によってはこれを魔術の儀式に使う事もあるという。
仕留めるのが難しい魔物だが、ポーチが埋め尽くされるほどの外殻を持ち帰ればそれなりに資金を稼ぐことはできるだろう。
「よし、村に行くか」
「全部持って行かないのですか?」
問いかけられたジノヴィは、大量の血を流しているゴーレムを指差した。
「外殻を全部切り取っても持ち帰れないし、かなり時間がかかる。こいつの外殻を全部切り取る前に、血の臭いで刺激された魔物に囲まれるのが関の山だ」
魔物は血の臭いに引き寄せられる。実際に、ロイデンバルクで2人と戦ったコレットは負傷した状態で森の中へと逃げ込み、その傷口から流れる鮮血の臭いに引き寄せられた魔物によって食い殺されているのだ。
ゴーレムは人間よりも大きな魔物であるため、体内を流れている血液の量も人間の比ではない。外殻を剥ぎ取っている最中に、その血の臭いで刺激された魔物たちに取り囲まれるのは想像に難くない。
「そうですね、諦めましょう。この死体はどうします?」
「魔物に食わせてやればいい」
「焼かないのですか?」
「近くに村があれば焼いて処分するが、最寄りの村まで2時間くらいかかるんだろ? なら焼く必要はない」
村や街の近くで討伐した魔物を放置すれば、それを食べるために集まってきた魔物たちが食後に街を襲うのは言うまでもないだろう。そのため、人間の住んでいる場所の近くで魔物を討伐する羽目になった場合は、魔物がその血の臭いで刺激されるのを防ぐために死体を焼いてしまうのである。
しかし、村が離れている場合は敢えて死体を放置することも多い。焼かずに血の臭いを拡散させ続けることで、魔物を村や街から遠ざける事ができるからだ。
2人は踵を返すと、村がある方向へと歩き始めた。
「ほら、銀貨20枚だ」
「ありがとよ」
カウンターの向こうから姿を現したドワーフの店主から袋を受け取ったジノヴィは、中に入っている銀貨の数を数えてから踵を返す。
2人がゴーレムの外殻を売却したのは、草原の向こうにある村の鍛冶屋だった。アネモスの里よりも大きな村で鍛冶屋を経営していたのは中年のドワーフの男性で、カウンターの奥にある工房では、小柄な少女が買い取ったゴーレムの外殻を棚の中に入れているのが見える。少し短めの緑色の髪から覗くのは真っ白な尖った耳であり、彼女がハイエルフであることが分かる。
ドワーフとハイエルフは、この世界の種族の中では最も鍛冶を得意とする器用な種族だ。
ドワーフが作る製品の特長は”価格の安さ”と”信頼性の高さ”である。安価である上に壊れにくいため、冒険者や傭兵たちに人気があるのだ。逆に装飾は全くと言っていいほどないため、性能よりも豪華な装飾を好む貴族たちには不評であると言われている。
ハイエルフが作る武器はドワーフの真逆と言える。価格は高くなってしまうものの、剣の切れ味は非常に鋭く、豪華な装飾があることが多い。そのため貴族に人気があるが、中にはドワーフの武器よりも扱い難いハイエルフの剣を敢えて愛用する達人もいるという。
ちらりと背中のツヴァイヘンダーを見たジノヴィは、それを購入した時の事を思い出していた。以前に使っていた剣が”あるドラゴン”との戦いで折れてしまったため、新しい剣を購入するために訪れた鍛冶屋のドワーフの店主に「荒い使い方をしても折れない剣をくれ」と言って、その依頼で手に入れた報酬を全て差し出したのである。
店の外へと出ると、入り口の近くに飾られている赤い槍を見ていたジャンヌがやってきた。
「どうでした?」
「銀貨20枚だとさ」
袋をジャンヌに渡したジノヴィは、彼女が眺めていた赤い槍をまじまじと見つめた。長さはジャンヌが背負っている槍と同じく2mほどで、先端部にはロングソードを太くしたような刃が取り付けられている。先端部に居座る刃の根元は真っ黒だが、先端部の方はまるで溶鉱炉の中で溶けていく金属のように真っ赤になっており、明らかに普通の金属で作られた代物ではないことが分かる。
そう、それは金属などではない。
刃の周囲を包み込んでいるのは、赤黒い外殻だった。
(これは………………)
ぎょっとしながら、ちらりとその槍の傍らに立てかけられているプレートを見下ろす。案の定、そのプレートに書かれている金額は他の槍や剣とは比べ物にならないほど高額だった。
周囲の棚に置かれている武器や防具は、収入の低い冒険者や傭兵でも購入できそうなほど安価である。
「お前、この槍を見てたのか?」
「ええ。今のお金じゃ買えないですけど」
安価な武器の群れの真っ只中に居座る赤い槍を見上げながら、ジノヴィは以前に持っていた剣が折れてしまった”あるドラゴン”との戦いの事を思い出していた。溶岩と熱が支配する火山で、ドラゴンが身に纏う硬い外殻によって大剣をへし折られた彼は、辛うじて大剣で刻み付けた傷口に何度もトマホークや火山で拾った岩を振り下ろして辛うじて討伐したのである。
間違いなく、ジノヴィが今まで経験してきた戦いの中で正真正銘の”死闘”と呼べる戦いであった。
目の前に置かれている槍は、そのドラゴンの素材で作られた代物なのだろう。先端部の刃は、そのドラゴンの頭部から生えていた角を加工したものに違いない。
その武器を見つめながら、ジノヴィは死闘を繰り広げたドラゴンの名を呼んだ。
「――――――サラマンダー」