第三章 渋谷へ
東京タワー
東京タワーを展望台まで上ってきた一行。教師が生徒達を集めた。集めたといっても一声かければ大声でなくとも全員に届いてしまう規模の団体なのだが。
「お前たち、今のうちにトイレに行っておくといい」
「僕は平気です」
「僕も」
「俺も」
「そっか。それじゃあ、先生たちが用をたしてくるまで、ちょっとここで待っていてくれ」
「うん」
「了解」
「はーい」
教師たちの背中を、瞬きすることなく睨むようにして見送る三人。突き当たりの壁を右折して、姿が見えなくなったのを確認すると同時に、三人が顔を見合わせる。
「行くなら今だな」
「うん、チャンスだ」
「やっぱり決行するのか?」
「もちろん」
「幸い渋谷はここからそう遠くはない場所にある」
「わかった」
三人の脱走劇がスタートした。大急ぎでエレベーターへと駆けていく。が、下りのエレベータ―がなかなか来てくれない。
「頼む、急いでくれ」
トイレの方向に何度も目をやる三人。
チーン
「やっと来てくれた」
「よし、乗ろう!」
お互いの背中を押し合って、エレベーターの中へと乗り込んでいく。ドア側へと体の向きを変えると、トイレからもどってくる教師たちと目が合ってしまった。
「まずい」
後ろに向きを変える三人。
「おい、こら」
エレベーター目がけて走ってくる教師たち。
「先生、ご免」
ドアが閉まる方が早かった。無理を承知でこじあけようとする教師たち。
「待て―」
東京タワーの入り口で、教師らが相談をしている。
「こんなことになるとは」
「まったく困ったもんだよ」
「ほんと、いったいどうしたらいいんだろう」
「とりあえず学校に連絡を入れて、校長の指示を仰ごうか」
「学校に?」
「おいおい、待ってくれよ。このことが学校に知れたとしたら、俺たちただでは済まないぜ」
「間違いなく責任問題に発展するな」
「それは困る」
「でも、連絡しないわけにはいかないだろう」
「いや、それは最終手段だ。まずは俺達で捕まえに行こうぜ」
「捕まえてしまえば、確かに心配は消えてなくなってくれるけど・・・」
「はてさて、あの子たちをいったいどうやって探せというんだ?」
「どこか当てはありますか?」
「考えてみよう。昨日までの彼らの様子はどうだった?」
「車中も食事中も楽しんでいましたよ」
「そうそう」
「だったら修学旅行を嫌がっての脱走という線は消えるな」
「うん」
「では、なにか目的があっての脱走ということでしょうか」
「前から計画していたものだったという可能性は?」
「そんな素振りはまったく見せなかったなあ」
「思いつきの犯行か」
「だったら昨日の夜だな、あいつらの間で、なんらかの話し合いがもたれたんだろう」
「そして何処かに行く必要ができた・・・」
「その線が有力だな」
「じゃあ、一体どこへ?」
「昨日の彼らの会話を思い出してみようか」
「そうだな、何かヒントがあるかもしれない」
「うんうん」
「何を話していたっけかなあ」
「東京の話とかをしていましたね」
「そりゃそうだろう。他には?」
「風呂で泳ぐ話」
「東京の銭湯廻りにでも行ったというのか?」
「動機としてそれは薄いんじゃないのかなあ」
「そうだろうな」
「あとは?」
「うーん、あんまり覚えていないなあ」
「会話を思い出せないんじゃあ、正解にたどり着けないぞ」
「じゃあ、連想ゲームで行きましょう」
「お題は?」
「東京でどこかに出かけた、でどうだ」
「わかった、それでいこう」
「なんの当てもなしに、東京の中に飛び出していくことはないでしょうからねえ」
「確かにそうだな。どこか行く当てがあるはずだよ」
「当てというのは人だろうな」
「うん、動物ではないね」
「彼らに、東京に知り合いがいたかな」
「一族代々があそこの町からは出ていないはずだ。親戚との行き来も聞いたことがないなあ」
「典型的な土着民だな」
「東京に知り合いがいないとなると・・・」
「あっ、ちょっと待ってくれ。卒業生達が東京にいるぞ」
「一つ上の女の子たちか」
「その線かあ」
「そういえば、昨日の夕食の時も、卒業生についていろいろ聞いてきていたもの」
「結構長い時間話していたよ」
「そういやそうだったなあ」
「なんで思い出せなかったんだろう」
「どうやらこれに間違いないようだな」
「よし、とっとと捕まえて、修学旅行に戻るとしようぜ」
「観光スケジュールも、無理してこなせばなんとか全部回れるでしょ」
「よし、そうすれば学校への報告はなしにできるな、なんとか俺たちで解決をはかれそうだ」
渋谷
生徒達を乗せた山手線が渋谷駅に到着した。人の波に押しだされて、ホームへと降り立った三人。そのまま下り階段方向へと流されて、JRハチ公口の改札から外へと放出されたのだが、まだ降車客の波から解放してはもらえない。人ごみにもまれながらの移動がなおも続き、改札から十五メートルほど行ったところで、ようやくのこと自力で立ち止まっていられる空間にありつけた。
「ここ渋谷も人だらけだなあ」
「うん、東京駅や浅草と変わらないね」
「人のいない所でちょっと休憩したくなったよ」
「そんな場所がどこにある」
「探すのにも、人ごみをかきわけていかなきゃならなそうだぞ」
目の前すぐのところで展開されている、スクランブル交差点の人の行き来、それを眺めながら、絶望的な表情で相談する三人。
「あっ、交番がある。あそこで聞いてみようか」
「交番だって? まずいよ、この場を離れよう」
「なんでよ」
「先生たちから俺たちの捜索願いが出されていたら、捕まえられてしまうだろ」
「あっ、そうか」
三人が交番に背中を向ける。何故か気をつけの姿勢だ。
「急いで901を探すんだ」
風太が指示を出す。
「はてさて、どこだろう」
数馬が目をきょろきょろさせながらつぶやく。地図を担当している航はすでに探し始めている。
「まだか、航」
「ハチ公口でいいはずなんだが・・・」
「地図を暗記していたんじゃなかったのか?」
「無茶を言うなよ、東京は広いんだぞ。急いで探すから、そっちも目視で頑張ってくれ」
「高いビルがいっぱい建っているからなー、どれがどれやらさっぱりわからないや」
ぐるぐるとあたりを見上げながら、航が答えを出してくれる時を待つ二人。
「あった、こっちだ」
「発見したか」
「ああ。あそこの三角地帯だ」
航が指し示す方角に目をやる。
「ほんとだ、901と書いてある」
「レッツゴー」
901の一階入り口にたどり着いた三人。
じっと突っ立って固まっているだけの彼らをしり目に、人々が次から次へとビルの中へと吸い込まれていく。入っていくのは女子ばかりだ。
「この三角地帯だけ、みごとに男の姿がないんだな」
「女子の聖地といわれているらしいからな」
三人とも動こうとしない、というよりも動けない。男が中に入っていくことに対して躊躇があるのだ。
「なんか入りにくいよなあ」
「ここに立っているだけでも落ち着かないもの」
「足が前に進んでくれないや」
「残念だけど、菜月のことは諦めて、次を当たろうか」
それを聞いた数馬は、うんとは言わない。
「俺は嫌だよ、諦めるなんて。せっかくここまでやって来たんだから、なんとしてでも彼女に会いたい」
目の前を女の子がスイスイと建物の中に入っていく。
「女子ならああやって気楽に入って行けるんだけどなー、男の俺達にはちょっとなあ・・・」
「ならさあ、女装して行こうよ」
「はあ?」
「女になってしまえば入れるんじゃないの?」
「お前、頭良くなったなあ」
デパートを訪れた三人、婦人服売り場の店員には、修学旅行で東京にやって来たことと、母親や姉妹からお土産に東京の衣類を頼まれていることを告げて、適当な服を買い込んだ。トイレでそれに着替えて、いざ、再びの901へと向かった。見るからに、明らかに、どこから見ても女装をした男子にしか見えないのだが、不思議と周りからの視線は当たって来ない。東京ではこれはありなのだろう。もしもこれが田舎であれば、五十メートル以上、遥か彼方まで引かれてしまうところだ。
三人は目論見通り、無事に入口を突破した。
「やったね」
「よし、先を急ごう」
「うん」
「菜月は何階にいるんだっけ?」
「そこまでは、わからないんだ」
「じゃあ、全部の階を見て回るしかないんだな」
「うん」
「よし、とりあえずエスカレーターに乗ってしまおうぜ」
「そうね」
「おやおや? この娘ったら」
「そうね、だって」
「ぷっ」
「ははは、風太子ちゃんたら、女子になりきっているわねえ」
「いいでしょ、ほっといてよ」
じゃれあいながらエスカレーターで上がっていく三人。いつもの調子が戻ってきた。初めての渋谷、おそらく三人が訪れるのは最初で最後になるであろう901に、ようやく潜入できたのだ。
「こういうのを、艶やかっていうのかなあ」
どの階にも、カラフルな衣装が飾られた店が立ち並んでおり、賑やかな音楽が流されている。目を凝らして観慣れない光景を観察する。
修学旅行眼とでもいうものが働いているのであろうか。
「入口と一緒で、中も女子だらけだな」
「男だらけだったら、そりゃおかしいだろう」
「ははは」
「女装している男連中は、俺たちくらいのものなのかな」
「いやいや、こっちが気付かないだけで、そこらじゅうに、うじゃうじゃいたりして」
「うん、東京の人の女装は完璧なのかもしれないからな」
「あっ、いた」
5階で数馬が菜月を発見したようだ。
「見つけたのか、でかしたぞ」
「どこどこ」
「ほら、ど派手な服を着ている娘が立っているだろ」
指で指し示す数馬。
「あそこら辺にいる女の子たちは、みんながみんな、派手な服装だよ」
「ほら、建物の中だというのに帽子をかぶっている娘」
「あー、あの娘ね、え? 菜月ってあんなだったっけ?」
「そういわれてみると、そんな気がしないでもないが」
「間違いない、左目の下のあのほくろは菜月だよ」
「目の下にほくろ? そんなのあったっけ?」
「あったよ」
「おまえ、あの娘の顔をよーく見ていたんだなー」
「そりゃー」
数馬が照れている。
「おーい」
手を振る三人の姿に、菜月が気付いた。女装はしているものの、顔に化粧っ気がないのですぐに後輩たちだと解ったようだ。笑顔で三人のところに駆け寄ってくる。
「あんたたちったら、なんて恰好をしているのよ」
「こうでもしないと、ビルの中に突入できなかったんだよ」
「会いたい一心でがんばったんだ」
「ずいぶんと、苦労をしたんだよ」
「渋谷は何でも有りだけど、それにしてもすごい突貫工事ね、化粧をすれば少しは見れたものになるかもよ。ちょっと来てみなさいよ」
店の奥へと連れて行かれ、鏡の前に並ばされた。
「化粧がなかなか上手になれなくてね。ちょうどいいから、あなたたちで練習させてもらおっと」
順番に化粧を施されていく三人、変化していく自分たちの顔を、鏡の中で楽しんだ。
「さあ、これで完了。せっかくきれいになったんだから、ちょっとお店を手伝っていってよ」
三人は、菜月の店の臨時店員として、店内をうろちょろしながら夕方までの時間を過ごした。
寮
仕事を終えた一行は、菜月の暮らす寮へとやってきた。
「入口に女子寮って書いてあるけど・・・」
門の前で航が菜月に尋ねる。
「そうよ」
「そうよって、俺たちは男だぜ。女子寮に入っちゃあまずいんじゃないの?」
「そうだよ、女子寮といえば、ふつうは男子禁制だろ」
「大丈夫よ、あなたたちなら大目に見てもらえるわ。だって、ここには地方出身者に対してとっても親切な人たちばかりが住んでいるんだもの」
「ふーん」
「みんながみんな地方から出てきた人たちで、東京で困っているところを誰かに助けてもらった経験が少なからずあるからね」
「へえ」
「今日見た田舎者は昔の自分の姿っていってね」
「なにそれ」
「田舎者を見たら、助けてもらった昔の自分を思い出して、同じように優しくしてあげなさいということ」
そう言いながら門をくぐって、玄関口へと進んで行く菜月。その後ろを三人がぞろぞろとついて行く。
「ただいまー」
菜月の声が寮の中でこだました。菜月の肩越しから背伸びをして覗いてみると、入口脇の部屋に寮長と書かれた紙が貼ってあるのが見えた。そこのドアがガラッと開いて、化粧っ気のない女性の顔がぬっと現れた。
「おかえり、疲れただろ」
「寮長、友達を連れてきました。故郷の後輩たちなんです、中に入れてもいいですか?」
「おやまあ、そうかい。いいよ、上がってもらいな」
「ありがとうございます」
「みんな、よく来たねえ。ゆっくりしておゆきなさい」
「はい」
「ありがとうございます」
「おじゃまします」
菜月を先頭にして縦列歩行、廊下を奥へと歩いていく一行。各部屋の前を通り過ぎる都度、ドアが開いて、中から住人達が顔を出してくる。
「いらっしゃい」
「おじゃまします」
「ようこそ」
「おじゃまします」
「なんか、歓迎してくれているみたいだなあ」
「そうでしょ」
「きれいな人ばかりの寮だなー」
「菜月より、ここのお姉さんたちの方がかわいいな」
「何言っているのよ」
菜月が数馬の頬をつねった。
「いててて」
一行が廊下の突き当たりまでやって来た。正面のガラス戸に食堂と書かれてある。
「部屋は窮屈だから、ここでお話ししましょ」
そう言って三人を中へと案内していく菜月。何人かの住人が食事中であった。
「ただいまー」
「おかえりなさーい」
「おじゃましまーす」
「いらっしゃーい」
みんな笑顔で迎えてくれた。調理場からは割烹着姿の女性が顔を覗かせた。
「おや、お客さんかい?」
「おばちゃん、三人分の食事、余裕あるかなー」
「ダイエット中の子が何人かいるからね、その子たちの分を食べてもらえばいい」
「助かったー」
「なかなか続かない子も多いからね、いつ降参してきても、食事を出してあげられるようにと、用意だけはしておいてあるんだよ」
「いっただっきまーす」
育ちざかりの三人が食事に飛びついた。
「うまいうまい」
「おかわりしてもいいかな?」
風太が菜月に尋ねる。
「もちろん」
風太の表情が満面の笑顔になった。
「そのおかず、俺におくれ」
調子に乗って数馬の皿にも箸を伸ばし、三回おかわりをした。
「いやあー、食った食った」
「もう入らないや」
風太はお腹をさすって満足げだ。
「ごちそうさまー、おいしかったです」
三人が調理場に向かってお礼を言う。
「食事がすんだのなら、お風呂に浸かるといいよ」
割烹着のおばちゃんが調理場から出てきて、入浴を勧めてくれた。
「え? お風呂まで借りていいんですか?」
「共同風呂だから、何人入ってもおんなじさ」
「でも、女湯なんですよね」
「今入っている娘たちが出たら、その後に入れてもらえばいい」
三人が顔を見合わせる。
「化粧もちゃんと落としてしまいたいしな」
「うん」
「では、お言葉に甘えまして」
「遠慮なんかしなさんなって」
風呂場は食堂から少し玄関寄りに戻ったところにあった。三人が広い湯船で首までつかっている。
「ここの寮の人たちは、みんな親切だなー」
「初対面の人間が、約束もなしに突然やって来たっていうのになあ」
数馬がそう言いながら、両手ですくったお湯を風太の頭にかける。
「げほほ。なにすんだよ」
「身体全体よく温まりなさいっていうことさ、ははは」
笑っている数馬の死角に入った航が、お湯の中に静かに潜っていった、その数秒後、
「おわ」
数馬の顔が突然お湯の中に沈んだ。航が数馬の身体を下から引っ張ったのだ。上からは風太が頭を押さえに入って、先ほどの仕返しをする。
がぼぼぼお
もがきながら立ち上がった数馬が湯船から逃げ出す。他の二人は大笑いだ。
げほほほほ
「やったなこいつー」
「お返しだよ、ベー」
「旅行先でのお風呂は、こうでなくっちゃね」
「あははは」
ガラッ
風呂場のドアが突然開いた。
「ん?」
ドアの方へと目をやる三人。
どやどやどや
「おやおや?」
「なんだ、なんだ?」
水着を着こんだ女性たちが、脱衣所から風呂場へとなだれ込んできた。寮の住人達である。
「ゲッ」
「おじゃましまーす」
湯船に向かって行進してくる集団。みんな笑顔ではいるのだが、それがかえって怖い。えもいわれぬ恐怖感に包まれていく三人。
「あわわわわ」
不意打ちを食らわされたためということと、未経験の展開だということとで、どう対処してよいのか皆目解らない。とりあえず、じっとして湯船につかっていることしかできない。数馬も湯船に戻っている。温かいはずなのになぜか震えている三人。なすすべもないまま、湯船から引きずり出されると、分断されて、それぞれが、数人からなるグループに囲まれてしまった。
「お姉さんたちが、君たちの三助をしてあげるからね」
三人は前をタオルで隠して立っているだけ。それで精いっぱい、イエスともノーとも言えない。
「せーの、それー」
掛け声とともに女性たちが三人に襲いかかる。仰向けにされ、床に押さえつけられた。一人に対して五~六人がかりでこられては、並みの中学生男子の力ではとうてい歯向かえるものではない。
「うわー」
「なんだなんだ」
「それ、ひんむけー」
前を隠していたタオルは何の役にも立たず、あっさりと取り上げられてしまった。多勢に無勢、抵抗などできようはずもなく、女性たちになされるがままだ。
「きゃー、でたー」
「やめてくれー」
幾本もの手によっていじくりまわされる三人。
「助けてー」
キキキー
寮の前にタクシーが止まり、中から教師の木田が飛び出してきた。
「あいつらの声だ、やっぱりここに来ていたんだな」
急ぎ、建物の中へと飛び込んでいく木田。声の聞こえてくる方へと廊下を突き進み、風呂場を探し当てた。
ガラッ
「やっと見つけたぞ」
声の聞こえてきた方に顔を向ける三人。
「あっ、先生」
助けの登場で、生徒たちに笑顔が戻ったのもつかの間、
「キャー」
「覗きよ!」
「変態が入ってきた!」
女性たちの悲鳴が建物内に響き渡った。
「ここは女子寮よ!」
「しかも浴場!」
「この痴漢!」
責め立てられる木田。怯んでしまい、風呂場のドアから前には進んで行けない。
「わたしは教師だ、怪しい者ではない」
そこに寮長が現れた。
「ちょっとあんた、先生だか何だか知らないけどね、あんたに入寮を許可した覚えはないよ」
「すみません、急いでいたもので」
「不法侵入者だと認めるんだね」
「いやあ、それはちょっと・・・」
「往生際が悪い男だよ。どっちみち現行犯なんだから、かまうことはない、逮捕しちゃいな」
「待ってくれ、話を聞いてくれ」
「おだまり、この痴漢男!」
あっという間に木田も寮生たちによって組み伏せられてしまった。
「女子寮の風呂場に侵入してくるとは、ずいぶんと大胆な男だこと。まったくいい度胸をしているわ」
「僕はどちらかというと臆病な方でして」
「こんなだいそれたことが、臆病者にできるわけがない」
「必死になると臆病さがどこかに隠れてしまうんです。その代わりに後先が見えなくなってしまうというんでしょうか。我ながら損な性格で嫌になっちゃいますよ」
「覗き行為に必死になるなんて、まったくハタ迷惑な性格ね」
「そうそう、昔から今回のように誤解されやすいタイプらしくて。今まで何度も困ったことに・・・まいりますよ、ほんと」
「たっぷりとお仕置きして、こんなことが二度と出来ないように、性根をまっすぐにしてあげないとね」
「いやあ、自分のことは自分でしますから」
「遠慮なんかはいらないんだよ」
「僕の話、ちゃんと聞いて欲しいなあ」
指をポキポキと鳴らす寮長。それを見た木田が慌てて強く訴える。
「大丈夫、心配いりません。自分の人生で今回の様に展開している場面は二度も訪れたりしませんって」
「あんたには起こりうるわ」
「ちょっとタンマ、こっちの言い分をもう少し聞いてくれ」
「問答無用」
寮生たちが輪になっての集中攻撃が木田へと注がれていく。生徒三人は、その木田攻撃のどさくさに紛れて、脱衣所からの脱出を図った。抜き足差し足でそっと移動をしていく。ドアに到着した先頭の航が、力を加減してそっと開けるつもりであったのだが、思いのほか大きな音がでてしまい、風呂場の中に響いた。
ガラガラ。
物音に気付いて、何人かの寮生がドアを振り返った。
「あっ、こら!」
「まずい、急げ」
「ちょっと、待ちなさいよ!」
航と風太のふたりは外に逃げ出せたが、一番後ろから来ていた数馬は脱衣所に体半分を入れたところで寮生たちに捕獲されてしまった。
「数馬―!」
航と風太が戻ってきて数馬の腕を掴む。が、多勢に無勢、風呂場から引く力の方ががぜん強かった。ズルズルと三人とも風呂場へ引き戻されていく。これでは共倒れになってしまうことに・・・。
「数馬、すまん」
風太と航が数馬から手を放す。
「僕を見捨てるのか?」
「すまん、相手が強力過ぎる」
「許してくれ」
数馬に背を向けるや、二人は猛ダッシュ。一目散に廊下を突っ走り、出口から飛び出した。
「航、風太!」
脱衣所の窓が開いており、そこから菜月が身を乗り出して叫んでいる。
「これ、忘れ物」
菜月が、服やバッグを窓から外へと放り投げる。
「ありがとう」
急いで服を着始める二人。
「数馬は?」
「彼のことは諦めてちょうだい」
「あいつはいったいどうなるんだい?」
「しばらくは先輩たちのおもちゃになってもらうことになるでしょうね」
「菜月の力でなんとか救出してもらえないかな」
「わたしにそんな力はないわよ。先輩たちには逆らえないわ」
「そうかあ」
「二人助かっただけでも奇跡なのよ、ありがたく思わなくちゃ」
「おもちゃにするのであれば、先生一人だけでもかまわないじゃないか」
「もちろん先生はしばらくの間解放されることはないと思うわ」
「それで満足してもらえないかなあ」
「ここは大人数の所帯だからねえ・・・おもちゃが二人はいないと、取り合いになって収まりがつかなくなるわ」
「そうかあ」
「そんなわけだから、数馬のことはもう諦めて。さあ、せっかく脱出できたんだもの、ふたりだけでも逃げ延びてちょうだい」
「わかった」
「会いに来てくれて、どうもありがとう。うれしかったわ」
風呂場の窓が空いて、寮生が顔を出した。
「そこの二人、戻ってきなさい!」
「やばい、見つかった」
「数馬―、すまん、俺たちを許してくれー」
大声で風呂場の窓に向かって叫ぶ二人。
「俺を見捨てるのかー」
数馬が叫び返してきた。
「菜月と一緒にいられるんだから、お前にとってはこれでよかったんじゃないか?」
「そうだよ、あれだけ会うことを望んでいたお前じゃないか」
「再会の場面が想定外だよー・・・うわー、そこは勘弁してくれーーー」
数馬の声に風呂場のエコーがかかって外に流れてくる。
「さあ、行こう」
二人は心を鬼にした。数馬の悲鳴には耳に栓をして聞き流し、一目散に駆け出していった。
一キロは走ったのではなかろうか、二人は公園を見つけ、トイレ裏の茂みの中へと駆け込んだ。
「はあはあ」
「ふうふう」
しゃがみこみ、呼吸が落ち着くのを待ってから、風太が口を開いた。
「いやー、怖かったなー」
「実に恐ろしきは、女子の集団パワーだ」
「あのままあそこに残っていたら、何をされたんだか」
「あんなことや、こんなことを・・」
「ブルブルブル、考えると震えが来るよ」
「とにかく脱出できてよかった」
「まったくだ。命拾いをしたなあ、ほんと」
「犠牲者を出してしまったのは残念だが・・・」
「被害は最少人数で済んだんだから、そこは良しとしておかないと」
「そうだよな、全滅は免れたんだ、これでよかったんだよな」
「とりあえず乾杯しようぜ」
バッグからプリンを出して航に手渡す風太。
「用意がいいなあ」
「さっき、食堂で頂いておいたんだ」
「さすがというかなんというか」
「数馬と菜月が残した分だよ」
「おいおい、なんだか乾杯しづらくなるなあ」
「いらないなら返せよ」
「いや、もらっておくよ。かんぱーい」
「かんぱーい」
プリンの角を当て合う二人。
「あいつ、今頃はどうしているのかなあ」
「やめとけよ、考えない方がいい」
「そう言われてもなあ」
「まー、彼女がついてくれているんだから大丈夫だよ。命まで取られることはないだろう」
「そうだよな。それに先生もいることだし」
「そうそう」
「仕方がなかったんだよなあ」
「そうさ、俺たちはあそこで全滅するわけにはいかなかったんだから」
「まだやり残していることがあるんだもの」
「目標の為には鬼にでもならなきゃいけないんだよ」
「ちょっとうしろめたいけれどもなあ」
「あいつだって、きっとわかってくれると思うよ。もしも俺があいつの立場だったら、俺は喜んで二人の為に犠牲になっていたね」
「犠牲って、いったいどんな目にあわされているんだろう」
「考えるのが恐ろしいから、そんなことは聞いてくれるなよ」
「恐ろしいって、たとえばどんなことが考えちゃうんだよ」
航が尋ねると、風太の顔色が変わった。
「・・・うわー、こええー。つい考えちゃったじゃないか」
二人は震える膝を抱えて寄り添った。
「あれ? その靴、俺のじゃん」
風太が航の足元を見て言う。
「そういうお前の方こそ、俺の靴を履いているじゃないか」
「返してくれよ」
「ああ、いいとも」
「あれ? なんだよ、靴下もだ。ひょっとすると」
ズボンの中を恐る恐る覗いてみる航。
「あー、パンツも違っている」
「ほんとかよ、きったねーなー」
「履くときに、気が付かなかったのかよ。ぶかぶかだろうが」
「お前こそ、俺のパンツがよく入ったな」
「パンツは伸びるようにできているんだよ」
「理屈はいいから、早いとこ返してくれ」
着替えながら文句を言い合う二人。
「俺達だってこんな目に合っているんだ。なにもあいつひとりだけが災難に合った訳じゃあないんだな」
「言われてみればそうだよな」
「あいつと俺達を冷静に比べてみ。むしろあいつの方がよかったんじゃないかな。あいつの主たる目的は菜月に会うことだったろ。あいつはそれを達成できたんだ、あいつは幸せを掴んだんだ」
「それもそうだ」
「うらやましいくらいだよ」
「気になるのは、あんな境遇の中で、あいつは菜月にいったいどうやって告白するのかだが・・・」
「うーん、自分の身を守ることで精いっぱいといったところかなあ」
「そうだよなあ。なんか、うまい具合にこっちの罪悪案を消してくれるもっと便利な屁理屈がないものかなあ」
「はあー」
ため息をつく二人。
「はっ、また変な方に思考が行ってしまった」
「いかんいかん」
お互いの頬をひっぱたき合う。
「問題はさ、次はどうするかだよな」
「強引に持っていく奴だなあ。でも反対はしない」
「次は玲奈のところへ行くことにするか、それとも碧にするか」
「玲奈にしよう」
「なんで玲奈を選ぶ?」
「玲奈とお前は早く会っておくべきなんだよ。碧と俺とは赤い糸ですでに繋がっているから急いで行かなくても大丈夫」
「俺達だって心配ないぞ」
「やせ我慢をするなって。早く会いたいだろ」
「お前の方こそ」
「余計な遠慮はするなって」
「そっちこそ分からず屋だな」
「折れろよ」
「折れない」
「どうしてもなのか?」
「ああ、折れるもんか!」
「しかたがない。こうなったら別行動をとるしかないな」
「おお、望むところさ」
立ち上がる二人。
「じゃあな」
「あばよ」
二人が背中を向け合って歩き始める。十歩ほど行ったところで、同時に後ろを振り返る。
「頑張れよ」
「ああ、お前もな」
「例のところで再会しよう」
「解った」
二人は再び背を向けて走り出した。
再びの女子寮
いつまでたってもうるさいままなので、寮生たちからさるぐつわをかまされてしまった数馬。担がれて風呂場からほど近いところにある部屋へと連れ込まれている。
「さあ、みなさん、授業の再開です。ゆっくりとお勉強しましょうねー」
リーダー格の寮生がそう告げると、入口そばで待機をしていたこの部屋の住人が、廊下に向かって叫ぶ。
「みんな集まって―」
この合図を待ちに待っていた寮生たちが、ドヤドヤと部屋へと流れ込んでくる。
「おー、いるいる」
「生きのいい教材ねえ」
両の手首足首を四人の寮生に体育座りで押さえつけられている数馬。
「写真撮影はオッケーですかー?」
「個人での撮影はやめておきましょう。そのかわり、こちらでカメラマンを一人用意しました。出来上がった写真をあとで回覧しますから、それでご理解ください」
「はーい」
「触ってもいいですかー」
「それはありです。勉強になりますからむしろ率先して手を伸ばしてください」
数馬が床でじたばたし始めた。
一方教師の木田の方はどうなっているのかというと、身柄は風呂場から寮長の部屋へと移されていた。手足を後ろ手に縛られて、横たわっている。
「俺は教師だ、やましい気持ちでこの女子寮にやって来たわけではない」
「おだまり。あなたは不法侵入者であり、痴漢でもある、立派な犯罪者」
「保護者責任を果たすための、やむを得ない行動だったんだ」
「犯人の言い分を聞くのは、私の役目ではないのよねえ。そうだ、それは警察の仕事になるんでしょうから、警官を呼んであげましょうか?」
「そ、それは・・・」
寮長が椅子を手に木田のそばへとやってきた。逆座りをして、背もたれから木田の顔を覗き込む。
「あなた、まだ気が付かないの?」
「ん? 何に?」
寮長が手を伸ばして木田の鼻をつまんだ。
「何をする」
次は眉毛をなぞる。
「あっ、き、君は」
「気付くのが遅い!」
「だって、顔も体型もあのころとはだいぶ変化しているようだし」
「誰のせいでこんなに変わってしまったのかしらねえ」
今度は耳を引っ張る。
「僕の顔をいじるのが、君は大好きだったものね。それは変わっていないようだ」
「ふふ・・・」
「すまなかった」
寝転がった状態のままお詫びをする木田。
「・・・」
「田舎にしか就職先がなくってさ」
「それはあなたが悪いんじゃないでしょ」
「え?」
「仕方がないことでしょ」
「あ、う、うん」
「それで、あたしを置いて行った理由は?」
「え?」
「なんで相談してくれなかったの? なんであたしを連れて行ってくれなかったの?」
「え? だって君は都会が大好きで、東京以外で暮らす気にはならないだろうと・・・」
「そんなこと言ったことあった?」
「いや、言ってはいないけど・・・でも、田舎はいやだろう。それに、僕にだって、東京で頑張って欲しかっただろう。僕にはそれが出来なかった。君の期待に応えられなかった」
「それはあなたの勝手な思い込みよ」
「え?」
「そんなことも、あたしは一番には望んでいなかった」
「うそだろ」
「都会は好きよ、それは当たっているわ」
「そうだよね。君は昼でも夜でも、賑やかな場所にいる時に、とても生き生きとしていたもの。人であふれかえる雑踏の中を、スイスイ颯爽と歩いていたっけ。僕はその後をついていくのがやっとだったよ。君は都会向きの人なんだとつくづく感じたものだ」
「ふふ」
「だから僕は・・・」
「好きなものは他にもたくさんあるわよ。順位は明確には決まっていないけどね。もちろん全部は手に入らない・・・曲がり角に立たされるその都度、自分の天秤にかけて、どれか道を選んでいくのが人生でしょ。意識してやっているかどうかは別として、あなただってそうして歩んで来たんじゃないかしら」
「そうだね、選ばなければいけないことってあるよね」
寮長が立ち上がり、部屋の隅からクマのぬいぐるみを手に、木田のところへ戻ってきた。背中のチャックを開いて、そこからアルバムを引っ張り出した。表紙にバッテンマークがマジックでしっかりと書かれてあるのが木田から見えた。寮長がゆっくりとめくって見せる。
「中身は大事にとってあるの。やっぱり捨てられなかったのよね」
一枚ずつ丁寧にめくっていく寮長。
「どの写真のあたしも、笑っているでしょ」
「うん」
「幸せだったのよ」
「う、うん、そう見える」
「それは東京にいたからというわけじゃあないのよ。あなたの隣に居られたからなの」
「う・・」
「あたしはね、あなたと一緒にいたかったのよ」
「そうだったのか・・・」
「あなたと東京を天秤にかけていたとすれば、あなたは負けると思っていたの?」
「うん。百パーセントね、それには自信があった」
「自己評価が低すぎるわねえ」
「すまない」
寮長がアルバムを閉じて、
「あなたがあたしのもとを去ってから、恨み節も沢山浮かんだわ」
「・・・」
「そして東京という場所が、あたしにとってはとても息苦しい場所へと変わってしまった。あれほど好きだった雑踏を見たくもなくなった」
「・・・」
「外に出ることを嫌うようになったあたしは、仕事を変えて、この寮に籠るようになったの」
「・・・」
「あなたが東京に出て来さえしなければ、あたしはあなたに出会わずに済んだのに・・・そんなことを考えてしまったり」
「・・・」
「そうであれば、今頃はどこかの誰かと結婚していたかもしれないのにって、さっきまでずっと思っていた」
「すまなかった」
「あなたの気持ちを聞けた今は、解ってあげられるわよ。でも、あの時は捨てられたとしかあたしには思えなかった」
「あのさあ、そのアルバム・・・」
「これ?」
「うん。それを、もう一度最初のページからゆっくりと見せてもらえないかな」
「いいわよ」
「出来れば手足を自由にしてもらえると、見やすくてありがたいんだけど」
そっとお願いしてみる木田。
「それはダメ。調子に乗るな!」
本気でなく叱ってアルバムを床に置き、開いて見せる寮長。
「なつかしいなあ」
「楽しかったなあ」
「もう一度やり直したいなあ」
一枚一枚の写真を、懐かしそうに眺めていく木田。
コンコン
「どうぞ」
寮長が許可を出すと、開いたドアから寮生が顔を覗かせた。
「寮長、おもちゃの一人占めはないんじゃあないですか? 私たちも混ぜてくださいよ」
「おっと、すまない。そうだよね。どうぞ入って」
五人の寮生たちが入ってきた。
「ちょっとちょっと、中に入れちゃうわけ?」
「お仕置きをすると、言っておいたでしょ」
「あれは帳消しになるんじゃないの?」
「そんなこと言ったかしら」
「言ってはいないけど・・・」
「また勝手に、あたしの気持ちを決めつけたのね」
ガチャ
また部屋のドアが開いた。
「おじゃましまーす」
「失礼しまーす」
かたづけを終えた食堂のおばちゃんたちも合流してきた。寮生とおばちゃん達の手が、木田に向かって伸びていく。
「ぎゃー」