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狼血のジノヴィ  作者: 往復ミサイル/T
第二章
15/39

ジャンヌの救済


 牢屋の中に、ボロボロの服を着せられた女性たちが立っている。身体も薄汚れており、手枷で繋がれた両腕や足枷が取り付けられた両足には、いくつも痣が刻み付けられていた。首には金属製の首輪が絡みついており、顔にもいくつも痣がある。


 鉄格子の向こうにいる、虚ろな目つきの女性たちを見つめながら、ジャンヌは彼女たちが奴隷であることを悟った。


 この世界では、こうして奴隷が売られていることは珍しくなしくない。戦争で敗北した国の女性たちや、借金を支払う事ができない家から強引に連れて来られ、借金のために売られてしまった少女たちがこのような牢屋の中に放り込まれ、買い手がやってくるのを待つのだ。


 商人たちが販売する”商品”を、買い手がどのような事に”使う”のかは想像に難くない。男性の奴隷ならば過酷な労働をさせるか戦場に投入され、女性の奴隷ならば買い手に犯されることが多い。


 鉄格子の前まで歩いたジャンヌは、少しばかり錆び付いた鉄格子をぎゅっと握りながら、牢屋の中で絶望する奴隷たちを見下ろした。このような牢屋の中で家族の名前を呼んだり、涙を流している奴隷たちはよく目にするが、そういう事ができるという事はまだ絶望していないという証拠である。しかし、ジャンヌの目の前にいる奴隷たちは涙を流すことはなく、虚ろな目つきで床を見下ろし続けていた。


 彼女たちは商人たちからどのような仕打ちを受けたのだろうか、と思いつつ、鉄格子から手を離す。


 鉄格子の前に金髪の少女が立っているというのに、彼女の事を見上げる奴隷たちは1人もいなかった。女性の奴隷たちを買っていく客は、大概は裕福な男性たちである。女性が女性の奴隷を購入することも稀にあるが、奴隷を購入するのであれば商人と一緒にその商品を確認する筈である。


 しかし牢屋の中の奴隷たちは、ジャンヌの姿を見ようとしない。


 しばらくすると、部屋の奥にあった木製の扉がゆっくりと開いた。扉が開く音が部屋の中に響くと同時に、虚ろな目つきだった奴隷たちが一斉にびくりと震えあがる。座り込んでいた奴隷たちも顔を上げ、扉から中に入ってきた人物を見つめた。


 部屋の中に入ってきたのは、立派な装飾が付いた服に身を包んだ太った男性だった。ハンカチで顔の汗を拭いているその男性の腰には、黄金の装飾がこれでもかというほど付けられた派手な剣が下げられている。しかしそれは敵を斬りつけるための武器ではなく、あくまでも他人に見せつけるためだけの物なのだろう。


 貴族と思われる男性を店の中へと案内してきたのは、痩せ気味の中年の男性だ。黒いスーツに身を包んだその商人は、貴族を奴隷たちの牢屋の前まで案内していく。


 普通ならば、たった1人で鉄格子の前に突っ立っているジャンヌに気付き、警戒するだろう。自分の商品を保管している部屋の中に、防具に身を包んで槍を手にした少女が入り込んでいたのだから。


 しかし、部屋の中に入ってきたその2人も、奴隷たちと同じくジャンヌには全く気付かない。


 すると、ニヤニヤ笑っている貴族の男性に嬉しそうに商品の説明をしていた商人の肩が、立っていたジャンヌの肩とぶつかった。


 だが―――――――ジャンヌは”肩がぶつかった”という感覚を、全く感じなかった。


 突っ立っていたジャンヌの肩を、商品の説明をしながら歩いてきた商人の肩がすり抜けてしまったのである。


 溜息をつきながら、ジャンヌは試しに右手を握り締め、目の前で商品の説明を続ける商人の後頭部へと突き出す事にした。未熟とはいえ、ジャンヌは里で訓練を受けた戦士の1人である。拳を握り締めて思い切り後頭部を殴りつければ、成人男性を昏倒させることは容易い。


 しかし、ジャンヌの拳は商人の後頭部をすり抜けてしまう。もちろん”人を殴った”という感覚は全く感じない。


 すり抜けてしまった手を引き戻し、拳を見下ろしながらもう一度溜息をつくジャンヌ。彼女はまるで一緒に商品の説明を聞く客のように、商人の隣に立って鉄格子の中を見下ろす。


 この空間の中にいる人物たちに、ジャンヌは決して干渉することはできないのだ。先ほどのように人とぶつかったり、人を思い切り殴りつけようとしても、身体が触れると同時に相手の肉体をすり抜けてしまうのだから。


 彼女が目にしている光景は―――――――ジャンヌが発動した魔術によって再現された、ある人物の記憶である。他人の記憶へと干渉して改竄する行為は、記憶だけでなく過去までも改竄してしまう事に繋がってしまうため、ジャンヌはその光景への干渉を許されない。


 要するに、見ることしかできないのだ。


 目の前で助けを求める人がいたとしても。


『旦那様、どれにいたしましょう?』


『うむ…………私は幼い女が好みなのだがな』


『では、あの少女はいかがでしょうか?』


 そう言いながら、商人は牢屋の奥に座り込んでいる幼い少女を指差す。その少女は自分が指差されていることを悟ったのか、びくりと震えると、恐る恐る商人と貴族の方を見つめた。


 その少女の身体にも痣があり、短めの金髪には、まるで鉄板に浮かび上がる錆のように血が付着しているのが見える。家族と引き離されて泣き叫ぶ彼女を黙らせるために、あの商人が殴りつけて黙らせた際に付着した血なのだろうか、と思っていると、その少女を凝視していた貴族の男性が首を縦に振り始める。


『歳はいくつだ?』


『はい、まだ10歳でございます。泣き叫んでいたもので、黙らせるために少しばかり”躾”をしましたので少々傷が付いておりますが…………』


『構わん、あの娘を貰おう』


『お買い上げありがとうございます。…………おい、コレット。出てこい。お前のご主人様だぞ』


(コレットさん…………)


 そう、この光景はコレットの記憶だ。


 ぶるぶると震えながら首を横に振るコレット。しかし、商人が威圧感を発しながらもう一度彼女の名前を呼ぶと、まだ幼いコレットはまた暴行を受けると悟ったらしく、大人しく牢屋の出口へと歩いてくる。


 稀に、奴隷を大切にする優しい買い手も存在するという。そのような買い手に購入してもらえたのであれば、奴隷たちはもう犯されたり暴行を受けることはないだろう。しかし、逆に商人たちの躾以上に奴隷たちを虐げる買い手もおり、更に苦痛を感じることになる奴隷たちもいる。


 買い手が商品を決めてしまった以上、奴隷はそれを拒否することはできない。拒否する権利は全く与えられていないのだから、大人しく購入されるしかないのだ。


 商人が牢屋の鍵を開け、まだ幼いコレットを牢屋の外へと出す。すると太った貴族はコレットの頭を優しく撫でながら、懐から金貨がたっぷりと入った袋を取り出し、商人へと渡す。


 こうしてコレットは、あの貴族に買われたのだ。


 










 がちゃん、と牢屋に鍵をかける音が地下室の中に響き渡る。


 元々は武器や防具を保管するための地下室だったらしく、レンガで作られた地下室の中には錆び付いた金属の臭いが充満しており、床に埃が降り積もっているせいで足跡がはっきりと残ってしまう。周囲に置かれている木箱の上にも埃が降り積もっており、それほど掃除されているわけではない部屋だという事が分かる。


 コレットの記憶によって具現化した光景を見渡しながら、貴族と同じだ、とジャンヌは思った。客人に見られる部分は徹底的に飾り立てるくせに、このような場所には装飾らしきものは全くと言っていいほどない。薄汚れた古い建物の中と見分けがつかないほど埃が降り積もっており、何人も使用人を雇っている貴族の豪華な屋敷の中とは思えない。


 貴族も客人にみられる部分しか飾り立てない。だからこそ、無意識のうちに屋敷も同じようになってしまうのだろう。


 哀れなことに、貴族に買い取られたコレットのために用意された済む場所は、その汚れた部屋の中に用意された錆だらけの鉄格子の中だった。買い取られる前に放り込まれていた商人の牢屋は、中に入っている商品が体調を崩さないためとはいえ、ある程度は清潔にされていた。


 その埃まみれの地下室に放り込まれたコレットは、毎日あの太った貴族に犯され続けた。泣き叫ぶ幼いコレットの姿を目にする度に、ジャンヌは手にした槍で薄汚い貴族を貫き、幼いでコレットを救おうとした。しかし、これは幼い頃のコレットの記憶であり、それに干渉することは不可能である。それゆえに彼女が突き出した槍は貴族の肉体に突き刺さったものの、あっさりとすり抜けてしまい、コレットを救う事はできなかった。


「コレットさん…………」


 ボロボロの服を身に纏いながら、牢屋の中に座り込むコレット。虚ろな目つきのまま涙を流していた彼女は、以前にここの掃除をした使用人が木箱の中にしまうのを忘れていたのか、近くの木箱の上に置かれている錆び付いたナイフに気付き、鉄格子の隙間から木箱の上へと思い切り手を伸ばす。


 錆と埃が付いたナイフの刀身は、手入れをしていないせいで刃毀れしていたが、人間の喉に突き立てて息の根を止めるには十分な鋭さである。散々自分を犯した男に復讐するための武器を手に入れたコレットは、埃まみれになっているそのナイフを見下ろしながら―――――――ニヤリと笑った。


 その笑みを見た途端、ジャンヌは悟った。


 奴隷にされ、貴族に毎日犯され続けた哀れな少女の中に―――――――いつの間にかもう1つの残虐な人格が声をあげていたのだという事を。


 コレットがそのナイフを服の中に隠した直後、背後にあったドアが開いた。


『やあ、コレットちゃん。元気にしてたかい?』


『…………』


 座り込んだまま、虚ろな目つきで貴族の男を見上げるコレット。さすがに先ほどのような笑みを浮かべたままだと怪しまれると思ったのだろうか。


 貴族の男は気付かない。


 木箱の上のナイフが消えているという事に。


 虐げられていた少女が、自分を殺す準備をして待っていたという事に気付かない。


 ポケットの中から牢屋の鍵を取り出し、鍵を開けて中へと入る男。コレットは絶望して精神が壊れてしまった哀れな少女のふりをしたまま、男が近づいてくるのを待つ。


『もう怖がらなくなったんだねぇ。偉いよぉ、コレットちゃん』


『…………』


 怖がらなくなったのではない。もう少しすれば、”怖がる必要がなくなる”だけだ。彼女はもう少しでこの貴族から解放され、自由になる事ができるのである。


 男はニヤニヤしながら、コレットへと近付いていく。上着のボタンを外して脱ぎ捨て、座り込んでいるコレットを立たせるために脂肪だらけの手を伸ばした彼は、虚ろな目つきのまま座り込んでいる彼女の唇を奪おうとする。


 ジャンヌは顔をしかめたが―――――――次の瞬間、コレットが秘めていた殺意があらわになる。


 先ほどナイフを手にしたコレットが浮かべた、残虐な笑みだ。


『え?』


 貴族の男がぎょっとすると同時に、彼女が服の中に隠していたナイフが牙を剥く。刃毀れしている上に錆のついた、全く手入れがされていない薄汚いナイフが、容赦なく男の喉元に突き刺さる。


 傷口から鮮血が溢れ出し、幼いコレットが血まみれになっていく。自分を虐げていた男の血を浴びながら、彼女は嗤っていた。


『がぁ………あぁ……』


 喉元を両手で押さえながら、男は埃まみれの床の上に崩れ落ちた。溢れ出る鮮血が床を覆う埃を湿らせ、急速に飲み込んでいく。錆と埃の臭いが充満する部屋の中に、鮮血の臭いが紛れ込む。


 返り血を浴びながら嗤ったコレットは、崩れ落ちた男の身体の上に圧し掛かった。彼女は嗤いながらナイフを逆手持ちに持ち替えると、両手で喉を抑えながら何とか叫ぼうとしている男の脂肪だらけの胸板へと、容赦なく何度も振り下ろしていく。


 ぐさりと刃物が肉を食い破る音が、立て続けに部屋の中に響き渡った。何度もナイフで突き刺された男の頭が砕け、同じようにズタズタにされた脳味噌が溢れ出る。頭が砕けた際に転がり落ちた眼球に血まみれのナイフを突き立てたコレットは、先ほど男が脱ぎ捨てた上着の中から牢屋の鍵を取り出すと、その錆び付いたナイフを投げ捨ててから鍵を開けた。


『許さない』


 自分を虐げていた貴族を消したというのに、幼い少女の中で産声をあげた憎悪は未だに消えていない。


 全ての貴族を殺さない限りは消えないと言わんばかりに、燃え続けていたのだ。


 そう、彼女の憎悪は未だに生きていたのだ。


 血まみれの少女は、虚ろな目つきのまま部屋を出ていく。埃まみれのドアを開けてコレットが出ていくと、代わりに今度は成長した姿のコレットが地下室の中へとやって来た。


 ジャンヌとジノヴィが助けた、大人になったコレットである。


『ジャンヌ』


「コレットさん、あなたは…………許せなかったのですね? 貴族たちが」


『ええ』


 彼女は悲しそうな顔をしながら、首を縦に振った。


『貴族たちや商人たちが許せなかった。もちろん、中には良い商人の人たちもいたわ。でも…………”殺せ”って言うのよ、もう1人の人格が』


「逆らえなかったのですね?」


『…………ごめんなさい』


 涙目になりながら頭を下げるコレット。ジャンヌは微笑みながら彼女の傍らへと歩くと、持っていた槍から手を離し、そっと彼女の頭を撫でた。


「ご安心ください。あなたの魂は、私が救います」


『えっ?』


 貴族に犯され続けたことで二重人格になってしまったコレットは、最終的に貴族を惨殺し続けた殺人鬼となり、本当の事を誰にも理解されずに、森の中の魔物たちに犯された上に食い殺されて死んでしまった。


 彼女が二重人格だという事を話しても、ロイデンバルクの住民は信用しないだろう。


 だからこそ―――――――ジャンヌは自分に与えられた力で、彼女の魂を救うのだ。


 彼女の力は、そのために与えられた力なのだから。


 体内の魔力を放出しつつ、そっとコレットの手を握るジャンヌ。彼女の周囲に古代文字や魔術に用いられる複雑な記号が、黄金に輝きながら浮かび上がり始める。その記号の群れはジャンヌの周囲をぐるぐると回り始めたかと思うと、ジャンヌと手を繋いでいたコレットの身体が徐々に輝き始めた。


 コレットの身体から、黒い煙が噴き上がる。それはまるで炎の中に放り込まれた氷のように光の中で消滅していった。


 たった今消滅したのは、コレットの魂がずっと抱き続けていた絶望だ。二つ目の人格が生まれる原因となった、毎日犯され続けていた際に感じていた絶望である。


 それを消されたからなのか、コレットが微笑んだ。


『ありがとう、ジャンヌ』


「……………安らかに眠ってください、コレットさん」


 輝いていたコレットが、ゆっくりと消滅し始める。


 ロイデンバルクの人々はコレットが二重人格だったという事を信用しないだろうが、これでコレットは救われた事だろう。


 ジャンヌは微笑みながら、コレットを優しく抱きしめた。


 


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