前編
悠人は焦っていた。
世界を元に戻そうにも、過去に戻るためのタイムマシンすら存在せず、貴重な時間ばかりが消費されていく……。そればかりか、時間が立つほどに状況は悪化していた。
薄れゆく『悠人としての自覚』。もはや現状としては『美南になってしまった悠人』というより『悠人の記憶を持っている美南』のほうが近い状況であり、去りゆく時間がただただ彼を追い詰めた。
しかし、彼はまだ過去に戻るために必要な重要な鍵を見つけ出せずにいた……。
++++
一体どうしてこうなってしまったのだろう。全ての元凶は――少なくとも悠人にとっては――義昭との出会いだった。
義昭は、近所に住んでいて、周囲では少し変わった人物として知られていた。彼が密かにタイムマシンを製作していることを知った悠人は、夏休みの間中たびたび彼の家を訪ね、気の長い交渉の末にタイムマシンを使用する約束をとりつけたのだった。
8月のある日、朝食後に日課のメールチェックを済ませた悠人は、義昭の家へと向かった。自分が周囲よりコンピューターに詳しいという自己満足感を得るためだけに、メールソフトの設定はわざとPOPにしていた。
++++
「ついに完成した、というのは本当ですか?」
義昭の家に着くなり悠人は義昭に問いかけた。
「ああ、とは言ってもまだ最終点検が終わってないけどね」
言葉の先制攻撃に対して義昭は怯むことなく返答をかえす。
タイムマシンはありきたりな腕時計のような形をしていた。
「このバンドの部分を使って腕に装着するんだ」
「随分と小さいですね?」
先日まで見ていた機械は何だったのだろうか?悠人が疑問に思っていると、
「これは子機だからね。本体はあっち。本体が大きすぎて動かせなかったから、遠隔操作させることにしたんだ」
そう言って、義昭は部屋の半分程を占める程の大きな装置を指差した。
「早速だけど、操作方法を説明しようか。まず、このボタンなんだけど…」
そう言って、義昭はタイムマシンの操作方法の説明を始めた。
「タイムパラドックスについては…もう知ってるよね?」
やがて、説明は時間旅行の諸注意へと移る。
時間旅行における最大の事故は、時間旅行者が過去に戻って自分の両親を殺してしまうことである。結果として何が起こるのかについては諸説あるが、本作においては、時間旅行者の存在そのものが消えてしまうことになっている。
何も殺害に限った話ではない。某未来へ帰るSF映画などでは両親の仲を裂いた主人公が消滅しかけるシーンがあり、SF作品では定番のネタでもある。
何よりも恐ろしいのは、誰も時間旅行の前の記憶を保持していないことである。旅行者という存在が始めから『この世界にいなかった』ことになってしまうのだ。
「一応、改変前の記憶を保護する装置を作ってはみたけど、一体どの程度の効果があるやら…。とにかく、歴史の改変には十分に気をつける必要がある」
自然の摂理に逆らって記憶を共有するには、相当な困難が伴うようである。
「だから最初は比較的安全な未来への移動をしようと思うんだ」
++++
「もし何か不測の事態があったから、すぐ戻ってくるように」
義昭の宣言通り、当面の間は未来への時間跳躍を行うことになった。悠人と義昭は、未来への旅行を繰り返し、実験は順調に行われたかに見えた。
++++
幾度めかの時間跳躍のとき、それは起こった。装置に何らかの不具合でもあったのだろうか。未来を目指したはずの悠人がたどり着いたのは40年ほど前の過去だった。
せっかくだからと悠人は周囲を見渡してみる。ニュータウン開発によって高層マンションや高架橋が見えているはずの方向が未開の山になっているくらいで、他の点については現在とあまり変わらないようだった。
悠人は暫くその場に留まり続けた。しかしそれは明確なミスなのであった。義昭の忠告に従い、直ちに引き返すべきだった。
「こんにちは」
不意に悠人に声が掛けられる。見知らぬ少女――40年前の住人――が悠人を見かけ、挨拶をしたのだった。
「こんにちは」
意識もせずに返事を返す悠人。しかし、たかが挨拶と侮ってはいけない。現実とは、思った以上に儚いものなのだ。この瞬間、既に歴史は書き換え始まっていた。
実際になにが起こったのか。それは、誰にも分からない。
もしかしたら、この日の翌日、彼女が通う学級で行われた籤引きによる席替えが原因かもしれない。彼女が籤を引く瞬間、前日に出会った見知らぬ少年のことを思い浮かべたことによって結果が僅かに変わってしまい、義昭の両親――そこで結ばれるはずだった――が別の相手を見つけてしまった。その結果、義昭が生まれなかったのかもしれない。
何はともあれ、結果としてタイムマシンは義昭と共に消滅してしまうのであった。突如として悠人を目眩――歴史の改変に伴うもの――が襲う。目眩に耐え切れず気を失う悠人。薄れゆく意識の中で彼が最期に見たものは、由来を失い消滅するタイムマシンであった。
++++
悠人にとって幸運だったのは、自分の両親が恋愛結婚ではなかったことだ。彼の両親は、彼等の両親――悠人にとっての祖父母――が決めた許婚であった。結果として彼等は歴史の改変を乗り越えて結ばれた。ただし……
++++
悠人が目を覚ますと、そこは見慣れない部屋だった。
「とりあえず、いきてる」
一つ間違えれば自分が消滅してもおかしくはなかった。生き延びた幸運を噛み締めた悠人は現状の確認を始めた。ここで、彼は顔にかかった長い髪を手で払いのけたが、無意識下で行われたために何も気がつかなかった……。
手始めに室内にあった鞄を物色した悠人はやがて、目当ての品――身分証――を見つける。
「よしかわ、ゆうと」
身分証に書かれている名前が自分のものであることが確かめられた。
「でも、誕生日がちがう?」
過去を書き換えた影響は確実に現れていた。
「それに、……縮んだ?」
先程から感じる小さな違和感。悠人は自分の身体が小さくなっていると感じていた。もしここで、彼が自分の声の違和感に気がついていたならば……いや、仮に気がついていたとしても何も変わらなかっただろう。
続いて彼は、室内にあった赤いランドセルの物色に移る。目当ての身分証は先程より簡単に見つかった。
「よしかわ、みなみ。3さいくらい年下」
歴史の改変によって自分に妹が増えたらしいことを認識した。
「美南、探しものか?」
悠人が携帯端末で現在の日付を確認しつつ、縮んだ謎について考えていると、後ろから声がかけられた。振り返ると見知らぬ男が立っていた。初対面のはずなのに何故か見覚えのある顔だった。
「まぁそんなとこ」
何気ない返事で乗り切ってしまったことで、悠人の頭に一つの疑念が生じた。彼は手元に持っている自分の携帯端末――ランドセルから取り出したものである――を見つめると、疑念を確信へと変えた。
「あたしが……、みなみ……」
悠人……いや、美南は手鏡を取り出して自分の顔を映した。そして、歴史の改変によって自分が妹になってしまったことを確認した。