夏休みⅤ
さすがにこのようなことになるとはまったくもって予想もしていなかった。俺の未来の選択肢の中にこのようなルートが存在しただなんて。予想外も予想外だ。
と、俺のびっくり仰天心情を表現したところで落ち着きをある程度取り戻しつつあるので、まずは現状を把握、そしてここから脱出する方法を考えなければならない。まさか、人との関わりをどちらかといえば避けてきた俺がリアル脱出ゲームをすることになるとは思わなかった。しかも解答が用意されていない脱出ゲーム。参加者俺一人。難易度不明。
まず場所の確認――秋月妹の部屋。
どうして俺がここにいるのか――トイレに向かう途中で秋月妹に連れ込まれたから。
ただいまの時刻――午前十一時前
部屋にいる人物――俺と秋月妹の二人
現在何をしているのか――俺は床で正座、秋月妹はベッドの上で仁王立ち。
現状把握をしたものの、ますます一体全体どうしてこうなったのかが分からない。
「先輩、早く答えてください」
さっきからそればっかりだ。もう五度目だ、その文言を聞かされるのは。
「いや、そう言われても」
これを言うのも五度目。口がこの言葉を話すための形に変わってしまいそうだ。
「いい加減にしてください。お姉ちゃんのことをどう考えているのかと聞いているんです」
……そろそろ何か言わないと、また連続ジャブが飛んでくるかも知れない。もしかしたら俺の口が二度と開かないようにジャブが腹ではなく顔に飛んでくるかもしれない。それは、あまりにもあんまりな仕打ちだ。
「えーと、素直だけど、物言いが人によっては強く感じられることがあるかもしれない。あとは――友達思いだと思う。冬川が――ああ、相談部の部長ね――辛そうなときも支えてあげようとしていたし。その他には――」
「いや、えーと、そういうことを聞いているのではなくてですね」
顔を真っ赤にして手を体の横でぶんぶんと振る秋月妹。秋月と同じ動きに、ああ姉妹なんだなと改めて認識し、ほほえましく感じてしまう。
「ちょっと、何を笑っているのですか。私は真剣に話しているのですよ」
俺は片手を顔の前で軽く振った。
「いや、別にふざけてるとかじゃなくて。やっぱり二人は姉妹なんだなと思ってさ」
何を言っているのかわからないという風に秋月妹は首をかしげた――ほら、その仕草も。
これ以上笑ってしまうと、ものすごいジャブをお見舞いされるかもしれない。そういうことにして、話を戻した。
「で、秋月妹は何が聞きたかったんだ」
「……その、秋月妹っていう呼び方やめてください。私には美蓮っていう名前があるんです」
頬を膨らませながら抗議するその姿は年相応で、わが妹の夏希を思い出してしまう。
「じゃあ、美蓮ちゃんは」
「美蓮。『ちゃん』はやめてください。子ども扱いされているみたいでいやなので。子ども扱いされるのもいやなので」
大切なことなので二回言いました的なあれか。微妙に言い回しが違うけれども。
「……美蓮は、いったい何が聞きたかったんだ。秋月について」
ああ、そんな話もあったなという表情を美蓮は浮かべた。おいおい、自分の質問くらい覚えておけ。お兄ちゃん、美蓮ちゃんの行く末が心配だよ、ほんとにもう。
「えーと、つまりですね、お姉ちゃんのことを恨んだりとか、そういうマイナス感情はないのかということを聞いているのです」
恨むだって?
「……俺が秋月を恨むっていうのは、一体全体どうして?」
心当たりがまったくないのだが。秋月に対してぞんざいな態度をとってきた俺が秋月に恨まれているというならばまだしも、俺が秋月を恨んでいるという発想はどこから出てきたんだ?
「え、つまり、その、入学式のときのアレでケガとかしなかったんですか」
はい? どうして入学式の話が突然出てくる。恨むやら、入学式やら、文脈が全然わからないぞ。
言いにくそうに体をもぞもぞと動かしながら、美蓮は話を続ける。
「だから、《くうれん》とぶつかりそうになって、先輩転んだじゃないですか……それでお姉ちゃんのこと、よく思ってないんじゃないんですか?」
くうれん……もう訳がわからない。俺の脳機能が低下してしまったのではないかと感じてしまう。
真剣なまなざしでこちらをみつめるその姿からは、冗談の類は一切感じられない。
「くうれんって何だ」
疑問を一つ一つ解消していくしかあるまい。
「空蓮――犬の名前……うちで飼っている」
犬、犬、犬、いぬ、いぬ、いぬ――入学式――ああ、もしかして。
「あの飛び出してきたミニチュア・ダックスフンド、美蓮のだったのか」
そういえば、秋月の家があった通りから犬が飛び出してきて、自転車とぶつかりそうになったことがあった。いやーぶつからなくてよかったよ、本当にあのときは。
「正確には、この家の犬なんですけど。あの日散歩させていたのがお姉ちゃんで……って、あれ、もしかしてお姉ちゃんから何も聞いていませんでしたか?」
俺が頷き終わるよりも早く、ちょっと待っててください、と言い残して部屋を出て行った。
五秒もしないうちに扉が再開された。彼女の右手は――秋月の左腕を握りしめていた。
「お姉ちゃん、春樹さんにあのこと、まだ謝ってないの? いくら春樹さんが鈍い人だからって、いくらなんでも半年は遅すぎるよ」
言葉にトゲがあると感じるのは俺の気のせいかな。
「え、あ、うん。ごめん」
俺の顔をちらりと見た秋月は、そのままうつむいてしまう。
「ちょっと、きちんと謝らないと。もちろん春樹さんの反射神経や運動神経がもっとよければ、事故は回避できたかもしれないけれど、それでも、お姉ちゃんが空蓮のリードをしっかりと握っていれば、あんなことにはならなかったかもしれないし」
あれ、なんか俺のほうに非があるみたいな言い方に聞こえますよ、美蓮ちゃん?
「まあ、握っていたとしても、春樹さんと空蓮がぶつかっていた可能性もあるわけだけど」
なんだよ、完全に俺のほうが悪いという流れになっているじゃないか。
「とにかく、お姉ちゃん。謝らないと」
顔を下に向けたまま上目遣いでちらちらと俺の顔を伺う秋月。
「別にいいよ。謝らなくても。俺の前方不注意だったし」
俺がそういうと、秋月が両手のひらをこちらに向けて慌て激しく振る仕草をした。
「いやいやいや、私が悪いって。自転車だとスピード出るし、急に空蓮が飛び出してきても避けられないって――あのときは本当にごめんなさい」
一度姿勢を正して深々とお辞儀をした秋月に、俺は戸惑いながらも答えた。
「い、いや。そこまでしなくても。俺はかすり傷程度だったし。空蓮も無事だったし。大丈夫大丈夫――そういえば空蓮はどこにいるんだ? 外で飼ってるのか」
もうその話はおしまいと告げる。
「あ、うん。その、あの、えっと、えっとね……」
何か言いづらいことでもあるのだろうか。もしかして……死んでしまったとか。
「隠したの。正確にはリビングに置いてきただけなんだけど」
リビングに置いておく。それがどうして隠したことになるんだ。……今日はやけに頭を使う日だな。もうそろそろエナジー切れを起こしそうだ。
「隠すって、何から?」
「それは……春樹から。春樹が空蓮を見たら入学式の日のことを思い出しちゃうんじゃないかと思って」
「別にお姉ちゃんは、やましいから隠そうとか、そういうことで空蓮をリビングに置いてきたわけじゃないよ。ただ――」
さきほどまで話を聞いていた美蓮が話に加わる。
「待って……大切なことは自分で言うから。私は贖罪のために春樹と一緒にいると思ってほしくなかったの。春樹に迷惑をかけたから、相談部に入ったり、一緒に過ごしたりしているって春樹に思ってほしくなかったの」
確かにそういう考えに至っていたかもしれない、俺も。秋月が俺に負い目を感じて、その償いのために相談部で活動し、少しでも俺のために何かしようとしているのではないかと。
「春樹との今の関係が壊れてしまうんじゃないかって不安だった。例え今までと同じように春樹が振舞ってくれたとしても、春樹の心の中でしこりのようなものが生まれてしまうんじゃないかって。それに――」
「もういいって」
秋月の言葉に重ねて言う。
「……秋月が一番苦しんでいたんだろ、今まで。俺、そんなこと思ったりしないから。秋月の今の言葉も本当だと思うし、馴れ合いで相談部に入っていたとも思わない。それに、そもそも俺に対して罪の意識を感じる必要なんてない。さっきも言ったけど、あれは事故だったわけだし。俺と秋月のどっちが悪いとか言う問題じゃないだろ。……一緒にいた晴人が悪い」
冗談交じりの最後の言葉に、くすりと笑う秋月。隣の部屋の晴人は今頃くしゃみをしていることだろう。
……それにしても、話題を転換しようとした俺の当初の試みには、一体どういう意味があったのだろうか。




