61 閑話 ナディヤ①
ナニーの仕事を始めたばかりの時は、本当に右往左往して大変だったけれど…今は、とても充実してるわ。
皆いい子たちばかりだし、基本的に自分のことは自分でやるもの。
それでもナニーが必要な理由は「頼れて相談できる年上」が子供たちに要るから。誰かとケンカしてしまったり、自分たちではうまく調整できない人間関係だったり。大人が少し介入することで、そういった軋轢を最小限にできる。そう信じられる人間は、ナニーの才能があるんだよって、エルマーさんに言われたわ。
私は、エルマーさんのことを子供の頃からよく知っている。
コンラートがレア・ユニークを発現させて一番つらかった時に支えてあげた、ベテランのナニー。あの頃のコンラートは、ふとした拍子にものすごく絶望的な瞳の色を醸し出していたわ。自分で制御できない力に悩んで、苦しんでいるのが手に取るようにわかって、でも私はどうしていいかわからなかったの。
不思議と周囲はその苦悩に気付かないみたいだったわ。
コンラートは明るくて、一部分が消えうせた体を見て悲鳴を上げられてしまうと「おっと、悪ぃ!ごめんな、驚かせて」とにっこり笑う。制御できるようになったらなったで、その辺にコンラートいるんじゃないのか?なんて意地悪く言う男の子や、覗きなんてされたら嫌だわ!と被害妄想で真っ青になる女の子がいた。
私はほんとに悔しくなって、悲しくなって、でもどうしたらいいのかわからなくて。コンラートの担当ナニーのエルマーさんに聞いたの。そうしたらエルマーさんは私の頭を撫でながら言ったわ。
「優しい子だね、ナディヤ。でもコンラートは大丈夫。あいつは強い男だからね。僕も彼がこれ以上悲しまないように頑張るし、彼が悲しんでるってわかってくれる同期もここにいるじゃないか。君はいい子だ。でももう少しだけ彼をそっとしておいてあげよう?たぶんコンラートには、自分で乗り越えたっていう自信が必要だ。それでも心が折れそうになったら、僕とナディヤで支えてあげようよ。頼めるかな?」
私は心底安心したわ。
この人がいれば、コンラートは大丈夫だって信じられた。
そのうちコンラートは、鈴の飾り紐で周囲を黙らせたわ。
エルマーさんの言うとおりだった。彼は本当に強かった。
卒舎から三年ほど経って、コンラートが帰省してきた時は驚いてしまったわ…
あの強い彼が、瞳に澱を宿していたから。
すぐに、きっと仕事のことだろうなって見当がついて…たぶん、透明化の能力を軍でイヤな仕事に使われているんだって思って。
なんでも笑顔で覆い隠して、明るく全てを超えていくコンラート。
彼が心配でたまらなかった。
一人で何もかも消化して、澱も血肉に変えていってしまう覚悟を持つ彼。でもきっと、このままでは彼が黒く塗りつぶされてしまいそうなビジョンが見えて、今度こそ私が力になりたいと、強く願った…
でも、私の心配をよそに、あっさりと彼はスッキリ澄み渡った濃いオレンジ色の瞳を取り戻してランチの約束にやってきたわ。
…ちょっとこれは、拗ねていいかしら?
意地悪して、「楽しいんでしょ?」と指摘しちゃった…
たぶん照れていて、コンラートは絶対隠そうとしてたのに。
アロイスとヘルゲの家に滞在している彼は、飛躍的に瞳の色を美しく濃くしていく。魂の力自体が上がっている、そう思わせるほどの力強さで。
ニコルの事故があった日、私たちナニーに連絡が来たのはお昼前。
…きっと相当混乱していたんだと思うわ、数年ぶりの事故だもの。
アロイスとニコルのことも気になるけど、ニコルの同室の子がどうしても気になる。特にユッテ…あの子はとても強いけれど、甘えられる場所に飢えていて、まるであの時のコンラートのような子。
さっき部屋へ行ってみたけど、もう食堂に行ってしまった後だったみたいで…ごはんを食べたら探しに行こうって思ってた時。
信じられなかった。鈴の音が聞こえたと思ったら、コンラートがユッテのフォローをしてくれって私を呼びに来たんだもの。
中庭に向かって、とにかく急いで走ったわ。
今度こそ、あなたみたいなあの子を私に救わせてほしかった。
機会をくれて、ありがとうって思った。
あなたを救えなかった贖罪のつもりはないけれど、本当の妹のようなあの子を、私が支えたい。今度こそ。
ユッテを呼んだら、弾けるように飛んできた。
私に抱き着いて、怖い怖いと泣く。
ああ、がんばったわね…本当に怖かったわね。
でもあなたはとても強い。強くて、高潔な魂の私の妹。
落ち着いたら、急に恥ずかしくなったみたい。
「う…私赤ちゃんみたい…ニコルを笑えない」ですって。
ほんとかわいいんだから、ユッテ。
三人が学舎へ帰ると、コンラートがしまった!という顔をして慌ててる。
ごめん!って謝りながら、今まで全力で子供たちに向けていた気持ちを私に切り替えてる。…これ、なんだかとても気持ちいいわ。きっと私、嬉しいのね。ユッテの支えになれた高揚感があるのか、なんだかふわふわした気持ちだもの。
どうしても嬉しくて、こんな喜びをくれたコンラートに感謝したくて、なんとなく彼の手に触れてしまったのは…浮かれてたと思います…ごめんなさい。