「牛丼で芸術が語れるか!」
「牛丼で芸術が語れるか!」
ハガキの文面を睨んだところで、結果が変わるわけではない。
そんなの知ってる。
ただ、面白くないだけだ。
「慎重なる審査の結果、貴殿の作品は、入選外と…」
一枚も来ない年賀状の代わりに正月早々きた落選ハガキをゴミ箱に捨てる。
バカめが。
正月は…ろくな番組がやってない。
どいつもこいつも浮かれやがって。
低俗な奴らばっかだ。
審査員だって同じだ。
芸術の、絵の、なんたるかも知らねーで、人の絵を左右しやがって。
俺の絵を、分かってくれる奴なんて、いない。俺の絵は、俺しか分からない。どこにも、届かねぇんだ。
テレビを消す。
静寂に包まれて、コタツに入っているのに、何故か震えがくる。
このまま、誰にも認められず、俺の絵は…もう、やめた方がいいのか。
死ぬまで描いても、何も変わらない、きっと、ダメだ。
俺の才能を、俺の絵を、信じているのは俺だけで、世界は、俺の絵なんて、求めちゃいないってこと。
そんなこと、そんなこと、知ってたよ、ずっと前から。笑わせるな。
それでも、もしかしたらチャンスがあるかもって、そんなもの、あるはずないのに、信じて、信じてるのだと自分自身も騙して、そうしてここまで来たんだ。
今ならはっきり言えるが、明日にはいいことあるさとかいうあの歌、死ぬほど嫌いだ。
もう40才、来月には41だ。無駄に歳だけ取ってしまった。
絵だけ描いて、何にもなれず、死んでいくんだろな。
理恵が台所の小さなカウンターにパックに入った煮魚を置く。
「今日、遅くなっちゃったし、もうスーパーのお惣菜でいい?」
理恵とは、籍を入れてない。
共に住んで3年。
何故、愛想をつかさないのか、不思議だ。定職もなく、才能もないのに、絵だけ描いてる俺のそばにいる。
感謝なんてしてない。鬱陶しいだけだ。早く俺を見限って出ていけばいい。そうしたら、やっぱりお前もそうだったと、逆に溜飲が下るってものだ。
そう…そのくらいにもう、俺の精神は腐ってる。
理恵は、気づいているはずだが、聞いて来ない。
今度のコンテスト、結果、どうだった? 聞いてくればいいのに。
その気遣いや、優しさが、鬱陶しい。いつもニコニコ、前向きを装いやがって。
面白くねぇ。
お前のそのお気楽そうなツラ見てると、イライラしてくんだよ、だからこっちから言ってやる。
「おい、ダメだったぞ、あれ。また落選だってよ。は!あんなコンテスト、うすらバカみたいな審査員ばっかで…」
言ってやると、少し、悲しそうな顔をして、理恵は俯いていたが、やがて顔をあげると、
「ご飯にしよ! 今日は買ってきたお惣菜ものになっちゃったけど、明日は早く仕事上がって、ちゃんと作るから! ね?」
そう言って笑う。
こいつには、正月のテレビも面白いようだ。裸の芸人が風呂に落ちるのを見て笑ってる。ほんと、簡単な脳みそで羨ましい。
「なぁ、お前、なんで俺のとこにいるわけ? そんな男にもてねーの?」
理恵は納豆をくるくるしていた箸を止めると、何のことかという様子でこちらを見る。
「他にもっといい男いるだろ。お前はわけーんだし。まぁ女の27ってのがどうなのか知らねーけど。とにかくよ、もっと将来性ある奴探したらどうなの? 人生、棒に振るよ?」
理恵は納豆のパックをご飯に向けて傾けつつ、さらにかき混ぜている。
「何でわたしが、慎さんと一緒に居たら、人生棒に振るわけ?」
「そんなんもわかんねーのかよ!ほんと、バカな女だな、おめーは!」
苛立ちまぎれに、箸で突き刺した煮魚の塊を飲み込んだら、小骨が喉に刺さった。
「骨ぐらい、取っとけ、このバカ!手、抜いてんじゃねーぞ。お前は飯作るくらいしか能がねーんだから、そのくらいちゃんとやれ!」
八つ当たりで怒鳴ってやったのに、少しはシュンとなるかと思えば、ご飯を口に運びながら、何故かうっすら笑ってる。
「ごめんなさい。今度から、ちゃんとやるね」
そう言って、またニコニコ、テレビを見始める。
「お前、なんでそんな、笑ってられんの?」
予想もしていなかったことを聞かれたように、理恵がこっちを見る。
「付き合ってる男が40なってフリーターで、絵なんて描いてて、不安じゃないの?しかもその絵が、全っ然、ダメでさ、笑っちまうくらい、どこからも相手にされねーのに」
「ほんとは、お前も心の中じゃ、笑ってるんだろ?才能もないくせに、いっぱしな芸術家ぶってって」
「いつも、ヘラヘラ笑ってんじゃねーよ。目障りだ、バカ女」
続けざまに罵ってやると、初めて理恵は笑顔を引っ込めた。
「ダメなの?そう思ってるわけ?」
慎司を見る。
「そりゃそうだろ。実際、今回も落選だったわけだし」
「そう…慎さんが本当にそう思ってるなら、絵、辞めるなり自由にしなよ。でも、わたしは信じてるもん」
「歳とか、落選とか、関係ないよ。わたしは、わたしはただ、絵を描いてる慎さんのそばに居たいだけだよ。それが、それがなんでバカなの?そんなこと、慎さんにだって言われる筋合いないよ!」
クサイこと抜かしやがって。生意気だ。バカなくせに。俺は茶碗を置いた。
「迷惑だ。くだらねぇ。お前、俺の前でこれから二度と笑うんじゃねぇ、分かったな」
言ってやると、理恵はしばらく唇を噛むように俯いていたが、やがて、ひっくひっく喉を鳴らし始める。泣き顔を見て、何だか、ようやく気が収まる。
そうして、次の瞬間には重い死にたくなるような、自己嫌悪の剣に全身を刺される。
あぁ、ほんと、死んだほうがいいのは俺の方だな。理恵、安心しろや。こんな男な、もうじき居なくなってやっから。そしたら、そん時こそ、もっといい奴探せや。バカとか、言わねーよーな、一緒にテレビ見て、笑ってくれるよーな、間違っても、絵なんて描いてる奴、選ぶんじゃねーぞ、それだけは、やめておけ。分かったな。
こんなのは、芸術じゃない。
井の頭公園で絵葉書やイラストを売ること、こういう真似だけはすまいと思っていたが。
結局はこういうところで、ちまちまと、民衆に迎合したもんを描いて、小銭を稼いでる。
そのくせ、こんなのは芸術じゃないとか思ってる、プライドを捨てられない。ご自慢の芸術とやらの絵は、全く評価されてないくせに。そういう半端もんだ、俺は。
一日、素人相手にイラストや似顔絵を描いて、売って、数千円を手にして、家路につく。40のまともな男がやることじゃない。しかし、これしか、こんな事しか、やる事がない、出来る事がない。
俺には絵があると、才能があると、そんな目に見えないあやふやなもん信じて、30の時に会社を辞めた成れの果てが、このザマだ。
何が才能だ。そんなもん、俺にはびた一文、なかったさ。
手を見る。絵の具がこびりついてる。あーあ、と思う。
帰りの電車。川を渡ると、鮮やかな夕日が窓から差し込んで来た。電車が進むにつれ、乗客の顔を順番に染めていく。
がたん、ごとん、がたん、ごとん。
袋から、じゃらじゃら出した今日の稼ぎ。小銭と、千円札が何枚か。それも、夕日に照らされ、掌で、光っている。
それを見つめていたら、ふと、思う。
別れるには、最適な日だな。
いつも、使わない、理恵から着信があっても無視している、携帯を取り出す。
電車内のマナーなど、関係なく俺は電話をかける。呼び出し音が続いて、切れる。仕事中か。
俺は最寄りの駅のホームの外れのベンチに座る。
寒い。ゆっくりと陽が落ちていく。
ポケットに突っ込んだ手がかじかんでいく。赤い手袋なんてはめられるか!と怒鳴って泣かせて、放り投げた、理恵からのプレゼント、してくれば良かったと後悔する、あいつには、言わねーけど。
電話が、鳴る。慌てて、うまく、ポケットから取れない。もたついていたら、切れてしまう。
掛け直す。待っていたのか、すぐに理恵が出た。第一声は、とにかく優しく、一日の仕事をねぎらってやって、それから誘おう、そう思っていたのに。
「バカかおめーは!すぐに切りやがって。だいたい、最初の電話ですぐに出ろ!」
…結局、いつものように怒鳴ってしまう。何故そうなのか。自分に舌打ちをついたら、受話器の向こうで理恵は、ヒッと息を飲んだように黙ってしまう。
「おい、18時に、駅前に来い」
電話の向こうで何か言っているが、構わずに切る。もうこれ以上、話したくない。怒鳴りたくない。
嬉しそうに、熱いのか、鼻をぐすぐすさせながら、夢中で理恵は俺の横ですき焼き丼を食べている。
「豚みてーだぞ」
小声で言ってやっても、動じない。
「だって、慎さんがご馳走してくれるっていうからもう、あぁ…」
目を、いちいちうるうるさせるな。
わけー女じゃあるまいし、うっとうしい。たかが牛丼屋くらいで、喜ぶな、みっともねー。でも、考えてみれば、こんなところで、別れ話など、出来るわけなかった。バカは俺か。
理恵がお茶を飲みながら聞いてきた。
「慎さん、俺には才能ないって言いましたけど、それはコンテストで入選しないからですか?慎さんの言う才能って、コンテストで賞を取ることですか?」
「まぁ、そうだな。それが大事なんだよ、お前にはわかんねーよ」
牛丼を、大量にかけた紅生姜と共にかきこむ。
「じゃあ、才能ないですね、慎さん」
やけにキッパリした口調に思わず理恵を見返す。笑ってやがる。
「だってそうじゃないですか、慎さん、落選ばっかり」
そう言って、さらに楽しそうに笑う。
こいつ、周りに人がいると思って、調子こきやがって。怒鳴りたいのを我慢する。
「黙れよ」
「いえ、言わせて下さい」
「黙れ」
「いらないじゃないですか、それが、そんなものが才能っていうなら、こっちから、願いさげじゃないですか」
怒ったような顔で理恵は言う。いつもだらしなく垂れてるくせに、目尻があがっている。
「おい、黙れよ」
俺は理恵を睨む。
「なのに、卑屈になって、結果が出るたび、またダメだったって、そういうことばっか言って、楽しいですか? それでわたしのこと、困らせてるつもりですか?わたし、そんなこと、何とも思ってない。怖がってるのは、慎さんじゃないですか!」
「うるせぇ!」
気づいたら、2人とも立ち上がっていた。周りの客が、無言で見上げてくる。
こそこそと、2人で周りに頭を下げ、席につく。奢ってやるつもりが、退店させられたら、たまらない。
「たまご、混ぜるとおいしいです。今度うちでもやりましょう。あ、でもお肉は、セールで安いのにして」
とりなすように理恵が話し掛けてくるが、もう、ここではこのバカとは口をきかない。そう決めて俺は無視する。
(怖がってるだと?俺は、いつだって自分を信じて描いてきた。挑戦してきたんだ、結果が出なくても、努力してきた。でも、そんなの、世間じゃなんにもならねぇ、なんの、評価の対象にもならねーんだよ、その悔しさが、その虚しさが、お前に分かるかよ。)
(慎さん、あなたは何かというとわたしのことをバカバカって言う。やめて下さい、だいぶ慣れましたけど、やっぱり傷つきます。でも一番傷つくのはあなたが小さいことにこだわって、卑屈になること。バカの次には才能が、才能がって言いますが、才能が無かったら絵は描いちゃいけないんですか?
慎さん、一つだけ、聞かせて下さい。才能がないことが、そんなに怖いですか、悔しいですか?)
(理恵、お前には分からねーよ、これは、俺のプライドの問題だ。
落選して傷つくのは、本気でやってるからだ。決して「小さいこと」じゃねーんだよ。俺は、お前みたいにテレビ見て笑って生きていけるほど、お気楽じゃない。真剣にやってる俺のことを、お前がとやかく言う権利なんてない、絶対に。)
(慎さん、わたしは別にあなたのこと、責めてるわけじゃない、応援なんていらねーと前に言われたけど、そういうつもりもない。ちょっと、自惚れすぎだよ。それとも彼女が、応援してなきゃ描けない?だったらこれからそばで旗でも振ろうか? わたしはわたしの為にあなたのそばにいるの。それがわたしの、プライドなの。)
(うるせーぞ、バカのくせに、横文字なんて使うな。)
(バカって言うな、そっちこそ、えらそーに。)
トッピングでつけた卵をくしゃくしゃまぶして、最後の肉を一切れ飲み込んで、理恵を見たら、理恵もこっちを見ていた。目が合う。どちらからともなく、笑った。
「おい」
「うん」
なんか、こいつと、すげー話してた気がする。実際には、黙って、牛丼とすき焼き食ってただけなのに。
2人分、払って店を出る
「チッ、さみーな」
「手、繋ごうよう」
俺は、ポケットに手を突っ込む。
「あー!何それ。そういうの、良くないよー女の子傷つくやつだよー」
「誰が女の子だ」
商店街を抜け、線路沿いの道をアパートまで歩く。チビの理恵はちょこちょこ俺についてくる。外灯もまばらで、人もいない。
あーあ、今日だけ、今だけだかんな、心の中で誰かに言い訳する。
俺は、乱暴に理恵の手を掴む。
予想に反して、その小さい白い手は、とても冷えていてた。
それを握りしめる。
痛い痛いとか、言っても離さねーからな。覚悟しとけや、さっきの暴言のお返しだ。
なのに、理恵は嬉しそうにひっついてくる。
俺は、夜空見上げて、雲で隠れて見えない月に向かって白い息を吐きあげる。
あーなんで、今日はこんな面倒くせぇ日なんだ。(終)
こんにちは、臨です。
お読み頂き、感謝です。
このお話は、前に書きました、『才能ないね』http://ncode.syosetu.com/n5631da/というお話のB面のようなつもりで書きました。
もちろん、この話単体でも楽しめるように書きました。
感想、意見、お待ちしております。