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狼血のジノヴィ  作者: 往復ミサイル/T
第二章
11/39

侵入者


 ロイデンバルクは、複数の貴族によって統治されている街である。街を統治する貴族の中で最も大きな力を持つ貴族は3人であり、その中の1人が、殺されたアンドレイであった。


 それゆえに、ロイデンバルクの議会は大混乱であった。大きな力を持つ貴族の内の1人が死んでしまったことで、一時的に議会は機能しなくなってしまったのである。簡単に言うと、何の前触れもなく人間の脳味噌の3分の1が無くなってしまうほどの多大なダメージだ。


 ロイデンバルクの市街地の中心部にある屋敷を建物の屋上から見張りながら、ジャンヌは顔をしかめる。既に太陽は沈みかけており、空は藍色に変色しつつあった。建物や街灯にも明かりがつき始め、ロイデンバルクの街を橙色の光が包み込んでいく。


 本来ならばジャンヌはコレットを見張り続ける予定だったのだが、今朝に戻ってきたジノヴィに、コレットの代わりに貴族の屋敷を見張るように指示されたため、こうして建物の屋根に上り、里から持ってきた望遠鏡を覗き込んでいるのである。


 ジャンヌが見張っているのは、”ヴィクトル”という名前の貴族の男の屋敷であった。アンドレイと同じく大きな力を持つ貴族であり、議会の中心人物と言っても過言ではない。アンドレイに続いてこの男まで犠牲になれば、ロイデンバルクの議会は完全に機能を停止するといっても過言ではないだろう。


 そう、アンドレイを殺した犯人は、立て続けに貴族を殺して更に大きなダメージをロイデンバルクに与えようとしている。貴族に恨みを持っているのだろうかと思いながら望遠鏡から目を離したジャンヌは、溜息をついた。


(コレットさんを見張らなくてもいいのでしょうか…………)


 コレットの家に戻ってきたジノヴィは、食事を摂ってから2時間程度の仮眠を済ませ、既にもう片方の貴族の屋敷へと向かっていた。もし犯人が小規模な貴族まで無差別に狙っているのだとすれば2人が見張っている屋敷に姿を現すことはないが、一番最初にアンドレイを殺し、議会に大きなダメージを与えている以上、立て続けに大きな力を持つ貴族を消そうとすることだろう。


 議会が機能を停止してロイデンバルクが崩壊した後に、小規模な貴族を各個撃破すればいいだけなのである。


 だからここで待っていれば、高確率で犯人が姿を現すというわけだ。


 ヴィクトルの屋敷を見つめながら、ジャンヌは夜遅くまで仕事をしていたコレットの事を思い出す。魔物と戦う騎士団や傭兵たちの力になるために、彼女は夜遅くまで回復アイテムの調合をしていたのだ。仕事熱心で優しい彼女が、貴族を殺そうとするわけがない。


 コレットが現れませんようにと祈りながら、ジャンヌはもう一度望遠鏡を覗き込む。


 ヴィクトルの屋敷はアンドレイの屋敷よりも巨大だが、彼の屋敷よりも装飾が控えめになっているせいなのか、質素な雰囲気を放っていた。窓の中にある壁や部屋の中も必要以上に装飾されているわけではなく、ドラゴンに戦いを挑む騎士の絵画や、数多の魔物を蹴散らす彫刻がいくつか置いてある程度である。


 貴族の屋敷と言うよりは、古い博物館のような雰囲気だ。


 正門や裏口には、やはり自警団の団員たちがずらりと整列していた。相変わらず装備がバラバラなので統一感はないものの、屈強そうな男たちが大剣やメイスを肩に担ぎ、屋敷に近づこうとしている者たちを見張っている。よく見ると屋敷のベランダや屋根の上には鉄製の弓矢を持った団員たちもおり、侵入者を即座に狙撃できるように準備をしている。


 塀の中に広がる庭では、腰にランタンを下げた自警団の団員たちが警備をしている。塀を乗り越えて侵入しようとすれば彼らに見つかってしまうだろうし、屋根の上を移動して屋敷に入り込もうとすれば、弓矢で狙い撃ちにされてしまうだろう。


 もしかしたら犯人は現れないのではないかと思ったジャンヌは、望遠鏡を覗き込みながら目を細める。


 屋敷の近くにある大通りの露店も閉店し始めたらしく、店主らしき男たちが品物を片付けているのが見える。買い物客の数も減り、近くの飲食店に客が入っていく。


 藍色の空が、やがて黒に染まり始めた。太陽の代わりに星と月の光が夜空を支配する。


 夜空を見上げたジャンヌは、昨日の夜にコレットと話をした事を思い出していた。無数の星たちと共に夜空に姿を現した月は、昨日の夜のように欠けてはいない。


 だが―――――――ジャンヌの心の中は、まだ欠けていた。


 おそらく、コレットが今回の事件ではないという事が証明されるまで、その欠けている部分が満たされることはないだろう。


 彼女は何をしているのだろうか、と思いつつ、ポケットの中に入っている小さな袋の中からパンを取り出し、それを口へと運ぶ。きっとコレットは、夕食を食べているに違いない。そして夕食に使った食器を洗って片付けたら、またエリクサーの調合を夜遅くまで続けるはずだ。騎士や傭兵たちが、魔物との戦いで命を落とさないように。


 コレットは優しい女性である。だから、貴族を殺してこの街を崩壊に追い込むようなことをする筈がない。


 ジノヴィがコレットではなく屋敷の方を見張るように言ったのは、夜間の調査でコレットが犯人ではないという証拠を手に入れたからなのではないかと思ったが、その割にはジノヴィの顔は、まるでこれから戦場に向かう戦士のようだった。


 なぜ彼は、あのような顔をしていたのだろうか。


 コレットを見張らなくてもいいのだろうか。


 彼女は自警団の団員たちに、今回の事件の犯人なのではないかと疑われている。見張っていればもしまた自警団の団員たちが彼女の身柄を拘束しようとしても、すぐに撃退して彼女を逃がす事ができる筈だ。彼女の家を離れて屋敷を見張るという事は、コレットを自警団に明け渡すと言っていることに等しい。


 しかし、ジノヴィの作戦に反論することはできなかった。


 逆らう事ができなかったというわけではなく、今まで何度も戦いを経験してきたジノヴィの作戦だからこそ、それが最適解なのではないかと思ってしまったからだった。


 ジャンヌはまだ未熟である。里が襲撃された時も、間違った判断で鍛冶屋の店主を無駄死にさせてしまったのだから。


 それゆえに、自信がなかった。


 自分の判断が、あの時のように間違っているかもしれない。


 里が襲撃された時の事を思い出しながら唇を噛み締めたジャンヌは、もう一度屋敷のベランダや屋根の上を警備している団員たちを確認するために、屋敷の屋根へと望遠鏡を向けた。いくら灯りのない屋根の上に伏せて望遠鏡を覗き込んでいるとはいえ、ここから屋敷までの距離は30m程度である。もしかしたら見張りの団員に発見され、面倒なことになるかもしれない。


 場合によっては場所を変えようと思ったジャンヌだが――――――――先ほどまで見張りの団員がいた筈の屋根を見た彼女は、弓矢を持った団員が見当たらないことに気付いて違和感を感じた。


(あれ? あの見張りは?)


 別の団員と後退するために屋根から降りたのだろうかと思いつつ、屋根から突き出ている煙突を見た彼女は、望遠鏡を覗き込んだまま目を見開く。


 茶色いレンガで作られた煙突に――――――――深紅の液体が付着していたのだ。


「ッ!?」


 その煙突の近くに、見張りをしていたと思われる団員の男が倒れているのも見える。一体何があったのかは分からないが、血が出ているのは首の辺りかららしい。


 はっとしたジャンヌは、近くのベランダへと望遠鏡を向けた。あの煙突は人間が入れるほどの広さはないため、侵入経路には使えない。あの屋根から最寄りの侵入経路は――――――――もう1人の見張りがいるベランダだけだ。


 屋根の上の見張りを殺した侵入者は、やはりそのベランダから侵入することを選んだらしい。


 弓矢を持っていた見張りの男が、目を見開いて口を大きく開け、絶叫しようと足掻きながら、両手で鮮血が溢れ出ている自分の首を押さえているところだった。しかし、残念なことに絶叫は全く聞こえてこない。呻き声は辛うじて出ているかもしれないが、その呻き声では仲間に敵が侵入されたことを伝えることはできないだろう。


 その見張りを殺した侵入者が、望遠鏡の向こうに一瞬だけ見えた。


 身に着けているのは暗殺者が身に纏うような黒い服ではなく私服のようだ。手には血まみれのナイフらしき刃物を持っており、服にも返り血が付着して、禍々しい模様になっている。


 顔は見えなかったが、長い頭髪は一瞬だけ見えた。


 ―――――――その頭髪は、金髪だった。


(あれは…………)


 間違いなく侵入者は女性だろう。


 望遠鏡を残気込むのを止めたジャンヌは、コレットの服装や頭髪の事を思い出しながら立ち上がり、望遠鏡を腰に下げてから走り出した。


 屋根の上からジャンプして、素早く塀を乗り越える。庭の中には巡回している自警団の団員たちがいたが、庭の中には街灯がないため、彼らの持つランタンで照らし出せる範囲に入らなければ発見されることはないだろう。


 姿勢を低くしたまま壁へと辿り着き、そのまま壁を上り始める。幼少の頃から里の周囲の森で、他の戦士の子供たちと共に誰が巨大な樹に一番早く登れるかを競って遊んでいたことがあったため、このように壁や木の幹を上るのはお手の物だ。むしろ、このような建物の方が掴んだり足場にできる部分が多いため、樹よりも上りやすい。


 見張りの団員たちに見つからないように壁を上ったジャンヌは、ベランダで倒れている団員を見下ろした。やはり喉元をナイフで斬られたらしい。


 彼の目を静かに閉じさせてから、ジャンヌは団員が腰に下げていた短剣を鞘もろとも拝借する。もしあの侵入者と屋敷の中で戦闘になれば、彼女が背負っている槍は九分九厘邪魔になるだろう。突くだけならば問題はないが、薙ぎ払った際に壁に当たってしまい、利点を生かす事ができなくなってしまう。


 だから室内での戦いは、一般的なサイズの剣やこのような短剣が重宝する。


「ごめんなさい、お借りします」


 拝借した短剣を腰に下げ、ジャンヌも屋敷の中へと侵入した。


 やはり、ヴィクトルの屋敷の中は博物館のような雰囲気だった。派手な装飾を好む他の貴族とは違って、屋敷の中の装飾は最低限になっているのが分かる。その代わりに古い騎士の甲冑や彫刻が飾られているせいで、屋敷と言うよりは博物館にしか見えない。もっと古い鎧や絵画を飾れば、博物館にできるのではないだろうか。


 そう思いつつ、ジャンヌは屋敷の中を進んだ。あの侵入者の目的は間違いなくヴィクトルを殺害することだろう。ならば、行先はヴィクトルの寝室か執務室のどちらかである。既に日は沈んだが、さすがにまだ就寝するような時間帯ではない。夕食を済ませ、執務室で眠る前に一仕事している筈だ。


 外で望遠鏡を使って見張っていた時に確認した執務室の位置を思い出しつつ、階段へと向かう。


 階段を上がろうとしたジャンヌは、鼻腔の中に血の臭いが微かに入り込んできたのを感じてぞくりとする。屋敷の中を警備していた警備兵たちも、既にあの侵入者の餌食になってしまったのかもしれない。


 階段を駆け上がると、踊り場には既にメイスを手にした巨漢が倒れていた。やはりナイフで喉元を斬られており、大きな手で首からの出血を止めようと足掻いたままの状態で絶命している。


 よく見ると、その男はコレットを犯人だと決めつけて問い質していた男だった。


「…………」


 目を閉じさせ、ジャンヌは階段を上がっていく。足音を警備兵に聞かれてしまう恐れがあったが、幸運なことに警備兵はその侵入者が始末していたおかげで、ジャンヌは見つからずに階段を上がり、執務室のある最上階まで無事に上がる事ができた。


 やはり、廊下には警備兵たちの死体が転がっていた。


「くっ………」


 腰の鞘から短剣を引き抜き、執務室の扉の前に立つ。この回を守っていた警備兵たちが既に殺されていたという事は、既に執務室の中にあの侵入者が侵入していてもおかしくはない。


 ヴィクトルが無事でありますようにと祈りながら、ジャンヌは執務室のドアを開け、部屋の中へと突入した。


 ドアを開けた瞬間、猛烈な血の臭いが溢れ出した。貴族がデスクワークに使うインクの匂いをかき消してしまうほどの強烈な血の臭いが、ジャンヌを飲み込む。


 部屋の床の上に敷かれた豪華な絨毯は、どういうわけなのか湿っていた。微かに暖かい液体が絨毯の中に染み込んで、それを踏みつける度に錆び付いた鉄にも似た悪臭を発する。


 その染み込んだ液体が人間の鮮血だという事に気付くと同時に、ジャンヌは目を見開いた。


 黄金のシャンデリアに照らされた執務室のデスクの向こうに、金髪の女性がいるのが見える。しゃがんでいるその女性は身体を大きく揺らし、微笑みながら何かに向かって手にしているナイフを振り下ろし続けているようだった。


 ナイフが振り下ろされる度に、ぐちゃっ、と湿った音が響き渡る。


 その音はまるで、里で飼育していた家畜にナイフで止めを刺す音に似ていた。里の中にある肉屋に立ち寄ると、年老いたハーフエルフの女性が何が欲しいのかを客に聞き、その後ろで大きな包丁を持ったハーフエルフの主人が、巨大な肉の塊を切り裂いていく。


 その時に耳にした音に、とてもそっくりだった。


 ジャンヌは短剣を手にしたまま、ゆっくりとデスクの後ろへと回り込む。そして彼女が何をしていたのかを見たジャンヌは、目を見開いた。


 その女性は――――――――絶命した男性の上に跨り、両手でナイフの柄を握って、何度も何度も男性の頭に向けてナイフを振り下ろしながら笑っていたのである。


 何度もナイフで突き刺されたせいで、男性の頭は原形を留めていなかった。顔はズタズタにされ、立て続けに振り下ろされるナイフで砕かれた頭からは、同じようにズタズタになった脳味噌が流れ出ている。


 すると、男性――――――――おそらくヴィクトルだろう――――――――の頭にナイフを振り下ろしていた女性が両手をぴたりと止め、ゆっくりとジャンヌの方を振り返った。


 案の定、彼女の顔は血まみれだった。髪にも鮮血やナイフを引き抜いた際に飛び散った肉片が付着していて、まるで錆のようになっている。


 彼女の顔を見たジャンヌは、唇を噛み締めながら彼女の名を呼んだ。


「コレット……さん…………?」


 


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