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狼血のジノヴィ  作者: 往復ミサイル/T
第二章
12/39

鮮血と檻


 短剣を手にした右手がぶるぶると震え始めた事に気付きながら、ジャンヌは目の前で血まみれになりながら微笑んでいる女性を見つめる。


 見間違えなのではないか、と思いつつ、ジャンヌはその女性の顔を凝視した。夜遅くまで冒険者や騎士たちのためにエリクサーの調合を続けていた仕事熱心な女性がこんなことをするわけがないと思いながらジャンヌは短剣を向けるが、コレットではありませんように、という彼女の祈りに生じた亀裂から、ジノヴィの仮説は正しかったのだ、という気持ちが少しずつ顔を覗かせ始める。


 彼女の顔は、ヴィクトルの死体にナイフを振り下ろした際に噴き出した鮮血と小さな肉片のせいで真っ赤に染まっている。だが―――――――頭髪まで真っ赤に染まっているとはいえ、血で汚れるのを免れた毛先を見れば金髪だという事が分かるし、顔の輪郭や瞳の色は、あの仕事熱心で優しかったコレットと全く同じだった。


 それゆえに、ジャンヌは認めるしかなかった。


 目の前にいるのはコレットで、彼女こそがこの貴族を殺した犯人だったということを。


「コレッ………ト………さん…………ど、どうして…………?」


 ぐちゅ、と脳味噌からナイフを引き抜いた女性が、問いかけるジャンヌの顔を見据える。


「きゃははっ…………誰? あなた」


「え…………?」


 彼女の声はコレットと全く同じだった。だが、彼女はもう既にジャンヌとジノヴィの事を知っている筈である。彼女の家に泊まった時と服装は全く同じであるため、見間違えるわけがない。


 すると血まみれになったコレットは、脳味噌の破片が付着しているナイフをぺろりと舐めてから、その切っ先をジャンヌへと向けながら立ち上がった。


「あんたもこの貴族の仲間…………? 私をまた牢屋に閉じ込めて犯すつもり!?」


「ま、待ってください! 何を言ってるんですか、コレットさん!?」


 当たり前だが、ジャンヌやジノヴィは貴族の仲間などではない。彼らから護衛するように依頼を受けたわけではなく、狙われる恐れのある貴族の屋敷を見張って犯人を拘束することで、コレットが無実であるという事を証明しようとしただけなのである。


 しかし今の血まみれになった彼女は、その事すら覚えていないようだった。まるで自分から全てを奪い去った怨敵を睨みつけるかのように、濃密な憎悪と怒りを纏った瞳で、ジャンヌを睨みつけてくる。


 そのような憎悪を向けられたことがなかったジャンヌは、ぞっとしてしまった。


「許さない…………私は奴隷なんかじゃない…………ッ!」


「こ、コレットさ―――――――」


 彼女を止めようとするよりも先に、コレットが襲い掛かってきた。


 血まみれのナイフを右手に持ったまま、真正面からジャンヌに向かって飛び掛かってくる。もしジャンヌが短剣ではなく槍を手にしていたのならば、あっさりと串刺しにできるほど単調な動きだったが、ジャンヌが手にしているのは槍ではなく短剣だったことと、コレットを殺すわけにはいかないという彼女の甘い気持ちが、自分自身の攻撃を阻害してしまう。


 飛び掛かってきたコレットのナイフを短剣で弾き、辛うじて彼女の攻撃を受け流す。しかし攻撃を受け流されたコレットは唸り声を発しながら腕を振り払うと、逆手持ちにした右手のナイフを、ジャンヌの首へと突き出してきた。


「や、やめてください!」


 身体を右へと傾けて躱しつつ、ジャンヌはコレットに向かって叫ぶ。


 コレットの攻撃を躱しながら、ジャンヌは唇を噛み締めた。


 彼女はジャンヌとジノヴィを騙していたというのだろうか。


 自分たちは真犯人を彼女を助けようとして、この事件の真犯人を庇ってしまったとでも言うのか。


 歯を食いしばりつつ、コレットが突き出してきたナイフを再び横へと受け流す。再び唸り声を上げながら飛び掛かってきたコレットのナイフを短剣で防いでから押し返し、コレットから距離を取った。


「コレットさん、何があったんですか!?」


 彼女を説得しようとするが、コレットはジャンヌの説得を無視し、近くに転がっていた分厚い本を手に取ると、それを彼女に向けて放り投げてきた。さすがにそれに当たったとしても負傷はしないだろうが、相手が華奢であればよろめかせるには十分だろう。


 それを躱し、ジャンヌは説得を続ける。


「どうしてこんなことをするんですか!?」


「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


 絶叫すると同時に、コレットの殺意と憎悪がより濃密になっていく。


「もう私は檻の中には戻らないッ!」


「檻…………? あなたは奴隷なんかじゃ―――――――」


 コレットは奴隷などではない。


 もし奴隷であったのならば、あの家でエリクサーを作る事などできなかった筈だ。奴隷に対する待遇はその奴隷を購入した人物によって違うが、大半は狭い檻の中に放り込まれ、少量の食事しか与えてもらう事ができない。睡眠時間も少なく、賃金は全くと言っていいほど与えられないのである。


 しかも主人から与えられる仕事も過酷であり、過労死する奴隷も多いという。


 女性の奴隷であればそのような過酷な労働を与えられることはないものの、犯されることも多い。


 普通の人間にそのようなことをするのは許されない事だが、奴隷にならば許されるのだ。それゆえに奴隷たちは過酷な労働をさせられたり、魔術師の実験に使われ、命を落としていくのである。


 だからコレットが奴隷だという事は考えられない。奴隷なのであれば、ロイデンバルクで平和に暮らす事などできない筈なのだから。


 飛び掛かってきたコレットが腕を振るい、ジャンヌの方を少しばかり斬りつける。瞬時にその傷はすぐに治療しなければならないほどではないと判断したジャンヌは、追撃しようとするコレットのナイフを短剣で受け止めると、彼女がナイフを押し込もうとしている隙に左手を握り締め、拳を思い切りコレットの腹へと突き出す。


 風属性の魔術で吹き飛ばすという手段もあったが、魔術を使えば魔力の反応で他の警備兵たちに発見されてしまう恐れがある。そうなればコレットだけではなく、自分も屋敷に侵入した不審者として身柄を拘束されてしまう事になるだろう。最悪の場合は、ヴィクトルを殺した共犯者として処刑されてしまう恐れもある。


 ジャンヌは格闘術の訓練も受けていたが、里を守っていた他の戦士たちと比べれば力があるわけではない。その代わりに魔術による攻撃を得意としていたのでどちらかと言えば遠距離向きだが、訓練を受けて鍛え上げた彼女の鋭い一撃を常人が喰らえば、大きなダメージを受ける羽目になる。


 右の脇腹にボディブローを叩き込まれる羽目になったコレットが、呻き声を発しながら目を見開いた。口からよだれを吐き出しながらよろめき、押し込もうとしていた自分のナイフを床に落としてしまう。


 そのまますぐにナイフを振り下ろせば、間違いなく切っ先が彼女のうなじを貫き、絶命させてしまう事だろう。しかしジャンヌは、短剣を逆手持ちに変え、いつでも振り下ろせる状態でぴたりと手を止めてしまう。


(…………この人は、殺すべきなの?)


 コレットはヴィクトルを殺してしまった。おそらく、他の貴族を殺したのも彼女の仕業だろう。


 もしジノヴィが傍らにいたら、「甘い」と彼女を咎めながら容赦なくあのツヴァイヘンダーを振り下ろして彼女の首を切り落とし、この殺人事件に終止符を打っていたに違いない。


 すると、ジャンヌが躊躇っている隙にコレットがナイフへと手を伸ばし、それを振り上げてきた。ぎょっとしながらジャンヌは後ろへとジャンプしたが、下から猛スピードで振り上げられたナイフの切っ先が、少しばかり彼女の頬を切り裂いてしまう。


「きゃはははははははっ!」


「くっ!」


 足を振り上げ、コレットの脇腹へと蹴りを叩き込む。彼女は再び呻き声を上げながら吹っ飛んで行ったが、今の一撃を回避するために身体を逸らした状態から強引に放った蹴りであったため、それほど体重は乗っていない。ダメージは小さいだろう。


 すぐに起き上がったコレットは、ジャンヌの血が付着したナイフの刀身をぺろりと舐めてから彼女を睨みつける。


 その時、コレットは目を見開いた。


「え…………ここは………?」


「?」


 周囲を見渡し、自分が血まみれのナイフを手にしていることに気付いてぎょっとするコレット。ナイフでズタズタにされ、床に倒れているヴィクトルの死体に気付いた彼女は、ナイフを床に落としながらぶるぶると震え、頭を抱えてしまう。


「また…………どうして………? どうして私はこんなことをしてしまうの…………?」


「コレットさん?」


 呼びかけると、コレットは怯えながら顔を上げた。


「嫌………もうやだ……助けて、ジャンヌ…………」


「コレットさん、しっかりしてください。どうしたんですか!?」


「違うの、私…………私じゃない……この人を殺したのは、私じゃないの………私、檻の中で……貴族に犯され続けて…………殺して、逃げ出して…………もう1人の私が………だから私じゃ………私は悪くない…………!」


 小さな声でそう言いながら震え続けるコレット。今ならば説得できるかもしれないと思ったジャンヌは、震えているコレットへと向けて手を差し出すが――――――――彼女の血まみれになった手が床に落ちたナイフへと伸びた瞬間、ジャンヌは反射的に後ろへとジャンプした。


 紅と白銀の二色で彩られた間が曲が字いナイフが振るわれ、刀身を覆っていた小さな肉片を剥離させる。振り上げられた勢いで剥がれ落ちた鮮血を浴びながら後ろへとジャンプしたジャンヌは、唇を噛み締めながら再び短剣を構える。


「悪いのは私じゃない…………もう、檻の中は嫌………。殺さないと…………逃げられない…………」


「コレットさん!」


「もう檻の中は嫌なのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」


 説得するのは、もう無理だろう。


 歯を食いしばりながら、ジャンヌは短剣の柄を思い切り握りしめる。


 その時、何の前触れもなく窓ガラスが砕け散った。ぎょっとしたジャンヌがそちらを振り向くよりも早く、砕け散った窓ガラスの破片の中を突っ切った黒い金属の物体が床へと突き立てられ、がつっ、と鈍い音を奏でる。


 窓ガラスを粉砕して中へと入ってきたのは――――――――ジノヴィが持ち歩いている、トマホークであった。


(これ、ジノヴィの…………?)


「――――――――やっぱりてめえだったか」


 窓の方から、低い声が聞こえてくる。


 トマホークを凝視するのを止めて窓の方を見てみると、やはり狼の毛皮で作った服と牙で作った首飾りを身に着け、背中に巨大なツヴァイヘンダーを背負った巨漢が、もう1本のトマホークを手にして部屋の中へと入ってくるところだった。


 土の付着したブーツで容赦なく高級な絨毯を踏みつけ、トマホークをくるくると回しながら血まみれのコレットを睨みつけるジノヴィ。まるで巨大な獣がこれから獲物に襲い掛かろうとしているかのような、人間の殺意よりも原始的な威圧感を放ちながら、コレットを威嚇する。


「ジノヴィ…………?」


「見張ってた屋敷の方に来なかったからな。こっちだろうと思ってきてみたんだが、正しかったらしい」


 どうやらジノヴィは、もう片方の屋敷に犯人がやって来なかったため、ジャンヌに見張りを任せたヴィクトルの屋敷の方に犯人が向かったと判断し、見張りを中断してこちらへとやって来たらしい。


 彼ならばコレットを何とかしてくれるかもしれないと思ったジャンヌだったが――――――――ヴィクトルの無残な死体を一瞥し、コレットを睨みつけるジノヴィを見たジャンヌは、ぞっとしつつ彼がコレットをどうするつもりなのかを悟る。


 ――――――――彼は、コレットを殺すつもりなのだ。


 コレットを睨みつけている彼の目つきは、アネモスの里が襲撃された際にトロールたちを睨みつけていた時の目つきと全く同じだった。それゆえにジャンヌは、彼がコレットを殺そうとしていることを悟ったのである。


「ジノヴィ、待ってください。彼女を止めないと………!」


「ああ、分かってる。―――――――だからぶっ殺して止める」


「!」


 淡々とそう言ってから、ジノヴィはトマホークを回すのを止め、コレットにトマホークを向ける。


「やめてください! 説得すればきっと元通りになってくれます!」


「本当にそうなると思うか?」


「ええ。だってあの人は…………とても真面目で心優しい人なんです。だからきっと元通りになってくれますよ」


「――――――――”あれ”が元通りになってくれると思ってんのか?」


 先ほどから、ジャンヌは何度もコレットを止めるために説得を続けてきた。しかし、確かに彼女はコレットのいう事を全く聞かずにナイフを振るい、彼女を殺そうとしていた。


 説得が全く効果がないのは、火を見るよりも明らかである。


 それに、先ほどジャンヌも説得を断念するべきなのではないかと思っていた。ジノヴィの言葉はジャンヌの希望をあっさりとへし折ると、諦めるべきだという気持ちと混ざり合って奔流と化し、説得を継続するべきだという意見を瞬く間に押し流してしまう。


 彼女は、救う事ができない。


「だから俺が始末する」


 そう言うと、ジノヴィは俯いたジャンヌを一瞥してから、トマホークを手にしてコレットへと襲い掛かっていった。


 


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