八十六巻目 ”フィクション”と付けてしまえば事足りてしまうのだ
犬にしては落ち着いた声にまず私は驚いた。いつもは犬のような感じな息遣いと、何をそこまで興奮しているのかと疑問に思うほどのしゃべり方でイラッとしてしまうほどだが、今回の声のトーンは、それとは全く違い本当にこのトーンのままでいつもてくれたらどんなにいいかと思うほどだった。まぁ、こんなに静かすぎるのもちょっと嫌だけれどもね。
「みき? どうしたの、顔が固まったままで?」
静かな声のトーンのまま突拍子のない話をするもんだから、私としてもどう反応したらいいか困るものだ。まったく・・・
「・・・いったい、なんでその事を言ってくるのよ」
本当に困ってしまったよ・・・。
※※※※
「そのお話というのは、事実信じがたい事であり、私も初めてこの話を聞いた時には『何を言っているんだこいつは?』と思うほどでのものであります。しかしながら、この話というものは事実なのです」
長々と話をしているが、いっこうに本題を切り出さない。どうでもいいような付け足し最初にして、余計に話を混乱させてしまう。話下手の一番の特徴だろうな。話下手というのは面白いもので、話をよくしよう面白くしようといろいろな話をつけたしてしまい、結局はどれが本題か相手にはわからなくなってしまうのだ。これは本当に話下手の当人にとっても相手にとっても悲しいものだが、その光景を第三者として見ているものにしてみてはとてつもなく面白いものだ。だけれども今回に関しては、私がその話下手の人の相手役だ。これは、どうにも本題に入るまではこの話を聞く辛さは変わることはないだろう。
私がこんな風に自考えている間にも、がたいの良い男はベラベラと無駄な話をし続けていた。まさに、馬鹿の一つ覚えのようにな。
そしてようやく男が、「いや・・・それでありまして・・・」とちょっとずつ真をためるようになり、ようやく、ようやく本題が始まるのだった。
「皆さんは、タイムマシンというものをご存じだろうか?」
まさに、この話は幻想のような事実だった。その話が事実とわかるまで、私とこの放送を見聞きしている人間は、現実と幻想のはざまに閉じ込められていたのだ。決して幻想というものは現実に近しいわけでは無いが、決して幻想は幻想のままで終わるわけでもないのだ。私たちは、幻想をあまりにも信じ続けていたがために、幻想が幻想であることを現実だと思い、馬鹿な幼稚な発想を言い続けそれがあたかも本堂であるかのように片付けていた。全ての幻想を否定するには“フィクション”と付けてしまえば事足りてしまうのだ。
しかし、そのフィクションというものは、その存在自体がフィクションなのだ。
事実というものは、いつ幻想から現れるか分からない。この時、私たちはそのことにようやく気付いたのだった。




