アネモスの里
かつて、世界中の戦場で戦果をあげ続けていた最強の傭兵一族が存在していた。
狼の毛皮で作られた服を身に纏い、騎士たちが好んで身に纏う金属製の鎧を一切に身につけず、巨大な『ツヴァイヘンダー』と呼ばれる大剣を変幻自在に操る荒々しい戦士たちは、圧倒的な剣術と身体能力を駆使して世界中で暴れ回った。
単独で騎士団の騎兵を壊滅させ、少数の傭兵たちで砦を陥落させるほどの戦闘力を誇った傭兵一族は、世界中の傭兵たちだけでなく、強大な軍事力を誇る列強国の騎士たちにすら恐れられたのである。
彼らがクライアントたちに雇われれば、どれだけ戦力差があっても彼らを雇った勢力が当たり前のように勝利し、必ず戦場が血まみれの死体や内臓をあらわにした死体たちで彩られたのだから。
それゆえに、大国は彼らを恐れた。
圧倒的な兵力をあっという間に壊滅させてしまうほどの力を持つ、その傭兵たちを。
最終的にその傭兵一族は、彼らが強大になる事を恐れた列強国が派遣した精鋭部隊の討伐作戦によって壊滅する羽目になってしまったが―――――――絶滅したわけではなかった。
焼き払われた森の奥には、まだ健在な樹の群れが残っていた。
焼き払われて真っ黒に染まった巨大な幹や、燃え残った枝たちの残骸で埋め尽くされた漆黒の大地の向こうに広がるのは、辛うじて焼かれずに済んだ森の巨大な樹たち。緑色の葉と枝で天空を覆い尽くしている巨大な樹の根元にへばり付いているのは、小さな花や雑草たちだ。森を支配している樹の群れがあまりにも大きすぎるため、根元の小さな花や草たちは遠くから見れば小さな苔にしか見えない。
まるで楽園と地獄を強引に繋げてしまったかのような風景である。動物たちが住む森と、焼き払われてしまった森の残骸。もしその”地獄”に見える焼け跡に防具に身を包んだ騎士の死体や折れた剣の一部さえ転がっていなければ、単なる山火事にしか見えないだろう。
しかし、騎士や兵士の死体が転がっている以上は、そこは戦場だったのだ。
剣で貫かれた死体だけでなく、無数の矢が突き刺さった死体や、魔術で木っ端微塵にされた肉片も焼け跡の中に転がっている。
その死体たちを、背中に弓矢を背負った男たちが次々に片付けていく。片腕や足がない死体を燃え残った樹の幹の下から引きずり出し、強烈な魔術で木っ端微塵にされた肉片を拾い集めて木製の桶の中に放り込み、焼け跡を肉片や内臓で彩るグロテスクな死体たちを荷馬車の荷台へと乗せていく男たち。しかし彼らは回収した死体たちを埋葬するつもりはないらしく、回収した死体を丁寧に回収せず、荷台へと乱暴に放り投げている状態であった。
彼らが回収している死体は、数日前に彼らの住む『アネモスの里』を襲撃してきた騎士たちの死体だった。彼らの里を焼き払い、女や子供を奴隷にしようとしていた彼らは、里に住んでいる住民たちから見れば里を滅ぼそうとする忌々しい敵でしかない。それゆえに埋葬をする予定は全くないのだが、だからと言って放置すれば死体の肉を狙って魔物が集まってくる危険があるため、死体を放置しているわけにはいかない。
そこで、里の戦士たちが死体を回収し、里の近くに埋めることになっていた。
アネモスの里は、森の中にある小規模な里である。住んでいる種族はエルフやハーフエルフなどであり、住民の大半は里を滅ぼそうとする外敵に牙を剥く戦士たちであるという。焼け跡に紛れ込んでいる死体を片付けている男たちも里の屈強な戦士たちであるらしく、革の防具や私服から伸びる手足にはがっちりとした筋肉がついていた。
里の周囲には圧倒的な軍事力を持つ3つの大国が存在しており、その大国たちが領土を広げようとする度にこの小さな里が真っ先に狙われてきた。彼らが片付けている死体も里を滅ぼそうとしていた『アートルム帝国』の騎士たちである。
腹を切り裂かれた死体を荷台に放り込んだハイエルフの男性が、剛腕で汗を拭い去る。そろそろ休憩した方がいいかもしれないと思った男性が腰にある水筒へと手を伸ばそうとしたその時、焼け跡の奥にある森の樹の間から、白銀の狼の毛皮で作った服に身を包んだ1人の男が歩いてくるのが見えた。
狼の頭を模した毛皮のフードをかぶっており、首には仕留めた獲物のものなのか、鋭い獣の牙で作られた首飾りを下げている。フードのせいでエルフなのか判別するのは難しいが、フードで覆われている耳の部分が膨らんでいる気配はないため、その男性が少なくともエルフではないということは分かる。
もしエルフならば、長い耳のせいでフードが横へと膨らんでしまうのだから。
荒々しい服に身を包んだその男性は、背中に長大な剣を背負っていた。
刀身の分厚さは一般的なロングソードよりも一回り厚い程度だろうか。大剣にしては華奢な刀身で、全長はおよそ2m程度だ。戦闘の指揮を執る貴族が好むような装飾は一切ついておらず、実用性のみを追求しているらしく、金属製の柄の部分には布が巻き付けられていた。
『ツヴァイヘンダー』と呼ばれる大剣である。
「おう、ジノヴィ! 仕事か!?」
「ああ、早速な」
森の奥からやってきたジノヴィは、死体を片付けていたエルフたちに手を振りながら、彼らが片付けている死体を見つめた。中にはこれでもかというほど矢を叩き込まれた死体や魔術で木っ端微塵にされた肉片も見受けられるが、その騎士たちを殺したのはジノヴィではない。
彼の得物は、背中に背負っているツヴァイヘンダーなのだから。
それゆえに、剣で切り裂かれて死んでいる騎士を殺したのは自分だと断言できた。
エルフたちが最も好む武器は弓矢である。中にはハイエルフの職人が鍛え上げたロングソードを振るう剣士や、杖を使って強力な魔術を放つ魔術師も存在する。しかしアネモスの里の戦士の大半は、職人が作り上げた弓矢で敵を撃ちぬく戦い方を得意とする者が多い。
だから剣で切り裂かれた死体は、ほぼ確実にジノヴィが殺した敵兵ということになる。
このような光景を何度も目にしていたジノヴィは、焼けた肉の臭いや血の臭いに支配されている焼け跡を通過しながら溜息をついた。
彼の仕事は傭兵である。報酬の代わりに戦場の真っ只中へと突撃し、背負っている得物を振り回して敵を殺し続けるのは当たり前なのだ。
ジノヴィが引き受けた仕事は、このアネモスの里をアートルム帝国の騎士団から守り抜くことだった。愛用のツヴァイヘンダーで帝国が派遣した大部隊に大打撃を与えて撤退させるという戦果をあげたジノヴィは、里の長老から報酬を受け取って里を離れる予定だったのだが、帝国の騎士団を撃退した日からまだ里に滞在している。
里の戦士たちから、また仕事を引き受けたのだ。
大打撃を与えたとはいえ、アートルム帝国の騎士団の規模は大国の中でもトップクラスと言える。ジノヴィが奮戦したおかげで里を守ることができたものの、もし帝国が里への侵略を諦めていなければすぐに部隊の再編成を済ませ、攻撃を仕掛けてきてもおかしくはない。
そのため、ジノヴィに引き続き里の防衛を依頼したのだった。
報酬の金額はそれほど多くなかったものの、ジノヴィは金額の事は気にしていなかった。彼が欲しているのはクライアントが支払ってくれる高額な報酬ではなく、クライアントが”提供”してくれる殺し合いなのである。
ジノヴィは戦いに勝利して喜ぶ男ではなく、死闘の最中に喜ぶ男なのだ。
(里の人たちにもてなしてもらうのも悪くないが、やっぱり戦いたいからな…………)
彼が里の外へとやってきたのは、魔物の警戒をするためだった。戦士たちが死体を素早く片付けているとはいえ、魔物の中には人間よりもはるかに嗅覚が発達している魔物も存在する。もしそのような魔物に血の臭いを嗅ぎつけられれば、里の周囲に魔物の群れが殺到する羽目になる。
引き受けている依頼は”里の防衛”であるため、このようなパトロールも仕事の1つなのだ。
上手くいけば魔物と戦えるかもしれない、と期待しながら、ジノヴィは焼けた森の向こうへと歩いて行くのだった。
アネモスの里は、何度も周辺の大国たちに攻め込まれたことがある里である。周辺諸国の軍事力には全く敵わないものの、寿命が長いおかげで何度も実戦経験を積んだ屈強な戦士たちが侵略してきた敵兵たちを返り討ちにしてきたため、里の外の森が何度焼き払われても、美しい花や巨大な樹に囲まれたアネモスの里は、この森の中に作られた時の光景と殆ど変わっていなかった。
建物はほぼ全て木材で作られており、里のいたるところには花壇が作られている。家の窓やベランダには小さな植木鉢に植えた花を飾っておく家が多いため、花や自然に囲まれた美しい光景が、木製の防壁の内側に広がっている。里を取り囲む防壁の内側には農作物を栽培する畑も用意されており、森の中には動物や魔物も生息しているため、他の村や国から食料を輸入する必要は全くない。
様々な植物や豊富な作物に彩られた平穏な畑の反対側には、荒々しい戦士たちが訓練に使う訓練場も用意されている。里の中には様々な植物や花が植えられているせいで、訓練の邪魔にならないように徹底的に草刈りが行われ、土が剝き出しになっている訓練場は、まるで里の中に生まれ落ちた戦場のようにも見える。
50mほどの長さのレーンが4列用意されており、その向こうには木製の板で作られた的が立てかけられている。弓矢やクロスボウの訓練用のレーンの隣には剣術の訓練をするためのスペースがあり、戦士たちはそのスペースで剣術の訓練をしたり、他の戦士と実力を競い合っている。
「おじさん、前に修理お願いしてた弓矢はある?」
「おう、これだろ。ちゃんと直しといたぞ」
訓練場の中から響いてくる戦士たちの叫び声や、矢が的を射抜く音を聴いていた鍛冶屋の店主は、カウンターの前にやってきた若い戦士に修理を終えたばかりの弓矢を渡すと、「今度は丁寧に使えよ」と言いながら笑い、訓練場へと向かう戦士を見守った。
エルフの中でも身体が頑丈と言われているハーフエルフの店主が経営している鍛冶屋は訓練場のすぐ近くにあるので、訓練に行く戦士や訓練を終えた戦士たちが頻繁に立ち寄るのだ。
木製の弓矢を背負って訓練場の門をくぐっていく若い戦士を見守りながら、ハーフエルフの店主は溜息をついた。
アネモスの里は森のど真ん中に作られた里であるため、木材はこれでもかというほど確保できる。手間がかかる仕事ではあるものの、里の周囲に屹立する巨大な樹を1本切り倒すだけで、戦士たち全員に木製の弓と、それなりの数の矢を支給できるほどの木材が手に入るのだ。
それゆえに、戦士たちの使う飛び道具は木製のものばかりとなっている。
(いつまでも木製の武器じゃ拙いよな…………)
いくら木材がいくらでも手に入る上に戦士たちが弓矢の使い方に秀でているとはいえ、武器の性能は大国の武器と比べると劣っているとしか言いようがない。
攻め込んできたアートルム帝国では、騎士たちに鉄製の弓矢を支給し、魔術師たちには魔力の伝達の効率がいい金属製の杖を装備させているという。今回の戦いで装備をいくらか鹵獲する事ができたおかげでその技術を参考にすることはできるが、その武器を作るための金属が用意できなければ意味がない。
アネモスの里の周囲には、鉱石が採掘できる鉱脈がないのだ。そのため金属は貴重品であり、大半は剣や防具の素材に使わざるを得ないため、飛び道具は後回しにされてしまっているのである。
「おじさん、どうしたんですか?」
「ん?」
これからは飛び道具が戦いの主役になるのに、と考えていた店主の不安を、カウンターの向こうから聞こえてきた優しそうな少女の声がかき消していく。
カウンターの向こうから腕を組んでいる店主を見つめていたのは、よくこの鍛冶屋を訪れる”客”の1人であった。傍から見れば、戦士向けの弓矢や大剣がずらりと並ぶ荒々しい鍛冶屋とは無縁の少女にも見えるが、彼女の発する凛とした雰囲気は、鍛え上げられた戦士たちと全く変わらない。
セミロングの金髪の左右からは人間よりも長い耳が突き出ており、彼女もアネモスの里に住むエルフの1人だということが分かる。
正確に言うと、彼女は普通のエルフではなくハーフエルフだ。
「やあ、ジャンヌ。これから訓練か?」
「ええ。ところで私の槍はあります?」
「ああ、こっちにあるよ」
くるりと後ろを振り向き、ナイフが収まっている棚の隣に立てかけられている槍を拾い上げる。槍と言っても、金属の部品で補強した木製の柄の先端部にロングソードの刀身を取り付けたようなシンプルなデザインだ。地味な武器とはいえ、柄が2m以上の長さだからなのか、その代物が発する威圧感は帝国から鹵獲した金属製の大剣と全く変わらない。
しかもその得物を使うのは、このような得物を振り回して戦うよりも、魔術や錬金術の勉強をしている方が似合うようなハーフエルフの少女である。
「ほら」
「ありがとうございます」
「熱心だな、ジャンヌは」
「はい。私もいつかは最前線に行って、里を守るために戦いたいですし」
「うーん…………確かにお前は強いから戦力になるけど……………」
彼女の槍を拾い上げて渡しながら、店主はまたしても不安を感じた。
「―――――――ジャンヌ、お前には”使命”があるだろう? 確かに里を守るために技術を磨いてくれるのはありがたいんだが、里よりもその”使命”のために技術を磨くべきだと思うぞ?」
「ですが……………今回の襲撃は、傭兵を雇って何とか撃退したんですよね? このままでは傭兵を雇わなければ里を守ることができなくなってしまいます」
「心配すんなって。こう見えても俺も昔は戦死だったんだ。いざとなったら、奥の工房にあるハンマーを帝国の連中にぶち込んでやるさ。……………それより、訓練所行ってくるんだろ?」
「はいっ!」
「頑張れよ、ジャンヌ」
いくら凛としているとはいえ、少女が持つとは思えないほどの威圧感を誇る槍を受け取ったジャンヌは、その槍を肩に担ぎながら訓練所の門の方へと歩いていく。
今日もジャンヌの槍で薙ぎ倒される戦士たちの叫び声が聞こえてくるのだろうな、と思いながら、店主は踵を返して再び工房へと戻っていくのだった。
顔面が潰れた小柄な魔物が、飛び散った肉片と共に焦げた大地へと崩れ落ちていく。オリーブグリーンの表皮には、驚異的な瞬発力と腕力で放たれたパンチで粉砕された脳の肉片や頭蓋骨の一部でピンク色に汚れており、奇妙な迷彩模様に変貌している。
今しがた小柄な魔物の頭を砕いた拳に付着している肉片を払い落としながら、ジノヴィは舌打ちをした。
(遅かったみたいだな…………)
森の外へと流れていく血と死体の臭いの上流へ、魔物たちの臭いが移動している。
―――――――魔物たちが、死体の臭いに気付いたのだ。
「くそ」
あの戦いで、ジノヴィは帝国の騎士を何人も切り殺している。何人殺したかは全く数えていなかったが、仮に数えていたとしても数えきれなかっただろう。
エルフたちが死体を片付けていたが、短時間でジノヴィが両断した死体を全て片付けられるわけがない。
ジノヴィが引き受けているのは”アネモスの里の防衛”である。当たり前だが、人間ではなく魔物が里を襲撃している際もアネモスの里を死守しなければならない。
頭が砕けたゴブリンの死体を踏みつけてから、ジノヴィは再び焼け跡と化した森の中を全力疾走するのだった。