90 厄災の箱 sideヘルゲ
デボラ教授から、立体複合方陣の検証がようやく全部終了したと連絡が入った。興奮した教授は、あの方陣が自分の野望への道のりを大幅に短縮した!と大騒ぎだ。
『いやあ…あの日君を見つけることができたのは、本当に幸運だったよ。君がここまでのものを作り上げてくれるとは…!』
「恐縮です。ですが全ては教授のご指導のおかげですから」
『そう謙遜するな、ヘルゲ。検証は半年以上も時間がかかってしまったが、あの方陣は何がなんでも採用させてみせる。我が祖先の悔しさを、私が晴らせるかもしれないんだからね』
「以前もそう仰っていましたね、教授。ご先祖様は、マザーのロジックを変更させられたのがそれほど悔しかったんですか。不勉強ですみませんが、自分は原型を知らないもので」
『ああ、そうだねぇ。プロトタイプはもうほとんど伝承で語られているのみだからね。我が家でも”人の如く、流水の如く、大木の森の如く、優しく、厳しく、温かく思考するマナの渦”だとしか伝えられてはいないよ。もし開祖のロジックが採用されていれば、今頃は数百年の経験値を持った”賢者”にでも進化していただろうに』
「そうなのですか。確かにそれはもったいないことですね。しかしそこまでマザーが人格者になれていたら、人類の方が思考を止めてしまいそうですね」
『ふふ、そこは開祖も考えていただろう。ロジックに”厳しく”がある以上、人類を甘やかす方向にはならないと思うね』
「なるほど…お話を聞けば聞くほど、もったいないとしか思えませんね」
『そうだろう!?まったく、時の権力者は狭量だったとしか思えんよ。しかしロジックの改定を余儀なくさせられてしまった開祖は、悔しかったからなのか必要だと思ったからなのか、ある”箱”を設置して隠したと言うよ』
「箱…ですか」
『そうさ、マザーが大きな過ちを犯さぬように”厄災の箱”を仕掛けた、という伝承なんだがね…私以前にも我が祖先でマギ言語使いはいたが、誰がマザーの中を探してもそんな箱は見当たらない。まあ、開祖のタチの悪い冗談だったのでは、という話になりつつあるがね』
「それはまた…戒めの伝承にしても、少し恐ろしい話です」
『はは、本当にね。よし、ではヘルゲ。これからの課題だがね、やはりマナの消費量が莫大だという問題点だ。君も最初から指摘していたことだからね、なんとかしてみたいんだが』
「はい、今のところ劇的に改善できる策はないのですが…もう少しお時間をいただけませんか。さすがにあの方陣の複雑な接続を考えると、一朝一夕というわけにもいかなくて」
『うん、そこは分かっているつもりだよ。現在のままでさえ、よくあそこまで消費量を抑えたと思っているんだ。だからこれは私からの”ムリなお願い”だ。期待しないで待っているからね』
「ありがとうございます。では、昨日までの課題と同時進行でやっていきますので」
『うん、頼むよ。ではね』
…やっぱりマナ消費量の点のみか。読み通りなのはいいとして…
「厄災の箱」だと?
くそ、今さらそんな話が出てくるか…
他の一族は、魔法に秀でた緑青でさえも「心を隠蔽する技術」には疎い。俺がそういうことに長けているのは、白縹である上にマザーに10年も接続していたからだ。デボラ教授が”タチの悪い冗談”と一蹴していたが、俺はそうは思わない。
なぜなら、デボラ教授やその他のマギ言語使いは「俺がマザーに設置した隠蔽部屋」を見つけることができていない。俺が設置した部屋を見つけられない連中が、開祖の設置した箱を見つけられる道理もない。
これはもう一度マザーの中を見直すしかないか。
俺に、開祖が超えられるか?
…そんなことは、やってみなければわからない、と並列思考が呟いた。