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修学旅行  作者: 沢山書世
5/5

第五章 表参道へ

この第五章で完結します。

 表参道

「もう、半分くらいの店は見て回ったんだろうな」

 大通り沿いから探し始めて、路地裏までしらみつぶしに店という店を確認しながら歩いてきた航がそうつぶやく。幸いこの町の店舗は道路に面する側をガラス張りにしていることが多く、外に居ながらにして中の様子を覗き見ることが可能であったため、ローラー作戦が碧を探すのに効果的だと思われた。ただ、美容室の数がとてつもなく多いのには閉口した。自分たちが暮らす町にはたった一軒しかない美容室が、ここを歩いていると次から次へといくらでも目に飛び込んでくるのだ。

「裏通りに店を出していても、ちゃんと商売になっているのだろうから、たまげたところだよなあ」

 表通りほどの人数ではないが、裏道を歩いていても、結構な数の歩行者とすれ違う。どんなに細い道にでも人の流れが出来ているのだ。

「ん?」

 裏原(原宿の裏通り)の一角にある店の中に、碧らしき姿を見かけた航。立ち止まって、ガラス越しに目を凝らす。

(間違いない、碧だ)

 右足首のほくろの位置で碧だとの確証を得た航は、両手を大きく振って店内に合図を送った。碧と目が合う。

「やった」

 身振りを一層大きくする。

「会いに来たよー」

 思わず声が出てしまった。碧だけではなく、店中の客と店員らの視線が一気に航に集まったが、今は恥ずかしがってなどいられない。両手を使ったジェスチャーで、こっちに来て欲しいということを一生懸命伝える。碧が小走りで入口へと駆け寄ってきてくれた。笑顔だけをドアから覗かせて、十分待っていて欲しい、と小声で言うと、すぐに店の奥へと戻っていった。


 通りにて

 表参道のメイン通り。椅子兼用のガードレールに碧と航が腰を降ろしている。

「修学旅行から抜け出してくるなんて、何を考えているんだか、まったく」

「へへ」

「もちろん数馬と風太も脱走したんでしょ」

「うん、そうなんだ」

「ほんと、男の子ねえ」

「ははは」

 頭を掻く航。

「それで、あとの二人はどこでどうしているわけ?」

「菜月と玲奈のところにそれぞれ行っている」

「じゃあ、私たち三人に会うためにこんなことを?」

「うん、まあ、そういうこと」

「んまー、あきれたというか、感心してしまうというか」

「ははは」

「それで、君たちのその勇気ある行動は、はたして報われたのかしらねえ?」

「少なくとも数馬と僕はね。風太の方は解らない」

「そう」

 言いながら自分の髪に手櫛を入れる碧。

「それ、奇抜な髪だね」

「似合っているかな?」

「うーん」

 航の顔に、困惑ぎみの表情が現れ出ている。

「そうだよね、似合わないよね」

「ごめん」

「いいの、わたしだって好きでこの髪型にしたわけじゃあないんだから。本当は落ち着いた雰囲気にしたいんだけどなあ」

「昔みたいに?」

「うん」

「じゃあ戻したらいいじゃない」

「そうもいかないのよ。仕事柄必要に迫られてこうしているんだもの」

「ふーん」

「場所柄もあるしさ。このあたりでは地味にしているわけにはいかないのよねえ。しょうがないんだあ」

「なるほどねえ」

「顧客の変身願望を満足させるためには、まずは自分からだって、先輩たちからそう教わっているのよ」

「ふーん」

「目立つためには派手な化粧も必要だし」

「そうなの」

「お客様にお勧めするためには、何事もまずは自分から」

「いろいろあるのは解ったけど、やっぱり以前の髪型の方がよかったな」

「わたしもそう思う」

「だろ」

「変なものよねえ、他人の髪を賑やかにしてあげたくてこの世界に入ったというのに、自分の頭をそうしたくはないって」

「戻しなよ」

「そうしよっか」

「うん」

 両手を側頭部に添えて上にあげると、髪がその形のまま一緒に持ち上がった。

「あっ、えっ?」

「本当はかつらなの」

「なんだよ、おどかすなあ」

「へへへ」

 舌をだしておどけて見せる碧。

「このほうが、らしいよ」

「うん」

 航が自分の後頭部で両の手の平を組み、空を仰ぐ。

「なんか、この場所、落ち着くなあ」

「でしょ! 航もそう感じてくれるんだあ」

 身体ごと航の方へと向き直って、うれしそうな表情を見せる碧。

「ここに居ると、自然と笑顔になれるのよねー」

「それ、わかるような気がするなあ」

「おんなじ東京でも、他の場所とは違うの。人がこんなにいっぱいいるのに、ちっとも窮屈に感じないし」

「なるほどねえ」

「みんな、あくせく動いてはいないし」

 ちょうど二人の前をタイヤの小さな自転車が通り過ぎていった。

「ほら、自転車の動きもトロトロでしょ」

「のどかなものだねえ」

「そうなのよ。後ろから合図もなしで猛スピードで追い抜いていくような自転車は、ここにはいないの」

「あれなら安全だね」

「マナーがいいから、危険やストレスを感じずに安心して道を歩いていられるの」

「うんうん」

「そしてなによりも、行きかう人たちが、みんな笑顔で歩いているのよねえ」


「はあはあはあ、どこだどっこっだ、あいつらは今、ど・こ・な・ん・だ」

 ひとりごとを繰り返しながら裏道をさまよい歩いてきた男が、表通りへと出てきた。

「うわ」

 段差があることに気付かず、煉瓦につまずいてしまう。

 ゴロゴロゴロ

「いてってって」

 うつぶせに倒れこんでいったその鼻先には、航と碧が座っている。男が両手を地面につけて体を起こしたところで、三人の目と目が合った。一瞬の沈黙の後、

「おまえらー」

 鬼の形相で笑う中川。

「あわわわ」

 思わず抱き合ってしまう航と碧。

「こら、おまえら、俺の前でなにをいちゃいちゃやっているんだ?」

 慌てて離れる二人。

「ご、ごめん」

「ごめんなさい」

 中川が二人の前で仁王立ちだ。

「ついに見つけたぞー」

「まずい」

 航が碧の左手を掴んで走りだした。ヒルズ前の坂道を下っていく。

「苦労してやっと見つけたんだ、逃がすわけにはいかないぞー」

 すぐに追いかけ始める中川。

「苦労をしたのは、こっちだって負けちゃいないよ」

 そう言って逃げる航と碧の先方、歩道の真ん中に、ビラを配るお姉さんの姿が見える。

「キャンペーン中でーす、いらしてくださいー」

 そう叫ぶお姉さんの手から、すれ違いざまにビラを全てひったくった碧。

「あっ」

 すぐさま宙に向かって投げ上げた。そのままビラが舞っていてくれれば、きれいな景色になるのであろうが、そうはならない。すぐに地面に落ちて辺りを散らばったビラが覆った。

「こらー、君たち、なんてことをしてくれるのよ。待ちなさい!」

 二人はブレーキをかけることなく進んでゆく。

「ちょっと、戻ってきなさーい!」

 離れて行く二人の背中に向かってお姉さんが叫ぶ。

「すみませーん、急いでいまして―」

 碧が顔を後ろに向けて謝る。

「後から来ているのが、引率の先生なんです。苦情はそちらに言ってくださーい」

 と航が付け加えた。二人はなおも走る。

「こんなことしちゃって、あたし表参道に居られなくなったりはしないかしら」

「なったらなった、それでもいいじゃない」

「わたしの居場所がなくなっちゃうよ」

「渋谷に移ればいいんじゃないの? そう遠くはないし」

「なるほど、それもありかな」

「問題解決だ」

「でも待ってよ、そもそも、なんであたしは逃げているんだろう。追いかけられているのはあなたでしょ」

「僕たちは運命共同体なんだよ」

「えー、いつから?」

「今日から」

「なんで?」

「君には僕とずっと一緒にいて欲しいから」


 追ってきた中川の前に、お姉さんが立ちふさがった。急停止を余儀なくされる中川。

「おっとう。なにをするんです、邪魔をしないでください」

「商売道具をこんなふうにされたのよ、黙っていられますかっていうの」

 地面を指し示しながら、中川を睨み付けるお姉さん。

「あなた、教師だっていうじゃない。生徒のしでかしたことなんだから、代わりに責任を取ってもらわなくっちゃね」

 泣く泣くビラを拾いはじめる中川。どんどん離れて行く航たちの姿が視界の端にずっと映っている。撒かれたうちの半分ほどを拾い集めたところで、ビラをお姉さんに押し付けるように手渡すと、

「お姉さん、すまない」

 そう言い残して再び二人を追いかけはじめた。

「こらー、まだ半分以上残っているでしょうが」

「これ以上あなたの傍にいると、あなたのことを好きになってしまいそうで」

「いい加減なことを言って。逃げたいだけでしょー」

 申し訳ないことだとは感じている。おそらくは残りのビラを拾い集めることになるであろうお姉さんの姿が浮かんで、後ろ髪を引かれる思いの中川ではあるのだが、自分は前へと進んで行かねばならないのだと、浮かんでくる景色を振り払いながら駆けてゆく。中川の行く手には、また別の試練が立ちはだかることになる。


 ひた走る航と碧。その先で、外人さんの団体が歩道を占拠しており、行く手を阻まれてしまった。

「エクスキューズミー、ワタシタチコマッテイマス」

「えっ、困っていると言われても、そう言われたとたんに、こっちも困ってしまうなあー、まいったなー、急ぎたいんだよなあ」 

「でも、この人たちをこのまま放っておくのもかわいそう」

「プリーズ、タスケテ」

「うーん」

 二人が後ろを振り返る。中川の鬼の形相がどんどん大きくなってくる。

「あわわわわ、どうしよう碧」

「そうだ!」

 碧は近づいてくる中川の方をゆび指して、

「ヒーは、イングリッシュのティーチャー」

「オー、ティーチャーデスカ サンキュー」

 外人さんの団体は二人を解放して、今度は中川の進路を塞ぎに入った。

「おっとっととお、なんだなんだ」

「ティーチャー、ジンジャ、トーゴ―ジンジャ、オシエテクダサイ」

「それどころじゃないんですってば。今度会ったときに調べて教えてあげますから、今はここを通してもらいたい」

「コンドジャダメナンデス。イマ、コマッテイルンデス」

「あー、もー」

「タスケテ、ティーチャー」

「ほら、辺りを見てごらんなさい。他にも人がいっぱい歩いているでしょ、わるいけど、別の人に聞いて、お願い!」

 中川は早口でそう言い残し、改めて駆け出した。その後ろを外人さんたちが全員で追いかけていく。外人さんに早口の日本語は通じなかったようで、私についてくれば目的地にたどり着けますよ、中川の身ぶりを彼らにとって都合のいいように、そう訳して受け取ったらしい。空港に到着してから今までずっとそうであったように、日本人は親切に案内してくれるものだと信じているのだ。

「振り切るしかないか」

 中川が走るスピードを限界まで上げにかかったところで、横から突然伸びてきた手が、中川の首根っこに掴みかかった。次の瞬間には背中をとられ、羽交い絞めにされていた。

「さあ、おとなしくするんだ」

 顔をひねって後ろを確認する中川。そこには警官の姿があった。

「ちょっとお、おまわりさんがなんで僕を?」

「俺のミスだったよ。もっとはやくお前を捕まえておくべきだったんだ」

「どういう意味ですか? それは」

「お前、昨日からこの辺りをうろついていただろ」

「うろついていただなんて、僕は人を探して歩いていただけですよ」

「怪しい奴だとは直感で解っていたんだ。とうとう尻尾を出しやがったな」

 外人たちが追い着いてきた。

「チョウドヨカッタ、ミスターポリスマン、コノヒト二、ミチヲオシエテモラッテイタンデス」

「こいつには関わらないほうがいい」

「コノヒトハ、アクニンデスカ?」

「そうです。おそらくあの子たちを襲うのが目的だったのでしょう」

 傍らに立っている別の警官の横から、航と碧がひょっこりと顔を出した。走っているところを職務質問で止められていたのだ。

「君たちは、交番の中に入っていなさい」

「はい」

 返事をした二人。先生の魔の手からかくまってもらいたいのはやまやまではあるけれど、ここに長居をするわけにはいかないのだ。交番に入るそぶりを見せてから、忍び足でその場を離れてゆき、歩道橋を駆け上がった。警官たちは、中川を押さえつけることに夢中で、子供たちの逃走には気付いていない。が、仰向けの体勢で警官に抵抗する中川に見られてしまった。

「おい、子供たちが逃げていくぞ! 警察から逃げようっていうんだから、俺よりもあっちの方が怪しいとは思わないか?」

「我々から逃げているのではなくて、お前の傍から離れたいがための行動だろう。悪人はお前の方なんだからな」

 二人は通りの向こう側に渡りきると、すぐに裏原へと入り、そこから路地裏の道を右左と曲がりながら駆け抜けていった。

「航!」

「何?」

「航は、このあたりの道をわかっているの?」

「ああ、地図を頭に入れてきた」

「何処を目指しているのよ?」

「東郷神社」

「だったらこっちから行ったほうがいいよ。遠回りだけど人通りが少ないから」

「そうなのか、助かるよ、人通りまでは地図に載っていないからね」

 左から大きく回りこむルートを碧は選んだようだ。竹下通りを目指して路地を進んで行き、原宿駅前の信号機に止められた。

「神社に行く目的は?」

「ちりぢりになってしまった場合の、僕らが集合する場所に指定しておいたんだ」

「じゃあ、もうすぐみんなにも会えるんだね」

「うん」

 東郷神社は、もう目と鼻の先だ。これで一安心だ、やっと心を落ち着ける、そのはずだった二人の後方にざわめきが。そっと後ろを振り返ると、そこには先ほど表参道で別れたはずの外人観光客達のたくさんの笑顔があった。

「ずっと追いかけてきたの?」

「トウゴウジンジャハ、モウスグナノデスカ?」

 ついてきてしまったものは仕方がない。目的地は幸い同じ場所なので、そこまでは案内することにした。神社にたどり着けばさすがに自分たちを解放してくれるだろう。神社の敷地へは、路地を伝って裏手から入っていった。

「さあ、お目当ての場所に到着しましたよー。このあとは自由行動ですよー、では、かいさーん」

「オー、シンセツナカワイイカップルサン、サンキュー、サンキュー」

 団体はバラけると、各々で写真を撮り始めた。

「やれやれだね」

 二人はまずは正面に回ってお参りを済ませ、境内の中を散歩しながらお互いの近況を語り合った。

「あっ」

「ああっ」

 鳥居を挟んで、道路側には中川と警官、それからビラ配りのお姉さんの姿が。神社側には航と碧。あまりにも早い再会の舞台がここに用意されていた。逃げようとする生徒二人の背中に向かって、

「待ちなさい!」

「待ってくれ!」

 と、二つの大声が浴びせかけられると、身体が硬直したかのように、二人の足が止まってしまった。

「君たちは、この男から怖い思いをさせられたんでしょ。わたしが押さえつけておいてあげるから蹴っ飛ばしておやりなさいよ」

 お姉さんが二人にそう提案する。

「だめだよ。すでに逮捕しているんだから、処罰は警察に任せてくれなくちゃ」

 警官がお姉さんを止めに入る。

 お姉さんの怒りの度合いが警官のこの説得などで変わっていないことは、その表情でわかった。

「警察とわたしとこの子たち全員で、この男を処罰することを提案するわ」

「警察だけに任せてください、お願いします」

「こってりとしぼってもらえるのかしら? 子供たちを襲った理由もきっちり白状させてくれるの?」

「おい、貴様、ちゃんと協力するんだぞ」

 警官が中川をどやしつける。

「碧、航、頼む! 我々のこと、それと俺が追いかけてきた事情を説明してやってくれよ。このままじゃ俺は捕まっちまう」

「もう捕まっているのよ。あなたはすでに、立派な犯罪者なの」

 当初、警官は交番で中川の取り調べをしようとしたのだが、是が非でも逮捕してもらいたいとの強行姿勢を崩さないお姉さんの気迫に押し通されて、原宿警察署へと連行するところであった。主たる逮捕理由はお姉さんに迷惑をかけたことだが、子供二人を追いかけまわしていたことについての取り調べも必要だと思われた。

「どうしよう」

 航と碧は困惑している。

「脱走したことについて、責めたりはしないから」

 中川がそう提案する。

「本当?」

「ああ、約束する」

「私たちが一緒に過ごす時間も欲しいんだけど?」

「ああ、帰りの電車の時間まで、全部自由行動でも構わない」

「わかった」

 二人に笑顔が戻った。中川の方に歩み寄っていく。と、そこにお姉さんの携帯が突然鳴り響いた。バッグから携帯を取りだして、あわてて耳に当てる。

「こらー」

 携帯から飛び出して来た音声と一緒に、同じ内容の生の声もみんなの耳へと飛び込んできた。

「おーい、静香、何をやっているんだい、今は就業時間中だろうが」

 生の声が聞こえてくる方に顔を向ける一同。道路の向こう側に建つビルの十階に、窓から顔を出して携帯片手でこちらに向かって叫んでいる女性の姿が確認できた。

「社長!」

 静香が叫び返す。

「あれは十階ばあさん!」

 これは警官が漏らした声だ。

「仕事をさぼってそこでなにやらやっているということは、もちろん仕事よりも面白いことが見つかったということなんだろうね」

「ええ、まあ・・・」

「あたしにも、あとで話をお聞かせよ」

「は、はい」

「つまらないことだったら承知しないよ!」

「たぶん、大丈夫だと思います」

「そうだ、なんならあたしも降りて行って中に入れてもらおうかねえ?」

「君はあのばあさん・・・いや、あのご婦人のところの人間なのか?」

 警官がお姉さんに尋ねる。

「はい」

「だったら頼む、降りてこないようにお願いしてくれ」

 そのビルの斜め向かいが警察署だ。警察と十階ばあさんの間に何らかのお付き合いがあるのであろう。警察にとっては扱いにくい部類に属する相手のようだ。

「解りました」

 十階ばあさんを振り返る静香。

「あたしが行った方がよくないかい?」

 生の声が再度迫る。

「社長がいらっしゃると、話が大きくなりすぎてしまいますから、今回はお出ましいただかないほうがよいかと・・・」

 電話口で答える静香。

「そうかい? ひとり蚊帳の外は、なんかつまらないねえ・・・」

 十階ばあさんがしょぼくれた様子で窓を閉めて電話も切れたところで、航からみんなにこれまでの経緯についての説明がされた。

「なるほどねえ。実に健気な、いい青春話じゃないのよ」

 静香の口から白い歯がこぼれ落ちる。

「それをこの男が邪魔してくれたんだね」

 一転して怖い表情へと変化している。じつに忙しい顔だ。

「疑いは晴れたんでしょ、そんなおっかない顔をして睨まなくったっていいんじゃないのかなあ」

「恋愛の自由を妨害したことについての罪があることに変わりはないわ」

「でも修学旅行中なんだし」

「おじさん!」

「失敬な! 俺はまだ若いんだぞ」

「考え方がおじさんだって言っているの!」

「教師という立場上、建前の話を入れなきゃならないことだってあるんだよ。俺だって自分が生徒らと同じ立場だったら、一直線で行くさ」

「告白できるとでも?」

「ああ、もちろん!」

「じゃあ言ってみなさいよ」

「え? 言うって、誰に?」

「まあ、とぼけちゃって、おっしゃっていらっしゃらなかったこと? あたしのことを好きになってしまうって」

「あー、さっきの」

「そうよ。あれはでまかせだったのかしら?」

「めっそうもない」

「じゃあ、続きを聞かせて頂戴」

「ここでかい?」

「そ」

「では、よろしくお願いします」

 おじぎをして右手を差し出す中川。そこに再び電話の音が。みんなが一斉に十階に目をやるが、そこに十階ババアの姿はなかった。警官が肩を不意に叩かれて、反射的に振り返る。

「ご苦労さん」

「げっ、十階ば・・・婦人」

 我慢できずに降りてきていた十階ばあさんがそこにいた。

「ははは、ばあさんでかまわないよ」

 言いながら、静香と中川の腕を握り、自分の方へと引き寄せた。

「二人で田舎に行っちゃいな」

「え?」

「表参道の次はパリかロンドンに支店をだしたいと思っていたんだけどねえ、ま、田舎でもいいか」

「はあ?」

「あんたたちのために、店を出してあげるっていうこと」

「社長、それって本当の話ですか?」

「田舎なら、店を建てる場所には困らないだろ」


「ここだよ、こっちこっち」

 菜月と一緒に先頭を歩いてくる数馬が、後からついてきている木田に向かって叫ぶ。

「りょうかーい」

 木田はお腹に力が入っていない声で返事を返してくる。

「さあ、着いた着いた。あー、中川先生だ!」

 中川を見つけた菜月が叫ぶ。

「よっ、数馬に菜月」

 女子寮メンバーたちの到着である。数馬、菜月、教師の木田、それに寮長の四人が鳥居の中の一団と合流した。

「数馬、昨日は済まないことをした」

 航が数馬のもとに駆け寄って行き、頭を下げる。

「いいってことよ」

「あれからも、ひどい目にあわされたんだろ」

「まあね。でも、あとから木田先生の話を聞いてみたら、先生の方がずっと大変だったようでさ。自分の方はまだましだったんだって思えたら、なんだか立ち直れたよ」

「木田先生はなんだか別人になったみたいだ」

 航が正直な感想を言う。

「壮絶な体験をしたからなあ。ははは」

「自業自得でしょ」

「まあね。一人の女性の人生を傷つけてしまったんだからな、あれくらいの罰を受けたのは仕方ない。あれで水に流してもらえるのなら御の字さ」

 寮長の肩を借りてやっとのことで立っている木田がそう語る。

「何を言っているの。まだ償いは始まったばかりよ」

「へ?」

「一生をかけて罪滅ぼしをしてもらいますからね、あははは」

 微笑みを忘れていた寮長の顔に数年ぶりの笑顔が戻ってきた。

「ねえねえ、あの二人はどんな関係なの?」

 航が菜月に小声で尋ねる。

「苦労の末再会を果たせた即席のカップル、といったところかな」

「じゃあ、これから遠距離恋愛をしようっていうのかい?」

 ばあさんが寮長にこう訪ねる。

「いや、一緒に田舎に行こうかと」

 二人が顔を見合わせる。

「そりゃいい」

「ファッションの現場に戻れればいいんですが・・・」

「だったらうちが出す店を使えばいい」

「え? いいんですか?」

「大きいものを建てるつもりだから、大丈夫」

「四階建てがいい!」

 これは生徒達の声だ。

「なんで?」

「町一番ののっぽビルになるからね」

「俺たちの事務所も間借りさせて欲しいなあ」

 今到着したばかりの赤井が、体ごと口を挟んできた。青田と風太も一緒だ。

「僕らも田舎に戻ることにしたんだ。代議士の許可を得られたから、赤井を町会議員に立候補させる。俺は秘書にまわる予定でね」

 青田が付け加えた。

「赤井先生、学校を辞めちゃうの?」

「残念だけどな。秘書として政治経験の多い青田の方が議員には適任かと思ったんだが、田舎では、教師の方が信頼されているからね、選挙には通りやすいかなって」

「二人とも、もったいないなあ」

「そうよ。青田さんだって、代議士の秘書でいた方がいいんじゃないの?」

「そうだよ」

「俺は秘書のプロだからな。やりがいが見出せるのであれば、どこの秘書だろうと引き受けるさ。当選できなかった場合にも、所属政党を変えたり、別の政策を打ち出したり、作戦変更の組み立てと言った裏方作業は、選挙プロの俺がやった方がいいだろう」

「それでもだめであれば、バトンタッチでこいつが出る」

「まあ、第三の人生、先が楽しみになって来たよ、な」

「ああ。いずれは国会に進出することになるかもしれないしな」

「夢を再び目指そう」

「よしみんなの心意気が解った、四階建てのビルをこのばばあが作ってやろうじゃないか!」

「おー」

「それじゃあ、全員で、神様への報告と、成功祈願をしにいくとしようか」

 神殿へと向かう一行。


「さあ、もうひとつ問題が残っているぞ」

「問題?」

 中川の言葉に、一同が顔を見合わせる。

「みんながうまくまとまれたんだぜ、もう問題はないはずだが」

「浅草だよ」

「浅草?」

「あ、宿?」

「仲居さんか!」

「昨日から誰も連絡を入れていないんだろ」

「本当かよ。そりゃあ、まずいなあ」

「仲居さん、きっと怒っているだろうなあ」

「参ったなあ。いっそこのまま田舎に帰っちまおうか」

「そいつはだめだよ。大きな荷物は宿に置きっぱなしにしてあるんだからさあ」

「あーあ、やっぱり行くしかないのかあ」

「うん。怒っていると同時に、心配してくれてもいるだろうしね」

「よし、俺が連絡を入れよう」

「頼む」

「そうだ、お巡りさんについてきてもらうというのはどうだろう、心強いんじゃないかな」

「それはちょっと、ご勘弁を・・・」

 警官が後ずさりをする。

「これ以上警官をイジメなさんな」

 ばあさんが言う。

「十階婦人からそう言われても、なんだか説得力ないなあ。あ、すみません」

「こら、一言余計だぞ、警官!」

「はっ、すみません」

「ははははは」

「それじゃあ、外人さんたちに来てもらおうぜ。これだけ騒がしい連中が現れれば、仲居さんも怒るどころではないさ」

「よし、大いに騒いでもらおう。それで無断外泊の罪をうやむやにしてしまえ」

「浅草を案内しようと思うんですが、どうでしょう?」

 近くにいた外人たちに中川がそう訪ねてみる。

「イキタイデス」

「オネガイシマス」

「よし!」

「みなさーん、次の見学先が決まりましたよー」

「ハーイ、ドコデスカー?」

「なんと浅草、本場の日本家屋に行きまーす」

「ハイ?」

「ホテルじゃないやつです」

「ホワット?」

「ヤド、ジャパニーズヤドデス」

「オー、ヤド、ジャパニーズヤド。イキタイデス、ミタイデス、サンキュー」

「話は決まった、それじゃあ、レッツゴー」

 表参道を駅に向かって笑顔で元気に歩いて行く一行。その一行を、夕焼けが暖かく包んでくれていた。


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