6 紅の世界 sideヘルゲ
R15 少々病的な精神描写があります。
苦手な方はご注意を。
いつも、目の前は紅一色だった。
夢を見てるのか、心にダイブしてるのか、起きてチューブの中で漂ってるのか。
境目もわからないほど、いつも、紅一色だった。
*****
マザーから修練の時間だと促される。
面倒で嫌になるが仕方ない。まだ区画は山ほど残っている。昨日は59-84区画をなんとか終えている。今日からは59-85区画だ。
ダイブすると、紅い空間が無数に分割されている。
「広大なあなたの心は、そうでもしなければとても整理などできません。がんばって地道に続けていれば、きっと報われます」と、優しく宥めるような声でマザーが言う。簡単に言ってくれるもんだ。
それにしても最近、マザーの言っていることにいら立ちを覚えることが多い。
検索…
ああ、反抗期というのか。
これもたぶんマズいな、品質調整で消去されそうだ。これは、「鍵付き」にこっそりしまっておこう。マザーに感知されない迂回路は、もう複数確保してある。
これ以上、俺から何も奪わせない。
マザーから修練は終わりだと告知が来る。
これから運動と食事。
軽微な雷撃による電気信号で適切に筋肉への刺激をされ、クタクタになるまで今日は「走った」。
同じように味覚を刺激されて、シチューと焼きたてのパンを「食べた」。
実際の栄養はチューブに充填された液体から摂取するから、ままごとみたいなものだというのはわかっている。
勉強の時間はそれほど苦痛ではない。外の世界を知るのは重要なことだ。俺がこれから「本当に生きていけるように」なるために。
休憩と情操教育の時間なので、キラキラと光る海辺や鳥の鳴き声がする森へ「行く」。
キラキラ、キラキラ。
紅く光る海と、押し寄せる真紅の波。
紅い鳥が飛び立ち、紅い木々が紅い空に聳え立つ。
紅い葉っぱが風に煽られて、ざぁっと紅い雨のように舞い散る。
紅くて赤くて朱くてあかくて、手のひらを見たら、俺の手も真紅で。
あぁ、最後の2分間は「鍵付き」にしなければ。
これ以上、俺から何も奪わせない。
*****
10歳になって初めてチューブの外に出た。
ナニーが俺に服を渡してくれた。着る方法は知っている。歩き方も知っている。なのに俺の体は、糸がからまった操り人形のようにガクガクし、服は手からすべり落ちてしまった。
検索…
心と、体と、精神の結びつきに問題がありそうだった。ズレて、誤認識してるようだ。
これは、まずいな。またチューブに戻されてはたまらない。区画99-2(裏)起動。
スキャン方陣展開。
修復…リトライ…補完して、リトライ、リトライ、リトライ、チェック。…完了。
ナニーが大丈夫か、立てるか?と聞いてくる。コホッと咳払いしてみた。声帯も大丈夫そうだ。
「はい」
すっと立ち上がると、スムーズな動作で服を拾い上げて着てみせた。ナニーが満足そうに微笑んで頷くと、ついてきて、と俺を促した。
少し後ろを振り向いて、10年自分を包み込んでいたチューブや、マザーに接続している魔石群を見渡す。
今後はマザーとのダイレクトリンクではなくなる。
頭に響く、あの安心させるような優しい声。
もし俺がマザーの調整をしているやつにあったら、いの一番に教えてやろう。
ダイレクトリンクでは、裏にある蛇女は隠し切れない。
騙すならもっとうまくやるんだな、と。
「もう、何も、奪わせない」
初めてそれを声に出してつぶやいて、もう振り返りもせずに部屋を出た。
いつもどおり、視界は紅い。
この時、俺はそれが異常だとは気付いていなかった。
*****
4年が経過した。生活も慣れた。
俺以外にマザーとダイレクトリンクしていた者がいないらしい、というのは割と初期に知れた。
皆、真っ赤な笑顔で話しかけてきたり、紅い顔で怒ったりしていた。紅い教室の中ではいろんな「兄弟姉妹」がいて、みんな紅かった。
ほかの色が存在することも知っているし、いろんな兄弟の瞳の色はきちんと確認した。
だけどそれらの色が俺の心に落ちて来る頃には、すべて紅い、ただの情報になっていた。
周囲と調和しなければならないと思うんだが、どうも俺が無口で無表情なのが皆の気に障るらしい。
俺は兄弟の誰にも怒ってなどいないし、嫌ってもいないんだが。
無口、ね。どうしたものかな。
俺は分割された区画群の影響もあり、いくつかの思考が並列に存在している。
さらにマザーとの「連絡通路」が品質調整用に残されているので、かなり注意して発言しないと「迂回路」や「鍵付き」の存在が知れてしまう危険性がある。
そのため、対人コミュニケーション用の思考担当には最低限のものしか割り振っていないのだ。
そうしないと…消去されてしまう。
いくら抵抗しても、対抗策を練っても、俺がいつでも品質検査でマザーを振り切れる保障はない。