八十一巻目 神にふさわしい言葉
※※※※
食べる時間は大体十分もあればいいだろう。本当に美味しいものというのはとっさに感想というものが出てこないものだ。なぜならそれは、そのおいしさを表現する言葉がとっさには見つからないからだ。とっさに思いつくような美味しさであれば、それはいたって普通の美味しさだ。しかし、真の美味しさというものはいまだかつて使われたことのない味覚をすべて活用して、新しい美味しさの言葉を作りだすものなのだ。
・・・ここまで熱く語ってみたが、自分自身何を言っているかはよくは分かっていない。どちらかというと、食べ終わってからの余韻を楽しむべき時間でこのようなことを考えてしまっていることに、自分自身に対して憤りを感じているぐらいだ。彼のほうを見てみるといわゆる賢者タイム(意味は詳しくは知らない。ジョンが「今私は賢者タイムなのですよ」といっていた顔にそっくりだったから使ってみた)のような状態で、きっとカレーを食べた後の余韻をすべての神経を使って楽しんでいるのだろう。
本来であればこのような美味しいものを十分足らずで平らげてしまうのは、いささか惜しいことかもしれんし、カレーに対しても失礼なことかもしれない。だけれども、長い事じらしながらカレーを食べたとしてもそれはそれでカレーが冷めてしまって、これまたカレーに失礼だ。で、あればだ。これは、出来たてほかほかの状態をすぐさま平らげてしまうのが一番のカレーに対しての態度だと思う。これに気づいたとき、俺はちょっとばかり二やついてしまった。そして、自分がやってきたことに間違いがなかったことをさらに再認識し、心がほっとした。いやはや、良かったよ。
何に対して良かったかどうかは分からないけれどもね。
「生贄殿」
彼が賢者タイムから生還し、俺の名前を呼んだ。
もはや、彼は俺の師匠、俺の神といっても過言ではないだろう。彼と一緒に行動すれば、素晴らしい体験しか待ち受けていないのだ。これは本当のことだ。
俺はにこやかに、神に「なんですか?」と返答を返した。
そうすると彼はにこやかな顔で「紅茶を飲んだ後、我々の聖地に行きましょう」と俺に告げた。
聖地か・・・まさしく、神にふさわしい言葉だ。
もちろん、彼が俺に告げた言葉を否定することなく、俺は彼の言葉に従うことにした。
一体、この混み混みとした秋葉原のどこに聖地があるというのだろうか。不思議で仕方がない。知らないことをたくさん知れることというのは、本当に素晴らしいことだな。
 




